良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

全国大名庭園のたび

 

須藤公園 散策 (旧大聖寺藩前田氏屋敷 庭園跡)

 2017年1月10日 
 東京国立博物館を訪れた後、徒歩で千駄木方面に向かった。次の目的地は森鴎外記念館。上野公園から千駄木までは、根津駅よりも徒歩でやや遠い程度だからだ。 
 年初めの「谷根千」(やねせん)散歩である。だんだん、陽が西に傾いてきて、寒いので散歩という気分では無いのだが・・・・(苦笑)。

 地下鉄の千駄木駅を越え、「団子坂下」の交差点信号から団子坂の上の方向に歩く。森鴎外記念館に行く前に寄り道をすることにした。
 「須藤公園」という千駄木にある公園が、かつての大名庭園の跡地なのだそうだ。森鴎外記念館からも程近い。以前、森鴎外記念館に行くため、文京区のウェブサイトなどで調べていたときに知った次第。今回、少しばかり寄ってみることにする。

 千駄木駅の地上出入口付近から坂を上がり、「団子坂上」の信号があるので、北に道をに入る。区立の図書館があり、人が出入りしている。更に先は、台地上の住宅地だ。広いお屋敷もある。マンションも建っている。「須藤公園」への看板は無いが、適当に交差点を曲がって歩く。と、壁に囲まれた大きなお屋敷に「須藤」と表札があった。公園の名前と関係する家なのかな?、と思いつつ歩く。マンションもあり、道路上で親子が数組遊んでいる。車は来ないのかな?、大丈夫かな?、と交通安全を気にしながら通過。すると、少し歩いた道の先に公園の看板があった。
  
 入口には自転車数台が停まっている。公園内では子供達が遊んでいるようだ。
 今いる所からは、公園の上から、下を見下ろすようになっている。「はっ」としたが、先程通ったの千駄木駅の地上出入口付近から、歩道添いに数分歩いて、交差点を曲がれば、すぐに須藤公園の下の入口に着いたのだ。わざわざ、団子坂上から、一旦台地の上に出て、公園に来る必要はなかった・・・・。
 実をいうとてっきり、千駄木の台地の上に公園はあると思っていたが須藤公園は、台地の「崖線」の地形を利用した、高低差のある公園であったのだ・・・・。つまり、台地の上と下に公園の出入口があるのだ。
 「崖線を利用した旧大名庭園の公園」には新江戸川公園がある。実際、崖の上から見ると新江戸川公園に地形や池の配置が酷似している。

 公園内を歩く。というより、崖(がい)の斜面の小みちを下るような感じです。
 せっかく、台地を登ったのに再び下る・・・。

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 ↓ 公園の案内看板。
  児童公園のようになつていて、遊具もある。子供が数名、公園内で遊んでいた。小学生は明日から、また学校だ。私が見た看板には、ここが、かつての大名屋敷の庭園跡であることは書いていなかった。


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 斜面の階段を下る。
 池の上の階段斜面から見た公園内の様子。地下鉄千駄木駅方面にマンションが見える。

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 斜面途中から眺めた、斜面の上の様子。
 公園に近接して、住宅やビルがある。かつては、屋敷地や庭園の一部だったろうが。


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 さらに、公園を散策します。滝があった。「須藤の滝」と名付けられている。
 見上げると、先程入ってきた、入口がある。台地の上は平坦だが、住宅が建ち並んでおり、とても、ここから現在も水が湧いているとは思えない。
 昔は崖から豊富な湧き水があったのでしょう。現在でも湧き水なのか、地下水のくみ上げか、水道水かそれともポンプ循環かは分かりません。
 あとで、文京区のウェブサイトを見ると、午後4時まではポンプで水をくみ上げして、滝水を流しているそうだ。


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 池のほとりまで、下って来ました。日差しは、なくどんよりとしている。
 

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 石畳の道を歩いて池のほとりまでやってきました。池の中の島には、弁財天がある。
 初詣のときに掛けたのだろうか、絵馬がいくつかかかっていた。

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 ↓ 石段を登り、崖の上に戻る。 

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  斜面から別方向。崖上の住宅地。

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 遊具のある中腹の広場とその上に広がる住宅地。


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 さて、「崖の上」の出入り口に戻り、元来た道を歩いて、鴎外記念館に向かった。「須藤邸」の近くの路上では先程の親子が遊んでいた。

 文京区のウェブサイトの説明文は、下のリンクのページからの引用した。

防災・まちづくり・環境>みどり・公園>公園等の案内>区立公園一覧>須藤公園

足守 近水園と吟風閣

 2015年8月

 ここは岡山県岡山市。足守 近水園の散策です。
 池のほとりに建つのは吟風閣です。庭園の北西の端に山を背にして建っています。南東に池が開けています。

 ↓ 池の中の島から眺めた吟風閣。
   二階建ての風雅な建物です。

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記念碑。文字までは読んでいませんが・・・・。

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吟風閣に近づいてみます。雨戸が閉じられていました。

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数寄屋造りというこで、どこか京都にある寺社仏閣の建物のような感じです。雨戸が開放されるときもあるようです。以前来たときは開いていたと思います。
そのとき、写真や園内で子供を歩かせてビデオを撮影して記憶があります。そのときの写真やビデオを探しましたが、見つかりませんでした・・・。デジタルカメラではなかった時代なので(デジカメは勿論あったが、私が持っていなかっただけです。)、今となっては所在が分かりません。
ネガが残っていないかな・・・(古い・・・)。

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吟風閣正面。二階の正面に「吟風閣」と額があります。
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 池を眺める縁側(廊下というか、正式な呼び方が分かりませんが・・・・)。今では誰でもここに来ることができますが、昔はお殿様や限られた者しか入ることはできなかったのでしょうか。池に近い縁側の上に立つと、池の水上から庭園を眺めるような感じです。まさに「良き眺め」であったと思います。

