「新宿歴史博物館」
展示室は、地下にある。完全な地下室ではなく、半地下の石垣に囲まれた庭がある。中庭というべきだろうか。一階から階段を下りて地下へ。
先に特別展を見学した後、常設展示室に入る。
まず目に入って来るのは、内藤新宿の復元模型だ。
室内は撮影禁止だ。しかし、模型など「撮影スポット」と表示のあるところだけ撮影が可能だ。
常設展示室は、長方形で、内藤新宿の模型から順路に従って進む形式。天井が高い。地下と一階の部屋も使用しているのではないかと思うくらいだ。入口近くには、原始時代の展示からしばまり、江戸時代の新宿の様子もある。入室して一番目立つには、上述のとおり、「内藤新宿の復元模型」。
ついで、江戸時代の展示がある。
↓ 大きな商家の復元がある。土間にも入り、室内の展示も見ることが出来る。
分厚い壁の土蔵造りだ。「耐火」が一番重要なのだ。
江戸時代の新宿の様子が参考になる。明治元年の西新宿の様子も絵図がある。見ると、信じられないことだが、本当にににににににに農村地帯だ。(あまりにびっくりするくらい農村地帯なので「に」を連打してしまった・・・・。)
家の集まった小さい村があり、祠や寺がある。祠や寺は、現在でも高層ビルの谷間にのこっているそうだ。現在の新宿中央公園の傍らになどに。へ~、驚きです。
絵図に江戸の中心の遠景は書かれていない。現在の高層ビルが林立する風景とと比較すると驚く。戦後でも淀橋浄水場がなくなるまで、高層ビルはなかったからな~。この40~50年で劇的に新宿の風景は変わったのかな??。
室内の写真撮影スポットは限られている。最初は内藤新宿の模型のところ。次いで、土蔵造りの商家のところにあった。
展示室の奥は、作家や文学関連の展示がある。「夏目漱石が一番深いかかわりがある」と解説。そりゃ、漱石こと、金之助は、この近くの生まれなのであるから。私のかつての本籍地の番地(つまり、私の祖父や曾祖父の生家)からはやや距離があるが。
常設展示は、次の予定があるので、軽く見て進む。近代の画家で、区内には佐伯や中村ツネのアトリエ記念館があり、無料公開されていることを改めて知った。山手線の外のエリアで、かつての淀橋区の区域だ。
↓ 電車の展示がある。
新宿付近の電車の交通網の地図もある。地下鉄が発達する前の鉄道の乗り入れの様子も書いてある。
さすがに新宿繁華街の大規模再現模型は無い。都電やにぎわう新宿界隈の様子の解説展示はある。
↓ こちらは、昭和10年代の文化住宅の再現模型。
現在の日本の一般住宅の原型ではないか。父方の祖父は、結婚して世帯を持ったのが昭和10年代であった。(実際はに戦争が始まっていた時期だったのであるが。)次男坊だったので、結婚当初は牛込の家を出て別に家を借りたそうだ。ふと、こんな住宅に住んだのかな?と思ったので、模型を撮影してみた。祖父母ともに亡いので、今となっては知る由も無いが。
企画展示室よりも常設展示室の方が広かった。見学者はちらほせいる。室内には20人くらいはいたかな。
年配の男と一緒に常設展を出た。1人くらい中年のやせてスーツを来たノーモクタイの男性がいた。その他は60歳以上の年齢の男性が多いかな。家族連れ、子供の見学者はいるが、残念なことに少ない。
(常設展示の最初にある)内藤新宿の模型の前で熱心にボランティアガイドに質問しては話を聞いていた人は、60歳-65歳くらいの男性だったし・・・。一組だけ年配と35歳くらいの女性がいた。親子かな。
常設展示室の一番奥には、更に小部屋があり、玉川上水の「木の樋」や「木製の管」が展示してあった。半地下になっている。「ん、つまりこの半地下のところにかつての上水道が通っていたのかな?。だから、かつての木の水道管を展示しているのかな?」と思ったが、ちがうようだ・・・・。なお、この小部屋の撮影も禁止なので写真はない。
え~、ウチの子は、(室外のロビーの)マッサージイスに座っていて、常設展示室には見学に来なかった・・・・・(愕然)。
半地下の中庭に出ることが出来るようになっている。電車の運転席の切り取ったものが、マッサージイスの近くに展示してあった。ウチの子は、この付近を見たのみ・・・・。