良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

国立公文書館

 

特別展「誕生 日本国憲法」 見学3 国立公文書館

 2017年4月30日 特別展「誕生 日本国憲法」 見学3 国立公文書館
 

  今年は憲法施行70周年とのことだ。2年前の平成27年は70回目の「終戦の日」であった。当時、国立公文書館では平成27年度の第2回企画展として「昭和20年-戦後70年の原点-」が開催され、私も8月15日に見学に訪れた。
 
 「昭和20年-戦後70年の原点-」では8月11日?から8月15日までの短い期間に「終戦の詔書」の原本の展示があった。
 今回の特別展は「日本国憲法」の原本が展示されるという。
 朝の開館時刻に合わせて到着。9時35分過ぎには到着した。9時半開館と思いきや、特別展開催期間中は9時45分開館らしい。「やや遅れたぞ」と思ったが違いました(笑)。
 9時35分過ぎには到着した。
 すでに10人以上の人がロビー付近、館内1階フロア中央の映像コーナーの前で
 いつものように正面の入口を左に曲がり、公文書館の展示室の入口を入ります。



先に見る。誰もいない。
警備員が立っいる。
テレビで放映していたが、毎日しまうそうだ。
原本は最後の方の展示だった。
署名の部分。
冊子になっているので、ケースの中で見る.ことができるのは
都合ニページ分のみ。黄色く変色しているが 古さはあまり感じない。

前半部が混雑というか、ガラスケースの方に人がいた。
後半は人がいない。



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 「わたくしの喜びとするところ・・・」と修正されたことを示す文書。


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 記念式典の会場の図面。

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 ↓ 第1回特別国会召集の詔書

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 展示室の外と「のぼり」。5月の青空と同じ空色の布地に「誕生 日本国憲法 入場無料」と書いてある。
 さややかな新緑の風になびいている(笑)。

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 GW期間中の快晴であった。写真では、あまりよく写っていないが清々しい青空であった。
 ↓ 国立公文書館の正門近くにも青空の布地の「誕生 日本国憲法 入場無料」の「のぼり」
がはためいていた。
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特別展「誕生 日本国憲法」 見学2 国立公文書館

 2017年4月30日 特別展「誕生 日本国憲法」 見学2 国立公文書館
 

  今年は憲法施行70周年とのことだ。2年前の平成27年は70回目の「終戦の日」であった。当時、国立公文書館では平成27年度の第2回企画展として「昭和20年-戦後70年の原点-」が開催され、私も8月15日に見学に訪れた。
 あれから2年弱。今回の特別展の開催である。あの敗戦から1年と少し、1年2か月(ミズーリ号艦上での降伏文書調印から)という物凄いスピードで憲法が公布され、半年後(調印から)2年弱で「現行憲法」と呼ばれる日本国憲法が施行されたことになる。(当たり前であるが・・・。)
 
 原本は順路の最後の方の展示室だった。誰もまだ入って来ていない通路の展示室で先に原本を見学した。
 通路の南側窓近くには警備員が立って厳重に警備しているが。

 その後戻って、ほぼ最初から展示を見ていく。開館直後なので最初の展示は人が多い。順番に見学して展示の最後付近にある「憲法 原本」を見ることになる。

 最初の展示は、ポツダム宣言受け入れから、昭和20年秋以降であろう、憲法改正の私案の展示があった。
特に写真は撮影していない。あくまで個人の私案なので、どこまで影響を与えたのかは分からないが、かつて政府の中枢にいた人も着手していたことが分かる。

 憲法改正は、枢密院の審議を経ている。
 展示パネルによると「関門」ということのようだ。 

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 金森徳次郎についての展示があった。


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 内閣法制局の憲法改正案に関する想定問答集。
 「何を聞かれたら」「この答えろ」的な内容・・・・。内容は読んだが、詳細は忘れた・・・・。

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 特にヤジルシマークが付けられていたのが、「象徴とは何か?」との答え。「問」に対して「答」として「・・・あこがれである・・・」と想定問答している。

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 戦前、金森が辞職したときの文書。

 
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 11月3日の公布についてのお言葉。

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特別展「誕生 日本国憲法」 見学1 国立公文書館

 2017年4月30日 特別展「誕生 日本国憲法」 見学1 国立公文書館
 

  今年は憲法施行70周年とのことだ。2年前の平成27年は70回目の「終戦の日」であった。当時、国立公文書館では平成27年度の第2回企画展として「昭和20年-戦後70年の原点-」が開催され、私も8月15日に見学に訪れた。
 あれから2年弱。今回の特別展の開催である。
 あの敗戦から2年弱で他国軍隊の占領下にあって現行憲法と呼ばれる日本国憲法が施行されたことになる。(当たり前であるが。)
 
 公文書館の入口の様子。 


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 「昭和20年-戦後70年の原点-」では8月11日?から8月15日までの短い期間に「終戦の詔書」の原本の展示があった。
 今回の特別展は「日本国憲法」の原本が展示されるという。
 朝の開館時刻に合わせて到着。9時35分過ぎには到着した。9時半開館と思いきや、特別展開催期間中は9時45分開館らしい。「やや遅れたぞ」と思ったが違いました(笑)。
 9時35分過ぎには到着した。
 すでに10人以上の人がロビー付近、館内1階フロア中央の映像コーナーの前で
 いつものように正面の入口を左に曲がり、公文書館の展示室の入口を入ります。

先に見る。誰もいない。
警備員が立っいる。
テレビで放映していたが、毎日しまうそうだ。原本は最後の方の展示だった。署名の部分。
冊子になっているので、ケースの中で見る.ことができるのは都合ニページ分のみ。(当たり前だけど。。)
黄色く変色しているが、古さはあまり感じない。

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 前半部が混雑というか、ガラスケースの方に人がいた。順路に沿ってみているので展示の最初が混雑している。
 後半の展示は人がいない。今回の目玉は「憲法の原本展示」だ。目的(「憲法の原本を見ること。)を達するのに、途中の(展示を見ていく)過程は不要だ。
 よって、展示室の回廊を歩いて、先に憲法の原本はどこかなと探す。上記の通り最後の展示室にあった。ガラスケース内に一点のみ展示している。壁には拡大した憲法原本の写真のパネルがいっぱいに掲示してある。

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 活字では見たことがある。教科書にも載っているし。写真でも見たことがあるような記憶があるページだ。
 御名御璽の御名については、戦後の昭和天皇の署名が「裕」の「合」の上が「ハ」のように開いているというような新聞記事を昔読んだことがある。


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 昭和20年12月25日の幣原首相(当時)の回想の展示。
 

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「白洲次郎」に関する書籍でも有名になったが、ホイットニーに宛てた書簡についての解説。


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 ホイットニーに宛てた書簡 ↓
 白洲次郎が日本流の方法をアメリ人に説明した文書として、近年つとに有名になった。
 コピーではなく手紙の現物のようだ。「複製」とは書いていない。
 手紙の前では 75歳くらいの老人男性がじっと見ている。英語の文章の読み込みをしているようだ。

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  上から頭ごなしに行こうとする道を「Your Way」と書いている。しかし「Japanese Way」は「THIS WAY」だよと書いている文書。段階を踏めということだ。日本人はプロセスを大切にしますからね(笑)。
 しかし、このプロセスを大事にするばかりに、戦略が後手後手に回ってしまったのも戦争に敗れた要因のひとつということも出来ないだろうか・・・・。
 ここでは白洲次郎が日本流の手法を説明しているのが興味深い。既に有名なエピソードであるが。
 出展目録には「外交史料館所蔵資料」とある。
 ホイットニーか家族が寄贈したのかな。

 ガラスケースとは反対の壁。最初の角の近くには、憲法制定にかかわった人達の写真と人物解説が掲示してあった。もちろん、吉田茂の写真と解説があった。
 外国人は2人の掲示、一人は勿論マッカーサー元帥。有名なコーンパイプをくわえたサングラス姿。もう一人は、ホイットニーであった。「GHQ民政局長として、憲法制定にかかわった」旨の説明があった。
 



「昭和20年-戦後70年の原点-」 玉音放送の原盤拝聴 国立公文書館

 2015年8月15日
 
  くしくも70回目の「終戦の日」のこと。ここは国立公文書館。平成27年度の第2回企画展「昭和20年-戦後70年の原点-」の見学に訪れました。
 企画展の展示は、一階展示室の館の中央部まで。通常の企画展や春と秋の特別展と比べてスペースでいうと半分強くらいです。テーマを終戦の年、昭和20年に限定しているのですべての展示室は使用していません。展示室の残りは、歴史資料として昭和戦前期の文書の展示がありました。以前見た二、二六事件の対応に関する文書や昭和12年の第一回文化勲章に関する文書もありました。このときの首相は近衛文麿でした。
 館の一階中央部 エレベータホールともいうべきスペースで「終戦の詔書」の音声、つまり「玉音放送」が流れています。
 このコーナーには、パイプイスを置いて、正面にテレビを置いています。パーテーションで入口から入ってきてもこのコーナーが見えないようになっています。音声と同時に詔書を写した静止画像を放映しています。玉音放送の音声が進むにつれて静止画が切り替わります。

