良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

愛媛県(瀬戸内海・島しょ部)

 

尾道より 帰途 (たびの終章) 

 2015年8月

 「しまなみ海道」を通って、再び本土に戻りました。新尾道駅でレンタカーを返しました。今回も安全運転で何よりでした。
 今回のたびの大きな発見は「中国山地の山間地で見た美しい星空」です。本州でこれほど美しい星空が見えるとは思いませんでした


 ↓ 新尾道駅から帰途につきます。新幹線のホーム。
    夏の日も傾いてきました。西日です。

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 駅から海(南)の方向。 遠くに入道雲が見えるのですが、写真ではよく写っていません。
遠くの山は、瀬戸内の海に浮かぶ島の山の峰でしょう。
 入道雲を遠くに見ながら、「ああ、夏の日よ。青春だなあ~。」と感慨に浸ります(笑)。

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 駅から北の方向。

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 JR西日本の「レールスター」の列車が入ってきました。東海道新幹線では走っていなかった車両なので、大阪以東で利用する人にはなじみがないかもしれません。
 かつては、とても速い「ひかりレールスター」として走行していました。鹿児島まで九州新幹線が開通する前のことでした。広島、岡山間でも40分くらいで着きました。8両編成で短いのが難点ですが、のぞみと同じくらい利用価値が大でした。現在では各駅停車の車両として利用されているようです。隣の福山駅て降り、後続の「のぞみ」に乗り換えをして帰りました。


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道の駅「多々羅しまなみ公園」 「マハタ」料理 食事 大三島

 2015年8月

 愛媛県 大三島。「しまなみ海道」を通ってやってきました。
 大山祇神社を参拝し、島の南部をぐるっと周回して、来島海峡を見える地点を通過、再び道の駅「多々羅しまなみ公園」に戻ってきました。隣の島「伯方島」の「伯方の塩」工場も見学できないかな、と思いましたが、隣の島に行くには、高速道路を通って橋を渡る必要があるようなので、時間の関係もあり、断念しました。伯方の塩の工場は大三島にありましたが。

 ↓ 道の駅のレストランでは、「ハタ」を大きくPRしていました。「マハタ料理」とたくさん幟が立っています。先ほどは、昼食の時間には早かったので食べましせんでしたが、再びここに来たのは、午後2時近く。ここでお昼を食べようということになりました。レストランは、混んでいて少し待ちました。それでもピークタイムは過ぎているのに、すごい賑わいです(笑)。店内は広く、テーブル席だけで200人くらいは入るのではないでしょうか。奥には座敷もあります。

  ハタを飼育しているいけすがあります。いけすの上には、巨大なハタのモニュメントがあります。

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 いけすは、二個あります。写真の右は物産店。左がレストランです。正面のガラス窓、戸の先は海です。

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 「マハタ」の看板とレストランの様子。撮影したのは、お昼の時間帯の前、最初に来たときでした。
そのため、レストランの中には人がいません。
 ハタは「幻の魚」とのことです。関東地方ではまず売っていません。アラ(クエ)のようですが、クエよりも小型の魚のようです。タイよりは大きいような。かといって北の海の魚「ハタハタ」とは全く異なります。
 この付近の海で養殖しているとのことです。天然ものでは、まず流通しないのでしょう。

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 ↓ いけすには、ハタやタイなどの魚が泳いでいます。

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 先ほどは、昼食の時間には早かったので食べましせんでしたが、再びここに来たのは、午後2時近く。ここでお昼を食べようということになりました。レストランは、混んでいて少し待ちました。それでもピークタイムは過ぎているのに、すごい賑わいです(笑)。店内は広く、テーブル席だけで200人くらいは入るのではないでしょうか。奥には座敷もあります。

 ※ レストラン内部の様子は 道の駅のウェブサイトでご覧ください。

 店内では、座敷に座りました。座敷からは「サイクリストの聖地」の碑が見えます。サイクリストが盛んにやってきて、記念撮影をしています。団体さんがきていたようで、座敷の席では、食べ残した食器などがそのままにっています。大賑わいですね。

 私は「ハタのうす造り定食」を注文。ハタのお刺身、皮など。あっさりとしていて美味です。スズキのようなあっさりとした食感です。タイよりは魚肉に厚みがないです。薄造りなので、当たり前かと思いますが。

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 お吸い物も付きます。玉子とうふも付きます。

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 子供は、うどんとじゃこめしの定食。暑いですが、温うどんが好きなようです(笑)。
 暑い季節だからといって、冷たい物ばかり食べてはいけませんね(笑)。

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↓ レストランの外観。建物の影に隠れて「サイクリスト」の聖地の

