良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

中国四国地方の旧大名庭園

 

足守 近水園と吟風閣

 2015年8月

 ここは岡山県岡山市。足守 近水園の散策です。
 池のほとりに建つのは吟風閣です。庭園の北西の端に山を背にして建っています。南東に池が開けています。

 ↓ 池の中の島から眺めた吟風閣。
   二階建ての風雅な建物です。

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記念碑。文字までは読んでいませんが・・・・。

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吟風閣に近づいてみます。雨戸が閉じられていました。

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数寄屋造りというこで、どこか京都にある寺社仏閣の建物のような感じです。雨戸が開放されるときもあるようです。以前来たときは開いていたと思います。
そのとき、写真や園内で子供を歩かせてビデオを撮影して記憶があります。そのときの写真やビデオを探しましたが、見つかりませんでした・・・。デジタルカメラではなかった時代なので(デジカメは勿論あったが、私が持っていなかっただけです。)、今となっては所在が分かりません。
ネガが残っていないかな・・・(古い・・・)。

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吟風閣正面。二階の正面に「吟風閣」と額があります。
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 池を眺める縁側(廊下というか、正式な呼び方が分かりませんが・・・・)。今では誰でもここに来ることができますが、昔はお殿様や限られた者しか入ることはできなかったのでしょうか。池に近い縁側の上に立つと、池の水上から庭園を眺めるような感じです。まさに「良き眺め」であったと思います。

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吟風閣の前から池を眺める。池の向こうには借景の山々が見えます。写真で見る限り電線も写り込んでいません。昔のお殿様が見た風景とほぼ一緒ではないでしょうか?。
もちろん、当時利玄の碑は島に無く、庭園の整備状況なども異なりますが。

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園内には「マリア燈籠」があるとのことでしたが、どれか判別できませんでした。木下家のご先祖、木下家定は、キリシタン大名の一人だったと思いますので、そのときの物が現在まで伝わったのでしょうか。


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かつての陣屋の方向。空地になっていて、その向こうに屋敷があります。
先ほど門越しに眺めた利玄の生家だったと思います。

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庭園の説明。

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 庭園の平面図。池の島で大きい島は「亀島」、小さい島は「鶴島」というようです。足守川の上流から庭園内の池に水を引き込んでいる様子が分かります。
 足守川が丘陵地帯(現在はその頂上部を削り空港になっている場所もあるが)から平野部に出てくるたもとに造られたのが、足守の陣屋町であり、近水園です。上の写真で見たように借景の山は現在もほぼ、昔のままです。借景の山は足守川越しに庭園の東から南東にかけて連なっています。まるで、足守川を京の「鴨川」になぞらえ、借景の山を東山になぞらえ、「洛中のとある地点のお屋敷の庭から、鴨川を渡った先の東山の峰々を眺める」ような雰囲気です。
 仮説ですが、高台院様の甥、太閤秀吉の係累である木下氏は、徳川様の天下となった後に封ぜられた備中の領地の周囲の風景にかつて屋敷を構えた「京の街」を見出したのです。

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 「歴史公園」として、もっと整備はできないでしょうか。ここ近水園はかつての大名庭園の貴重な遺構ですし、お隣、現在は草の生えた空地になっている部分もありますが、陣屋跡も貴重な史跡です、落ち着いた足守の風情とともに保存していきたいものです。
 まずは、現在なんとなく踏み荒らされて地面が露出し「自由公園化」している庭園の整備と、庭園敷地を塀で囲う等の入場時間帯制限、吟風閣の建物保存措置が必要と思いました。その際の入場料は・・・・・無料がありがたいです(笑)。
 整備された後の有料でよいではないかと言う人もいるかと思いますが、100円など安価な入場料でもお金を取る以上、それなりの施設管理をしないといけませんし、人も配置して現金管理をしないといけないので、中々大変なようです・・・・。
 現在足守文庫は無料で公開されています。今回の訪問時、吟風閣の雨戸が閉まってしたので、開閉したり管理する人がいるようです。(委託だと思いますが)
 入場無料の庭園の例としては、東京の新江戸川公園(永青文庫の隣)があるのではないか、とひらめきました。柵で囲われて、入園時間が決まっていますが、無料です。整備されており、池とお庭は美しいです。庭園に隣接する建物も保護措置がとられています。(建築年代は、吟風閣とは全く異なりますが。)
 くしくも、昔の細川家のご当主、護立侯爵は白樺派の芸術家と親しく(しかも学習院の同窓)、白樺派の歌人で旧足守領主、木下家のご当主、利玄子爵とも年齢も近く、親しかった筈です。
 近水園と吟風閣が整備され永く保護されることを願います。岡山市、政令指定都市の指定記念新規事業でドーンと打ち上げましょう(笑)。しかし、「予算が無い」という返事が返ってくると思いますが・・・・。






足守 近水園 探訪

 2015年8月

 ここは岡山県岡山市。足守の散策です。
 足守の陣屋跡の前を通り、突き当りに公園のような庭があります。
 その名も「近水園」(おみずえん)です。足守の領主だった大名 木下氏の庭園跡です。陣屋の跡地に隣接しています。陣屋跡と庭園の端の間は空地になっていて、今は夏草が生えているのみです。
 