 ↓「玉音放送」を聞く人々。

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 玉音放送は「・・・耐え難きを耐え・・・」の言葉があまりに有名で、最近のニュース、ドラマなどではこの部分の音声のみ放送され、その他の部分が放送されることはあまり無いように感じます。「終戦の詔書」を文章で全文読むことはあると思いますが、実際の玉音放送をすべて聞くことはまず機会が無いです。
 玉音放送は、君が代の音楽がその前の段階で放送され、NHKのアナウンサーなどの読む説明もあり、放送時間は全部で30数分であったと館内の解説ボードにありました。
 昭和天皇の声が流れます。玉音放送の冒頭は、ほんの数秒ですが、レコードをかけるときの音、小さな「・・・ジジ ジジ」・・・という音がかすかにして御声が流れます。
 「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに・・・・・ここに忠良なる汝臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして・・通せしめたり。・・・」は「せしめ~たり。」と抑揚があります。
 また、「・・・するのみならず。・・・」の部分もテレビドラマや映画などで流れることもあると思いますが、「・・・する~のみならぁず。・・・」のように一回伸ばして後の「のみならず」の言葉は抑揚のある早口です。
 これも有名と思いますが、放送の中では「・・・敵は新たに残虐なる爆弾を・・・」と広島、長崎への原子爆弾の投下を非難しています。
 一番有名な部分は「・・・耐え難きを~、   耐え。  忍び~難きを~、 忍び・・・」のように間が空いています。特に「耐え難きを」のあとの言葉が間が空いているように感じました。
 最後は「・・・・・・朕が意を体せよ。」ですが、「たい~せよ↑。」のように語尾のアクセントが上がっていました。
 静止画で文章が表示されるので放送を聞きながら意味をつかむことはできますが、当時その場にいたと仮定して、ラジオの前で放送を聞いているだけでは、聞きながら意味をつかむことは難しいでしょう。今日「ポツダム宣言」として知られる日本に降伏を勧告した「共同宣言」も、前の記事でも書きましたが「其の共同宣言」と「指示語」を使用しているので、共同宣言が何なのか、当時どこまで理解されていたのでしょうか。

 「玉音放送」を聞いてから公文書館を退出しました。戦没者追悼の式典がすぐ近くの武道館で行われており、入館するときには式が終わった直後だったのでしょうか、参加者を乗せたバスが北の丸駐車場から出てきていました。
 写真には他の見学者は写っていませんが、見学者は「JFK展」のときほどではありませんでしたが、多かったです。やはり、年配者の見学者が多かったです。子供の見学者はあまりいませんでした。

 ↓ (既出) 公文書館の門。
    追悼式典に参加した人の迎えでしょうか、路駐の車が多かったです。

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「昭和20年-戦後70年の原点-」 「終戦の詔書」原本展示  国立公文書館

 2015年8月15日の土曜日
 
  くしくも70回目の「終戦の日」のこと。ここは国立公文書館。平成27年度の第2回企画展「昭和20年-戦後70年の原点-」の見学に訪れました。「終戦の詔書」の原本がこの週の月曜日、8月10日から8月15日のこの日まで期間限定で展示されています。
 フラッシュをたかなければ写真撮影は可能です。

 続いて展示を見ていきます。
 昭和20年6月と7月の展示テーマは「本土決戦の準備とポツダム宣言」
 沖縄失陥の際の内閣告諭案と戦時緊急措置法の制定についての文書がありました。6月に沖縄の守備軍は組織抵抗をやめて全滅状態になりました。そして兵士のみならず戦場に残された動員された少年少女達をはじめ悲惨な最期を遂げた人達も多数に及んだことは先年見学した平和祈念館などの展示でも明らかです。このときの通達は「(組織は)解散し、あとは各自で行動せよ。」というものでした。南部海岸に追い詰められた状態で「あとは各自で行動せよ」という命令は死を命じるに等しかったと思います。

 ↓ ポツダム宣言。外務省が翻訳した文書のようです。
   米英支の三国宣言となっています。「四国」ではありません。
  玉音放送の内容は「・・・・・・・米英支蘇 四国に対し其の共同宣言を受託する旨通告せしめたり・・・」となっていたと記憶するので、この宣言に当時のソ連は加わっていません。日ソ中立条約があったからです。7月の時点で日本とソ連は交戦状態にはありませんでした。ポツダム宣言の発表を受けての鈴木貫太郎首相(当時)の反応は「黙殺する」と記者団に語ったことはよく知られています。ソ連に過剰な和平仲介の期待を抱いていたのでしょう。
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 展示室内、角を曲がったガラスケースに人だかりができていました。
 ↓ 「終戦の詔書」 原本。最後のページが開かれていました。
   人垣の隙間から撮影をしました。複製は常時公文書館の展示室の最後のコーナーに展示されています。
   最初は私も(常時展示の複製を)原本かと勘違いしていました。
   原本が展示されるのは極めて稀なことなのですね。

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 展示文書は敗戦後も続きます。
 9月は「日本の降伏と占領のはじまり」
 ↓ 9月2日の降伏文書の調印に関する詔書?。
   戦艦ミズーリ号の艦上での降伏文書の調印はあまりに有名です。正式に戦争が終結しました。この日をもって「対日戦勝記念日」としている国も多いです。5月7日は「対独戦勝記念日」です。
  この文書は、降伏文書の調印を受けて敵対行為をやめ、武器を置くよう命じた内容のようです。  
 
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  皇族首相の稔彦王の署名が。皇族が首相、大臣となることは日本の歴史で以後は決して無いでありましょう。続いて大臣の署名が並びます。戦後、復活?して閣僚に列した人の署名も・・・・何となく戦前の閣僚で名前を見た人も・・・・・。公爵 近衛文麿の署名も・・・。このとき、自らの命はあと三か月であり、自殺に追い込まれる運命にあると彼自身は分かっていたのでしょうか!?。
 海軍大臣は引き続いて留任しています。しかも序列第三位。陸軍大臣の名前はここにはありません。次のページにあります。
 最初、この文書は降伏文書に調印するための全権に対する委任状かと思いましたが、誤解でした。全権団が艦上に並んだシーン、そして全権の重光外相と梅津参謀総長がそれぞれ署名するシーンの写真は余に有名です。

 ↓ 複製のページを並べて展示していました。

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 ↓ 1945年11月21日付 持ち株会社解体に関するGHQの覚書だったと思います。

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 財閥解体が始まりました。財閥の体系図の展示がありました。三菱といえば、岩崎家。東洋文庫の創始者の岩崎久弥はこのとき存命だったかは分かりませんが、敗戦時、これから起こるであろうことに財閥の総帥として何を思っていたのでしょうか。

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 持ち株会社解体に関するGHQの覚書 日本語訳。
 「一、三井本社、安田保善社、住友本社及び株式会社・・・」とあります。

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 12月の文書は女性参政権の実現と労働組合法の制定に関するものが展示されていました。
 あえて「労働組合法」の文書を展示するとは何となく「官庁労働組合」に対する配慮のような・・・・とは考え過ぎでしょうか。
 なお、敗戦後の資料で教育改革や農地解放、戦争犯罪人容疑者などの逮捕に関する文書の展示はありませんでした。特に教育改革は戦後の教育を受けた身(当たり前ですが・・・。)としては、その「原点」たる連合国の占領に伴う教育改革に興味がありますが、一切展示は無し。
 展示はかなり限られているように感じました。戦争中の文書については焼却した文書もかなりあると思うので保存が無い場合もあると思いますが、戦後の改革についてはこの企画展のタイトルで「原点」を標ぼうする以上はもっと展示が欲しかったな~、と思いました。

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 昭和20年は戦争遂行から敗戦、占領と改革へと激しく動きました。日本の社会が180度変わった年でした。
 そして明けて昭和21年1月1日 天皇の人間宣言が出されました。

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 正式には「新日本建設に関する詔書」というのですね。
 原本と思われる部分が御名御璽のページです。その他は複製だったと記憶します。

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 外務大臣に有名な吉田茂の名が。海軍省と陸軍省は11月で消滅したので両大臣の名はありません。

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「昭和20年-戦後70年の原点-」平成27年度第2回企画展 国立公文書館 見学

 2015年8月15日
 
  くしくも70回目の「終戦の日」のこと。ここは国立公文書館。平成27年度の第2回企画展「昭和20年-戦後70年の原点-」の見学に訪れました。
 すでに速報は8月の時点でアップしていますが、随分と遅れての記事の投稿です。
 
 公文書館の敷地内と北の丸の様子。平成27年の8月15日、東京は晴れの暑い日でした。
 70年前、昭和20年8月15日の東京も「よく晴れた暑い日であった。」と回想されています。

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 「速報」に書いたとおりこの15日まで「終戦の詔書」の原本の展示がありました。
 今回の企画展は、昭和戦前期の全般を通じての展示ではなく「昭和20年」に焦点を当てています。

 いつものように正面の入口を左に曲がり、公文書館の展示室の入口を入ります。ガラスケースの最初の展示は「プロローグ」として宣戦の布告の詔書でした。
 ↓ 昭和16年12月8日 「宣戦の詔書」

