良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

神奈川県立近代美術館

 

「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞4(最終) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞4(最終) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 (追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)
  (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。
 今から丁度100年前のスペイン風邪の大流行期、恐らくは結核との合併症で20歳で死去した画家の展覧会が、それ以来最大規模ともいわれる感染症の流行の影響で突然閉幕してしまうとは、何ということであろうか。)

  

 関根正二 作、重要文化財「信仰の悲しみ」。2003年に重要文化財に指定されている。

 前述の通り「大原美術館展」の際に国立新美術館で見たことがあるが、今回の展覧会の目玉作品である。今回は通期ではなく、「後期」の展示である。私もこの「信仰の悲しみ」を再び鑑賞するために、「後期」にやって来た。
 あのとき(「大原美術館展」のとき)の作品解説は忘れたが、今回の展示解説によると、キリスト教の信仰ではなく、「日比谷公園のトイレから出てきた女性を見て思い立った描いた・・・・」というようなことが書いてある。タイトルも全く別で、あとで「信仰の悲しみ」とつけたそうだ。絵の中の連なる女性達は「殉教者キリストに連なる女性をおもわせる」が、実際は用を足して出てきた女達・・・・!?。

 神秘的な絵だなと感じていたが、なんだか拍子抜けしてしまうような、作画エピソード!?。


 最初のうちは、来館者は数名だったが、そのうちに午後2時頃となった。たいてい、この時間帯は、来館者が一番増加する時間帯であろう。60-70歳台くらいの男性が多い。夫婦で来ている人もいた。 
 次いで、70歳くらいの老人男性2名や70くらいの小柄の女性3人連れなどもやってきた。一人で来ている30歳台とおぼしき女性もいる。彼女はグレーのチェック柄のスカートに、黒いタイツ、黒っぽいセーターに黒髪である。(すべて黒のような。)マスクをつけてる人が多い。看視員は全員マスクをしている。やはり「まだ、(ここは)開けているの?。」と聞いている老人の男性もいた。国立の博物館、美美術館は、既に臨時休館しているからであろう。誰か聞く人はいるだろうな、と思っていたヨ・・・・。
 すると大きいマスクをつけた女性の監視員は「今のところ、休館の措置はとっていませんが、いつ閉まるかわかり(休館してもおかしくあり)ません。」と答えていた。

 鑑賞者に学生らしき人はいない。退出するとき、順路の最初の第一展示室では、合計して15人-20人くらいの入館者いたのではないか?。私がきたときは、第一と第二合計しても、入館者は10人いなかったと思う。
 「信仰の悲しみ」を再びじっくり見てから展示室の外に出る。廊下にも展示品があった。壁に関ねの年譜などがはってある。(図録の年譜と同じ内容であった。)実は、これらを先に見てから展示作品を鑑賞した方が、展示室内の画家の作品などについて理解できたのではないかと思った。
 関根正二の祖父、利左衛門は、白河藩の3人扶持だったという。明治以後の族籍は(士族ではなく)平民という。父の弟は、第二次大戦後の1968頃まで存命している。正二の父は尾根関係の職人。小屋のような生家の写真がある。白河の城下町の郊外の、農村地帯に住居を構えていたようだ。正二の父は先に、白河から東京に出ている。当時、小学生で8歳くらいの正二は白河に残り、9歳で東京に家族を追って出て、深川に定住してる。

 階段をはさんで、反対側の壁、廊下の部分には、正二の手紙などが展示がある。主に鶴岡黒影との書簡である。壁に解説のバネルなどがあり、階段脇の廊下に平ケースに手紙などが展示されている。手が子には鶴岡に対して「貴兄」などと親しく書いている。色々な制作に関する自分の考えなどを手紙に書いているようだ。山形の、鶴岡黒影の実家に滞在中、「お世話になった家族によろしく」なども書いてある。差出人である、関根の住所は「東京 深川」と書いてある。

 解説によると鶴岡黒影歌人で、「黒影」は号。誰かの門下生という。70歳台後半の年齢で、1978年(昭和53)に死去している。のちに、山形県庁に勤務したそうだ。
 鶴岡は、山形県西川郡河北町?の出身らしい。字は溝延?といういかにも東北らしい地名。
 正二は東京・牛込の四(余丁)町の人物にも手紙を出している。あの
永井荷風の自宅(のちに売却)近くである。牛込区なので当時の私の祖父の家からも近い。1916年頃というと、大正の初めのころ。祖父は子供であった。
 「上野山と遊んだ・・・・。」などと手紙に書いてある。「上野山」は人の名前で友人である。上野の山で遊んだというわけではない。一見すると、上野で遊んだようなイメージだが・・・。

