良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

東京芸術大学美術館

 

「雪村展」 鑑賞3(最終) 東京芸術大学美術館

  2017年4月2日 特別展「雪村-奇想の誕生-」 鑑賞3 東京芸術大学美術館
 
 東京芸術大学美術館にやって来た。 三階から見学開始した。
 三階の展示室の順路の最後には、大型の屏風絵があった。
 「花鳥図屏風」 ミネアポリス美術館 所蔵 
 池にコイがいて、池のほとりに鳥がいる。一双なので、つまり2点ある。鳥はサギのようだ。鶴ではない。トキを思わせる優雅な表現だ。カモもいる。実に大きくリアルに水墨で表現している。右双だったか、どちらかの屏風にはコイが何匹も大きく描かれている。コイのウロコや開いた口、目までリアルに表現していて、グロイくらいだ(笑)。
 やはり大きな屏風絵がある。重文指定の「花鳥図屏風」 大和文華館 所蔵
 右双は梅の木と鳥が描かれていて春を表現している。左は夏だそう。夏らしく水辺を飛ぶ鳥が表現されている。(右から左に時間軸が流れていたと記憶する。) 
 「紙本墨画」の筈。展示リストには材質が描かれていないので、彩色か墨画か忘れてしまった。

 ↓ 特別展パンフレットの拡大。鳥が実にリアルに表現されている。
 

DSC00030

 三階の展示はこれでおしまいです。続いて地下に下りました。エレベータで一気に地下まで。地下は、二室に分かれています。
 一室は、主に雪村や光琳の絵画や関連資料で奥行のある展示室。別の部屋は、近代までの影響を受けた画家たちの作品の展示。

 ↓ 展示室の配置。展示リストの抜粋。

DSC00032

 順番に見ていきます。
 「第5章 三春時代 筆力衰えぬ晩年」
 70歳を過ぎて三春に居を構えたそうだ。西暦でいうと1560年代かな。信長が京の都で覇権を唱えつつあった時期だろうが、都から遠く離れており、気候の厳しい北国の地では無縁だったのだろうか。
 「金山寺図屏風」 笠間稲荷美術館 所蔵 生まれ故郷、かつての常陸の国にある美術館の所蔵。
 お寺の建物の描写が壮大で古代中国の立派な楼閣のようだ。茶色のようなうすい彩色が施されている。金山寺は長江の中流にある島の寺だそう。「・・・実際には見ていない。雪舟の絵を見て、空想で描いた・・・」と説明文にあった。
 
 雪村を尊敬していたといわれる 江戸時代の画家 尾形光琳。作品の模写もしていたそうだ。
 重要文化財指定「小西家伝来 (尾形)光琳関係資料」には、「雪村」の刻印のある落款(石印)があるのだ。現物の展示がある。説明文によると「どのような経路か分からないが、光琳は雪村の石印を入手した。・・・・」とある。重要文化財指定「小西家伝来 (尾形)光琳関係資料」の点数は、数多くある。以前、文書などは根津美術館の国宝「杜若図屏風」も展示されていた「光琳デザインの秘密」展で見て、光琳の子が大阪の小西家に養子に入って、伝わったことを知った経緯がある。また京都国立博物館の「琳派展」でも同資料の展示品は見たことがあると記憶する。

 地下の小さい方の部屋 「第6章 雪村を継ぐ者たち」

 雪村に関する映像コーナーもあった。
 「山水図」 鶴沢探真という作家の明治時代の作品 雪村の作品の原本を見て模写したようで、画中の描かれているものの寸法がほぼ一致しているそうだ。
 狩野芳崖の作品もありました。江戸時代~明治時代の画家にも影響を与えていたのでした。
 橋本雅邦の「雪景図」(山水画冊のうち)の展示がある。江戸狩野の二代目、常信が雪村の作品の影響を受けて、のこした作品の更に模写か雅邦が影響を受けて制作した作品と解説があったと記憶する。(詳細は忘れてしまった・・・。)