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 原本は御名御璽のページが開いてあります。その他のページは複製品のようです。
 漢字は旧字体で書いてあるので難解です。現代字体で一部を書き出ししてみると「・・・・東亜の安定に関する帝国積年の努力は水泡に帰し・・・・」とあり、末尾は一部隠れているのですが「・・・・平和を確立し、帝国の光栄を保全セシムコトヲ期す」と読めます。
 大臣の署名欄には「内閣総理大臣内務大臣陸軍大臣 東條英機」の名が。三つも兼務しています。最後から二番目に商工大臣岸信介の名も・・・・・。
 ここに名前のある人物のその後の運命は多様です。東條は東京裁判で刑死。裁判で禁固刑に処せられたものの後に出所した者、敗戦後自決した者、総理大臣となった者・・・。
 気づいたのですが、大臣の数が意外にも少ない。名前を知っている人も少ない。そして爵位を持っている人が一人もいない。近衛文麿が退陣したので、同時にその仲間の華族大臣は閣外に去ったのでしょう。

 1月の展示書類のテーマは「日本本土空襲と空襲下の生活」
 空襲に対する対策の文書の展示がありました。
 2月の展示書類のテーマは「硫黄島の戦い」
 2月には硫黄島にアメリカ軍が上陸して激しい戦闘が行われたりですが、展示文書は3月になってからのもので「陸軍中将栗林忠道進級ノ件」
 ↓ 

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 陸軍中将から陸軍大将に進級させるための文書でした。日付は昭和20年3月22日。陸軍大臣が内閣総理大臣小磯国昭あてに提出しています。後世の戦史では硫黄島が玉砕して栗林司令官が戦死したとされる日よりも少し前の日付のようです。が、文書によると「・・・本人は第109師団長として硫黄島に在りて作戦指導に任じ其の功績特に顕著なる処3月17日戦死せる者に有之候・・・・」とあります。当時の大本営としては3月17日に戦死したと認識していたためその後進級を決定したのでしょうか。

  3月の展示書類のテーマは「東京大空襲と空襲への対応」

 ↓ 空襲後の行幸に関する文書

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 3月17日に宮内大臣 松平恒雄の名前で内閣総理大臣小磯国昭あてに出されています。
 空襲後の視察に天皇陛下が「明18日午前9時に」出発はて東京都内の罹災した場所に行幸をするとの内容です。箇条書きの一に「午前10時頃還幸の・・・」とあるため10時頃には戻る予定だったようです。   

 4月
 「鈴木貫太郎内閣の成立」
 小磯国昭が依願免本官となり、枢密院議長で海軍大将で正三位に叙位されていて勲一等の勲章を受章していて武功により功二級の金鵄勲章を授けられていて男爵の爵位を有している鈴木貫太郎内閣が内閣総理大臣兼外務大臣兼大東亜大臣になています。
 同時に外務大臣兼大東亜大臣は依願免本官並兼官となり交代しています。首相が兼務ということですね。
 海軍大臣が奉じ、奏上しています。前任者が後任者を奏上するのではないのですね。米内光政は留任し、敗戦時も海軍大臣だった訳です。

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 昭和20年5月に関する文書としては、「独逸降伏の際の帝国政府声明案」がありました。文字が細かく読みにくいので写真は撮影していません。
 4月下旬にベルリンにソ連軍が押し寄せて陥落。4月30日だったでしょうか・・・、ヒトラーは自殺。翌月の7日(日本時間では8日でしょうか)にドイツは無条件降伏文書にサインをして欧州の大戦は終結しました。
 帝国の声明は「独逸降伏に関係なく戦争遂行に邁進」というような内容でした。そして日本は戦争を継続したのでした・・・。

「終戦の詔書」 期間限定公開 企画展「昭和20年」 国立公文書館

  今年の8月15日は土曜日でした。お盆休み期間中でもあります。真夏の太陽の照りつける中、国立公文書館にやってきました。
 今回は8月10日の月曜日から15日の土曜日まで期間限定で公開のあった
「終戦の詔書」の原本を見にきました。いわゆる終戦の日に来たのはたまたまで、土曜日で私も来やすかったからです。偶然にも展示最終日が終戦の日に当たっていました。
 
 ↓ 8月15日午後の国立公文書館の入口門付近。

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 ここ国立公文書館の展示スペースは、「口」の字状になっていることは何回も書いています。館内中央のロビーは「玉音放送」の音声を聴取できるコーナーになっていました。
 今回の館の半分が企画展「昭和20年」であり、残りの半分は、戦争(第二次大戦)とは関係なく昭和以降の文書がほぼ時代順に展示されている常設展的なコーナーでした。
  
↓ 以前も展示のあった二・二六事件の対応に関する文書。
  内務大臣後藤文夫を総理大臣の臨時代理に任命する文書です。

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 ↓ 展示ケースの最後のほうにあった「終戦の詔書」の複製。これは以前から常時展示があります。

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「JFK その生涯と遺産」展 映像コーナー視聴 と皇居北の丸公園 散策 

  2015年5月5日

  国立近代美術館を観覧した後は、お隣の国立公文書館に。
 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 私は二回目の見学ですが、上の子は前回は来ていないので、見学することにしました。というより、上の子は初めての国立公文書館ではないかと思います。連れてきた事がありませんでした。何かと多忙ですからね・・・。
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 私の目当ては、館の中央部に設置された臨時の映像コーナーです。エレベータホールにバイプイスが置かれ、テレビから当時のJFKの演説の映像が流れています。全部見ると30分かかります。前回は、キューバ危機のときにアメリカ国民に向けてテレビとその次くらいの映像しか見ることができなかったので、再びやってきました。
 上の子には「JFK その生涯と遺産を自分で見てきて。」と言い、私は映像を視聴しました。
 日本との衛生中継開通に関するJFKのメッセージ(暗殺事件が無ければ放映される予定だった映像)。映像は残されていないが、音声のみJFK大統領記念館・図書館に残されているとのことで、この音声が流れている間は、静止画像に変わりました。JFKのメッセージのみが流れてきます。「日本のみなさん・・・衛星中継開設 お大変よろこばしいことです・・・・。 」というような内容でした。政治的なメッセージではなく、親しみのある語りかけるような音声でした。
 上の子が存外早く、展示を見てきました。「早かったね。」というと「混んでいて、うしろからだとよく見えなかった。」上の子は同学年の中では小柄なのです。
 では「大統領就任演説や、展示の最後の方にヨット載っているケネディの家族の映像もあっただろう。」と言うと「混んでいてよく見えなかった。」とのみ・・・・・。「見えなかった」のか「見なかった」のか分かりませんが・・・。
 今日も混雑している「JFK展」でした。
 そんなこんなで、公文書館を出て皇居 北の丸公園を歩きます。都立「科学技術館」の前を通ります。こどもの日というこで賑わっていました。数年前、上の子が小学何年生だったかのときに、連れてきたことがありました。走馬灯のように当時の思い出が蘇ってきます(笑)。まだ、一緒に外出してもらえるだけでもマシですかね(笑)。


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 公園の中の遊歩道を歩いて九段下の駅に向かいました。

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「JFK その生涯と遺産」展 見学記5(最終、まとめ) 国立公文書館

  2015年4月18日

 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 皇居北の丸 竹橋の国立公文書館です。
 
 展示もそろそろ終わりに近づきました。
 暗殺事件そのものに関する展示はあまり多くはありませんでした。犯人についても従来の「・・・・・オズワルドが単独犯として逮捕されたが、二日後に射殺された・・・・」と事実のみを説明しています。有名なウォーレン委員会の報告書の展示があったか、無かったか・・・・。この報告書を信じる人はどれくらいいるのでしょうか・・?。一国の大統領の暗殺であるのに・・・・。
 暗殺直後、首都に戻るエアフォースワンの中でのリンドン ジョンソンの大統領の宣誓の様子の有名な写真の展示が・・・・。写真は白黒で分かりにくいすが、夫人は暗殺時、パレードのときに来ていたピンク色のスーツのままで立っていたそうです。その近くに展示のあったパレード中のカラー写真では、JFKとパレードする鮮やかなビンクのスーツを着た夫人のにこやかな姿が写っています。たしかに同じスーツです。
 ジョンソンの隣に立っているジャクリーン夫人は『憔悴しきっている』と説明にありましたが、顔が硬直して思考が停止し、視線が別の方向を向いているように感じます。何が起きているのか現実を受け入れていない表情です。
 突然の銃声、倒れる夫、かばう自分、集まるSP、救急搬送、慌ただしく動く周囲の人々、動転する人、病院への移動、そして夫の死の告知、遺体を搬送する手配、公表の手配、首都帰還の準備、エアフォースワンへの遺体搬入、副大統領の宣誓、離陸、首都帰還・・・・・・・・・。次から次へと場面が変わり、パニックを超えてぼう然となるしかなかったのだと思います。
 「機内での宣誓写真」はあまりに有名ですが、窓が無いため外の様子が分かりません。てっきり飛行中ワシントンに戻る途中に撮影された写真と思っていましたが、ダラスの空港で離陸前に宣誓式を行ったそうです。
 なぜ、副大統領がダラスにいてすぐに宣誓式に臨むことができたのか?。大統領と副大統領は行動をともにして首都を空けることは、極力避けるはずですが、なぜこのときは可能だったのでしようか。昇格したジョンソンがわずか一年後の再選後かにベトナム戦争に介入拡大したことはよく知られています。1960年代後半のことですね。図らずも大統領になったのにもかかわらず、ずいぶんと戦争に積極介入していますね。

