良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

山口県

 

世界遺産 大板山たたら製鉄遺跡 見学

 2015年8月

 山口県、萩市の中心部から津和野、島根県方向へ里山の道を走ること20キロ以上。ひと山かふた山越えた集落の先、ダムのほとりに目指す遺跡あります。
 世界遺産 大板山たたら製鉄遺跡
 見学は自由です。新たにトイレや休憩小屋が設置されていました。まだ新しいです。ボランティアの説明員も常駐しているようですが、この時間帯では無人でした。
 さっそく遺跡に歩きます。駐車場に隣接して遺跡はあります。林を切り開いたような土地です。
 ↓ 遺跡の説明陶板。

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 遺跡と駐車場の間に柵はありません。夜間でも自由に入ることができます。ただし、電灯は無いので夜は真っ暗です。
 ↓ 遺跡の入口の碑。

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 ↓ 製鉄をしていた場所を覆うやぐら、といか屋根。
   モチロン当時のものではありません。最近の建築です。柱のコンクリートがまだ新しいです(苦笑)。

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 遺跡を見たときの第一声。上の子は「うわ~。とって付けた感、ハンパねぇし~。」とギャル語(笑)。
 私は無言でした。先の「造船所跡」で「耐性」というか「免疫」が出来ていましたから(笑)。
 感想特に無し。

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 上の写真は遺跡の奥。中心部のようです。説明の「陶板」によると「高殿」(たかどの)といい、製鉄炉があったところで、ここで鉄わつくっていたそうです。

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 ↓ 遺跡から駐車場方向を見る。私達の乗ってきたレンタカーが一台停まっているのみです。日没後のこの時間、他に見学者はありませんでした。

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 下の写真の解説。
 奥が「高殿」、右の屋根は銑鉄場所のようです?。池の跡もあります。
 解説になりません(苦笑)。
 小屋の下や池の跡の地面部分もあとからコンクリで固めたようです。当時の石組みのあとも残っているのでしょうが、どれが当時の遺構でどれが新たに塗り固めたものか判然としません。

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 ↓ この木組みの枠は・・・。

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 製鉄炉の跡のようです。木組みはあとから付けたのでしょう。この下に地下構造物があるのか、別の場所に露出している場所があるのか、それとも埋められていのか、ちょっと分かりませんでした・・・・。

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 周囲が暗くなりました。改めて史跡指定の石碑を撮影。三年たっていません。
世界遺産に指定しようという運動は数年前からあったと思いますが、運動するためには国内での文化財指定が必要ということで、何らかのプッシュの結果、指定されたのでしょう。

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 駐車場に戻ります。日没後、急激に暗くなってきました。夜の闇が迫ってきました。車に戻ります。まるで漆黒の闇から逃れるように。(笑)
 8月のこの時期でも日没は19時30分前です。関東地方では18時50分頃でしょう30分以上日没時刻が遅いので、助かります。

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 日没時刻が遅いので、ここ製鉄遺跡、先の造船所跡、萩反射炉など自由見学の場所を明るいうちに見ることができました。これもコース組みの「想定の範囲内」です(笑)。

 










萩~日本海沿岸~大板山たたら製鉄遺跡へ

 2015年8月

 山口県、萩市の郊外にある世界文化遺産「恵美須ケ鼻造船所跡」を訪れました。まだまだ観光は続きます。午後の三時過ぎに萩やってきて、松陰神社、松下村塾、大河ドラマ館(私は入館せず)、萩の城下町、萩城跡(入城はせず)、反射炉と「めまぐるしく」観光しました。
 次なる目的地は、世界遺産 大板山たたら製鉄遺跡です。萩市内からは20キロはあるようです。それでも萩市です。広域合併の結果です。
 ルートは、松陰神社の方に戻って津和野から来た県道を走るのが速いですが、敢えて日本海沿いに国道を益田方向に向けて走行します。

 (既出の写真)
 造船所跡の堤防の上から見た日本海に落ちる夕日

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 国道から見た夕日と日本海。沖合に浮かぶ島のシルエットもまた美しいです。

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 道は海岸のそばを通っています。冬は冷たい北風が吹きつけるのでしないでしょうか。
今見ているのは夏の穏やかな海です。御気には、島が点在しています。岩礁が迫る海岸線です。

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 途中、「長門大井」駅の近くのガソリンスタンドで給油。今までは時間に追われていたので、給油場所を探す余裕もありませんでした(笑)。
 少し戻って、内陸へ道を曲がります。田園地帯が広がります。

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 山の中の道に入っていきま。家はなくなく、道は細くなります。林の中で暗いのでライトを点灯させます。対向車とすれ違うのも困難な山道となります。やがて、道は広くなり、山を越えました。山間の田園地帯に出ます。山越えをして別の地域に来たと思いきや、実はここも萩市です。山の間に家々が点在しています。

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 しばらく、田園地帯の道を走ると「大板山製鉄所遺跡」の看板が出てきました。道を曲がり、田んぼの中の道を進むとやがて山が迫ってきます。ダムが上流にある地域に入って行きます。
 進行方向の右下にダムの水面が見えるようになります。しかし、巨大なダムではありません。道はやがて行き止まりになります。その奥に駐車ばありました。
 ここが大板山たたら製鉄遺跡です。もともとあったダム管理用の道路を整備してその行き止まりの地点に駐車場を新たにつくったようです。

 ↓ 車は私達のレンタカーしか停まっていません。

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 ↓ トイレも新しいです。 トイレの建物の奥の林の先のがけ下にはダム湖があります。
 

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世界文化遺産 萩「恵美須ケ鼻造船所跡」 見学記

 2015年8月

 山口県、萩市の郊外。一山越えた入江の奥にその造船所跡はあります。
 萩の反射炉からは、600メートルくらいでしょうか。1キロはないと思います。よって徒歩で移動することが可能です。というより「造船所跡には駐車場はありません。」との表示が出ているため、徒歩で移動しないといけません。基本的に反射炉と駐車場は共通です。が、夏の炎天下、寄る陰もないアスファルトの道を歩くのは難儀です。車で移動したいなと思うのが人情です。
 世界文化遺産、萩の「恵美須ケ鼻造船所跡」。地名は「えびすがはな」と読むようです。恐らく七福神の「恵比寿」「戎」様と掛けているのではないでしょうか。
 
 ↓  造船所跡の道からの眺め。静かな入江が広がっています。道は埠頭と一体となっており、漁船が繋留されています。静かな漁港の風景です。

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 「恵美須ケ鼻造船所跡」の看板が設置されています。
 この付近の海岸は国定公園に指定されています。美しい海辺の風景です。
 「造船所跡」と文字が縦書きのコンクリート?の石碑もあります。設置は石碑の方が先のようです。

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 説明によると伊豆の戸田(へた)に人を派遣して、造船技術を学ばせたとあります。戸田の方が当時は進んだ造船技術を持っていたことが分かりました。戸田の造船資料館には以前訪れたことがあります。ここ萩の地で、遠く離れた戸田(へた)の地名を聞くとは、思ってもいないことでした。
 戸田で技術を学んだ後、ここで軍艦二隻を建造したそうです。軍艦といっても最初の船は長さ25メートルといいますから、現在でいうと漁船程度のものだったでしよう。ここで建造された船の動力源は明らかにされていません。石炭を燃料とするの蒸気機関を備え付けていたのでしょうか?。帆船だったのでしょうか?。恐らくは後者です。蒸気機関を組み立てた工場跡は示されていません。

 造船所跡は生垣の内側にあります。「祝 世界遺産登録」の看板が設置されています。
 のぼりにもあるように登録物件名は「明治日本産業革命遺産」です。

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 ↓ 造船所の跡。草が生えています。砂地の更地があります。特に構造物、構築物の遺構は見たところ、ありません。建物の跡を復元するのか、正方形に盛り土がされていました。昔からある盛り土ではないようです。

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 肝心の造船所跡はというと・・・・・。
 その「遺跡」の前に立った私は、しばし言葉を失いました。「絶句した。」と言った方がよいかも知れません。
 次いで出た言葉が「え~、これが造船所ぉ~??。う~ン。」でした。笑いはなく、私の顔は硬直しました。

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 世界遺産の「造船所跡」とは、すずらんテープが潮風に揺られる光景でした・・・・。
 小さいプレートで説明はありますが・・・。


