良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

京都(大徳寺及びその周辺)

 

大徳寺高桐院 曝涼展 見学2

(2015年10月11日) 平成27年秋 大徳寺曝涼展 見学2

 大徳寺の高桐院


はいた小柄なショートヘアの女の子。まじめそうな感じ。先に 方丈にもいた。
朱印を預けていたよう。
待っている間 玄関をふと見ると 永青文庫の起請文の世界のポスターが
すでに終了しています。

若い子がお盆で
お茶を運んだり、とあたあたしている。
看視の座布団に座ったり、立ったりと。

先に 茶室から見てしまった。探幽かの図や指定のない図画を一室で見る。
続いて 書院になっている。 更に進むと 別の茶室。 利休の茶室のような古いもの。
暗くてよく見えないが、忠興が作ったものか。

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次いで 本堂へ。
庭に出る。スリツパをはいて庭園に下りることが゜てきる。

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 庭の先に 幽齋の墓所があった。独立した石塔がある。次いで別の石で囲まれた
一角が 細川家当主の墓所。奥に 幽齋。江戸末期の当主まで石塔がある。

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先は庭から 茶室を撮影している女性もいたが。


本堂に戻る。

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本尊の仏壇の手前に 国宝が掛けてある。三つある。
そのうち二つが国宝の山水図。 指定ではない観音図が真ん中。
そのままつるしている。

看視のおじさんかが 若い女子に説明する。
便乗をして聞く。しかし 説明がないとわからない。
北宋時代の絵だそう。
左の山と川の絵には
李唐と 署名か隠れていたそうだ。

 「山水図」がかかっている室中の先には、庭園がある。
 ↓ 正面の燈籠。

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↓ 正面から庭に向かって、右方向。
  実は写真には、写っていないのだが、縁側には、たくさんの参拝者が座って、お庭を眺めている。

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大徳寺高桐院 曝涼展 見学1

(2015年10月11日) 平成27年秋 大徳寺曝涼展 見学1

 本坊(方丈)を出て、今度は同じ大徳寺の境内地にある塔頭の高桐院の曝涼展に向かう。

 ↓ 高桐院(こうとういん)の門の内側から。壁の向こう側が、境内内の砂利道の通路。


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 大徳寺の敷地内を歩く。「近衛家墓所」の前を過ぎる。以前、芳春院の見学記事にも書いたが、戦前の元首相・近衛文麿の墓もここにある。近代日本で活躍した、古代から続く稀代の名門貴族出の名宰相か、近代日本の敗戦、亡国の契機を造った愚宰相か、評価はかなり分かれるだろう・・・・・・・。
 高桐院は、言うまでも無く、江戸時代の大名、細川家の菩提所。文麿は、現代の細川家当主のご先祖でもあるし、密接な関係にある。

 ↓ 高桐院に向かう途中、少し先に歩いて、「龍翔寺」の前で。「専門道場」とあるので、特に拝観寺院ではなく、修行道場として使用されているよう。研修施設みたいな場所かな。


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↓ 高桐院の敷地の周囲の竹垣。昔からそうだが、この一角だけ竹に囲まれている。深い緑の奥に高桐院があるイメージ。

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↓ 高桐院の敷地の角地にある石碑。南の道路方向に向けて、搭頭の並び順番に院名が刻まれている。
 大光院が、一番南、現在でいう自動車道路に近い場所にある。
 

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 門を入り、更に、曲がった先に延びる通路。このアングルは、京都でも非常に有名だ。通路で撮影待ちの人もいる。カメラを構えている人が多数。
私もここに入るのは、10年ぶりだ。
 昨年の秋にも、この前の通路を通った(入場せず)が、紅葉の一番美しい時期であった。あのときは、撮影の人が門の外まであふれて、たくさんいた。
 この日は、10月の上旬なので、紅葉には、かなり早い。まだ緑色の苔と木々の緑の葉。「晩夏」の如く緑色だ。

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 曲がった先にある門。外の門から、ここまで二回、直角に曲がり、石畳を歩く必要がある。
 10年ぶりなので、すっかり忘れていた。

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 石畳の道を振り返る。数名カメラを構えている。両側の苔の緑が映える。

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  誰も歩いていない状況で撮影するのは、曝涼展が開催されるこの日ではほぼ不可能だ。


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 入り口までやって来た。券を売るのは、1人のみ・・・・。販売窓口が小さい・・・・。女の子が一人で対応している。狭い玄関、靴を脱いで上がるのだが、下駄箱の脇に、数名の列が出来ている。朱印を依頼する人もいる・・・。その人達には名前を聞いて、帳面を預かっている。朱印帳を預かるのに、時間がかかるし、また、ワタシの前のカップルは、お茶券はあとで払うことが出来るのか、今だけなのか、とくどくど窓口の女の子に聞いたりして、なかなか列が進まない。要は、今買わずに、あとで気が変わったら、お茶券を買うことができるのか、と聞きたいのだ。結局、女が「じゃ、今ここでお茶もお支払します」と・・・・。「お支払い・・・」といかにも勿体ぶった言い方・・・。ワタシの頭に残って、今でも離れない・・・・。お茶なぞ、ナンボでもええやんけ、はよ男が払えや、男見せ~や、後ろの人の列のこと考え~や(間違っている京都弁)、とは言えまへんな~(笑)。

 ↓ あとから、庭におりて撮影した、入口付近の様子。
   左に茶室などがある書院。右の廊下を伝うと本堂がある。解説のパンフには「客殿」とある。

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 書院の展示室の縁側。茶室に続いている。

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 縁側から見た、お庭の様子。


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私のうろしには 黒いリクスとパンツを
はいた小柄なショートヘアの女の子。まじめそうな感じ。先に 方丈にもいた。
朱印を預けていたよう。
待っている間 玄関をふと見ると 永青文庫の起請文の世界のポスターが
すでに終了しています。

若い子がお盆で
お茶を運んだり、とあたあたしている。
看視の座布団に座ったり、立ったりと。

先に 茶室から見てしまった。探幽かの図や指定のない図画を一室で見る。
続いて 書院になっている。 更に進むと 別の茶室。 利休の茶室のような古いもの。黒い壁が印象的。


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暗くてよく見えないが、忠興が作ったものか。



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 庭から見た書院。


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 ↓ 書院の展示室の様子。

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平成27年秋 大徳寺曝涼展 見学1

(2015年10月11日) 平成27年秋 大徳寺曝涼展 見学1

 

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本坊に入る。入口で1300円支払う。

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お菓子のアルミ箱にお金を入れている。
おつり用に 小銭を 200 700 400
つんで と用意している。 



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入口で靴を脱ぐ 改めて見ると 庫裏、つまり大所で靴をぬぐ場所にかまどの穴が開いている。
黒くすすけている。崩れるので壁には触れないでくださいと張り紙がある。



続いて 木の板の部屋。 ソファもおいてある。
壁の上に前にも見た。 寄進者の木の札。高いところにあり、暗くてよく見えない。
その右にトイレがある。
写真は禁止。
続いて 本坊前の廊下に。庭園が広がっている。
庭園に面した縁側の 上に 同じ派の寺が掲示してある。
別格
一等地 などとランクがついている。
塔頭がすべて別格ではない。
小田原の早雲時は格の高い寺のよう。