 暗殺後、遺体は首都に搬送、安置されます。すぐに葬儀が行われています。公文書館蔵の池田首相の参列に関する文書の展示も。死の翌日には葬儀の日程が公表され、25日には葬儀が。性急すぎるような気もしますが・・・・。捜査と葬儀は別なのでしょうか。
 葬儀当日 喪服姿のジャクリーン夫人は2人の幼い子を連れています。悲痛の中にもどこか冷静さを取り戻している様子でした。

 最後に館の中央部、エレベータホールにはバイプイスが置かれ、臨時の映像コーナーが設置されていました。JFKの演説の映像が流れています。全部見ると30分かかります。キューバ危機のときにアメリカ国民に向けてテレビが流れていたので、その部分のみ視聴して公文書館をあとにしました。
 日本との衛生中継開通に関するJFKのメッセージ(暗殺事件が無ければ放映される予定だった映像)もプログラムの中にありましたが、まだ20分くらい先の順番なので視聴しませんでした。映像は残されていないが、音声のみJFK図書館に残されているそうです。

 今回印象に残ったのは、生い立ちや家族たちの様子に関する展示でした。公の政治活動に関する資料は目にすることありますし、調べることもできますが、個人の生活については、なかなか知ることはできませんし公開の機会も少ない。その中でJFKとその家族の人となりを知ることができる貴重な機会でした。

 写真は、皇居側の道路。今年の春は皇居の通り抜けの開催はありませんでした。
 実は今年の春もあるのかな、と思っていましたが昨年のみの開催でした。昨年の紅葉時の開催(12月上旬)に行っておいてよかったです。
 皇居東御苑の木々が見えます。春のうららかな一日。新緑の緑が映えます。館外に出て現実の世界に戻ったような気分に。どうしても、JFKといえば=暗殺、というイメージになってしまいます。展示の最後は重苦しいものだったので、館外に出て、外の空気を吸って何だかホッとしました。

 争いの無い平和な、しかも平凡な生活が一番です。何事もなく平凡でいいのです。これ以上は望みません。小さなシアワセを見つけていきます。ボクは(笑)。

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「JFK その生涯と遺産」展 見学記4  国立公文書館

  2015年4月18日

 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 皇居北の丸 竹橋の国立公文書館です。

 「口」の字状に配置されている展示室。北側通路の細長い展示室に続いて、東側(つまり近代美術館側)の通路にある展示室へ。最晩年の大統領、JFK の姿です。
 日本との関係を示す文書や写真の展示があります。このコーナーでは日本の公文書館の所蔵文書の展示もでてきます。ただ、外交関係の文書も多いので外務省外交資料館蔵が一番多いです。
 ・当時の池田首相との会談の様子。
・日本からの経済や科学関係の委員と面会している様子。
 意外と首脳以外の日本人とも面会して、気軽に記念撮影に応じているのですね。
・当時の日本の閣僚夫人達との記念写真
 大統領は背がとても高いです。見栄えもします。やっぱり外見も大切なのでしょうか。対して日本のご婦人たちは・・・・・・・、着物を着ていて(晴れ着ですね。白黒写真なので分かりずらいですが。)いかも日本のご婦人といったご様子・・・・。
 日本人との面会写真の中にどこかで見た顔のアメリカ人が。日本では有名なライシャワー大使でした。(松方)ハル夫人の写った写真も一枚展示がありました。JFKが大使に任命したのですね。

 展示の最後の方でテレビから映像が流れていました。家族での映像です。休暇中、マサチューセッツかの海で、ヨットを楽しむケネディ一家のホームビデオです。背景の風景は、いかにもアメリカ東海岸北部の涼しい地域の「夏の海」といった感じです。いや、ホントに優雅なプレシデンシャルファミリーのホリデーの映像です。
 幼いキャロラインのかわいらしい姿があります。後年悲劇の墜落死を遂げた息子(JFK Jr.)の姿も・・・・。当時日本でも大きく報道されたことを覚えています。墜落したのは、ロードアイランドかマサチューセッツかの海であったと記憶します。当人(JFK Jr.))にとっては幼い頃から親しんだ海だったのでしょうか・・・・・。

 ジャクリーン夫人についても紹介がありました。少女時代の家族の写真も。説明によると父はフランス系の移民。母はアイルランド系の移民。ともにカトリックだったのでしょうか。母はジャクリーン11歳のときに離婚して別の人とのちに再婚しています。カトリックの離婚の可否は私にも分かりませんのでここでは記載は省略します。母の再婚相手と写っていたのが展示されていた写真なのでした。
 母は赤ん坊を抱いています。ジャクリーンの異父弟と思われます。写真の説明では実妹も写っています。ジャクリーン夫人の母上は、ものすごい美人で若く見えます。写真が撮影された時期は1946年のようです。するとジャクリーンは12~13歳くらいでしょう。とても12~13歳と10歳前後の子供(妹)がいる女性とは見えません。1946といえば第二次大戦終結の翌年、日本は敗戦後の混乱と占領の最中(さなか)であったわけですが、ジャクリーンの生活はとても裕福だったようで、写真ではその様子が伝わってきます。
 説明のない(写真中の)少年と少女は継父の連れ子なのでしょう。多感な少女時代の母の再婚と異父弟の誕生と血の繋がらないブラザーとシスター達。のちに結婚した12歳年長の夫、ジョンには生き別れた実父の姿を重ねたのでしょうか・・・!?。想像の域を出ませんが・・・・・。
 ジャクリーン夫人が夫JFKの死後、再婚した相手の海運王アリストテレス・オナシス(や再婚後の夫人の様子)について展示はありませんでした。  

 写真は、国立公文書館ニュースの記事。第1号となっているので創刊号です。

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大統領執務室における
JFKの姿です。

















 











「JFK その生涯と遺産」展 見学記3 国立公文書館

  2015年4月18日

 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 皇居北の丸 竹橋の国立公文書館。

 「口」の字状に配置されている展示室。展示室の最初の角(コーナー)で大統領就任式のJFK の姿がテレビ画面で放映されています。「これ20年くらい前、20世紀1990年代の映像??」と間違えてしまうくらいの鮮やかな画像です。
 テレビの前は見学者で人だかりです。皆、映像に見入っています。おかげで近くのガラスケース内の展示品見ずらいです(苦笑)。
 前任のアイゼンハウアー大統領と一緒に写った写真もあります。当選後の会談のときだったのでしょう。説明によると前大統領は当時70歳だったそうで、「あらゆる面で(ジョン)と対照的だった。・・・・・」とあります。最年少就任と退任時最高齢。親子と同じくらいの年齢差があります。第二次大戦中は下級の士官と大将、民主党と共和党、などでしようか。

 続いて北側通路の細長い展示室を見ていきます。大統領となったJFKの紹介です。 
 当時の日本は池田首相。遠い昔の時代に感じます。昭和でいうとケネディの暗殺は38年11月。東京オリンピックの前年です。当時の日本は東京タワーが開業して東京が変わってきている白黒写真。対して現代と時代を見間違ってしまうような鮮やかなカラー写真に写るバリッとした大統領。
 写真を一枚見ただけでも、いかにアメリカという超大国が進んでいるのかが分かります。

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写真は、グッズコーナーで販売していた
クリアファイル
二種類です。


半世紀以上前の写真とは思えない
JFKの姿です。


















 まずは、キューバ危機に関する展示がありました。キューバに計画されたミサイル基地の図面など。
 「キューバ危機」に関するジョンのテレビ演説は一階中央部のホール(といってもあまり広くないスペースだが)で放映されていました。
 フルシチョフと会談もしています。ともに背広姿です。フルシチョフは背広の両胸の脇のえりにバッジのようなものを付けています。スターリン死後に実権を握った実力者でありましたが、若きプレシデントとどのような会談だったのでしょうか。激しい権力闘争の末、スターリン時代でも粛清されることなく、失脚することなく(していて復活したのかも知れませんが)、その死後にはソ連のトップまで登り詰めた人物。タダ者ではありません。「オレにくらべりゃ、若造が・・・・」と思っていたかは、知る由はありません。
 ちなみにモスクワでもなくワシントンでもなく、冷戦時代の最中、ウィーンで会談しています。「ウィーン会談」ですね。
その他 印象に残っている展示としては・・・・・。
・核不拡散条約に関する文書。
・人種差別撤廃のため保守派と戦う姿。
  南部の州立大学で黒人二人が入学を取消させた事件、
連邦政府は「入学させるように」と人を派遣します。対して当時の知事はなんと大学の建物の入口の前に立って入学手続きを阻止します。知事は腕を組んで不機嫌そうな表情。更に、背中を反らして胸を張り高圧的な態度です。ここまで差別されていたのかと、愕然となります。当時の状況は私の想像を絶します。連邦政府から派遣された人が知事と対峙しています。
 その他、キング牧師との写真も展示がありました。
 そして・・・・州は違えど南部の都市ダラスでJFKは大勢の群衆の目の前で狙撃されて殺される・・・・。これは偶然だったのか、それとも必然だったのか・・・・・・・・・・神のみぞ知る・・・・・・・・・・・・。

「JFK その生涯と遺産」展 見学記続き 国立公文書館

  2015年4月18日

 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 皇居北の丸 竹橋の国立公文書館です。
 「口」の字状に配置されている展示室。西側の通路は、誕生から学生時代、戦争を経て政治家になるまで、北側通路の細長い展示室は、大統領となったJFK の事績に関する展示でした。
 
