良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

奈良(奈良中心部、周辺地域)

 

開館60周年記念「コレクションの歩み展」 鑑賞3 大和文華館

 開館60周年記念「コレクションの歩み展」 鑑賞3 大和文華館  2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

   ↓ 2020年7月 未だ梅雨のあけない曇天下の 大和文華館 外観。

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 重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵「小大君」。

 昨年の京都国立博物館 特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵」では、前期に行ったので、後期展示の「小大君」は見ていない。展示替えがあったので、私が見たときは女性の肖像は「小野小町」の「後ろ姿」だけ・・・・。正面きって、女性のお顔を拝することができなかった・・・・。今回、やっとお顔を拝することができた。 
 
 「いわはしの・・・よるのち××も たえぬべし ・・・・ かつらぎの神」と歌が書いてあると説明なあるが、実際のところ歌の冒頭の「い」と「・・かつらぎ・・」しか文字が読めない・・・・・。

 歌の意味はよくわからないが、しばし、小大君を見つめた。当時の平安美人の例にもれず、目は細いので、表情はよくわからない。
 黒い髪の彩色はよく残っている。すごーく長い髪で、十二単の裾、腰のずっと先まである。十二単の赤も鮮やかに残っている。美しさを引き立てている。比較的よくのこっていて、鮮やかな緑色の部分の顔料は、銅の緑青でしょう。
 肖像の上に書いてある略伝はあの「斎宮女御」と、間違えて書いてあるそうだ。「醍醐天皇の孫、三品の娘」とある。なんだか、いいかげん
 「重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵「斎宮女御」 個人蔵」 の展示は、昨年の京都国立博物館 特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵」では無かったことは周知のとおり。昨年放映の紹介テレビ番組でも「斎宮女御」を詳しく解説していたので、大変残念であった。「斎宮女御」は、皇族であるとは昨年、特別展の解説で知った。醍醐天皇の孫にあたる女性。「三品」とは、「斎宮女御」の父親の親王の官位のことで、「三品親王」といったところか。唐風の官位名かな。
 

 書は、九条良経と伝えられるという。実際はたぶん違うと思うけど、ハクをつけるため適当な当時の有名人が書いたことにして伝える??と感じるのは、ボクだけだね。似た名前の人物でのちに鎌倉将軍になった、頼朝の傍系子孫 九条頼経がいる。
 ともかく、九条家の人物が書いてあるということは、藤原氏の嫡流が近衛と九条に分かれた後のこと。この佐竹本絵巻の成立は頼朝がいた時代を含むの鎌倉時代初期の頃だったのでしょう。


 ↓ 昨年2019年の京都国立博物館 開催の特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵」 
   大和文華館所蔵 重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵「小大君」の画像の掲載のあるパンフレット。


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 重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵「小大君」をじっくりと見つめて鑑賞した後、
  窓の外、眼下の池を見ながら、次の展示へ。次の角のところに 可翁作の水墨画の展示がある。ここからの順路は、主に中国関連の作品であった。

 国宝「寒山図」の作者としても知られる 可翁作 重要文化財「竹雀図」。竹が両脇に、雀が画面下に描いてある。つまり、そのまんま「雀と竹の図」。あの可翁の四角い落款の印がある。下に小さい四角い「仁賀」という落款も押してある。説明によると「仁賀」と落款のある作品は 可翁の作品で数点確認されているという。「幻の画家」可翁の「幻の落款」とも言うべきか。


 伝趙令穣 筆 「秋塘図」は、水墨と赤っぽい絹本の図で、秋らしき渓谷の風景。北宋時代。説明によると作者は「太祖の5世の子孫」という。「太祖」は宋国の初代皇帝の趙匡胤のこと。次代皇帝は、弟の太宗。皇帝位は、太宗の子孫に受け継がれたので、遠い親戚ということか。宋の不思議は、弟の太宗の子孫に皇帝位が移ったことでもある。兄だから、皇帝位を継ぐのではないことは、のちの明、清でもあったので、この点はのちの日本の長子相続とは異なるということか。
 当時の北宋の皇帝は、徽宗(きそう)。為政者としては失格で、捕虜でとらえられて、金に連れ去られて、宋(北宋)は滅亡したときの皇帝。その徽宗とも交友があったという。

 国宝 「雪中帰牧図」の展示があった。「隠しサインがある」というが、目をこらして見たがわからなかった・・・・。 2017年の 特別展「国宝」でも展示されていて、見てもわからなかった。すいていて、独占して鑑賞できた本日でも発見できなかったので、老眼鏡を掛けない限り!!??、発見は無理でしょう(笑)。
 隠しサインは画中の「下の「土破(字が違うが盛り土のことか)」の切れ目の下」にあるらしい。
 
 日本の作品であるが、以前も鑑賞した 雪村の重要文化財「呂洞賓図」もここに展示があったと記憶する。

 最後の展示が、中国絵画や陶磁器。 景徳鎮や 建窯など 中国 各地の窯の解説ボードがあった。


 一通り見て13:15頃、館を出る。 館内は、すいていて出入口付近には人がいない。先ほどの母子は、庭を通って散策して帰るようだ。
 私は坂道を下る。

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 前回は、春の気候のいい時期の訪問であった。今回は、梅雨の季節、夏で蒸し暑い。
 文華苑は、夏の緑色。常緑の松は、いつも緑色。
  ↓  大和文華館の 門付近と券売り場と駐車場。

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開館60周年記念「コレクションの歩み展」 鑑賞2 大和文華館

 開館60周年記念「コレクションの歩み展」 鑑賞2 大和文華館  2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

  順番に鑑賞する。今回の企画展では、館が所蔵する国宝指定の文化財4点すべてを展示する。
 更に、昨年 京都で特別展が開催された 「佐竹本三十六歌仙絵」のうち、最重要作品(断簡というべきか)「小大君」の公開がある。

 ↓ 今回の展覧会 大和文華館のパンフレット。
   60年前の開館記念のパンフレットの写真をそのまま使用している。

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 国宝 「一字蓮台法華経」。2017年 京都国立博物館での特別展「国宝」では 番号25  、
 「絵巻物 一字蓮台法華経 普賢菩薩勧発品第二十八 一巻」として、第4期に展示されていた。よって、このときは見ていないが、2014年の東京では国宝展の展示リストに掲載されている。よって、当時見たのだが、覚えていない・・・・

 「一字 蓮台 法華経」の名の通り、お経の文字が蓮の花の台の絵の上に一文字ずつ載っている。「蓮台」は、ロウ、金泥、銀泥のような材質なのだろうか?。文字と混じって文字が、消えないように先に蓮を描いて乾燥させ、経典の文字を書き込みしたのだろう。文字が1文字ずつ「仏様」のようだ。
 巻物の経文の前部に美しい装飾の絵がある。作品解説によると「真ん中に 読経する僧、その右となり、絵の中の人物としては左に、貴族と思われる男がいる。法要の施主と思われる。」と。 反対に僧を挟んで 御簾の奥に十二単の優雅な衣をまとった女。おそらく施主の妻であろう。

 「僧は9人」描かれているという。目をこらしてみる・・・・。寝殿の部屋の外の板の間の廊下に僧がいるが、4人くらいしか描かれていないようで、よく判別できない・・・・。9人、僧侶を見つけることはできなかった。

 施主の烏帽子姿の貴族の男の前の板戸か板壁には、何かの「絵」というか、掛け軸がかかっていて、その前にも僧がいて、施主や読経僧の方を向いている。 絵には、仏の姿が描いてあるのだろう。当時制作された「仏画」であろう。現在までつたわっている仏画は、国宝や重要文化財などに指定されているわけだ。
 経典の内容からして「普賢菩薩が描かれた仏画」を掛けて読経しているらしいと解説にあった。

 長さは322.2cmだが、わずか1尺、90cmくらいしか、開いて公開をしていない・・・。少し残念。

 経典の部分の冒頭には「妙法蓮華経観普賢経 第二十八」 とタイトルのように書いてある。よって「普賢菩薩」の仏画を掛けて、祈祷していると推測されるのだろう。

 とある部分を読むと「・・・男子 善女人於 滅複 能得是 ・・・・ 」と書いてある。


 国宝「寝覚物語絵巻」

2017年 京都国立博物館での特別展「国宝」では 番号24 「絵巻物 寝覚物語絵巻 一巻」と掲載されている。 第3期展示だったので、鑑賞した。時折特別展で展示されるので、鑑賞機会はある。
 長さは533.0cmで、ほとんど開いて公開している。よって、隣の国宝 「一字蓮台法華経」がスペースの関係で1尺くらいしか公開していないのかも。

 絵の解説は「中の宮の子、まさこ君が、女二の宮を訪ねる」というシーン。十二単姿の女が寝殿の屋敷の部屋の中にいて、男は、画面の右下、つまり屋敷の入口の外にいて、女をまさに訪ねるというシーン。当時の「妻問い婚」というか「通い婚」の場面と感じた。 男が女のもとに通うのだ。


 展示場所は以前の訪問時と同じ場所に 国宝「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風) があった。
 やはり、大きい屏風絵だ。毎年4月中旬から5月にかけて展示されていることが多いようだが、今回はコロナの影響もあり、夏のこの企画展での展示となっているようだ。2017年4月に初めて見た感想は「大きい。」であった。
「ほぼ等身大で・・・遊女とかむろの姿を描いた・・・・口には鉄漿(おはぐろ)をし・・・・髪をすき、手紙を書き、三味線を弾き、・・・・タバコ、キセル、カルタ、ガラスの器などが描かれている・・・・・・・。」とは前回の訪問時に聞いた音声ガイドの説明。

 ↓ 2017年4月の訪問時に入手した、国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観のチラシの写真。 
  「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)の部分。左双の左の部分かな。

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 左双の屏風・・・・
 一番左にカルタをしている女。簡素な着物もいれば美しい着物をまとった女も。
 右手のキセルを差し出している女が一番くらいの高い遊女かな。キセルの下でひざまづくかむろの少女は幼い。幼い少女の姿が見事に表現されている。年齢は現代でいうと中学生、14歳くらいかな。
 女たちは楽しそうな顔をしているのだ。現代の私が想い浮かべる遊郭の裏の一面を感じさせる表現描写は微塵も無いのだ。かむろの少女はうっすらと笑みすら浮かべている。
どこかダーク。秋なのかな?。しかし、画面を見る限りは秋の様子は無い。 


 と、母親に連れられて、鑑賞に来ている小学校2-3年生くらいの女の子かいる。屏風の前のイスに腰かけている。お母さんと一緒にこの国宝を見ている。
 画中の「禿の女の子」と同じ年か、少し画中の女の子が上くらいではないか。画中には、遊郭で生まれた女の子が描かれている。400年前当時の8歳くらいの女の子と、現代の小学生の8歳くらいの女の子が対峙している。
 私も国宝「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)の前の長イスに座りガラスケース内の作品を鑑賞する。というより、先ほどの奈良市内より、暑い中、歩き疲れて、体力を著しく消耗しているのである・・・・

 さらに見て行く。戦国時代 の「婦人像」がある。有名なお市の方の肖像画ににている。重要文化財に指定されている。「婦人像」 は典型的な桃山時代の高貴な女性の肖像画なのだろう。

 その隣に重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵「小大君」の展示があった。
 展示室内のガラスケースに、安土桃山時代の屏風絵、戦国時代末期の絵、鎌倉時代作の平安美人の絵と展示されていたことになる。
 
 すぐ近くは、展示室の角(コーナー)になっていて、尾形光琳作の 重要文化財 「中村内蔵助像」の展示があった。他の光琳作品、弟の乾山の墨画(乾山の自賛の文章が書いてある)の展示があった。




奈良市内 散策 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 奈良市内 散策 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)
 
 この日は、梅雨の明けない曇天の蒸し暑い日。
 近鉄奈良駅を起点に奈良国立博物館 →東大寺ミュージアム →春日大社国宝殿と見学した。
 春日大社原生林(かすがの森)から奈良公園、近鉄奈良駅に向けて散策する。
 
  マスコミ報道でもあったが、新型コロナウイルス感染症流行のため、観光客が激減、おなじみ「鹿せんべい」の販売も少なくなって、鹿がエサを求めて市街地にも出没しいるという。
 途中、歩いているとまさにその場面に遭遇した。民家の敷地に入り、木の葉を食べていた。

  ↓ 住宅地にいた鹿。民家の敷地であるため、画像は加工した。

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↓ 春日大社から坂道を下る。

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↓ 春日大社国宝殿の下。
自転車で若い人が行動していた。

画像には、あまり写っていないが、付近には鹿がたくさんいて、エサを求めて行動している。
「鹿せんべい いかがですかー?」と鹿せんべい売りのおばさんが声を出しているときもあった。声を出して販売するなど、今までなかったことだ。何も言わなくても、観光客がやってきて買ってくれるから。
売店の周囲にも鹿が「せんべいをよこせ」と言わんばかりに群がって来ている。

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 神域の深い森となっている。坂道を下る。

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 小さいコンクリの橋がかかっている。春日大社の敷地との境界となっているようだ。


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 街に出た。すぐに、志賀直哉旧居があった。時間の関係で割愛した。
 近くには、新薬師寺もあり、昨年の正月に行ったとこがある。住宅地を通り、駅に向けて歩く。