 三春の雪村庵にある額は 西暦1658、明暦4年に制作されたそうで「・・・八十余年前に僧 雪村あり。いみなは周継・・・」と書いてあるとのこと。明暦の大火のあとのこと。昔ことを記録しておこう、という機運から作成したのではないか?。当時の人が80年以上も前に没した雪村を忘れず、顕彰していたことが分かる。
 すると没年は西暦で1570年代ではなかったか。

 4/23(日)までの前期の展示は、重要文化財 大和文華館所蔵 「呂洞賓図」が一番のメインであろう。
 4/25から会期最終日5/21(日)までの後期の展示は、重要文化財 指定で、展示リストによると同じく大和文華館所蔵 の「自画像」であろう。展覧会のパンフレットには「自画像」の写真の掲載がある。後期展示なので、道理で探しても無かったはずだ(苦笑)。
 自画像によると雪村自身は、痩せていて、目が鋭い。まじめで、どこか神経質そうな人物像が伝わってくる・・・・。画風と異なり、厳しい修行に耐えた「禅僧」という感じだ。

↓「雪村展」パンフレット 「自画像」の写真部分
 
DSC00031

 
 地下二階の展示室を見た後は、地上二階に行ってショップを通り、一階に階段を降り(エレベータではなく)、退出した。ショップを見ない人は、一階でエレベータを降りて出て行ってしまっていたが。

 ↓「雪村展」 の看板が出ている東京芸術大学美術館の入口。上の階のガラス窓が展望休憩室。

IMG_0418


 ※ 大和文華館 今回の展覧会でも多数出品していた。特に前期と後期の作品のメインは同館の所蔵である。
 大和文華館の所蔵品は、日本美術関連の展覧会では、一品、二品と出品数は少ないものの、出展される機会は多い。2014年10月から12月にかけての「日本国宝展」では、国宝「寝覚物語絵巻」も展示されていたし。行ったことは無いが気になる美術館です(笑)。
 昨年4月、信貴山に行った際に、距離的に近いので見学してみようと思ったが、時間の関係で割愛した・・・・。奈良国立博物館にそのまま向かったのだった。 
 昨年、訪れようとしたときの国宝展示は「寝覚物語絵巻」だったと思う。毎年、3月から4月上旬に展示しているようだ。すると、私が「雪村展」を訪れたこの日も大和文華館では国宝「寝覚物語絵巻」が展示されていたと思う。

「雪村展」 鑑賞2 東京芸術大学美術館

  2017年4月2日 特別展「雪村」-奇想の誕生- 鑑賞2 東京芸術大学美術館
 
 戦国時代を生きた謎の画僧「雪村」の展覧会。東京芸術大学美術館  三階の展示室から見学を開始した。
 展示室に入って正面のパネル壁の展示は「夏冬山水図」(京都国立博物館 所蔵)であった。
 険しい山と峡谷に挟まれ、唐風の家屋が書いてある絵・・・。薄い彩色がされている。「雪村筆」と署名があり、朱肉で落款が押してある。
 この作品、雪舟の「山水図」に似ているのだ。私が知っている雪舟作品は少ないが、東京国立博物館所蔵で時折展示される国宝の「秋冬山水図」二幅の作品に特に似ていると感じた。当時の「山水図」は皆同じように明国や宋、元(当時)伝来の作品をモチーフに描いていると推定されるので、皆似ていると言ってしまえばそれまでだが、雪村自身はこの作品を描く前に雪舟の作品を見たことは、あるのだろうか。
 「書画図」 大和文華館 蔵
 題名は後年付けられたのだろう。童子が描かれているが、実際は男たちが屋外で酒を飲んだりする宴会の場面。

 展示室内は、鑑賞者が多い。どの作品の前にもまんべんなく鑑賞者がいるくらいの人数。若い人も多いのだ。美術を学ぶ学生かな。学生は女の子の方が多い。40歳くらいの女性と白髪60歳くらいの男性が手をつないで鑑賞していたり・・・・。世代はどちらかというと、若めではないか。