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 傍らの堤防の上に立つことができます。
 夕日が美しい。堤防から沖合を見ます。日本海です。夏の日本海は、実に穏やかです。まさに日本海の水平線の向こうに太陽が沈もうとしています。
 沖合には、うっすらと台形の島影が・・・。鯖島というようです。

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 入江の内側。山がマシュマロのようにポンポンとあります。山と入江が美しい海岸風景をつくり出しています。
ここから湾を挟んで対岸、先に通って来た国道沿いには『道の駅 萩シーマート』があります。ツレに言わせると以前テレビで紹介していたことがあって、賑わっている道の駅だそうです。このときは、夕方6時だったので、お店はすでに閉まっているだろうと思い、寄りませんでした。道の駅のお店は夕方5時閉店のことが多いですからね。
 ↓ 石垣の堤防。当時のものだそうです。
   造船所の跡たる世界遺産の目玉構造物ですね。

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 堤防の内側。まさに造船所の跡です。堤防の海側には、護岸のためコンクリート製のテトラポットがたくさん置いてあります。日本海の荒波にもまれているのですね。




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 堤防の上から見た「造船所跡」。鎮守様の小さな祠があります。
 なんとなく、野球場かゲートボール場のような・・・。石組みのドックが残っている訳ではありません。造船所というと、横浜のみなとみらいに残っている巨大ドックの跡を想像してしまいますが・・・ここは違います。

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 「造船所」というものの西洋式の石組のドックではなく、ここで堤防を造作して船を建造しただけではないかと思いました。ここで進水したのです。ドックは、土を掘って、木の板で固めて、陸上の構造物は木製だったのではないでしょうか。幕末に使用した軍艦を建造した史跡というべきです。あとからナントでもできるような造船所跡です。技術を習いに行った戸田には造船所跡は残っていないのでしょうか?。残っているのならば、戸田も世界遺産の登録されていもよいはずです。戸田は現在でも港町で船が多数湾内に停泊していますね。

 見学をしていると若い女性の二人組が見学にやって来ました。先ほどの萩の反射炉にもいた人です。同じルートを辿って見学しているのですね(笑)。
 二人は、デジカメを取り出して、写真を撮りまくっていました。堤防の上にいた私達もバッチリ撮影されています。もしかしたら、彼女たちのツイッターかブログかFBかに私達の写真が載っているかも知れませんね!?。

 ↓ 萩の市街地は入江の先に見える山の向こう側です。

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 直感ですが、年齢や外見、服装、行動からして彼女達は看護師ではないかと思いました。本当に何となくですが、仕事は医療関係のように感じました。二人は職場の同僚と思いました。普通の会社員のような感じではありません。公務員のようでもありません。学生時代からの友人、主婦の友達同士といった感じでもありません。ここまで来る行動力や「女子力」高そうな雰囲気、そして年齢からして。
 年齢は私よりも全然若いですが、明らかに学生ではありません。何かの仕事にはついている感じです。ぱっと見、20台後半、実際は30歳くらいかも知れません。ただ、観光しいる間のテンションは高くなく、服装も地味で、雰囲気は落ち着いています。何となく表情は・・・・・、特にほうれい線の辺りが・・・・・・(失礼)。彼女たちは軽自動車のレンタカーでここまでやってきていました。運転も慣れているようです。年齢相応以上の旅行経験があるようです。

↓ 港の前の道路と漁船を繋留する埠頭様子。写真の右の集落の奥が萩反射炉のある場所です。

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 もう一人、萩の反射炉で見た中年のおじさんかやってきました。一人です。肩からカメラを掛けています。ここまで歩いて来たようで、汗だくになっていました。
 
 (おさらい)
 造船所跡の堤防の上から見る日本海に落ちる夕日は絶景です



世界遺産 萩反射炉 見学 

 2015年8月

 山口県、萩市。今年世界遺産に指定された萩反射炉にやってきました。 
 浜崎地区から車で5分かかるか、かからないかの距離です。武家屋敷地区からでも車で10分から15分でしょうか。 

↓ 下の写真が世界文化遺産のひとつ萩反射炉です!!。  

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 ささ、それでは萩の反射炉へのアプローチ方法から。
 車で行く場合、駐車場はどこにあるか?というのが問題になります。事前にウェブイトや萩周辺に来てから入射したパンフレットで確認したところ、反射炉の近くに駐車場が整備されていることが分かりました。駐車場を目指して進みます。萩の市内方向から来ると右折入場で駐車場に入るようになります。セブンイレブンの看板がありました。わずかに反射炉と書いてありましたが、右折入場するタイミングを逃して通り過ぎてしまいました・・・。
 引き返して、駐車場に停めます。駐車して分かったのが、セブンイレブンと反射炉の駐車場は共通であることが判明しました。
 「世界遺産」と「コンビニ」の絶妙な組み合わせです。ここを訪れる外国人は「オー、ワンダフォー!!」と感嘆することでしょう。(ウソです。)

 ↓ 駐車場から階段を登ります。「祝」とのぼりがかかっています。入口付近には案内看板もあります。

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 案内板には萩市内の世界遺産についての説明があり、この反射炉自体は『試験用』であったとあります。
本格的築造はせず、ここで試験的に築造したようです。
 また、同じく世界遺産にこのたび指定された「造船所跡」についての解説とその場所までの地図もあります。

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 ↓ セブンイレブンと兼用の駐車場。 階段の上からの風景と夕日の方向とが重なりました。

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 ↓ 別のアングルから。駐車場の様子。お店の名前はその名も「萩反射炉店」でした。
   あっ、あと特筆すべきことに「宝くじ売場」もあります。ここで大当たりすれば「オー、ワンダフォー!!」と感嘆することでしょう。(ウソです。)
 この世界遺産を目指して観光にやって来る外国人にとっては「かゆいところにも届くくらいのコンビニエンス」さに「オー、ジャパーン シヨッピング カルチャー ヴェリー ユースフォー、アメ~イジング!!」と驚嘆すること間違いないでしょう。(ウソです。)
 車でやって来た人が、階段を登って見学にやってきます。夕方6時くらいですが、次々に見学者がやって来ます。

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 更に階段を登ります。入口は特に門はなく、自由に見学できます。

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 ガイドさんの待機小屋と見学者用の休憩場所があります。訪問した時間帯が遅かったので、ガイドさんは帰った後でした。ご多分にもれず大河ドラマと「ドラマ館」の宣伝看板もありました。セミがミーンミーンと鳴いていてかなりうるさいです。 

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 丘の上に反射炉はあります。丘からの眺め。海と夕日が見えます。
敷地には桜の木が植わっています。春には美しい花を咲かせるでしょう。世界遺産の指定を契機とした桜の新名所の誕生ですね
 桜の樹液をセミは好みます。私が訪れた夏のこの日、緑の桜の葉の生い茂る反射炉の敷地ではセミが盛んに鳴いていました。

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 反射炉に辿りつきます。
 子供の頃に伊豆の韮山反射炉には行ったことがあります。記憶を頼りに韮山と比較してみます。「あまり管理されていなかったな。」が第一印象です。韮山の反射炉は炉の外壁のレンガも整備されていて鉄枠で支えられていたと記憶します。しかし、萩の反射炉は崩れかかっています・・・。風化してレンガは崩れかかり、雑草が茂っています。崩れかかった土のレンガを薬液で無理に固めたのではないかと感じました。(実際は違うかも知れませんが。)

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 反射炉の土台部分。崩れかかています。現在でこそ、新しい鉄の柵で囲まれて保護されていますが、以前から鉄の柵はあったと思いますが管理状態はよくなかったのではないでしょうか。
 「平成19年度」に「近代産業遺産」に指定されています。文化財として保護指定の気運は元々高まっていたのだと思います。思わず「政権交代はいつだったかな?」と思い出してみました。最近の政権交代後、急に指定されたのではないようです。なんとなく、ホットしました(笑)。

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 横から見た反射炉全景。


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 コンクリート製の反射炉の説明。煙突の部分が残っているようです。
 入口の近くの説明板にもあったように結局萩では本格的な大砲の鋳造は行われなかったようです。お試しに築造したものが、そのまま放置されて現在まで残ったようです。燃焼室の部分は崩れて残っていないようです。
燃焼室は半地下だったと思いますが、埋まってしまっています。