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 と、市内巡回のバスが行ってしまった・・・・。近くにバス停がなく、乗りすごしてしまったので、仕方なく歩いて近鉄の駅まで戻ることにする。
 曇天ながら、暑くなってきた。気温は30度はあるよ。途中、大乗院庭園がある。入場無料である。が、時間の関係で見ないことにした・・・。そのまま駅に歩く。なら町の付近も古く。猿沢池経由、近鉄奈良駅へ。なら町の付近も古く。以前来た、元興寺はこの付近である。
 商店街のアーケードを抜ける。途中、マクド(関西での呼び方)あるが、店内飲食は再開しているようだ。
 12:00頃、近鉄奈良駅付近の「王将」を見つけた。歩いて、結構距離があったぞ。春日大社から30分近くかかったよ。
 駅の西側のロータリーの付近、小路のところにお店はあった。チャーハンを注文して食べるが、レタスとサーモンが多量に入っている。肉は豚肉があるが少ししかない・・・・。
 食後、すぐ近くの近鉄奈良駅に。地下ホームに行く。
 12:26 近鉄奈良駅発の快速急行があった。乗車する。次は、大和文華館に向かう。


 ↓ なら町の散策案内看板。(撮影は2016年4月)


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なら町の西寺林商店街の一角。
風情のある町家の建物があった。


なら町の商店街の歩行者天国の様子。
こちらにも風情のある町家の建物を利用した商店があった。



↓ 猿沢池の西の商店街の様子。。(撮影は2016年4月)
写真の手前方向に戻ると近鉄奈良駅がある。

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春日大社国宝殿 特別展「Enjoy 鎧」-日本一の鎧を楽しむー鑑賞2 2020年7月

 春日大社国宝殿 特別展「Enjoy 鎧」-日本一の鎧を楽しむー鑑賞2 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 
 7月23日 祝日、4連休の2日目。
  
  「 鎧を楽しむ」が副題である。が、鎧の国宝指定 4領は既に見たことがあるので、今回は刀剣など武具がメインです
 階段を昇り、国宝殿の2階にある小展示室を見る。完成して2年は経過しているが、真新しい、白い壁が印象的な建築である。
 壁ガラスケース内、最初の展示に 国宝 「金装花押散兵庫鎖太刀 中身無銘」の展示があった。
 豪華な装飾の鞘と刀身が展示されている。「無銘」の名称のとおり、銘が無い。
 未見の国宝である。2017年、3年前の東京国立博物館の特別展では、見ることができなかった。

 読み方は「きんそう かおうちらし ひょうごぐさり たち」である。「花押散」の意味がわかった。足利氏一門の花押がいくつも書いてあるから「かおう」 ちらしなのだという。鞘に花押がいくつも書いてあるのである。墨で書いてある。墨が消えずに残っていることになる。解説によると「・・・鞘、柄・鐔の全面に計24個の花押がある・・・」というが、鞘にいくつも書いてある花押の墨書が一番目立つな。
 解説には「花押の形から足利一門のものと推定されており、社伝では足利義光 と奉納される。刀身は総長122.5㎝にもなり、身幅も広く大鋒で豪壮な大太刀である。刀匠銘はないが佩裏に「貞治四年卯月日」と年紀銘があり、備前国の長船兼光の作と考えられている。」とある。
 刀は「備前」である。
 足利義光とは誰だろうか?。尊氏の子で、二代将軍の義詮の花押ではないようだ。展示リストによると、南北朝時代の作というので、足利幕府が開かれて、足利氏が天下を取った時代である。足利一門であるが、花押が誰か現代では、わかっていない人物の奉納であろう。
 文化財指定は無いが、薙刀、弓などの展示がある。
 国宝 「本宮御料古神宝類」のうち「梓弓」の展示があった。でも、どのような弓だったか、忘れてしまった・・・。
  あとで春日大社国宝殿のサイトを見ると解説に「春日大社が所蔵している文化財の中で特に注目されるのは、国宝 「本宮御料古神宝類」をはじめとする美術工芸品です。」と書いてあった。
 小展示室は、私を含めて3-5名程度の見学者であった。

  廊下、階段の降り口を挟んで反対の部屋、大展示室に入る。入口手前の独立のガラスケース内には 国宝「籠手」(こて)が展示してある。これも、未見の国宝である。両手にはめる、戦用の防具であろう。これ1対で国宝に単独指定されている。「古神宝類」のように一括指定ではない。

 「籠手」をよーく見ると、手の甲のところには、「蝶」の彫金があり、小鳥、花(花の名前も解説文に書いてあったが失念、菊、キキョウ、ハギなどだったかな?。)も彫刻されている。菊の花びらの模様の彫刻があったのは覚えている。
 精巧に作られていて、目をこらしても小鳥の彫刻までは、ボクの目では、よく見えないのだ。枝付きの花の彫刻は見える。源義経所用と伝わっているそうで。

 蝶は別のところにも彫られている。当時の武将は、小鳥や蝶を愛でて、自分の武具にも彫り込んだのでした。

 鎖籠手や別の布製の武具も展示されている。
 その奥の独立ガラスケースには、国宝指定の鎧 4領が「揃いぶみ」しているが、ボクは少し見ただけでスル~(苦笑)。奥の壁ケース内にある展示を見学した。
 のちの時代の作による、現在展示されている、鎧4領の詳細を記録した絵図面や、屋島合戦の図、江戸時代作の色彩が鮮やかな「春日権現記」の展示があった。
 
 展覧会のチラシでは 兜の角??が金色でとても立派で目立つ「 赤糸威大鎧(竹虎雀飾)」が掲載されていた。
 展示室内でも一番目立っていた。金色にピカピカと輝いていた。東京国立博物館の平成館の展示室よりも明るいのでなおさら、「こんじき」に輝いていた。同じ国宝甲冑でも、黒色の鎧は、地味かな。奉納品としてはともかく、現代の美術館の展示品としてみると。
 

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   室内には、大学生のグループが見にきていた。数名のグループでやってきて、見学していたが、私が籠手をじっくりと見てる間に出て行ってしまった。
 入口の検温のため、人の列ができていたが、展示室内は、10名いるかいないか位の状態で混雑せず、ゆっくり鑑賞できた。
 
 一通り見て退出した。11時過ぎであった。
 ↓ 展示室から退出して、1階に戻る。


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 春日大社駐車場、公衆トイレの下にある 国宝殿 特別展の告知看板。「国宝の甲冑 5領が勢ぞろい」と告知している。5領目の国宝の甲冑(鎧)は、わからなかったが、籠手のことか?。
 展示リストによると「甲冑類」の区分に国宝「籠手」も掲載されているので、どうやら籠手も含むようだ。

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 国宝殿を退出した。
 建物の向かって、左手、展示室の下階はおしゃれなショップとカフェが設置されていた。
 

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春日大社国宝殿 特別展「Enjoy 鎧」鑑賞1 2020年7月

 春日大社国宝殿 特別展「Enjoy 鎧」-日本一の鎧を楽しむー鑑賞1 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 
 7月23日 祝日、4連休の2日目。
  東大寺ミュージアムから、林の中の緩やかな坂道の参道を歩いて春日大社の下に到着した。

  参道の途中にも「Enjoy YOROI  鎧を楽しむ」と告知看板があった。

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  ↓ さらに登り、国宝殿が見える位置に設置してある看板。赤い看板だ。

  
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 20年に一度の「式年造替」の際にあわせて、リニューアル工事を実施し、新しくオープンした。 
 一度、式年造替の特別公開のときに 宝物殿を見学しようと思ったが、時間の関係で断念した記憶がある。(そのときは、既に工事に入っていたかもしれず、記憶違いかも。) 
 以前は、参道に結構な古さの鉄筋コンクリート造の「宝物殿」があっと記憶するが、新しくなった館、その名も改め「国宝殿」は、駐車場のさらに上の場所にあった。
  よって、車を停めてすぐに見学できる。駐車場があるためか、この付近は人が多いな。国宝殿の入り口前には、人の列ができていた。
 国宝殿は入館料500円である。券を買うために並んで、その場で検温を受ける。36.5度くらいだったかな。手のひらを差し出すタイプのサーモグラフィーだったと記憶する。(検温続きで、いちいち覚えていない・・・・。)
 

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 特別展「Enjoy 鎧」-日本一の鎧を楽しむーのチラシを入手する。それによると、会期は 本来3月から7月中旬までであった。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行の影響で休館し、6月から再開、会期は9月23日まで延長されていた。
 最初に暗い部屋に入る順番になっていた。明るいエントランスから急に暗い部屋に入るので、目の機能が働かなくなる・・・。春日大社の境内の緑の林の映像が流れている。もう一つ、水を表現したような映像が投影されていた。
 すぐに出て、明るい場所に。先ほどの入館受付のすぐ裏手であった。外からも見える、鼉太鼓(だだいこ)の実寸大レプリカの展示スペースである。一度、暗い部屋に入り、すぐに明るい部屋に。目が眩む・・・・・・
 文化財を展示する展示室は、1階にはなく、鼉太鼓(だだいこ)の前を通って、2階への階段を昇るようだ。
 てっきり、暗室の先に展示室が続いているのかと錯覚した
 今年の春、国宝指定の答申が出た「鼉太鼓」。そのレプリカは、真新しく、極楽のように鮮やかに採色されている。国宝指定の答申 おめでとうございます。
 
 
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 館内は、撮影禁止であるが、ここ1階 の「鼉太鼓ホール」は可能であった。
 
 
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 ↓ 2階展示室への階段。明るい太陽光線が入り込むようになっている1階 の「鼉太鼓ホール」
   明→暗→明と移動する順路なので、立ち眩みがしたよ・・・・・。

   階段の下、右手にモニター画面が設置されている。
   春日大社の紹介映像を視聴できるコーナーがあった。
   2階へのエレベータも設置されていた。建物は2階建てとわかった。

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 2階に。左右に展示室がある。階段を昇って、正面に向かって左手に広いメインの展示室(大展示室)がある。
 今回は 春日大社所蔵の 国宝の鎧 4件(4領というようだ。)の勢ぞろいであるが、以前、東京国立博物館の特別展で見た・・・・・。
 あのときは、平成30年の2月のことだった。わざわざ、「国宝の鎧4領」すべてが揃うときに、日程をあわせていったのに、ここで揃って展示されているとは、・・・・、むしろあのときは春日大社の国宝 刀剣類に狙いを定めて見学すればよかったかな。
 大展示室に鼉太鼓の現物が展示されている。くろずんでいて、鮮やかな彩色ではないが、彩色自体は後世の修復もあるだろうが、あまり残っていないような・・・・。修復も終わったばかりのようだ。修復中に学術調査もおこない、その結果、国宝指定が答申されたのであろう。
 実際の祭りでも、第二次戦後の時代になっても使用されていたそうだ。太鼓をたたく皮の部分は、たたかれたとめ、かなり退色していて、巴のマークは判別しにくい・・・・。
 見学したこの日現在では、正式に国宝には指定されていなかった。「国宝指定の予定」であった。


  春日大社の境内について、
  2015年当時の記事には「・・・外国人観光客もいます。世界遺産のため外国人向けのガイドブックや観光ウェブサイトに掲載されているからだと思います。円安効果といわれて久しいですが、引き続き円安なので外国人観光客は増えているのでしょう。」と書いたが、それもどこに行ったのか、外国人観光客は全くいなかった。
 



























東大寺ミュージアム「東大寺の歴史と美術」 鑑賞2 2020年7月

 東大寺ミュージアム「東大寺の歴史と美術」 鑑賞2 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 7月23日 祝日、4連休の2日目。
 東大寺ミュージアムに到着した。館内は、外の人手と比較すると、比較的人が多い。コロナの影響のある現在でさえ、入館者が多いのだから、今まではもっと入館者が多かったのであろう。
  

 特別展示されている国宝 塑造四天王立像の反対側、東大寺ミュージアムのメインの展示場所には、大きい、見上げる巨像、重文(重要文化財) 千手観音菩薩立像と、両脇侍としては国宝 塑造日光・月光菩薩立像(奈良時代)がある。重要文化財 木造 持国天立像と同じく重要文化財指定の木造 多聞天立像も展示されている。ここは、以前と同じ展示である。真ん中の千手観音菩薩立像は(下の台座から)3メートルはあろうかという高さ。国宝 塑造日光・月光菩薩立像は、白っぽいグレー色の塑像であるが、当時は彩色が施されていたといのは、解説の通りである。
 重要文化財 木造 持国天立像と木造 多聞天立像は、四天王のうちの2体の展示、もう2体のことは、わからない。展示解説によるとこの重文 2体は「・・・永久寺に伝来した・・・・。」とある。現在の天理市の内山永久寺のことである。明治以降、廃絶してしまったが、長く大伽藍をようする大寺院であったことが改めてわかる。

 展示室内には、重文 千手観音菩薩立像

 ↓  東大寺ミュージアム の入口横の「大仏の手」
   その奥に、重文 千手観音菩薩立像と 国宝 塑造日光・月光菩薩立像の写真が掲示されている。
   3体並んでいるところを撮影したようで、仏像の高さの比は、展示仏そのままだ。 

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 続いてみていく。「特集展示 史料にみる戒壇堂四天王立像」の展示がある。
 展示は、令和2年7月23日から開始されている。
 「・・・公開される機会のほとんどなかった塑造四天王立像に関わる史料を展示します。」と書いている。

 重要文化財 東大寺要録(とうだいじようろく) 巻第4 諸院章 紙本墨書 室町時代(15世紀)