 第2章 小田原・鎌倉滞在-独創的表現の確立
 解説によると雪村が小田原、鎌倉に滞在したのは50歳を過ぎてからのこと。以前は記録がないらしい。修行中であったか、高名でなかったので、実際には行き来していたが、記録が残っていないかいずれかだろうか?。

「蕪図」・・・大根がうまっている様子の絵。どこか、後年の若沖の水墨画「野菜の涅槃図」を思わせる。
 「雪村筆」と作品中にある。どこか「雪舟筆」と見間違えてしまう。雪舟は現在、国宝指定の作品にも「雪舟筆」と記しているし・・・・。
 別の作品「列子御風図」 アルカンシェール美術財団 所蔵 では画中、左上に「雪村老筆」と書いている。

↓ 特別展パンフレットの拡大。

DSC00027


 「竹林七賢酔舞図」 メトロポリタン美術館所蔵 タテに長い描け軸の絵
 竹林七賢の老人を「賢く」表現するのが、このシリーズの作品の常識であろうが、この作品の画中の人物はどこか滑稽だ。杯を手に持って差し出した頭巾をかぶる老人が、酔っぱらって踊りながら、楽しそうにしている。周囲では太鼓?などをたたいて音を奏でている。「ヤレ唄え、ホレ唄え」という声が聞こえてきそうだ。
 解説によると、この「手に杯を持った老人」は「雪村」その人の自画像といわれているそうだ。
 殺伐とした戦国の世にあっても、酒を飲んで謡い踊る、ユーモアも分かる人物であったのだろうか。
 メトロポリタン美術館所蔵なので、今回里帰りしたのだろう。巨大なメトロポリタン美術館所蔵では、ほとんど展示される機会は無いと思われるので、鑑賞できる機会を得たのは貴重かもしれない。(アメリカでの展示実績などの解説は無かった。)

 「百馬図帖」 鹿島神宮 所蔵
 馬の絵を奉納している。馬の頭の部分を拡大し、数頭が並んでいる様子の画。神社に奉納しているので画中に「奉」と記している。雪村は鹿島神宮にも滞在したと年賦にあるので、このときに奉納したのだろう。現在まで500年間近く、同じ鹿島神宮に保管されているとは、驚きだ。

第3章 奥州滞在-雪村芸術の絶頂期
  
 重要文化財 大和文華館所蔵 「呂洞賓図」は三階の展示室りの一番奥の突き当りにあった。
 展覧会のポスターの表紙写真にも採用されているので、今回一番の目玉作品であろう。展示は4/30まで。
 「りょ どうひん」と読むそうだ。
 龍の上にのっている、上を向いた人物の画・・・・。解説文には「ありえへんくらいに首を折り・・・」とは解説していないが(笑)、風に吹かれながら、髭までもピンとなびかせて、何かパワーを発散している感じの絵。見上げる左上にも龍がいる。左下には「雪村筆」と記してある。
 解説文によると「風を どうひん がおこしている・・・・」とあったように記憶する。あるパワーで、風を読んでいるのだ。邪気を払うかのような力強い絵だ。が、これは密教の考え。
 現代でいう「嵐を呼ぶ僧!!」かな・・・、というのは違うようだ。当時は禅宗が主流であった筈なので、説明文によると禅問答をしているそうだ。「龍」の美術では欠かせないものだし。

 ↓ 特別展パンフレットの拡大。 「呂洞賓図」

DSC00029

  別の「呂洞賓図」もあった。展示目録には、所蔵者が書いていない。つまり、東京芸術大学の「自己所有」作品だ。解説によると「今回、準備段階で存在が分かった 初公開」の作品とのことだった。

↓ 特別展パンフレットの拡大。

DSC00026

 展示リストを見ると、東京芸術大学所蔵がいくつかある。所蔵品を持つ館、施設としては多い方。やっと、今回「雪村展」がここ東京芸術大学美術館で開催された理由が分かった(笑)。が、一番多いのは、個人だ。
 龍の上の乗る画といい、禅の文化、思想を基に表現しているが、風の動きをよく捉えている。風が漣(さざなみ)のように立っているのが、印象に残った。