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吟風閣の前から池を眺める。池の向こうには借景の山々が見えます。写真で見る限り電線も写り込んでいません。昔のお殿様が見た風景とほぼ一緒ではないでしょうか?。
もちろん、当時利玄の碑は島に無く、庭園の整備状況なども異なりますが。

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園内には「マリア燈籠」があるとのことでしたが、どれか判別できませんでした。木下家のご先祖、木下家定は、キリシタン大名の一人だったと思いますので、そのときの物が現在まで伝わったのでしょうか。


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かつての陣屋の方向。空地になっていて、その向こうに屋敷があります。
先ほど門越しに眺めた利玄の生家だったと思います。

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庭園の説明。

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 庭園の平面図。池の島で大きい島は「亀島」、小さい島は「鶴島」というようです。足守川の上流から庭園内の池に水を引き込んでいる様子が分かります。
 足守川が丘陵地帯(現在はその頂上部を削り空港になっている場所もあるが)から平野部に出てくるたもとに造られたのが、足守の陣屋町であり、近水園です。上の写真で見たように借景の山は現在もほぼ、昔のままです。借景の山は足守川越しに庭園の東から南東にかけて連なっています。まるで、足守川を京の「鴨川」になぞらえ、借景の山を東山になぞらえ、「洛中のとある地点のお屋敷の庭から、鴨川を渡った先の東山の峰々を眺める」ような雰囲気です。
 仮説ですが、高台院様の甥、太閤秀吉の係累である木下氏は、徳川様の天下となった後に封ぜられた備中の領地の周囲の風景にかつて屋敷を構えた「京の街」を見出したのです。

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 「歴史公園」として、もっと整備はできないでしょうか。ここ近水園はかつての大名庭園の貴重な遺構ですし、お隣、現在は草の生えた空地になっている部分もありますが、陣屋跡も貴重な史跡です、落ち着いた足守の風情とともに保存していきたいものです。
 まずは、現在なんとなく踏み荒らされて地面が露出し「自由公園化」している庭園の整備と、庭園敷地を塀で囲う等の入場時間帯制限、吟風閣の建物保存措置が必要と思いました。その際の入場料は・・・・・無料がありがたいです(笑)。
 整備された後の有料でよいではないかと言う人もいるかと思いますが、100円など安価な入場料でもお金を取る以上、それなりの施設管理をしないといけませんし、人も配置して現金管理をしないといけないので、中々大変なようです・・・・。
 現在足守文庫は無料で公開されています。今回の訪問時、吟風閣の雨戸が閉まってしたので、開閉したり管理する人がいるようです。(委託だと思いますが)
 入場無料の庭園の例としては、東京の新江戸川公園(永青文庫の隣)があるのではないか、とひらめきました。柵で囲われて、入園時間が決まっていますが、無料です。整備されており、池とお庭は美しいです。庭園に隣接する建物も保護措置がとられています。(建築年代は、吟風閣とは全く異なりますが。)
 くしくも、昔の細川家のご当主、護立侯爵は白樺派の芸術家と親しく(しかも学習院の同窓)、白樺派の歌人で旧足守領主、木下家のご当主、利玄子爵とも年齢も近く、親しかった筈です。
 近水園と吟風閣が整備され永く保護されることを願います。岡山市、政令指定都市の指定記念新規事業でドーンと打ち上げましょう(笑)。しかし、「予算が無い」という返事が返ってくると思いますが・・・・。






足守 近水園 探訪

 2015年8月

 ここは岡山県岡山市。足守の散策です。
 足守の陣屋跡の前を通り、突き当りに公園のような庭があります。
 その名も「近水園」(おみずえん)です。足守の領主だった大名 木下氏の庭園跡です。陣屋の跡地に隣接しています。陣屋跡と庭園の端の間は空地になっていて、今は夏草が生えているのみです。
 
 ↓ 池の中の島。記念碑が建っています。

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 庭園の入口にある碑。現在は公園のようになっていて、入場は自由です。門も特にありません。小学校の傍らの道路から自由に入ることができます。つまり夜でも入場できる訳で・・・。真っ暗で何も見えないでしょうが。
 それゆえ、管理はあまりされていなくて、木、生垣、芝生などはあまり整備、手入れされていなくて、雑草もかなり伸びています。園内も土が露出しています。犬の散歩などで来る人もいるでしょう。「動物の散歩禁止」となっていたかも分かりませんが。
 ボール遊び、自転車乗り入れなどは禁止されていると思いますが、自由に走ったり、運動したりでききるので、江戸時代から300年以上も続く庭園なのに、有料管理の庭園、岡山の後楽園のように「美しく整備された庭園」ではないのが残念です。

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 ↓ 庭園の説明。
 同じ岡山市内には、「後楽園」があります。ここ近水園も規模は小さいですが、立派な、かつての大名庭園です。
  国指定の史跡や名勝にはなっていません。県指定の名勝になっています。「知られざる庭園」だと思います。
 「園内にはカエデや桜の木が多い」の説明の通り、春には桜の花が咲き乱れ、秋はカエデの美しい紅葉が見られることでしょう。
 夏のこの日は、桜の木の樹液を吸って鳴くセミの声で充満しています。

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 東側。山が雲に隠れています。雷鳴が遠くでしています。雨こそ降っていませんが。山の向こうには空港があります。

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 島の中の記念碑は、明治大正時代の当主、歌人 木下利玄の顕彰碑です。
昔、この島は「蓬莱島」と呼ばれていたかも知れません。

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 島から池ごしに吟風閣を見る。

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 池の反対側。足守文庫があります。早い時間帯で閉館してしまうため、見学できませんでした。木下家、足守の文化財、歴史資料が展示されています。以前来たときも閉まっていました。以前は、開館している時間や期間がかなり限られていたような・・・。
 ウェブサイトによると現在は分かりませんが、過去は「時間内に管理事務所に声を掛けて開けてもらい見学」だったようです。足守出身の有名人といえば、適塾の緒方洪庵。洪庵の資料も展示があるはずなのですが、見学できなかったのが残念です。