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 ここ萩の反射炉は「試験用」だったとはいえ、現在、日本で当時の反射炉は韮山と萩しか残っていないそうです。日本でたった二か所しか残っていないのです。萩の反射炉の重要性が理解できました(笑)。
 同じく説明板。反射炉ではなく、造船やたたら製鉄に関する説明です。

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 萩の造船所で建造された軍艦の説明。反射炉の後は、造船所跡に移動します。

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 反射炉の公園の敷地の傍らには山陰本線の線路が通っています。本数は限られますが、気動車が通ります。ゴトゴトと遠くから鉄路を走る列車の音が響いてくるので分かりました。カメラを用意して撮影しました。世界遺産に指定の敷地内から「撮り鉄」となりました
 写真には写っていませんが、この時間でも見学者は多かったです。二十人以上は見学している人がいたと思います。見学のための滞在時間は短いものの、次々に見学者は(駐車場から)階段を登ってやってきます。

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 駐車場は「セブンイレブン萩反射炉店」と共通と書きましたが、場所は違うものの混雑時の第二駐車場もあるようです。











萩 浜崎重要伝統的建造物群保存地区

 2015年8月

 山口県、萩市の浜崎地区。萩の中心部には三か所の国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝)があります。
 ひとりは有名な城跡に隣接する旧城下町の武家屋敷地区。「堀内」というようです。もう一か所は、先ほど訪れた「鍵曲」が有名な「平安古(ひゃっこ)地区」。そして、ここ浜崎(はまさき)地区です。
 浜崎は武家屋敷街と異なり、漁村地区の指定です。これらの地区は、単独で国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝)に指定されています。貴重ですね。短時間で三か所も「重伝」地区を散策できます
 更に萩市には、もう一か所、市街地から離れたところですが重伝指定地区があります。その地区は「農村」で指定されているようです。市内でいうと、四箇所指定されていることになります。(訪問日現在)
 萩は近年の広域合併で市域がかなり広くなっていますね。

 「浜崎」という地区の名前がいかにも港町、漁港といった感じがしますね。
 ↓  浜崎地区の一角。蔵のなまこ壁も見えます。左は神社の境内です。

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↓ 地区の東の方向。松本川の河口付近と港の様子。
ただし、重伝指定地区ではなかったと思います。指定されているのは古い町並みが残る一角です。

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↓ 浜崎地区の中心部にある住吉神社。漁業、航海の安全の神様だったのでしょう。

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 大阪の住吉大社の末社であることに間違いないでしょう。大阪は古くからの港湾都市。あやかって、航海と漁の安全を祈願する神様としてここに祀って信仰したのだと思います。
 航海の神様といえば、大山祇神社も有名です。が、大山祇神社は萩と同じ日本海に近いかつての石見にあった石見銀山をはじめ、鉱山で祀られていますね。

↓ 神社近くの一角。

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 ↓ 港、川沿いの道路脇から街の方向

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 萩の東を流れる松本川の河口に開けています。
↓ 河口付近の様子。漁船がたくさん繋留されています。漁港、港町の雰囲気です。

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 萩城からここ浜崎地区の間には海水浴場があります。この付近で海水浴場の方から、その帰りでしょう、茶髪のギャル二人組が歩いてきました。いかにも海帰りの雰囲気、濡れた水着を入れているのでしょう、ビニール(ナイロン)の手提げ袋を持ち、キャミと短パンの軽装でした。
 ここ萩には萩温泉もあるので、旅館を予約して宿泊し、世界遺産と武家屋敷街散策、更に海水浴を楽しんでもよかったですね(笑)。「世界文化資産と海水浴」の両方が楽しめます


萩 平安古地区 重要伝統的建造物群保存地区(重伝)

 2015年8月

 山口県、萩。平安古(ひゃっこ)地区。
 武家屋敷地区なのですが、お城の近くの屋敷街からは少し離れた地区。この付近は単独で国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝)に指定されています。すぐ近くには広い川があります。萩の砂洲の西側を流れる橋本川です。

 平安古地区はなつみかんの栽培も有名です。写真には写っていませんが、屋敷の中にはなつみかんの木が植わっていました。現在でも栽培されてます。

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↓ 一番有名な曲がり角「鍵曲」(かぎまがり)の写真です。土色の壁と瓦の対比が印象的です。

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 ↓ 上の写真から更に進み、角を曲がるとこのような風景です。
  壁はホントにこの一角に一部のみ残っています。壁は保存されていなくて、普通の民家のフェンスなどに変わっていると思われます。
 重伝の指定区域もこの一角付近です。武家屋敷地区ほど広くはありません。

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↓ 別の辻の部分。片方は白壁です。普通の民家が建っています。

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 交流館の建物。閉館時刻を過ぎていました。内部には簡単な解説展示があるようです。

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 壁の道沿いにある屋敷の入口。現在も人が住んでいて、表札がかかています。

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 ↓ 案内看板。

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 ↓ 地区のはずれ。この先には広い自動車の通る道路があります。
 道路に出て左へ行くと川を渡り、右へ行くと先の市役所やドラマ館前の道につながります。

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 ↓ 少し離れて撮影。道が狭い。車がすれ違うのは困難です。


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 実をいうと、この細い道で反対から車がやって来ました。すれ違うことはできない狭さです。「これはまいったな・・・。」と思いました。後に下がろうにも「鍵曲」です・・・。と車は道端のお屋敷の中に入って行きました。ここの住人の方の車だったようです。ホッと安堵しました。助かりました(笑)。

 辻の一角。夏みかんは屋敷の中の広い空地を利用して栽培されているようです。壁に隠れて外部からはよく見えませんでした。門が開いていて、屋敷地の内側のなつみかん畑も見える家もあるのですが、個人の土地の内部なので撮影はやめておきました。

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萩城跡(指月公園) 見学

 2015年8月

 萩城跡にやってきました。車は城跡に一番近い駐車場に停めました。
 城跡は国の史跡に指定されています。今年からはユニスコによる「世界遺産」の指定も加ったかは分かりません・・・・。
 お堀と石垣が残るのみ。現在は指月公園というようです。
 公園名の由来となっている指月山を背景にしたこのアングルの写真は有名ですね。↓

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↓ お城のお堀。林の向こうは海です。

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↓ 上の写真と同じ方向のお堀。魚が泳いでいます。
鯉などの淡水魚でした。海水のお堀ではないようです。

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お堀の近くには「萩焼」の看板がかかっています。陶芸体験ができるようです。私達が訪れた時間帯はすでに閉まっていました
堀の内側から外。林の向こうは駐車場です。↓


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 お堀の内側の城跡は入場料がかかります。ここは自由散策と思っていましたが、違うようです。すでに夕方なので入場はせずに、お堀の門の前まで見て引き返しまた。
 写真には写っていませんが、入城料を徴収する受付ボックスがあり、係の人がいます。三々五々、見学を終えたのか城跡から出てくる人がいます。この時間で、チケットを買って入城していく人もいます。
 あとで調べたのですが、夏期は18時30分まで入場できるそうです。

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 駐車場からお城のお堀端までの道の途中。かぎ型に曲がった道。石垣には門があったのでしょう。大手門か大手門につながる門の跡と思います。この道は一番広い道でお城の正面につながっていますので。

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↓ 萩のお殿様の銅像。輝元公か。明治維新を成し遂げたときの当主敬親公だったかは忘れてしまいました・・・・。
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↓ 駐車場の様子。
 特に時間が開場時間帯決まっている訳ではなく、駐車できました。無料でした。訪れたときは、5時半を過ぎたくらいの時間だったのですが、自由に駐車、自由に見学に行くという感じでした。ただ、駐車場脇のお店は店じまいの準備をしていました。

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と、駐車場で一人旅らしき女性がいました。赤かピンクのスカートに、すごい露出の高い上着でした。肩が全部出ているキャミソールです。この炎天下、直射日光の当たる下、日焼けしてしまうのではないでしょうか?。多分、日焼け止めはたっぷりと塗っていると思いますが・・・・(笑)。徒歩で散策しているようで、このあと私達が車で移動している道中、武家屋敷街を歩いていました。大丈夫かな?と少し心配になってしまいました。もっとも、私が心配することではないですけどね(笑)。








