良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

中信(安曇野、松本、北アルプス周辺)

 

碌山美術館 春季企画展「荻原守衛の軌跡をみる -書簡・日記・蔵書-展」 見学

  2015年5月4日

 信州・安曇野。春季企画展「荻原守衛の軌跡をみる -書簡・日記・蔵書-展」
 「碌山美術館」の見学記です。

 企画展の建物に入ります。
 故郷て゜の手紙、東京に出たときの手紙、欧米に留学中の手紙などが写真とともに展示されています。手紙を見ていくと、守衛の生涯についてかなり理解をすることができます。
 今まで信州の農家の五男?だった守衛、20歳近くになって東京に出て絵の勉強を始めます。守衛は地元の旧中学に通ったわけでは無いようです。東京に出て美術学校に入ったわけでもない。展示によると実家の農作業に従事していたが、「画家になる」と決意して故郷を離れたようです。

 ↓ 「しなの木」。若葉の鮮やかな木々の名前でした。
   萌黄色というのでしようか。美しい葉の色が心に残ります。
   木の幹の色こそ違いますが、白樺のような木です。

DSC01884






















 展示室とその前の彫刻。
 

DSC01880



























DSC01881




















 企画展の建物の入口には守衛の親友、孤雁(字が違うかも)の言葉が刻まれています。やはり、守衛に最も大きな影響のあった友人かつ、芸術家仲間だったのではないかと思います。

DSC01882




















 展示を見ていくと留学中に「ウォルター パッチ」という人物がでてきます。
 フランスでロダンに面会の仲介をしたのもパッチのようです。面会を約束する手紙をパッチが代筆したようだとあります。
 また、帰国時、守衛はフランスからイタリアを経て、エジプトに寄港して観光して日本に帰国しています。イタリアでガイド役をした女性が出てきます。二人で観光名所 フィレンツェなどを回ったようです。この女性はのちにパッチの妻となった、と説明にありました。おそらくパッチが仲介したのでしょう。
 パッチは画家ではなく、美術史家のようで、大学の教授などを務めた人物のようです。第二次大戦後の1950年代に亡くなっています。大戦後、彼は敗戦国となった日本の美術界をどう見ていたのでしょうか。その後、残された守衛の作品には関心を持っていたのでしょうか。

 帰国後、二人は会うことは無かったのでしょうが、守衛にとって重要な人物であると分かりました。
 エジプトではカイロまで汽車で移動し、ピラミッドやスフィンクスを見物しています。現代の観光者と変わりませんね。




(荻原守衛)碌山美術館 見学記3 安曇野市

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館「碌山美術館」の見学記です。

 碌山と深い関係にあった作家の彫刻が展示されています。
 有名な人物では高村光太郎の作品がありました。


DSC01884




















 企画展示を見た後は売店で買い物です。相馬黒光(星 良)と高村光太郎の回想の冊子を買いました。
黒光なる女性と守衛はどのような関係だったのでしょうか。横恋慕でしょうか!?。回想を読むと、黒光自身はそれほど守衛を特別な存在とは見ていないような・・・・。「私より三歳下なので・・・」と弟のような存在だったような回想です。「女」にしろ「デスペア」にせよ黒光に恋焦がれて燃えるような魂の叫びを彫刻にぶつけたような守衛の作品ですが、恋慕の対象だった黒光当人にとって守衛は「ワン ノブ ゼフ」の一人であったような印象を受けたのは私だけでしょうか?。


 碌山館の前では、見学者が次々に写真撮影をしています。
 新緑の中にたたずむ建物の屋根の上には鐘楼の尖った屋根。教会堂のような屋根の先端は、まっすぐ天上を指して、若くして死去した守衛を鎮魂しているかのような感を受けます。

DSC01886





















 美しく、静かな安曇野の野にたたずむ美術館・・・・・・といいたいところですが、実は線路のすぐ脇にあります。
時折電車が走り、近くに踏み切りもあるのでその都度「カン カン カン カン カン カン・・・・」と音が響き、「ガタン ガタン ガタン ガタン ガタン ブイーン ガタン ガタン・・・・  」と電車が通ります。結構騒々しいです(苦笑)。
 と、「特急あずさ」も走っていきました。モチロン、「ガタン ガタン ガタン ガタン ガタン ブイーン ガタン ガタン・・・・  」と。学生時代、クラブの合宿の際に大町線は利用したことがあるのでここ碌山美術館の脇を通ったことはあるのですが、気付きませんでした(更に苦笑)。
 ああ、もっと早くに訪れるべきでした。
 
 最後に休憩室に置いてあった見学者ノートの記載を紹介したいと思います。
「・・・・20(歳)台からほぼ10年おきに碌山美術館を訪れて、今回で4回目になります。・・・・・。」と几帳面な女性の字で書いてありました。彼女は守衛の作品に魅せられて若き頃からここ碌山美術館を訪問し、齢(よわい)は恐らくは50歳台~60歳台、還暦を迎えられているか、それに近い年代なのでしょう。 現代でもなお、時空を超えて人々の心を惹きつける守衛の作品と生涯なのです。






























(荻原守衛)碌山美術館 見学記2 安曇野市

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館「碌山美術館」の見学記です。

 碌山館の裏から。建物の一番奥は、細長い別の小さい部屋になっていて展示室ではありません。守衛の生涯を解説した資料室でした。壁には、守衛の年表を掲示し、下のガラスケースには遺品や資料を展示しています。
 アメリカ滞在時代の資料もあります。戸張弧雁との交友についても説明がありました。
 戸張は、アメリカ滞在中に親しくなり、帰国後も深い交流が続いていたと分かりました。中村屋サロン美術館でも戸張の作品、肖像画が展示されていました。サロンに集う仲間だったのですね。しかし、戸張もまた長命ではありませんでした・・・・。

