2019年1月 坂の上の雲ミュージアム 企画展テーマ展示「明治青年 秋山真之」 見学3
  
 最初は展示は、3階のこの付近のみかと思った。「あれっ、展示室はこれだけかな?。」と多少不安に
 しかし、まだ先の別の展示室に続くスロープがあった。なんだかホッとした。スロープを歩く。

↓ 軍艦 ボロジノの模型とミュージアム内部の様子。スロープを歩いて上のフロアへ。
  コンクリートの打ちっぱなしのスロープの壁には、掲示物がある。

  
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 と、上の階の展示室に至るスロープの壁にNHKのアナウンサーであった松平定知氏の文章の掲示があることに気付いた。氏の直筆の文書のコピーのようで、団子のような丸まった文字で書いている。
 「・・・・松山市は私の本籍地であるが。住んだことはない。・・・・・。」と書いてある。「・・・・・徳川家康の異父弟の久松定康の子孫で、松山藩の殿様の分家の旗本の(松平氏の)出で、明治維新後、大名の本家は「久松」に復したが、旗本の家は「松平」姓のまま」だというようなことが書いてある。以前、NHKのニュースなどに出演していた有名な方であるが、確かに昔の大名のようなお名前である。ここ旧松山藩の殿様の大名家の分家の出身であったと知った。
 更に「10年前に102歳で亡くなった父は、陸軍幼年学校から士官学校にすすんだ軍人であったが、幼年学校の保証人に秋山好古大将になってもらったことを自慢していた・・・。父は軍人らしく怖い人だった・・・・。」と言う意味のことが書いてあった。
 松山の旧藩主の一族出身であり、父が秋山真之とゆかりのある著名人ということで、松平氏の文章をここ坂の上の雲ミュージアムに掲示しているのだろう。
 この文章が書かれたのは、いつなのか日付を私は覚えていないが開館した後の平成20年頃であろうか?。「10年前に亡くなった・・・」というと平成10年頃、氏の父は102歳の長寿で亡くなったと思われる。
   
 展示室に続くスロープを昇る。壁面には、小説「坂の上の雲」が連載されていた産経新聞の切りぬきがびっしりと貼ってある。上の方は読めない・・・・。
 実際には、スロープを昇った先の廊下に設置している机の上にファイルがおいてあって、すべての連載記事のコピーを閲覧できる。壁面の記事をパッと見たが、以前、私が文庫本で少しばかり読んだ部分の連載も展示されていた。
 机の脇には「トン・ツー」のモールス信号の電信機の模型が展示してある。「トトツーツー」とレバーを適当に押すと音が鳴る。傍らにモールス信号の五十音の「長短表」(正式名称は知らない・・・。)が置いてある。
 日露戦争の日本海海戦で世界で初めて無線電信が使用されたことにちなむ展示物なのであろう。
 例として「の」は、「・・--」であった。何かの本で読んだが、日露戦争後の海軍ではモールス信号を覚えるときに「の」は「ノギ・トーゴー」と覚えたそうだ。まさに「トントン・ツーツー(・・--)」だ。
 本物は、高圧電流で電波を飛ばすそうだが、模型ではその部分の機械は復元を省略している。
 高圧電流の部分、白い円形のガイシ部分は写真パネルのみの展示であった。 
 
 緩いスロープを昇った先に、平らなスペースがあり、その脇に中3階??の展示室があった。のぞいてみると、小さいが長方形の展示室になっているので、入ってみる。ようやく「展示室」らしい「展示室」があった。
 入口の手前には上記の通り、小説「坂の上の雲」が連載されていた産経新聞の切りぬき閲覧用ファイルとモールス信号の電信機の模型が設置されている。
 



(補足)

「国立国会図書館デジタルコレクション」に掲載されている「陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和10年9月1日調」著者 陸軍省、編出版者 偕行社
 同名簿には、索引があるので容易に掲載者の氏名を検索できる。

 名簿中、卒業期、34期に「松平定尭」の名前がある。読み方は「サダタカ」。
 s9.8.1から野砲兵20連隊中隊長に在職していることが書いてある。
 愛媛県士族、 明治34.10.10生、T11.10.26少尉任官、s7.8.8大尉とあるので、この方のようだ。
 歩兵ではなく砲兵である。34期は秩父宮殿下と同期である。秩父宮殿下は歩兵であった。昭和11年2月に発生した二、二六事件当時、殿下は、弘前の歩兵聯隊の大隊長であったことが知られている。
 この年の名簿は、なんと華族、士族の「族籍」まで記載されている。
 名簿の冒頭、大将には皇族を含め12名掲載されている。「列次」の1番は、皇族の載仁親王。(閑院宮)、2番は守正王(梨本宮。妃は鍋島直大侯爵と妻、栄子(公家 広橋家の出)の娘でイタリア、ローマ生まれの伊都子妃。)
 
 巻末の索引によると当時「松平」氏の将校同相当官はたったの3名のみ。旧大名家、その分家、旗本の家などで松平姓の家は多数あったと思うが、士官学校を出て、近代日本陸軍の将校になる人はあまりいなかったようだ。
 同名簿の同じページ、砲兵大尉では20名掲載中、士族は3名いる。別のページ、歩兵大尉の項には「松平紹光」の名前もある。ヨミガナは「ツギミツ」33期、s9.3.5近衛歩兵第二連隊附 中央大学服務 大尉 6.8.1、東京 士族とある。当時の中央大学の配属将校として軍事教練などを担当する将校であった。もう一名の松平姓の人物は医官であった。
 砲兵の34期の大尉では一番先頭に 「武田 功 宮城県 s9.12.10 参謀本部部員兼陸軍大学校兵学教官」
 次は「西浦進 和歌山県 s9.3.31 陸軍省軍務局仏国及中華民国駐在」の名前がある。