2017年11月 没後650年記念特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」 鎌倉国宝館 鑑賞5
 

 静寂の展示室内である。 第3章 「鎌倉公方と鎌倉の寺社」を見ていく。

 ・「鎌倉府侍所禁制(覚園寺文書)」
  うーん、鎌倉幕府の「サムライ所」と最初は誤解してしまったが、幕府滅亡後、足利幕府の「鎌倉府」の禁制。鎌倉府も「侍所」という組織を鎌倉幕府から引き継いだのでしょうか?。足利氏の鎌倉公方の政治を司るところかな。
 ・「足利尊氏御判御教書(覚園寺文書)」「当寺仏殿〇〇銘位〇事・・・件」が本文で、「文和三年十二月八日 田香氏」と書いてある。末尾に尊氏の花押がある。更に宛名を書いている。「覚園寺長老」と。覚園寺の(今でいう)住職にあてた文書である。
 仏殿を再建?することについての文書(御教書)らしい。仏殿に滞留し、師範をするよう命じている。覚園寺長老とは.「朴がい思淳」(ぼくがい しじゅん)というお坊さんである。
  (「がい」の文字が出ない・・・・のでひらがな表記しておく。)

 この文書は注目ですよ!!。「田香氏」とは足利「尊氏」のことですよ。「高氏」「尊氏」以外にも優雅に「田香氏」と名乗っていたのですよ。最初は「でんこう」という家の人のことかと思ったが音読みしてハッとした。ただ、こうした異音?読みは昔から当たり前だったのかな?。
 同じく覚園寺長老に宛てた別の文書もあり、覚園寺長老「思淳」(しじゅん)師に「××事・・・丁寧に・・・・」と祈祷に関することを命じているらしい。

 上記の「足利尊氏御判御教書(覚園寺文書)」とは別の場所、出入り口に近い壁沿いのガラスケースに尊氏の筆になるという「地蔵菩薩像」が展示してある。縦長の、描け軸になっている。文字が書いてあり、下にお地蔵さんの絵がある。展示リストによると第2章の展示品である。
 文字は尊氏の直筆ということだろう。上手ではないが、丁寧に筆で書いてある。(筆で書くのは当たり前だが・・・。)ただし、達筆ではない。本当に尊氏はこのような文字を書いたのだろうか。下には「尊氏+花押」がある。歴史教科書と同じ「尊氏」と書いてある。花押は、間違いない、「田香氏」と書いた「足利尊氏御判御教書(覚園寺文書)」と同一である。素人目にも同一人のサインした花押と判るぞ!。
 地蔵菩薩像は西暦でいうと1349年のもの。。「田香氏」と名前を書いた御教書は西暦1354=文和三年のもの。「田香氏」の署名の方が年長になってからのものだ。なぜ、あて字をしたのかは分からない。説明も無かったと思う。

↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」の看板。
  左端の文書の写真、浄光明寺の敷地絵図の上には「田香氏」と名前の入った御教書の画像がある。

IMG_1426


 第4章 「鎌倉に残る基氏の記憶」
 この特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」のメイン展示は「1章」に集中しているため、軽く見ていく。展示室の中心付近の展示ケース内に少しばかりある。
 江戸時代以降の鎌倉の絵図がある。以前も写真などで見たことがあるかもしれない絵図だ。寺院と農村に帰した田園の??鎌倉である。
 基氏の位牌も展示してあった。「瑞泉寺殿・・・」と戒名が彫られている。「院号」でない。「寺号」である。江戸時代以降だと、このような戒名は「瑞泉院殿」と院がつくのだろうが、位牌の文字は「瑞泉寺殿・・・」である。この位牌自体、展示目録によると江戸時代18世紀のものなので、何らかのときにつくられたのだろう。所蔵は「称名寺」となっている。あの金沢文庫に隣接するお寺だ。瑞泉寺ではない。

 今回、瑞泉寺所蔵の文化財が多数展示されていた。基氏の菩提寺であったのですね。全く、基氏と瑞泉寺の関係について理解していませんでした・・・・(苦笑)。そして、瑞泉寺がどこにあるのか、知らないのです。行ったことも無い・・・・
 3章と4章の展示は、ほぼ同じ展示ケース内にあるので、区別がつかない・・・。順路もごちゃごちゃになってしまうので・・・。
 館内はすいている。私のあとから入場してきた女性が1人いたが、先に出て行ってしまった。更にあとから入館してきた男性1人がいた。私は退出して、帰途につきました。
 帰宅した後、地図や自宅にある鎌倉のガイドブックなどで瑞泉寺の位置を確認した。拝観もできるそうだ。鎌倉時代の作になる庭園があることが分かった。
  今回の特別展のタイトルの一部には「東国の王」とある。鎌倉公方は、足利家の分家でまさに東国の王だったりですね。

 (鑑賞記 おしまい。)