DSC01877





















 別棟に入ります。ここは二階が図書室や研修室になっていて、講演会や研修ができるようになっています。図書室は時間の関係もあるので、割愛して一階の展示室を見学します。
 守衛の絵画の展示室でした。展示室が守衛などの絵画作品です。彫刻は一点もありませんでした。意外にも守衛は絵を多数残しています。もっとも最初は「画家」になるとの志を抱いて東京に出たのですからね。


DSC01878




















 美術館敷地内の様子。緑の木々に囲まれています。
 写真右は守衛と深い関係にあった作家の彫刻が展示されています。

DSC01883




















(荻原守衛) 碌山美術館 安曇野市 見学記

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館「碌山美術館」。

  DSC01874「碌山美術館」といえば、この教会風の本館(碌山館)です。この中は守衛の彫刻作品の常設展示室になっています。建物内の撮影は禁止でした。



























 碌山館の建物の脇には、水汲み場がありました。北アルプスの豊富な伏流水を汲み上げしているのでしょう。
本来はポリタンクを持ってきて汲むところですが、ここは美術館の敷地内。勝手なことはできません。
と、碌山館の「定礎」の石が外壁に埋め込みされているのが見えます。建築は昭和33年と50年以上前のようです。


DSC01875




















 本館の前から、敷地外の道路を見る。道路の更に先は、美術館の広い駐車場になっています。
 そば屋さんもあります。ここで昼食を食べました。その記事は後日アップします(笑)。

DSC01876




















 「碌山美術館」は教会風の本館の外観が有名なため、森の中にたたずむ小さな美術館と思っていましたが、敷地のすぐ脇には一般道が通り車が往来しています。本館の奥側は学校になっています。穂高の街のはずれの一角にあります。

 碌山館のドアを開けて内部に入ります。林立するように展示台の上に彫刻が置かれています。個々の展示作品にガラスケースはありません。展示台の高さは、1メートルくらいで見やすい位置にあります。そのため、目の前で像を観察することができます。もちろん作品に触ることは厳禁です。
 
 館内の中心線上、出口に近いところ、まっすぐに建物奥に向いて「女」と「北條虎吉像」のブロンズ像がありました。「重要文化財」と銘板が展示台に取り付けされています。「女」はいまさら私が言及するこはありますまい。
 「女」は近代彫刻としては初めて重要文化財に指定された、と説明にありました。その翌年に「北條虎吉像」が重要文化財に指定されています。
 近代彫刻作品の場合、石膏原型が「重要文化財に指定」されているのであって、今目の前に展示されているブロンズ像が指定されているわけではありません。「女」の石膏原型は東京国立博物館に所蔵されているはずです。「北條虎吉像」の石膏原型は東京国立近代美術館ここの所蔵だったと記憶します。
 よく展示されるのは東京国立近代美術館で、「女」です。でも、石膏原型は東京国立近代美術館には無い。中村屋サロン美術館では、1970年代に鋳造されて「女」像の展示がありました。東京国立博物館の近代美術コーナーのフロアでもブロンズ像は見たことがあったような・・・・・。そのため、「女」の石膏原型は東京のどこだったかな??と分からなくなってしまいます(笑)。
 「北條虎吉像」の(ブロンズ像を)見るのは多分初めてです。安曇野の碌山美術館に来れば「北條虎吉像」は石膏原型は見ることができなくても、プロンズを見ることができるわけです。

 碌山館の裏から。

DSC01877





















碌山美術館がある地、信州・安曇野 へ行く。

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館である「碌山美術館」にやってきました。
 ゴールデンウィークの真っ只中。実は松本城の入場のために並んでいたのですが、あまりの行列と待ち時間のために、再入場券(数時間後に見学できる時間指定の整理券)をもらい、一旦松本市内を離れて安曇野へ移動しました。
 この「信州たび日記」は、後日アップすることにします。先に美術館の見学記を書いていきます(笑)。
 碌山の故郷にある美術館。大都市中心部の立地ではないため混雑する、というほどではありませんが、絶えず見学者がやってきます。私もその一人です。
 実は「碌山」が荻原守衛の号であると知ったのはここ数年のことです。(二~三年くらいかな・・・(震)。)荻原守衛といえば、教科書にもその作品の写真が載らないことは無い、近代日本における最高の彫刻家です。作者の名は知らなくとも、その作品の写真は必ず見たことがある筈です。 
 二年前の夏に安曇野を訪問したことは書きましたが、このときは「碌山美術館」に来ることができませんでした。今回、やっと「宿願」を果たしたことになります(笑)。
 東京・新宿にも「中村屋サロン美術館」が昨年の秋にオープンし、ここ「碌山美術館」所蔵の多数の作品が展示されていました。同じく昨年秋には美術関係のテレビ番組でも取り上げられましたし、改めて注目の集まる荻原守衛と「碌山美術館」です。

 ↓ 労働者。 フランス留学から帰った後に作成された晩年の傑作です。
   入口近くの屋外に展示されています。若葉がまぶしい木々の緑の中で輝きを放っています。  

 DSC01885  が、労働者はどことなくやせ衰えて、人生の苦衷にさいなまれているようなポーズです。どことなく、この時代の社会問題を反映しているような・・・・。

労働によって疲弊したと思われる荒々しい男の肉体をあますことなくとらえた作品はどことなく、ロダンを思わせます。
  






















 ↓ 美術館入り口のチケット売り場。敷地内にはいくつかの建物が点在し、展示室になっています。

DSC01888
























プロフィール

りょうげつ

カテゴリー
  • ライブドアブログ