2018年12月 佐賀県立佐賀城本丸歴史館 特別展「肥前さが幕末維新の『志』 北へ南へ、佐賀人が道を拓いた」 見学2 (佐賀県  佐賀市) 

  副題が、とても長い企画展が開催されていた。入場は無料。
  肥前さが幕末維新の「志」展-北へ南へ、佐賀人が道を拓いたは、会期が2018年11月1日~2019年1月14日まで。歴史館の中の一室での開催であった。
  常設展示の方がスペースは広いのだが、まとめて先に記事を投稿することにする。
 撮影については「展示物の接写は禁止」とあるので、廊下や広間などの撮影しかしていない。

 ↓ 順路の廊下に進む。


 と、廊下に人形??があり、袴姿の女学生姿の女性係員がいた。明治文明開化のような絣の着物と袴姿(つまり、大学短大の卒業式で着るようなお着物)の女学生の衣装なので、厳密にいうと、当時の佐賀城にはこのような姿の女性はいなかったと思う。もう一人同様に袴姿の女性係員がいた。
 彼女たちも含めて、職員らしき私服の人も集まって人形の前にいる。アンドロイドの人形のようだ。人型ロボットというのかな。
 アンドロイドの前で、係員達が撮影している。アンドロイドの人形は、沖縄の衣装を着ている。集まって何か話をしている。アンドロイド自身も何か案内のような話をするようだ。
 
 周囲に職員がいるので、このときは、よく見なかったし付近でも撮影はしなかった。
 帰宅後、あとでウェブサイトを見ると、この日から、衣装をかえたらしい。

 見学したこの日も、帰りに改めて、アンドロイドちゃんの前に行ってみた。「ようこそ、佐賀城・・・・・に。私は・・・・で、・・・」と説明と自己紹介をしていたかな??。
 (覚えていないので・・・、テクトーに話したと思われる内容を記載・・・・。)
 私が館内を一巡して、入口広間に戻ってきたときは、昼の時間帯になってしまったので、袴の係員の人も、他の職員もどこかに行ってしまっていた。入口広間から、すぐの廊下の入口付近にいるアンドロイドの前で廊下の風景を撮影した。

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 さて、廊下を進む。特に展示はない。畳敷きである。
 
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 内側の部屋は「外御書院」というらしい。
 玄関から近い部屋。公式の儀式用かな・・・。床の間もある。

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 廊下の突き当りの部屋は、再現された部屋であるとともに展示室であった。
 「御三家座」という奥の部屋。鹿島、蓮池、小城の大名扱いである鍋島の御三家の当主が控える部屋であった。
 常設展示の部屋である。順番に見ていく。
 室内の壁には、昔の佐賀の絵図の掲示がある。絵図を見ると、街の北側には、ちょこんとローソクのように つきでた町がある。「唐人町」とある。先程徴古館で車を停めていた場所の更に北側だ。周囲は水路や田畑だったよう。
 城下町の郊外、現在の徴古館からまっすぐ北に佐賀駅へむかう途中にあった。中国から、呼び寄せた唐人を住ませたそう。よって「唐人町」となっている。現在の佐賀市の地図を見ても、たしかに同じ町の名前が残っている。
 
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 モニターでの画像もある。昔の城や城下町の解説画像。城の南東には、五重の天守もあったそうだ。今いる本丸の所だろうが、天守閣台の石垣は来る途中、解からなかった。
 昔の絵図の中に塔のような建物が描いてある。お寺かなと思ったが、天守らしい。今いる本丸の南東部分には、東御殿という別邸の敷地がある。隠居の当主の御殿のようらしい??。最初は別邸かと思ったが、すると現在は別邸のナントカ園というかつての大名庭園が遺されているのではないかと思ったが、現在東御殿は跡地は、現在の佐賀市内の地図と比較すると残っていないようだ。
 城下町の絵図を更に見る。佐賀の町屋割もかいてる。先程の徴古館の展示とも重なる。
  御殿の設計図も展示してある。(実物ではなく、複製かな・・。) 平成に復元したときの建築中の写真の紹介とその図面も展示してある。
 城下町のお城の付近の 高級武士の屋敷の町割りも掲示している。家の名前も書いてある。大名扱いなのに 鹿島、小城、蓮池の三家の鍋島家の屋敷もたしかに佐賀城下、二の丸、三之丸にある。(先程の徴古館の展示とも重なる。)ここ、かつての御三家座の復元部屋は、その御三家の控えの間だった訳で。

 本丸は絵図によると、比較的、佐賀の街の南東にかたよっている。城のお堀の内側、現在の県庁付近など、北に三家の屋敷があり、南側の堀の先は、家臣の屋敷街。


 御殿の地下を発掘したときの展示もある。再建に際しては、遺構保護のため、本来の御殿よりも、床下を80cn高くつくって再建しているそうだ。
 地層の上にコンクリをしいて昔の礎石を保護し、更にその上に復元の御殿の柱をおいているそうだ。
 城の歴史の年表の展示もあった。御殿再建まで、年表に記載されている。昔は、竜造寺氏の城のあとで、その遺構のあとに江戸時代の鍋島の城を築いたと。
 徴古館の展示でもあったと思うが、竜造寺氏はすべて鍋島など別の氏にかえている。しかし、屋敷は、かつての竜造寺氏の城跡、先程通って来た、現在の県庁の付近、博覧会のパビリオンがある付近など城の北側にあった。
 壁面には、かつての本丸御殿の古い写真も掲示されている。ホントに今いる復元の御殿と同じだ。御殿のうち、一部の建物は当時のものが残っているらしい・・・・。ホントだろうか?と思った。すると、この先の順路に昔の建物があるのかな?、と思った。

 室内、奥の壁側のガラスケース内の展示は、本丸発掘の際に出土した陶磁器の破片、瓦、軒先の瓦などが展示してある。

 地下は一部 見えるようになっている。 一部の床面をガラスをしている。

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御殿建築の構造についての解説。
本丸御殿の再建でも、ほとんどは、江戸時代の建築工法で建てているそう。


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 この常設展示の部屋は「昔、外御書院といったらしい。その名の通り、御殿の橋の小部屋である。」と誤解した・・・・。先の大広間が、外御書院であった・・・・・。「」

 公式行事以外には、通常の藩の政治に関する事務作業、書類作業などを藩士が広間で行ったのかな?。


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