 展示を見ていく。
「昭和49年に切手のデザインとなった」という作品があった。
重要文化財 東京国立博物館 所蔵 「松鷹図」。2幅あり、大きい画だ。上を向く鷹と、下を向く鷹の屏風?が対(つい)になっている。説明文によると「別人の作の可能性がある。」とあった・・・・・。
 
↓ 三階にある休憩の部屋から外を撮影した。鑑賞した2017年4月2日 撮影。
 芸大付近の桜は、まだ咲いていない。

IMG_0416

 
 どうでもよいのだが、下は「二年前」に同じ部屋から撮影した写真(苦笑)。

 ↓ 休憩の部屋から外を撮影。校門が見えます。2015年4月撮影。
   二年前は桜の盛りは過ぎていた?。
  本当に下の写真は二年前の写真です。今回撮影したものでは無い、といっても信じてもらえないかもしれないが(笑)。

IMG_2336























 





「雪村展」 鑑賞1 東京芸術大学美術館

  2017年4月2日 「雪村展」、正式には 特別展「雪村-奇想の誕生-」 鑑賞1 東京芸術大学美術館
 
 東京都美術館の「ティツィアーノ展」を鑑賞した後、同館の敷地の脇を歩き、工事中の奏楽堂を過ぎて、近くの東京芸術大学美術館にやって来た。

DSC09483

 さあ、三階から見学開始だ。その後は、地下二階に潜り??、二階にミュージアム店を見てから退館するという、相変わらず分かりにくい順路(笑)。

 「雪村」の展覧会です。が、知らなかった・・・・。マジで一瞬「雪舟」と読み違えして「なんで雪舟が芸大美術館で開催やねん?」と思ったが、一応は瞬時に間違いに気付いた(笑)。
 「雪村周継」・・・一体何者だろうか?。雪舟のややあとの時代、戦国時代の中期の画僧・・・・。名前からして「雪舟」にあやかったものであることは確かだ。その作品も見ていたのだろうか?。戦国の世、雪舟の盛名はその没後も聞こえていた筈だ。

 展覧会のポスターにも「ゆきむら でなく せっそんです。」みんなの誤解に答えるようにちゃんと書いてある(笑)。 
二年前くらいに「ボストン美術館展」が別の場所(東京国立博物館)で開催されましたが、この展覧会を私は見ていないので分かりません。
 展覧会の展示リストを見ると重要文化財指定の作品はあるが、国宝指定は無い。まだまだ認知度の高くない画家ではないだろうか。やはり「雪舟」の名が圧倒的だからかな。

 展示室の最初には、「雪村」が過ごした町や足取りの説明ボード地図が掲示してあった。
 まず、その足跡からみる。常陸の人。陸奥の国の会津や田村郡というか、三春に移動して生活している。当時の常陸は佐竹氏の勢力下だ。佐竹氏の庇護の下に佐竹の同盟関係の蘆名氏など東国を移動したのだろうか?。 会津を本拠地とする蘆名氏の名が解説にもあるので。
 考えるに「独眼竜政宗」の更に「前の時代」背景と一致するのだ。「佐竹、田村、蘆名」などは、当時大河ドラマでもよく出てきた固有名詞だ。えっ、なぜ知っているかって?。当時、私は小学生高学年なので少しは見た(視聴した)のですよ(笑)。
 反対に「伊達」という名は会場に展示されている説明ボード地図年、賦には出てこない・・・・。伊達郡発祥の豪族の伊達氏は、あまり関係がなく、のちに伊達氏に負かされた蘆名氏や大河ドラマでは敵方としても描かれていた佐竹氏と雪村自身は深い関係にあったようだ。元々常陸の生まれなので、伊達氏はむしろ敵方?。
 雪村は僧であったから、比較的自由にあちこち移動できたのだろうか?。常陸太田(生まれたところ)、会津、小田原、鎌倉、鹿島神宮などに滞在したそうだ。鹿島神宮は、先の東京国立博物館の特別展覧会「春日大社」でも展示があったが、「春日信仰」にも関連が深い場所であった。鹿島の「鹿」ですね。
 晩年は三春に滞在して没している。没年は不明・・・・。80歳以上の当時としてはかなり高齢だ。没時は豊臣秀吉が天下統一する頃かその前、どうやら没年は(断定されていないが)1580年前後のことのようだ・・・・。すると、伊達氏の当主は若い頃の政宗ではなく、その前の世代、政宗の父が当主の時代かな・・・・・。政宗が戦で蘆名を破って、会津を手中に収め、事実上追放した頃には、既に没してなのではないか?。