 解説では「東大寺要録は奈良時代から平安時代までの東大寺の寺誌で、巻第四諸院章には奈良時代の戒壇院のことが書かれている。戒壇院は天平勝宝6年(754)5月に建立の宣旨が出され、翌年10月13日に完成の供養がおこなわれた。戒壇上の四隅には銅造の四天王立像が安置かれていた・・・」という。
 紙を綴じて冊子になっていて、あるページを開いて展示してある。四隅に四天王を配置したというが、現在、目の前にある 国宝指定の 塑像の四天王像ではなく、銅造であるという。書いてある内容は、漢字で「・・・・天平勝宝六年 五月一日宣旨により・・・・・・・・・・・、落慶、請僧百二十人・・・。」と読める。お経は読む「読」ではなく「請」と書いてある。「読経」ではなく、法要を「請けた」僧侶が120人いたという意味であるかな?。

 ついで、東大寺、その他の寺の名前などがページを挟んで、書いてある。「錫杖・・・」など祭具の道具の名前も書いてある。請経したのは、落慶の10月であろうか。

 東大寺年中行事記(とうだいじねんちゅうぎょうじき)は、江戸時代のもの。

 解説では「江戸時代、東大寺の運営組織であった年預所が日々の出来事を記した日記。享保16年(1731)9月21日条に四天王像に関する記述がみられる。戒壇堂が復興されるにあたり、戒壇院に止住していた僧の望みにより戒壇堂へ移安されたことがわかる。」という。
  

・戒壇院如法律儀第三興隆録(かいだんいんにょほうりつぎだいさんこうりゅうろく)   
 紙本墨書 江戸時代(18世紀)

 「戒壇院が復興された際の記録で、復興時に整えたれた諸道具の目録中、尊像の部に壇上の宝塔内に安置された釈迦・多宝両像とともに四天王像が書き上げられている。
 この記録からは戒壇堂に安置される前は大仏殿西側の中門堂(現在の指図堂付近)にあった古い像であり、
この時の復興に際して修理が施され、戒壇堂に移安されたことがわかる。」という。
 つまり、国宝 四天王立像は、元々戒壇堂にあったのではなく、ずっと後世になってからであり、明治以降も、移すことなく現在に至って、人々に拝観されている。

 これらの史料の展示通路から、国宝 四天王立像の背中が見える。ガラスケースではなく、須弥壇の上にそのまま安置されているため、間近に拝観することができた。東大寺戒壇院戒壇堂では、ぐるっと一周見ることが出来たのか、覚えていない。お堂の中では、横からは拝観できたが、後ろは見えなかったと思う。
 通路から、国宝 四天王立像と正面奥の(大きな)千手観音菩薩立像、国宝 塑造日光・月光菩薩立像も見える。反対のスペース、つまり第2室に入館者入って、見学している様子も見える。と、須弥壇の反対側 第2室で、
 大学生くらいの年齢の若い小柄な髪をポニーテールにした女の子が、じっと四天王像を見つめている。じっと見つめて長い間、見上げていた。国宝 四天王立像には、人を惹きつける何かがあるのでしょう

 東大寺出土の瓦などの考古物の展示もあった。以前、東京国立博物館でも多数の出土物の展示があったことを記憶している。おそらく、以前見たことのある展示物があるのかは、ちょっと分からない。

 ↓ 南大門は、いつも多くの人が通行しているが、この日は人がほとんど映り込まない状態で撮影が可能であった。
 

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 鹿の群れを見ながら、いつもよりも観光客の少ない商店街の前を通り、道路を渡って、春日大社の方向に歩く。



東大寺ミュージアム「東大寺の歴史と美術」 鑑賞1 2020年7月

 東大寺ミュージアム「東大寺の歴史と美術」 鑑賞1 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 7月22日 祝日、4連休初日。
 
 奈良国立博物館から移動、東大寺ミュージアムに到着した。
 南大門のそばにあるのだが、人出はいつもに比べると少ないと感じる。秋の行楽シーズンと比較すると、半分以下、目視で2割~3割くらいどはないだろうか。いや、3割もないかもしれない。
 早速、券を購入して入る。ミュージアムだけの見学なので600円である。
 東大寺ミュージアムがオープンしたのは、平成23年のこと。私は1回だけ見学したことがある。今回で2回目である。

 ↓  東大寺ミュージアム  
 

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  カウンターのところで係員に「けん(をん)は、こちらです。」と 言われ、券を出す。もう一度「けん(をん)をお願いします。」と言われる。買ったばかりの入場券を出してもスルーーー。「けんを・・・ん」ではなく「けんおん」であった。つまり「検温」の意味であった。手を出して、けん(を ん)と言われるので、入館チケットのことかと思ったよ
手を出せという。手の平を上に向けて、ださせられる。手首のあたりに装置を「ぴっ」とあてる。36.5度くらいだったかな。平熱だった。さっきは、額で、今度は手のひらをグーではなく「パー」して上に向けて出す必要がある。いろんな体温計があるなあ


 最初に映像コーナーがある。スクリーンは、平城京や東大寺の由来、歴史、変遷についての映像が流れる。
入館者は多い。映像の前には20人はいる。
 展示室に入る。7月23日から新たな展示がはじまったばかりである。展示リストがおいてあった。
  「特別公開 戒壇堂四天王立像」と書いてある。
 
 館のサイトには「第1室」のような書いてあるが、館内を見ている限り、あまり部屋の区別は感じない。重文 伎楽面などが展示されている。

 国宝 東大寺金堂鎮檀具の展示がある。ガラスケース内には、「大刀」が展示されている。金鈿荘大刀が3つ、銀鈿荘大刀がある。古代の刀なのでまっすぐで、のちの時代の日本刀の反りがない。「太刀」ではなく「大刀」と書いてある。以前、剣は鉄なのでさびているが、装飾は残っている。
 金銀鈿荘大刀は「陽剣」と「陰剣」の2本の展示がある。どちらが、陽なのか、判別はできないが、X写真も展示されていて、陽剣、陰剣と刻まれていて、その解説が書いてあった。
 大仏の下に埋めた剣が、正倉院の宝物から取り出されて埋納されたもので、以前、正倉院展でも見たことがある。当時は、判明したばかりでマスコミでも報道された。
 国家珍宝帳には、「徐物」のふせんが貼ってあり、書いてある寸法などから、その大刀2振がこの刀であると判明したという。

 次いで、第2室 仏像の展示に。
 まず目に入るのは、大きな千手観音像である。以前は、三月堂(法華堂)に安置されていた 国宝 塑造日光・月光菩薩立像が両脇に展示されている。以前、ここを見たときと同じである。
 国宝 誕生釈迦仏立像及び灌仏盤の展示がある。以前東京の国立博物館の「東大寺」特別展でも展示があり、の後も見たことがある。

 「戒壇院戒壇堂は工事のため、令和2年6月末日をもっておよそ3年間一時閉堂いたします。工事期間中、戒壇堂に安置されている塑造四天王立像(国宝)はミュージアムに移動させて特別公開いたします。」と書いてある。戒壇堂には、2回行ったことがあると記憶する。いや、1回だけだったかな?。
 戒壇堂に4体、トランスフォーメシーョン?のように安置されていた、国宝 塑造四天王立像が、ここに展示されている。
 あためてみるとどれが、増長天か、四天王のお名前を憶えていないし、顔も一致しないぞ・・・・。えーっと、広目天は、目が小さい。多聞天も目が小さいというより、意識的に細めてにらんでいるのかな。

 目が細いのが2体、大きくカット開いたのが2体。オレ的には、増長しやすい性格だから増長天かな!?。(イミフ・・・・・・。)増長と持国天は、目がカッと大きい。体の一部を示す仏が目が小さく、国や増、と国家を守るような名前の仏が目を大きくしてにらんで、邪気を退治し、国家を守護せんとしているようだ。(と感じた。)
 解説にあるとおり、採色の多くは剥落して、グレーの塑像状態であるが、手の肘の下などに色はわずかに残っている。 
 
  ↓ 大仏の手の模造。 さかんに記念撮影をしている。


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奈良国立博物館なら仏像館 鑑賞 2020年7月

 奈良国立博物館なら仏像館 鑑賞 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 7月22日 祝日、4連休初日。
 
 近鉄奈良駅から、蒸し暑い曇天の天候の中、歩道を歩いて、9:34頃、奈良国立博物館の前に到着した。
 常設展示ともいうべき、なら仏像館に入る。9:30の開館直後の入館であった。

 ↓ 奈良国立博物館 なら仏像館
 

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 警備員に促され、入口で消毒用アルコールを手にかける。「検温」と言われる。額で検温をするという。おでこを突き出すのだが、汗をかいていて、歩いて来て体も暑さの中、ほてっているので、高く出るかなと思った。汗をふく暇を与えられることなく、額を突き出す・・・・。が、検温結果は平熱だった。
 チケット売り場とその係員も感染防止の防備している。東京国立の年間パスポート提示なので、チケットは購入せずに入館する。

 展示室内には、通路の先に60歳くらの男性が一人いて、本日、私は2番目の入館者のようだ。
 通路を順番に見ていく。通路には、いつものように(展示替えはあるのだろうが)重文(または文化財指定の無い) 不動明王、地蔵菩薩、阿弥陀如来、奈良吉野のお寺の蔵王権現などの仏像が展示されている。展示仏像の制作時代は、平安時代、鎌倉時代など。

 
 中央部の展示室にやってきた。入口を入って最初にある展示スペースのところ。
 館の奥から仏像館の受付カウンター、入口を見て左側に国宝 薬師如来立像の展示がある。
 平安時代(9世紀) 奈良 元興寺 所蔵。
 同じく、奈良 元興寺所蔵の 重要文化財 十一面観音菩薩立像の展示が、国宝の近くにあった。背の高い立像であった。

 サイトによると、令和元年12月24日~ここに展示されている。
 訪問した本日も展示されている。

 アカマツかわからないが、仏像は赤い木で彫刻されてるのか、やや赤い。着色が残っているのかはわからない。仏がさげた右手の平の上に薬箱をのっけている。左手は手のひらをこちらに向けて、あげている。だから薬師如来なのですね。
 以前は、白っぽい木造の 室生寺所蔵の 国宝 薬師如来像?の展示であった。

  重要文化財 文殊菩薩騎獅像
 
 あと、動物の上に仏が乗った重文指定の仏像の公開がある。パンフがおいてあり写真入りの解説がある。「特別公開」と書いてある。京都 大智寺 所蔵の 重要文化財 文殊菩薩騎獅像。X線CTスキャン調査で像内納入品が確認されたと解説がある。獅子、今でいうライオンに乗った菩薩であった。確かに菩薩が乗っているのは、獅子舞の獅子である。えー、象に乗っているのが普賢菩薩だったかな。
 大智寺は木津川沿いにある京都府内のお寺である。昔は、山城の国で京都というより、奈良に近い地域のお寺であった。昨年の正月に拝観した蟹満寺へ奈良から向かう途中に所在するお寺であった。

 鑑賞している間、入館者は2-3人くらいしかやってこなかった。先に入館した人は、さっさと見て出ていってしまったようだ。
 館の中央部の展示スペースには「ソーシャルディスタンス 距離 を保って会話しない」と札を持った女性係員が2名、スペース両脇の柱の脇に立っている。立つ場所を少し動かしたり、立ち位置を交代しながら立っている。しかし、ヒマそうだ・・・・。黒いパンツスーツを着用してじっとしている。展示スペースには、入館者は私一人しかいないので、私の動きにあわせて、札をみせながら立ち位置を替えて移動したり、スペースの反対側の柱に脇に立ちなおしたりもした。 じっとしているときもある。本当の人なのか分からないくらい、静かに立っていたり、スーっと移動したり・・・・。
 まるで、ボクがいうことを聞かない、つまり「ソーシャルディスタンス 距離 を保たない」勝手な見学者ととらえられているかのようだ・・・・。 札は、複数個所に目立つように、立てておいて一人で巡回すればよいのに・・・・。

 以前、館の中央部の展示スペースの隣の部屋には、天野山 金剛寺所蔵 国宝に近年指定された 木造大日如来坐像(中央に)、木造不動明王坐像(右)、木造降三世明王坐像(左)、の展示があった。
 真ん中の大日如来坐像は、金色に塗色されていて、大きい仏像だったし、両脇の仏像は黒っぽい彩色で目をカッと開いて、剣を持っているし怖かったので、迫力があった。これら国宝3体の仏像は金剛寺に戻ったそうで、現在は展示仏はあるが、なんとなくガランとしていいる感じ。

 一通り見て、退出した。
 今回、特別展が開催される本館には入館しなかった。

 「ぐるっとバス」は運休であるが、路線バスは運行している。
 ↓ 鹿が、歩道に出ていた。エサを求めて、公園の外にも多く群れている様子が見られた。

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道路を渡って、東大寺の方向に歩く。



奈良のたび 奈良国立博物館へ 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 奈良のたび 奈良国立博物館へ  2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 7月22日 祝日、4連休初日。飛行機で伊丹空港に到着した。

 地下鉄のなんば駅から、近鉄に乗り換える。さらに地下の近鉄駅に階段をおりる。
 8:42 近鉄線 奈良行きの電車に乗る。沿線の景色を見ながら移動。同じ学校の制服を着た女子学生が多く乗っている。電車、山のすそ野にさしかかり、モーターの音をウイーンと上げて、のぼっていく。大阪市内方向がよく見えるが、曇天でややかすんでいる。花園ラグビー場のスタンドもよく見える。
 「ああ、昨年の秋(11月のこと)にもこの路線に乗ったが、あのときは、クリアな晴天だったな。あのときでは、今年のコロナの流行で旅行がこんなにも制限されるとは全く予測できなかったな。」と思う。この日は、まだ梅雨のあけない曇天だ。
 生駒山のトンネルを抜けて、学園前でその制服の生徒は降りて行った。昨年11月の平日の朝に乗車したときには通学で多数乗っていた、帝塚山学院?の生徒であろう。この日は、祝日なので部活であろうか?。しばらく、部活も禁止されていた関係で試合の生徒も多いらしく、試合の道具などを持った他の学校の制服、ジャージ姿の中高生は、阪急、地下鉄でも見た。近鉄沿線の学校のグラウドでも練習している光景が見られた。

