2017年 4/16(日) 国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 
               -都市のにぎわいと成熟- 展観鑑賞2 大和文華館
 

 近鉄・学園前駅から徒歩で数分の大和文華館に初めて訪問した。
 「大和文華館」は以前から、私にとって気になる美術館であった。

 展示室内に入り、音声ガイドを聞きながら順番に鑑賞する。
 展示の「祭礼・遊楽」の章の解説音声は「戦国の世が終わり、世の中が安定してくると・・・・中断していた昔からの祭礼や芸能が再び行われるようになりました。・・・・中世の宗教画ではなく、現世の遊楽 = 楽しみ や享楽を・・・・求めるように・・・・・。」とナレーション。 
  「水墨画ではなく、金地着色の屏風絵」など、豪壮というか、ド派手な絵画などが生まれたのはこの時期かな。説明を聞いていると、ヨーロッパのルネサンスや大航海時代の進展に伴う、文化の発達と似てなくはないかな?。中世の封建制度が崩れ、絶対王政の確立とともに豪華な文化が生まれたのは共通しているかも?。大陸の東の国、明では政治的混乱、末期を迎えたのだが・・・・。
 音声ガイドの音声は更に「遊楽の中心は、遊郭であった。・・・華やかな衣装の遊女の描写は、・・・好んで取り上げられた・・・・。」というナレーション。
 現在では「遊女」はいないかな。「文化の中心が遊郭だった。」というのは、よく語られる解説だ。しかし現代の視点からいうと、どういうものかと思うが・・・。結局は男尊女卑の文化のひとつだろうか?。たとえば春画展では「男女対等」だという感想のネット投稿も多く見られたと思うが・・・・。ボクには、よく分からない(苦笑)。
 
 壁面ガラスケースを見ていく。「竹生島祭礼図」琵琶湖の水面に竹生島が丸く浮かんでいる。島の手前に人が乗った船が15隻くらいある。祭礼の舟でやって来た人と祭りの様子の図。
 「阿国歌舞伎草子」重要美術品。一番古い、歌舞伎の祖、阿国の姿を描いた絵とのこと。阿国は、遊女だったと記憶する。遊女が舞台の上で踊ったのが、歌舞伎の原型だったな・・・・、間違った記憶かも知れないが。
 舞台の上の阿国の姿。阿国は、首を別の方向に向けて振り返っているような姿勢。平安時代とまではいかないが、立派な着物を着ている。舞台の下には観衆がいる。画面右下から阿国の恋人、名古屋三×?の霊が浮かび上がった様子。舞台の上の男も驚いた表情をしているのだそう。阿国には、知られた仲の恋人がいたのですね(笑)。悲恋に終わったからこそ、霊になって出てきたのでしょう。

 角を曲がり、「輪舞図屏風」がある。作品の題名はあとから名付けられたものだろう。遊女が輪になって「さーあ、輪になって踊りましょ~。」という絵。本当に円形になって地面に和をつくって、手をつないでいる。67人の遊女が描かれているそう。遊女は皆スマートである。一人一人の顔や着物や背格好が違う。モデルがいるのではないか?。
 解説文には「遊郭でのお祝いか・・・」とも書いている。祝いの場で、昼間、外に出て、踊りの場を持ったのだろう。一人ひもをゆう老女がいるそうだ。何か怖い。遊女を締めているというか、置き屋の主人の女なのかは知らない。老女もかつて現役の遊女であり、一生を遊郭の中で過ごして、死んだのだろう・・・・。
 描かれている若い遊女はその後、どのような生涯を送ったのでしょうか?。

 圧巻の遊女の絵「輪舞図屏風」の右隣の方向、右側の回廊の展示ガラスケースのなかほどの展示に、目指す国宝「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)があった。
 大きい。今回の展観の目玉展示品である。過去、大和文華館のウェブサイトを見たが、毎年4月中旬から5月にかけて展示されていることが多いようだ。
 初めて見た感想は「大きい。」である。
 桃山時代~江戸初期の風俗図屏風では、国宝指定の「彦根屏風」を見たことがある。江戸東京博物館の「大浮世絵展」で見たことがある。本来は、彦根城の大手門内にある彦根城博物館でほぼ毎年春頃?、に展示されるようだが、このときは東京の特別展で展示があった。よって、彦根市にはその年の秋に「旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)」の特別公開に訪れたことがある。
 ちなみに、「彦根屏風」を見たときの感想は「小さいな。」であった(笑)。じゃあ、「ちょうどいい大きさの屏風絵の大きさはでれくらい??」と問われても私は答える術と知見を持ち合わせしていない(笑)。
 「彦根屏風」は3尺くらいであるが、この屏風は5尺であろうか。
 