 大河ドラマでも放映していたが、政宗の正室は、三春の田村氏から迎えていた筈。すると、三春は当時田村氏の支配下で、まだ娘が政宗の正室となる前で、勢力伸長していた伊達氏の強い影響下になる前に雪村は没した。すると、雪村は当時の田村家の当主、のちの政宗の義父(正室の父)の保護の下に三春に滞在していたと推測される。当然、著名な画僧として令名は、聞こえていたと思うし、田村の殿様と面会していただろう。
 展覧会の会場にも写真が掲示してあったが、現在、雪村が滞在した「雪村庵」がある。現在の郡山市にある。ただし、旧三春町、合併した後の田村市の所在ではない。有名な「滝桜」は、田村市だったと思う。

 その生涯は、生存していた時代は、一部しか重なっていないが、西国の雪舟に対して東国の「雪村」といったところか。雪舟が庇護をうけたのは、有力な守護大名だった大内氏。その大内氏は、雪舟の没後であるがのちに滅亡した。戦国の世とは非情で、厳しいものだ。
 
 展示室を見ていく。「滝見観音図」が最初の展示作品だった。ごく普通の観音様の掛け軸の絵。
次の作品もタイトルは「滝見観音図」。ともに茨城県のお寺の所蔵。紙本彩色である。基本は水墨で淡いカラーの彩色が施されているような感じだ。
 更に「葛花、竹に蟹図」がある。群馬県立近代美術館の所蔵。蟹などに薄い彩色がある。

 ↓ 特別展のパンフレットに掲載の作品。


DSC00025


 最初の展示、入室して奥に向かって右手には、尾形光琳の国宝指定作品「紅白梅図屏風」の複製のレースの垂れ幕がかかっている。「なぜ尾形光琳か?」と予備知識無しで訪れた私は思った。「きっと光琳は雪村から影響を受けているのだな。」と考えた(笑)。
 「紅白梅図屏風」複製のレースの垂れ幕(透けて反対側が見える)の内側、ガラスケースにはメタボのおなかの大きいおっさんの絵と木の絵の掛け軸が展示されている。
 あまり見なかったのだが、戦国の世に似合わないメタボのおっさんは「布袋様」、左右の描け軸画は「紅白梅」。
 実は、尾形光琳の「紅白梅図屏風」(現在、国宝指定)はこれらの雪村作品の影響があるため、このような展示がされているそうだ。が、打ちだし方が弱いので、「光琳の影響」はあまり認知出来なかった・・・・。音声ガイドでは説明していたのかな・・・・?。
 食料不足のための争いの時代ともいわれた戦国の世に「本当に布袋様のような人がいたのかな?。」と別のことを考えてしまった・・・(苦笑)。

 ↓ 特別展のパンフレットの拡大。
布袋様が酔っぱらっている。どう見ても現代に生きるメタボのおっさん(笑)。

DSC00028















 





東京芸術大学美術館 「芸大コレクション展」鑑賞 平成28年春

  2016年5月1日

 東京芸術大学美術館にやってきました。
 「芸大コレクション展」が開催されています。期間は5月8日の日曜日までと短い。昨年は、ここで「ダブル・インパクト展」が開催されときに来ました。
 ↓ 入口の看板。
  主に昭和40年代の作品を展示するよう。しかし、最近の作品に加えて重要文化財指定の近代秘術作品が展示リストに入っているため、やって来た。展示室は地下2階の部屋のみ。