萩城下町 散策 史跡指定区域

 2015年8月

 山口県、萩。
 元々、史跡として「萩城下町」、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝)に指定されています。更に今年からはユニスコによる「世界遺産」の指定も加わりました。

 

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 が、観光用の地図を後から見てみると萩の武家屋敷街を指定した「堀内重要伝統的建造物群保存地区」はここ旧木戸邸周辺は指定区域外です。もっとお城に近い方向。ここからお城よりに堀がありますが、堀のお城側が「重伝」に指定されている地区です。
 するとここは史跡指定地区ではあるが、重伝ではない。世界遺産指定地域なのでしょうか??。分からなくなってしまいました・・・。

 ↓ 旧木戸邸の前の道を歩いて北の交差点の角地にある土地。更地になっています。
   かつては屋敷があったのでしょう。

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 更地の傍らに案内看板があります。「国指定史跡」とあります。確かにここ「史跡」指定なのです。
 重伝ではありません。

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 ↓ 「萩城下町」の説明看板

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 お城に続く道。この先に堀(外堀)があり、その先が重伝に指定されている地区です。道沿いにはお土産屋さんが軒を連ねています。まだ太陽光がさんさんと照り付けていますが、夕方5時となり、店じまいの時間のようです。

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 旧木戸邸の反対側(お城側)の道の様子。観光客が散策しています。日傘をさしています。紫外線は大敵ですね。ボクはかまいませんが・・・。紫外線ドンと来いです(笑)。
 土壁もかなり崩れています。武家屋敷街といっても、かつての武家屋敷のあった土地には民家もあり、人が生活しています。民家の敷地には車も停まっていますね。電信柱も立っています。

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 道の途中にあっち更地。広いです。かつての武家屋敷の跡地です。住む人がいなくなり、建物は取り壊しをしたのでしょう。

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 と、道の途中に看板がありました。ドラマでも登場する人物の旧宅地の表示です。
 ここがかつての小田村家の屋敷の跡のようです。

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 看板のある土地の奥にはふつうの民家がありました。現在でも人が生活しているようです。かつての武家屋敷の名残はありません。

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 武家屋敷の南の道。元々歩いて来た方向です。この先にドラマ館、運動公園、図書館があります。戻ることにします。

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 と、運動公園に戻る道の途中。「旧野田家住宅」の表示がありました。
 現在、個人の表札がかかっているため個人の住宅で内部は見学できないようです。

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 旧野田家邸の前を通り、元の運動公園の前の道路まで戻ってきました。この付近が萩城下町の入口に当たります。運動公園は広々としていて、昔の建物は残っていません。観光用の人力車の待機場所があります。

 ↓ 運動公園の前から城下町方向。写真の右手の小屋が人力車の待機場所です。

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↓ 狭い川を挟ん武家惜しき地区と隣接する運動公園に建つ久坂玄瑞像。「文」の夫ですね(笑)。
  北東の方向を見ています。特に京都の方向を向いている訳ではありません。
   西日が写真の右から当たっていますね。
   入手した観光地図によると像は今年の1月に完成したようです。
   建立を記念する台座の銘文を見ると「久坂〇〇」、「久坂〇子」のように久坂姓の名前が。
   直系の子孫か、兄弟の子孫か養子の子孫でしょう。文との間に子はいなかったので、どの系譜かは
   銘文からは明らかではありません。

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↓ 萩の運動公園と図書館。図書館の向こうに「ドラマ館」があります。
 車を取りに戻ります。運動公園から図書館に直接入り、反対側の市役所や明倫館、ドラマ館の方向へ抜けることができます。図書館のロビーに自販機があったので、飲料を買ってで一服して戻りました。暑いので大汗をかいて水分を失ったので補給しました
 ボクのカラダが水を欲していたもので(笑)。

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萩城下町 木戸孝允旧宅(生誕地) 見学

 2015年8月

 山口県、萩の城下町。運動公園の敷地を越えて歩きます。途中、旧城下町の手前に人力車の待機所がありました。更に進むと武家屋敷街です。ただ、すべてが武家屋敷ではなく、一般の民家もあります。表札がかかっており、現在も住んでいると思われる家も多いです。


 木戸孝允旧宅(生誕地)は、武家屋敷が残る旧城下町の一番外れの通りにあります。この一本東側(お城から遠い方)は堀川が流れており、その更に東は病院や現代の一般住宅のある市街地です。病院の名前が幕末の志士と同じ苗字で、その親戚かなと思いました。

 ↓ 壁に沿って歩きます。向かって右(お城から遠い方)は一般的な民家に変わっています。

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 ↓ 来た道を振り返る。南側です。大河ドラマの番組宣伝の「のぼり」がはためいています。

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 途中に金毘羅さんの分社の社がありました。

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↓ 金毘羅さんの境内。高杉晋作が勉学した場所と石碑があります。
  観光客が参拝をしていました。

 

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↓ 更に歩きます。途中、青木周弼邸の前を通りました。かなり解体して工事中でした。観光地図にも現在修理中で見学不可とありました。のちの外務大臣 青木周蔵かと思いましたが、親戚ではあるものの、両社は直系の血族ではないようです。


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 ↓ 屋敷地と屋敷地の間の路地。

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 木戸孝允旧宅(生誕地)にやってきました。正面の玄関の門は閉鎖されていて、その先の空地のような土地から入場します。
 時間は夕方4時半。5時で見学時間終了なので間もなくの日の見学は締切です。急いで入場します。更にお城に近い、萩博物館などにも行きたかったのですが、開館時間の関係で、ここが本日最後の入場施設となります。

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 ↓ 案内看板。 料金は100円と安いです。

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  一緒に設置されていた周辺の案内図。

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↓ 旧宅の入口。元々は旧宅の隣地のお屋敷の跡地のようで公園のように更地になっています。

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生垣を通って、向かって左の建物に入口があります。受付の人がいて料金を支払います。かつての台所が一般公開用の玄関となっています。土間になっていて、外につながっており広いですからね。受付とするには最適です。京都の寺院でも庫裡(つまり台所)が一般公開用の現在の拝観入口になっていることが多い(例 常時公開ではありませんが、大徳寺本坊など)ですが、それと同じなのかなと勝手に思いました。

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 室内の様子。一般的な民家です。写真や書の展示がありました。

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 縁側。厠もあります。庭は松やソテツ?などもあり、南国を思わせます。明るい開放的な庭です。

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 同じく庭の反対方向。

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 ↓ 生誕の間。ここで本当に生まれたそうです。縁側に面した明るい部屋です。

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 ↓ 室内の様子。
 
 ある部屋には、木戸孝〇氏夫妻の写真がありました。平成のはじめくらいの撮影だったでしょうか。現在の木戸家の当主夫妻のようです。すると、木戸幸一の子か孫に当たる方と記憶します。昭和戦前期に内大臣を務めた木戸幸一については掲示されていた木戸家の系図には名前がありますが、詳しい説明はありませんでした。もちろろん、敗戦後に極東軍事裁判で禁固刑に処せられたなどの説明はありません。

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 奥にも敷地が広がっています。写真の右が母屋というか、入口のある建物。左(南)にも廊下で接続して部屋があります。生誕の間などです。二階もあります。

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 ここは和田家の屋敷。木戸孝允はもともと和田家の生まれ。その後養子となり、名乗った「桂」の屋敷ではありません。桂から木戸に改名しているので、どれがホントの名前なのかよくわかりません(笑)。
 パンフレットにもありますが、和田家はわずか20石の禄高。その割には広い立派に屋敷です。これでも毛利家中としては小さいお屋敷だったのでしようか。
 先に見た津和野の森家の旧宅はもっと小さく質素な造りでした。しかも旧森家には窓が少ない。ここ和田家は南に面してお庭と縁側があります。森家は40石くらいだったので、それに比べると藩の規模のためかも知れませんが、和田家の建物は立派です。













