2018年12月 佐賀県立佐賀城本丸歴史館 特別展「肥前さが幕末維新の『志』 北へ南へ、佐賀人が道を拓いた」 見学5 (佐賀県  佐賀市) 

 
 今、私がいるのは、佐賀藩のまさにその中枢だった、佐賀城本丸だ。本丸御殿が復元された、佐賀県立佐賀城本丸歴史館を見学中。
 なんと、江戸時代の御殿の一部が残っていたのだ。先程見た御座の間は天保年間に建築され、ご当主、つまり殿様の鍋島直正(当時の諱は齋正)が実際に使用していたというのだ。
 昨年行った、名古屋城でも本丸御殿が再建されていたが、佐賀では、すべてが復元ではなく、江戸時代の当時の建物も再び元の場所に移築されて復元されたのだ。
  
 鍋島氏の宝物、文化財などを展示する「徴古館」を見学。10年ぶりに公開されたという、国宝「催馬楽譜」を見た後に、佐賀城本丸歴史館にやって来た。入館料は無料であった。
  
↓ 外御書院の様子。障子の向こう側が、入口から入って見る際の順路。


IMG_4612

 広い畳のスペース(つまり、昔の広間であろう。)もある。その内部の部屋にモニター画面が置いてあった。
 直正公と合成画面で記念撮影できる。
 写しだされて、一定秒数表示されるので、自分のデジカメなどで、モニターを撮影して、記念撮影をセルフで出来る仕組み。
 直正公と場所を合わせる(大きさをそろえて、隣に座る)ことが難しい。ボクは、直正公とかぶってしまった・・・・。


BlogPaint


 直正公と記念撮影できるモニターは、「からくりウィンドウ」という。

IMG_4637


IMG_4611


 「からくりウィンドウ」を設置している廊下にも展示がある。

 牛痘を嫡子の直大に接種したときの絵図の展示などがある。大切な嫡子に敢えて、種痘を実施するとは、直正は、当時最先端の医学知識を持っていたのだろうか。当主と嫡子の健康状態と生死は、家、領地の存続に直結するし。特に幕末のこの時代は子の夭折が多く、養子が家を継いでいた例は多い。当時、最高の医療を受けていた筈の将軍家でさえ、跡継ぎ問題が起きていたし、将軍家、三卿の子の夭折も甚だしい。
 伊東玄朴の紹介展示がある。元々、ここ佐賀、神埼(現在の場所でいうと、吉野ヶ里遺跡のある辺りであろうか。)の出身で、長崎に遊学してシーボルトに教わったそうだ。

 佐賀領内で、現在でいう医師免許の制度も実施していた。江戸時代、医師免許・の資格制度が無かったことはよく知られている。弟子入りしてテキトー??修行を積めば医師(くすし、というのかな。)になれたが、制度化したのだ。当時としては考えられない先進的知見だ。

 鍋島家では直系での相続が続いていたのか、明治時代を迎えた直正(齋正)で第10代。父は、同じく在任が50年に渡った家齋から片諱を受けた9代の齋直。鍋島家は、養子が少なく、当主、世継の夭折があまり無かったことを意味するのではないか。特に他家や分家から養子をとるとなると、お家騒動にもなりかねないし。ほぼ直系、他家の血が入らない相続の成功は佐賀が、幕末に雄藩となりえた理由のひとつであろう。(だが、化け猫の鍋島騒動があったかな・・・・・・・。)

 更に廊下を進む。
 城の年表の展示があったと思う。幕末の唐津藩、幕末期の唐津藩や、長州出兵時における藩の立場を紹介?していた。
 幕末の対馬藩田代領の歴史とポサドニック号事件などを紹介していた。領地の図面のパネルが掲示されている。伊万里近くに浜崎領、鳥栖付近に田代領がある。小さい地域であるが、対馬 宗氏の領地だったのだ。先の徴古館、鍋島家の 領地のカラー地図の展示でも浜崎領と田代領は示してあった。
 特に浜崎領地は、海沿いの対馬への渡航の港になっていたのではないかと思われる場所。

 田代領は、13000石だったそう。ここには、対馬藩が代官を置いて統治していたそうだ。つまり、お代官様ががいた。長州戦争の攘夷のときに田代の代官は、なんと下関にて戦争に参加したそうだ・・・・・。
 対馬本島では、石高が1万石くらいしか、なかったのだろうか?。山がちであまり、米はとれなかった・・・、だから本土の肥前田代にも領地があって、合計で2万石くらいは、実米を確保したのだろう。
 対馬は「10万石格」なので、格式は10万石の大名と取扱いされたのだろう。よって、当主の官位は、通常、従四位下だっかな。
 ポサドニック号事件は、ロシアの船が開国後ではあったが、開港された港ではなく、勝手に対馬に進入してきた事件だったそう。田代からも出兵したそうだ。

 7人の佐賀ゆかりの人物の紹介パネルがある。「佐賀の7賢人」とタイトル。
 7人の中では、大隈重信が一番有名かも。他の賢人、佐野常民などと並び、田中久重の写真と紹介があった。 からくり人形の作者として有名で、東芝の源流企業の創設者の一人でもあったと記憶する。
 君主では、直正ただ一人。副島種臣、江藤新平もいる。佐賀の乱で敗れて、死刑になったのは、江藤だったと記憶する。