DSC06886

 
 一番の目的は高橋由一作の重要文化財「鮭」です・・・・・といいたい所でいるが、これは昨年の秋にも見た。細長い額縁に入っている作品。
 同じく重要文化財指定の絵画は狩野芳崖の「悲母観音」。これは、大きな絵画なので、ガラスケース内の展示。
 「重要文化財」指定のラグーサ「日本の女」の石膏があった。最初は、気付かなかった。ふと、台座の上に展示されている像を見ると「昨年も見たな・・・。」と思ったが、違う。確かに見たが、今回の展示品はやや黒も入っている白い像だ。「石膏」とある。材料はブロンズではない。すると「石膏原型」となる。まさに「重要文化財」に指定されている作品そのものだった。

 美術館1階のロビーの様子。

DSC06887


↓ ブロンズ鋳造された「日本の女」の後姿。(このあと訪問した東京国立博物館で撮影。)
 石膏の裏側はもっと荒々しい。現物に「所蔵 東京藝術大学 作品名・・・・  番号・・・・」と貼ってあった。
 ブロンズは鋳造品なので、管理用のシールは貼っていない。

DSC06889

 
 国宝としては「絵因果経」の展示が。巻物のお経で非常にカラフル。実は、出光美術館でも同名の作品が出品されいた。成立年代は違うようだが。出光のものは「重文」、ここ芸大の物は「国宝」と指定が分かれている。

↓ アフガニスタンの仏画などの修復プロジェクトに関する展示も別の棟であった。こちらは、無料であるが、この日は時間が無いので後日にすることにした。


DSC06885


 展示会場の入口はこちら。守衛所を挟んで、大学美術館と反対側。

DSC06888

 根津駅(上野桜木)方向から、東京国立博物館前への道。芸大の校舎内と道路。すっかり、緑の葉が繁っている。

DSC06884

 



「ダブルインパクト展」 見学 東京芸術大学美術館

  2015年4月

 「ダブルインパクト展」 東京芸術大学美術館にやってきました。
 
 三階から見学開始です。ボストン美術館と東京芸術大学の所蔵品の交互展示のような展覧会です。二年前くらいに「ボストン美術館展」が別の場所(東京国立博物館)で開催されましたが、この展覧会を私は見ていないので分かりません。
 
 一番の目的は高橋由一作の重要文化財「花魁」です。「高橋由一展」では同じく重要文化財指定の「鮭」とともに展示されたと思います。が、せめて「鮭」は無くとも「花魁」だけでもと思いやってきました(笑)。
展示の比較的最初のほうにありました。壁にかかっています。それほど大きくない作品です。うっかりすると見落としてしまいそうなくらい。しかも作品の説明は「芸」(旧字体)と「B」と、どちらの所蔵かの赤いマークがついているため 「重要文化財」指定であることを見落としてしまいます。
 「花魁」の女性は、随分と怖い感じの女の姿ですが、説明によるとこのモデルになった花魁の女性も気に入らなかったとか。

 順番に見て行きます。文明開化の様子「B」マークのある錦絵の展示がありました。ポスター、バンフにも出ている「クネクネ曲がる 龍の置物」は「B」です。

 続いて地下に下りました。エレベータではなく、階段で一気に地下まで。
二室に分かれています。順路が無い部屋は大きい彫刻がおいてあります。つまり、ポスター掲載の木造などです。写真よりはるかに、大きいです。刀の部分は復元したのだとか。
 もう一室は、主に絵画で奥行のある展示室。順番に見ていきます。狩野芳崖の「悲母観音」がありました。昨年春の「世紀の日本画」で見ました。となりに、岡倉天心の甥が描いた、同作の模写がありました。近年「B」の所蔵になったとあります。模写とはいえ、明治時代に描いたものでした。
 進んで 春草の作品で「B」もありました。大きな絹本着色と思われる月の絵です。大観作品でも「B」がありました。意外です。天心が収集したものでしょうか。前にも見たかも知れませんが、大観の卒業制作作品もありました。
 展示画でいうと、「芸」の方が多いです。「B」は錦絵から日本画、鈴木長吉などの工芸品までジャンルは多岐にわたっています。外国人好みの「日本の文化を理解するため」の総花的な展示です。
あと、心に残った作品といえば、
 山本翠芳の「女性の横顔」の油彩画。教科書にもでてくる作品です。「これ見たことあるな。」が第一印象でした。(笑)
 先の三の丸尚蔵館の展示(かつての皇室御物)でも 山本芳翠の作品がありましたし、前年に重要文化財指定もありましたし、実は知らなかっただけで、山本芳翠は多数あるのですね。近く回顧展が開催されることを期待します。