荷物を預ける。
文化財に触れないようにきわつけて下さいと盛んに注意している。

本坊は学生の係は今回
はいない。
お寺の人と企画会社の人が案内看視をしている。
真ん中のふすまは外してある。

天井からつるしているのみ。
しかし、触ってはいけない。

パウチをした説明が畳の上においていある。
図録わもっていたので、見ながら見学。
図録とパウチの説明は同じ。毎年同じ 説明文を使用しているよう。

若い人も多い。カプルも多い。先のカップルとはほとんどずっと同じスピートで
回っていた。年配の人も多い。
部屋の中には常に数十人いる感じ。
庭に面して四室ある。 すべて 上から掛け軸わつるしている。
ならびはほぼ 図録通り。最初 
は武将の肖像画。


































北山 京都府総合資料館~北大路~大徳寺 移動

(2015年10月11日) 平成27年秋 大徳寺曝涼展 見学1

 大徳寺に向かうよりも先に、京都府総合資料館を見学した。

 同資料館の敷地を出て、北山の駅へ歩く。と、雨がぽつりと降ってきた。これは 大徳寺の曝涼展は、どうかなぁ、と心配になる・・・・。
 空は曇っているが、西の空はうっすらと明るい。が、青空は見えない。天候は回復するとよんでいたが、うーん違うな~。
 ともかく、「来た以上、行かなきゃ仕方ない」ということで、北大路駅へ地下鉄で一駅だけ移動する。

 北大路は南の出口がバスターミナルに近いので、北山駅も 端の入口から乗ることにする。道に沿って、北山駅の地上出入り口まで歩く。地上の道路は並木道で、「どこかで見たことがあるなぁ~」と思う。そうだ、京都の駅伝で見たことのあるような沿道の風景・・・・。
 総合資料館の裏手には、陶器博物館がある。歩道に面して、入場券売り場がある。また、敷地内には、府立植物園もある。府立大といい、府立施設がここに集中していることが分かった。京都府の土地なので、府立大もあれば、府立総合資料館、府立植物園がある訳で。

 ↓ 総合資料館の北側の道路。格子状の街並みであることが分かる。北、写真の道の先には、上賀茂神社などがある方向なのだが、判別できない。どこまでも閑静な住宅、ビル街が続いている感じ。

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 地下鉄駅の付近の地図を見ると、ここから洛北高校も近い。地下鉄は、北山駅から北大路駅へは、大きくカーブして線路が通っている。すると、カーブの曲線をまっすぐに直線で進めば、歩いても北大路駅に行くことは可能だ。よって、ここ北山駅から直線距離では、遠くはないのだとわかる。
 先に見た、地下鉄を降りて歩いてどこかに向かっていた学生(らしき若い人)は、府立大の学生なのだろうか。
歩道を自転車で通る子も学生のようだ。学生の街ですね。


 11:35に北大路駅に着く。改札を出ると、早速食事場所を探すことにする。北大路周辺で簡単に食べる所を私は知らないのだ・・・・・。ターミナル上のビルのテナントにはファミレスがあるが・・・・。 

 ↓ 交差点の反対から見た「北大路ターミナルのビル」
  実はこの写真でいうと、左の方向に「大谷大学博物館」のロゴのある新しい建物が目に入った。
  以前は無かった筈だが・・・。新しく建てたようだ。ここに博物館があるとは知らなかった。

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 と「マクド」の看板を見つける。 地下鉄の通路を登って地上に出て、すぐとある。 長い地下通路を通り、交差点の反対に出た。と、マクドのにおいがする・・・。と、隣に王将の店があった。そこで「マクド」はやめて王将に入る。
 ↓ 地下通路。

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 正午前なので、まだ店内はすいている。私は単独なので、カウンター席に座る。何にしようかとメニューを見る。ここの店の独自メニューがあるのではないかな、店内の壁の張り紙などを見る。と、メニューに「北大路セット」があったので注文する。
 北大路定食890円は税別、消費税込みで961円だった。料理は、比較的早くでてきた。モチロン、食事の写真は撮影していない。内容としては、天津飯(たまごあんかけ)、エビチリ、スープ、千切り生キャベツと鳥から揚げ二個がある。デザートとしてみつまめも量はさほど多くないがついている。
 結構食べた。が、この日夕方六時頃には再び空腹となったのだが・・・・・・。
 


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 店内も正午を過ぎて、だんだん混雑してきた。バイトもシフト時間か正午前にやってくる。あんかけのたれ、エゾチリのタレまで食べるというか、残さずきれいに吸った(笑)。
 店を出る。商店街のアーケードの外へ手を出して、雨を確認。雨は降っていない。どうやら、お天気はもちそうだ。空を見ると、雲も薄くなっている。薄日だ。きっと、曝涼展は開催されているな、と思い、バスターミナルへ行く。

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 地下に入り。また、バスのホームへ上がる。北大路バスターミナルは、その構造がわかりにくい。

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 大徳寺方面へりバスは、すくせに来た。12:09に大徳寺前のバス停で下りる。昨年の10月に来てから、ほぼ一年ぶりだ。
 道路を渡り、山門まで歩く。駐車場は入庫待ちの車が並んでいる。京都ではなく、多摩ナンバーの車もあった。
泉仙は行列はしていないが、中に人がいる。
 大徳寺納豆の店の前では、前買った店のおばあさんが店頭に建って、この日も盛んに商品の説明をしている。


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 門前のお店の様子。駐車場前には入庫待ちの車が。

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 大徳寺の正門から入る。(実際には、正門と呼ぶのかは知らないが・・・・・。)本日の大徳寺は、人が多い。曝涼展は開催している。門にも「大徳寺 什宝(国宝 重文)」「曝涼 むしぼし」と看板が出ていた。「什宝(ジュウホウ)」という呼称は知らなかった。
 門を入り、境内の石畳の道を歩く。観光ツアーのシールを張った人たちが歩いていたりする。一年に一度の行事(公開)を見るため賑わっている。「クラブツーリズム」のシールを貼った人も。このツアーは半月前に行った、「知床」でも見た。ここ、京都でも遭遇です。全国各地でツアーを実施していますね(笑)。


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大徳寺 黄梅院 特別公開(説明を聞く)

 2014年11月23日

 大徳寺 黄梅院 2014年秋の特別公開。

 更に内側の門を入り、玄関のような所で靴を脱ぎます。庭のまわりの壁沿いに長い屋根付の廊下を進みます。拝観用に造作したのでしょう。ガラス張りの廊下をスッスッ歩いて、ぐるって庭の外周を半周するような感じです。


 最初の堂で次のような説明がありました。「京都春秋」の名札をした女性が説明員です。
 なお、( )内は筆者の註です。
「ここは、書院。前面(茶室のような茅葺?の小さな建物)は直中庵。『じきちゅうあん。』と千利休66歳のときの作庭の庭。

