良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

京都(洛西)

 

仁和寺 霊宝館 春季名宝展「色とりどり絵画の魅力」 (平成29年) 見学2

 2017.4.15 京都  仁和寺 霊宝館 春季名宝展「色とりどり絵画の魅力」 (平成29年) 見学2

 仁和寺の霊宝館は通年開館をしていない。前回は、2013年1月に「京都冬のたび」の金堂内部公開などで来たが、開館していなかった。その前は、東日本大震災の直後の4月に訪問したが、見学はしなかった。今から思うと勿体ないことをした。今回が、初めての見学となった。

 
 ↓ 「色とりどり絵画の魅力」のパンフレット 抜粋

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 国宝 阿弥陀如来像などの展示通路を過ぎて、角を曲がると、今回のメインテーマの絵画、絵巻の展示だった。
 三十六歌仙図 狩野山楽筆、
 藤原定家像   狩野永納筆 など江戸時代の絵画である。「石山寺縁起絵巻」は彩色の鮮やかな絵巻物である。江戸時代の作なのでカラフルだ。あまり古い絵巻物という感じがしないくらい保存状態がよい。

  ↓ 「色とりどり絵画の魅力」のパンフレット 抜粋
   新指定 重要文化財 「密要鈔目録」の画像がある。

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 今年、平成29年に新規に重要文化財に指定されたばかりの「密要鈔」の展示がある。
 「密要鈔目録」は、江戸時代に作成された目録とのこと。国宝と通路を挟んで反対側の壁側に展示があった。「密要鈔」は今回が初公開だそうで、展覧会の目玉のようだ。「密要鈔目録」も同時に指定された?。
 「密要鈔」は「聖教(しょうぎょう)」と呼ばれる、釈迦の教えを記した経典のひとつのことだそう。
 「密要鈔目録」は「目録」なので 経典と思われる品名と数が記載してある。
 「灌頂・・・・ ×帖」
 「伝法灌頂三昧那戒作・・・・ 一帖」
 「胎蔵昇・・伝法灌頂・・・・ 一帖」

 密教の重要儀式である「伝法灌頂」に関する経典らしい。
 守覚法親王自筆の儀式?の差指図があるそうだ。儀式の図面に法親王が書きこみをしていた。
 目録に「法親王の直筆である」と書いてある。
 守覚法親王の肖像画の展示もあった。後白河法皇の第二皇子で、7歳で仁和寺南院に入り、「仁和寺第六世」になった。西暦1202年に薨去されている。展覧会の小冊子にも肖像画の写真と法親王の紹介が掲載されている。

 順路の最後近くの平ガラスケースに国宝の展示があった。
 「御室相承記」 おむろそうしょうき 巻物になっている。
 宇多法皇から道法 法親王までに至るお寺の内務の記録とのことだ。
 鎌倉時代のもの。道法 法親王は、後白河法皇の皇子とある。守覚法親王の弟にあたるお方。この時代は、法皇の皇子をお寺に迎え、源平合戦などの戦も一段落し、お寺の権威向上が図られたのであろうか。
 内容を見ると「~ 事  建久二年十二月廿十六日 百六十僧 御室 御開帳 」と書いてある。
 更に「大阿関   皇后   喜多院   ××年十一月廿十×日 大阿関条・・・・」
 私がざっと見た内容を書いているので、もちろん誤字記載があるが。
 鎌倉時代の年号と月日が書いてある。~について、僧が来て、何かの仏像の公開をしたというような記事だ。 
 喜多院の「喜」は七が三つの崩し字だ。「北院」を意味しているらしい?。 

 ウェブでの表示上、横書きに直しているが勿論原文は毛筆の縦書き・・・・。
  国宝「御室相承記」には、守覚法親王の巻は無いらしい。
 
 重要文化財指定「御室御記」 江戸時代 の展示もあった。国宝の「御室相承記」 とは異なり、時代は下がって「江戸時代のもの」と解説文にあった。内容は、仁清が仁和寺に来たときの日付で、××をしたというような部分の展示であった。仁清は、あの国宝指定作品もある「野々村仁清」のことである。
 そういえば、先ごろ見東京国立博物館で見た重要文化財指定作品の展示の説明文には「仁清は・・・・御室の仁和寺の付近で・・・・」という箇所があった。
 仁清はしっかりと、仁和寺の記録に載っていたのでした。