 
 9:18 近鉄奈良駅に到着。
 伊丹空港を出て、まっすぐ、奈良に向かったが、1時間半はかかった。うーん、空港から時間がかかるなあ。
 自宅からの所要時間で考えると、新幹線で朝6時過ぎ発の新横浜から「のぞみ」乗車し、京都駅到着が2時間後の8時過ぎ。乗り換えして、近鉄京都経由、近鉄特急で近鉄奈良駅までやってき方が早いであろう。
 でも、飛行機の料金は11,550円でお得だったし(新幹線は12,000円くらいは、EXで購入でもかかる。)、マイルも貯めたということでよしとしよう
 近鉄奈良駅の改札を出て、地上に。駅前付近は、それなりに人がいる。歩道を歩いて、緩やかな坂を奈良国立博物館へ歩いて行く。
 「人が少ない・・・・。全然いないぞ。」と気づく。私の前に歩いている人は1人だけ。振り返っても、私のうしろには、2人くらいしか、歩いていないのだ・・・・・・・・・。
 春先、3月の時点でテレビのニュースで奈良公園付近の様子が放映されて、「観光客が激減している」と報道されていた。ならの光景は「新型コロナ感染症流行の影響で観光客が激減した観光地の象徴」のようになっていた。あれから5か月近く経過したが、7月下旬の時点でも観光客は戻っていないようだ。もっとも、蒸し暑い夏のこの時期は、観光客は減る時期であるが・・・・。
 
  ↓ 近鉄奈良駅から奈良国立博物館への歩道の風景・・・、人が少ない。

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 ※ 帰宅してから時刻表で調べてみたが、新幹線利用の場合は、京都駅で乗り換えになるが、8時30分京都発の近鉄特急が奈良行き特急の始発。これに乗ることができれば近鉄奈良駅に9:05着。時間的には、あまり変わらないかな??。

 途中、歩道にあった奈良の観光巡回バス「ぐるっとバス」のバス停を見る。4月の途中から全便運休であった。観光客が激減しているからであろう。
 昨年の11月に来たときは、月曜休みで見学できなかった平城宮跡の東院庭園や遺構展示館に、時間があったら「ぐるっとバス」に乗って、行こうと思ったが、路線バスでも行けるが本数が限られた筈。今回は、断念した。またの機会に。でも、「今年の秋は(感染拡大の再流行などがあった場合)来れるのかなぁ?。」と、ふと頭をよぎった。
 ↓ 近鉄奈良駅から奈良国立博物館への歩道上、奈良県庁前のバス停。
   「ぐるっとバス」全便運休の告知。

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 歩道を歩く人は少なく、シカせんべい店の周囲には、鹿が群がっている。エサをあげる観光客が少ないので、シカは、直接売店のシカせんべいをおねだりしているようだ・・・。
 ひたすら蒸し暑い中を歩いて、9:34頃、奈良国立博物館の前に到着。なら仏像館に入る。
 9:30に開館した直後であった。
 奈良でもセミの音はすごかった。「シャンシャンシャンシャン・・・シャカシャカシャカシャカ・・・。」と途切れることなく凄い音。

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奈良 西大寺 拝観2

 2017年 4/16(日) 奈良 西大寺 拝観2

 近鉄を大和西大寺駅で下車、駅から徒歩で西大寺にやって来た。
 現在、東京・日本橋の三井記念美術館で「奈良 西大寺展」が開催されている。その特別展の予習のためです(笑)。

 四王堂で拝観券を購入し、堂内を拝観した後、境内を歩いて、駅からみて奥にある本堂にやって来た。

 ↓ 巡る奈良「祈りの回廊」の観光キャンペーンの案内看板があった。

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 ↓ 本堂



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 本堂は、北を背に、南向きの建築。
 団体客が参観中であった。中央には大きな「釈迦如来立像」があり、重要文化財。拝観受付でもらった「西大寺の由緒」によると、興正菩薩の発願によって・・・・制作されたとの説明の記載がある。
 現在の西大寺は、平城京造営のときのような官寺?ではなく、真言律宗のお寺。再興されたのが、鎌倉時代のこと。興正菩薩 叡尊 の力が大きい。古代奈良時代の仏教の流れをくみ?、現在独立した宗派を建てている、ライバル??の東大寺とも宗派が違う。
 興正菩薩の弟子が、昨年、神奈川県立金沢文庫の「忍性展」で紹介された忍性。奈良国立博物館でも特別展が開催されたが、私は遠いということもあり、見学できなかった・・・・。
 忍性が鎌倉に構えた真言律宗のお寺が極楽寺。と、つながっていることがやっと理解できました(笑)。昨年の「忍性展」でも西大寺のことが説明にしばしば登場しましたし。

 釈迦如来像の横の重文の仏像などは、空いていて「西大寺展に出品中」と表示がいくつかあった。
 本尊の祭壇の裏手も通路があった。ぐるっと祭壇の回りを拝観する。
 有名な西大寺の「お茶会」はもうすぐの日程である。写真の掲示があったように記憶する。見たところ、茶道とは無縁のお寺のようであるが・・・。着物を艶やかに着飾ったお茶会に出席するような女性は全くいないのだ・・・・(苦笑)。お茶会当日は、華やかになることであろう(笑)。

 ↓ 愛染堂
  本堂の西にある。 四王堂からは、境内を西に参道を歩いて、敷地の突き当りにあった。
 更にその西にも境内地はあるようだが。
  ここを拝観して、四王堂の方向に戻って、その前を再び通り、入って来た門から退出した。駅に戻った。


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 愛染堂は床が高い。靴を脱いで、板の階段を昇る。中に入ると、受付のところで共通拝観券の最後の一枚「愛染堂」の部分をちぎられた。三か所、拝観したことになる。四王堂、本堂、愛染堂と拝観した。

 愛染堂の祭壇の左手、南の部屋(お堂には、東に入口がある)には国宝の「興正菩薩叡尊坐像」の安置場所がある。像は「現在 出品中」と表示があった。
 昨年 東京国立博での新指定の国宝・重文展示で見た。袈裟の裾の衣のひだが、左右に長く伸びている彫刻が印象的だった。
 堂内を拝観中は私一人と係員のみだった。

 愛染明王は、普段は公開されずに厨子の中に安置されているそう。厨子が祭壇に安置され、説明書きの札がある。厨子扉は閉まっている・・・・・。中の様子は分からない・・・・。
 「秘仏はこの中にあるのか・・・」と私はこのとき思った・・・・・。

 お堂の受付、朱印所にいた、はんてんを着た男性の係の人に「仏像は、何年に一回くらいしか、公開されないのですか?。」聞いたところ「そんなことはない。公開される。」との答え。拝観バンフレットをよく読むと「秘仏で・・・・毎年 ×~から×まで開扉される。」と書いてあった。秘仏ではあるが、毎年公開はあるのだ。
 
 ↓ 「愛染堂」とタイトルのある説明紙。
   「興正菩薩叡尊坐像」の公開期間を「愛染明王」の公開期間と読み間違えていた。
   「愛染明王」像は毎年秋と年明けの1/15-2/4かけて公開されている。
 
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 「平成28年に国宝に指定された」と、安置場所に説明書きがあった「興正菩薩像叡尊坐像」の公開期間については、特に書いていないため、常時拝観できるようだ。

 ※ 後日談
 しかし、厨子の中の「秘仏」は、私が訪れたときに、東京の「西大寺展」に出品されていて中は空だったのだ・・・・。
 三井記念美術館で重文の愛染明王像を見て仰天した。そして「何も、説明してくれんやったやん・・・・。」と(苦笑)。
 厨子の扉は閉まっていて、内部を見ることは出来なかったのだから、中にホンマに仏像が安置されているか、別の場所にあるか、アンタには関係ないやろってことかな??(苦笑)。

 東塔の基壇跡。現在は石の基壇しか残っていない。
 更に西には、かつて西塔もあったようだ。
 東塔は1502年まで残っていたというので、奈良時代から700年以上は存在していたことになる。

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 東塔の基壇跡と南側にある鐘楼。鐘楼は後年のものであろう。

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 境内には団体の参拝者を除くと、ちらほら数名いる程度。
 境内は自由に通行できるようなので、子連れの住民の人や、境内を抜けて、駅の方向や、駅から離れて住宅地の方向に歩く人もいる。明らかに、通行の途中で生活圏内の中のお寺の感じ。
 どうでもいいことだが、鐘楼の基壇の下では砂利の地面に制服を着た高校生の男子と女子が座り込んで、くっついていた。いわゆる「ジベタリアン」かな(笑)。







奈良 西大寺 拝観1

 2017年 4/16(日) 奈良 西大寺 拝観

 近鉄の学園前駅で降り、大和文華館で国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展覧会を鑑賞した後、

近鉄で再び移動し、大和西大寺駅で下車した。学園前駅からは10分もかからなかっただろうか。目的地はその名もそのまんま「西大寺」だ。
 西大寺は、本当に駅から近い。徒歩3分くらいで到着した(笑)。
 現在、東京日本橋の三井記念美術館で「奈良 西大寺展」が開催されている。
 同美術館の特別展の予習のためです(笑)。やはり美術館のガラスケース内に展示されている展示品だけを見ても、お寺の由緒そのものは理解できないのではないかと。現場を知ることが大切です(笑)。

 四王堂に掲示してあった 「奈良 西大寺展」のポスター。 


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 門はさほど大きくない(もちろん一般のお屋敷の門と比べると大きいが)が、境内に入ると敷地は広くて、境内塔頭というか、寺内のお堂を囲む壁が更に境内内部を区切っている。池もある。午後の陽射は西に傾いて来た。境内内の土は、薄い茶色なので太陽光線を反射して眩しい。

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 ↓ 西大寺境内伽藍案内図

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 門を入って参道を歩く。と右手には、壁に仕切られていない、お堂の建物がある。四王堂と標識には書いてある。

 堂内に入る。最初は、戸惑ってしまったのだが、西大寺の拝観受付所となっている。男性の係員がいて、一人は朱印係。「ご朱印はありますか?。」と聞かれたが、私は御朱印帳を持っていないので「ありません。」と答える。御朱印を書いてもらう人も多いようだ。
 拝観券を購入する。聚宝館(一般的には宝物館というべきか)はこの期間は開館していない。

 「西大寺の由緒」と拝観券。↓
 拝観を終えて、すべての半券がちぎられた状態。「聚宝館」の半券は公開期間でなかったため、元々ついていなかった。「聚宝館」の公開期間は四か所の拝観券は1000円になるそうだ。
 拝観の仕組みが分かった(笑)。
 
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 ↓ 四王堂。ここで拝観受付をする。

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四王堂内、はその名のごとく祭壇の四隅に四天王の像があった。怖い顔をして、邪気というか、天邪鬼を踏み付けている。重要文化財。中央には十一面観音がある。


↓ 四王堂から境内を西に歩く。


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 愛染堂の方向に歩く。
 参道の横に幼稚園があった。伽藍配置図によるとバスも駐車できるPがある。写真でいうと、左手、南側にある。駐車場に隣接して保育園もある。西大寺は境内地に隣接して、幼稚園と保育園を有しているのだった。

 ↓ 正面奥の突き当りが愛染堂、右手が聚宝館(宝物館)の壁。
   左の壁と門は、塔頭というか、子院の入口であった。

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  聚宝館(宝物館)は開館していなかった。シャッターが閉まっていた。門の内側に入ってみた。他の寺院、最近見学した場所でいうと、前日に行った京都の仁和寺と同じように高床式の収蔵庫がある。閉館中のためか草木の手入れもあまりされていないようであった。

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↓ 聚宝館(宝物館)の前から、歩いて来た方向、四王堂前の広場を振り返る。

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国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観鑑賞3(最終) 大和文華館

 2017年 4/16(日) 国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観鑑賞3 大和文華館
  

  奈良市の西郊、大和文華館にやって来た。

 「回」字状の館内展示室を順番に鑑賞した。南の先端部は展示室になっていない。大きなガラス窓とテラスになっていた。池が見えた。やっと池です(笑)。林の合間から池を見下ろす。館の建物は丘の上にあり、池からは高さがあることが分かった。残念ながらテラスに出ることは「禁止」と書いてあった。高い天井まで届く大きなガラス窓から池を眺めるのみ。館内は撮影禁止なので池の風景写真も撮影していない。
 「大和文華館」は、池のほとりの高台にある美術館であった。

 池の前の眺めのよい通路を通り、次の回廊展示室へ。
 「三十六家仙 色紙貼屏風」 元々近衛家の所蔵。大正7年?に近衛家から売り立てされたそう。このときの当主は若きプリンスの近衛文麿。そういえば、さっき見た藤田美術館所蔵の「曜変天目茶碗」の売り立ては水戸徳川家?からであり、大正9年頃に購入。大正の第一次大戦後に旧大名や旧公家の華族から売り立てが相次いだのは偶然か何かあったのか?。
 和歌の色紙が貼ってあり、柿本人麻呂から、紀貫之や中務など。
 屏風の下は市松模様の和紙が貼ってあり、装飾されている。模様の中には桐紋(紅、青、緑)がある。
 

