2018年12月 佐賀県立佐賀城本丸歴史館 特別展「肥前さが幕末維新の『志』 北へ南へ、佐賀人が道を拓いた」 見学4 (本丸 御座間) 

  

 特別展の展示を見てから、廊下に戻る。入口とは反対側、通路の先には、更に離れに進むような廊下がある。

 廊下を進む。先の映像のスペースもある部屋とは反対方向。廊下の途中、新旧の建物の接続部がある。廊下の先は、古い木材と漆喰のような白い壁。現代建築のような真っ白い壁ではない。昔の建物の白いくすんだ術。
 特に柱の木材の質感というか、年代が再建建物と違う。
 ここから先が、江戸時代 佐賀藩時代の建築による小御殿だ。(と思ったが、あとで確認すると「御座間」だった・・・・。)。名前が似ているので紛らわしい・・・。でも、奥の居室というか、昔の殿様の私的スペースということで・・・。
 先の展示室の解説の通り、江戸時代の建物が遺されていのだ。

↓ 現代の復元御殿と江戸時代の建物の接続部分。手前は障子などの木材が古い。

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 ↓ 床面の復元御殿と江戸時代の建物の接続部分。柱などの木材部が古い。

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  廊下に会った説明。 ↓ 「密集していた建物群」とある。
  先程常設展示室(御三家座だったかな・・・・、もう名前を忘れたよ・・・・・・。)で見たが、本丸御殿の玄関部分とこちらの小さい御座間との間の空間には、小屋、物置のような建物がいくつかあったり、雑草や木が生えていたり、あまり管理されていないような様子だった。
 幕末か明治初めの頃の撮影だったろう。
 現在は、コンクリートの打ちっぱなしで、白い線を引いて昔の建物跡を示していた。

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 江戸時代の建物の廊下を進む。
  畳は新しい。

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  「御座間 堪忍所」の案内。
   昭和32年まで小学校の作業室?、公民館の広間として使用されていた・・・・、などの由来が書いてあった。


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 更に 廊下を進む。天井や障子の上部の様子。特に装飾は無く、普通の板張り天井である。質素な建築。
 天井は高い。3.5メートルはあろうかと。当時の男子でも平均150cm台くらいの平均身長だった筈なので、かなり高い。しかも、この建物が建築された幕末期は日本の歴史上、一番身長が低かった時代だというし・・・。

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 先の展示でも写真がたくさんあったが、この小御殿は直正の時代、天保年間の建築の建物。当時の玄関などの主要建物は復元の建物だ。天保年間で1850年代の安政年間の建築ではなかった筈。
 今から180年位前の建物。国の文化財には指定されておらず、佐賀市の指定文化財となっている。
 常設展示の城に関する年賦や廊下での標識では、この小御殿は、近代に入って一旦移築されて、小学校の作業室?、公民館の広間などで使用されていた。が、平成に入って佐賀城の本丸御殿を復元する際に再びここかつての場所に移築したそうだ。

 ↓ 廊下の突き当り。
左手が、広い畳の部屋。特に展示品や詳しい解説がある訳ではない。保存されている昔の部屋を見学するというコンセプト。

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 部屋の東の端にも別の間がある。


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 御座間の上座には、鍋島直正の写真パネルが置いてある。
 恐らく等身大ではないかと思われるパネル。身長155cmと仮定して、正座するとこれくらいではないか。

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 ここは、江戸時代の末期の建築ということもあってか、国ではなく、市の指定文化財だ。 しかし、貴重と思いまう。かつての大名の城の御殿の遺構であるから。
 部屋の下座から見る直正(当時の諱は、齋正)公。本当にここに直正公が座っていたのだろう。家臣は皆「殿!」と呼んだのだろうか。
 手前の家臣が控えると思われる間の畳は、「横」に敷いてある。

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柱の説明ボード。
本当に直正公が使用した当時の御殿という。柱には、当時の「御座間」「堪忍所」の墨書があり、移築する際には接ぎ木して、再利用したという。


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 障子についての解説があった。詳細は忘れた。

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 廊下を戻り、再建の御殿の建物に再び戻った。
 本丸御殿は80cm高く建築したというが、昔の建物も同じ高さで、畳の廊下に段差やスロープは無かった。


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