 国宝「御室相承記」や新指定の重要文化財「密要鈔」を見ていたため、絵巻の鑑賞があまりできなかった。反省点とします。

 見学を終えて、退出し、入口の階段を下った。
 と、雨がパラついてきた。御室桜は、見ごろを迎えたが、桜の季節はまだまだ天気が安定しない。「花曇り」であろうか。






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仁和寺霊宝館 春季名宝展「色とりどり絵画の魅力」 (平成29年) 見学1

 2017.4.15 京都  仁和寺 霊宝館 春季名宝展「色とりどり絵画の魅力」 (平成29年) 見学1

 京都に旅した。ますば、御室桜の見ごろをむかえた仁和寺にやってきた。
 御室桜の満開の時期はソメイヨシノよりも7日~10日くらい遅いのだろうか。たまたま今回の旅程と見ごろの時期が重なったのでやてきた次第。

 ※まさに満開の盛りであった御室桜の見学記(観桜記)は、後日書くことにして先に、霊宝館の見学記を先に投稿することにする。

 仁和寺の霊宝館は通年は開館していない。春と秋の二か月弱ずつくらいであろうか。年間で4か月くらいの開館のようだ。春と秋の「季節開館」は同じ真言宗 密教系の寺院(現在流派は違うのであるが)である醍醐寺と似ている。通算の年間開館期間でいいうと、醍醐寺の方が長いかも。

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 ↓ 御室桜の拝観券販売所付近の様子。

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 境内の案内。「名宝展開催中」と看板が出ていた。霊宝館に向かった。

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 ↓ 霊宝館 入口。係員の女性が立っている。

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 境内と異なり、霊宝館の周囲は静かだった。もう一人、現金受付の係員の女性が座っている。拝観料の500円を支払い入館する。御室桜と異なり、見学している人は、受付から見える範囲では数名で、すいている。
 入口近くにはまず、仏像や経典などの展示がある。
 霊宝館は「回」の字の構造になっている。順路は時計と反対まわりに建物内部を進む。
 宇多法皇の画像の描け軸の展示があったと記憶する。仁和寺は宇多法皇にゆかりが深いからであろう。
 最初のコーナー(建物の曲がり角)付近の展示には、徳川家光や江戸時代の仏像が展示されていた。束帯姿の家光の木像だ。江戸時代、特に家光の時代に再興されたため、家光像が安置されているようだ。
 現在、仁和寺の金堂となってい紫宸殿が移築されたのは家光の時代だったかな。

 国宝「阿弥陀如来像及び両脇侍像」は展示室の裏手、正面にあった。展示というよりも霊宝館(つまり宝物館)の開館以来、ここに安置して保管しているのだろう。
 かなり古びて、退色して黒ずんでいるが金色の阿弥陀如来像が中央に安置され、両脇に仏像がある。両方の脇の仏像は立っている姿である。長イスがあったのでしばし鑑賞する。
 阿弥陀如来像は、仏像そのものの高さは1メートルと少しくらいかな。後背を含めると高い。飛雲の模様?の金色の模様の刻まれた後背だ。両脇の金色の仏像はこぶりなので、立像であるが阿弥陀如来像より、少し高いくらい。
 春季名宝展「色とりどり絵画の魅力」の案内冊子の一ページ。 ↓

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 入館者は私のような男(野郎)の単独行が三人くらいいた。熟年の夫婦もいた。が、おっさん、あんちゃん(野郎)の単独行は、平均と比べて(おっさんの)私も含めて観覧時間が長い(笑)。

嵐山 散策 ~移動(京都国立博物館へ)

 2014.10.26

 嵐山の川のほとりを歩きます。え~と川の名前は・・・桂川でしょうか。大堰川ともいうようです。
実のところあまり来たことが無いので詳しくありません(苦笑)。

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 渡月橋に近付いてきました。今日も多くの人が歩いています。