 左側の展示回廊の正面のやや左には「婦女弾琴図」の展示がある。
 ほとんど西洋画の感じ。解説によると日本人絵師「信×」の作。作者の文字が画中にあるが読みにくい。私は「信方」と読めたが・・・・・。「・・・・・和紙に顔料を植物性の油でつけている・・・」そう・・・・。8本の弦があるギターの原型の楽器とのことだった。
 西洋婦人図を描いた「石川大浪」という画家がいる。江戸後期の作品。展示品の説明に「南アフリカのテーブルマウンテンから号をとった」そう。「大浪山」はテーブルマウンテンなのだそうだ。その弟の作品もあった。「少女愛猫図」。キャサリン・リード?という画家の作品を原画とした絵とのことだった。弟の「孟高」の号もケープタウン
にちなんだそう。

 ↓ 大和文華館のチラシの写真。「婦女弾琴図」。

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  江戸時代後期の作品、小野田直武筆「江の島図」。音声ガイドにも解説がある展示品。
 神奈川県民としてはうれしい展示です(笑)。「鉄製のレンズ」で眺めた図で、
 かつてのリアルな江の島の風景と思いきや司馬江漢の作品と同じもので「左右反転」と言うか反対になっているそう。道理で江の島の姿とどこか違うなと思っていました(笑)。
 その司馬江漢の作品として「海浜漁夫図」があった。
 谷文晃(文字が出ない)「神奈川風景図」も展示があった。
 かつて「神奈川」と呼ばれた地域の入江と崖があり、人と家も描いてある。どこかな・・・。と思うが、現在の子安~吉田新田として埋め立てられた現在の中区の入江の辺りかな・・・。崖は現在の山手か子安の崖かな。

↓ (既出)  大和文華館の展示案内 小野田直武筆「江の島図」の写真の掲載がある。

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 ほぼ時代順、江戸時代後期までの作品で展示が終わった。

 14時過ぎまでいた。来館者も増えて来た。ただ、年齢層は高い。70歳前後の男性が数名いて主流。女性は70歳くらいとその娘と思われる主婦らしき女性がいた。60歳くらいの夫婦も来ていた。
 それでも、池に向かって最初の順路に3~4人くらい。左の回廊に2~3人くらいの観覧者数だったかな。あとは、ショップにいる人など。
 子供の入館者はいたかな~、覚えていない・・・・・(苦笑)。室内は「しーん」とした静寂に包まれていた。展示品をじっくり見るにはいい環境かも。しかし、小さい子のいる家族連れでは厳しい・・・。
 大和文華館のパンフレットも入手したが、近鉄グループの経営の美術館はここ以外にもあった。松伯美術館と天王寺の、あべのはるかす美術館もである。
 松伯美術館は、大和文華館と近鉄の線路を挟んで北側に立地する。駅から2キロ近くあるようで大和文華館のように徒歩ではやや厳しいかも。私は歩くけどね(笑)。ただし、大和文華館から松伯美術館まで徒歩は厳しいかも・・・・。
 松伯美術館は上村家の画家の作品の美術館であるが、もっと同じ奈良市でも市街地寄りの北の方向かと思っていた。
 音声ガイドを返却のカゴに入れて、退出する。貸し出しの受付にいた係員は時折、巡回していた。館内回廊の「回」の小さい「□」の部分には、小さい中庭がある。また部屋もあるようだ。ドアの中にも入って行っていた。しかし、一般入館者は入れないようだ。収蔵など下のフロアに降りる階段があるのかな。
 館外に出た。館の前は白い砂利が敷いてあり、眩しい。
 ↓ 館の前、広々とした車寄せ。しかし、一般車は館の前まで進入することは出来ない。

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 と車寄せ広場の脇に、丘の斜面を通って、入口の門まで行くことができる散策路があめことに気付いた。


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 丘の下、門の方向へ、斜面を通り抜ける小路。「梅りの小路」と名付けられている。

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  先程登って来た(車の通れる)道ではなく、入口前の砂利をさけて歩き、斜面を伝う「梅の小路」を下ることにした。
 と、館の先端 パルコニーの方からの車が通れる道があり、来館者の年配男性が歩いて来た。館の池側も散策できるらしく、そちらを歩いて、丘を下ってきたらしい。
 小路を下ったが、花はあまり咲いていなかった。ソメイヨシノはほとんど葉桜になっている。少し前の晩冬の花、椿の赤い花びらが枯れながらもわずかに残っている木もあったが。
 椿のほかに、サザンカなど冬の花も結構植えられている。冬でも「華」があるようにという意味を込めているのだろうか。
 
 ↓ 館は、斜面に向けて高床式の造りになっていた。

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 「梅の小路」を下る途中、池が見えた。林の合間に。
 斜面は苔に覆われ、梅雨や夏の時期以降は、鮮やかな緑色になることであろう。


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 ウェブサイトによるとこの庭園を「文華苑」という。

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 「文華苑」は、まさに花で彩られる丘を含む庭園であった。改めて「大和文華館」と名付けられた意味が分かった。春のうららかな青空の下、大和文華館の門を出て、再び近鉄の駅に歩いた。車が何台か駐車場に停まっていた。午後になり、来館者も増えてきたようだ。
 周囲は住宅地で立派なお屋敷もある。

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国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観鑑賞2 大和文華館

 2017年 4/16(日) 国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 
               -都市のにぎわいと成熟- 展観鑑賞2 大和文華館
 

 近鉄・学園前駅から徒歩で数分の大和文華館に初めて訪問した。
 「大和文華館」は以前から、私にとって気になる美術館であった。

 展示室内に入り、音声ガイドを聞きながら順番に鑑賞する。
 展示の「祭礼・遊楽」の章の解説音声は「戦国の世が終わり、世の中が安定してくると・・・・中断していた昔からの祭礼や芸能が再び行われるようになりました。・・・・中世の宗教画ではなく、現世の遊楽 = 楽しみ や享楽を・・・・求めるように・・・・・。」とナレーション。 
  「水墨画ではなく、金地着色の屏風絵」など、豪壮というか、ド派手な絵画などが生まれたのはこの時期かな。説明を聞いていると、ヨーロッパのルネサンスや大航海時代の進展に伴う、文化の発達と似てなくはないかな?。中世の封建制度が崩れ、絶対王政の確立とともに豪華な文化が生まれたのは共通しているかも?。大陸の東の国、明では政治的混乱、末期を迎えたのだが・・・・。
 音声ガイドの音声は更に「遊楽の中心は、遊郭であった。・・・華やかな衣装の遊女の描写は、・・・好んで取り上げられた・・・・。」というナレーション。
 現在では「遊女」はいないかな。「文化の中心が遊郭だった。」というのは、よく語られる解説だ。しかし現代の視点からいうと、どういうものかと思うが・・・。結局は男尊女卑の文化のひとつだろうか?。たとえば春画展では「男女対等」だという感想のネット投稿も多く見られたと思うが・・・・。ボクには、よく分からない(苦笑)。
 
 壁面ガラスケースを見ていく。「竹生島祭礼図」琵琶湖の水面に竹生島が丸く浮かんでいる。島の手前に人が乗った船が15隻くらいある。祭礼の舟でやって来た人と祭りの様子の図。
 「阿国歌舞伎草子」重要美術品。一番古い、歌舞伎の祖、阿国の姿を描いた絵とのこと。阿国は、遊女だったと記憶する。遊女が舞台の上で踊ったのが、歌舞伎の原型だったな・・・・、間違った記憶かも知れないが。
 舞台の上の阿国の姿。阿国は、首を別の方向に向けて振り返っているような姿勢。平安時代とまではいかないが、立派な着物を着ている。舞台の下には観衆がいる。画面右下から阿国の恋人、名古屋三×?の霊が浮かび上がった様子。舞台の上の男も驚いた表情をしているのだそう。阿国には、知られた仲の恋人がいたのですね(笑)。悲恋に終わったからこそ、霊になって出てきたのでしょう。

 角を曲がり、「輪舞図屏風」がある。作品の題名はあとから名付けられたものだろう。遊女が輪になって「さーあ、輪になって踊りましょ~。」という絵。本当に円形になって地面に和をつくって、手をつないでいる。67人の遊女が描かれているそう。遊女は皆スマートである。一人一人の顔や着物や背格好が違う。モデルがいるのではないか?。
 解説文には「遊郭でのお祝いか・・・」とも書いている。祝いの場で、昼間、外に出て、踊りの場を持ったのだろう。一人ひもをゆう老女がいるそうだ。何か怖い。遊女を締めているというか、置き屋の主人の女なのかは知らない。老女もかつて現役の遊女であり、一生を遊郭の中で過ごして、死んだのだろう・・・・。
 描かれている若い遊女はその後、どのような生涯を送ったのでしょうか?。

 圧巻の遊女の絵「輪舞図屏風」の右隣の方向、右側の回廊の展示ガラスケースのなかほどの展示に、目指す国宝「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)があった。
 大きい。今回の展観の目玉展示品である。過去、大和文華館のウェブサイトを見たが、毎年4月中旬から5月にかけて展示されていることが多いようだ。
 初めて見た感想は「大きい。」である。
 桃山時代~江戸初期の風俗図屏風では、国宝指定の「彦根屏風」を見たことがある。江戸東京博物館の「大浮世絵展」で見たことがある。本来は、彦根城の大手門内にある彦根城博物館でほぼ毎年春頃?、に展示されるようだが、このときは東京の特別展で展示があった。よって、彦根市にはその年の秋に「旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)」の特別公開に訪れたことがある。
 ちなみに、「彦根屏風」を見たときの感想は「小さいな。」であった(笑)。じゃあ、「ちょうどいい大きさの屏風絵の大きさはでれくらい??」と問われても私は答える術と知見を持ち合わせしていない(笑)。
 「彦根屏風」は3尺くらいであるが、この屏風は5尺であろうか。
 
 説明文には「「婦女遊楽図屏風」は、肥前平戸の松浦家に伝来したので「松浦屏風」と呼ばれる」という有名なお話以外に「ほぼ等身大で・・・遊女とかむろの姿を描いた・・・・口には鉄漿(おはぐろ)をし・・・・髪をすき、手紙を書き、三味線を弾き、・・・・タバコ、キセル、カルタ、ガラスの器などが描かれている・・・・・・・。」と音声ガイドの説明がある。
 確かに画中の成人の女は、4尺半くらいで5尺なくらいの身長。135cmから145cmくらいあろう。実際の当時の女性の身長は少し高いくらいではなかったか。


 ↓ 国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観のチラシの写真。 
  「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)の部分。左双の左の部分かな。

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 描かれている女は、後世の浮世絵と違い、現代日本に通じる美人である。髪型もいろいろだが、ストレートロング髪の女もいる。現代に通用する髪型だ。目も二重の女がいて、作者は二重を表現するためわざわざまぶたに線を書いている。解説のとおり成人の女は皆、お歯黒をしている。体つきもよく、健康そうだ。
 彼女たち、みんな遊女なのだな・・・・。と私は少し残念そう・・・・。いや、当時は立派な文化だったのだというのだが、当時私のご先祖は利用できたのでしょうか?。何も記録は残っていないし、ある筈が無い(苦笑)。そもそも遊郭のある都市にはいなかった??。

 左双の屏風・・・・
 一番左にカルタをしている女。簡素な着物もいれば美しい着物をまとった女も。
 真ん中の立っている女は、桜の花のついた小枝を持っている。ちょうどこの時期(太陽暦でいう4月中旬頃)の様子の絵だということが分かる。その左、カルタをしている女の右にはお歯黒を鏡を見てかく女が・・・・。おしゃれをしている顔は、まさにオンナの顔そのもの・・・・。
 中央手前は筆をとり、手紙を書く女。机を使わずにこのように筆をとったのですね。画面手前には硯箱に墨がある。
 右手のキセルを差し出している女が一番くらいの高い遊女かな。キセルの下でひざまづくかむろの少女は幼い。幼い少女の姿が見事に表現されている。年齢は現代でいうと中学生、14歳くらいかな。
 女たちは楽しそうな顔をしているのだ。現代の私が想い浮かべる遊郭の裏の一面を感じさせる表現描写は微塵も無いのだ。かむろの少女はうっすらと笑みすら浮かべている。

 ↓ 大和文華館の展示スケジュールの案内。
   「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)の部分。一双(屏風が2個あるうち)の左双の右手の絵かな。

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 解説には「左右は対になっている」とある。 

 右双の屏風には、消されているが「鹿の子しぼり?の小袖」の女の着物の首の下、胸襟のところに十字架が描かれていたそう。平戸のかつての領主はキリシタン代表としても知られているので、その時代に制作され、キリスト教が禁止された後、十字架を消して現代まで伝えられた。 
 右の端には碁盤のような道具がある。当時の遊興、娯楽のゲーム道具であろう。
 真ん中は、手紙を立って読む女と三味線を弾く女が・・・・。一番右はかむろらしき女の子に髪をすかせる遊女が。左手には、ひざまづくかむろの少女の頭をなでる女が。なでる女も少女の表情も微笑していてほほえましい。「慈しみ」を感じる姿だ。
 右双の画中の人物の着物の色彩は、どこかダーク。秋なのかな?。しかし、画面を見る限りは秋の様子は無い。 

 浮世絵と共通する点は、女の手は皆小さい。
 かむろの少女は、「遊郭で囲われる童女・・・」と音声ガイドの解説にあった。「囲われる」というのは、遊郭に奉公に出された子なのか、遊郭で遊女と客の男の間に生まれ、遊郭で育てられた子なのか・・・?。

 うーん、遊女文化に関する作品の展示が多いな。
 当時の風俗画が、現代では「文化」なのか?。副題の「都市のにぎわい・・・」の文化の発達一端には遊郭も担っている訳でございまして。人集まることろに遊郭あり。大っぴらに表に出て描かれているところがすごい。現在では表に出てくることは無いでしょうが。