萩 <花 燃ゆ>大河ドラマ館

 2015年8月

 萩の松陰神社から移動します。車に乗って、萩の中州の内部へ。つまり萩は川の下流に発達した中州に発達した町だからです。いわば「島」ですね。その「島」の中央部、かつての藩校明倫館の敷地跡付近にあるのが大河ドラマ館です。
 もっと分かり易く書くと萩の市役所の真ん前、道路を挟んで北の反対側にあります。ドラマ館と市役所の間を通る道路は片側二車線で広いです。スピードもかなり出ます。入口はすぐに分かりました。のぼりがたくさん立っていますし、看板も設置されています。
 ここに来たのは下の子の要望です。なぜかドラマも視ています。私は視ていませんが・・・・。下の子は「萩に行く」ことよりも「萩のドラマ館に行く」ことが目的だったようです
 平成27年の大河ドラマ「花 燃ゆ」。吉田松陰の妹、文(あや)が主人公とのことです(伝聞)が、「はなもゆる」とタイトルは読むようです。そのまんま「はなもゆ」ではないようです・・・・・。タイトルからして覚えにくいです(苦笑)。ドラマの盛り上がりの指標のひとつである視聴率は・・・・・・・・というとドラマ館の周囲の様子を「ご覧のとおり」です(笑)。


 時刻は午後4時半近く。ドラマ館は午後5時までですから、最終入場は4時半くらいでしょう。急ぎました。急いで駐車場に入ります。駐車券を取って、入ります。駐車場は広いですが、全然混雑はしていません。車は数台停まっています。急いで入口に走ります。
 ↓ ドラマ館の入口。これでもか!!とのぼりが立っています。奥は明倫小学校の立派な校舎です。
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 ↓ ドラマ館の正面。市立の体育館を改装して設置しているようです。
    アリーナ部分が展示室になっていました。
     入口に並んでいる人は・・・・・いません。というより、屋根がないため、
     この炎天下で待ったら、ぶっ倒れてしまいます。もっとも内部は広いので行列するスペースはあります。


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 ↓ 入口の拡大。萩のデラマ館のテーマは「文と萩の物語」です。

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 入口を入ると、入場券係がいます。ここでチケットを購入。更にセットのようになっているドラマ館の中に入るしくみです。(ドラマ館のエリアは)パーテーションで区切られています。元々体育館のため天井が高いので、独立した部屋の展示室を造ることは不可能です。案内係も数人いますが、すいているのであまり仕事はなく、ヒマそうでした。
 私は入館しませんでした。武家屋敷の散策に歩い向かいました。

 ドラマ館の内部は・・・、
 ドラマで使用されていた松下村塾などのセットの復元と衣装や小道具の展示でした。出演俳優、女優さんの写真パネル、サインの展示も。写真パネル、サインなどは撮影禁止でした。
 以上伝聞です。

 ドラマ館の駐車場。西日がモロに当たり、猛烈に暑いです。しかも日陰が無い。ドラマ館に近くには巡回パスのバス停があり、そこには屋根がありました。ドラマの登場人物のキャラクターを描いたラッピングバスが走っていました。このバスに乗って、見学に来ていた人もいました。
 ↓ 空いている駐車場。一般車は少ない。まさか、視聴率と連動しているのではないでしょうね(笑)。
   大型バスが停まっていました。団体客を呼び込しないと入館者は増えませんね。

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 あと、敷地付近は強烈に西日が当たるので、夜間開館をしないと人は来ないのではないでしょうか。夏でも夕方5時閉館だと、暑くて来る気になれません・・・・・(苦笑)。
 
 第二駐車場。舗装ではありません。以前は、校庭だったのではないでしょうか。ドラマが終われば小学校の校庭になる(戻る)と思います。ドラマ館は来年の一月上旬まで一年間の期間限定開設です。
 体育館の裏手は旧藩校の明倫館の跡があります。

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 私はドラマ館を離れ、城下町の武家屋敷街の散策に向かいました。
 ↓ ドラマ館の城下町側(西側)にある図書館と運動公園。こちらの脇を通り散策に向かいました。
   途中、木陰が無いのでモロに西日が当たり、クラクラして汗だくです

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萩 伊藤博文旧宅、別邸 など松陰神社付近散策

 2015年8月

 山口県、萩。松陰神社の境内の外に出ます。伊藤博文の旧宅が近くにあるので、歩きます。これがまたキツイ。寄る陰もない炎天下です。松陰神社から(旧宅へ)徒歩と向かう人もちらほら。私達の前には若いカップルが歩いています。お熱いです。私は「暑い」です(苦笑)。
 

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 神社から旧宅までの間は住宅地の中の細い道を少し歩きます。昔は畑であったと思われる土地には、現代の住宅メーカー施工の一般住宅が建ち並んでいます。神社の境内地から出て、南の脇の道を徒歩で行きます。昔は萩の郊外の畑作地だったと思います。点在して民家があったと思います。士分の屋敷や足軽、農民の家が点在していたのでしょうか。
 城下町というと、士分は城下の屋敷地に住んでいると思いがちですが、禄高や家格、経済状況によっては郊外の農村地域に屋敷、納屋を持っていて耕作などをしながら暮らしていたようです。

↓ 松陰神社の南側の奥。職員駐車場のようです。本殿は松の木の奥にあると思います。

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 小路を曲がって歩いてやってきました。伊藤博文ま別邸と旧宅です。
 東京の別邸の一部が移築されています。旧宅と並んで立っており。小さい公園もあります。

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 別邸の入口。当たり前ですが、日本家屋の豪邸です。入場は有料です。時間が無いため、別邸の内部には入りませんでした。旧宅のみ見学しました。

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↓ 案内板。

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 案内板によると博文本人はここ萩の生まれではありませんでした。瀬戸内海沿いの周防の国、現在の光市の生まれ。風光明媚な穏やかな海と島の風景の光市とここ日本海側の萩とはガラっと風景は違います。元は父の居宅で、父が伊藤家に養子に入った後に博文本人が住んだとあります。見事なサクセスサトーリーです。まずは武士の身分になったということでしょうか。武士の家の養子に入るという例はかなりあったようです。歴史の本では株を買うという表現もしていると思います。勝海舟の先祖や樋口一葉の父も御家人の株を買い、養子に入ることによって士分になったと記憶します。
 維新後、兵庫県知事になるまでここが本拠であったとあります。博文といえば、初代総理大臣。いきなり高官になったと思いきや、まずは兵庫県知事で仕事をして認められ、その後東京に行き、徐々に要職に就いていったようです。まさに「偉大なる初代宰相稀代のエロ男への道」ですね(笑)。(横線は取り消しをしています。見なかったことにしてください(笑)。)

 旧宅は内部に入ることはできず、外観と外から内部を見るのみ。特に詳しい展示品はありません。一般的な造りの民家を見学するといつた感じ。父母と本人と妻の写真がありました。妻はもともと芸者だった梅(梅子)だったですね。御多分に漏れず維新の志士の芸者好きです(笑)。

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 ↓ こちらは、旧宅の傍らに建つ、別邸。

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↓ 旧宅の見取り図。

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 ↓ 土間の部分。一般的な民家です。

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↓ 外観は茅葺の簡素な家屋です。

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↓ 旧宅の傍らにある年賦。

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 攘夷運動にかかわったと思いきや、藩政時代にイギリスに留学するなど、その経歴はよく分からないものがあります(笑)。日本人にあるようによくコロッと考えが変わるといったところでしょうか??。
 明治の秀吉といったところでしょうか。時代背景が違うので比較はできませんが、足軽、農民身分から身を起こしたところも似ています。何より無類の「女好き」だったところも似ています(笑)。その割には子孫が多くないのも共通しているか。博文には娘がいますが、嫡男はいなかったようで、爵位は養子が継いでいます。

↓ 隣接する公園に建つ「偉大なる初代宰相」伊藤博文像。
  東の山を背に、まっすぐ西、萩のお城の方向を見ています。

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萩 松陰神社 宝物殿至誠館 見学 特別展「吉田松陰が生まれた杉家とその家族」

 2015年8月

 萩の松陰神社。境内に宝物殿、その名も「至誠館」があります。
 実は、鳥居の手前、駐車場の近くにも資料館があります。こちらは、神社の宝物などを保管展示する施設のようです。
 建物は新しく2009年の竣工。建物の前には人工の池があります。炎天下なので涼しさを感じます。
 特別展「吉田松陰が生まれた杉家とその家族」を昨年からほぼ一年の期間で開催しています。