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↓(既出) レストランの先にある碑

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愛媛 大三島 周遊記

 2015年8月

 ここは愛媛県大三島。大山祇神社を参拝、国宝館など収蔵されている刀剣、鎧などの文化財を見学九しました。再び、車に戻り、アイスを食べて、英気を養い(笑)再び出発します。島の南部の道を通り、島を一周します。再び多々羅大橋のたもとの道の駅に戻りました。

 大山祇神社近くの道の駅「御島」を出て、南へ。周囲には、飲食店が何件かあります。が、行列しているのは、「大漁屋」だけ。ただ、お昼時だったので、他の食事店も店の外で待っている人がいました。そのため、お昼は別の所で食べることにして出発しました。
 と、ほど近くに伯方の塩の工場がありました。観光できるようです。見学している人の車も停まっていたように思いますが、通過して進みます。やがて、山道となります。山道を登り切ると、右手に海が見えます。高台から見下ろす瀬戸内の海は美しい。

 ↓ 海峡を挟んで島が。大崎上島です。似た名前の島が多いので、島の名前は覚えにくいです。
   大崎上島は、しまなみ海道のルート上ではありません。橋では本土とつながっていません。
   現在も「島」です。すると開発もあまり進んでおらず、過疎も進んでいるのではないでしょうか。
   橋でつながっている島でも過疎化が著しいのですから。
    海峡の真ん中にぽっこりとして小島があります。いかにも「瀬戸内」の風景です。

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 ↓ やや北西の方向。大崎上島とその先右の奥は、本土の方向だと思います。
   電線が写り込んでしまいました。

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 実は、この付近には、美術館、ミュージアムという建物が二か所ありました。海に面している斜面にはりつくように建っているモダンな家です。ともに白いハウスだったと思います。個人の所蔵品、作品を展示するミニミュージアムのようでした。斜面沿いの道路に面して、車を停める駐車場もありますが、車は数台停まっているのみ。人の気配も外からは、分かりませんでした。

 山道を下り、海辺の道に出ます。途中、宗方という海辺の集落を通りました。漁港のような感じです。ここでは、人がいない。高齢化は相当に進んでいると思います。夏の暑さの中、静まりかえっています。セミの鳴き声だけが、ジリジリと響いています。喧噪のなかの静寂というのでしょうか。海辺を見ても、泳いでいる人は誰もいない。道に車を停め、服を脱いで砂浜に出て、またはコンクリート護岸からドボンと海に入ることも可能なのに・・・。沖合に泳いでいけば、さぞ気持ちいいことでしょう。もっとも、潮の流れが速いので、見た目は瀬戸内の静かな海でも、安易に泳ぐのは危険なのでしょうけどね。
 これだけ、貸しきりビーチが広がっているのに誰も泳いでいないのは、勿体ないです(苦笑)。
 再び山道になり、再び下る。途中で、宿泊施設らしき門の前を通りました。敷地の中には、車が停まっています。ビーチも併設しているようです。と、道路の歩道を上がビキニ、下はショートバンツ姿でサングラスをかけた女の子が歩いていました。ここで海水浴をしているのでしょう。モデルのようにスタイルがよく、ビキニのブラで歩いている姿が眩しい(苦笑)。その姿にハッとしてしまいました(苦笑)。もしかして「マーメイド」!?。
 (あとで、ウェブサイトを見ると旧学校を利用した宿泊施設のようでした。)

 道の途中、景色のよいところで車を停めて、海を撮影します。暑いです。ホントに海にドボンと飛び込みして泳ぎたいくらいです。先程の「美女」が気になります(笑)。
 服を来て、「暑い暑い。」とハイカイしているのが、アホらしいです(笑)。


 ↓ ある地点から南の方向。大島の方向。手前には小さい島も浮かんでいて、島影が重なっています。

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 遠くに、来島海峡大橋が見えます。すると、ここは海の難所、来島海峡です。潮の流れが速い場所ですね。
 橋は小さい島をいくつか通り、三本の巨大吊り橋がかかっています。合計での長さは約4000メートル。とてつもない巨大橋です。

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 来島海峡大橋の拡大。以前通ったのは、いつの日のことだったでしょうか?。ある年の夏の「焼き鳥の日」のこですね(笑)。

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 ↓ 伯方島の方向。

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 ↓ 上の写真の拡大。 やはり、奥の島は伯方島。島と手前に見える大島を結ぶ橋が見えます。
   島影の合間には、造船所らしき鉄の塔、クレーンが見えます。