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 ↓ 池の様子。錦鯉?が泳いでいます。

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 島を出で、石橋を渡り、「陸地」に戻ります。更に別の島に移動し、池と庭を眺めます。

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 もうひとつの島。「鶴亀島」でしょうか。


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 ↓ もうひとつの島から、記念碑のある島を。借景の山が正面に見えます。


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旧足守藩木下家陣屋跡と足守の街並み

 2015年8月

 ここは岡山県岡山市。足守の散策です。高梁から山の合間を通る国道180号線を川沿いに下り、岡山平野に出て、視界が開けた所で、川を離れて曲ります。お盆休みに近い夏の夕方、道路を往来する車は多いです。

 そして足守にやてきました。岡山空港のある丘から真下のも当たります。空港に離着陸する飛行機が間近に見えることもあります。
 
  ↓ 足守藩 木下家の陣屋跡。

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 足守藩木下家といえば、白樺派の歌人で明治~大正にかけての当主、木下利玄。志賀直哉、武者小路実篤の友人としても知られています。堀のそばには、「利玄みち」と標識があります。矢印に沿って歩くと、利玄の生家跡に着きます。ここから100メートルもありません。
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陣屋の端のお堀。お城のように深い堀ではありません。江戸時代に領地の政治を執る場所として造営されたので、戦闘に備えた堀は不要なのでしょう。

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↓ 屋形遺構の説明。

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↓ 生家の説明。明治時代になっても、旧領地の陣屋の跡にかつてのお殿様の一族が住んでいたとは驚きです。いや、驚くまでもなく、普通だったのでしょうか。維新からしばらくは、新政府から俸禄が支給されていたのか、近代的な産業がない当時のこの地で生活の収入をどのように得ていたのかは分かりません。

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生家の門。以前も来たことがありますが、修理されたようで壁が新しくなっています。
以前来たときは、門が開いており、奥の家屋まで行くことができました。もっとも奥の家屋は戸締りをしていて見学をすることはできませんでした。
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門と堀。堀はかつての陣屋の南面。つまり、正面に堀のはずですが、細いです。形式的なお堀のようです。

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陣屋の敷地の更に先、近水園の方向。
復元された??屋敷が建っています。
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↓ お堀の前には小学校があります。かつては重臣などの屋敷だったと思います。
写真 すぐ右にはお堀があり、陣屋跡です。

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学校の校庭の一角にある昔の建物。屋敷の門の遺構です。
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↓ 門の説明。


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駐車場近くの街の様子。

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足守の観光用の駐車場。夕方の時間帯で誰もいませんでした。お店も閉まっていました。

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かつての侍屋敷の遺構。現在も見学できるようですが、この時は時間外でした。

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↓ 侍屋敷の説明。家老のお屋敷の跡です。
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 足守藩の石高は2万5千石とあります。現在の岡山市の中心部のお城を中心とした岡山藩に比べても小さい藩です。
 この侍屋敷にはお殿様が来邸したこともあったようです。陣屋にも近いので、歩いてすぐです。それとも駕籠で来たのでしょうか。小さい街なので、お殿様との距離も近かったのでしょうか。お殿様というと、御殿の奥深くにいて中々御目通りのかなわない存在とイメージしがちですが、ここは街の規模も小さいので、御殿奥深くに・・・・、という感じがしません。


津和野城跡「嘉楽園」 探訪 島根県津和野町

 2015年8月
 
 錦鯉の水路から移動しました。駐車場付近に戻り、「沙羅の木」のおもみやげ物屋を見て、暑いのでアイスを食べました。いや~「沙羅の木」グループの巨大さが分かりました。
 車でお城の跡まで移動します。津和野といえば、武家屋敷と水路に泳ぐ錦鯉です。写真でも「津和野」といえば鯉が必ず掲載されます。が、お城は鯉と比べてあまり有名ではありません。天守閣が復元されていないこともあるかと思います。ただし、城跡自体は山の上にあり、ロープウェイかリフトがあります。時間が無いので山の上までは行けません。
 旧藩庁の跡地は「嘉楽園」と名が付いていました。城跡といってもメインの城郭はリフトで登る山の上にあり、平地には御殿、藩の政庁があったのでしょう。

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 かつて御殿と庭園があったそうです。ゆえに「嘉楽園」と現在名前が付いています。かつての大名庭園跡といいたいところではありますが、その面影はほとんどありません。
 ↓ 跡地にこんもり丘が築かれていて大きな石碑(記念碑)があります。


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 城跡の土地のかなりの部分はグラウンドになっていました。道路を挟んで反対側に高校があるので体育や部活で使用するのでしょうか。サッカー、ラグビーに最適の広さです。
 ↓ 写真奥の建物が山の上へのリフト乗り場のようです。

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 正面からやや左を見る。石碑のある丘の左側。写真の中央の奥には御殿の庭があったようです。
写真の左側が南になるため、御殿の南側に広間が設けられ、縁側に面して池泉の庭園が築かれたことが想像されます。
 現在では城跡に接して民家が建っています。現在ではふつうの広場です。柵も特にないので、子供の遊びらは適しているかも知れません・・・・。

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↓ 津和野城跡の説明板
  石碑のある丘は庭園の築山であるとあります。

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 道路に面して櫓が残っています。現在、城跡の土地は櫓が門のように立っていて、山の裾野に広がっています。ただしね説明板によるともともとは現在のところではなくて、移築されたとあります。藩政時代は現在の高校の敷地も含む広い敷地だったのでしょう。
 「嘉楽園」は『萩、津和野』などのタイトルのガイドブックにも載ることは少ないと思います。観光地図でわずかに地名だけ載っているというケースがほとんどと思います。夏のとある一日のこと。訪れる人はほとんどなく、セミの声に包まれていました。