 大学卒業後は、JFK の年賦によると1941年9月に海軍に入隊とあります。その間に何かの仕事についていたのか忘れました・・・・。説明があったのか、それとも無かったのか・・・忘れました。当時英国駐在大使だった父ジョセフのアシスタントをしていた?。
 戦争中、昭和18年にソロモン諸島沖で艇長をしていた魚雷艇が日本の駆逐艦と衝突して、辛くも救出されています。部下を救った英雄として、新聞でも取り上げられ、勲章も受けています。
 衝突した地点はどこだったのか。地図の展示もありました。ブーゲンビル島の更に南。ブイン、バラレ、ショートランド、ヴェララベェラ島などかつての激戦区の中にある海上です。時期的にいうとあの山本五十六が戦死した数か月後のことです。当時グァダルクァナル島からは撤退していたのですが、付近の海上、空中では激しい制海権、制空権をめぐる戦いが行われていたのでしょう。アメリカが優勢になりつつ状況下でこの海域を夜間とはいえ航行するのは日本の駆逐艦にとっても命がけのことではなかったでしょうか。
 日本側の戦闘記録の展示がありました。縦書きの手書きで「・・・2230 ? に艇と衝突して、相手は沈没・・・」
のような記述が文中にわずかにあるだけでした。沈没した当事者にとっては生死を分けた一大事ですが、当日の戦闘記録の中では重要な記述ではありませんでした。戦争となると本当に一人の命など軽いものとして扱われてしまいます・・・・。
 兄と一緒に写った士官の制服姿の写真も展示がありました。1944年、兄は戦死しています。父の期待を一身に受けた兄の死は大きな影響を与えたようです。説明には「・・・・次男のジョンに大統領にする夢を託した・・・・」とあります。かなり教育パパだったようです。それに必死でこたえていて、兄の死後は一層強まったような。
 戦後、議員に立候補した当時、戦時中に衝突した日本の駆逐艦の元艦長や元乗組員からの激励の様子の写真展示も。元艦長と手紙も交わしています。JFKから当時の艦長花見氏への手紙の宛名は「Commandor」。返事が遅れたことを詫びるような書き出しでした。花見氏が戦後、大統領選挙当時日本のテレビ、「私の秘密」というようなタイトルの番組に出演していた様子の写真がありました。
 議員時代の写真も。議員時代に当時占領下だった日本も訪問しているのですね。マッカーサーは当時解任されていた後のようで後任のリッジウエイ司令官の説明を受けています。
 結婚式当日の写真もありました。夫人とは年齢が離れていたと記憶していましたが、日本流にいえば一回りも離れています。36歳と24歳。JFKほどの人物ならば、議員に当選後の1947年頃などもっと早くに結婚していたでしょうが、遅い結婚のその理由の説明はありませんでした。よくいわれるように、女性関係も派手だったのでしょうか・・・・・?
 展示を見ていくと、西側通路と北側通路の展示室の角に大統領の就任演説の映像がありました。
 演説の草稿や直筆で手直したペーパーがありました。更には就任式の入場券の展示も。
 大統領当選後の一族のカラー写真も。誇らしげに参加している大統領の父ジョセフの姿がありました。「宿願を果たした」父の満足そうな表情が印象的でした。翌年一月の就任式でも演壇の近くにJFKの妻ジャクリーンよりもJFKの近くに厚着をしている人物もまた父ジョンなのでしょう。父は息子以上に絶頂期を迎えたのではないでしょうか。これらの展示を見て、JFKにとって父の存在というものが相当に大きかったことを知りました。
 「・・・・息子を大統領にする・・・・」とは相当な望みです。ジョセフはかなりの資産と人脈を持っていたのでしょう。
 説明板の没年を見ると、息子の暗殺数年後に父は没しています。長男戦死、次男暗殺。三男も暗殺。晩年は病気だったようで、どこまで息子たちの悲劇を認識していたかは分かりませんが、一族栄光を極めたはずの元英国大使氏の晩年の胸中はいかがなものだったのでしょうか?。

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「JFK その生涯と遺産」展 見学 国立公文書館

  2015年4月18日

 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 国立公文書館にやって来ました。
 「JFK 」はもはや伝説でしょう。「Regend」の語もサブタイトルに入れてもよいくらいですね。日本人にも人気が高いのはなぜでしょうか!?。あの戦争から十数年しか経過していない時期、戦勝国の元首であり、劇的な登場やその若さもあったと思いますが、やはり劇的な最期が日本人の心にマッチしたのでしょう。「パッと咲いて、パッと散る。」あたかも満開の桜が散ったようなJFKの生涯は日本人の心を捉えて、今後も離すことは無いのではないでしょうか。それは「判官びいき」にも共通した日本独特の心理では無いかと推測します。

 「口」の字状に配置された展示室を見ていきます。まずは、西側展示室から。

 ↓ ちようど 最初の展示品はこの幕の館内部にあります。

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 お隣の近代美術館。
 写真で見る限りこの日の公文書館の訪問者は少ないように感じますが、館内は混雑していました。

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 西側の展示室は、一族の事、誕生から青年期、戦争に行ったこと、下院・上院議員を経て大統領に当選するところまで。一気に展示の時代が進んで行きます。
 誕生・・・日本でいえば大正時代の生まれなのですね。ケネディ家の次男として知られていますね。
      カトリック教徒ゆえか、兄弟の人数も多いです。仲よく写った兄弟姉妹の写真が展示されていました。

 少年期・・・学校の成績表もありました。通学していたのはカトリック系の全寮制学校です。イギリスでいうパブリックスクールを範にした学校なのでしょうか。教養豊かな富裕層家庭に生まれたゆえ、一般庶民の学校には行きませんね。初等、中等教育段階のレベルからして違います。教育ひとつをとっても当時のアメリカは現在以上に階級社会なのでしょう。
 成績は日本でいう現在の中2、14歳のときのもので"good"評価が4つ。Math、english、History、Science。ラテン語のみ"Poor"です。最上位の"very Goood"はありません。カトリックの学校らしく"宗教"が"good"の下の"Fair"。日本の五段階評価でいえば、「3」ですね。注目すべき点がひとつ。"good"ではあるが、絶対的な点ではMathが95点で一番上でした。
 
 青年期・・・学生時代は政治学専攻だったようです。イギリスにも留学しています。
        父が英国駐在大使になったからと説明にはありました。
 卒業論文が「イギリスの宥和政策について」。当時ミュンヘン会談で頂点に達した当時のチェンパレン首相の政策について論じたのでしょう。論文は1940年に出版されたとあります。
  大学卒業後は、年賦によると1941年9月に海軍に入隊とあります。

「JFK その生涯と遺産」展 国立公文書館 平成27年春 見学へ

 ここからしばらくは、この春、4月から5月の連休中に行った展覧会、特別展、企画展の記事を中心に書いて行きます。展覧会、特別展、企画展の常設展示がある施設を除いては基本的に期間限定のイベントです。このブログで記事を投稿するときには、すでに開催期間が終了してしまっていますので、早めに記事を書いて(アップして)いきます。

  2015年4月18日。

 皇居北の丸にある国立公文書館にやって来ました。昨年12月の「皇居 乾門通り抜け」の帰途に見学して以来の訪問です。昨年12月は特別展「江戸時代の罪と罰」の見学でした。

 今回は「JFK その生涯と遺産」展、英語では「His Life and Legacy」。三月上旬からGW期間の連休を含む約2か月間の会期です。(以後「JFK展」と書いていきますね。)
 従来の公文書館の展示とは異なり、「特別展」とも「企画展」ともタイトルに付いていません。平成25年のリニューアルオープン以来、春と秋の特別展を見学していましたが、今年の春は両方とも一旦中止し「肝煎り」で「JFK」展が開催されるのでしょう。公文書館のサイトを見ても特別展、企画展にはカテゴライズされていません。"他機関"と連携した取組となっています。連携取組の中でも飛びぬけて大型の展示です。
 
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 なぜ、この時期に「JFK」なのか?。今年は没後○周年というわけではありません。JFKの生誕は1918年。生誕100周年記念でもありません。やはり、娘のキャロライン大使の就任が一番の理由でしょう。
 大使の就任は一昨年の秋。展示の企画には一年はかかるでしょうから、就任直後から準備を開始したと思われます。しかも今回のテーマは外国元首に関する内容であり、主要展示物は米国のJFK図書館・博物館からも出品されています。公文書館所蔵のものが中心ではありません。就任後、企画案が出て、JFK図書館・博物館など文書や写真などの所蔵者と交渉して・・・・、実際に公文書館に輸送して・・・・。などなどかなりの手間がかかったと思います。
 JFKは民主党のプレシデント。現在も民主党政権なのでこの点もまた開催を後押しする契機になったのでしょう。もっとも、かつての党(パァーティー)の(元)トップの子女を別の党(パァーティー)出身のプレシデントが大使(アンヴァサダー)に任命することはあまり考えられないですが。
 以前、『現職の総理が公文書館を初めて視察した』と書き込みしましたが、実はあの視察のときに企画の発案があったのではないかと思いました。(勝手な推測ですが・・・・。)又は、すでに事前に指示や内示があり、視察に合わせて正式に決定したのか、すでに準備は進んでいてその視察も含んでいたのか・・・・、は想像するしかありません。
 今回「JFK展」の開催初日には総理とキャロライン大使が出席してオープニングセレモニーを行いました。現職総理が二回も公文書館を訪問するのは初めて。官邸、政府の力も相当入っている企画展示です。今後、同様に総理と外国の大使(更には首脳クラス)が共に開会式に出席するような大型、目玉の特別展、企画展が続いて開催されるか!?、注目ですね(笑)。
 さっ、入館です。館外からは入場者は少ないように見えますが、混雑しています。すでに四月上旬の段階で入場2万人です。入場は無料です。しかし、今回は写真撮影は禁止。今まで私が見た特別展でもフラッシュ撮影しない限り撮影は可でしたが、今回は禁止でした。
 受付けコーナーには多数の関連グッズが販売されています。今までは、冊子や書籍などあまり販売点数は多くありませんでした。入場無料なので、通常は特別展でも企画展でも受付係の女性は、チケットの販売があるわけでもなく特にすることも無い(はず)ですが、今回は違い忙しそうにレジを打っています。美術館、博物館の特別展並みに関連商品を取りそろえています。私の見学時は、マグカップが売り切れになっていたと記憶します。販売も大盛況ですね(笑)。
 