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 道路は、再び山の斜面の中腹を通ります。集落とまではいかないが、家がかたまっている箇所を通りまます。ここでも人はいない。空家のような屋敷もあります。人が住んでいない家はすぐに分かります。雑草が伸び放題で、雑然とした感じがしますので。橋が本土とつながっても、高齢化は相当に進んでいると思います。
 もちろん、この暑さの中、歩いている住民は皆無でした。
 

 大島との海峡を小型タンカー?、砂利運搬船?が通過しています。大崎上島を通過して、呉方面へ向かっているのでしょうか?。または、このまままっすぐ進むと、松山沖に出るようです。そのまま、門司、関門海峡方面に進のか、または豊予海峡を南下し、外洋に出るのでしょうか。

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 再び、橋のたもとの元、来た道の駅に戻りました。道の駅に近づくと、自転車の人が多い。サイクリストで賑わっています。カラフルなウエァに身を包んでいます。外国人らしき人もちらほら見ます。ツレは、サイクル姿の人を見ると、「ユーかな?」、容貌、外見から外国人と分かると「あっ、ユーだ。」といちいち声に出して言います。
子供達も真似をして言います。既に言うのに慣れています。「あっ、ユーだ。」と。いちいちウルサイです(怒)。
 
↓ 道の駅のレストランの建物の先に、記念碑があります。

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↓ 碑には「サイクリストの聖地」とあります。 
  しまなみ海道が開通した当初に、この記念碑は無かったので、近年建立したのでしょうか。

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大山祇神社 国宝館 見学

 2015年8月

 ここは愛媛県大三島。大山祇神社の境内にある国宝館にやってきました。正確には、紫陽殿と国宝館に分かれています。
 紫陽殿から、渡り廊下を歩いて、国宝館に移動します。紫陽殿から下るような感じで、国宝館へスリッパをはいたまま移動します。国宝館の方が平屋の神社の社か倉庫のような建物なので、古いようです。紫陽殿はあとから建築して、渡り廊下でつなげたのでしょう。
 国宝館の扉の感じは古いです。内部のガラスケースも古い感じ。ガラスケースの中に鎧がズラリと横一列に陳列されています。 

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 渡り廊下の格子窓から。休憩室の屋根のようです。その先には、神社の敷地外の民家の瓦屋根が見えます。
と鶴が飛んでいます・・・・。鳳凰かも?と思いましたが、平等院(お寺)と混同してしまいました・・・・。はてと思いきや、実は窓に描かれた絵でした(笑)。


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 鎧で国宝指定されている物件は、こちら(国宝館)には展示が無いようです。重要文化財指定の鎧はありました。先の紫陽殿での刀剣類は、重文であるのに「その他多数の展示品のうちの一品」となってしまうくらい、たくさん収蔵されていましたが、ここ国宝館の鎧は、文化財指定されていない物も多いです。
 ガラスケースは古くて、木製?の枠。地震が来た場合に割れてしまわないかとも感じてしまいます。 が、陳列品の中でも文化財指定されていない物は多いです。

 展示で一番目立った物は、女性用の鎧でした。パンフレットによると唯一の女性用の鎧のようです。肩や胸元を守る防具がありません。元々無かったのか、外したのか?。パンフレットのイラストでは元々、肩と胸元の防具は無かったように描かれています。
 現代でいうと、タンクトップのように紐で肩からかけるだけの簡易な鎧のように見えました。茶色で(今まで見た鎧と比較すると)シンプルです。女性用だからでしょうか。特段、女性用で小さいな、とは感じませんでした。ただ、キャミ(ソール)のようだなと感じましたが・・・・。

 国宝の銅鏡は国宝館に展示がありました。(私の記憶による。紫陽殿の三階にも古代の銅鏡はあったので場所が混同してしまっている。)
実物は小さかったです。古代の遺跡から出土して展示される銅鏡よりも小さいようなたしかに、唐草模様で、鳳凰のような鳥と獅子か伝説の獣のようなレリーフです。型に流して製作した鏡なのでしょう。すると、動物や草花の彫刻を施した型を造る高度技術があったことになります。斉明天皇の時代といいますから、想像がつきません。西暦650年くらい、大化の改新の時代かなと思いました。航海で大陸へも兵を進めていた時代なので、天皇がここに奉納したことも説明がつくのかなと(勝手に)思いました。

 こちらが、国宝館。朱色でぬられて、新しい感じがしますが、元々は国宝館のみだったようです。正面に入口が付いています。昔はこちらが入口だったのでしょう。

 休憩室もあります。渡り廊下の下をくぐって移動するようですが、行きませんでした。
 

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 紫陽殿に戻り、一階に階段を下ります。紫陽殿の二階と国宝館がつながっています。
紫陽殿一階の売店で図録を購入しました。例の巫女姿の女子高生(多分)がレジを打って、渡してくれました。休憩時間なので、奥のカーテンで隠れた部屋にこもっていて、レジ、商品陳列ガラスケースのとろに、なかなか出てきてくれません(笑)。