(庭には一面の苔が生えている。)真ん中にひょうたんのからの池。秀吉の馬印からとった。
秀吉に利休がつかえていたから。この大徳寺には秀吉の母もまつっている。

母をお参りするため、大徳寺にくるたびに、三門に安置した利休の像を秀吉が
くぐるのに怒ったことも切腹の原因のひとつ。
左の(と、茶室のの建物を指し、)灯篭は、加藤清正が(朝鮮出兵の際に)持ち帰ったといわれる 朝鮮灯篭。」


 と、メガネをかけた普段着の女性が苔の庭に水やりをしています。苔の庭の手入れをしているようです。説明や拝観者の群れを気にする様子もなく、いらっしゃいと歓迎するでもなく、ただ水やりをしています。お寺の関係者、もしかしたらここの娘さんかなと思いました。

奥の部屋を振り向いて見ます。
「(この部屋は)茶室の『作夢軒』(さくむけん)。武野じょうおう。利休の茶の師の作。
四畳半の簡素なつくり。ここ黄梅院には、全部で11の茶室がある。」


続いて、渡り廊下でつながった別の建物へ。
「ここは本堂。旦那の間、本尊の釈迦如来像をまつっている。
(本堂の前の庭は)破頭庭。
目の前は白砂(しらすな)でも、色が違う。
完全な白砂ではない・・・。白川の砂と硅石の砂もあり、キラキラ光るようになっている。

真ん中の、石がふたつ、長い石と短い石は観音様? で仲良く並んだ人をあらわす。
(たしかに親子のように見える石です。写真撮影は禁止なのですが、黄梅院の特別公開告知サイトなどには、写真のアップがあるので参考までに見てください。ほほえんで寄り添っている親子のように見えます。)

 向かって左手の平たい石は、人間の抑えられた煩悩をあらわす。(平たい、といってもほとんど庭に埋められて、少しだけ石の部分がでているような感じ・・・。)
奥の緑の植え込みは大陸を、右側の横になった長い石は大海を渡る舟をあらわす。
(本堂から向かって左手にある門は)勅使門、普段は使用しない。

襖絵は、うんこくとうがん=『雲谷等顔』の水墨画。
竹林七賢の絵で、禅宗の寺の襖絵にはよく描かれる。

西湖 中国の風景を描いた。

端の部屋は、『礼の間』・・・芦雁図(そのまんま動物の雁と植物の芦の図です。)があるが、
いずれも複製品。」
 

 本堂の横の(附属して繋がっているような建物)庫裏では住職が御朱印を書いています。
一人300円。と、住職の横で顔の輪郭の似た若い女性が手伝いを始めました。御朱印をお願いする拝観者からお金を受け取って、おつりを渡しています。先程、苔の庭に水やりをしていた女性です。恐らく住職の娘さんでありましょう。先に入口で入場券の販売を取り仕切っていたチーフ格のような女性とも顔が似ていいます。この女性の母親くらいの年齢でした。受付の女性は住職の妻で、お金の管理を仕切っているのでしょう。
 と、小学生一年くらいの女の子が御朱印帳を抱えて、きちんと正座をして御朱印待ちをしています。下の子は、明らかに自分よりも学年が下の子が御朱印帳を持っていることに対抗意識が芽生えたのでしょう。「ウチも御朱印帳始めようかな。・・・まだ早いか・・・・。」とのたまいます・・・。寺社仏閣に行くのは「興味ない。」とブータれているとが多いのにもかかわらずです(笑)。


更に庫裡に進みます。本堂と付随しているような造りです。ここにも説明員がひとりいます。

「(ここは)玄関、台所で炊事をしていた場所。
ここは最古の庫裏のひとつ。小早川隆景の寄進で建築された。
忙しく仕事をしなさいということで、
大黒天をまつっている。
釜や竈が、並んでいる。」そうです。

本堂の裏、先の堂のウラも通り、茶室の『作夢軒』の近くを通り、渡り廊下を歩き、秀吉のひようたんの池の前を通り、屋根付きの渡り廊下を延々と歩いて元へ戻りました。
そして、退出します。



大徳寺 黄梅院 特別公開 (前庭の紅葉)

 2014年11月23日

 紅葉たけなわの京都 紫野の大徳寺。境内を歩き、黄梅院までやってきました。門の所に特別公開の受付があります。小さい机を出して女性が三人くらい拝観券の販売とお金の収受をしています。私達も入場します。

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 門を入ると正面に庫裡と思われる大きな建物があります。禅宗のお寺によく見られるタイプの三角尾根が特徴的な庫裡建築です。もっとも、妙法院門跡は天台宗で禅宗ではありませんが、最大級の国宝庫裡もほぼ同じような建築と思います。禅宗のお寺に限るわけでは無いのですね。(よく知りませんが。)
 拝観客は、庫裡の前庭にカメラを構えて撮影しています。
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 ここ黄梅院では、庫裡から建物内には入場はせず、庭園に通じる別の門から更に先に進みます。門の脇には、「蒲生氏郷」や「小早川隆景」などの墓所があると示す石碑があります。そうそうたる戦国武将の面々ゆかりのお寺のようです。

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 庫裡付近のモミジの紅葉の様子。完全に色づいてはいないようです。写真には写っていませんが、周囲は撮影する拝観者で賑わっています。
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 順路に進む門の付近の紅葉の様子。門の脇に「蒲生氏郷」などの石碑が見えます。
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 庫裡の横のモミジも見事でした。写真で見るよりも、実物は美しかったです。緑と赤のコントラストは、実際に見てみると写真よりも美しい。庫裡の奥に壁がつづいていて、その一番奥に小門がありますが、本堂の庭園に続く門のようです。

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 アップで撮影。やはり、腕前が・・・・(笑)。
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 別の角度から(本堂庭園に続くと思われる門)を撮影。
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 地面に落ちたモミジの葉。「苔」も非常に手入れされています。よく見ると苔も一様ではなく、苔寺のように何種類もあるようです。丹念に水をまいて苔の手入れもしているのでしょう。

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大徳寺境内 正受院(外観のみ)など

 2014年11月23日

  大徳寺「芳春院 秋の定期拝観」を見終え、本坊の前を通ります。この日は本坊の特別公開は無く、人の出入りはありません。 
 境内を次の公開中の塔頭「黄梅院」へ歩きます。子供心にも、戦国時代や安土桃山時代などの歴史とここ大徳寺が深く関係していることがわかったのでしょう。
下の子が「歴史マンガ」で読んだのであろう関ヶ原の合戦などの話をしだすと、「ここが石田三成のお墓があるところだよ。」と 三玄院の前で言いました。と「え~。そうなの?」と不思議そうにしていました。
多分「石田三成 墓所」と石碑があるので実は、先にそれが目に入って「何か関係あるな。何となく昔のことと関係があるな」と感づいたのでしょう。

