平成29年4月2日 「ティツィアーノ展」 鑑賞5(最終) in 東京都美術館
最終日を迎えた「ティツィアーノ展」を最終日を鑑賞した。
「ティツィアーノ」は、皇帝カール五世、その子 フェリペ二世からも多大なる信頼を得た、時代を代表する画家。
「音声ガイド」の最後の方の解説だったが、皇帝とのエピソード紹介では、あるときティツィアーノが皇帝カール5世をモデルに、その前で筆をとって肖像画を描いていた。ティツィアーノは、筆を床に落としてしまった。皇帝は筆を拾って、彼に渡したそうだ。ティツィアーノは大変恐縮したが皇帝は「仕えるのにふさわしい。」とティツィアーノに言ったそうだ。
皇帝カールはティツィアーノが「皇帝である自分に無礼をしても、気にならないくらいに信頼していて、仕えてもらうのにふさわしい画家だ。」と思っていたということですね。
会場内の年表、図録の年賦によるとティツィアーノの没年は1576年。80歳以上の高齢であった。
1559年には兄フランチェスコが没。兄も画家であった。兄の存在があったから、弟の自分も才能を開花させることができたと思っていたのではないか。
先だって、10歳以上年下のはずの皇帝カール五世は、1556年?かに没。カールは1500年はちょうどの生年なのでまだ50歳台半ば。カールはスペインのサン・ユステ(San Yuste??)修道院に引退して没したので、ヴェネツィアで生活していたティツィアーノは、何かの知らせで聞いたのだろう。皇帝とティツィアーノが最後にあったのはいつだったのか?。1548年のアウグスブルグでの面会が最後??。
その子、フェリペ2世とはその後会っているのか、私は分からない。
1574年にはフェリペ二世への手紙の中で「95歳」と書いているそうだ。手紙のやりとりはしていた模様。
当時流行したペストで死亡したそうだ。ヴェネツィアのある島に隔離されて療養していたらしい。偉大な画家であるのに葬儀には会葬者がいなかったそうだ。
もっとも、ペストの流行のため、葬儀に行くことが感染防止のため憚られたのだろう。ティツィアーノの次男、オッタヴィオはペストにより、父の死からわずかに2週間後に死亡したそうだ。次男も一緒に感染して葬儀どころではなかったのだろう。栄光の画家の意外な最期であった。
↓ 会場の一番最後、地下に下るエスカレータの手前にあった撮影コーナー。
↓ 会場内で唯一の撮影可能コーナーだったので、入場者は盛んに撮影をしていた。
↓ 会場の一番最後、地下に下るエスカレータに直前の窓。
外を視れる場所は、休憩所以外ではここだけでは無かったかな。いつものことだが、地下から会場に入った筈なのに、最後は2階に出るようになっている。迷路をぐるぐると回っているようだ。
自分の居場所が分からなくなってしまう。
桜並木が見えないので、木々は、まだ葉の出ていない早春の装い。
音声ガイドを返却し、地下の出口出て退出した。