 ここに来たのは前年(2014年)の東京国立博で開催された「日本国宝展」も影響しています。そのときの記事でも書いたのですが、代表的な国宝として「義経の鎧」も展示されるのかな、と思いましたが、展示はありませんでした。展示替えは、ありましたが、島根の日御碕神社所蔵の鎧は展示がありましたが。 また、その以前の「大神社展」でも(義経の鎧の)展示は無し・・・・。あの「七支刀」でさえ展示になったのです。(ただ、七支刀は結構博物館の特別展では過去も公開されているようですが)
 「国宝展」では、展示に協力する団体、寺社がはっきりと分かれていました。「大神社展」は、文字通り神社が協力してなり立つものなのですが、姿勢は神社によって大きく異なっていました。大山祇神社は、協力しないのだなと思いました。
 そんなことで、本日代表的な国宝といえる、教科書でもおなじみの「義経の鎧」を見て、私は溜飲を下げたのでした(笑)。



大山祇神社 紫陽殿及び国宝館 国宝などの展示見学

 2015年8月

 ここは愛媛県大三島。大山祇神社です。拝殿の外れにある国宝館にエリアに入場しました。まず、正面にあるコンクリートの建物の中に入ります。
 ここが国宝館です。と、思いきや、正確には「紫陽殿」というようです。国宝館は、渡り廊下で続く、別の建物とのことでした。
 
 紫陽殿に入ります。靴は脱いで入ります。内部の撮影は禁止でした。

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 写真には、誰も写っていませんが、たくさんの入場者があります。四角い建物の中央部には、売店があります。店番の巫女の女の子があます。朱色の袴に白い装束。まさに「巫女」様です。皆、あどけない表情です。明らかに地元の高校生のアルバイトです。ここは都会から離れた島です。学生のアルバイトは高校生がほとんどでしょう。ちなみに巫女さんが写っている写真は一枚もありません(笑)。ちょうどお昼どきで、交代で休憩しているのか、建物の中と外を巫女さんが出入りしています。

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 売店の脇の階段を二階に昇ります。ここにも展示がありますが、メインではありません。神社の社号の額縁、神社の幟(源氏の旗のように白い地に、黒い模様というか、マーク)など比較的大きな展示品があったと思います。神門を守る、武器を持った人形が何体かありました。階段を昇ってすぐのところなので、目立ちます。目がくりっとしていて、睨むような感じです。
 二階は四角い回廊になっていて、休むためのベンチもありました。階段部分は吹き抜けになっています。
 二階か三階かは、忘れましたが、弓と矢の展示もありました。矢の羽根の部分には、装飾があります。が、劣化してかなり朽ちています。

 更に上の階がありました。さほど広くない部屋に鎧や刀剣の国宝、重要文化財の展示がありました。

 三階の壁沿いに、刀剣の展示がありました。重要文化財などの太刀です。鞘と刀身が展示してあります。
と、大内義隆奉納の太刀もありました。あの大内氏ですね。まさか、その後滅びてしまうとは思ってもいなんかったでしょう。時代を経て、人が滅びて刀だけ残っているとは不思議に感じます。

 なぎなたの展示もありました。さやがついていない状態で、いくつか展示されていました。刀身は鮮やかで、刀紋もすっきりしています。銘の読めるもの、銘の入っていないものもあります。どれが、価値があるのかは、分かりませんが・・・。刀の持つところ、ツカの部分はサメの皮を張っているような感じです。つりさする所には、ヒモを吊るす金具がついています。

 国宝の展示としては、護良(もりなが)親王奉納の太刀がありました。鞘の装飾はかなり色褪せしています。が、ツカの部分はサメの皮で装飾しているのでしようか。その名の通り、唐草模様の黄銅かの金属がついています。紐は当時のものかは分かりませんが、附属していました。昔の太刀のように螺鈿を散りばめているかは、分かりません。

 鎧は、国宝のものを探しました。アイランドのガラスケースの中に国宝のような鎧がありました。頼朝奉納のものでした。あれ、教科書などて有名な義経奉納の鎧はと探しましたが、その反対側、うしろから見えない木製片面のカ゜ラスケースに展示がありました。展示室の中央、360度見回りできるガラスケースの中に頼朝の鎧があったので、こちらがメインの展示品のように感じました。