 ↓ 池の中に「徳」の字があります。
   池に面した壁に「タテの長方形」の窓が小さく開いています。建物の内部からこの窓の外を見ると、
   「松下村塾」の建物が正面に見えるようになっていました。
 パンフレットによると「村塾の観席」といって塾の建物がダイレクトで見えるように設計されています。四角い部屋で映像コーナーもあります。平らなイスがあり、腰をかけると小さい窓から松下村塾の建物が見えます。

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 特別展が開催されていたので見学します。
 入館して向かって左、上の写真に写っている建物の内部が展示資料室でした。

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 特別展は、杉家の系図の説明がありました。親族の手紙などを展示していました。
 展示室の奥には「留魂録」といって松陰が処刑の直前に書いた書跡の展示スペースがありました。文字は何とか読むことができます。死を前にして落ち着いています。そのタイトルの通り、死しても魂はこの世にとどまることを企図していたのでしょうか。

 明治維新後、神格化され、現在でも神社で祀られています。が、松陰その人の事績を知る人、ましてその事績を語ることができる人は多くないでしょう。何かを成し遂げた人、という訳ではありませんし、政治家でもありません。思想家ということはできると思いますが・・・・。ペリーにアメリカに連れて行ってもらおうとした人、幕府を批判して安政の大獄で死刑になった人ということは私も知っています。が、具体的に何を批判したのかは、実をいうとよく判りません。幕府の開国に反対したのか、政治そのものに反対したのか、倒幕を企図した人だたのか、よく理解をしていません(苦笑)。
 が、松陰を尊敬しているという人は多い。特に政治家、政治家志望者では多いのではないかと思います。アノ総理大臣様をはじめ、首相、閣僚経験者などを中心に多いのではないでしょうか・・・・・。今年、世界遺産になった理由のひとつでもありましょう。

 



萩 世界遺産 松下村塾 「明治日本の産業革命遺産」

 2015年8月

 萩の松陰神社にやってきました。
 神社の本殿に参拝し、少し歩いて戻ります。神社の正面の入口から本殿に向かう石畳の道の傍らに、このたび(平成27年)世界遺産に指定された「松下村塾」の建物があります。
 世界遺産の指定件名は「明治日本の産業革命遺産」。ここで講義を受けた人物達がのちの時代、つまり江戸末期から明治にかけた達成された産業革命に貢献したから、というのが指定の理由のようです。(いや、私は詳しくないので、そうなんだと推定します(笑)。)
 
↓ 「松下村塾」の看板。畳敷きの部屋です。ここで学んだ偉人の肖像画や写真が掲示されていました。


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 「松下村塾」の建物は二間あります。そのうちの一室。「講義室」と木の案内板があります。肖像画が祭られています。この建物には中二階があり、松陰は講義の合間に昼寝などの休憩をしたそうなのですが、どの部分かは分かりましせんでした。講義室ではなく、隣の部屋の上にあるのかも含めて、説明は聞かなかったので、分からずずじまいでした(苦笑)。


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↓ 松陰像と肖像画の拡大。

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↓ 説明板。大正11年には史跡に指定されています。

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↓ 建物の横から。写真に写っている部屋の内部には、偉人の肖像画、写真が掲示されています。

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↓ 正面右から。ほぼこのアングルからの写真が教科書や歴史資料集に掲載されているでしょうか。ただ、真正面からの写真は見学者が多いし、この建物の前で記念撮影をする人が多いので、撮影はしませんでした。
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↓ ここで学んだ偉人の肖像画や写真が掲示されています。主な展示といえば、これらの肖像画や写真くらいです。正面に松陰の画、上段左は久坂玄瑞、その右は高杉晋作、上段の右は木戸孝允でしょう。その他山田顕義などの写真がありました。
 当たり前ですが、江戸時代までに没した塾生は「画」の掲示。維新後も生きて、政府の高官になった人は明治時代に撮影した立派な洋装、礼装の写真。やっぱり「生きたモノ勝ち」ですね。今も昔も・・・・。

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上の写真、光が反射してガラス面にカメラを構えたワタクシの姿が写り込んでいます
維新の志士達の写真を隠してしまいました(苦笑)。

↓ 宝物殿の前から見た塾の建物の全景。見学者が多いですね。特に柵があるという訳ではなく、見学は自由です。神社の境内が開放されている限り。自由に散策できます。
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↓ (既出) 松下村塾の外観
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↓ (既出) 松下村塾の外観 講義室
座敷に上がって説明を聞いている人がいました。私達は座敷には上がらず外観から見たのみでした。

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↓ (既出) 松下村塾の外観 建物の裏側から

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↓ (既出) 松下村塾の裏からの外観と後世の歌碑。


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萩 世界遺産指定 松下村塾と松陰幽囚の旧宅

 2015年8月

 そして到着したのが、萩の松陰神社。津和野(島根県側)からの道路(県道)を田園、山間の道を下って行くとやがて家が多くなり、町にやって来たと思いきや、神社の北側に出ました。信号で一旦停まったところ、道路沿いに駐車場がある(ことに気付いた)ので急きょ車を停めます。ただ駐車場の入口は狭いので歩行者がいる場合には、入車させる場合に注意が必要です。

 駐車場から神社まで少し歩きます。神社の境内地正面の入口付近は広い広場のようになっており、車も入ることができました。この境内地の奥に世界遺産「松下村塾」があります。世界遺産の指定に合わせて、最近工事が完成したようで新しいです。駐車場などの整備工事を急きょ(というか、予想される世界遺産指定にあわせて)実施したのでしょう。また、今年は某ドラマの主要な舞台にもなりましたからね(笑)。
 神社正面の(新しく拡張されたと思われる)駐車場は広くて、このときは満車ではありませんでした。こちらに停めればよかったかも知れません。炎天下なので、少しでも歩く距離は短くしたいというのが人情です(笑)。

 境内には世界遺産の指定をお祝いする看板がありました。指定からまだ一か月しか経過していません。多くの観光客で賑わっていました。 

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 某゛ラマの「のぼり」も多数立っています。某ドラマを視ている下の子は、大興奮でした。対照的に私はクールです(笑)。鳥居の先が本殿、その手前に松下村塾などがあります。

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 境内を歩きます。と、本殿に向かって左側に「明治維新胎動之地」の記念碑がありました。
明治維新の志士ゆかりの地ですからね。

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 吉田松陰の遺書の一節にある歌の記念碑です。
 「親思う・・・」と書いてあるそうです。草書?体なので「親」の字も読みにくいです。

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 と、参道の左側に有名な「松下村塾」の建物がありました。このたび世界遺産に指定された、一番の観光スポットです。写真で見たことがあり人は多いです。確かに建物のみで判断すると何ら変哲のない小さい民家といった感じです。
 境内は自由散策なので境内が開放されている限り、外観は自由に散策して見学できます。

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 建物の回りをぐるっと歩きす。ともう一間あります。

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 裏に回ってみます。

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 「松下村塾」の建物を裏から見る。二棟続いています。写真でみると一室だけの小さい小屋のような建物かと思っていましたが、裏から見ると意外に大きく、普通の民家に見えます。塾の裏にも記念碑があります。「・・・松下愛」とあります。

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 「松下村塾」の建物を過ぎて、更に先に進みます。更に境内地の奥に屋敷がありました。「松下村塾」の建物よりもはるかに大きいかつての武家屋敷です。国指定の史跡に指定の「吉田松陰幽囚の旧宅」とあります。
 実は「松下村塾」だけでなく、旧宅も世界遺産に指定されています。
 「松下村塾」に幽囚されていたわけではありません。誤解をしてしまいそうです。「松下村塾」はあくまで塾であり、こちらは杉家の屋敷で、つまるところ松陰の実家です。
 幽囚されて、この間にここで、のちの明治時代の産業発達のために何をしたのかは、よく判りませんが、実家に預けられて現在でいう自宅軟禁状態だったのでしょう。

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 旧宅は長くて、いくつかの棟に分かれています。

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↓ 写真左は松陰幽囚の旧宅、同右に「松下村塾」の建物が見えます。
  ともに「世界遺産」です

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 写真上は、旧宅の玄関。正式なお客を迎える玄関でしょう。
 写真下は、旧宅の内部。いくつも座敷があります。かつての武士の家の造りがわかります。

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↓ こちらが幽囚の間。座敷に隣接しています。三畳半の部屋です。

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↓ 幽囚の間の説明板。

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↓ 神社の正面の入口から西(萩の市街地方向)を見る。(写真は既掲載)