 DSC01010三玄院の隣には、「正受院」がありました。ともに普段は拝観謝絶の塔頭ですが、正受院ではピアノ教室を開催しているようでその告知が貼ってありました。






















 更に境内を歩き、黄梅院までやってきました。共通券もありますが、他は見学したことがあるので本日はここのみとします。

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 参道。上の写真にある「特別公開中」のブルーの看板が写っています。
 初めてここ大徳寺に来たときは、バス停を下り、この参道を歩みました。教科書などでおなじみの大仙院のみ見学し、再びバス停に戻るため戻り、この参道の途中で休憩をしました。とある塔頭(その頃はたっちゅうという言葉を知らなかった・・・。)から出てきた黒い袈裟のお坊さんが「こんにちわ。」と。「こんにちわ」と返すとお坊さんは「よう来たな。」と声をかけてくれました。ありがたいことですね。
 あの当時とここの参道はちっとも変っていません。数百年ほとんどかわっていないように。年を重ねた私は随分と変わりましたが・・・。あのお坊さんが出てきた塔頭はどこだったのでしょうか。そこの住職だったのか、関係者の僧侶なののか、または本坊のお坊さんだったのか・・・、今となっては知る由はありません。
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大徳寺境内 如意庵、龍泉庵 付近参道

 2014年11月23日

  「芳春院 秋の定期拝観」
 参道脇の植え込み。見事なモミジです。土壁の向こうは、別の塔頭「如意庵」のようです。

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 参道から分岐して更に別の塔頭への細い道が・・・・。
 先の芳春院の説明では「二十二」の塔頭があるとのことでした。そのひとつでしょうか。私は今まで「二十四」と思っていました。実際には数えたことはありませんが・・・・。
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 先の門まで戻りました。表札をよくよく見ると「芳春院」と「如意庵」のふたつがかかっています。

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 参道付近の美しいモミジの紅葉をお楽しみください。(笑)。撮影者のウデはイマイチですが。(笑)
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大徳寺 芳春院 秋の定期拝観(本堂、呑湖閣などの説明)

 2014年11月23日、この日は三連休の中日です。
 「芳春院 秋の定期拝観」にやって来ました。

 参道を進み、受付近くにある芳春院の門。拝観券を買ったのち、ここから入ります。

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 更に門があります。この先が本堂前の枯山水庭園になっています。
 写真撮影は禁止で、写真を撮影できるのはここまでのようです。この門を入り、靴を脱いで庭を見ながらお堂に上がります。


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 本堂の内部に入ります。仏壇前の畳の部屋です。正座をして説明が始まるのを待ちます。説明員は数名待機していて、交代で説明をしてくださいます。
やがて60歳くらいの女性が説明をはじめます。箇条書きにすると・・・(記憶違いは結構ありますが・・・)

「・・・・『芳春院』は、利家夫人のまつの法名。大徳寺の中で唯一 女性を開基とする。前田家の菩提寺。

ここは、本堂。真ん中が本尊。(仏像名は忘れた。筆者註。)
 向かって右が、開祖王室和尚の像。左はまつの像。
10年ほど前に(まつが)大河ドラマの主人公となり、(実は)そのときに新たに制作されたもの。
仏壇の下の絵は桔梗。まつは桔梗の花が好きだった。・・・・・。」

 確かに、本堂の仏壇の下には桔梗の花の絵がいくつも描かれています。桔梗の花は青い色をしています。おそらく日本画の技法で描いたのでしょう。ただ、色彩が鮮やかなので近年書き直されたか修復されたものでしょう。
 ここは、総見院の裏に当たります。昨年春に行った総見院のお堂とおぼしき建物の裏側もここの本堂から見えます。『桔梗』は信長にとって仇敵以外の何物でもありません。明智光秀の家紋ですから。なぜ、「まつの方」は桔梗をわざわざ描いたのでしょうか。まるで総見院殿(信長)のうしろ(裏)から、桔梗の花で脅しているのでないか、とも思いました。建築年代は総見院が先、ここ芳春院は、利家が死亡し、「まつ」が出家したあと、おそらく関ヶ原の合戦の前後の時代でしょうから、恐らく秀頼、淀君または家康の了解を得て建立したはずです。秀吉が生きている時代でしたら、桔梗を描くなど決して許さなかったでしょう。描いたとしても、もし秀吉が知ったら激怒するかも知れません。それこそ、ここ大徳寺の山門の像が切腹の理由のひとつになった利休の二の舞にもなりかねませんし・・・。「まつ」自身は大名ではありませんが。当然のことながら利休の切腹の理由も「まつ」は知っているはずです。
 何らかの意図があってのことでしょうか。前田家の家紋は桔梗ではないでしょうに・・・・・。もっとも桔梗は古来、一般的に愛でられた花であるので、特に深い意味は無し、といったところでしょうか・・・。

説明は続きます。
「正面の庭(南向き)の説明。・・・・。枯山水です。(詳細は忘れた)
応仁の乱で京都の街や寺はほとんど焼けた。大徳寺で秀吉が信長の葬儀を行って再興した。
秀吉は時の権力者。それにあやかって、戦国大名が塔頭(子院)を次々に寄進した。
本堂と三門があるのまわりに(塔頭が)次々に建てていった。開山堂が大徳寺にはない。禅宗の寺には開山堂があるが。(理由は忘れた)
 ここは、大徳寺の一番北にある塔頭。22の塔頭があるが最後のほうにできた。
本堂に近いところから立てていった。ので一番北なってしまった。ここからみる景色は電柱やビルなどがない。
400年前とほとんど変わらない風景。京都は北のほうが標高が高いため東寺の五重塔57メートル
とほぼおなじ高さになっている。(この点は、昨年春に聞いた、総見院の説明とほぼ同じ。)


 京都の大きなお寺には、塔頭があり、つまり子院です。実は 枯山水の庭で有名な龍安寺は、妙心寺の塔頭。金閣寺と銀閣寺も同様に『しょうこくじ』の塔頭。塔頭のほうが世界遺産に登録されて有名になってしまった。

 前の庭は枯れ山水。大海に水が流れ込む様わあらわしている。」

 本堂と庭の前での説明を終わり、時計まわりに堂の縁側を回ります。本堂の北側には池があり、池に西、境内の端にあたると思われる場所に二階建ての観音堂のような建物が目に飛び込んできました。これが、名高い「呑湖閣」なのだと分かりました。銀閣と比べても小さいですし、飛雲閣と比べても遥かに小さい。道理で、大仙院など通常拝観できるエリアから見えない訳だと理解できました。
説明つづき。

 「これは、呑湖閣 のんこかく。 京都四閣のひとつ。湖とは琵琶湖のこと。この二階に上ると、比叡山がよく見える。その向うには琵琶湖があり、池を琵琶湖に見立て、その琵琶湖を?みこむように・・・・との意味。
本堂から閣につながる橋は、打月橋。池の説明。池の名は、飽雲池。・・・。

 池をはさんで、呑湖閣の東、本堂とは北への廊下で建物につながっている家屋があります。ガラスの窓が入っています。
「京都大学に在籍していた当時の近衛文麿がここで勉強をしていた。」そうです。ここは前田家の菩提寺、文麿の母(とその妹である継母、ただし関係はよくなかったようだが・・・)は前田慶寧の娘ですから、その縁ですね。
 先ほどその門の前を通った近衛家墓所に文麿の墓もあるはずですから、「青春」と「終の」棲家はここ大徳寺といったところでしょうか。