 正二の年譜は、当時の東京市内の地図とともに 階段近くの廊下の壁にはっている。図録に掲載されれていたものと同じ。先に展示室内の図録でも見たが、伊東深水の自宅は、のちに恵比寿に移ったのだが、深川からだと遠いな。
 廊下の突き当り、奥の小テーブルに1999年に開催された「生誕100年 関根正二展」の資料が展示してある。当時のチラシ、チケットなどがある。展示室内の観覧の風景の写真もおいてある。写真はデシタルではなく、フイルム写真である。デジタルカメラが急速に普及していた時期だ。私も当時は、フイルムカメラを使用していた。当時、神奈川を離れて遠いところに住んでいたので、開催は知らなかった・・・・。 写真に写っている、1999年当時の観覧者の服装は確かに当時のまま。夏に開催されていたようで、観覧者は白いポロシヤツにジーンズの人など当時の服装だな。(今でもあまり、変わっていないと思うが・・・。)

 当時のチラシのメイン掲載作品は今回も展示のある「姉弟」。少女が男の子を背負う横顔の絵の写真だ。姉が弟をいつくしむ、暖かさ、家族の愛を感じる絵だ。ほのほのとしている。たとえ、弟が夭折しても、弟に対する愛情は変わらない、永遠不変のものだ。
 当時、「信仰の悲しみ」は重文に指定されていなかった。1999年も2020年今回の展覧会ともチラシに「信仰の悲しみ」の画像掲載が無い。大原美術館の所蔵なので権利の関係でしょう。
 20年後の今回は「生誕120年・没後100年」なので、正二が僅か「20歳」で夭折したことを改めて感じる・・・・。
 神奈川県立近代美術館では1979年頃にも「靉光と関根正二展」として展覧会を開催している。今回が3回目の開催だった。


 今回の展覧会は、没後120年にあたる今年2020年に巡回するのかと思っていたが、三重と福島では昨年既に開催されていて、神奈川が最後の開催であった。

↓ 入口付近のモニュメントのブロンズ像。奥のガラス張の建物はカフェになっている。
  コロナウイルス拡散が言われている世相のためか、すいている。



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 館を出て、鶴岡八幡宮方向に戻った。
 連れと合流する。連れ達は、小町通りにある某喫茶店に行ったのだが、いつもは行列しているのに、待ち時間無く入店できて、しかも「お店はすいていた」と。
 コロナウイルスのため、鎌倉の観光客も激減しているようだ。
 来週から学校も休校になるというし。何か突然、いろいろなことが起こったような感じだ。


 神奈川県立近代美術館鎌倉別館の庭の様子。↓

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「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞3 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞3 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 (追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)
  (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。)

  
  神奈川県立近代美術館 鎌倉別館で展示室内を順番に鑑賞していく。壁に作品が展示されている。
 

 同じ部屋の角、監視員のイスの近くにはデッサンなどが展示されている。イスの下には看視員の荷物が置いてある。時折、荷物を持って別の監視員と場所の交代をしていた。室内がすいているせいか、時折座り、時折立って巡回している黒いパンツスーツに白い大きなマスクを顔いっぱいにした看視員が妙に目立つ(苦笑)。

 少女の死の横顔のデッサンの展示がある。2歳くらいの幼女の死のデッサンである。解説には「年齢よりも大きくかいている」とある。

 風景の画がある。海岸の風景の画の展示がある。「銚子海岸」というタイトル。千葉の銚子の風景だという。銚子に5歳上の姉が嫁いでいたそうだ。福島県出身だが、どうして銚子の家に姉が嫁いだのかは、不明である。実質、東京・深川で生育したので、姉は東京から千葉の銚子に嫁に行ったのであろうか?。

 先の記事で書いた自画像など、壁に沿って順に見ていくと、第一展示室(つまり、最初に見る長方形の展示室)の終わりほうの展示で、「白いロングドレスを着た女性二人が連れだって歩いている姿の絵」が目を引く。まるで、殉教者の列のような、キリスト教の信仰を思わせる作品だ。
『神の祈り』 1918年頃 福島県立美術館 所蔵
 まさに神に祈る、二人の女性を描いてある。白いロング丈の服が一層信仰心を引き立てるような。地面に描かれている花は、チューリップだろうか。ヨーロッパの女性の信仰を表現したのか?。
 焼けたため断片を集め、撮影された白黒写真とつないだ作品もあった。
 「天使」(断片) 三重県立美術館 所蔵

 姉と弟の絵「姉弟」。少女が子供の男の子を背負う絵。背負われる子は、関根本人、少女は関根の姉という。先の銚子に嫁いだ姉でろあうか?。カラフルでカワイイ色使いの絵だ。姉が弟を慈しむ絵である。