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石見 津和野(島根県)~長門 萩(山口県)へ移動

 2015年8月

 島根県津和野町、森鴎外記念館。
 ↓ 記念館に隣接する道路の南側。天気が急変し、雲がでてきました。遠くではゴロゴロと雷鳴が響いています。
 時刻は午後2時半。本日のたびは萩がメインですが、まだ辿り着いていません。
 津和野の街中にいたときまでは、雲が多いながらも太陽光線が降り注いでいたのですが、午後になって時間が経過するにつれて雲が広がって空を覆ってきました。

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 上の写真と同じ方向。入道雲が発達していく様子が分かります。急激に暗くなってきました。これは夕立がありそうです。
 ちなみに記念館の南隣は土木事務所でした。この日は閉庁日でしたが、平日はお役所で多くの人が出入りしているばずです。この付近に昔の面影はありません。田んぼが広がり、家々が点在する郊外の街並みといった感じです。
 実は津和野の街中からは青野山はよく見えませんでした。国道からはよく見えましたが・・・。津和野の街は国道から更に下がった盆地のようなところにあります。少し街を離れないと青野山はよく見えないようです。
 ↓ 記念館の近くには山口線の線路が通っていて、気動車が通るのが見えました。
   (写真には線路は写っていません。)

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 ↓ 記念館の前の駐車場。大型バスを停めるスペースがあります。

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 萩へ向けて出発しました。津和野の郊外から山を越えて山口県に入る道を行きます。よって国道9号線には戻らないため、青野山のピラミッドような姿を再び見ることできませんでした。
 鴎外記念館の南に旧藩主亀井家のお屋敷があります。明治時代になって建てられた亀井家のお屋敷のようです。本当はこちらも見学したかったのですが、時間の関係で割愛しました。「温故館」というのですが、津和野の観光パンフにも名前のみの掲載で解説がないため、それほど大きな観光ポイントではないようです。

 道の駅津和野温泉を通過します。津和野には温泉があるのですね。日帰り入浴施設があるようです。更に進み、山道となります。昨年か先年の水害で道路が寸断されたようで、工事を行っていました。山口線の線路も併走しています。線路も流された場所があったと記憶します。

 更に進むと、山道の中をカーブして登って行きます。道は途中で立派な広い道になりました。工事で整備されたそうです。いつのまにか県境を越えていました。
 ↓ 県境付近の道路。立派に整備されていました。雨が急に降ってきました。

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そして到着したのが、萩の松陰神社。
↓ 島根と萩を結ぶ県道の手前側にあります。

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砂金採り体験と美川ムーバレー

 2015年8月

 美川ムーバレーの砂金体験。
 テントの中でひたすらバン皿を振ります。たとえ、腰が痛くなろうとも一心フラン(漢字が・・・・)です(笑)。

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 私達が砂金採りを開始する前は、体験のお客さんはいませんでした。(私達が開始する前はいたと思いますが。)私達があまりに真剣に(笑)、必死に(笑)バン皿を揺らしているので、かは知りませんがお客さんが何組かやってきました。
 下の子は器用に砂を落として砂金を見つけます。「あった。」と。この一言を聞くと穏やかではなくなるのです(笑)。私の戦果は・・・・というと、15分行って小さい粒が一個のみ。焦ります・・・・。
 下の子は更に砂金採りを進めて再び「あったよ」と。すると近くで体験をしていた他の子やその親がちらっと下の子の方向を見ます。他の人が砂金をゲットするとアセルのは何故でしょう!?。ホントに人間の心理って不思議です
 私は、ついに別の場所に移動して砂金採りをします。今までは一か所に固定されていましたが、ここ美川の砂金採りでは遠慮はいりません。自由に動けるルールを大いに活用しました(笑)。
 移動してずさっとバン皿に砂を入れます。そしてよく回転させます。次いで三角形というか〇を描くように砂を水中で振り落としていきます。金の比重を考えて水の底の砂をこれでもか!!!!っとパン皿に入れたのですが、上手くいきませんでした・・・・。
 結局私は最初にゲットした金の粒よりも更に小さい極小粒しか採ることができませんでした。平均の個数よりも少なかったです。まだまだ修行が足りませんでした
 テント内の台のみではなく、池でも砂金採り体験を開始するおとうさんと男の子もいて、だんだんと砂金採りコーナーが賑わってきました。

 受付係の人が見本で実演してみせると必ず砂金が現れます。しかし、私が行っても一粒も出てこないことがしばしば・・・・・。何回も行ったことがあるのに・・・・・。この違い(毎回ゲットする人とできない人)のコツがまだ掴めていません。えっ、邪心がある!?。

↓ 砂金採り体験の看板。上の通路は坑道から出て、川と道路の上を渡り、レストハウスまで行く歩道橋です。

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 ツレと上の子は、砂金すくい体験はせずに、坑道入口の近くの売店でかき氷を食べて涼んでいました。

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 砂金採り体験のあと、駐車場に戻り出発しました。この鉱山は金山ではなかったようです。昔の鉱山、坑道の説明を見る間もなく出発したので鉱山に関する知識は得ずじまいでした・・・・。
 ともかく先を急ぐため慌ただしい砂金採りでした。





























砂金すくい in美川ムーバレー

 2015年8月

 夏休みに萩、津和野方面を旅しました。途中、錦川沿いの道からそれて、美川ムーバレーへ。
 目的は砂金すくいでしたが、「冷風に魅かれて」坑内に入り、外に出てきました
 と強烈な暑さが再び襲ってきます。眼下には、ムーバレーの施設の全容が見えます。
 ↓ がけ下、川の手前が砂金すくいのテント。川の向こうがレストハウス。写真左が駐車場。

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 坑道の出口から階段を下りて、砂金すくいのテントまでやってきました。坑道の入口付近に戻ってきたことになります。テントの脇に受付があります。体験料金は一人700円です。制限時間は30分間。
 「料金700円、時間30分」は全国砂金すくい体験のほぼ共通ルールです(笑)。


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 ここ美川ムーバレーの砂金すくいはテントの下にあります。いわば仮設の施設です。雨や台風の日は実施ができません。今まで体験してきた砂金すくいコーナーは建築物の中にありました。伊豆の土肥、秋田の尾去沢、山梨の金山博物館、生野銀山しかり。特に伊豆の施設は規模が大きいです。比較するとここでは体験人数が少ないのでテント内なのでしょうか。
 ともあれ、昨年の伊豆 土肥以来の砂金すくいスタートです
 受付では「今までやったことがありますか」と聞かれるので「はい」と答えました。あとは自由に実行します。特にレクチャーもありません。今まで養った技術を基に砂金を採るのみです(笑)。
 「初めて」と言うと丁寧に教えてくれます。もう一回教わればよかったかな?。

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 ↓ 砂金すくいコーナーは木枠の立派なつくりです。砂金を入れるプラ容器を用意します。

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砂を入れてバン皿で三角形を描くように水中で砂を落としていきます。時折、回転させ金を沈殿させるのがコツです。砂が少なくなると少しずつ振り落としながら、砂金を出現させます。
 実は、ここでは移動が自由なのです。今までの砂金すくい体験では30分の制限時間中、移動をすることは固く禁じられていました。よって指定されたり、一旦自分でポジショニングすると制限時間が来るまで、ひたすら同じ場所で作業しないといけません。が、ここではどこでも砂金をすくってよいのです。(実際にはバン皿に砂金が含まれているかもしれない大量の砂を入れて水中で振り落とすのですが・・・・。)
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 実はここでは、下の写真の池の中でも砂金すくいができるのです。水は坑道の中から瀧のように流れて来ます。広い池と腰の高さの砂金すくい台とどちらがよいかと思いましたが、従来のとおり「台」を選択しました。

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地底の王国「美川ムーバレー」へ 岩国市

 2015年8月

 夏休みに萩、津和野方面を旅しました。
 
 まずは、錦帯橋から。実に20年以上ぶりでした。ついで、その錦帯橋がかかる、その名も「錦川」に沿って車で上流方面に移動います。岩国付近の国道2号線は山の中を通っています。錦川の上流を経由して津和野を目指していたはずが間違って2号線に入って西方向に向かってしまいました・・・・。
 道路沿いから見ると川を流れる水は、とても澄んでいます。先の記事にも書きましたが、この川が「錦川」と呼ばれるようになった理由が分かりました。