 本堂の東でも説明ありました。そして本堂に戻り、説明は終わりです。


 写真撮影は禁止だが、拝観者は、デジカメや携帯、スマホを取り出して呑湖閣などを結構とっています。説明を聞いているのは二十人以上はいます。説明の人はこの女性一人だけで、説明で手一杯なのか、気が付かないのか特に注意しません。そのため、呑湖閣の写真も皆バシバシ撮影していました・・・・・。
 さすが・・・・ですね・・・。「まあ、ええわ。知らんかったわ。」というのが言い訳でしょうか・・・・。

 外国人も数人入ってきます。デカいカメラをもって、入ってくるなり、本堂の庭を撮影しようとしたり・・・・。「No Pfoto」などイラストや英語で目立つように告知していない(?)ためでしょうか・・・。「撮影禁止」の文字は日本人には分かりますが、漢字で大きく書いても外国人にはなんのこっちゃ分かりまへんな・・・。









大徳寺 芳春院 秋の定期拝観

 2014年11月23日、この日は三連休の中日です。
 大徳寺の境内。
  玉林院を過ぎると、隣の塔頭の入口付近はカメラを持った人達で賑わっています。「京都の紅葉」に詳しい方ならば皆さん知っていますが、高桐院の入口です。このとき、写真は写していませんが、京都の紅葉の名所として知られていますね。
 例の玉砂利の大通りを出て、東へ曲り、近衛家墓所の門の前を先に更に進み、大仙院の前までやってくると、更にその先に芳春院の門が。
 真珠庵の入口もすぐ近く(というより、大仙院の傍らですが・・・。)なので、ここに来るのは(真珠庵の特別公開のとき以来)一年半ぶりです。下の子は(たった一年半前の特別公開の拝観も)全く覚えていないようです・・・・・。(笑)。
 看板には「芳春院 秋の定期拝観」とあります。「特別公開」とは言わないようです。毎年秋の11月10日-30日頃の日程で公開されているので、芳春院では「定期拝観」というのでしょう。
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 ↓ 定期拝観の看板。本堂前の庭園の端の写真だったように思います。
  後日の記事でも書きますが、写真撮影は禁止だったので忘れてしまいました。
 
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 門を入り、更に参道を進みます。松ともみじが植えられています。

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 参道に面したこの門は、芳春院の門と勘違いしましたが、隣の塔頭「如意庵」のようです。

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 芳春院への参道から更に得た分かれし、別の塔頭「龍泉庵」? の入口へ向かう石畳の参道。

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 参道を進んで、振り返って撮影。先ほどの門が少し写っています。

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 参道の一番奥。拝観券売り場までやてきました。紅葉が美しいです。
 芳春院は、写真正面の土壁の向こうが本堂でした。

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大徳寺 境内、玉林院(外観のみ)

 2014年11月23日、この日は三連休の中日です。
 天上の王国、その名も「ザリガニ王国」をあとに、下界に下りてきました。(笑)

 比叡山ハイウエイのゲートを出るときに料金を支払ました。朝とは逆方向、京都市内へカーブの道を下ります。ここは三年前の春に初めて比叡山に来たときに、京都市内から登ってきた道路です。今日は逆に下って行きます。白川のラジウム温泉を過ぎ、市内に入ります。家々が立ち並んでいて、道も狭いし、運転には注意です。

 40分弱で、大徳寺付近に着いたでしょうか。しかし、境内内の駐車場は入場待ちの車列が・・・。
仕方なく、ぐるっと境内地を一周してコインパークを探します。しかし、見つかりません。今宮神社付近のコインパークも満車。見ると、今宮神社は大混雑。何かのお祭りか行事か七五三のようです。さらに車を回し、建勲神社近くを回り、ようやく開いているコインPを見つけました。結局は道路を挟んで南側の比較的近いところに停めることができました。ホッ。

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 大徳寺付近の道路。10月に来たときにバスを待っていた道路です。
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 横断歩道を渡り、写真中央の道を通り境内へ。前回来たときもこの道を通りました。昔はこの付近も境内地だったのでしょうが、都市化のため、いつのまにか住宅地や道路に変わっていったのでしょう。

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 道沿いの龍光院の門。正門ではなく、敷地の横の門のようです。相変わらず門を閉ざしています。


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 龍光院の正面入り口の門。もみじが美しく紅葉しています。門扉が開いています。関係者の訪問のため開いているのでしょうか。
 写真左の小道(龍光院横で舗装道路は行き止まり。)には、時々タクシーが入ってきたり、黒塗りの車や高級車が停まっていることがありました。
龍光院とは限らず、大徳寺の塔頭各所に法要などの用がある方々の「お車」なのでしょう。おそらくこうした方々のご先祖様は「結構なお方」でしょう。そして、現代も政界財界などで、それなりの地位にある方が多いのではないでしょうか。

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 門が開いています。
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 更に歩いて「玉林院」まで来ました。写真には写っていませんが、「京都○○大学茶道部」と小さな張り紙があれりました。お茶会がここで開催されているようです。一般客お断りとは書いていませんし、反対に一般客歓迎とは書いてありません。OBOGや招待客のために張り紙をしているのかは分かりません。
 ここは保育園になっているようです。門の内側には、車がとまっていて、園舎のような建物がありました。拝観用に整備はされていません。以前、「京都冬のたび」などて公開もあったようです。園舎のような建物も、使用しているかは分かりません。この日は無人でした。
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 門を入り、園舎?の前を通り更に進むと、再び門と壁が。「重要文化財 玉林院」の看板。私が見たときは、出入りする人は皆無でした。中では茶会を開催していると思いますが、静寂につつまれていました。
 
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大徳寺 塔頭 瑞源院跡

 2014.10.5

 孤篷庵の見学を終え、元の道を戻ります。庵と高校の敷地の間の藪の一角に小さい石碑がありました。
「瑞源院跡」とあります。おそらくは、紫野高校の敷地のほとんどは瑞源院の境内地ではなかったのでしょうか。明治以降の廃仏毀釈などで廃絶したのでしょうか。寺院の跡地が公有地や学校用地、住宅地になっていって現代に至ったのでしょう。DSC00505




















 一緒の組で見学した人達も三々五々散っていきます。今宮神社の参道方面へ元来た道を下ります。
 右は紫野高校の敷地、左は高校のグラウンドやテニスコート。グラウンドも昔は大徳寺の塔頭など寺院があったのかも知れません。孤篷庵も昔はもっと敷地が広かったといいますから。
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 大徳寺の本坊でも特別公開を実施しています。先の孤篷庵でセットの入場券を買えば割引価格になりますし、本坊を先に見学した人は提示すれば、孤篷庵が割引になりました。本坊は、昨年の春に特別公開で見たことがあるため行きませんでした。前回の特別公開時とは別の本坊内の堂宇も公開されているようですが・・・・。まずは、年に一回の「虫干し」に行くべきでしょうか。本年もこの日からちょうど一週間後の日曜日に開催予定なのですが、さすがに来ることはできないため、来年以降の課題とします。気長に機会を待ちます・・・。

 「建勲神社」の交差点付近。バス亭でバスを待ちます。と、先ほど同じ組だった20台の社会人とおぼしきカップルが歩いて来ました。そのまま大徳寺前の信号の方へ歩いて行ってしまいました。(だから何だということはないのですがね。笑。)IMG_1930



