「小供」という作品もある。幼児の自画像のよう。「子」ではなく「小」の表記。関根本人であろう。

 伊東の紹介で関根は1914年に「東京印刷株式会社に就職した」と年譜には記載があった。
 
↓ 展覧会チラシ。左は「自画像」。ゴッホの自画像を思わせるタッチだ。真ん中は「姉弟」。
  右が『神の祈り』 1918年頃。3点ともに福島県立美術館 所蔵と表示がある。


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 次いで、隣の展示室に。扉で仕切られてはいない、つながっている展示室である。便宜上、以下「第二展示室」と書くことにする。
 第二展示室は、ほぼ正方形で、第一展示室よりも狭い空間。関根に関連する画家の作品などの展示がある。幼馴染の伊東
深水の作品もある。

 奥の壁に、大黒天1918年 絹本著色(軸装)がある。そのまんま、まん丸いふくよかな(お腹!!??)大黒天の絵。
 個人現存唯一の日本画作品と解説。近くには、監視員の女性のイスがあり、私が近づいて展示をみていると 邪魔になると思ったのか、席を立って、見やすいようにしてくれた。

 第二展示室は真ん中に当時の美術雑誌などの展示が平ケースにあった。平ケースでの資料の展示は先の展示室にもあった。有島生馬の書いた雑誌の当時の記事の展示もあった。年齢としては、有島は17歳上、伊東は1歳上という。有島は、友人といいうか、先生ともいうべき存在だったようだ。


 出入口の近く、順路の最後には、油彩画が3点ある。一番端、ドアの横には、重要文化財「信仰の悲しみ」がある。前述の通り「大原美術館展」の際に国立新美術館で見たことがあるが、今回の展覧会の目玉作品である。今回は通期ではなく、「後期」の展示である。私もこの「信仰の悲しみ」を再び鑑賞するために、「後期」にやって来た。
 その最後の3点のうち1つの展示は「三星」という。三人の人物が描かれている。真ん中は、関根本人。左の女性は、姉。画面に向かって右の女性は、田口真咲という関根と知り合った新潟・新発田出身の女性ともいわれるが、写真で当時の田口の比較しても姿は、違うらしい。
 解説文らよると田口は、東郷青児に取られてしまったそうだ。フラれした当時の関根は落ち込んだらしい。おそらく、伝え聞く東郷の性格というか、「性向」からいうと、相当強引に田口をモノにしたのだろう。押しに負けたのかな?、田口は・・・。関根は、自画像から察するに大人しい性格のようなので、東郷のように強引に女(田口真咲)をモノにすることは出来なかった!?。
 ↓ 展覧会チラシに掲載。「三星」 東京国立近代美術館 蔵。


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 「信仰の悲しみ」の展示の前のソファでは髪がボサボサの白髪の老女が座って、設置してある展覧会の図録をずっと見ていた。顔を近づけてい見ている・・・・。老眼であるが、老眼鏡が無いので顔を極端に近づけて見ていたようだ・・・・。来館者は 数名だったが、午後2時頃となり、たいていは、来館者が一番増加する時間帯であろう。60-70くらいの男性が多い。夫婦できている人もいた。 70歳くらいの老人男性2名や70くらいの小柄の女性3人連れなどもやってきた。一人で 来ている 30歳台とおぼしき女性も。 グレーのチェック柄の スカートに、黒いタイツ、黒っぽいセーターに黒髪。

学生らしき人はいない。順路の第一室では 15人-20人くらいいたのではないか。私がきたときは、第一と第二合計しても 10人いなかったと思う。


↓ 展覧会の看板「少年」(個人蔵)1917年 の拡大画像。

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「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞2 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞2 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 (追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)

 (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。)

神奈川県立近代美術館 鎌倉別館のエントランス。券売窓口は1つしかない。
 ↓ エントランス付近には展覧会の看板が無い。
   

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 展示室に入り、解説パネルを読む。関根正二の画家としての活動期間はわずかに「5年程度」という。その画業を前期と後期に分けて展示をみていくというコンセプトであった。

 順番に鑑賞していく。壁に作品が展示されている。最初の展示作品から3番目くらいに1915年の作品「菊川橋辺り」という油彩画がある。「菊川橋」とは、現在地下鉄の菊川駅のある付近の地名のことのようだ。大正時代当時の東京の都会の街並みと思われるところの、水路にかかる橋の風景だ。東京の下町のような感じだ。
 関根正二が、どこの生まれの人だったのか、予備知識のないまま入場したので、彼は「東京の下町の人だったかな?。あれ、どこの人だったかな?。という感想をまず持った。
 ある作品(風景画だった。)では解説に、医師 福原道太郎の所有だったという。画家と交遊をもっていた著名な医師なのかな?、私は知らないなと感じた。  