 しばらく、国宝「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)の前の長いすに座り鑑賞する。
 歩き疲れて、靴ズレを起こして足が痛いこともあるが・・・・。

 続いて、宮川長春 筆「美人図」重要美術品。江戸時代中期のもの。「日本絵師 宮川長春」と落款がある。

 
 室内は天井がとても高い。ワンフロアの館内だった。



国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観鑑賞1 大和文華館

 2017年 4/16(日) 国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観鑑賞1 大和文華館
  

 近鉄で大阪から移動し、奈良県に入った。
 学園前駅で下車した。駅の付近で昼食を食べ、駅から徒歩5分と少しで大和文華館に到着した。
 「大和文華館」は以前から気になる美術館であった。博物館、美術館の特別展、企画展では展示リストに「大和文華館 蔵」と書いてある文化財が少なからずある。大和文華館から、貸し出しされているのだ。多数所蔵して貸し出しをいる訳ではなく、展示リストには一品、二品が載っている程度であるが、意外に重要な展示品を所蔵しているようなのだ。
 日本国宝展には「寝覚物語絵巻」が出品されていたし、2015年10月の三連休に私が行った京都国立博の「琳派展」では、尾形乾山の工芸作品(香合、火入など)が多数展示されていた。
 最近では芸大美術館での「雪村展」である。つい二週間前に見たばかりであるが、メインの作品は、ここ大和文華館の所蔵だった。しかも、展示リストを見ると昨年の京都国立博での「特別展 禅」にも雪村筆の大和文華館所蔵作品(重文指定)が貸し出しされていた。(私が訪問したときと展示時期は重なっていなかったが。)
 日本美術においては、きわめて重要な位置を占める美術館と思い、今回の初訪問となった。

 昨年は信貴山の帰りに、奈良市内に移動する途中、ここに寄る予定であったが、時間の関係で割愛した経緯がある。昨年訪れようとした時期の展示は国宝「寝覚物語絵巻」が中心であった。(国宝展で)見たことはあったので、またの機会ということで、今回、ちょうど一年後にやってきた。
 毎年春の時期は展示が決まっているようで、4月第二日曜日くらいまでが国宝「寝覚物語絵巻」、休館日を挟んで、次の開館日から4月第三土曜を含めて5月の連休明けくらいまでが国宝「松浦屏風」の展示期間らしい。

 ↓ 大和文華館の門。展覧会の告知看板が掲示されている。
 

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 門の内側に入る。正面はこんもりとした山になっている。地図で見ると池のほとりにある美術館なのだが、池は見えない。 
 敷地が広い。広い駐車場もあるが、1台しか停まっていない。車での来館者はいないようだ。昨年は車で来ることも考えたが、結局来なかった。次回以降は、車でもアクセスできそうだ。
 丘の向こうには青空が広がり、太陽が眩しい。ああ、気持ちのよう春の陽気だな~。
 

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 門の左手には、博物館の建物がある。歩いてくる途中、歩道からも見えた。最初は「小さいな」と思ったが、やはり博物館の建物ではない。大和文華館のホール、研究施設だった。
 奈良朝様式の建築を思わせる。奈良国立博物館の別館というか、重文指定の建物にも似ているし、唐招提寺のお寺を思わせる。このときは、窓にはカーテンがかかっていて使用されていなかった。


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 門を入ると、駐車場横と構内道路の広い歩道を歩く。と、内側の壁と門がある。門壁は小さい窓が開いていて、受付になっているらしい。窓口の中には、女性が1人座っているのが見える。コンクリートの小屋のような受付窓口である。チケット売り場になっていた。ここでチケットを購入しないと、内側の門を入ることが出来ない訳だ。
 入場券を購入する。料金表には「特別展 930円 企画展・平常展620円」と書いてある。 
 「国宝 松浦屏風は特別展かな?」と思い、窓口の中にいる女性に「今は特別展ですか?。」と聞くと「いえ、違います。企画展です。」とのこと。券を買って門を入る。受付窓口は門に附属しているような感じて小さくて、コンクリが打ちっぱなしできゅうくつそうだな、となぜか気になってしまった・・・・・。
 美術館までは更に坂道を登る。

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 桜の花は散ってしまっているが、桜が残っている木もある。この日はあまり多くの花は咲いていなくて、新緑の時期への移行期のようだ。これから、春~初夏の花が咲くのであろう。
 花や木々が多く植えられている。「文華館」という命名の意味がやっと分かった。まさに「花」で彩られていた。よって、今まで私が美術館として認識していなかったのは「文華」と一見しただけでは、美術館と分からない命名のためだろう(苦笑)。
 ↓ 坂道の途中に咲く花

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 丘を登ると建物が現れた。蔵屋敷のような建物だ。壁は黒か緑のなまこ壁の模様が入っている。入口玄関は大名屋敷の通用口??のような口が開いている。

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 ドアは自動である。遮光ガラスになっているようで、外の眩しい光を遮断し、内部は適度な照度になっている。
 入ると音声ガイドの貸し出しコーナーがある。右手にはショップがあり、奥にレジがある。天井がとても高い。ワンフロアの館内だった。
 入口ロビーの先に通路が伸びていて、ガラス張りになっている。その先に展示室の自動ドアがある。
 広い入口ロビーと通路、ショップには入館者が私以外、だれもいない。シーンとした静寂な空間だ。
 音声ガイドを借りることにする。全部で録音時間は30分くらいで、18の展示文化財について解説があるそう。
 ガイドを装着して、ガラス張りの通路を歩く。通路の幅は広く、両窓側には長いソファになっていて、休息できるようになっている。が、私が入館したのは日曜日の午後1時であったが、誰も座っていなかった。

 展示室の正面入り口は大きなガラスの自動ドア。ヴィーンと開く。正面に独立した島状の設置された三個のガラスケースが「三連」で並んでいる。
 正面のケースには重要文化財「扇面貼交手箱」(漢字が出ない。) 尾形光琳の作。
 箱の蓋に絵が描いてある。内側も段に分かれている。国宝のカキツバタ図屏風に共通するような構図。八ツ橋とカキツバタの絵がある。 
 隣のケースには重要文化財「武蔵野隅田川図 乱箱」(漢字が出ない。) 尾形光琳の弟 乾山の作
 乱箱とは、フタのない浅いハコとのこと。乾山81歳と書があるそう。 死亡した年の制作とのこと。

 音声ガイドをスタートさせる。まずは文華館の説明から。「・・・当時近畿日本鉄道の社長であった・・・・・によって、・・・・昭和21設立され、実際の開館までは14年の準備期間を要し・・・」とナレーションが流れる。「・・・現在では国宝4点を含め・・・・」多くの文化財を所蔵していますという解説。
 近鉄グループの収集した文化財を展示する美術館であった。勿論美術館の役割は展示のみではなく、教育や研究なども重要であるが。
 ウェブサイトにも書いてあるが、近鉄グループの美術館なので近鉄の駅から程近い閑静な住宅地に隣接する丘の上にあるのですね。


奈良市内~針テラス 移動~旅籠屋針店 宿泊 (2016年 奈良のたび)

2016.4.9  春4月の「2016年 奈良のたび」

  なら町を散策した。
 私一人が車を取りにPに戻る。停めたのは県庁Pなので、なら町からは15分以上歩く。
  ↓ 興福寺の南側のガケの下。猿沢池の西側。 
  桜もかなり散っている。道には外国人を含む観光客が歩き、着物を来た人も。春の夕方、日は長く、日没まではまだ時間がある。お店は5時くらいで閉まってしまったようでシャッターが下りている。


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 県庁のPに戻り、車を出す。私が1人で運転し、途中でツレを拾うのだが・・・・。県庁Pを出て奈良公園の北を通る道に流入するのだが、交差点の手前から車が動いていない。道が混んでいるようだ。
 やがて理由が判った。車同士の事故で、奈良公園の前の道路が渋滞していたのだ・・・・。事故現場は、近鉄奈良駅の付近の道路上だったが、その現場は多数の警察官が出て通行規制をしていた。県警本部からも近いので、警官は動員しやすいのかな?・・・・。現場脇をノロノロスピードで通ると、ド派手に車がひっくり返っていて、車体がつぶれていた。乗用車同士の事故だ。黒い大型の車(ワンボックスカーではない、SUV?のような車)が大破横転していて、もう一台はさほど大破していなかったかな・・・・・。ナンデこんなに大破するのか?、理解不能。余程、一方の車が無謀運転でスピードを出していたのだろう。
 事故渋滞のため、移動に時間がかかった。JR奈良駅の近くでツレをピックアップした。奈良市内を離れ、針方面に向かう。
 途中、近道をするつもりで脇道に曲がった。これが間違いだった。京終(きょうばて)の駅の先で道に迷う。JR奈良駅の前から、幹線道路を道なりに進めばよかったのだが・・・・・。
 細い道をうねうね進むと、道が線路で行き止まりになっていた。付近は住宅と畑と正面に桜井線のJRの線路・・・。近所に住んでいるのであろう、子供達が付近で遊んでいる・・・・。新学期が始まって、最初の土曜日だからね、この日は。
 子供達の付近にはそのおかぁちゃんとおぼしき人がいる・・・・。さぞ、外ナンバーのウチらの(怪しげな)車を不思議に思ったろう・・・。
 その後細い住宅地の道を通り、何とか、いつも通る道路(奈良と天理インターを結ぶ道路)に出た。南下して、沿道にあるお決まりの古市のサイゼリヤのお店に行く。ここで夕食だ。以前、名阪国道から伊勢湾岸道を経て、帰宅の前にも食事をしたことのある、なじみの店だ。
 店のレイアウトも自宅の最寄り近くの店と同じだ。まるで、自宅に帰ってきたかのような錯覚に(笑)。だが、違うのだ。ここは奈良。神奈川の自宅近くではない(笑)。
 ↓ 奈良・古市のサイゼリヤ。

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 ↓ この日の食事。
 (何故、ファミレスで食事を撮影するのか理解不能・・・・と自分で自分にツッコミ・・・・。)
 私はご機嫌でイタリアン気取り♪♪。チーズハンバークを注文したのではない。チーズ入りカツレツを(自分で勝手に決めて)セグンダピアットとして注文。プリモピアットとしてパスタは「ボロネーゼ風スパゲッティ」。ボローニャとミラノ名物のカツレツのコンビ(の心算)で注文(笑)。もちろんライスは別に付けます。

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 その後 名阪国道から針へ向かうのだ。天理インターから名阪国道に乗った。インターに入る途中に「天理スタジアムらーめん」の看板がある。黄色くて電気でこうこうと光っているので、運転していても大変目立つ・・・・。略して「天スタ」とある。ド派手な看板だ。名物ラーメンかな。
 
 針インターで降り、隣接する針テラスに寄ってみる。中に入るのは久しぶりだ。相変わらず人が多い。「針」は名古屋、大阪間の交通の要衝だな。ここで、車中泊の人も本日は多いだろう。アノ、天スタの店も針テラス内あった。以前は、なかったと思う。ここ数年のうちに新規にオープンしたのかな?。
 ↓ 針テラス内の「天スタ」の看板。

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 ↓ 針テラスの様子。
  先程、食事をしたのに、ツレはここのロッテリアでポテトを買っていた・・・・。
  まだ食べるのかいな??。

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 針テラス内の野菜などの直売所。夜なので商品は無かった。

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 針テラスから、数分もかからずに旅籠(はたご)屋針店に到着した。本日はここに宿泊する。
 以前もある年の秋に宿泊したことがある。飛鳥に行った帰りだった。あのときは、宇陀経由で南からアプローチしたが、この日は奈良市内、針テラス経由で「北」からのアプローチだ(笑)。
 私は、早朝に起きての運転だったので疲れていたため、入浴後は早めに爆睡に入った(笑)。子供達は、私が寝た後もテレビを見ていて「爆笑」していたらしいが・・・・。あっ、ウチの子は、まじめなテレビ番組は見ません。バラエティーしか見ないです(苦笑)。

↓ 翌朝撮影。旅籠屋針店から、北の針インターの方向。

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 旅籠屋針店の北には、トラック運転手御用達と思われる広い駐車場を備えた食堂(いわゆるガテン系食堂)があったが、無くなっていて、敷地は更地となっていた。

 翌日はチェックアウトの後、まっすぐに南下。近鉄の線路を渡り、更に南下し、宇陀ほ経て大淀川沿いに出て、大阪方面から吉野にアプローチした。
 ↓ 翌日に到着した吉野山の第一駐車場。

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2016年奈良のたび 奈良公園~なら町 散策

2016.4.9  春4月、「2016年奈良のたび」
 
 奈良国立博物館の特別展「信貴山縁起絵巻」を鑑賞した後、奈良公園を散策する。
 おなじみ「鹿せんべい」です(笑)。
 

↓ 奈良国立博物館の敷地の裏手の鹿さん。

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↓ 奈良国立博物館の敷地の裏手の鹿さん。
レンガ造のなら仏像館は工事中である。
この葉は、鹿がたくさんいて、活発に行動している。

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 元々、鹿さんは、春日大社の守護のための鹿なので、奈良公園の中でも興福寺の近くでは数が少なくなるのは周知の通りだ。「鹿せんべい」を何枚かあげて、奈良公園を出る。
 なら町を散策する。と、ならまちセンターに出た。図書館も併設されている。
 掲示コーナーには 先程見学した奈良国立博物館の「特別展 信貴山縁起絵巻」のポスターも貼ってあった。