↓ 途中 停車したときに錦川を撮影。夏の陽射しに清流が映えます。

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 錦川沿いの道を進み、途中で支流方面へ曲がります。山合いの道を更に走ります。途中、道幅は狭くなったりします。山道のカーブで見通しが悪い所も。錦川沿いの分岐点から車で10分も走ると「美川ムーバレー」に着きました。まだ早い時間帯なので駐車場はさほど混雑していません。
 ここも岩国市です。広域合併のため、岩国市域はとても広いです。ムーバレーの更に先の津和野方面の山地、山間部の盆地など中国自動車道の手前まで岩国市でした。

↓ ムーバレーの看板

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 ムーバレーの入口付近の様子。昔の坑道入口です。が、昔は鉱山であったことはどこにも説明がありません。別の建物の中にはそうした説明があるのかも知れませんが、先を急いでいたので私達は見ませんでした。

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↓ 道路沿いのムーバレーの看板 「呪文の書Ⅱ」。一体何があるのでしょうか??。

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↓ 川の下流方向。元来た道の方向です。錦川に注ぐ支流です。
 川のほとり、写真の右は駐車場です。渓流釣りをしている人がいました。清流なのでしょう。

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↓ 入口方面に向かいます。そして旧坑道の入口、ムーバレーの入場券売り場の近くに砂金すくい体験が。
 さあ、ここで砂金を採るぞ、と意気込みました。が、気温は上昇し、暑くなってきました。真夏の陽射しが容赦なく照り付けます。暑い、暑い。

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 と、どこからか涼しい風が吹いてきます。ムーバレーの入口近くに寄ると、とても涼しい風がビュービューと吹いてきます。「ああー、チョー気持ちいい~」と思わず声を上げました
  (写真は帰り際に撮影)

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↓ 入口の様子。涼しいというより、冷たい風が坑内から吹き出ています。写真では「風が吹き出している様」をお伝えすることができないので残念です
 (写真は帰り際に撮影)

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 あまりの気持ちよさに、当初砂金すくいだけの予定でしたが「冷風に魅かれて」坑内に入ることにしました
↓ 入口脇の看板。

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錦帯橋 訪問 岩国市

 2015年8月

 夏休みに萩、津和野方面を旅しました。
 山陽道をひた走り、広島市域を抜け、宮島SAを経由して岩国インターで降りました。川沿いに下流、つまり岩国市街の方向へ。高速道路は途中「山陽道」と呼ばない部分もあるようです。が、ともかく山陽道で岩国までやってきました。

 2キロか3キロほど川沿いの道を下ると、視界が開け、川幅が広くなり街があります。有名な錦帯橋が川にかかっています。
↓ 橋の上から上流方向。

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 私が錦帯橋に来たのは、実に20何年かぶりです。あの頃はまだ少年でした。周囲の風景、ことに岩国城のる山の風景は覚えています。ただし川を挟んで城の山から対岸、左岸について風景はすっかり忘れていました。家や旅館、ホテル、お店などが集まる地区です。「あれっ、こんな風景だったかな。」と記憶を辿りましたかが、やはり思い出すことはできません(笑)。
 あと「世にも不思議な白ヘビ」を見ました。橋から近い小さな建物の一室で飼育されているのを見たことがあります。
 ↓ 右岸側の橋入口。つまりお城や「白蛇」に近い入口のことです

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実はこの日は夜が花火大会のお祭りの準備中でした。駐車場が制限されていました。停めようとしていた駐車場が駐車禁止だした。予定が狂ってしまいました・・・・。朝から打ち上げの準備をしていたと思います。夜は大混雑するのでしょう。
 ↓ 橋のたもとの道路にも提灯が下がっています。橋と後方は右岸の山。
   お城は写っていません。
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 左岸から右岸方向。つまり写真後方の山の上にお城があります。ロープウェイも通っているのですが写っていません。記憶よりも白ヘビなどのいる公園が狭く感じました。もっと広々として橋を渡ってからロープウェイまで資料館や白ヘビを見学しながら歩いた記憶がありました。というより、当時より公園の木々が成長して公園内の見通し、つまり視界がないせいかも知れません。あと、昔に比べて民家やお土産物屋などの建物が増えたように感じました。

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↓ 更にアップで(笑)。
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↓ 錦帯橋よりやや上流の錦川の風景

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 錦帯橋はその名も「錦川」にかかっています。ゆえに「錦帯橋」と呼ばれたのでしょう。橋から見ると「川を流れる水は澄んでいて綺麗です。水に濁りがない。現在では、ダムの影響か川の水の水深は浅いですが、市街地に近いわりには美しい清流です。昔はもっと清流だったでしょう。この川が「錦川」と呼ばれるようになった理由が分かりました。























たびのプロローグ 宮島サービスエリア~岩国 錦帯橋へ

 2015年8月

 夏休みに萩、津和野方面を旅しました。
 今回のたびは、レンタカーを使用します。山陽道をひた走り、広島市郊外から岩国の方向へ。

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 やってきたのは、宮島SA。ここから安芸の宮島を望むことができます。海峡の向こうの島が厳島です。サービスエリアから見て島の中央付近の入江に厳島神社があると思います。
 山陽道は山道が多いです。トンネルも多い。兵庫県から瀬戸内海に近い所を通って、山口県に至る道路ですが、途中標高の高い所も通ります。最高地点の標識がでていましたが標高400メートルくらいあったと思います。東名高速の場合、富士山ろく、高原地帯の御殿場付近が最高所で標高450メートルで゛すからさほど変わりません。ゆえに山陽道は起伏も多く、長い下り坂あり、カーブもきつい所があり、事故も多い。連休などては必ずといつてよいほど事故渋滞があります。死亡事故も多いような・・・・。数年前ですが、山陽道を通ったときのこと。私達が通った二時間後くらいに死亡事故が発生していたこともありました。

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 広島高速への分岐手前。市内に近づいても山の中の道です。広島周辺は山に囲まれています。平地は限られ、山が開けるとすぐ海です。それ故、景色は綺麗なのですけどね。風光明媚とはこのことをいうと思います。

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 宮島SAの駐車場の様子。よく晴れた夏の朝です。今日も瀬戸内沿岸は暑くなりそうです。駐車場には朝から多くの乗用車が停まっていて混雑しています。ワンボックスカーが多いので家族連れの行楽、帰省客が多いのだと思います。反対にトラックは少ないです。

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 宮島SAの見晴ポイント。宮島がうっすら見えます。 

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 宮島SAの敷地内、少し歩いた所に展望エリアがあります。朝とはいえ、真夏の日差しは容赦ない。しかも屋根が無い・・・。宮島を見んが為に歩きました・・・・。展望台に鳥居があるのが分かります。厳島神社の鳥居を模しているのですね。

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 展望エリアから宮島SAの建物と駐車場方向を見る。青空が広がっています。気温はすでに31度くらいはあるでしょう。

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 展望台から。宮島は更に西の方角にあります。意外と距離があります。

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 宮島と反対側の広島市内方向の沿岸部。工業地帯です。沿岸部は埋め立てが進み自然海岸はあまりり残っていないように見えます。夏の朝、霞んでいます。山側はクリアに見えますが、海の方向はご覧のとおりです。

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 宮島方向を拡大。 人間の目で見た大きさと同じくらいではないでしょうか。ワイドに撮ることができないのが残念です。パノラマ撮影すればよいのかも知れませんが。

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更に拡大。写真ではわかりませんが゛、社殿のような建物も見えなくは無い程度の眺望です。連絡船が往来しているのがかすかに見えます。

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 ん~、やはり霞んでいますね。沿岸の丘陵地帯も開発されて家やマンションが建ち並んでいます。現在よりも風光明媚だった昔の面影はあまり残っていないのでしょうか。が、厳島の山は「ニョキニョキ」という感じで海から屹立しているように見えます。山の形も特徴的です。昔の船乗りは航海の目印としたのでしょう。だから、古来より海の神様として神社が建立され、平家をはじめとして武士、貴族の信仰を集めたのでしょう。近くから神社の社殿のみを見ただけでは分かりませんが、こうして遠くから厳島の地勢を見てみると、信仰を集めた理由が何となく分かります。

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