2018年9月 学習院大学史料館展示室 平成30年度秋季特別展「学び舎の乃木希典」 見学1

  目白にある学習院大学史料館を見学した。元々、学習院に史料展示施設があるとは、知らなかった。以前は、国学院大学博物館や、早稲田大学中央図書館の展示室を見学したことがある。この特別展のことは、とある財団法人の美術館に置いてあるチラシで開催を知ってやって来た次第だ。

 交通は、至便である。 目白駅を降りて、地上の改札に出ると、すぐに学習院大学のキャンパス。キャンパスの中ほどの建物に史料館展示室はあった。
 
 テーマは「学び舎の乃木希典」。目玉展示として、国宝、重文クラスの文化財が展示されるのではない。が、無料だし、他の美術館にチラシを置いて広報に力を入れているし、せっかくの機会なので見学してみることにした。
 
 会期は9月13日から、年末の平成30年12月2日(日)まで。なぜ、9月13日開始なのか?。言うまでもなかろう、乃木希典が明治天皇のあとを追って殉死した日である。
 会期末の12月の2日の理由は分からない(年末に近い日曜だからか)。 

 大学の敷地内の教室棟などいくつもビルがあるのだが、そのひとつの棟の一階のフロア。文学部の研究室などが入ってる?棟のようだ。

 ↓ 特別展の告知看板。

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 展示室の入口の扉は開いている。受付台のうえで記帳があり、氏名を書くようになっている。若い女性の係員が座っている。別展の案内のチラシとアンケート用紙を渡される。アンケートを回答すると、「オリジナル乃木さんハガキ」が貰えるそうだ。係員は文学部の大学院生かな?。
 以下、乃木希典は「乃木」又は「乃木大将」と記す。
 
 
 順番に展示を見ていく。「一章」教育者となった乃木希典
 展示の最初は、乃木の使用していた道具など。食器、箸などの日用品やメガネなどもあったような・・・。
 日露戦争当時の乃木や山縣ら陸軍の首脳の写真、日露戦争の旅順攻略戦での乃木の写真の絵葉書などの展示がある。
 更に室内の壁面にほ、当時の学習院の敷地の地図。元々は、四谷にあったが、明治27年の「明治東京地震」で四谷の校舎に被害があり、その後用地を選定して、目白に移転したという。初等科は、現在も迎賓館の近く、四谷駅から徒歩数分のところに校舎がある。

 「明治東京地震」は知らなかった・・・・・。江戸時代末期、1858年の「安政地震」の後の東京直下型の地震なのだろうか?。すると、今後、断層が動いて、東京の地震というのは、発生する可能性はあるのだ、と感じた。

 明治41年に現在の目白に移転している。当時は東京市ではなく、目白村だったかな?。当時は、明治末期とはいえ、畑、雑木林なども広がる台地だったろう。現在の大都会、東京の目白付近の風景とは隔世の感があるだろう。
 当時の地図を見ると現在の川村学園の敷地には、学習院の職員官舎や、さらに敷地の東には、馬場がある。敷地は、ほぼ現在の川村学園の敷地と一致するのではないか?。学習院の北を通る現在の目白通りに沿って東西に細長い。

 明治41年、乃木が院長に就任した当時の庶務日誌も展示されていた。院長に就任したのは、皇孫 裕仁親王(のちの昭和天皇)の教育のためだったことはよく知られている。
 「教育者」として学習院長としての展示が中心なので、乃木の院長就任前の軍功に関する展示は限られる。

 乃木大将は、自宅から四谷では、馬で通っていたあと、遠いので、目白の敷地内には住み込みであったという。家を構えたのではなく、起居していたという解説だ。乃木大将の自宅は、地下鉄乃木坂駅(そのまんまだが。)の近くの旧乃木邸として、乃木神社に隣接した敷地にあるし、某アイドルプロダクションの本社もかつては、近年まで乃木神社、旧乃木邸の近くにあった??。
 室内の壁のガラスケースには、乃木大将の軍服、刀は、黒い拵え付きである。刀の銘は見えない。江戸時代の??刀だったかな。軍服には、大将の肩章がついている。星が3つある。明治38年式の軍服で、いわゆるカーキ色である。戦前期(日中戦争や太平洋戦争期を除く)の時代を背景としたテレビドラマで見る軍服は、だいたいこの軍服の形式と色ではないか。軍帽も展示してある。
 「明治18年には、最年少で少将に昇進」と説明文にある。長州閥のおかげと思うが、すごいスピード出世である。
 軍服の布は、陸軍製ジュ所の製造のものを用いて、仕立ては自分の動きやすいようにしたと説明にある。「参考」ということで金鵄勲章も展示してある。勲章の実物はのちの時代、海軍の及川古志郎が昭和17.4.4に受けたものである。乃木は日露戦争の功績で「功一級」最高の金鵄勲章を授与されているので、現物が無いかわりに、別の人物が授与された実物を展示したのだろう。
 昭和17年4月といえば、日米開戦後、日本の占領地域が最大版図まで拡大した時期。恐らく、日中戦争以降の論功行賞が行われ、功一級の金鵄勲章が授与されたのだろうか。
 金鵄勲章は、乃木大将の軍服の下に展示してある。

 続いて見学していく。
 室内の平らなケースには、敷地内の図面と式次第が展示してある。明治42年7月に明治天皇が学習院に行啓したときのもの。行事の次第が書いてある。
 次第をよんでみる。天皇は、学習院の北にある正門から入り、本館に向かう。馬車であろう。正門は現在も同じ場所にあるようだ。
 図書館の向かいにある建物に天皇は入られている。今、私のいる建物は昔の図書館付近らしい。建て替えされているので、建物の大きさも一致しない。一部、敷地がかさなっているだけという感じ・・・・。天皇が建物に入る図も書いてある。天皇の入る建物は「便殿」と書いてある。つまり、天皇専用の建物。この行幸のために、新たに設けたらしいです。手渡された特別展のパンフには、当時と現在の建物配置の比較表がある。私は、手許と展示物を見比べながら、明治天皇の順路を確認した。

 午前10時より式典が開始。高等官、判任官は・・・、など供奉の次第が書いてある。侍従以外に多数の官吏が付き従ったようだ。院長(乃木)の案内にて、授業をご覧になられ、ご覧になる順番に「五年生」など学年を書いてある。
 たとえば、英語の授業では、数名の名が、「優秀学生」と書いてある。生徒の名前は「松平信×??、溝口正×?、佐野××・・・・・」などだったと思う。授業をご覧になった後、正午は食堂に移動。食事をとる。
 一時間の休憩の後、午後1時から午後の参観が開始される。馬術などをご覧になる。
 天皇の御前で馬術を演じる中等科学生、高等科学生の名前が書いてある。
 すべての次第を終えて、お帰りになる。お帰りは「還御」と、書いてある。