 義経の鎧は、赤色です。全体的に、胸あてには、扇の彫刻があります。細かいところまで、製作しています。胴体を守る部分は布をあてているのですね。布は退色したり、シミがついていて、数百年の古さを感じます。草と花の模様がありました。左右上下四つのスソ板の端には、布でしょうか、丁寧に織り込みをしています。また先端の端の部分は×××と糸を織って装飾しています。とても細かい仕事です。戦闘用ではなく、芸術性が高いです。

 改めて頼朝の鎧も見ます。茶色がかっています。胴の部分は、布を貼り付けしています。緑色で草と、よーく見ると獅子が二頭?います。驚きです。獅子が浮かび上がるように織ったのでしょう。この時代獅子の姿が伝わっていたか、知りませんが、虎でしょうか?。 ネコ科の動物であるこは間違いありません(笑)。
スソ板の端には、義経奉納の鎧と同じく×××と装飾しています。が、やや織り込みが粗い感じ。経年劣化かと思いますが。

 と更に古代のものと思われる鉄カブトと、鉄でしょうか、防具の帷子がありました。カタビラはバラバラになっています。鎧のようにはなっていなく、残っている部分のみの展示という感じです。平のガラスケースに展示されています。こちらも国宝でした。

 国宝の鎧は保存状態もよい。重文指定の鎧は、肩や腰の付近の鎧の部品が欠落しているものもあり、劣化が進んでいるようにも見えました。
 ガラスケースも木製で、ガラス戸の隙間もあり、空気が入り込んでしまうような造り・・・・。スチール製の頑丈なケースにしないのかな、と思いました。国宝も酸化して劣化していきそうな気が・・・・。館内は冷房が効いていてね涼しいです。湿度管理もしていないような感じです。大丈夫でしょうか。
 国立、公設の施設ではないので、補助金は受けているとしても基本は所蔵団体(神社)が自前で管理、保管しないといけないので、維持していくのが大変かも知れません。
 




大三島 大山祇神社と海事博物館

 2015年8月

 ここは愛媛県大三島。大山祇神社です。島の内陸部の道を通り、先の道の駅とは反対側に出ます。ここにも道の駅があります。車を停めます。


 大山祇神社の拝殿を参拝し、回廊の屋根の下で休憩です。回廊は木造の古い感じの建物で、桧皮ふき?、床には砂利を敷いている部分があります。
 回廊には、 かつてここ大山祇神社を参拝した政治家など著名人の写真があります。どこかで写真を見たことがある、テレビで昔見たことがある、という人もいます。知らないおじいさんが神職と写っている写真もあります。が、名前を見れば、ああこの人かという著名人も。
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 明治時代から昭和戦前期は、海軍関係者の参拝も多かったようです。呉の軍港も近いのでなおさらです。
武運長久、航海安全、まさに海軍の神として信仰されていたのでしょう。
 現在でも自衛隊の関係者の記念写真が掲示されています。海上保安庁の巡視船の乗組員、呉の潜水艦部隊の写真、輸送艦「おおすみ」の進水式の写真などがあります。
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航海の神様ですから、造船関係者の参拝も多いようです。船の写真、進水式の様子の写真も掲示されています。軍、自衛隊関係ではなく、船会社、ここ瀬戸内海地域にある造船会社の関係者も多く参拝していることが分かりました。

↓ 回廊と掲示されている写真。拝殿への門の付近の様子。
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お守り売り場脇の出口を出て、石段を下り、回廊の外を歩き、再び石段わ歩きます。国宝館に向かいました。
入口にはチケット売り場があります。国宝館、海事博物館共通で一人1000円です。
売り場には、明らかに高校生のアルバイトと思われる女の子がいます。

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回廊と拝殿を見下ろす。 ↓
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 先に国宝館と紫陽殿を見たのですが、海事博物館から先に記事を書きます。
大きなスクリューの奉納品が・・。大手重工メーカーの奉納でした。

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 ↓ 博物館の正面。
  一階から入ります。中でスリッパをはいて見学。館内は撮影禁止です。

  鉱石の展示もありました。黄銅の石?などがあったように記憶します。鉱山(ヤマ)の神でもあるため、各地の鉱石を集めたようです。入り口付近にも鉱石の展示はありましたが、主に(一階から吹き抜けになっている周囲の)二階の回廊部分に展示があったようです。