 ↓ 池の中の島。記念碑が建っています。

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 庭園の入口にある碑。現在は公園のようになっていて、入場は自由です。門も特にありません。小学校の傍らの道路から自由に入ることができます。つまり夜でも入場できる訳で・・・。真っ暗で何も見えないでしょうが。
 それゆえ、管理はあまりされていなくて、木、生垣、芝生などはあまり整備、手入れされていなくて、雑草もかなり伸びています。園内も土が露出しています。犬の散歩などで来る人もいるでしょう。「動物の散歩禁止」となっていたかも分かりませんが。
 ボール遊び、自転車乗り入れなどは禁止されていると思いますが、自由に走ったり、運動したりでききるので、江戸時代から300年以上も続く庭園なのに、有料管理の庭園、岡山の後楽園のように「美しく整備された庭園」ではないのが残念です。

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 ↓ 庭園の説明。
 同じ岡山市内には、「後楽園」があります。ここ近水園も規模は小さいですが、立派な、かつての大名庭園です。
  国指定の史跡や名勝にはなっていません。県指定の名勝になっています。「知られざる庭園」だと思います。
 「園内にはカエデや桜の木が多い」の説明の通り、春には桜の花が咲き乱れ、秋はカエデの美しい紅葉が見られることでしょう。
 夏のこの日は、桜の木の樹液を吸って鳴くセミの声で充満しています。

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 東側。山が雲に隠れています。雷鳴が遠くでしています。雨こそ降っていませんが。山の向こうには空港があります。

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 島の中の記念碑は、明治大正時代の当主、歌人 木下利玄の顕彰碑です。
昔、この島は「蓬莱島」と呼ばれていたかも知れません。

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 島から池ごしに吟風閣を見る。

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 池の反対側。足守文庫があります。早い時間帯で閉館してしまうため、見学できませんでした。木下家、足守の文化財、歴史資料が展示されています。以前来たときも閉まっていました。以前は、開館している時間や期間がかなり限られていたような・・・。
 ウェブサイトによると現在は分かりませんが、過去は「時間内に管理事務所に声を掛けて開けてもらい見学」だったようです。足守出身の有名人といえば、適塾の緒方洪庵。洪庵の資料も展示があるはずなのですが、見学できなかったのが残念です。

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 ↓ 池の様子。錦鯉?が泳いでいます。

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 島を出で、石橋を渡り、「陸地」に戻ります。更に別の島に移動し、池と庭を眺めます。

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 もうひとつの島。「鶴亀島」でしょうか。


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 ↓ もうひとつの島から、記念碑のある島を。借景の山が正面に見えます。


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旧足守藩木下家陣屋跡と足守の街並み

 2015年8月

 ここは岡山県岡山市。足守の散策です。高梁から山の合間を通る国道180号線を川沿いに下り、岡山平野に出て、視界が開けた所で、川を離れて曲ります。お盆休みに近い夏の夕方、道路を往来する車は多いです。

 そして足守にやてきました。岡山空港のある丘から真下のも当たります。空港に離着陸する飛行機が間近に見えることもあります。
 
  ↓ 足守藩 木下家の陣屋跡。

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 足守藩木下家といえば、白樺派の歌人で明治~大正にかけての当主、木下利玄。志賀直哉、武者小路実篤の友人としても知られています。堀のそばには、「利玄みち」と標識があります。矢印に沿って歩くと、利玄の生家跡に着きます。ここから100メートルもありません。
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陣屋の端のお堀。お城のように深い堀ではありません。江戸時代に領地の政治を執る場所として造営されたので、戦闘に備えた堀は不要なのでしょう。

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↓ 屋形遺構の説明。

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↓ 生家の説明。明治時代になっても、旧領地の陣屋の跡にかつてのお殿様の一族が住んでいたとは驚きです。いや、驚くまでもなく、普通だったのでしょうか。維新からしばらくは、新政府から俸禄が支給されていたのか、近代的な産業がない当時のこの地で生活の収入をどのように得ていたのかは分かりません。

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生家の門。以前も来たことがありますが、修理されたようで壁が新しくなっています。
以前来たときは、門が開いており、奥の家屋まで行くことができました。もっとも奥の家屋は戸締りをしていて見学をすることはできませんでした。
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門と堀。堀はかつての陣屋の南面。つまり、正面に堀のはずですが、細いです。形式的なお堀のようです。

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陣屋の敷地の更に先、近水園の方向。
復元された??屋敷が建っています。
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↓ お堀の前には小学校があります。かつては重臣などの屋敷だったと思います。
写真 すぐ右にはお堀があり、陣屋跡です。

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学校の校庭の一角にある昔の建物。屋敷の門の遺構です。
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↓ 門の説明。


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駐車場近くの街の様子。

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足守の観光用の駐車場。夕方の時間帯で誰もいませんでした。お店も閉まっていました。

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かつての侍屋敷の遺構。現在も見学できるようですが、この時は時間外でした。

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↓ 侍屋敷の説明。家老のお屋敷の跡です。
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 足守藩の石高は2万5千石とあります。現在の岡山市の中心部のお城を中心とした岡山藩に比べても小さい藩です。
 この侍屋敷にはお殿様が来邸したこともあったようです。陣屋にも近いので、歩いてすぐです。それとも駕籠で来たのでしょうか。小さい街なので、お殿様との距離も近かったのでしょうか。お殿様というと、御殿の奥深くにいて中々御目通りのかなわない存在とイメージしがちですが、ここは街の規模も小さいので、御殿奥深くに・・・・、という感じがしません。


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