 続いて「菊川橋辺り」と同年の作品、16歳の時に描いた「死を思う日」が展示されている。「第2回二科展に入選」と解説文にある。タイトルとは裏腹に、人の姿は画中になくて、葉のある糸杉?と枯れた木2本が真ん中に描いてあるろ・・・・。糸杉(と勝手に判断したのだが)はゴッホの作品を思わせる。深緑の色使いで、暗いタッチである。結核で死の予感が既にあったのか?。当時の死といえば思い浮かぶのは「結核」である。彼は若年の結核患者ではなかったのかと直感した。(壁面ではない)通路にも立てた状態でデッサン画の展示がある。その裏にも作品を展示している。  


 続いて壁面に沿って展示を見ていく。展示の解説を見ていると関根正二は「福島県白河の生まれ、幼少期に東京(当時)の深川に移住し、東京・深川で成長している。」ことがわかる。 

 東北旅行に出かけている。村岡黒影という、東京で知りあった?人の実家にも行っている。現在の山形県北部、最上川流域の村らしい。旅行の帰路には、自分が生まれた白河によっている。

 東北に旅行したときのデッサンなどの作品がある。東北地方の山形県に旅行して、世話になった家族の画の展示がある。

 老女の絵もある。「村岡みんの肖像」解説では「・・・女性は紋付をきて、正面を見て画家と向き合っている。・・・老女のシワなどを美化することなく、ありのままを描きだしている。」とある。お世話になった山形県出身、村岡黒影の実家、村岡家の母堂の肖像である。冠婚葬祭などに着用するであろう、村岡家の紋付の黒い羽織をまとった、日本髪の老女である。一番よい着物を着てモデルとなっている明治・大正当時の日本人の女性の服装がわかる。
 「真田吉之助夫妻像」の油彩画も、当時の山形県の夫婦の正装らしき着物のカラフルな絵である。

  ↓ 展覧会チラシ。 左の作品は「井上郁の肖像」福島県立美術館寄託


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 長野県にも旅行している。河野通勢、という人物と旅行しているらしい。放浪の旅で、その途中で描いている。河野は長野県出身の人物である。その旅行や河野との交友ためか、長野県の信濃美術館の所蔵品が何点か展示されている。

  展示作品には福島県立美術館の所蔵、寄託作品が多い。その理由は白河の生まれということでわかった。次に長野県にある信濃美術館の所蔵か寄託作品が多いようだ。

 来館者は、数名だった。白髪の男性や50-60歳くらいの女性など。順路の反対には、別の部屋もあるようだが、入口を挟んでつながっている。特に扉はなく、長方形の展示室である。看視は小柄で黒髪を束ねてメガネをかけた黒いパンツスーツをはいている女性が部屋の隅に立っている。こんな時期なのでマスクをしてほとんど顔が隠れれいる。

 展示室内のソファの横に展覧会の図録を置いてあるので、見てみる。図録では、関係者の住所などを示す地図が掲載されている。先の作品の解説文にあった 医師 福原 の自宅は、関根の当時の自宅近くの水路の橋を渡って、北西の方向で近所である。パトロンとしての資産家医師ではなく、関根とは近所の知り合いの医者だったようだ。 

 掲載地図の恵比寿付近の拡大図に、伊東深水の自宅の表示がある。すぐ近くに恵比寿ビールの工場 現在の「恵比寿ガーデンプレイス」と書いてある。

 正二が交際していたというか、好意を抱いていた女の自宅は、現在の品川区というか、荏原の方向にある。「当時は(現在と比べて東京は)遥かに市街地が小さかった・・・・。」という説明が書いてある。

(あとで見たが、関係者の地図は、展示室を出た2階廊下脇の壁に大きく掲示してあった。)

 図録に掲載されている年譜によると正二は「結核で1919年6月に死亡」している。年譜の横の欄に社会の動きとして「・・・・・1918年の秋から1919年の春にかけて、スペイン風邪が猛威を振るい、(日本だけで)約38万8千人が死亡、・・・罹患は約2800万人(実際はもっと細かい数字が記載されていた)・・・・・・」と書いてあるのが、目を引いた・・・・。
 現在進行形の「コロナウルス」を想起させるではないか!!。