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↓ 物見櫓の説明板。

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 ↓ 城跡見学をする際の駐車スペース。グラウンドの来る人のための駐車スペースでもあります。
  写真奥は高校の体育館です。桜の木が多くあります。春は美しい桜が咲くことでしょう。
  訪れた季節は夏。せみがジージーないていました。ミンミンゼミではなかったです。

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※ この記事では「嘉楽園」を「大名庭園」と位置付けしてカトゴライズしています。通常、ここ津和野の「嘉楽園」
は旧大名庭園には分類されませんが、敢えて独自に分類しています。あしからずご了承ください。


国立科学博物館附属自然教育園 (高松藩松平家下屋敷庭園跡地) 散策2

 2015年2月 国立科学博物館附属自然教育園 (高松藩松平家下屋敷庭園跡地) 散策2

 白金にある 国立科学博物館の附属施設 自然教育園です。散策をします、といっても、真冬の寒い日だ。散歩するにはあまり適した気温ではない

 ここは、かつての高松藩・松平家の下屋敷の跡地ということで、一応「大名庭園」のカテゴリーにも入れておきます。
 ↓ 園内の茂みの中に、「天然記念物及び史跡」の石碑があった。ここは、現代において大都会 東京ののオアシス。武蔵野の自然が残るエリアであると同時に中世の豪族の屋敷地、近世は大名のお屋敷地だったのですよ。

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 園内の道を歩いて、池までやって来ました。と、園地の向こうには高層マンションが。以前来たときは建っていたでしょうか。覚えていません・・・。都心の高層マンションと自然の残る園内。コントラストな風景だ。

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 園内の通路の脇に設置された沿革の案内。江戸時代は「高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷」とある。


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 池のほとりにやってきました。真冬なので、草は枯れていていて花は全く咲いていません。鳥も池にいません。冬の静寂につつまれています。写真には写っていませんが、別の池には鴨の雄と雌がいました。

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 池の向こうには休憩所の屋根が見えます。ここは昔、松平家下屋敷の「心字池」だったのでしょう。ここに松平家の回遊式の庭園があったに違いありません。付近は、標高の低い窪地のような地形になっているため、庭園のみで屋敷の建物は無く、あっても池の周囲には茶室程度の小さな亭閣のみだったと思います。(独断ですが。)

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 歩いて来た方向を撮影。池の中の「島」も昔は、築島のように手入れされていたのではないかと思います。

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 園内を周回して、入口付近まで戻りました。
 園の外へ出て、駐車場へ。
 再び車に乗り、今度は永青文庫に向かいました。都心部を北上していきます。途中、国立新美術館の下に出ました。道路の脇は青山墓地です。国立新美術館は「ルーブル美術館展」がこの日から開会したようで、賑わっていました。

































































































旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園 特別公開 散策続編

2014年11月24日

 平成26年秋 国指定名勝 旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園 特別公開。

 順路の奥まったところです。「順路」と書きましたが、観光コースのようには完全に整備されていません。空き屋敷となった建物が並んでいます。
 下の写真は、外から見えた蔵とは別の蔵のようです。明治時代は、当時華族であった井伊伯爵家の財物を保管していたのでしょう。
 
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 何か説明の看板があるぞ、と近づいてみました。
 すると「公園はここまでです。」との告知でした。
 ケヤキと思われる木々が黄色美しく色づいています。南の方向にあたります。自動車の通る音が聞こえてきます。
 この蔵の裏には、昔なんと「船屋形」があったのです。

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 左は、蔵の一部とかつての住居と思われる建物(右)。

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 池の跡に迫ってみます。南の池の奥まったところ。葦やヨシとみられる湿地性植物が植生しています。
ぬかるみには注意です。

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 一番上の写真と同じ建物を角度を変えて撮影。奥は蔵です。石燈籠もあります。
 かつては座敷前の庭を照らす役割をしていたのでしょう。庭石や燈籠石の破片が点々と置いたままになっています。二百年以上は前のものと思われる石材もあると思いますが、壊れた後は補修等の維持、管理されておらずそのままになっています。惜しいことです。屋根の瓦も蔵の前に置かれたままになっています。


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 上の写真とかぶりますが、南方向。この先の右にも池にかかる橋があったことが『解説シート』に記載されている古地図で分かります。橋げたの礎石は、写真ではよく判りませんがわずかに確認・・・できませんね。撮影したポイントより先に入ることはできないため、このアングルからが限界です。古地図によると、この庭園に橋は二個ありました。
 庭園や池の跡はかなり奥行があります。写真中央の奥まで水面は広がっていたと推測されます。岸に配置されていたと思われる石も点々としています。実は、『解説シート』によると下の写真の右側の丘(紅葉している木)の更に右方向には、水路がありました。船屋形もあり、玄宮園などへお城の中堀、内堀とつながっていて、舟で行き来できたとのことです。
 写真の奥は、(写ってはいませんが)湖岸道路であり、車が通る音が聞こえています。
 実は江戸時代の古き庭園でも、いつまでも静寂とはいきません。現代化はすぐ敷地の隣に迫っています。

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 庭の南から北(琵琶湖方向)を見る。うーん池の水が無いため、どこまでが水面でどこまでが岸か
分かりません。護岸の庭石や白洲を表現していたばすの玉砂利もあった筈なのでしょうけど、失われてしまったのか、元々無かったのか・・・。

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 池の端の方まで行き、再び「書院」前まで戻ってきました。
 紅葉したモミジがまるで屋根をつくっているかのように覆いかぶさっています。

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 庭園を去る前に、もう一度書院前の庭園正面を見る。

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見学者の人数は、私達が入場したときに、先に二、三組いました。先客が、いなくなったあと一時私達の貸し切り状態になりましたが、程なくしてあとから数組の見学者が入場してきました。駐車場に戻ると私達が来たときよりも停まっている車は増えています。 数は多くないが、切れることなく入場者があります。昼食の時間帯に訪れたので、他の時間帯よりは、入場者が少なかったかもしれません。

旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園 特別公開 散策

2014年11月24日

 平成26年秋 国指定名勝 旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園 特別公開。

 
 玄関の脇を通り抜け、奥の庭に出ます。
 たしかに水が抜いてあります。だまだ整備は途上のようです。大名庭園というよりは、個人の邸宅の広い庭のような印象を受けます。 

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 庭園の正面から方向を変えて南東方向。この先には池にかかる橋があったことが松原下屋敷(お浜御殿)の『解説シート』に記載されている古地図で分かります。橋げたの礎石と思われる石がわずかに確認できます。

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 歩みを進めて木々の下へ。かつての燈籠や石上の跡です。その先には橋の遺構が・・・。
 橋は木でできていたのでしょうか。そのため礎石以外は失われているようです。

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 庭の南から北(琵琶湖方向)を見る。うーん池の水が無いため、どこまでが水面でどこまでが岸か
分かりません。護岸の庭石や白洲を表現していたばすの玉砂利もあった筈なのでしょうけど、失われてしまったのか、元々無かったのか・・・。

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 上の写真の先は琵琶湖です。昔は水路で繋がっていました。先ほど受付のテントでもらった松原下屋敷(お浜御殿)『解説シート』に記載の古地図でも水路で琵琶湖と接続している様子が分かります。淡水の「汐入」形式の池を持つ庭園だったのです!!。
 海水の「汐入」形式の庭園は他にもあります。旧浜離宮庭園や和歌山の養翠園などです。その写真は・・・ぇっ~と見当たりません。(笑)

 先に「回遊」した玄宮園で入手した「解説シート」にもありましたが、松原下屋敷は玄宮園とも松原内湖を介して水路で繋がっていて、お殿様は舟で行き来することもできたそうです。優雅ですね~。
 『松原内湖は干拓で戦後埋め立てられた』そうです。
 どうやら、先に彦根城の本丸から見た球場や陸上競技場など住宅が無い地帯はかつての内湖だったようです。
 彦根の街はかつて水路が張り巡らされ、水運と水辺の風景に恵まれた、まさに『内陸の東洋のヴェネツィア』だったのですね。

 帰ってから彦根市などのサイトで調べたのですが、松原内湖は彦根城の東面、本丸、天守閣から見ると米原方向に広がっていました。湖の様子を「CG」で再現しました。(随分とコ汚いCGですが・・・・。)
 玄宮園は内湖と隣接していたことになります。
 内湖の水の色は、青い色というよりも玄宮園の池の水のように緑や茶色がかかっていたかもしれません。
 ↓ 松原内湖復原CG(微妙ですが・・・・。)
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旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園 特別公開

2014年11月24日

 平成26年秋 国指定名勝 旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園 特別公開。

 特別公開用に開放された駐車場に車を停めます。。お屋敷の隣接地の空地です。数台の車が停まっています。先ほどの彦根城周辺と異なり、人はいません。静かです。 
 庭園の入口には案内の看板が出ています。特別公開は、無料です。写真には写っていませんが、入口の脇にはテントがあり、特別公開の主催者である市の教育委員会の職員であろう係の人が一人います。案内のパンフレットを受け取り、入場します。係の人に「庭園の水は抜いています。ぬかるんでいるので、池の中の水があつたところには入らないようにしてください。」と注意を受けます。



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 入口の横に連なる建物。かつての蔵です。 
 この建物だけを見ると、旧大名の下屋敷ではなく、地元の有力な一族のお屋敷ではないかと思います。
 先の記事の写真に写っている門柱に表札があります。文字は小さくて写真では判読はできませんが、縦書きで「井伊直愛」と書いてあります。なんと、旧大名家である井伊家の末裔にして元彦根市長の私宅でした。
 ようやく、この庭園が近年公開されるようになった理由が解かりました。江戸時代に造作された大名庭園とはいえ、個人の住宅だったので公開されるはずがありません。しかも市長様のお屋敷です。直愛氏が死去した現在では、井伊家は別のところに居住し、このお屋敷、庭園が文化財としての調査を受け、名勝指定され、年に2回のみとはうえ、公開されるようになったと理解しました。道理で外から見える建物も「生活感」があるわけです。
現代の住宅としても使用されていたのですから。
 付近は、琵琶湖のすぐ近くの住宅と畑、雑木林などが混在する地域。上の写真に写っている住宅の住人はかつては「市長のご近所さん」だったのですね。

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 玄関の門は固く閉ざされています。何年も開いたことが無いような、古めかしい雰囲気です。
 テントで受け取った『解説シート』には、「廃藩置県の後、彦根における井伊家の居宅はこの屋敷が用いられ・・・・」とあります。また「平成13年に国の名勝指定を受け、彦根市が管理団体となり庭園の維持管理を図るとともに、公有地化に努めています。」とあります。現在でも井伊家の所有なのだと分かります。

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 玄関の脇を通り抜け、奥の庭に出ます。
 たしかに水が抜いてあります。だまだ整備は途上のようです。大名庭園というよりは、個人の邸宅の広い庭のような印象を受けます。
 『解説シート』によると明治22年に建築されているようです。しかし、途中、修理はしているでしょう。戦後昭和22年に解体された棟もあります。
 
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 池の正面を振り返ると、玄関奥につづく建物があります。雨戸が閉まったままです。かつても市長宅の広間だったのでしょう。庭園を観賞するのに一番よい場所です。
 写真右の建物の脇を通って、正面の門から庭に出る順路です。「順路」と書きましたが、木の枝の下をくぐり抜けるように通る箇所もあり、観光コースとして整備されていません。空き屋敷となった個人の住宅のお庭をこっそり見せて頂くようなイメージです。

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 正面の門から庭に出る「順路」。奥の建物が玄関棟、写真右手は先の駐車スペースの広い空地。