 展示の中心は、昭和天皇がかつて使用したという生物研究用の動力船「葉山丸」でした。ぐるっと一周船の周囲を回って見ることができるようになっています。船室部分の内装は、見ることができませんでしたが、入口や船室の外壁から察してしっかりとした、つくりのようです。研究用なので豪華というほどではありませんでした。
 戦前期に造船され、昭和30年代には使用を終えています。戦争により研究船としての使用は中断されていて、戦後はほどなくして廃船?になったようです。20年と少ししか使用されていませんでした。
 一階の展示は、海の生物の標本(容器に入ったもの)などがありました。館内は冷房がガンガンに
効いていて、涼しいです。そのため、私は一階の入口付近で休んだまま、動けなくなってしまい。あまり展示品は見ませんでした。
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↓ 屋根の上部。高床式の倉庫のようです。神社建築を模しています。
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博物館、国宝館なとがある有料エリアを退出します。
鎧を着た鶴姫の像が道端にありました。鶴姫の着たという鎧は国宝館に展示がありました。
(鎧は、重文指定)
神社の脇を門前町方向に歩く道を「鶴姫ロード」と呼んでいました。

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 真夏のこの日、「鶴姫」ロードの脇はセミの声で充満していました。「ジジジジ゛ジジジジジ゛ジシジ」という感じです(笑)。実況してしまいましたが、アブラゼミの鳴き声だったかは、確証が持てません(苦笑)。多分「ミーンミーンミーンミーンミーンミーンミーンミーンミーン」というミンミンゼミでは無かったです(笑)。
 暑さのあまり、地面撮りをしてしまうワタクシ(とスマホ)の影。ボロスニーカーが気になります。ワタクシ、夏でも冬でもこのスニーカーでございます(笑)。臭そう・・・。(とセルフツッコミ・・・・。)

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 元の齋田の近くまで戻ってきました。田のそばの回廊には、絵馬が奉納されています。実際にこの回廊の屋根の下に馬をつなげることもできるような感じでした。

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↓ 齋田と回廊。写真の右方向が正面入口の鳥居です。
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大三島 大山祇神社 境内 参拝

 2015年8月

 ここは愛媛県大三島。大山祇神社です。

 さあ、神社の境内に入ります。
 大山祇神社の由緒を確認します。昔は海から真っ直ぐ参道に来ることができたのでしょう。

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境内には斎田?、がありました。新嘗祭などでお供えする稲を栽培しているのだと思います。

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境内を進み門をくぐります。
「総門」といい、平成22年に再建されたと説明にあります。前回来たときは、再建前だったことになります。

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 門の正面にある大木。説明によると樹齢が2600年くらいで、国の天然記念物の「大楠」とのこと。古来から造船の材料として使用されたので、神木として祀られたのだそうです。縄文時代からある楠といったところでしょうか。
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と、門の傍らには楠が。よく見ると伊藤博文参拝記念植樹とあります。

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 近くによって看板を見ます。確かに伊藤博文参拝記念植樹です。常緑の楠です。落葉することなく常に緑色の葉が繁る「楠」は(造船の材料である以上に)国家繁栄の象徴でしょう。彼は明治42年3月22日に大山祇神社に参拝していたのです。
 明治42年というと、博文が暗殺された年ではないかと思いました。あれ、これは暗殺される直前のことではないか?と思いました。韓国併合が1910年、きっかけは前年の伊藤博文のハルピン駅での暗殺だったと歴史の授業で習ったと記憶します。すると、明治42年は1909年に当たり、やはり暗殺された年です。博文の大陸への渡航経路は明らかではありませんが、満州への途中でここに立ち寄ったのだと思います。
 まさか、その後ほどなくして自分の命が無くなるとは思ってもみなかったでしょう。
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 近代日本最初の首相にして稀代の性豪エロ男、明治の好色一代男、不世出の大宰相、その肖像が紙幣にもなった偉大な人物、栄達を極めて大勲位 公爵に昇った人 伊藤博文の最期の時が迫っていたなどこのとき誰が予測しえたでしょうか?。

 戻った後に調べて見ると、明治42年の10月に暗殺されています。すると、ここに来たのは暗殺の7か月前のこことで、博文「最期の旅」ではありませんでした。韓国統監だった筈なので、3月の参拝のこの時は、韓国(大陸)と内地(日本)を往復していたのでしょうか。

 「日本総鎮守」の大山祇神社。航海の神様として信仰を集めたことはよく知られています。同時に鉱山の神様としても信仰されていました。航海と鉱山では「海」と「山」で真逆ではないか?、と思いました。
 由緒には「地神」、「海神」兼備の大霊神とあるので、鉱山つまり「ヤマ」の神として全国で信仰されたのでしょう。
 が、戦前の社格において旧国幣大社とは意外です。官幣大社ではありませんでした。
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↓ 本殿。夏休みとあってか、家族連れでの参拝も多いです。
社殿は重要文化財の指定。ここ大山祇神社の建築物自体に国宝はありません。
奉納された武具などが現在文化財として国宝に指定されているので「国宝の島」なのでした。
実際には拝殿の前で参拝しているのであり、本殿はその奥です。