平成26年秋の特別展 「江戸時代の罪と罰」 国立公文書館 見学 (展示後半部) 

 2014.12.7 

 国立公文書館 秋の特別展。展示室は、中央通路を挟んで後半部分の展示室へ続きます。同じく江戸時代の資料の展示が中心です。一部明治時代のものもありました。
 
 ↓小伝馬牢の見取り図。写真右は中央通路と公文書館の正面入口。

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 江戸時代の資料だけではなく、明治時代以降の刑務所の見取り図など近代政府の資料展示もありました。
 主に「ハード」面の文書展示でした。展示の前半部は「ハード」な刑罰の様子などでした。
 その他、肥前松浦の領主だった松浦静山の「甲子夜話」の展示も。江戸時代の大泥棒「鼠小僧」の話を記載した部分の展示でした。
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平成26年秋の特別展 「江戸時代の罪と罰」 見学 国立公文書館

 2014.12.7

 展示を見学します。が、この日は皇居の通り抜けのついでに寄ったついでの入場者が多いです。何ぶん屋外は風が冷たくて寒かったため、「出口」の乾門から一番近くにある公共施設のひとつである本館でトイレに行く人が多いです。特に女性用は大混雑でしたから、警備員は「二階にもあります。」と案内していました。

 古文書がガラスケースの中に展示されています。 江戸時代の刑罰の文書が中心ですが、個人の日記の類もふります。写真は、「天明記」。おそらく飢饉でよく知られる天明年間に成立したのかもしれませんが、ある武士が記した町奉行のお話でした。

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 江戸時代の刑罰の様子は、展示室壁面に絵入りパネルで解説がありました。
 「打つ」刑罰。ほうきなどで打つ。罪人が押さえつけられている様子が何とも哀れです。
 「拷問」・・・石の重しをのせられたり、縄で縛られたり。
      説明では「拷問はそれほど行われなかった。」とありましたが、本当でしょうか??。
 「引き回し」・・文字通り「市中引き回し」、そのうえで「獄門」になるのでしょうけど・・・。



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 「打ち首」の説明パネルもありましたが、あまりに残虐なので写真掲載は自粛します・・・。
 冤罪はやはりあったそうです。それを悔いた当時の役人の説明もありました。拷問による自白強要といい、現代も昔も変わっていないのかも?。
 冤罪を悔いた当時の役人の記録の展示がありました。

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と、パネルの所で写真撮影をしていると、私の腕をつつく男が。70歳以上と思われる老人です。写真撮影はダメだと、バツをつくってゼスチャーしてきます。私は「フラッシュ撮影しなければ、写真撮影は可能だ。」と言うと「ケッ。そんなワケねえよ。」と捨てセリフを吐き、私をニラミました。
 こういうときに限って警備員が視界にいない・・・。この日き見学者が多かったので、「警備員が人に埋もれて」見えなくなっていました。私は別に反論もせず、そのまま放っておきました。
 この老人、ツアーのツールを服に貼っていたので皇居の乾通りのあとに団体でここに来たのでしょう。展示を先に進んでみていくと、他にも写撮影をしている人が二~三人います。結構大きなカメラで撮影している、この老人と同世代の男性もいます。これらの人には、この老人は何も言いません。私が言いやすい外見だったのか(怒られキャラ!笑。)、私に言い返されてビビッたのか(そんな訳ない。笑。)、写真撮影可能と理解したのか、その後は黙って展示順路に沿って見学していました。
 やっぱり「70歳くらい」です(笑)。もちろん、このような人は極一部です。間違った場合は素直に「すみません」と言いたいものです。この老人も自分の孫から教わってほしいものです。孫がいるか知りませんが(笑)。


北の丸公園内の 国立公文書館 平成26年(下期)特別展「江戸時代の罪と罰」)へ行く。 

 2014.12.7 

 平成26年秋期の皇居乾通り一般公開を歩き終え、(出口の)乾門を出て竹橋方面へ歩く人の一団に加わります。一団から別れ、歩道橋を渡り、道路の反対側(北の武道館側)にある国立公文書館にやってきました。11月の文化の日以来ほぼ一か月ぶりの訪問です。
 年に二回ある「特別展」ですが、今年は前年よりも一か月時期がうしろズレしています。乾通りの一般公開日にあわせたのかは知る由もないですが、私達も含め乾通りの一般公開の人も入館していきます。ただ、その数は(乾通りの)一般公開の入場者数と比較すると圧倒的に少ないです。
 今回の特別展のタイトルは「罪と罰」。完全にロシア文学の小説の日本語訳タイトルをもじっています。(笑)
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 ↓歩道橋の上から、竹橋方面。お天気もよく、眺めも良いです。
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 ↓歩道橋の上から、先ほどの乾門方面。
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 ↓ この歩道橋を渡り、公文書館へ歩きました。
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 乾門を出たところ。BlogPaint







 


















 





























国立公文書館 企画展「ようこそ歴史資料の宝庫へ」 見学(後半)

  (2014.11.3訪問)
 続いて後半です。
 ここ国立公文書館の展示スペースは、「口」の字状になっていることは何回も書いています。←、↑、→、↓、← の順番です。(わかりにくい。笑)順路に沿って、前半の「逆コの字」の展示スペースが古い時代、後半の「コの字」の展示スペースが新しい時代(の展示)になっていめることが多いです。
 後半は、明治以降の文書の展示です。「公文録(図表共)並索引」として重要文化財に指定されてます。漢字の羅列で江戸期のものにも感じてしまいますが、要は「日本政府の公文書をもとめて保管していたもので、図や表も附属していて、さらに索引もあります。」ってトコでしょう。(笑)
 ↓写真は、明治時代の灯台の配置図。今まで数々の灯台を訪れている私です。そのため、熱心に見入っていまいました。ここに記載されている灯台で行ったところは・・・・、えっーと・・・省略します。(笑)それほど行っていないかも。(笑)
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 なんと、1872年の犬吠埼の灯台の絵図。説明よると今でもほぼ当時の姿を残したまま灯台として使用されているとか。
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 昭和に入って、「第一回文化勲章」の受賞者決定の公文書。天長節(当時)の前日である4月28日に決定されていたことがわかります。おりから、本日は(戦後に制定された祝日である)文化の日。皇居の宮殿では、文化勲章の親授式が行われます。
 受賞者筆頭は、物理学者の長岡半太郎。正三位で、すでに勲一等を授けられています。帝国大学教授としての業績などによるものでしょう。同じく、本多光太郎など著名な学者もすでに叙位叙勲されています。芸術家としては、洋画家の藤島武二は、すでに勲三等。竹内恒吉は、勲四等。誰かな?と思いましたが、文学者なのでしょうか?。「無位無勲」は、幸田成行と横山秀麿の二名。つまり、露伴と大観という、近代日本を代表するビッグな作家と画家が、です。これは、意外です。
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(帰宅後に調べたところ、竹内恒吉は、「栖鳳」であることがわかりました。本名は意外とどこにでもいる名前というか・・・。「東の大観、西の栖鳳」という言葉がありますが、当時、公的立場は栖鳳が上だった、ということになります。大観が「無位無勲」なのは、かつて官立の東京美術学校を辞職し、日本美術院を立ち上げ、長く在野の画家であったことと無縁ではなさそうです。今以上に「官職にあった」または「官に近い立場」でないと、勲章は授与されないでしょうから。栖鳳は、昨年お隣の近代美術館で展覧会がありました。現在のところ、栖鳳の作品中、唯一の重要文化財指定の「斑猫」の展示もありました。行っていませんが・・・。)

↓ 写真で撮影すると文字が判然としませんが、二・二六事件の対応に関する文書。
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↓ さらに時代は下り、平成の書。これが、現在でも公文書館に残されているとは思いませんでした。じっくり見てみると、「成」の字の右下へ伸びる「棒線」が長いのが印象的です。
 この写真は、今や教科書にも載るくらいの「歴史的瞬間をとらえた写真」ですね。
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 これは後日公文書館のサイトを見て知ったのですが、「平成の書」は元首相家の遺族から寄贈された物とのことです。