 
 ここからバスに乗り、国立博物館方面へ移動しました。

(追加)
 京都観光のサイトを見ると「瑞源院跡」の石碑の別の面には「大光院跡」とも刻印されているそうです。石碑の東側にある紫野高校の付近には、現在龍光院の隣にある大光院があり、グラウンドやテニスコート付近に瑞源院があったのでしょうか。
 















大徳寺 孤篷庵 特別公開 見学(忘筌、直入軒及び山雲床)

 2014.10.5
 
 次の部屋に入ると「赤い番号札」を回収されました。
  
 説明が始まります。ここは「忘筌(ぼうせん)」。なんと、本堂に続くこの部屋が「忘筌」でした。
ボウ・・・・は忘れるの意味。
セン・・・・は、 ・・・・。(詳細は忘れた・・・。笑)
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 忘筌の造りは、西に向いている。
 障子は、西日をさえぎるように(上半分に)なっている。(下が空いている)。西向きの茶室は珍しい。直入軒が障子の向こう、向かって右側に見える。茶聖といわれる利休は、にじり口を作って、身分の高い者でも頭を下げさせた。が、ここは、会釈するていどで、障子をくぐって入ってくることができる。利休は、堺の商人だったが、遠州は武士だったので、頭を下げさせる必要はなかった。
 では、忘筌でお茶はどこで入れるか?遠州は、部屋の奥、床の間の横にすわった。床の間の横にも窓が空いており、庭と床の間(の飾りなど)の両方を主人の遠州が見ることができる自分に贅沢なつくりになっている。
 天井は「砂ずり天井」。貝を粉にした漆喰、障壁画も白に探幽の水墨画。床は貼付け壁。完成したときは一面「白」だった。西から太陽光線があたり、波がゆらいでいるように見える。また、柱は釘隠しがついている。
 ちなみに、利休は「黒」がシンボルカラーだった。

 庭の手前の手水鉢は「結露」と刻む。
 ウサギの耳を「結露耳」という、「ぼうせん」と対句になっている。(この意味は理解できませんでした。)
 灯篭は、上は唐、中国のもの、中は天竺、インドのもの・・・と三段重ねている。外国からよいものをもってきている。 

 松花堂昭乗の話がありました。・・・・・が、内容は、忘れました。(笑)
 昭乗が作庭や設計にアドバイスした?。交流があってここに招かれた?。お茶の仲間だった?のような話だったような・・・・・。ともかく、遠州にとって重要な役割を果たした人物で、松花堂弁当の語源にもなったといわれる人だそうです。

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 次は「直入軒と山雲床。初公開です。・・・・」と説明があります。少人数で順番に順番に直入軒(じきにゅうけん)へ。通路が狭いので壁や柱、襖、障子などに触らないようにと改めて注意が。
 
 ここは、遠州が生活した部屋で二間(ふたま)あります。見学者は座って説明を聞く。座って、南の庭を眺めます。
 と、例の青い服の女性(と連れの女性)が私斜め前で正座しています。私の座ったところからは、柱の陰になって、直入軒の南庭の様子はよく見えない。と、同行の女性がその人(青い服の女性)に「どうぞ」と座ったまま庭園を見やすい位置に移動するよう勧めます。もちろん私に声をかけてくれたわけではないので、私は首を伸ばして、庭を見るしかありませんでした。
 青い服の女性は上着のすそ、というかパンツの丈が短いようで、座ると腰の部分がまくれて背面のパンストが丸見え。狭い部屋に人が集まっている中でこの姿はよくないと思うのですが、気付かない模様というか、気づいていてもいかんともしがたいのでしょう。そういう服なのですから・・・・。私が言うわけにはいきませんので、黙っておきました・・・・。
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 生涯で400回は茶会を開いたといわれる。最後は死の五日前に大阪で開いた。ここで69歳の生涯を綴じた。
(現在の建物は、火災で焼けた後の再建)墓所もここにある。小堀家の菩提寺である。


 山雲床(さんうんのじょう)は、四畳半。
 龍光院(りょうこういん)の密庵(みったん)席をもとに、松平不味が(再建のときに)建てたともいわれる。へん額「山雲床」は、こちら(直入軒の部屋)から見えない、反対の天井にある。北側に入口がある。ここから入ってくる。軒の前の庭は、南に面している。
 ツツジの花は、丸くきっている。遠くを大きく、手前を小さくしている。遠州は、近江の出身なので庭には、近江八景の風景を取り入れている。


 狭いのでさわったり、キズつけたりしないよう住職から言われている。公開も残り五日で、傷付けることのないように(お返し)したい。
 遠州は近江の長浜の人。1579年生まれ。遠州の作成した庭は多くない。例として修学院離宮などがある。ここの庭は全て遠州が作庭した。数少ない庭。遠州流や伝遠州の庭はたくさんある。桂離宮もそう(伝遠州の作庭)だ。


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 「山雲床」の額をのぞきこんで振り返るように確認。確かにあります。探幽の水墨画もある程度じっくり見ることができました。が、途中で「そろそろ次の組が来るので時間です。」と名残オシイですが、まだ見学途中ですが、退出することになってしまいました・・・。
 直入軒の説明を終え、元の部屋に戻りました。次の組(25人)が忘筌で説明を受けています。私達は、そのとなりの畳の部屋を通って退出しないといけません。しかし、忘筌との間に仕切りは無いので、至近距離です。そのまま居座ってもう一回説明を聞くことができないかなと思いましたが、やめました。本堂の方を見ると、その次の組(25人)が本堂横の松の絵の部屋で説明を受けていいます。どんどん入れているようです。
 先の「赤い番号札」は説明のグループごとに整理するために配布している模様です。私の場合は赤でしたが、別の色の札も配って回収していました。
 そのまま本堂の裏を通り、先の庫裡に戻っります。歩きながら、同じ組だったカップルが「よかったね~。」と話ながら歩いていました。(だからどうだってことはないのですが・・・。)
 庫裡と本堂の間には掃除などの道具が雑然と置かれています。庫裡に続いて、住職の家と思われる建物が(出口とは反対方向の)奥に続いていました。住職も「小堀」姓ですから、末裔なのでしょう。
 荷物の札を渡して、受け取り、庫裡の前の石畳を歩いて門の外に出ました。約30分の見学でした。列はやや少なくなって50人くらいだったでしょうか。昼どきですからね。

  山雲床は(さんぬんのじょう)か(さんうんのじょう)か発音が難しいです。
↓ 写真は見学後に撮影。堀の上の石橋は遠州がかけたものだそうです。
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大徳寺 孤篷庵 特別公開 見学(本堂)

 2014.10.5

 1時間ほど並んで、ようやくチケットを購入します。並ぶときは二列と言われていましたが、チケットは一人ずつ購入します。絵葉書のセットも売っていましたが買いませんでした。
 敷地内部に入り、敷石の上を庫裡へ歩きます。庫裡で靴を脱ぎます。そして、荷物を預け番号札を受け取ります。係員に本堂の方へ進むよう言われます。本堂の前に庭園があり、ここで25人が入るまで待機します。入場の際に赤い番号札を渡されました。中で渡すようです。
 説明が始まりました。見学者は庭園を望む縁側に座って説明を聞きます。説明係は「京都秋冬」の名札を下げた女性です。庭園は枯山水なのでしょうが、白ではなく、茶色い土の庭です。
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 ここは小堀遠州の建てた庵。もとは龍光院の中にあったが、16××年にこの地に移った。(大徳寺で)一番西にある塔頭。真ん中の部屋は本尊の釈迦如来像。小堀遠州の位牌、左?に大徳寺の開祖 春屋宗園、小堀家
一族の位牌がある。