IMG_4642


 展示室の廊下は、行き止まりなので、引き返す。別の展示室に。

 最後は、鍋島直正に関する展示がある。佐賀藩といえば、「直正」が最も偉大な領主なのであろう。直正の写真の展示がある。写真は、複数の種類がある。直正は、色々と自身の姿を撮影をさせていたのだ。写真原本は、先に見学した「徴古館」も運営する、公益財団法人鍋島報效会の所蔵とある。
 撮影年もはっきりしている。しかし、先のパネルの写真にしても直正公は、姿勢があまりよろしくない・・・・。しかめっ面で、あまり健康的ではなさそうだ。内臓のどこかに病気がありそうな。下顎が出ていて、面長の顔。戦国末期に生きた家康のように顎が張って頭がい骨の骨格がガッチリとしている感じが無い。直正は、戦国の世の武将の直系子孫であるが、平和な時代を経て、貴族的な顔立ちである。出ている下顎は、どこかハプスプルク家の君主 カール5世やフェリペ2世を思わせる。
 
 直正は、実に開明的な諸侯であったことがわかる。装束姿の横の立った写真もあるし、有名な正面からの座った裃の写真(先にパネルで設置してあった。)もある。当時の大名の姿を伝える重な写真である。
 直正が藩政改革でつくらせた反射炉などの解説もある。色々な模型などの展示もある。反射炉で鋳造した大砲の砲身をくり抜く機械の模型の展示もあった。
 韮山の反射炉の展示室でも映像を流していたな。

 ここ本丸歴史館の見学者は、私達の他に年配者が数名いた。もうすこし若い人もいたが、平日ということで、おばあさんか老夫婦が中心。70歳以上のおばあさん二人連れもいたし、70歳以上と推定されるおっさん1人もいた。更に、盛んにデジカメを撮っている(展示物の接写は禁止だが。)、白髪のじいさんがいたり・・・・。40-50位と思われる主婦らしき人もいたが。


 「葉隠」の紹介もあった。今さらここで書くまでもないが、アノ有名な言葉は「・・・・・死ぬことを賞賛するものではなく、 死を覚悟することで生きることを大切にする・・・・。」という解説だが・・・・。本当かな・・・・・・?。
 現在感覚では このような表現しかできないだろうよ・・・・・・。当時の思想をそのまま書いたら、人権無視となってしまうだろうし・・・・・。
 山本常朝の口述の解説も展示してあった。常朝は、晩年、金立(きんりゅう)の庵に隠せいしたそう。庵を訪問した筆者が、7年間常朝のもとにかよい、筆記したのが「葉隠」。
 金立は、現在の佐賀の市街地の北、高速道路にも「金立サービスエリア」がある。「きんりゅう」と読むので、珍しい地名だな、と思っていたが、ここに隠棲したのだなと理解。佐賀平野を見下ろす、山の中腹に庵があったのだろうか?。確かに風光明媚だな。

 展示を見て、玄関に戻る。
 順路の最初にある琉球服姿の「アンドロイド人形」の前は誰もいなかった。先程は係員が集まっていたので、通過したのみだったが、美しい黄色い衣装をまとって、案内の音声を話していた

  ↓ 玄関付近の撮影可能場所。 

IMG_4643

 と、受付のところに、中国人の子供連れの家族がいた。母親らしき女が2人くらいいる。複数家族で来ているようだ。大きな声で話をしているので、すぐにわかる。どうして、平日の昼間に子供連れで来ているのかは、解からない。旅行であろうか、それとも未就学の子を連れた在住者?か。中国語の音声ガイドを借りているようだ。

 結構長く見ていたので、時間がなくなってきた・・・・。早く昼食にしたいな・・・・。

 玄関を出ると、強く雨が降っていた。冷たい雨だ。「冬の到来だな~。」

 ↓ 本丸御殿の玄関部分、拡大。雨が強くなっているので、画像にも写っている。
 うーん、改めて本丸御殿の玄関を眺めると、先に展示していた明治初めの撮影によるかつての御殿と同じだ。
 再建時、地中の遺構保護のため数十cm床を高く復元しているということだが、実に忠実に復元されている。


IMG_4647


 元々30分くらいの予定が1時間以上見学していた。想像以上に展示が充実していた。特別展のパンフも立派であった。
 ツレ「結構 ボリュームがあったね。最低でも入館料100円はとってみてもいいよね。でも、税金で全部運営しているのだよね。」と言った。
 寄附金は募っていたが、確かに無料ではありえないくらいの充実した施設であった。最低でも大人200円くらいはとってよいと思った。 高校生以下は、教育のため無料でいいかな。

 ↓ 本丸御殿の展示室などがあった部分の拡大。展示は行き止まりになっていたので、建物の先端部は、事務室などになっているようだ。
  確かに床面が高い。

IMG_4649

 
 ↓ 本丸御殿の玄関部分、拡大。
   入館時は、係員の方が立っていたので、いないときに撮影。
       玄関脇に、当時の佐賀藩で製造された?と思われるアームストロング砲の模型がある。


IMG_4652

IMG_4654



 ここ佐賀城本丸歴史館に来たのは、月曜日も開館している施設だからであった。たとえば、太宰府の国立博物館は月曜閉館だし。佐賀市内にも他の施設はあるが、月曜に休館の施設はまたの機会に行くことにしよう。
 再び門をくぐり、駐車場に戻った。

↓ 石垣には、ハートマーク


IMG_4602