「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞4  2019年2月

 ここは、三島市。佐野美術館へ初めて来館である。

 
 日光東照宮宝物館に所蔵されている文化9年に火事で焼け身となった刀剣を見た。
 再刃された「正恒」、「国行」、「了戒」、「備前国住雲次」などである。


 続く、第三のガラスケースは、展示室の一番突き当り部分だ。
  関東大震災で焼けた刀が展示されている。徳川御三家のひとつ、水戸家の倉庫で保管されていたそうだ。再 
 関東大震災で焼けた刀剣は、この水戸家と彦根 井伊家の刀剣の展示であった。
 水戸と彦根といえば、幕末の安政の大獄、桜田門外の変などでお互い遺恨のある藩同士だったような・・・・・・。大正時代になって、ともに所蔵する刀剣が大震災で被災するとは何とも因縁がある。
 水戸家伝来の刀剣は、小石川の徳川家屋敷で保管されていたそう。大正時代は、徳川侯爵家。かつての水戸・徳川家の上屋敷、現在は小石川後楽園になっている。東京ドームや遊園地もかつての水戸家の屋敷の跡である。当時も引き続き水戸徳川家の屋敷であったようだ。伝来の刀剣は、旧領地の水戸ではなく、東京で保管していたのだ。
 真っ黒になっている刀剣の展示がある。「太刀 銘 包永」・・・兵部大輔 藤孝磨上之異号・・・という銘があるそうで、説明によるとその銘文の通り、細川藤孝から徳川家康に献上され、水戸家に伝わったそう。藤孝が磨上げた?、短くしてすり上げした?ことが刻まれている。煤のせいか、真っ黒である。
 ガラスケース内には「太刀 銘 光忠」 。水戸ではなく、尾張の徳川家でも光忠の太刀は所蔵されている。国宝に指定され、名古屋の徳川美術館で時折展示されるのであるが、この尾張の「光忠」は見たことがあるぞ。
 目の前に展示されている「太刀 銘 光忠」 は火事のためか、まっ黒である。備前 長船、福岡一文字派の刀工と説明がある。
 平のガラスケース内には「太刀 銘 国宗」がある。 同じく水戸ではなく、尾張の徳川家でも国宗の太刀は所蔵されている。国宝に指定されているが、尾張の「国宗」はまだ見たことが無いのだ。「国宗」は13世紀、鎌倉時代の備前の刀工で、人気が高いそうだ。

 彦根藩、井伊家の「短刀 銘 来源国次」と「刀 無銘 左」は再刃されている。鈍く刀身が光っている。刃文もある。しかし、茎(なかご)の部分は、焼けたときのそのままのようだ。共に再刃された時期は不明とのこと。
 大震災の火事で焼身となった後、ほとんどはそのままで保管されたそう。数本が再刃されたと説明にある。
 「太刀 正恒」・・・国宝に指定されている刀剣を別の所でも見たことがある。昨年の秋に、鎌倉 国宝館で国宝の正恒を見たが、同一刀工かな。刀工の銘は判読できなかった・・・。焼けたためか、赤茶色に錆びでいる感じ。
 「太刀 助平」・・・説明によると「備前三助」の一人で、つまり、名工ということ。
 「太刀 銘 宗近」もある。あの東博所蔵の「太刀 三日月 宗近」の刀工で、「三日月」は秀吉の正室、ねねの愛刀だったと説明にある。
 平ケースにも井伊家の焼けた刀剣の展示がある。「太刀 銘 国吉作」・・・やはり、茶色く錆びたような刀身である。

 秋葉神社の所蔵で、火事で焼けた刀剣の展示もあった。火事は時代がずっと下がって、昭和18年のことだった。佐野美術館と同じ静岡県の神社所蔵の焼けた刀剣ということで展示されているのであろう。戦時中なので、恐らく神職、氏子、地元山林関係従事者らは相当数が出征していて、境内地の管理、付近の山林の管理が行き届いていないのが大きい原因ではなかったか。しかも、金属は供出、化石燃料は不足し、薪を燃料とする自動車も当時登場していたそうだから、山林から木材の切り出しのため、多くの神社と無関係な人も付近で行動していたろう。よって、何等かの失火が大火になったのではないか。

 この展示室は、部屋の面積が一番大きかった。
 入館者であるが、刀剣女子世代も多いのだが、比較的年齢層は高い。本日、展示最終日ということもあろう。
 ざっと見ると室内は40人弱ではないか。男性も多い。15-16人くらいは男性。男性は老年、中年などが比較的多いような。若者の男はいないかな・・・、親と一緒に来ていた小学生くらいの子はいるが。女性の入館者は年齢層はバラバラ。10歳台から20歳台前半くらいの「刀剣女子」のコア世代??は4-5人くらいではなかったか。制服を着ている女子高生もいた。刀剣女子世代はあまり、多くはないと記憶する。20歳台後半から30歳台前半くらいの人が、1-2人くらい。40-50歳台くらいが5-6人くらい。明らかに60歳以上の女性は5人前後ではなかったか。比較的、刀剣女子がブームとなる前のここの館のコアな入館者世代も多く見学していたと思う。
 次の展示室に移動する。 この展示室は小さい。
 時期不明の焼身の刀剣の展示があった。
 太刀 銘 則宗 ・・・元々は公家の鷹司家に伝来したという。1693年?の折り紙によると代は金150枚?という。
 (具体的な値段表示は忘れた。)
 短刀 銘 行光 号 不動行光 個人所蔵 ・・・元々小倉藩の小笠原家に伝来したという。
 その号の通り、刀身には不動明王と両脇の二童子の姿が刻まれていた。背後の炎も刻まれている。1717年の本阿弥光忠の「折紙」によると金100枚と評価されているそう。焼けた時期も不明で、再刃した時期も不明とのこと。一見して、焼けた刀とは見分けがつかない。

 と先程、男性職員に色々聞いていた黒いタイツのオカッパ頭の女の子が入って来た。小さい部屋なので、話声が響く。引き続き解説付きで会話しながら、展示品を鑑賞している。やっぱり、ここの特別会員か研究関係の大学院生?兼刀剣女子かな??。
 次の部屋に国宝の刀剣の展示があった。順路最後の展示室であった。

 ↓ 玄関付近壁の表示。 ポスターと同じ画像である。
  太刀 銘 友成 平安時代 日光東照宮宝物館の画像だ。

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