 ↓ 展示ケースの最後のほうにあった「終戦の詔書」。戦後生まれの私でさえ、「感無量」といったところでしょうか。ここに辿りつくまでにどれほど多くの人が死んでいったのか。正式名称を「終戦の詔書」というのかは、説明文の内容を失念してしまいました。8月15日の玉音放送の原文というのが分かりやすいでしょうか。
 有名な「・・・堪え難きを堪え忍び難きを忍び・・・」の文章もあります。末尾は「・・なんじ臣民共と克く朕が意を体せよ」となっています。
 最初は現物かと思いましたが、横に小さく「複製」と表示があります。分かりにくいので誤解してしまいました。(苦笑)この展示ケースは順路の最後というか、展示室の外にあり、エントランスに附属する廊下のような場所です。基本的に展示物は複製で展示物も変わっていないようです。いわば「有名な公文書複製品の常設展示スペース」です。
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 展示を見終わり、お隣の近代美術館に移動します。
 

国立公文書館 企画展「ようこそ歴史資料の宝庫へ」 見学(プロローグ) 2014年 東京文化財ウィーク

  (2014.11.3訪問)
 三連休最終日の文化の日。やって来ましたのは、皇居 北の丸公園内 竹橋にある国立公文書館です。今までは、仕事の帰りや合間?に訪れていましたが、今日は文化の日ということで、家族を連れて来ました。しかし、朝からのケンカの影響でツレのご機嫌は(超)悪いです・・・・・。 本来は、文末に「(笑)」と入れたいところですが、本当に険悪な雰囲気の中の文化の日の朝です。(涙。)ホントに「文化っ」てところではありません。(やむなく苦笑。)
 地下鉄竹橋駅から地上に上がり、「例の坂」を登ります。東京国立近代美術館の前を通ったのは、午前9時半前のこと。同館は、10時開館なのでまだ30分以上あります。この日は「菱田春草展」の最終日。入場券売り場の前は、すでに行列でした。数十人は並んでいるでしょう。すごい人気です。
 
 その更に坂の上、美術館の隣の敷地にある建物が(私にとっては既におなじみ!?の)「国立公文書館」です。
 今回は、「企画展」であって、「特別展」ではありません。よって金曜日など特定の曜日の夜間20時までの延長開館は無く、通常の17時の閉館です。開館時間は9時15分なので、すでに開いています。ここを見終われば、ちょうど「菱田春草展」が開いた頃でしよう。
 国立公文書館の入口の写真。企画展の告知です。いつ来ても思うのですが、敷地は広々としています。しかも駐車場にもなっていない。何にも使用していないアスファルト舗装の「エントランス広場」です。ここに駐車させていただくわけにはいきませんね~。(笑) 敷地の脇には、公用車用と思われる地下駐車場への車道があります。公用でもこの「エントランス広場」は使用せず、地下駐車場に停めるのでしょう。
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 正面入り口に「のぼり」が見えます。「東京文化財ウィーク」ののぼりです。今回は東京文化財ウィークの特別公開事業の一環として開催されています。外観の写真では、内部の様子は写っていません。しかし、内部からは外の景色はよく見えます。外からの日光を防ぐ特殊な曇りガラスなのでしょう。あたかも秘密のヴェールに包まれているかのような庁舎です・・・・。
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国立公文書館 企画展「ようこそ歴史資料の宝庫へ」 見学(前半)

 (2014.11.3訪問)
 企画展は1階のいつものスペースを回廊上使用して展示。入場はもちろん無料です。国の重要施設なのだからなのでしょうが(厳密には独立行政法人というのだそうだが、)入口、展示室には警備員が目を光らせて?います。なんとなく、撮影しにくい雰囲気ではあるが、フラッシュや撮影禁止の表示がある展示物を除いては撮影は自由。ただ、受付の女性がヒマなのか、おしゃべりをしていて、キャピキャピした声!?が響いてきます。隣の国立近代美術館(の行列)に比べて、入館者は、はるかに少ないです。
 ↓重要文化財。漢の時代、漢の呂后が韓信などの功臣を次々に殺害して・・・・と説明にあります。怖い漢の時代のお話の歴史書が伝わっています。
 徳川幕府が崩壊した後、江戸城内の紅葉山文庫などから引き継いだ書籍、文書も国立公文書館で引き継いでいます。
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 ↓重要文化財。「秦併六国平話」つまり、秦の始皇帝が中国を統一する際のお話です。
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 ↓なぜか写真がさかさまにしか挿入できません・・・。なぜでしょう??
 本朝続文粋(金沢文庫本) 元々北条一族の金沢氏に伝わり、江戸期に紅葉山文庫に収蔵されたもの。
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↓下の子が興味を示したのは和歌の本でした。。これは「三十六歌合」
 金色の表紙の龍虎の水墨画は、狩野探幽の描いたもの。
 特に百人一首の書籍は、かすかに子供ながらに文字を読むことができるようです。
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 ↓重要文化財ではありませんが、小堀遠州の自筆。先の孤蓬庵(一文字、漢字が違うけど。)訪問にちなんで、撮影しました。なんとなく、女性的な文字です。弱弱しさすら感じます。戦国期~江戸期にかけての武将ならば、もっと力強い筆跡でもよいのですが。
 織部が主人公の「へうげもの」において、作中、遠州は言葉使いが女々しく、頼りない若造のように描かれています。おそらく作品を掲載するにあたって、時代考証は行っているのですから、そのような人物だったのでしょうか!?。
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国立公文書館 平成26年春の特別展「高度経済成長の時代へ1951-1972」 見学

 五月の休日のこと。よく晴れています。快晴です。たまた都内に私用で来ました。「そういえば、国立公文書館の特別展がまだ開催していたかな。」と思い出し、寄ってみることにしました。このときすでに「昼酒」をしていたので、少しいい気分。ホントニ「昼酒」はよく効きます。(笑)
 途中、「一橋徳川家屋敷跡」の碑を見つけました。説明によると、この付近一帯、大手町の気象庁のあたりまでを含む広大な敷地に屋敷を構えていたそうです。ここのご当主一橋治済(ハルサダ)の子が養子となり、将軍家斉になっています。(正確には旧字体です。)「斉」の字はおそらく父、治済の名から(サンズイを取って)貰ったのでしょう。そのまま「済」字をもらい「イエサダ」と読むとあからさま?なので、似た字を貰いつつ、読みを「イエナリ」としたのでしょうか。この養子入りには様々な疑惑、政争もあったようです。もし田安家にのちの松平定信が(養子に出ず)残っていれば、歴代将軍の名は違っていたのでしょうか?。定信が養子に決まった経緯、田安家当主の兄が死亡した当時はまだ田安屋敷にいたこと、その後当主不在の田安家をあとにし、松平家の屋敷に予定通り移ったこと、その何年か後に将軍家若君の家基が死去した経緯などが定信自身の「宇下人言」に書かれていたと思います。ある種、当時の定信の驚きと怒りが伝わってくるような書き方だったような・・・。
 父の策動?、猛烈な運動?、工作?などによって将軍になったともいえなくもない?ので、それだけ家斉は「ご実家」一橋家を大切にしたのでしょうか?。前回の特別展を見て、家斉の子だくさんについて書き込みしましたが、もとはこのお屋敷のご出身ということですね。
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 竹橋の坂を登り、近代美術館の前を通り、国立公文書館へ。私は少しばかり酔ってイイ気分。千鳥足でした。「千鳥足で千鳥ヶ淵をヨタヨタ歩く・・・。」って寒いギャグですね。(笑)ただし、ネタの映像は簡単に撮れそうです。(笑)しかし、この日は千鳥ヶ淵には行ってません。(笑)
 特別展の看板です。黄色が「バシッ」と目に入ります。前回の特別展は「緑色」の看板でしたが、ともに「原色バシッ」と目立って印象に残るデザインです。看板の中央右、オレンジ色の「ナナメの矢印 ↑」が「右肩上がりの成長」を感じさせます。
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 公文書の展示。フラッシュは禁止ですが、写真撮影は原則自由です。サンフランシスコ平和条約の原本。公布が4月28日と天皇誕生日の前日の日付になっています。「・・・(昭和)27年4月28日に発効し、日本は主権を回復した・・・」と説明にあります。
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 こちらは、サンフランシスコ平和条約を締結しなかったソ連との昭和31年の日ソ共同宣言の文書。戦争状態だったものを講和して国交回復したとのことです。フルシチョフなどロシア人の名がカタカナで印字されてまいます。つまりスターリン死亡後のソ連の指導者たちの名前です。この結果、ようやく10年以上にわたるシベリア抑留から解放された人も相当いたことでしょう。
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 日米安保条約の更新の文書。あの「アンポ反対」とはこのことだったのですね。なにぶん私が生まれる前のこと。のちの学生運動と混同していました。
 そういえば、新聞記事にも掲載がありましたし、公文書館のサイトにもあるのですが、昨年アベ総理がここを見学されたそうです。公文書館を訪問した総理大臣は初めてだったとか・・・・。来ようと思えば、霞が関や永田町からも近いのですが、初めてとは驚きです。公文書館についてようやく重要性が認識されたということなのでしょうか。  
  アメリカなどの公文書館では、学者やマスコミが請求し、「・・・〇〇の文書が公開されて、××だったという事実が初めて明らかになった・・・。」というニュースを見たり、聞いたりしたことはありますが、情報公開ではまだまだ日本は・・・といったところなのでしょうか?。
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 黒部第四ダムに関する文書。当時は水力による電源開発が主流だったのですが、多大な犠牲を払って発電所を建設したのですね。現在では原子力発電所問題がありますが・・・・・。いつの時代も電源開発には膨大な手間や犠牲が伴うのでしょうか・・・・。
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 オリンピック開催を控えた昭和30年代の東京。首都高速の計画図です。特に海岸線を走る首都高1号線がほとんど海べりか海上を通っていることがわかります。今でも首都高は海の上の橋脚を通っている部分もありますが、埋め立てが進んだ現在では運河の間を走っているように感じます。当時は、渚を走る風光明媚な道路(いわば『渚ドライブ』?)だったのでしょうか!?。現在の地図と比較してみると「海が広い」と感じます。隔世の感がありますね。
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文書館広報のキヤッチコピー?にもなっている公文書館保管の日本国憲法の原本。 IMG_1303




