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ならまちセンターの広場から興福寺五重塔が見えた。

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↓ なら町の散策案内の看板があった。


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なら町の西寺林商店街の一角。
風情のある町家の建物があった。

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なら町の商店街の歩行者天国の様子。
こちらにも風情のある町家の建物を利用した商店があった。

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↓ 猿沢池の西。商店街。
写真の手前方向に戻ると近鉄奈良駅がある。

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上の写真のガケの上、奈良公園内、
↓ 興福寺 三重塔。
以前は、内部公開を拝観したことがあるが、この日は公開されてなかった。


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 この日は、「北円堂」の公開日でもなかった。毎年春のGWの期間中に公開になる。
 三重塔に近い、「南円堂」の内部公開はなかなか無い・・・・。以前来たときには公開されていて、行列が出来ていた。2010年の「遷都1300年祭」の際と2013年?にも公開があったと記する。「また来ればいいや」と思っていたが、公開日は通常10月に年1回だけ。なかなか来ることは困難だ・・・・・。




2016年奈良のたび 信貴山~奈良市内 移動 奈良国立博物館へ

2016.4.9  春4月、「2016年奈良のたび」
  信貴山~奈良市内 移動 奈良国立博物館

 信貴山から下り、奈良市内に向かう。奈良国立博物館の特別展「信貴山縁起絵巻」の鑑賞が主な目的だ。

 ↓ 信貴山に参拝後、助手席の窓から、奈良盆地方向を撮影した。道路がクルリとカープをして、街の方向に下っている様子がわかる。

 

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 来た道を戻る。結構な下り坂だ。交差点のところに「信貴山」の看板が出ている。
 タンクは住宅地の給水用かな。
 タンクの下は、山の斜面地を切り開いて造成された住宅分譲地がひな壇状になっている。

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 近鉄の線路の上の陸橋を通り、法隆寺方面へ。
 起伏のあると地域だ。道は元々は狭かったろうが、近年区画整理されたようで、車道のアスファルト舗装や歩道が新しい。道路の両側の建物も新しい。建物を移転して、道路を広げて新しい道の両側に改めて、住宅やビルなどの建物を建てだのだ。
 古い住宅が密集していた地域も、ここ10年~15年くらいで、ようやく区画整理が進んだのだろう。高度経済成長の時代にもっと早くに行っておこべきだったが。

  と、竜田川のほとりの道を通る。ちょうど法隆寺方向への道との交差点付近。↓
 和歌に出てくる「・・・・龍田川 かにらくりないに 水くくるとは。」は、この龍田川のこと。あまり、風情の無いごく普通の川となっている。もっと上流の龍田川沿いの道も通ったことはあるが、住宅地と丘陵地帯の合間を流れるふつうの川といった感じ・・・・・。 

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 法隆寺の前を通り、奈良市内へ。と、以前食べたことがある「ココ壱番屋」のカレー店の前を通った(笑)。
 奈良盆地は平らであるが、道はまっすぐではない。いろいろ、曲がっている。かつての条里制のあとのように、直線の道路でもない・・・・。
 やがて、奈良市内に向かって、斜め、北東方向に通っている道に入る。市内に近づいてくると、渋滞というか、ノロノロとなる。1時間くらいかかって、やっと奈良市内に着いた。この日の閉館時間の関係で、あまり奈良国立博物館がなさそうだ・・・・。
 車はおなじみの奈良県庁の駐車場(P)に停めた。料金はおなじみの1000円均一(笑)。
 急いで、奈良国立博物館に向かう。

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 ↓ 県庁の前の道と、その奥は奈良公園。


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 奈良国立博物館の特別展「信貴山縁起絵巻」を鑑賞。
 閉館時間近くまで鑑賞した。
 その後、地下から地上の出口に出た。

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 ↓ 博物館の地下スペースの上には、芝生があり、鹿さんが一生けん命「草」を食べていた。
   地上の鹿と地下の博物館(レストラン 「ハーフタイム」)のコントラストが面白い。
   漢字で書くと「ハーフタイム」は「葉風泰夢」だったかな・・・。

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 奈良公園、なら町方向に向かう。



東大寺境内 二月堂 付近散策

 5月9日土曜日。

 奈良国立博物館の見学を終え、東大寺境内 散策です。三月堂を過ぎて、二月堂までやってきました。
子供達と合流しました。
 子供達は、大仏殿に行って大仏を拝観したが、(お目当ての)柱は、行列していて「穴」はくぐることができなかったそうです。たしかに、先ほど(大仏殿の前を)通ってきたときに中学か高校生くらいの一団が出てきて(添乗員さんが出迎えて)いたので、その一団と大仏殿の中で遭遇したのでしょうか。

 ↓ 二月堂の下から。奈良市内方向。
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 と、二月堂と三月堂の間、石垣に隠れたような場所に滝がありました。
 

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 「龍王瀧」とあります。お堂の脇に湧く湧水を、龍が天に昇る様にたとえて名づけたのでしょうか。よくよく考えると「サンズイ」に「龍」が「瀧」ですから、もともと瀧は龍になぞらえて創られた文字なのでしょう。 
 高い石垣の壁です。樋から水がしたたり落ちています。御利益のある瀧水ですね。


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 子供達は二月堂の舞台からなかなか下りてきません。そろそろ閉堂時刻では?と思いましたが、二月堂は有料ではなく、無料で自由に出入りできることを思い出しました。有名な国宝建築に無料で自由に出入りできるとはなんとも贅沢ですね。
 以前来たとき、二月堂は重要文化財だったと記憶します。国宝に指定されたのはここ数年のことではなかったでしょうか。


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 二月堂の階段の下から。

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 正面をアップで。

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 イトスギでしょうか。この木があるため、二月堂の正面をすべて撮ることができないと気づきました。
 正面に植えられていることは、何か宗教的な意味があるのだと思います。

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 二月堂をあとにして、参道を下ります。

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 参道付近には塔頭と思われる寺院が並んでてます。個人の表札も出ているので住宅兼塔頭なのでしょう。

 ↓ 二月堂と奥の若草山の遠景

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 赤もみじの木が葉をつけています。決して秋ではありません。今は春です。若芽萌ゆる春です。ゴールデンウィーク(の終わりの方)です(笑)。

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 公園まで戻ってきました。
 大仏殿の裏、正倉院にも近いところです。おっ、鹿が私達を見ています。

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 この付近にも鹿だたくさんいます。人が少ないての鹿とあそぶには穴場と思います。が、鹿せんべいが販売されていませんでした。この時間・・・。そういえば、この付近では鹿せんべい屋はあまり見たことが無いような・・・。
 「若芽萌ゆる春」、芝の間に生えた草の若芽を盛んに食べています。今、鹿せんべいがあっても見向きもされないでしょう(笑)。

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 車の往来する道路に出ました。県庁方向へ歩きます。と、祇園社を見つけました。
 奈良の祇園社です。若草山など東大寺付近の山を京都の東山に見立てて、ここに祀ったのでしょうか。京都の祇園さんと同じく、東の山を背に、西に開けた土地に建っています。(もっとも京都の祇園さんの本殿の正面は南を向いていたような・・・。)


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 道路沿いの旅館の前に大型バスが停まっています。主人とおぼしき男性が出迎えをして制服を来た中学生が次々に降りています。九州は大分県のぼう地域にあると思われる中学校のプレートがバスにかかっていました。


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 ここからほど近い県庁駐車場で再び車に乗り、奈良盆地を今度は南下します。









東大寺境内 大仏殿前~三月堂付近散策(と鹿を求めて。)

 5月9日土曜日。

 奈良国立博物館の見学を終え、東大寺境内 散策です。ツレを探しに行きます。
大仏殿に行くと言っていました。
 今日も参道は鹿で賑わっています(笑)。
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 小学生の一団もいます。この日は土曜日なので通常の遠足ではないでしょう。修学旅行で奈良を訪れたのだと思います。

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 大型バス駐車場。たくさんの大型バスが並んでいます。
 五連休が終わり、平日の二日を挟んだ後の土日です。連休の続きでずつと休みという人もいると思います。連休時期は混雑するので修学旅行は避けると思いますが、修学旅行シーズンは「再開」しているのですね。


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 こちらは、博物館から東大寺の方向へ歩く途中、お昼を食べたお店です。
 
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 中学生の一団もいます。 関東地方の中学では奈良・京都に修学旅行という学校も多いと思います。沖縄など行き先は広がっているので、以前と比べると減っているとは思います。少子高齢化で小学生、中学生の絶対数も減っていますしね。最近、私学では海外というところもあるようですが。

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 南大門を過ぎて大仏殿の門。東大寺ミュージアムにもこの日は入場しませんでした。
 門に向かって右に曲がり、三月堂の方向へ。

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 大仏殿の回廊の端まで歩きました。左手にはおなじみの池が。大仏殿の見学を終えた中学生とおぼしき一団が次々に出てきます。出口のところには、黒いカバンを持った、これまた黒いパンツスーツの女性が立って、生徒達に案内しています。添乗員の方ですね。この土日も添乗のお仕事なのでしょう。中学生相手の仕事、想像以上に疲れると思います(笑)。大変ですね。
 ボクだったら、「やってらんね~」とキレてしまいます。→結果、即「クビ」。ボクには務まりません(笑)。

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 大仏殿もそろそろ拝観終了時刻のようです。更に坂を登ります。

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 5年前だったでしょうか。子供を連れて初めて奈良に来たのは・・・。ちようど五月の連休のさなかだったです。あのときも、夕方に大仏殿の付近をウロウロしていました。
 ↓ この写真の辺りで『鹿せんべい』をあげていたような。当時の記憶が甦ってきました。

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 坂を登り切り、平坦に地に出ます。三月堂(法華堂)の前に出ました。閉堂時刻を過ぎたようで、お坊さんが戸締りわしていました。
 ↓ このアングルの写真は学校の歴史資料集にも掲載される写真ですね。
   向かって左が奈良時代の建築。右が鎌倉時代の増築部分。
   平氏の東大寺焼き討ち?事件のあと、頼朝かその次の時代の頃に大仏殿が再建されたときに
   増築されたのでしょう。すると重源が深くかかわっていたことになります。

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 ↓ 奈良時代の建築部分のアツプ。

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↓ 奈良時代の建築部分の北面。二月堂側。
  前回ここに来たとき、ここ三月堂は修理中でした。修理していて公開部分が限られる中、
  鎌倉時代の増築部分で国宝 日光月光両菩薩像の塑像など所蔵の仏像が展示されていました。
  修復後は東大寺ミュージアムに移されたので、一昨年来たときは東大寺ミュージアムで国宝 
  日光月光両菩薩像に『再開』したというわけです。

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 ツレは子供は二月堂にいました。




春日大社の鹿 (再び) 式年造替記念 国宝本殿特別公開 参拝を終えて。

 5月9日土曜日。

 20年に一度の式年造替記念 春日大社 国宝本殿特別公開参拝を終えました。
 門(大社の回廊内と回廊外を区切る南門)を出て、ほぼ同じ標高の参道沿いにある常時自由に参拝てきる遥拝所や若宮神社などを巡りました。
 続いて参道のゆるやかな坂を下ります。
 と工事のため閉鎖中の宝物館や春日大社の駐車場付近で元来た参道に合流しました。駐車場はこの日は使用できるようでした。普通に車が出入りしています。大社へはこの駐車場が一番近いので、ここに車を停めるべきでした。が、特別公開の土日などは閉鎖されているかもと警戒して県庁の方に停めました。だったら、ここに停めればよかった。数年前に来たときは、朝一番で停めようとしたら、「七五三専用」で七五三以外の車ばダメと追い出されてしまいました。その記憶がまだありありと残っていて、大社の駐車場に停めることを躊躇してしまいました。あのときは「ダメダメ。出て行って。」と駐車場の整理係の人はチョー(メジャー観光地流)上から目線でした。
 

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 鹿せんべいは鹿にとっては、あまり興味が無いみたいです。たくさんもらえるのでアンタの鹿せんべいはイラナイよといった感じで『気合』が感じられません。食いついてこないと今ひとつ楽しくないです(笑)。


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 奈良公園の鹿は周知のようにもともと春日大社の神使いとしているもの。ここ春日大社の参道にいる鹿は本家本元の奈良の鹿です。東大寺や興福寺方面は遠征組の鹿なのでしょうか?。つまり、春日大社付近の鹿は『ご本家』なのであまり、ガツガツとエサを食べて生活していけるのでしょうか?。そんなことありませんけどね(笑)。


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 参道の途中にはところどころに鹿せんべいの店があります。
 しかし、なぜ鹿は鹿せんべい屋の鹿せんべいを食べないのか、何かのガイドかで読んだことがありますが忘れてしまいました。ネット検索すれば答えは書いてあるとは思いますが・・・・。

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 しかせんべい。1セット150円です。
 この日の鹿は押し寄せてきませんむ。

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 もう一度
 夫婦大国社の「恋のハート絵馬」(ニコッ!)