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 広間に続く棟。廊下でつながっています。台所などの建物のようです。トタン板の壁だったり、廊下の窓はガラスの入ったサッシですし、勝手口のドアはアルミですし、普通の戦後様式の住宅と変わりありません。戦後に補修、改修または増築??されたような感じです。
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 広間棟を横から見たところ。
 「順路」の看板に沿って敷地の奥に進みます。しかし、池の周囲を回遊することはできません。
池の手前から庭園を眺めるのみです。

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旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園 平成26年秋 特別公開 見学

2014年11月24日

 平成26年 錦秋の三連休 最終日。ここは滋賀県の彦根市。

 埋木舎を後にして、再び車に乗ります。車で内堀沿いの道から琵琶湖方面に出ることはできないそうで、一旦先ほどの中堀に抜け、バス駐車場の前を過ぎ、本丸から見えた陸上競技場方面へぐるっと迂回して、湖へ向かいます。
 信号待ちの時間を含めても10分ほどで琵琶湖沿いの道路に出ます。やってきたのは、松原地区。
 旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園 特別公開です。

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 湖岸道路は以前通ったことはありましたが、ここに大名庭園(お浜御殿)があるとは知りませんでした。
 が、少しばかりでも「土地勘」はあるので、場所はすぐにわかりました。(笑)
 本来土地勘は「土地鑑」と書くようですが、ここではわかりやすく「土地勘」とします。(笑)
 
 常時公開はしていません。国の名勝指定を受けたのは平成に入ってから。名勝指定地は、観光資源としても有用なのですが、なぜ今まで一般には知られていなかったのでしょうか?。
 毎年春は4月下旬から5月初旬のゴールデンウィーク期間に、秋は勤労感謝の日を含む期間にそれぞれ10日間程度の特別公開を行っているようです。彦根において春の特別公開といえば、現在工事中の彦根城博物館蔵「彦根屏風」。彦根屏風は毎年4月~5月のゴールデンウィーク期間を含む約1か月間に公開されているようです。春に「彦根屏風」とここ「松原下屋敷(お浜御殿)庭園」の特別公開に来ようと思っていたのですが、この1月(26年1月)、江戸東京博物館の「大浮世絵展」で図らずも「彦根屏風」を見ることができたため、このたび「秋の特別公開」は「彦根屏風」ではなく、「松原下屋敷(お浜御殿)庭園」にターゲットを絞って彦根を訪問したわけです。(笑)


 特別公開用に開放された駐車場。お屋敷の隣接地の空地ですがとても広いです。
 写真の左が琵琶湖、右が屋敷の林です。正面はマンションですね。
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 湖岸には「かんぽの宿」があります。
 
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 かんぽの宿の大津方面の隣には彦根港と駐車場が。
 竹久島などへの観光船もここから乗ります。写真には水面は写っていませんが・・・琵琶湖のほとりです。

 後日ですが、テレビ番組で「滋賀の旅」として、彦根港と遊覧船や彦根駅商店街近くの「近江ちゃんぽんの店」などが紹介されていました。 
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 庭園の案内看板。

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玄宮園(名勝 玄宮楽々園) 回遊記続き

2014年11月24日

 名勝 玄宮楽々園のうちの「玄宮園」です。
 ささ、玄宮園の池のほとりを歩いて「玄宮園十景」を回遊しています。(本稿では「見学」とせず、敢えて「回遊」としています(笑)。)

 池をぐるっと回遊して、「玄宮園十景の六」、「鑑月峯(かんげつほう)」の少し先のあたりの池のほとり立ちます。目に入るこの風景。手前には、池の中に置石、正面奥には池にせり出て建つ「臨池閣」。その左の陸の上には茶室である「鳳翔台」があります。この風景もまた数百年間変わっていないのではないでしょうか。
 

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 アップで撮影。その代り、「鳳翔台」が写っていません。(笑)

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 「玄宮園十景の三」、「龍臥橋」の上から歩いてきた方向を振り返ります。写真右の松の木の奥が「玄宮園十景の六」の「鑑月峯」、私が(勝手に命名した)「鶴亀島」には橋がかかっています。鶴亀島の木々に隠れている辺りが「玄宮園十景の八」の「涵虚亭」跡です。
 写真では、池の水面に反射して光って見にくいですが「玄宮園十景の十」、「鶴鳴渚」も望むことができます。

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 橋の上から反対側を見ます。南の方向。庭園の「東口」や駐車ば方面です。写真左の紅葉しているモミジの奥が「玄宮園十景の五」の「薩垂林」と思います。見落としてしまいました・・・・。ただし、「垂」の字が違いますが・・。
 と、写真をよくよく見てみると、太陽が池の水面に反射しています。時刻は正午前です。南中時刻に近いので、ほぼ真南に近い方角から太陽が照っていることがわかりますね。(笑)
 太陽が写ったのは本当に偶然です。夜になると「月」の光も池に写るのでしょう。
 お殿様は、先に通った「玄宮園十景の六」、「鑑月峯(かんげつほう)」から月を愛でたのでしょう。

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 龍臥橋の更に先の「高橋」を渡ります。お茶席の提供されている鳳翔台の近くまでやってきました。お茶(別料金)は頂かず、出口に向かいます。

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 出口に向かって池の中島を歩きます。山がこんもりとしています。もしかしたら、この島こそが「鶴亀島」かも知れません。(笑)

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 「琴橋」を渡って振り返ります。写真左が、「玄宮園十景の四」、「春風埒(しゅんぷうれつ)」のはずですが、よく判りませんでした・・・・。


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 出口の「東口券売所」から見た当時の絵図をのせた案内板。
 当時と庭園の様子はあまり変わっていないのでしはないでしょうか。

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 「玄宮園十景」をほぼ回遊することができましたが、一部判然としなかったり、写真撮影が漏れていましたが(笑)。










































 