 庭は禅宗なので枯れ山水。赤土の庭。庭園には、生け垣が三列ある。手前の二本は水を、一番奥の生け垣は水平線を表している。昔は(境内の周囲に生えている)木が多くなく、視界をさえぎるものはなかった。南の船岡山を借景としている。ここは、京の北にあたり南から緩い傾斜になっている。昔はかなり遠くまで京の街を見渡すことができた。


 縁側の扁額は右から「孤篷庵」と書いてある。遠州の直筆。部屋の障壁画は狩野探幽。向って左の部屋は松の障壁画。(説明はきき逃した・・・・。)
建築から140年後に一度焼けた。その後、松江の松平不味公が再建した。庭園と境内は史跡と名勝に指定されている。建物は重要文化財に指定。遠州はここを建てて三年後に死んだ。
 孤篷庵は舟に見立てている。
 「孤 」 の意味の説明がある。(詳細は忘れた・・・。)
 「篷」は草冠(かんむり)ではなく、「竹」冠。屋根のついた舟。舟で進む心境をあらわしたもの。
遠州の庵号でもある。


 先程の(入ってきた)入口は勝手口。正式な入口は、庭園の(向かって)左にある門。庭の左にある木は、背が低いが樹齢150年くらいのものもある。伸びないように手入れをしている?。
 京都の冬は寒い。雪がつもると(庭園の光景が)美しい。京都はたいてい、年に一回はどかっと雪が降ります。

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 本堂の真ん中の部屋とその左の松の障壁画のある部屋を順番に見学します。約25人の集団なのですぐには見れず、順番に、そうするうちに次の説明が始まってしまい、聞き逃した説明もあります。
 と、本堂の説明を聞いて、見学しているうちに気づいたのですが、先ほどのバスで一緒だった「青い服のメガネの黒い髪の女性」が同じ組にいました。先ほどは一人でバスに乗っていたはずですが、現地で待ち合わせしたのでしょう、背の高い女性(30歳前後くらいか)と一緒の二人連れでした。私のうしろでずっと並んでいたのでしょう。やはり、目的地はここでしたね。(笑)
 本堂の説明を終え、次に奥の部屋に進みました。その際に先の「赤い番号札」を回収されました。すぐに回収されたのでなんだか拍子抜けでした・・・・。
 中に入って説明を聞いた人数をカウントしているのでしようか。

↓ 写真は見学後に撮影。堀の上の石橋は遠州がかけたものだそうです。
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 写真であらためて見ると、並んでいる人は比較的年齢層はバラバラで若い世代も多いです。
 















大徳寺 孤篷庵 特別公開 2014年 (待ち時間)

 2014.10.5 大徳寺孤篷庵の特別公開。

 私が列に並ぶとすぐに、先ほどの大きなカメラで写真を撮影していた女性がやってきました。やはり、目的地はココでしたね。(笑)。私の隣に並びます。私の前は20歳台くらいの男性二人組と単独の20~30歳くらいの男。男性二人組はあとから同行者が来たらしく、うしろのほうに並びなおしました。その分、前に進めました・・・。 
 係の人からは、並んでいる最中に繰り返し「内部は狭いため、25人ずつ案内します。1回の拝観時間は30分くらいなので、現在並んでいる人数でだいたいの待ち時間がわかると思います。」「中で荷物は預かります。荷物などで壁や柱、障子を傷つける恐れがあるためです。」との旨のアナウンスがあります。(もちろん地声でです。拡声機などは使用していません。)
 拝観は「小学生以下お断り」でした。そのため、子連れの方は、門前で待たせることになります。 
 係の人は「STAFF 京都春秋事務局」と名札を下げています。ウェブサイトを見ましたが、ここが告知を含めて、説明、見学者の誘導など特別公開一切を仕切っているのですね。
 門の正面まで列が進みました。石橋があります。撮影のために近づいて分かったのですが、堀があります。いざというときは、「城」とまではいかなくても戦国の世の防御機能を備えた「館」のような塔頭だったのでしょうか。この付近は、小高い丘のような地形なので比較的防御はし易い。なおさら戦になったときは、立て籠もることができるように・・・との意図もあったかも知れません。
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 「写真撮影ができるのは、正面の門から中を撮るくらいまでです。」繰り返しアナウンス(ハンドマイクでなく、係員の地声で)がありました。門の内部は撮影禁止です。行列なので人がいない写真を撮ることは不可能です。並んでいる人は比較的年齢層はバラバラです。まさに「老若男女」といった感じです。若い世代も多いです。
 着物姿の女性グループもいました。実は私の前方にも後方にも着物の女性グループが並んでいて、離れて並んでいる着物の女性グループはお互いに会話していました。着物の女性は皆若い。年齢は20歳台から30歳前半くらいです。皆さん「お茶」仲間なのでしょう。
 若くもなければ、かといって年配というほどでもない私は一体何なのでしょうか。中途半端なオッサンですね。(笑)
 大徳寺では「茶道」が重要ではないかと思います。茶道のたしなみがあれば、茶会などで拝観謝絶の塔頭の内部に入ることができるのでしょう。いつぞやも総見院でお茶会があり、着物姿の女性が出入りしていましたから。ただし、お茶会に(心得のない)私なぞが入ってもツマミ出されてしまうでしょうね。
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 待っている間、列の人はスマホを見つめている人が多いです。この光景をうしろから写真撮影するとちよっと怖いでしょうね。(笑)
 私はカバンから仕事の書類(A4版)を取り出してチッェクをはじめました。新幹線の車内や待ち時間を利用して確認しようと持ってきました。(最近は仕事での持ち出しは厳しい場合がほとんどなのでマネしないでください。笑。落としたら大変なことになってしまうますからね。)
 しばらく待ちました。やがて列は進み、私の数名前で入場が一旦締切に。25人で一旦締切ます。次の組になります。並んだ当初で目視で100人くらいの列。すぐに25人入場したので実質の待ち人数は「約75人」と仮定し、これまで三回動きました。そして、数名前で一旦打ち切りになったので、「約100人待ち」の目視はほぼ正解でした。正確には「81人目」でしょうか!?(笑)。



大徳寺 孤篷庵 2014年秋 特別公開 (見学待ち行列の状況)

 2014.10.5
 大徳寺 孤篷庵(こほうあん)の特別公開がありました。
 2011年(平成23年 震災のあった年)の秋に公開があって以来ほぼ3年ぶりです。その前は・・・・、というと9年程度一般公開は無かったようです。
 北大路のバスターミナルへやって来ました。金閣寺方面のバス停前で待つ。弧篷庵は、大徳寺境内からやや離れた場所にあるため、大徳寺前のバス停ではなく、その先の建勲神社前のバス停で降りるつもりでした。が、隣のバスレーンに急行バスが来たので、(建勲神社前は停車しないため)大徳寺前で降りることにして、急いでそちらに乗りました。