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 参道を下り、奈良公園と思われる園内を歩き、国立博物館までやってきました。ここまで鹿は『進出』しています。春の毛が生え替わる時期で小鹿ちゃんも毛がまだら状になっています。
 奥には博物館の文化財指定を受けている建物が見えます。

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 博物館の展示館のそばまでやってきました。鹿は芝生に生えた草の芽を食べているようです。
 エサを求めてあちこちに移動しているのでしょう。それにしては、鹿せんべいのクイツキが悪かった。
 鹿は若芽を求めていたのではないでしょうか?。
 提案します!。 草の繊維入りの『若芽入り鹿せんべい』の開発と販売を提案します(笑)。しかも春限定販売!。ニッポン人は「限定販売」に弱いです(笑)。
 えっ、すでに販売している!?。恐れ入りました!!。しかも特許取得?、実用新案申請中?。登録商標?・・チョット違うかな・・・・。


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春日大社 本宮神社遥拝所、若宮神社、夫婦大国社 参拝

 5月9日土曜日。

 20年に一度の式年造替記念 春日大社 国宝本殿特別公開 参拝です。拝観、見学・・・などいろいろな呼び方があると思いますが、あえて「参拝」と記します。
 南門のそばで、特別公開から退出します。そのまま、人の流れにあせて南門から退出。振り返って撮影しました。

 ↓ 多くの人が春日大社 南門を出入りしています。盛況です。

  

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 参道を戻って坂を降りずに南に向かってほぼ同じ標高の参道を歩いてみることにします。大小様々の石灯籠が並んでいる様子が分かります。
 あと女性率が高いです。神社がパワースポットと言われて久しいですが、最近の言い方を借りればパワースポットでの更にスピリチュアルなポイントが特別公開されるので、特に女性に人気が高いのでしょうか。

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 南門の前と門の前の「神聖な石」の前から登ってきた参道を見る。
 外国人観光客もいます。世界遺産のため外国人向けのガイドブックや観光ウェブサイトに掲載されているからだと思います。円安効果といわれて久しいですが、引き続き円安なので外国人観光客は増えているのでしょう。

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 ↓ 解説の高札。

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 南門からやや進んだところにある 本宮神社遥拝所。
 「本宮」という呼び方にここが神の宿る本拠なのだぞという由緒も感じます。 「御蓋山」は「みかさやま」と高札に書いてあります。一般には「三笠山」、同じ山なのか別の山なのか分かりにくいです。先ほどの春日大社の特別公開でもらったパンフレットには「御蓋山」とあり、「三笠山」との記載がありませんでした。よくよく考えれば三笠山が載っていないのは、不思議だと思う筈ですが、私は忘れていました・・・・。
 先の記事にも書きましたが、特別公開エリアの「御蓋山 遥拝所」と似ています。「御蓋山 遥拝所」が撮影禁止でその光景を忘れてしまったため、この写真で想起するしかありません。

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 春日大社の子社と思われる別の神社がありました。階段を登ってみます。

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 若宮神社というそうです。本殿と拝殿の二つの社が並んでいます。通常は本殿が中央に位置すると思いますが、並列です。写真撮影禁止なので画像はありません。「春日権現険記にも似た建物が描かれている。・・・」とあるので、春日信仰で重要な位置を占める神様と思います。それゆえ、写真撮影が禁止されているのでしょう。

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 夫婦大国社のお守りやお札の売り場。

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 ハートマークの絵馬。私にはもはや無関係です・・・。
 「私達」ではなく「私」と一人称単数を使っているところがポイントです(笑)。


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 参道わきにある看板です。ハートマークです。「恋心」この言葉も無縁です。はい(涙)。
 五月の雨がしたたっています。夫婦大国社を参拝した今のボクの心を表しているかのようです(笑)。


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式年造替記念 春日大社 国宝御本殿、御蓋山遥拝所 特別参拝

 5月9日土曜日。

 20年に一度の式年造替記念 春日大社 国宝御本殿特別公開の参拝記です。「磐座」を見た後、一旦御本殿の「後殿」のエリアを出ます。改めて御本殿の正面にまわり、正面入り口の鳥居をくぐって御本殿の参拝に臨みます。前回の「式年造替以来20年ぶり」の公開とのことです。参拝する人で行列しています。
 社殿は高床になっており、四つの社は連結して建築されています。高床の下の基礎の部分というか、隣の社殿と連結する木壁には板絵が顔料?、染料?、漆喰?にて描かれています。虎?の絵が一番鮮やかで印象に残りました。あとは、獅子や平安朝を思わせる武士の姿などの絵があったと記憶します。(写真撮影禁止なので記憶違いもあると思いますが・・・・。)
 先に見た「磐座」はどこ(の社殿の裏)かな、と思いましたが、「磐座」の正面にあたる壁の絵は虎か龍かの絵だったような・・・。御正殿に向かって一番右が第一殿、その左が第二殿。この間の裏手に「磐座」が鎮座している筈ですが、正面からは覗い知ることはできません。
 正面には強い動物を描いて、裏手の磐座を守るという意味が込められているのでしょうか。絵は20年前の前回造替のときに描かれたそうです。色彩の剥落も無く、非常に鮮やかです。
 
 ↓ 特別公開のパンフレット。 Aの地点がこの記事で書いている御本殿正面の参拝場所です。

 DSC03779  「磐座」の実際の位置は違うと思います。真ん中付近でなく、もっと第一殿よりでした。
神秘性を高めるため敢えて違う場所を示しているようです。



















 御本殿の正門を出て、回廊の外に出ます。次に回廊に外壁に沿って御蓋山遥拝所への坂道を上がります。壁も板塀ではなく、築地塀であると説明にありました。確かに瓦を載せたような土で造営した塀です。木造の壁ではありません。
 いざ遥拝所に進んでみると実はは「何もない」。拝殿としての屋根があるのみで、その屋根下にお賽銭の箱が置かれているのみ。遥拝所の先には緑の林が広がっていて野原と林を拝むような感じです。林の先の山が御蓋山で春日大社発祥ともいえる神聖な山とのことです。

  ↓ 御蓋山遥拝所のイメージは、春日大社南門の近くにある別の遥拝所に似ています。

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 御蓋山 遥拝所を参拝した後は、回廊の外を壁に沿って下ります。再び回廊の中に門を入るとすぐ出口でした。出口は南門の近くで、もともとの特別公開時の受付の脇に出てくるようになっていました。

 特別公開の参拝を終えて・・・。磐座、遥拝所ともに古代の原始宗教の色合いが強いのではないかと思いました。いわゆる自然崇拝の一種です。外国語では「シャーマニズム」または「アニミズム」というのでしょうか。日本は多神教の国で八百万の神がおわして万物には神が宿ると信じられています。一神教とは考え方が異なります。ここでみられる石や山などの自然物に対する信仰は、シベリアのツングース族などに見られる自然崇拝とも共通するものがあるのではないでしょうか。広くいうと北方系「ウラル=アルタイ語族」のシャーマニズムの一種です。
 古代は建築技術が発達していなくて、昔の日本人は石、岩、山、川、海、森などを信仰していたのでしょう。その後、現代に見られるような神社建築が確立してからは、信仰としての神道は自然崇拝から神社の社殿にお参りする方式が広まっていったのかも知れません。
 現代科学技術の時代に生きる私達にとっては、自然崇拝は理解できない部分もあるかも知れません。ただし、信じるか信じないかは「じ・ぶ・ん・次第。」ではないでしょうか。

 ↓ 特別公開の記念品のお香。
   「平安古経展」のチラシの上で撮影。
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式年造替記念 春日大社 国宝本殿特別公開 参拝 初公開「磐座」

 5月9日土曜日。

 20年に一度の式年造替記念 春日大社 国宝本殿特別公開 参拝です。拝観、見学・・・などいろいろな呼び方があると思いますが、あえて「参拝」と記します。
 特別公開の受付から先のエリアは写真撮影禁止。

 撮影可能エリアから撮影した本殿の方向。

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撮影可能エリアから撮影した本殿の方向。右は一昨年にも通った回廊です。
 

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 入場してまずは、一昨年も見た(過去通例の)特別公開の建物の間を歩きます。重文の社殿があります。何かお祓いをしている社殿もありましたが、中の様子は分かりませんでした。敷地の北の銅製の燈籠を一昨年見た通路と建物(パンフレットによると燈籠がたくさん提げてあったのは「藤浪の屋」)の先に今回の特別公開の本殿のうしろがわ「後殿」の門の前に出ました。
 前回来たときは気づかなかったですが、門が閉まっていたからのでしよう。今回は、木の扉が開いていて更に中に進むことができます。四つある本殿の真裏にあたります。人がたくさん出入りしています。ここが140年ぶりに公開されたエリア「後殿」(うしろどの)だったのです。
 140年ぶりの公開というので、ほぼ明治維新以来なのでしょう。

 木の扉を入るといくつも小さい社が並んでいます。社ごとに「〇〇神社」と名前がついています。また、南には裏から見る社殿が四つあります。そのうち一か所に人が集まっている場所がありました。「磐座」(いわくら)のある前でした。説明の立看板というか高札がありますが、難しく書いてあるので分かりにくいです。小さい社の人事やの説明を読んでいて、うっかり通り過ぎてしまうところでした。
 パンフレットによると御本殿の第二殿と第三殿の間、軒の合間といったスペースにあるように見えますが実際は違います。もっと後殿から見て左手、第一殿と第二殿の間に白い「磐座」がありました。
 御本殿は「四つ」あります。偶数です。「第二殿と第三殿の間」にある場合は、四つある社の真ん中に「磐座」(いわくら)が鎮座していることになります。が、真ん中に鎮座しているのではありません。この「あいまい」な配置関係も古代日本の宗教心を知る上でのポイントなのではないかと思いました。
 「第一殿と第二殿の間」といっても社殿の真ん中にあるのではなく、向かってやや右側。第二殿のきわにあるように見えました。
 この白い「磐座」、写真撮影が禁止なので、あとで記憶を頼りに簡単なイラストを描いておきましたが、描いておいた紙をなくしてしまいました・・・・。本当に真っ白です。しっくいで塗り固めているとのことで、千年以上も繰り返し塗り固めていたせいか、自然の石ではなく、人工の白い水晶の石のようにも見えました。

 ↓ (既出)南門の前の石のように、もともとは地上に頭を出していた「石」だったのでしょう。
   神聖なもの霊が宿る石として漆喰で白く塗り固めていって現在の姿になったのだと思います。
   実際の「磐座」はこの南門の前の「石」よりも大きく幅も広かったです。
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春日大社 国宝御本殿 式年造替記念特別公開 参拝のため入場

 5月9日土曜日。

 奈良にやってきました。
 20年に一度の式年造替記念 春日大社 国宝本殿特別公開 拝観が目的です。
 

  本殿区域の下あたりにやってきました。「ご造替」の年表が掲示されています。
 今回で「60次」なので60回目といったところでしょう。一回目は奈良時代、大仏開眼から十数年後のことです。春日大社は藤原氏の氏神なので藤原氏の力を強まったときに始めたのでしょうか。三回行って一旦中断しています。というより、20年ごとでは全然ありません。
 平安遷都まで中断しています。このときは、恵美押勝の乱や遷都の関係で中断したのでしょう。恵美押勝も藤原氏の出。昨年の正倉院展で直筆の書の展示がありました。貴族の争いなど、政治的混乱があると「ご造替」どころではなくなってくるのでしょう。

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 みやこが京都に移った後も続いています。20年-30年空くこともあるし、20年もたたずに行うことも・・・・。何かに理由で老朽化したり破損した場合には建て替えをしたのでしょうか。源平の合戦のように戦乱があると労力が不足するでしょうし、金銭面の問題もあると思います。ボードには頼朝のイラストがありますね。
 
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 更に時代が下って家康のイラストがボードにあります。戦国時代は随分と間隔が空いていたようです。天正時代の造替は秀吉が復活させたのでしょう。復活させることよより、朝廷、公家への影響力を強めるという政治的意図があったことは明白です。しかし、秀吉が主導したと思われる造替はこの一回のみ。
 秀吉は死に、次いで家康が天下をほぼ手中にした頃から江戸時代は20年ごとに行われています。年表を見る限り、家康主導の造替も一回のみ。何回も造替できる権力者なんていないってことです。すると、いかに子孫にその権力を渡して継続していくかが問題になってきます。
 「20年スパン」が定着したのは江戸時代前期以降でしょう。世の中が安定しないとご造替はできません。では、はたして現代の世の中は安定しているといえるのでしょうか?。

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 おなじみの門にやってきました。南門、一年半ぶりの訪問です。過去に来たときよりも賑わっています。

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 門を入って振り返る。門の右はお守り売り場や御朱印の受付です。
 下の写真に写っている門の左側に今までの特別公開時の入場受付ですが、この日は閉鎖されています。


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 お守り売り場の拡大。制服(つまり、白の上衣と朱色の袴)姿の販売員は額にキラキラする「髪飾り」を付けていません。特別公開期間中は忙しくて付けるなというお触れがでているのかも知れません(笑)。

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 南門を入って、正殿を望む社。通常の参拝はここまでです。

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 「特別公開受付」と立て看板がある方向へ。藤棚の下をくぐります。藤の花も盛りを少し過ぎた?。
 藤は躑躅の花の時期とほぼ同じという認識です。例年は今くらいが一番の見ごろですが、躑躅も含めて花の見ごろは年々前倒ししているように感じます。

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 「砂ずりの藤」の説明。

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 本殿へ入る門の前、南門の前には「磐座」らしき神聖な石があります。念のため門に入る前に撮影しました。
 回廊で囲まれた境内(神社で境内というかは分からないが・・・。)ではなく外にあるので見落としてしまいがちです。
 書かれている説明は難しいのですが、「出現石」、「額塚」といわれる「神石」であるようです。神が出現した、または宝物を埋めた目印となる秘めた力を持つ石のようです。

 
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 砂ずりの藤の下を通り、建物を向かって右に曲がると、その先に受付がありました。
 朱袴姿の巫女さんが受付しています。入場料は一人1000円。小学生は無料でした。
 ここでパンフレットと鹿のイラストの入った「祝 御造替」のお香を頂きました。

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