玄宮園(名勝 玄宮楽々園) 回遊

2014年11月24日

 玄宮園の池のほとりを歩きます。江戸時代の代表的な「池泉回遊式庭園」です。よって、この記事のタイトルは「見学」という語を使用せず、敢えて「回遊」とします。

 池の正面に立ちます。まず目に入るのがこの風景。正面に池と亭閣。その上に天守閣。
 この風景は数百年変わっていないのではないでしょうか。
 もっとも山の上の本丸には長櫓や低層の建物があったとは思います。現在のように「公園」としては整備されていませんでしたから、山の斜面や本丸部分には木々がもっと生い茂っていたでしょうか。
 それとも金亀山と天守閣は「借景」なので、よく見えるように管理、整備されていたのでしょうか。
 池にかかる右の橋は「七間橋」、池の中の島を経由して「臨池閣」に更に橋がかかっています。
 案内パンフレットによると「玄宮園十景」が当時から示されていたそうです。私もこれから十景を辿って「回遊」していきます。(笑)

 
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 まずは、天守閣をアップで見上げます。
 
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  方向を変えて、南(つまり先ほど車を停めた駐車場方向)を見ます。
 池に長い橋が一つ、その右に短い橋がひとつ合計でふたつかかっています。
 「玄宮園十景」のひとつ「龍臥橋」です。パンフレットでは「3」番目と番号が振ってあります。おそらく「十景の三」と呼ばれたのでしょう。池は「玄宮園十景の九」の「魚躍沼」です。まさに「魚が跳ねる」ような沼ですね。
 「池」とは命名されていません。
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 振り返ってみると、「玄宮園十景の七」の「飛梁渓」です。水の流れていにい「渓谷」にアーチ型の太鼓橋がかかっています。戦国時代より更に前の時代の「枯山水」様式を彷彿とさせます。

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 池の端まで歩きました。天守閣をバックにした庭園は、時代劇のドラマでも使用されます。お殿様が家臣を連れて歩きながら話シーンに登場しますね。
 池の中の島の名前はパンフレットの中にはありませんが、写真に写っている島の向こう側(お城側)が「玄宮園十景の十」、「鶴鳴渚(かくめいなぎさ)です。長寿の象徴、鶴の鳴く渚なのでこの島はおそらく「鶴亀島」というのではないでしょうか。勝手に命名して申し訳ありません(笑)。

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 舟着場跡から池の中心を望む。
 写真右の池のほとりの道は池の側を通る道とやや高い高台を通る道とふたつに分かれています。小さいことですが、池のほとりのアングルと高いアングルから借景を含めて風景を眺めることができます。
 写真には写っていませんが「玄宮園十景の八」の「涵虚亭」の跡があります。更地なので気付かず撮影しませんでした。(笑)かつての亭閣の跡ですね。
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 舟入なのでしょう。
  案内図には「舟着場跡」とあります。ここに舟屋は・・・、たぶん無かったですね・・・・。(あくまで想像ですが。)

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 (既出) 玄宮園入口にあった夜間ライトアップ特別公開の告知。
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玄宮園(名勝 玄宮楽々園) へ入場、本丸からの遠景写真

2014年11月24日

 写真は先ほど天守閣の入場待ちの際に撮影したものです。
 池は「魚躍沼」、手前の茅葺の建物は「臨池閣」と「鳳翔台」。茶室で、見学者にお茶を出している「鳳翔台」は襖が開け放たれていますね。

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 少し引いたアングル。球場や陸上競技場、学校らしき建物などの公共施設があります。江戸時代から続く庭園のすぐ近くでは私達の「現代生活」が営まれているのです。(笑)

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 グラウンドをアップしたのではなく「楽々園」の御殿を撮影。「枯山水」の庭園も少しばんり写っています。

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 では、記事の続きです。
 楽々園を出て、隣接した場所にある 玄宮園の入口に向かいます。向かいます、とっいてもすぐそばです(笑)。
 「玄宮園」は秋期のライトアップがあります。夜間特別公開として入場できます。「楽々園」ではライトアップは無いと表示されています。やはり区別して「楽々園」、「玄宮園」と分けています。「玄宮楽々園」として名勝に指定されていますが、「玄宮園」のみのライトアップと表示しておかないと、誤解を招くからでしょう。
  
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 おなじみ「玄宮園」の入口。といつても、2回目です(笑)。

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 庭園に出ました。入ってまず目に入るのがこの風景。正面に池、右に亭閣。風情があります。
 池にかかる橋は「七間橋」、池の中の島を経由して「臨池閣」の建物へ更に橋が繋がっています。
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 玄宮園と楽々園は実はお隣同士であることが分かります。今でこそ、簡単ながらも柵があって行き来できませんが、昔は同じ庭同士、お殿様とその一族郎党はお散歩して行き来していたのでしょうか。
 
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 楽々園の入口方向。築山の石組みを先ほどとは反対方向から眺めます。
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 上の写真では楽々園の御殿の半分が写っています。玄宮園から見た建物全体が写った写真を・・・・と思いましたが、撮影していなかったようで、画像の保存がありませんでした。(笑)

楽々園(名勝 玄宮楽々園) 見学その2

2014年11月24日

 彦根 旧大名庭園 「玄宮楽々園」の「楽々園」 いまだ工事中の部分もありました庭園には池は無く、「枯山水」と説明があります。ただ、既述のように配布されていた説明文書によると、もともとは池もあり、お殿様のご命令かどうかは分かりませんが、のちの時代に造作を変更した(か、いつの時代かに手入れが行き届かなくなって枯山水様式に変わった??。)ようです。

 正面から眺めた庭園。楽々園の御殿の建物から見るとほぼこのように見えます。奥にある庭園は、玄宮園です。石組みと林が残っています。芝生や一部露出している地面の先に玄宮園の池の水面が見えます。
 写真左は窪んでおり、かつての池泉の跡を感じます。

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 地震の間の説明と奥には、池の無い芝生と石組の庭園が広がっています。

