2017年10月8日 名古屋市 愛知県美術館 「長沢芦雪展」 鑑賞2

 名古屋の繁華街、栄にある愛知芸術文化センター10階のフロアにある愛知県美術館。


 会場内に入ると結構見学者がいる。最初は大きな長方形の展示部屋で、室内には40-50人くらいはいるのではないか。学生くらいの若い人も多い。
 
 展示は、長沢芦雪の紹介から。展覧会では「長」と「芦」は現代字体で表記している。よって、この記事では展覧会の「公式表示」にならって現代漢字で表記する。本当は「澤」と「蘆」かな?。
 実は私も芦雪は「江戸時代中期~後期にかけて人物」という以外はあまり知らなかった。若沖と同じ時代を生きた人であった。若沖よりも30歳以上も年下なのに、若沖よりも1年ではあるが早く、40歳台で死亡している。いかに若沖が長生きしたかが分かる。
 2年前にサントリー美術館で「与謝蕪村と若沖は同じ年である」というテーマで展覧会があった。この展覧会でも当時の人間関係に注目していた。
 芦雪は応挙の弟子であったことを知った。だから、南紀に「応挙・芦雪記念館」が現在あるのだと(やっと)知ったのだった。

 ↓ 展示リストに居住地の解説地図があった。
   展示室内の解説と同じだったと記憶する。

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 「蕪村と若沖展」では「(蕪村と若沖の)二人を直接むすぴつける資料は残されていない。」と解説されていた。二人は知人ではあったと推測されるが、実際に交流があったことを示す資料は無いのだった。今展覧会の展示リストでは「蕪村と応挙は仲良しでした・・・。」と解説あるし・・・・。蕪村と若沖の関係は不明だが、「蕪村と応挙」は交流があった。「応挙の弟子が芦雪」である。ん~、複雑に交友関係が絡み合うので、「人物相関図」が必要だなぁ(笑)。

 第1章 氷中の魚 応挙門下に龍の片りんを現す
 最初の展示として「芦雪の肖像画」の展示があった。彩色画である。作者は「芦鳳」で弟子で芦雪の養子となった人の子と音声ガイドで説明がある。芦鳳は、生前の芦雪と会ったことはないそうだ。父から、その養父の風貌を聞きながら描いたのだろう。

 ↓ 「長沢芦雪展」ウェブサイトの画面の白黒印刷。 「関羽図」などの掲載がある。
  「関羽図」の展示があり、近くの展示としては、鶴を数羽(鶴は「羽」と数えるのか知らないが)描いた「群鶴図」やヘビを描いた「蛇図」、竹にカエルを描いた「若竹に蛙図」があった。いずれも墨で表現した作品だった(と記憶する)が、関羽図は薄い彩色があった。「降雪狗児図」も着色があるかわいい犬の絵だった。「関羽図」と逸翁美術館蔵の「降雪狗児図」は、初公開の作品という。直前に展示が決まったのか?、音声ガイドには解説が無い。初期の作品だそうだ。


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 順番に作品を見ていく。
 師の応挙の作品との比較展示があった。「牡丹孔雀図」、絹本着色の鮮やかな牡丹の花と孔雀の画。応挙にならいつつも、動物の孔雀を芦雪独自の視点でとらえている。応挙作品にはあの丁寧な筆跡で「応挙」と旧字体で署名している。春画にも同じ署名があるし、几帳面な応挙の性格を現している。
 更に着色の「牛図」や犬を描いた絵などが展示されている。
 芦雪の落款は「魚」と朱肉をつけて作品の左に押してある。自らを「氷の中の魚」と読んだので「魚」の落款印鑑を作成したのでしょう。

 次は第2章の展示室だ。
 南紀、和歌山 串本の無量寺の本堂の展示が再現されている。

 ↓ ポスターの一部抜粋。本尊に向かって、手前から左手に「虎」の襖絵がある。
 
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 芦雪といえば「虎」の絵なのだなと改めて思う。館外、会場内に掲示されている展覧会のポスターも「虎図」を前面に出しているし。

(参考画像)
 「1階」のエレベータ乗り場付近の柱にあった、芦雪展のポスター。ポスターは「虎」の画の写真ばかりである。「虎づくし」かな。
 

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 (実は私が1階と思って入ったフロアは、実は「2階」だった。だから上の写真は「愛知芸術文化センター2階」の柱に貼ってあったポスターというのが解説が正しい。)

↓ 10階の撮影可能場所にあったパネル。「虎図襖」の拡大。

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