 順路最初とは反対の壁に、自画像の油彩画が展示されている。当時10代。若いな。デサッサンの自画像もあった。彼は卵型の面長顔である。伊東深水が所有していて、正二の死後に両親に返還したそうだ。「伊東深水」といえば、日本画家として著名な人物である。ジャンルは違うが、深水と交遊関係があった。東郷青児、有島生馬とも交流があったことがわかる。同じく夭折の画家、村山槐多との交流もあったという。

 室内の真ん中には平ケースが設置されている。当時の雑誌、新聞記事、正二のデッサンの展示など関連資料の展示がある。書簡の展示もある。

 展示の資料の中の記載に「・・・・正二は 発狂した・・・・。」ともかいてある。冬のある日、深川の野外で叫んで、倒れたのだという。結核の病気が進行していたのであろうか?。
 死亡記事のコピーも展示があった。写真入りの当時の記事で「関根正二氏死亡」とある。既に20歳にして新聞に記事が出るだけの画家であったのだ。
 村山槐多との交流については「(どれだけ交流があったか)不明である・・・・」と(解説文には)書いてあっが、村山は「・・・スペイン風邪で死亡」と書いてあった・・・・。
 当時の感染症の猛威が伝わってくる・・・・・。コロナウイルスの流行が叫ばれる現代(2020年2月の今、現在)の比ではないぞ!!。
 


 





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「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞1(プロローグ) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞1(プロローグ) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

(追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)
  (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。)


 関根正二は、その作品1点が重要文化財に指定されている(記事投稿日現在)夭折の画家である。以前、国立新美術館で開催された「大原美術館展」で、重要文化財「信仰の悲しみ」を鑑賞したことがある。
 元々は今回の「関根正二展 生誕120年・没後100年」の開催を知らなかった・・・・。何故知ったのかというと普段はほとんど閲覧することのない神奈川県のサイトで、たまたま見つけたからである。
 神奈川県のサイトのトップページのスライド画面で「関根正二展」のポスターイラスト画像が出ていたので「ハッと」と気づいたのだ。開催は、神奈川県立近代美術館である。サイトの告知画面は切り替わってしまうので、ほんの数秒のことだった・・・。「新型コロナウイルス」の相談、連絡先の告知などもスライド表示されていたので、すぐに「新型コロナウイルス」の画面をクリックして(別のサイトページに移動して)いたら、気づかなかったであろう・・・

 これ程に重要な画家の展覧会を国立の美術館ではなく、神奈川県立の施設で開催するというのに何故神奈川県は大々的に広報しないのかと不思議に思った・・・・。サイトで(開催に)気づいた後、神奈川県の広報誌、おなじみの「県のたより」(つまり紙ベースの媒体)を見てみたが、最新号は既に捨ててしまっていた・・・。前号はなぜか残っていて自宅のリビングにおいてあった。しかし、前号の記事を見ても「関根正二展」については掲載していない・・・。改めて県のウェブサイトに「県のたより」最新号の PDF版のテータがあったので開いて見てみると、小さい枠に文字のみの記事で「関根正二展」の開催の告知があった・・・。
 あまりに扱いが小さい・・・・。これじゃ、気づかずに見落としてしまうョ・・・

 開催場所は、神奈川県立近代美術館の鎌倉別館である。鶴岡八幡宮の境内内にあった「鎌倉館」?が閉館して久しい。「葉山館」は、現在改装中?らしく、長期閉館しているので、今回は鎌倉での開催となったのであろう。
 会期は2月1日の土曜日から3月22日の日曜日まで。開催に私が気づいたときは、既に2月の10日くらいであった。前期と後期で展示替えがある。後期に岡山県倉敷市の大原美術館所蔵 重要文化財「信仰の悲しみ」が展示される。前述の通り、見たことはあるのだが、せっかくなので「目玉」(つまり重要文化財「信仰の悲しみ」)が展示される「後期」に行くことにした。

 ところがである・・・・。「新型コロナウイルス」関連で公共の博物館、美術館などの施設も臨時休館が続出となった。状況を振りかえると2/27(木)に 国立の博物館(東京・京都・奈良・九州)が2/28金曜からの休館の発表。次いで、2/28(金)には2/29(土)からの休館を上野にある国立の西洋美術館や都立の施設(都美術館)などが発表。
 先週行った台東区立の書道博物館は2/28から休みだった。「新型コロナウイルス感染症の感染予防・拡散防止のため、2月28日から3月16日まで臨時休館」と。行っておいてよかったョ。1月に行った台東区立朝倉彫塑館も2/28から休み。
 