 ↓ 休憩の部屋から外を撮影。校門が見えます。

IMG_2336




















 
 ※ 「山本翠芳」と間違えて表記していた時期がありました。お詫びして訂正します。





「ダブルインパクト展」 東京芸術大学美術館 初めての訪問

  2015年4月

 「ダブルインパクト展」 東京芸術大学美術館にやってきました。
 実に初めての訪問です。

 キャンパス奥に至るところに展覧会の看板がありました。この看板の先の校舎には入っていきにくいものを感じます。というより、関係者以外は立入禁止となっていたと思います。もとより、私は部外者です(笑)。
 

DSC01558

 













 






 大学美術館の建物自体は、道路の壁沿いに建っています。今までこの道沿いの建物が美術館であったとは気づきませんでした。
  ここでチケットを購入・・・・・ですが、実は事前に前売り券を購入しています。コンビニの端末で簡単に購入できます。この日が「ダブルインパクト展」の開催初日。講演会はありますが、それ以外のイベントなどはありません。


DSC01559






















 ここ東京芸術大学美術館では、数年前に「高橋由一展」が開催されました。そのときには来たかったのですが、結局来ないうちに会期は終了してしまいました・・・・・。昨年か一昨年くらいに「興福寺仏頭・・・・展」もありました。ただ、この「仏頭・・・展」は、中核となる展示物が重複している展覧会が過去別の場所でも開催されている(よう)ので来ませんでした。
 大学美術館ということもあり、私のような一般人にわかるような展覧会はなかなか開催が無いと思います。どうしても大学美術館というと専門的になり、一般の公立、民間の美術館のような「万人受け」するテーマでの開催が無いような・・・、というより万人受けするようなテーマを組む必要は無いのでしょう。

 入館すると一階はロビーのようになって、売店(つまり、MS = ミュージアムショップ)があります。エレベータに乗って三階に行くように指示されました。その後は地下二階に下りるように言われました。一階には展示スペースが無いようです。エレベータを待ちます。が、なかなか来ない。なぜかって、上の階を観覧した人が地下に降りるので、一階に停まってもすぐに再び扉を閉めて地下に行くからです。地下二階から昇ってきて、一階で降りる人は観覧を終えた人です。まだ開催初日の昼過ぎです。(開会直後の)午前中から観覧していた人でないと展覧会を見終えた人はいません。退出する人よりもこれから見学としいう人の方が多いのです。
 エレベータに乗ってもあまり大きくないのでぎゅうぎゅう。なぜかって、エレベータの同乗者は皆老齢なのです。つえをついている人もいて。大学美術館なのに大学生くらいの年齢の見学者は全然いない!!。これじゃ階段を歩けばよかったかな・・・・・と。入館当初の私の周囲では平均年齢が最低でも70歳。(ただし、私やウチの子は平均年齢の算出対象メンバーから除く(笑)。)
 その後、展示室を見学していくと、実は学生くらいの若い人も結構観覧に来ていましたが・・・・。


(既出) キャンパスの角地にある桜と「ダブルインパクト展」の告知。











DSC01554
















 東京芸術大学美術館を見学した後は、上野駅まで戻らず地下鉄の根津駅へ上野桜木町のゆるやかな坂を下りました。 東京芸術大学からは上野駅よりも根津駅の方が近いのではないかと思います。しかも、上野の丘の上からは、根津に向けて下り坂なので歩くのに楽チンですからね(笑)。
プロフィール

りょうげつ

カテゴリー
  • ライブドアブログ