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 私が修学旅行で来た頃はインターネットなどはありませんでした。携帯も無かった。「タレントの店」というのが流行していました。いつの頃まであったのでしょうか!?。現在ではすべて無くなっていると思います。
 洪水でも以前ニュースになりました。現在ではその痕跡はありません。この日の流れも静かで、氾濫したとは到底想像ができません。ただ、川の脇の水路の流れは水量が多いです。

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 上流の方向。時雨殿の方向。時雨殿の隣には新しいホテルが建設中でした。ホントに時雨殿は嵐山の街の突き当りに位置します。川沿いに更に上流に歩くことはできるようですが、車は入れません。新規建設中のホテルの上流側は駐車場や公園になっているようです。
 このときは、時間が無いので駅の方向に歩きました。
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 この後は、電車で北野白梅まで戻りました。駐車場から車を出庫し、東山七条の国立博物館に向かいます。
車で向かうとは無謀です。が、そうするより仕方ありませんでした
 どの道がすいているか、鴨川沿いの川端通りを行きました。三条から四条で渋滞です。失敗しました。知っている人にとっては当たり前かもしれませんが・・・・。宅配便の車など営業車両が路駐しているので、車線が狭くなり全然進みませんでした。
 実をいうと、下を地下鉄の通っている御所脇の通りは混んでいると誤解していました。たいてい、京都駅に向かうバスは御所の前から京都駅にかけて混雑している(と記憶していた)ので・・・・。
 堀川通り~西本願寺の道を南下すべきだったようです・・・・。
 結局、博物館の到着が16時15分頃となり、嵐山から一時間半近く所要しました・・・。

















 

世界遺産 天龍寺 庭園 見学記②

 2014.10.26

 世界遺産 天龍寺。「我が国最初の史跡及び特別名勝」と説明にあります。
 本堂は火災で焼けて再建されているため、天龍寺の一番のみどころは「庭園と池」ですね。
 本堂の前を歩いて曹源池を眺めます。本堂を過ぎ、川の対岸の山を池越し、遠くに眺めます。
 借景となっています。まだ10月なので紅葉にはまだまだです。あと一か月後くらいが見頃でしょうか。

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 池の中央部をアップ。
 後日テレビで見たのですが、庭園の池の対岸 中央部の石組は龍門の瀧と瀧を登って行く鯉の様子を表現したものだそうです。お寺の庭園解説のウェブサイトでもこの「龍門の瀧の鯉」については解説があるですが、ただ行って「あ~池と庭」があるな~と見るだけでは庭園に込められた深い意味を知ることはできません。

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 この訪問時は、「龍門の瀧」伝説にちなんだ石組の意味は知らなかったので、それよりも「まだ紅葉には早いな~。」と川の対岸の嵐山の借景の様子ばかりが気になっていました(苦笑)。

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 池の端から池の中央部。「龍門」の石組はアップで撮影していません。もっと由来を意識して庭園を観賞しなくてはいけませんでした(苦笑)。

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 本堂の前。この日は10月下旬とは思えないくらい暑いです。拝観者がさかんに庭園を撮影しています。更に混雑しているときは、本堂の縁側下の木のベンチというか長イスも人で一杯なのですが、このときは、そこまでの混雑ではありませんでした。

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 と七五三の撮影が。まだ10月なので少し早いですが、お参りです。よくよく考えると、ここはお寺で神社ではありません。記念の写真「前撮り」でしょうか。「世界遺産で七五三」のプレミアですね。

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 ウチの子ども達はすでに七五三を終えているので余裕のコメントです。「前撮りかな~。」と。下の子は前撮りは9月の下旬くらいでした。なぜ覚えているかというと、入院(学校は当然欠席)をして痩せた後に撮影したからです。入院はしたものの、症状はすでに軽くなっていて、毎日退屈していてベッドでゴロゴロしながらテレビを見ていたような記憶があります。痩せたのは病気のためではなく、間食ができなかったからだと思います(笑)。
 七五三を経験した親ならば知っていますが、実は9月の下旬(の前撮り)ではかなり遅いと思います。夏に入る前、梅雨の涼しい時期に前撮りを済ませておきます。上の子は6月に前撮りしたような記憶が・・・・・。そして11月に着物を借りて参拝をします。