 入口の写真。「ナショナル アーカイブス」とあります。公文書館も「アーカイブス」と訳すのですね。無人のように見えますが、誰も人が通過していないときに撮影しました。混んではいませんが、見学者はそれなりに多かったです。見学者は男性が多いです。(私もその一人。)年齢層は比較的若い。まじめそうな、メガネをかけた高校生や20歳台の社会人らしき女性もちらほら。天気のよい休日の昼間、1人で来ている若い女性もいました。
 今年の春の特別展は4月中旬から5月上旬までと昨年よりも日程が1カ月うしろにズレていました。うっかり忘れていましたが、たまたま思い出して見学をすることができました。
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国立公文書館 秋の特別展 「旗本御家人Ⅲ お仕事いろいろ」観覧

 前回の見学から半年が過ぎました。秋の展示会が行われているそうなので、仕事の合間に行ってみました。公文書館のサイトで調べてみると、特別展というのは、年に2回、春と秋に開催されているようです。特別展については木曜日と金曜日は夜8時まで開館。その他の日は夕方5時30分まで開催。
 特別展の他に企画展も随時開催されているようです。ただし、開館は5時までで、日曜日は休み。夜間延長も無い模様。過去の特別展は、平成23年以来、3年くらいなかったようです。たしか以前、国立近代美術館に来たときに工事中だった記憶があるため(違うかもしれませんが)、この春の特別展は普段よりも大きく広報したのでしょう。そのため、特別展の開催を私も知ることができたわけです。
 休館日はというと、特別展の期間は無し。博物館、美術館など公共の施設は月曜日または祝日翌日の火曜日が休みのことが多いですが、特別展の間のここ国立公文書館は気合?が入っています。通常、公共施設は夕方5時までのところを5時30分まで開けているのは、やはり見学者を公務員と想定しているのでしようか? 見学者の中にも公文書館の係の人と会話をしている人がいたので、旧知の同じか関係のある他の役所 内閣府(昔の総理府?)や宮内庁関係の人?
 
250707 竹橋駅方面より歩いて向かいます。写真に写るは公文書館といいたいところですが、東京国立近代美術館でした。公文書館はその左隣、緩やかな坂を登った奥の方にあります。10月中旬とはいえ、紅葉まではまだ時間がかりそうです。秋とはいえ、緑色があせていません。






250709今回のテーマは「旗本御家人Ⅲ」お仕事いろいろ。
写真撮影は、フラッシュ禁止ならばほぼ自由。
江戸時代の後期、将軍 徳川家斉の時代から展示がはじまりました。写真は乳母の選定に関する文書です。
 「Ⅲ」とタイトルされているので、このテーマの特別展は三回目のようです。
 家斉の子が多かったので(実に50人以上!)乳母の選考範囲を広げていたようです。
 家斉の子女全員の説明ボードが掲示してありました。(写真は無し。)
 これによると、男子第一子の竹千代はすぐに亡くなり、将軍となった家慶は3番目くらいの男子。(くわしくは忘れた。ネットで調べて下さい。)4番目くらいに生まれた男子が正室近衛氏が生んだ敦之助。
 数年前に大河ドラマで放映していた「篤姫」関連で説明していた(ので知った)が、家斉の正室は「近衛氏」とはいうものの、実は島津家から養女で、当時の藩主 島津重豪の姫君だそうで。これにあやかり、篤姫も将軍家にお輿入れしたそうです。篤姫の場合、むしろ、幕閣、大奥から「薩摩の姫君を・・・」と望まれていたようです。
 50人以上生まれて、成人したのは男女あわせ半分もいない。さらに明治時代まで存命したのは数名程度。比較的長生きしたのは、女子が多い。やはり男子短命・・・。ただし、一番長寿だったのは男子で、津山藩に養子入りした松平斉民の78歳。(私がこのボードを見たところによる。)
 重要文化財としては貞享暦が展示してありました。これが今回一番の目玉かも知れません。展示の最後のほうに金採掘や金貨鋳造に関する展示があり、個人的には興味がありました。
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 秋の日は短い。1時間も見学していませんでしたが、外に出ると暗くなっていました。皇居のお堀に映るビルの電気がキラキラしています。
 前回と同様に東京駅まで歩て戻りました。

国立公文書館 春の特別展「近代国家日本の登場 -公文書に見る明治-」見学

 春らんまんの4月、早かった東京の今年の桜もほとんど散りました。仕事帰りに寄りました。この日は金曜日、仕事のサラリーマンは飲みに行くのでしようけど、ここ公文書館の企画展は木曜日と金曜日は午後8時まで開館しています。ハナモクとハナキンナイトには(お酒ではなく、又はお酒の前に)公文書館に!? 金曜日の夜間開館は多くの文化施設でありますが、木曜日はあまりないと思います。
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 公文書館は皇居の北の丸、東京国立近代美術館の隣にあります。入場料は無料です。一般の美術館や博物館とは異なり、国の保管している文書を公開することが目的なので無料なのでしょうか。実は公文書館で展示会?展覧会?が行われていることは知りませんでした。この特別展(以下は「展示会」と書きます。)は、新聞の記事を読んで知りました。
 地下鉄の竹橋駅からお堀にかかる橋を渡り、近代美術館をの前を通り、北の丸方面に緩やかな坂を登ります。写真は建物の外壁に掲示されている展示会の巨大な告知(合成樹脂?製)の幕(旗?)です。開催期間が限られているため、また今度行こう、とボヤボヤしていると終わってしまうそうなくらいの短期間の開催です。
 入口の横にある無料コインロッカー(あとで硬貨が戻ってくる方式)で荷物を預けます。入口の受付らしき所に係の人がいて、立派な案内冊子をもらうこともできます。音声ガイドも無料です。せっかくなので、初めての訪問ということもあり、音声ガイドを借りてみることにしました。
 タイトルとおり、戊申戦争から始まって、明治政府のあゆみの順番に公文書が陳列されています。説明版(ボード)もわかりやすく見やすい。中学生、高校生の歴史学習に必須です。学校の教科書や資料集で写真を見たことのある公文書のオリジナルが満載で展示!、です。ホントにすごいです。
 テーマは順番に、戊申戦争、即位の礼、版籍奉還と廃藩置県・・・中略・・・条約改正の達成、日清戦争、日露戦争、明治の産業、そして最後は「明治天皇の大喪」。
 展示はガラスケースの中に収められていて、建物の1階部分を四角形にぐるっと一周して見学する方式です。
見学者は、仕事帰りとぼしき背広姿の男性が多かったです。どうやら公務員の人も多いようです。(根拠の無い推測。公文書を見にくるのは公務員が多いと思うので・・・!?。)年齢は50歳前後が多いでしょうか。30歳前後のやはり仕事帰りらしき女性の姿もちらほら。大学の先生らしき60歳台くらいの男性と20歳台前半らしき女性(たぶん学部生か大学院生)の二人組もいました。
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 入館するときは明るかったのですが、出たときは日没後ですっかり暗くなっていました。音声ガイドをじっくり聞いたので1時間以上見学していました。写真は、公文書館を出るときに振り返って撮影した建物の外観です。手前に「国立公文書館」表示の黒い礎石があります。中央が入口です。入館する人の後ろ姿が小さく映っています。入口の左に特別展の大きい告知看板(というよりナイロン布)があります。2階以上のフロアは電気がついています。まだ仕事をしているのでしょう。
 公文書館をあとにして、竹橋駅のほうに戻りました。丸い円筒形の建物が特徴的な毎日新聞社のビルの前の交差点に出ます。さすが新聞社、ほとんど全部のフロアに電気が文字通り煌々ときらめいています。明日の朝刊作りはこれから本番なのでしょう。
 春4月とはいえ、日没後はまだまだ肌寒いですが、コートはもはや不要です。春先のやや暖かい風が心地よい。お堀ばたを通って東京駅まで歩くことにしました。竹橋から丸の内に歩くと、この時間すれ違うのは皇居ランナー達です。近年のランニングブーム、しかも金曜日の夜ということもあり、多くのランナーが走っています。周辺のお役所や企業の敷地からウェアに着替えたランナー達が続々出てきます。まるで吐き出されるかのように、そして小走りにお堀端の道目指してかけってやってきます。
 下の写真は、丸の内までやってきて、東京駅や大手町駅方面に渡る信号待ちをしているときに、歩いて来た方向を振り返って撮影した写真です。(東京消防庁などが写っています。)
 
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