2019年1月 坂の上の雲ミュージアム 企画展テーマ展示「明治青年 秋山真之」 見学2
 

 ここは、愛媛県松山市。松山城に行った。(旅行記は後述する。)
 次は、どこに行こうかと考えた。特に決めていなかったので、お城のロープウェイ・リフトの駅から徒歩で比較的近くにある坂の上の雲ミュージアム」に行くことにした。


 三階(入館した感覚では2階であるが、案内パンフレットによると3階とある。)に真ん中か吹き抜けの三角型、廊下のような展示室がある。「坂の上の雲」とは関係なく、当時の松山の昔の写真などの展示。かつての城下町の街の様子、路面電車の写真、城の写真、人々の暮らしの様子の写真パネルなどだったと思う。

 全面ガラス窓に面した、展示スペースがある。窓の外を見ると万翠荘がよく見える。途中、スロープの通路の壁には、原作者 司馬遼太郎の原稿の写しの展示があった。

 司馬遼太郎(以下、「司馬氏」)は、既に私が中学の時に配布された国語の資料集でも、小説「坂の上の雲」の冒頭の文章が紹介されていた。当時、司馬氏は存命であったから、当時から代表作であったのだ。私が覚えている限り、ドラマの放映にあわせて、文庫本も大々的に販売されていました。「坂の上の雲」は文庫本でも8巻くらいの分量だろうか。 私も一部は読んだことはあるが、全部は読んでいない。
 

 全面ガラス窓に面した、展示スペースは、当時の時代背景を説明する写真や年表のパネルが設置してある。
基本的に撮影は禁止。一部、模型などで撮影可能な展示物は「撮影OK」のマークがついている。

 乗馬体験コーナーがあった。「なぜ、乗馬」といえば「坂の上の雲」の主人公、秋山好古は「日本騎兵の父」であるからだろう。
 NHKのドラマでも好古は「日本騎兵の父」と盛んにナレーションが入っていたし。
 説明によると「日露戦争の当時、日本騎兵の乗っていた馬の多くは日本在来の種で(背の)高さは4尺寸、約140cmくらいであった・・・。」そうだ。
 日露戦争当時の日本の軍馬の高さを体感できるという訳。
 

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 ↓ 西南側の窓。松山市沖の島 興居島の沖にあった釣島灯台の模型。明治6年開設という。


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 絵葉書作成コーナーがあった。
 このミュージアムを訪れた感想などを書いて記録しようといなっている。
 秋山真之の似顔絵が描かれている。

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 展示スペースと大きな窓ガラスの様子。映像コーナーもあった。
 軍艦の模型は「ボロジノ」という。ロシアの軍艦の模型であった。バルティック艦隊で日本海海戦を戦った軍艦だった。 連合艦隊、日本海海戦といえば、戦艦 三笠が有名であるが、三笠の模型は無かった。現在においても本物の戦艦 三笠は横須賀市に保存されている。


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 年表などは撮影禁止だったと思うので、撮影していない。「明治35年5月19日 子規 没 享年×歳」、「明治38年5月 日 日本海海戦 連合艦隊 パルチック艦隊を破る。」、「昭和5年 月 日 好古 没。」のような時代順の歴史と正岡子規と秋山兄弟の生涯の年表。
 他の入館者は、熟年夫婦、三世代の家族連れ、帰省してきて久々会った友達同士なのか若い女の子の二人連れなどもいた。

 ここまで見学し私は「あれ、展示室はこれだけかな?。思ったよりも狭いな。」と思ったが、室内の壁に沿って更に上の階に向かうスロープ通路があることに気付いた。