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↓ 夏の日の強烈な日差しに照らされる本殿。参拝者も汗だくで見るからに暑そうです(苦笑)。
本殿で参拝をした後は、回廊下の広い日陰の下に早く入りたい一心でした・・・・。



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↓ 本殿の傍らのお守り売り場。
子供達の関心はもっぱらこちらです(笑)。

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近年は国宝の島としても注目を集めていますし、「大漁屋」効果、「しまなみ海道」のサイクルの聖地効果などもあって、賑わっているようですね。



大三島 大山祇神社 道の駅「御島」と門前周辺の様子

 2015年8月

 ここは愛媛県大三島。大山祇神社です。島の内陸部の道を通り、先の道の駅とは反対側に出ます。ここにも道の駅「御島」があります。車を停めます。
 しまなみ海道で事実上、本州、四国と陸続きの島であるのに、道の駅が近距離に二か所あるとは異例ではないでしょうか。

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 駐車場は混雑しています。

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 道の駅では、「塩ソフトクリーム」を販売しています。夏らしくアイスの、のぼりがたくさん立っています。写真奥には、「道の駅御島」の青い看板が見えますね。

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 ↓ 神社に参拝した後にアイス(というか、塩ソフト)を食べました。暑い~。
  「伯方の塩」が有名なので、ちなんで「塩ソフト」です。工場も大三島にあります。(見学はしていませんが。)
 現在では、瀬戸内海沿岸では塩田は見られません。以前(山陽地方に)住んでいるときに聞いた話ですが、瀬戸内の塩といっても現在は海水から昔の製法で塩は製造しておらず、市販で流通している塩のほとんどは、輸入の岩塩とのことでした。
 現在でも「伯方の塩」として販売されている商品すべてが、そしてここで使用されている塩が地元の塩田瀬生産かは、分かりませんでした・・・・。


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 さて、時間はまた元に戻します。

 大山祇神社に歩いて向かいます。神社の入口は海に近い方しかないようなので、境内と境内外を分ける柵に沿って歩きます。


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境内の脇の道。道路脇の水路は灼熱で水が枯れそうです。おたまじゃくしが大量発生している部分もありました(笑)。

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と、水路が境内内に流れ込んでいます。境内内に橋がかかっています。


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 と、門前まで来ると人の行列が・・・・。「何だ何だ??」とは思いません。このお店とても有名ですから(笑)。しかし、まさかここまで混んでいるとは思いませんでした(汗・・汗・・汗・・・・)。並んでいるみなさんは熱中症にならないか!?、心配です・・・・。

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 お店の名前は「大漁屋」。某テレビ番組というか、いくつかのテレビ番組にも登場しているので知っている人は多いでしょう。アノある芸人が「行列に並ぶ」番組にも登場したとか。その回を私は視なかったのですけどね(笑)。
 以前、伊勢神宮の参道沿いの店で、その番組のロケの模様は、目撃をしました(笑)。後日、私達の家族も遠くにピンボケしていましたが、姿が映っていたことは周知の通りです(笑)。

 大漁屋は、ライダーも押しかけています。いや~、並ぶだけで、暑さでヘトヘト、食欲が湧くのか心配です(笑)。
 ↓ 大漁屋の狭い道路を隣にある建物。美術館です。ガラス張りのモダンな建物。以前来たときには、あったのか、忘れてしまいました。覚えていません。ともかく暑いので、灼熱に熱せられたアスファルトの道路を渡って美術館に向かう気力が湧きません・・・。ウソやろ~と思われるでしょうが、いや、本当です。それくらいの灼熱です。ただ、この日は快晴でカンカン照り照り(敢えて二回「照り」を入れます。)で湿度が低いので、まだ日陰では過ごしやすいです。瀬戸内特有の乾燥した気候ですね(笑)。
 高湿度の関東から来ても分かりにくいかもしれませんが、瀬戸内海気候の地に一度住んで、関東に行ってみると何となく「違い」を感じますよ(笑)。
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神社の前の様子。写真には写っていないですが、左方向が大漁屋です。
写真の奥が道の駅です。

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 行列の様子をアップで。京都のとある店でも行列の模様をレポートしたことがありましたね(笑)。行列している人は若い人が多いです。店の外にはテントもありません。日傘やうちわは必須ですね。

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 と、観光案内所美術館から出てきた人が並びました。ああ、もって早く並べばよかったのにね。この炎天下では大変です。お昼の時間帯に来たのでは遅いですね。

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 さあ、神社の境内に入ります。
 大山祇神社の由緒を確認します。昔は海から真っ直ぐ参道に来ることができたのでしょう。

