百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ④ 誉田八幡宮 参拝 2018年春 大阪・京都桜のたび9

 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 ※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。
 
 2019年5月 百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群が、世界遺産に登録されることが、確実なった。

 その「古市エリア」にある、応神天皇陵古墳に行った。同古墳の周囲をぐるりと歩いて誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)の敷地に入った。
  (「誉」は本来旧字体であるが、便宜上「誉」を使用する。)

 同古墳と八幡宮との間には、「放生橋」の説明板が設置してあるった。放生川という川が陵墓と八幡宮の間にあり。古来からは同古墳と八幡宮が密接な関係にあったことがわかった。
 毎年、9月15日には八幡宮の大祭が行われ、八幡宮の神輿が応神天皇陵古墳の橋を渡って、敷地内に入るのだそうだ。橋を神輿が渡ることを「渡御」(とぎょ)と説明板には書いてあった。

 誉田八幡宮の境内地を歩いて、国宝の公開場所を探す。特に告知は出ていないし、案内看板も無いようだ。
 境内から一般道に出たところ、道路を挟んで別の場所には、高床式のコンクリート造の収蔵庫がある。鍵は固く閉ざされていて人はいない。周囲は、鉄柵が設置されていて、厳重である。というか、草刈などの掃除をしている人はいる。「ここに国宝があるのかな。」と思ったが、公開している様子は無かった。
 現在では、境内は細いながらも公道が通っていて、いくつか敷地が分かれていることを知った。普通に一般の車が通っている。


DSC03694


↓誉田八幡宮の門の前。境内図では「南大門」とあった。
来たときは、この門を入らず、向かって左に歩いて時計回りに応神天皇陵古墳の周囲を歩いた。



DSC03700

国宝の公開場所を探して歩く。
と「誉田八幡宮の層搭」という看板があった。

DSC03693


更に「拝殿」があった。人は出入りしていない。袴姿の神職の男性が境内地を竹ぼうきで掃いている。


DSC03692

どこかな、と一旦門の外に出たり。ぐるぐると歩きまわった。
↓ 門の外側から境内を見る。

DSC03691


本殿の手前の参拝殿というのだろうか、左近の桜があった。桜は既に散ってしまっている。
4月中旬では、既に葉桜である。

DSC03688

対して、右近の橘もあった。

DSC03689

 境内においては、あまり撮影をしなかったのであるが、駐車場の付近には、公園もあって、遊具が設置されている。近所の子ども達が親に連れられて、遊びに来ている。平和な「土曜日の午後」の風景だ。
「境内案内図」の大きなスチールの看板もあるが、特に国宝の公開については、触れていない。
 先程外観のみ見た、高床式の収蔵庫は納蔵庫と看板に書いてある。もうひとつ、境内地には、子供達が遊んでいる公園に近い場所にも収蔵庫のような鉄筋コンクリート造のやや床の高い建物があった。「拝観庫」と看板には書いてある。ただ、床高が納蔵庫よも低い。「ここかな?。でも違うなあ。」と感じた。拝観している人が出れもいない。扉は鉄製で頑丈そうである。固く扉は閉ざされている。拝観庫に隣接して別棟のトイレもあって、自由に利用できるようになっている。

 時折、飛行機が飛ぶ音が聞こえる。
 伊丹空港への進入路である。八尾付近から、大阪城の東方上空、新大阪駅のど真上を結ぶルートで飛行機は、高度を下げて伊丹空港に着陸するのである。羽田から伊丹空港へ飛行でも機内の窓から見える風景は、このルートであった。

DSC03695