 先の金閣寺方面の各停用のバス停で、同じくバスを待っていた私と同年代か少し年下くらいの眼鏡をかけた女性(おしゃれなブルーの服を着て、黒髪でまじめそうな雰囲気)も私のあとからかけって乗ってくる。「この女性も大徳寺に行くのではないか」とピンときました。(直感です。)

 急行バスを大徳寺前で下車。やはり、この女性も下車しました。この女性に同行者はいません。女性は、横断歩道を渡り、急いで大徳寺境内の中に入っていきました。
 私は境内の中には入らず、そのまま道路沿いに歩きます。
 IMG_1929↓何の変哲もない道路です。この写真を一見しただけではここが京都とは分かりません。




































 建勲神社前のバス停を過ぎてから、道路を渡り境内のほうへ歩きます。ちょうど、龍光院と高桐院の前の道でした。高桐院を過ぎると、本坊方面からの太い砂利道との交差点に出ます。何人か本坊方面から歩いて来ます。皆、孤篷庵に向かう人のようです。と、大きなカメラを肩からかけた小柄な女性が1人で本坊方面から歩いてきて、私の目の前を通り過ぎて行きました。年齢は20歳代後半から30歳代前半でしょうか。この女性も孤篷庵へ向かうのでしょう。途中(大きなカメラを)撮影しながら歩いていたので、私はその女性を追い越して先を急ぎました。

 一旦公道に出ます。神社の方面(北側)を見ると、道の途上に鳥居がありました。大徳寺の塔頭の敷地を南北に貫くこの道は、おそらく今宮神社の参道なのでしょう。つまり、神仏習合の時代は、大徳寺と一緒に信仰されていた神社だったのでしょう。
 この公道を渡り、孤篷庵へ緩い坂道を登る。庵へ向かう人が続々といます。
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 孤篷庵の行列に並んだのは、11時前でした。10時から公開なので、この時点で100人くらいだったでしようか。
 ↓すでに行列が・・・。左は紫野高校の校門。
              府立ではなく「京都市立」の学校のようです。
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 列に並びます。特に「最後尾」のプラカードを持って案内はしていません。博物館、美術館、レジャー施設ではありませんからね。(笑)
 紫野高校の校内ではバスケットボールの試合か練習をしているのでしょうか。ボンボンボンとボール(をドリブルする)音と掛け声が体育館から響いてきます。「静寂」というわけではありません。(笑)
 知らないで前を通った人は「ん、何の行列?」と思うでしょう。時々、「STAFF」と名札を首から下げた方が声を出して案内をします。だいたい25人ずつ入場して行きます。少しずつ進み、門が近づいてきました。
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大徳寺孤篷庵 特別公開と 京都国立博物館 平成知新館オープン「京(みやこ)へのいざない」 日帰り旅行

 2014.10.5

 大徳寺 孤篷庵(こほうあん)の特別公開がありました。京都の観光関係のウェブサイトで事前に掲載がありました。ただし、京都市観光協会のサイトには掲載がなかったと思います。
 2011年(平成23年 震災のあった年)の秋に公開があって以来ほぼ3年ぶりです。その前は・・・・、というと9年程度一般公開は無かったようです。前回の公開時は、ウェブサイトに(公開するという情報の)掲載があったと記憶しますが、その年の春に京都を訪問し、12月の第一日曜にも訪問したので、そこまで行かなくてよいと思い、行きませんでした。
 ともあれインターネット時代だからこそ、今回も特別公開の情報を得ることができたのでしょう。
 
 それでは、今回の 京都 大徳寺(と京都国立博物館)への道のりから・・・。
 前日の土曜日は、子供の運動会でした。日曜日のこの日の予定は無し。家族を誘っても興味なし・・・。「明日は代休だから(今日は遠出して帰りが遅くなっても)子供はいいだろう」と言っても行く気はなし・・・。上の子は「テストが近い。」と実にまっとうな答え。やむなく単独行動することにしました。(笑)
 朝は6時過ぎに起き、支度をして出発。家を出るとき家人は皆寝ています・・・。静かに家出し(このまま戻らないほうがシアワセなのかも・・・などと考えながら・・・。笑。)、電車で新横浜へ。一旦改札の外へ出て8時09分ののぞみの指定席を取りました。乗車まで数分あったので、急いで朝食用のおにぎりを購入。
 新幹線は速いです。わずか2時間で京都駅に到着。地下鉄に乗り換え。新幹線改札を中央口で外に出てしまったので、(地下鉄まで)結構歩きます。
  IMG_1928↓ 中央口から降りて、途中京都タワーを撮影。




































 これに時間がかかる。東京寄りの改札で出れば比較的地下鉄に乗り換えしやすいのに。いつも間違えます。
 やっとこさ、地下鉄のホームへ。ちょうど乗り合わせが悪く10分くらい電車が来ない。乗車して約15分で北大路駅下車。バスターミナルに上がる。ここも久々なのでどのバスレーンに行ってよいのか忘れました。案内図で探して、金閣寺方面のバス停前で待つ。孤篷庵は、大徳寺境内からやや離れた場所にあるため、大徳寺前のバス停ではなく、その先の建勲神社前のバス停で降りるつもりでした。が、隣のバスレーンに急行バスが来たので、(建勲神社前は停車しないため)大徳寺前で降りることにして、急いでそちらに乗りました。
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 孤篷庵を見終えた後は、今宮神社の参道を表通りに歩きます。建勲神社前のバス停で待ちます。ほどなく、バスが来ました「206」系統のバスで一路東山経由国立博物館方面へ。この206系統は重宝します。大徳寺から京都大学の近くを通り、東山のメイン道路を通り、三十三間堂を経由して京都駅まで行けます。清水寺、祇園、平安神宮、銀閣寺(へはやや遠い百万篇)など観光ゴールデンルートをほぼ網羅しています。(笑)
 ただ、大徳寺からいずれも世界遺産の金閣寺、龍安寺、仁和寺方面には行かないのですが。
  バスに50分以上乗り、やっと「国立博物館三十三間堂」前で下車。特に道は混んでいたわけではなかったですが、北大路のバスターミナルでしばらく停車するのと、ここから一般道に出るのに待ち時間があるのと、祇園から清水道付近は人が多く乗ってきて混雑するから、などでしょう。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 少し戻って、智積院を見学。その後国立博物館へ。夕方5時前に見学を終わり、徒歩で京都駅へ。混雑するバスに乗るよりは、ここからだと歩いた方が早いです。碁盤目状の道を歩くので、ななめにショートカットできないので時間はかかりますが。その後、新幹線で帰りました。1735発で新横浜には2時間で到着。速いです。お金さえだせば簡単に日帰り旅行できます。(笑)
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 なんやかんやいって、帰りも中央口から改札に入りました。よそ者には、中央口「以外」の新幹線改札は分かりにくいです。(笑)
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 東京方面のホームへ上がります。今日もにぎわっています。
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 新幹線がやってきました。
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 新幹線のホームから。夕暮れどき、東山方面を望む。
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 乗車して帰ります。IMG_1944

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