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↓ (既出) 多々羅大橋の優美なな姿。
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大三島 多々羅大橋、道の駅「多々羅しまなみ公園」

 2015年8月

 ここは大三島です。「しまなみ海道」を通ってやってきました。ここは四国。実は愛媛県に属しています。広域
合併の結果、今治市の市域の一部です。意外な感じもします。本州から見れば「今治」といえば四国の本島にある海の向こうの町というイメージですが、瀬戸内の島々も市域となり、広島県の本州側とも狭い海峡を隔てて隣接するようになりました。
 高速道路を通り、大三島のインターで降ります。まずは道の駅に立ち寄ることにしました。
「多々羅しまなみ公園」です。

 ↓ 道の駅の海辺から見た「多々羅大橋」。
 このアングルからの光景は有名ですね。最近ではテレビなどでも時折放映されるようになりました。
 「サイクリストの聖地」とも言われています。碑もあります。
 対岸は生口島です。こちらも近年レモンで有名です。

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 ↓ 上の写真と同じ場所から。方向を変えて。コンクリート護岸の先にはわずかに白砂の砂浜があります。
 橋と対照的に「反対側の沿岸」の風景はほとんど紹介されることが無いかも知れません(笑)。

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 ↓ 真正面。海が広がっています。
 沖合の写真左奥に霞んで写るびょこんとして山は、しまなみ海道で通って来た向島(むかいしま)の山でしょう。

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道の駅のある敷地の公園。「しあわせの鐘」があります。みなさん盛んに鐘わついています。炎天下で、しかも屋根が無いので、鐘まで歩くのがキツイですが・・・。だから私はシアワセになれない!?(笑)。

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 「多々羅しまなみ公園」の駐車場と建物の様子。たくさんの車が停まっており、賑わっています。写真には写っていませんが「自転車」で来ている人も多く、自転車もたくさん停まっています。バイクで来ている集団もいて、観光バスのもやって来たり、混雑していました。みなさん熱中症には気を付けましよう。

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 実を言いますと、サイクリストには外国人の姿も多かったです。サイクルコースとして「しまなみ海道」が注目され、上述の通り今や「サイクリストの聖地」です。以前来たときは、そのようなことは聞きませんでしたが・・・・。最近の円安の影響もあいまって外国人が訪れるようになりました。自転車に乗っている人は欧米人も多く見ます。数年前までは考えられませんでした。


 さて、時間軸を戻します。
 大三島に至るまで通ってきた橋の風景をお楽しみください(笑)。
 「しまなみ海道」は本州から尾道水道を渡り
  ↓
 向島
  ↓
 因島大橋で因島。
  ↓
 狭い海峡(瀬戸)を渡る橋で生口島
  ↓
 多々羅大橋で大三島
 というルートです。 因島大橋は瀬戸大橋のような吊り橋で、比較的長くて大きい。本州を通る尾道~糸崎間の電車の車窓からも見ることができます。

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 因島大橋の「外洋」側。「外洋」といっても瀬戸内海なので「本州から見て沖合、四国側」と呼んだ方がよいでしょう(笑)。

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 ↓ 生口島への橋。

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 生口島は、ポコンと突き出た高い山が印象的です。島の形も卵型ですね。

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 生口島では、山の中腹を高速道路は通ります。眺めが良いです。

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 多々羅大橋が見えてきました。橋の手前にはパーキングエリアがあります。実は「しまなみ海道」の開通当初は岡山に住んでいた時代だったので、ここにも来たことがあります。上の子はまだ赤ん坊の頃だったので、覚えていないでしょう。下の子は生まれてもいませんでした。


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 今回はPAは通過して多々羅大橋を渡ります。
 サイクリスが多かったと上でも書きました。しまなみ海道の橋を通過するとき、自転車で通行している人も傍らに見ることができます。
 ツレは、サイクル姿の人を見ると、「ユーいるかな?」とサイクリストの中から、外国人を見つけているのです。外国人と分かると「あっ、ユーだ。」といちいち声に出して言います。某テレビ番組の影響です。日本に来る外国人をユーというようです。もっとも主要空港周辺では外国人は多いので、「ユー」とは定義しないでしょう。
 ここでは今まで来なかった日本の地方の名所まで来るようになった外国人に対しての総称という意味が大きいのでしょう。サイクル姿ということは、自分の国からわざわざ自転車を空輸して来日しているケースも多いと思います。彼らを特に「自転車ユー」、「サイクルユー」と呼んでいるようです・・・・。子供達も真似をして言い出します。「あっ、自転車に乗っているユーだ。」と。子供達もテレビを見ているようです・・・・いちいちウルサイです(怒)。



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 多々羅大橋。そして大三島に到着しました。


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