 「はて、神奈川県立の施設は?。」と事前にサイトで開館しているか、調べてから来た。もしかしたら「閉まっているかも」と思ったが、開いていた!!。神奈川県立の施設としては、横浜に歴史博物館があるが、今のところ開館していた。(2/29の午前中の段階。でも、3/2の月曜日から休みなのかなあ。)
 しかし、同じ鎌倉市内でも市立の博物館施設、文学館、鏑木清方記念館、鎌倉国宝館などは既に休みに入っていた・・・・。神奈川県立近代美術館鎌倉別館と同時に鎌倉の国宝館(鶴岡八幡宮の境内にあるが、鎌倉市立の施設)も見学しようと思っていたのだが、不可能となった次第です(笑)。
  

 鎌倉市内の道路は空いているとおもわれたので、車で移動した。確かに普段よりはすいていた。鎌倉駅前から若宮通りの方法へ向かった反対車線の大船方向から鶴岡八幡宮前に至る道路は少し渋滞していたが、普段はもっともっと混雑している筈。
 車線沿いに神社(鶴岡八幡宮)の駐車場、料金1時間600円があるが、停めなかった。ほとんど駐車している車は無く、すいていた。この駐車場には停めなで更に先、一番、鎌倉別館に近いコインパーキングに停めた。1時間あたり330円だった・・・・、時間単価で30円違う。ここも、空車ばかりであった。

  神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
 ↓ 道路に沿った壁に展覧会の看板があった。
   

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 館の敷地に入る。空いているようで、入口付近には誰も人がいない・・・。建物の入口の横にひとつだけ、窓口があって券を販売していた。一般700円。
 入口付近は、ガラスの壁でシースルー?である。入口に接続してカフェが、1Fのロビーの横にあるが店内には誰もいない。中に入ると館内ロビーにもカウンターがあり、女性係員が一人いるが、ここは売店。ロビーの棚に今回の展覧会の図録がおいてあり、絵葉書なども販売していた。

 チケット窓口で「2階でもチケットを提示してください」といわれる。階段で2階に行く。比較的こじんまりとした階段だ。

 2階に行くと、すぐ展示室の入口がある。赤い書体で「関根正二展 生誕120年・没後100年」と大きい表示がある。若い女性係員がいてチケットを提示する。展示室内に入る。「入って、左から見てください。」と言われた。
 来館者は、順路に沿って左手の壁に一人、反対側の壁の展示を見ている来館者が2-3人くらいいる。老人の男性と年配の女性だ。

 しかしである。室内を見まわしても展示リストを置いていない・・・・。来館者もリストを手にしていない・・・。一旦、展示室入口の自動ドアを出て「展示リストはないの?」と聞くと、先の女性係員は受付台の下から青い文字で印刷されて いる展示リストを出して私に手渡した。「希望者にだけ配布しています。」という。

 
 解説パネルを読む。関根正二の画家としての活動期間は5年程度という。その画業を前期と後期に分けて展示をみていくというコンセプトであった。



 





「萬鉄五郎展」 開催(情報) 神奈川県立近代美術館葉山館

 きたる2017年7月2日より
 神奈川県立近代美術館葉山(館)で「萬鉄五郎展」が開催される。
 梅雨入りした6月、前の日曜日は鎌倉に行った。あじさいの季節の鎌倉に観光で行ったのは10年以上ぶりであった。鎌倉の国宝館を見学したのだが、そこで同展覧会のパンフレットを見つけたのだった。パンフレットで開催を知った次第です(笑)。

 ※「鉄」は現代字体で表記する。

 神奈川県立近代美術館葉山館は、四角い、コンクリートが打ちっぱなしのビルがいくつも連結しているモダンな建築だった。前回は昨年の4月に訪れた。「原田直次郎展」の鑑賞であった。大変、有意義な展覧会で、私が選ぶ この年の展覧会ランキングの第一位にランキングされたのだった。(自分の独断であるが・・・・。)

  神奈川県立近代美術館 葉山館 
 ↓ 中庭とお店(建物の右側)、お店の左が、小さいながらもレストランの入口。
   中庭の向こうは海。2016年4月の暴風雨の日に撮影した。


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↓ 萬鉄五郎展の重要文化財指定「横たわる女」 201年12月東京国立近代美術館で撮影。  


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 萬鉄五郎展の作品はこの重要文化財指定作品以外は、思い出すことが出来ない。他の萬作品を鑑賞したことがあるかも記憶にない。この機会に他の作品も見てみたいものだ。


 開催期間は7月と8月を丸丸含み、9月初旬まで。
 真夏の期間はすべて展覧会の会期だ(笑)。


  ↓ 入口付近のモニュメントと敷地内の庭。歩道の先は県立公園、海岸につながっている。
    (2016年4月撮影)
  葉山御用邸の隣の敷地だ。今年の夏は神奈川県立近代美術館葉山館とその後は、葉山の海で海水浴かな(笑)。