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 書院につながる部分の棟は工事中。地震の間。昔の耐震構造というより、茶室で柱と柱の間が狭く丈夫な造りになっているから地震にも強いのであろうという理由だから??、『地震の間』というようです。昔のことなので、長い御公儀の太平の世の間、一度、地震で屋敷の一部が壊れてその教訓を忘れないとの意味で『地震の間』と名付けたのかと思いましたが、違うようです。
 その先には、園の名前の由来となった『楽々の間』があるようですが、工事をしています。

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 上の写真でも写っていますが、転園の中ほどに石燈籠があります。昔は、庭石ももっとたくさん配置されていたと思いますが、築山なども含めて明治以降かなり失われてしまったのでしょうか。

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 築山を正面から。山から滝となって水が流れ出る様を表現したのだと分かります。
 枯山水に変更する(というか説明の文脈からすると、時期は判然としないが、いつの頃からか枯山水になった??)以前は池があって、水が流れていたと説明文書にはありました。

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  楽々園の御殿の建物。書院は、角にあり、日当たりがよいです。
庭を観賞するのに一番良い場所です。建物自体はこの10倍はあったといいます。
 現在は失われている建物の一角で、のちの大老井伊直弼も生活をしたそうです。

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 (既出)御殿の書院(広間)の部分。上段の間が区別されており、お殿様と家臣、来客などの対面の間だったようです。 内向きのプライベートな空間だったとのこと。
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 モミジと書院。 写真右は工事中で地震の間と楽々の間に続いているようです。
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楽々園(名勝 玄宮楽々園) 見学

2014年11月24日

 彦根城を出て、庭園へ向かいます。彦根城に隣接した場所にあるこの旧大名庭園は、一般的に「玄宮楽々園」と表記されると思います。が、現地では「玄宮園」と「楽々園」に分けて表示されています。前回訪問時は、「楽々園」が工事中であり、「玄宮園」のみの見学でした。あとで知りましたが、文化財指定の上では「玄宮楽々園」と名勝に指定されているので、「玄宮楽々園」と呼ばれているのでしょう。
 今回は、「玄宮園」に入る前に 「楽々園」に入りました。といっても、楽々園の入口は簡単な木戸のみで入場券が無くても自由に見学できます。
 
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 見学の案内板。外から建物の内部と庭園を見ることになります。

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 楽々園の入口。奥に庭園の石組が見えます。

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 木戸の外にあるのですが、楽々園の建物の玄関です。

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 木戸を入って正面にある楽々園の庭園。石組みです。おそらく蓬莱などの山を表現しているのだと思います。庭園には池は無く、昔は白砂か玉砂利などの「枯山水」だったようです。現在は芝生が植えられていて、当時の姿を完全に再現しているわけではないようです。池のある玄宮園とは趣が異なります。
 (もっとも、庭園の説明文書をよく読んだところ、もともとは池のある庭園で、玄宮園と区別せよとのお殿様のお達しで御殿を広げ、枯山水の庭園にしたそうです。)
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 入口から眺めた奥にある庭園。石組みと林残っています。説明には「枯山水」とありますが、確かに、何となく池も昔はあったのではないかと思わせる造りです。庭園部分は柵にかこまれて、立入禁止になっています。庭園とはいえ、かつて池があっと思われるところは埋め立てられたのかは分かりませんが、芝生が剥げて地面が露出している箇所もあり、整備が行き届いているというわけではないようです。
 あたかも現代でも公水面の埋立地が更地のままで、何も整備されていないかのように・・・・・・というのは言い過ぎですね。(笑)

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 庭園部をアップで撮影。

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 楽々園の御殿の建物。上の写真の玄関部分の裏手にあたります。モミジが紅葉しています。

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 御殿の書院(広間)の部分。
 おそらく昔のお殿様はこの部屋や縁側に立ち、庭を眺めたのでしょう。

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 上段の間が区別されており、お殿様と家臣、来客などの対面の間だったようです。

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新江戸川公園(旧細川家屋敷跡庭園) 散策

 2015年2月21日 
 
 平成26年度冬期展示 「信長の手紙 ~59通一挙公開!~」 細川コレクション 永青文庫の見学を終えました。隣接する新江戸川公園に歩きます。というより、崖(がい)の斜面の小みちを下るような感じです。
 池の上の斜面から見た公園内の様子。早稲田、高田馬場方面に高層マンションが見えます。
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 斜面を下る途中、永青文庫の外壁(手前)と建物。緑の木に覆われて建物はよく写っていませんね。
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 永青文庫から公園内に入り、斜面を下ります。斜面途中から眺めた池の様子。永青文庫内と同じく、常緑樹の葉が茂り、冬なのに見通しがよくありませんね。
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 さらに、公園を散策します。池の眺望がきく場所まで来ました。日差しは春を感じさせますが、2月のこと。まだまだ寒いです。公園内、池の周囲の木々も枯れています。春が待ち遠しい・・・・・・。
 奥の建物は和敬塾の木造建築でしたが、工事中です。

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 石畳の道を歩いて池のほとりまでやってきました。池につながる曲水や滝もあります。勢いよく水が流れています。昔は崖から豊富な湧き水があったのでしょう。現在でも湧き水なのか、地下水のくみ上げか、水道水かそれともポンプ循環かは分かりません。

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 池の上の斜面から別方向。
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 池の前まで降りてきました。神田川沿いの正門から入るとこの池がまず目に飛び込んできます。
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 池のほとりに立つと、鯉が集まってきます。お利口さんな鯉さん達です。(笑)

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 (既出) 永青文庫と公園の間の門。最初は通れるかなと思っていましたが、閉まっています・・・。
 心臓破りの坂が・・・。左は芭蕉わかりの地です。が、入場はしませんでした。

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 (既出) 永青文庫と公園の間の門。もともとは、両方、和敬塾の敷地も含めて細川家のお屋敷の敷地でありました。解説板によると、江戸時代ずっと細川家の屋敷であったわけではなく、江戸時代の後期、それも幕末に近い頃から細川家の屋敷になったとありました。では、上屋敷はどこにあったのか・・・、私は知りません。

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