2019年1月 岡山県立博物館 「冬季展」 見学2
隣接している「 岡山県立博物館 」も無料となったので、に行くことにした。
↓ 常設展示室における刀剣の展示。
まずは、1Fの右手に刀剣の展示室がある。刀剣ブームの影響か、見学者は多い。室内の撮影は不可であった。室内の真ん中の平ガラスケースには、刀剣の付属品、鍔などの展示がある。
「刀の重さを体験しよう。」というコーナも。刀剣の見本が持ち上げられるようになっている。勿論、鎖で繋がれ、強化プラスチックケース内にある見本。片方の手だけを入れて持ち上げることができるようになっている。鉄なのでやはり、重い。片手では、ずっと持っていると手が疲れるなあ、と思った。
太刀の展示が中心である。短刀やなぎなたなどの展示もある。現在、ここ岡山県立博物館に寄託されている国宝 太刀、通称名「山鳥毛」(個人所蔵)の購入に関する寄付のお願いのチラシもあった。
現代において、刀剣といえば、美濃、次いでここ備前ではないか?。しかし、岡山在住中は「備前の刀」も、もうひとつの岡山名物「備前焼」にも全く関心がなかった・・・・・・。でも長船(おさふね)周辺が刀剣で有名とは知っていたよ(言い訳

重要文化財 「太刀 銘 則宗」 鎌倉前期。福岡一文字派の祖。反りは高い、3.3センチ。「そほ身の刀身。刃文は、小乱と小丁子のある直刃調。直刃という。持つところの穴は二つあった。長さは80センチという。
重要文化財 「太刀 銘 長光」 鎌倉中期 。長光は、衰退した福岡一文字派のあとの長船派の人という。持つところの穴は一つだった。反りは、2センチ、長さ73センチ。
福岡一文字派は、鎌倉時代の前期から中期にかけての時代までで、長く続かなかったようだ。
次いで別の展示室では、戦国から藩政時代の展示。原則として撮影は可能であった。昔の船の展示もあった。
藩政時代、藩祖 池田光政の事績の紹介がかなりの部分をしめた。光政の事績の説明では「池田利隆の嫡男で、姫路、鳥取を経て、岡山に入部したと。」いうような紹介の展示だ。名君とたたえられている。
後楽園を創設したのは、光政の子の綱政であるが、あまり紹介はない。(綱政には、子供がたくさんいたはず。)
「初公開」として木山神社の「神狐」像が展示されていた。
特に文化財指定はないようだ。↓ 博物館のポスターにその写真が掲載されている。
このフロアの展示物のなかでも「神狐」像は撮影禁止であった。
館内の様子。 後楽園の木製の水道管。
園内には木の管を通して水を供給していた。
続いて印象に残った展示を挙げていくと、法然上人絵伝の複製があった。48巻のうちの巻1の複製。
池田利隆の書状の展示があった。異母弟の忠継が1603年の小早川秀秋の死亡後に岡山の領主となった。利隆自身は、姫路領主。
忠継は家康の孫(娘の子)なので優遇されて独自に岡山領を与えられたようだ。
閑谷学校の絵図。複製品。
後楽園の説明や歴代 池田家の当主の系図や説明があった。
光政を祖とする岡山 池田家の当主は、「左少将、伊予守」が多い。位は、従四位下だったであろう。
侍従の当主もいる。左少将になる前に死亡したのだろう。備前 岡山藩なのに「備前守」ではない。
幕末の当主 茂政は、掲示の系図を見る限り、初めて備前守となっている。
同じ室内の別のコーナーはうってかわって、昭和初期??の民家の復元。