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 さあ、これからボクの夏が始まる。2017(トゥエンティー セブンティーン)、My Summur !!。
 (スペルが違っているかも。)
 

「原田直次郎展」と「明治の美術 コレクション展」鑑賞4(最終・売店と資料室閲覧) 神奈川県立近代美術館 葉山館

「原田直次郎展」と「明治の美術 コレクション展」鑑賞4(最終・売店と資料室閲覧) 神奈川県立近代美術館 葉山館

 葉山町の海辺にある神奈川県立近代美術館葉山館で所蔵品が中心の「明治の美術 コレクション展」と特別展「原田直次郎展」の鑑賞をした。
 「神奈川県立近代美術館 葉山館」は、四角い、コンクリートが打ちっぱなしのビルがいくつも連結しているモダンな建築。場所は、やや知っていないと分かりにくい・・・・・。元々は、県立の公園だった。し、現在も公園がある。別料金を支払って、入園できる。この日は、天気が悪かった。美術館に向かう途中、天気が急変して大荒れになってきた。
 
 特別展を一通り見て、一旦中庭に出た。「直次郎も、兄の常吉も不幸にも早世だったなあ、常吉の子が、西園寺公望の秘書、原田熊雄とは、歴史とは繋がっているなあ。」などと感慨に浸りながら。
 ミュージアムショップ(お店)はコンクリの中庭を通る必要がある。ガラスの通路屋根はあるが、この日の天候では全く意味がなく、風と雨が思いっきりたたきつけられ、かなり濡れる。一応、雨に濡れないように中庭移動用の傘は、館外への出口脇に置いてあるが・・・・・・。
 
 ↓ 中庭とお店(建物の右側)、お店の左が、小さいながらもレストランの入口。
   中庭の向こうは海。

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 お店に入ってみる。美術館の規模に比例して狭い・・・・。レジに女の係員が二人いる。50歳~60歳くらいだ。客には眼中になく、お二人はおしゃべりに夢中・・・・・。と、45くらいの白髪の男と同年齢くらい黒髪の女が店内にいる。ずっと図録を立ち読みしていたので、私は買えなかった・・・。結局、その男女は別の本をかった。2人が買い物を済ませたご、私はようやく今回の「原田直次郎展」の図録を買った。と、買い物を終えたばかりの中年男女は、私の方をジロリと見た。「この人(アタシが買わなかった)図録を買ってる」と!?。自意識過剰かな・・・・。
 図録は2700円。入館で駐車場は1時間無料。と、図録購入(売店利用のみでいいと思う)によりもう1時間の駐車場サービス券がもらえた。図録購入時に「日本人の肖像」の絵葉書を先着順だ、ということでもらうことが出来た。

 その後、中庭の風景などを風雨の中、男は望遠レンズ付きのカメラで撮り始めた・・・。なかなか、2人が去らないので、こちらが撮影できなかった・・・。対する私は、スマホカメラ。女も盛んに写真を撮っている。ただし、女はスマホカメラだ。この台風のような風雨の中、そんなに撮るシーンがあるのか!?。
 女は、新しい紺色のジーンズをはいて、リュックを背負っている。いかにも余所行きの服装。この中年の男女が夫婦か、不倫か、恋人関係か、知人友人かは知らない。しかし、(早く去ってくれないかな、と)マンウオッチングしていると、不思議なことに互いの写真は決して撮影しない・・・・・・・。ということは?!、2人の関係は想像がつく・・・・・。
 それぞれ男は、自分のカメラで、女はスマホで、お盛んに建物、中庭、海や背後の山の景色の写真を撮っている・・・・。きっと、写真の中に、ボクも写り込んでいるよ・・・(苦笑)。


↓ お店の外から撮影。ガラス屋根の通路の先は展示室。
  


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 海が見えるが、かなり荒れている。雨水が、ときおり風にふかれ、私の顔にたたきつけられる。濡れる・・・・。塩水まじりの雨水だ。生暖かい。春の嵐だ。

 建物の角のガラス張りテラスのような場所に、レストランがある。洋食のコースのみのメニューのようだ。雨だが、ほぼ満席らしい。狭いので席数が少ないようだ。見ると、食事をしているのは女性ばかりだ。晴れた日は、混雑するので相当混みそうだ。

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↓ たまたま雨が収まった瞬間に葉山の山を撮影。
  中庭から、直接駐車場と行き来することができる。