 説明文には「「婦女遊楽図屏風」は、肥前平戸の松浦家に伝来したので「松浦屏風」と呼ばれる」という有名なお話以外に「ほぼ等身大で・・・遊女とかむろの姿を描いた・・・・口には鉄漿(おはぐろ)をし・・・・髪をすき、手紙を書き、三味線を弾き、・・・・タバコ、キセル、カルタ、ガラスの器などが描かれている・・・・・・・。」と音声ガイドの説明がある。
 確かに画中の成人の女は、4尺半くらいで5尺なくらいの身長。135cmから145cmくらいあろう。実際の当時の女性の身長は少し高いくらいではなかったか。


 ↓ 国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観のチラシの写真。 
  「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)の部分。左双の左の部分かな。

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 描かれている女は、後世の浮世絵と違い、現代日本に通じる美人である。髪型もいろいろだが、ストレートロング髪の女もいる。現代に通用する髪型だ。目も二重の女がいて、作者は二重を表現するためわざわざまぶたに線を書いている。解説のとおり成人の女は皆、お歯黒をしている。体つきもよく、健康そうだ。
 彼女たち、みんな遊女なのだな・・・・。と私は少し残念そう・・・・。いや、当時は立派な文化だったのだというのだが、当時私のご先祖は利用できたのでしょうか?。何も記録は残っていないし、ある筈が無い(苦笑)。そもそも遊郭のある都市にはいなかった??。

 左双の屏風・・・・
 一番左にカルタをしている女。簡素な着物もいれば美しい着物をまとった女も。
 真ん中の立っている女は、桜の花のついた小枝を持っている。ちょうどこの時期(太陽暦でいう4月中旬頃)の様子の絵だということが分かる。その左、カルタをしている女の右にはお歯黒を鏡を見てかく女が・・・・。おしゃれをしている顔は、まさにオンナの顔そのもの・・・・。
 中央手前は筆をとり、手紙を書く女。机を使わずにこのように筆をとったのですね。画面手前には硯箱に墨がある。
 右手のキセルを差し出している女が一番くらいの高い遊女かな。キセルの下でひざまづくかむろの少女は幼い。幼い少女の姿が見事に表現されている。年齢は現代でいうと中学生、14歳くらいかな。
 女たちは楽しそうな顔をしているのだ。現代の私が想い浮かべる遊郭の裏の一面を感じさせる表現描写は微塵も無いのだ。かむろの少女はうっすらと笑みすら浮かべている。

 ↓ 大和文華館の展示スケジュールの案内。
   「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)の部分。一双(屏風が2個あるうち)の左双の右手の絵かな。

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 解説には「左右は対になっている」とある。 

 右双の屏風には、消されているが「鹿の子しぼり?の小袖」の女の着物の首の下、胸襟のところに十字架が描かれていたそう。平戸のかつての領主はキリシタン代表としても知られているので、その時代に制作され、キリスト教が禁止された後、十字架を消して現代まで伝えられた。 
 右の端には碁盤のような道具がある。当時の遊興、娯楽のゲーム道具であろう。
 真ん中は、手紙を立って読む女と三味線を弾く女が・・・・。一番右はかむろらしき女の子に髪をすかせる遊女が。左手には、ひざまづくかむろの少女の頭をなでる女が。なでる女も少女の表情も微笑していてほほえましい。「慈しみ」を感じる姿だ。
 右双の画中の人物の着物の色彩は、どこかダーク。秋なのかな?。しかし、画面を見る限りは秋の様子は無い。 

 浮世絵と共通する点は、女の手は皆小さい。
 かむろの少女は、「遊郭で囲われる童女・・・」と音声ガイドの解説にあった。「囲われる」というのは、遊郭に奉公に出された子なのか、遊郭で遊女と客の男の間に生まれ、遊郭で育てられた子なのか・・・?。

 うーん、遊女文化に関する作品の展示が多いな。
 当時の風俗画が、現代では「文化」なのか?。副題の「都市のにぎわい・・・」の文化の発達一端には遊郭も担っている訳でございまして。人集まることろに遊郭あり。大っぴらに表に出て描かれているところがすごい。現在では表に出てくることは無いでしょうが。

 しばらく、国宝「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)の前の長いすに座り鑑賞する。
 歩き疲れて、靴ズレを起こして足が痛いこともあるが・・・・。

 続いて、宮川長春 筆「美人図」重要美術品。江戸時代中期のもの。「日本絵師 宮川長春」と落款がある。

 
 室内は天井がとても高い。ワンフロアの館内だった。