 池を離れて山の庭園を歩きます。

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 山をぐるっと歩いて再び池の方向へ向かいます。斜面のモミジの様子。まだ青々としています。
 2011年12月に来たときは紅葉しており、地面は一面に落ちたモミジの葉で埋め尽くされていました。

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 精進料理のお店の側を通り、再び池を眺めて、出口へ向かいました。

 



















世界遺産 天龍寺 庭園 見学

 2014.10.26

 嵐山の駅を降り歩きます。まずは、定番の天龍寺へ。ここでご朱印をもらいます。天龍寺のご朱印は、スタンプを押す方式とのことで、通常は300円のところ200円でした。庭園にどの入場券の近くにご朱印所がありました。

 庭園前は非常に混雑しています。

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 なぜか正面の参道からではなく、脇の道から境内にアプローチしました(笑)。
大型バスが停車しています。東京にある私立中学の修学旅行でした。秋は旅行シーズンです。三年生の秋で修学旅行なのですが、中高一貫なので受験は無いのですね。
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 おなじみ天龍寺の入口(の内側)です。本堂をぐるっとう回して庭園に出るルートは変わっていません。

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 本堂の上もすごい人、人です・・・・。前回ここに来たのは2011年12月のこと。紅葉のピークでした。当時と比べると円安の影響が進んで、外国人が多いです。2011年4月にも京都に来たことがありますが、震災(放射能漏れ事故)の直後とあってか、当時は全くといってよいほど外国人がいなかったので、大きな変わりようです。
 気づいたのが、ロシア系と思われる人々が増えました。アジア圏、東欧圏ともに経済的に豊かになり、海外旅行に来る人が増えたのでしょう。ことロシアは日本と近いですし、オリエンタルというか、日本にも文化的にも親しみがあるのでしょうか。

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 庭園を眺めます。曹源池です。

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北野白梅~電車で嵐山へ

 2014.10.26

  「学問の神様」 北野天満宮へ参拝の後、下の子が「時雨殿に行きたい。」と言ってましたので今度は下の子の要望に沿うべく移動します。「時雨殿」とはどこにあるのか?、何の施設なのか??。私は下の子に言われるまで知りませんでした。(笑)
 
 北野白梅駅近くに車を停めます。そして、駅へ。切符を買って乗り込みます。
 IMG_1994電車の一番後ろに乗りました。出発するとすぐに次の駅です。

路線は路面電車のようです。
というより、もうひとつの線では路面を走っているところもありましたね。
































 (始発の)北野白梅駅の様子。行き止まりの駅です。どうして、北野が(京都市街地側の)始発終点で、その先の更に街中まで行っていないのかは分かりません。昔は京都市電か走っていたので市電時代は路面線になってもっと先までつながっていたと思います。(推測ですが) 市電廃止後に北野の駅も行き止まりに改造したような造りです。
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 途中駅ですれ違います。単線です。

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 仁和寺駅の先は丘の間の切り通しを走る期間もあります。思い出しましたが、この路線は修学旅行で来たときも乗ったことがありました。乗っている途中、車窓を見ながら「どこかで見た景色だな・・・・」と思いましたが、やがてあいまいな記憶は確信に変わりました(笑)。当時も受験の神様ということで、(短絡的に)北野神社にお参りをしたあと、嵐山にこの路線で移動したのでした(笑)。

 嵐山の駅に着きました。途中駅でもうひとつの路線に乗り継ぎしたので20分以上かかりました。北野からが北野線でいわば、分線でもうひとつが本線なのですね。基本的に北野線の電車は、途中駅(帷子の辻かたびらのつじ)で本線に乗継しないといけないようです。最初は駅の名前が読めませんでした・・・・・。
 修学旅行で最初に嵐山に来たときJRの駅ではなく、もっと嵐山の橋に近い駅で降りた記憶がありましたが、この記憶が蘇って来ました。北野から嵐山電鉄の電車に乗り、ここ嵐山電鉄の駅で降りたのですね(笑)。

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 嵐山電鉄の駅前付近。混んでいます。

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 桂川の方面。こちらも人で一杯です。どうして嵐山はいつも混んでいるのでしょうか?。
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