土門拳記念館 企画展「土門がとらえた世界遺産日本遺産」 酒田市 鑑賞1 2018年8月

 山形県酒田市にある土門拳記念館にやって来た。
 新潟市に続いて「日本海沿岸の旅」が続きます。「庄内地方」にやって来るのは初めてだ。
 
 お盆休みの期間中。この日の天気は曇天というか、晴れというか。太陽は照っているが、雲が多い。あるが、暑い。蒸し暑い。日本海側といえば、フェーン現象で気温は高いが、湿度は低くて「カラリ」としているのかと思っていたが、マジで蒸し暑い。湿度は高い。70%以上はあるのではないか?。曇天を裏付けるように、酒田市から間近に見える筈の鳥海山が見えないのだ。裾野の部分が少し見えるのみ・・・・。なんか、おかしいぞ。

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 運動公園もある広い公園の一角に記念館はある。駐車場は広い。
 でも陽射しを遮るものがない。時刻は13時頃・・・。一日で一番気温の高い時間帯。マジでぶったおれそうだ・・・・。

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 酒田市の観光案内図。記念館は、市街地から最上川の河口付近の橋を渡った、南側にある。


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 今回の企画展は「土門がとらえた世界遺産日本遺産」というタイトル。特に目玉の展示は、あるるのではないようだが、通常の土門拳の作品展示と思われる。夏の観光シーズンに合わせてのテーマかな。
 駐車場から、館までは結構歩く。木陰がない。しかし、冬の天候が悪い日は吹雪となることもあろう。
 建物の入り口に向かうエントランス通路には海の方向に壁があり、吹雪を防ぐような構造になっている。↓


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 館の建物はコンクリートのモダン建築であるが、入口は小さい。分かりにくい。
 入館してチケット売り場は1つしかない。

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 廊下を歩いて、展示室へ。
 土門拳、著名な写真家であり、その作品は知らなくともその名は聞いたり、見たことがあるであろう。作品を見れば撮影者は知らなくても「あっ、その写真見たことがある。土門拳だったのか。」と思う人は多いだろう。私もその一人だ。
 土門の出身地、酒田市に記念館があるのだが、開館は1983年で土門の存命中のこと。館内に掲示されている年賦を見ると、土門の生まれは酒田であるが、7歳くらいまで酒田で過ごした後は、横浜に出ている。横浜二中に入学している。

 廊下の延長のような展示スペースに、パーテーションを立てて「筑豊のこどもたち」の写真展示があった。昭和34年の撮影。
 土門本人が書いた文章も作品の横に添えられている。展示の解説によると「筑豊のこどもたち」の写真集は10万部売上げ、ベストセラーとなったそう。
 展示リストによると
 閉山した鉱山・・・ボタ山の写真
 小ヤマ・・同じく鉱山だった地域の風景写真
 子だくさんの炭住街・・・子供がたくさん写った長屋住宅の写真があった。
 「あきれるくらい子供が多い・・・・。」と土門の文章が添えられている。現在「段階の世代」と名付けられている世代が子供だった時代なので、子供が多い。「あきれるくらい・・・」という表現が印象に残った。戦後、生まれたかけがえのない命を軽視するような文章・・・。結局「子供を大切にしない戦後の世の中」をつくってしまったから、現在「少子化」と言われて慌てるようになってしまったのでは?。団塊ジュニア世代の私は強く感じる。今さら、方向転換して「子は宝」といっても手遅れだよ。少子化の流れは止まらない・・・。「子は宝」とは昔から言われていたのだけどね。戦後10年と少ししかたっていない時期なのに「閉山による炭鉱地域の貧困問題」が既に発生しているとは・・・・、この貧困は敗戦直後の状況と変わらず、昭和20年代から、ずっと継続してるのではないか?、と感じた。
 「父のない母子」や「母の無い姉妹」の写真が展示されている。
 「父のない母子」・・・8歳くらいの子と4-5歳くらいの子の写真。
 「母の無い姉妹」・・・るみえとさゆりと姉妹の名前が書いてある。
 
 ショップは、入り口付近ではなく、この展示室の途中にあった。写真集など書籍の販売もしている。
 やや低いフロアは、メインの展示室のようだ。 企画展「土門がとらえた世界遺産日本遺産」の作品展示である。一番最初に「古寺巡礼」 と本人揮毫の額縁が展示してある。震えるような、しかし大胆な揮毫である。脳出血で倒れた後に書いた文字だそうだ。次いで法隆寺の写真である。
 最初は「中門列柱」・・・回廊に柱が並んでいる、有名な風景の写真。
 次いで「西院金堂全景」、「東院夢殿露盤」。「露盤」は夢殿の屋根の上に載っている金具であって、その上に半月が輝いているシーンの写真。
 次いで法隆寺の仏像の写真なとが展示されている。

 最初の戦後しばらくたってからの作品も多く、カラー写真作品も多数ある。