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↓ 雨の中、葉山の山を撮影。左側が海。

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↓ 帰る際に、入口の前付近から葉山の山を撮影。

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 本館の建物に戻る。試しに、図書室(資料室、閲覧室というべきか・・・・)に行ってみる。一階の受付付近から階段を下り。半地下の場所にある。下の部屋から、何やら妙齢とおぼしき音声帯の女性の賑やかな会話が聞こえる・・・・。 図書室のカウンター内には、三人の女がいて、おしゃべりをしている・・・・。
 私が入ると、じろりと私を一瞥する。彼女たちの会話は、明らかに雑談であり、業務の会話では無い。さすがに 私が入室すると解散して散ったが、カチっと私が入る際に、カウンターを数えた。「集計対象」だ(笑)。
 室内には、図録がおいてある。「東京」の表示のある棚には 美術館ごとに仕切りがある。世田谷美術館もある。 各美術館ごとに開催された図録がある。
 「高野山の秘宝」の図録をためしに見る。本を取り、閲覧用の机とイスに移動する。あの「怖い仏の絵」があった。
 東京国立博物館の特別展の図録はここ4年間くらいのものがある。よって、6年前開催の「等伯展」のものは無かった。私がいる間、司書??の女達は、そのうち一人がカウンターに座って、さすがに静かにしていた。カチカチとパソコンのキーをたたく音が響く・・・。
 カウンターの側には、各地の美術館、博物館の特別展、企画展のチラシが置いてある。チラシや資料の入手のため「神奈川県立近代美術館 葉山館」にお立ち寄りの際は、半地下の資料室にお立ち寄りください!!。
 
 「お店」、「図書室」と、とにかく私語が多い美術館だった。雨でヒマだったのかな?。さすがに受付の女性二人は私語は無かったです。
 以上、レポートです(笑)。

 ↓ 図書室に降りる階段窓から。下の階は、事務室のようだ。つまり、図書室と奥で繋がっている。

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 ここには、11時30分頃に入る。とにかく利用すれば、最初の一時間は駐車場が無料。13時30分頃退出。図録を買って、売店を利用したので、次の一時間400円の駐車料金も無料となった。
 図書室にいる間に雨はおさまってきた。晴れ間も見えてきたが、いかんせん風が強い。

 ↓ 帰る際に、入口付近のモニュメント。歩道の先は県立公園につながっている。

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 神奈川県立近代美術館 葉山館の外観 ↓


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 神奈川県立近代美術館 葉山館の駐車場 ↓
 天候のため、車がほとんど停まっていない。雨もやんできた。
 


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 神奈川県立近代美術館 葉山館の外観 と駐車場入口↓
 帰る頃には、晴れ間も見えて来た。

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 葉山からは、車で逗子、鎌倉の海岸沿いから駅近くを通り帰る。風が強く、砂が鎌倉の市内でも舞い上がっていた。海沿いの道、特に鎌倉の海の近くの道では、砂で路面がおおわれていた。
 こんな天気の中でも外国人観光客が市内を歩いていた。

「原田直次郎展」 鑑賞3 神奈川県立近代美術館 葉山館

「原田直次郎展」 鑑賞3 神奈川県立近代美術館 葉山館

 4月のある日、葉山町の神奈川県立近代美術館 葉山館にやってきた。

 ↓ 美術館の外から「原田直次郎展」展覧会入口の様子。

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↓ 同じく、アングルを引いて美術館の外から「原田直次郎展」展覧会入口の様子。
  天候のせいか、入館者が少なく、待合室のベンチには誰も座っていない。

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 展覧会を見ていく。
 原田直次郎の友人であったドイツ人の画家、エクステル作の「日本人の肖像」は大きい作品だが、今回の本展覧会での展示は無く、小さい写真が展示室内の壁に掲示されていた。
 ちょうど、展示室のもうひとつの出入口(廊下と直接つながる出入り口)の手前の壁の所だった。「日本人の肖像」の実物は、等身大だそう。エクステルのアトリエの写真もあり、見るとたしかに「日本人の肖像」がある様子が写っていた。付近の壁には、エクステルの風景画の展示もあった。こちらは、オリジナル。

↓ 図録を購入すると、先着順、枚数限定で「日本人の肖像」の絵葉書を貰えた。
  エクステル作、等身大の直次郎像。

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 続いて見ていく。展示室内の反対の壁には、以前(昨年の秋に東京藝術大学美術館で)、見た重要文化財「靴屋の親爺」やドイツ時代の絵の展示がある。ポスター作品の展示もある。風景画は、あまり作品としては数がないようだ。ドイツでの緑豊かな建物のある農村風景だった。

↓ 図録の表紙は、重要文化財「靴屋の親爺」だった。

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 直次郎と関係する作家の作品展示も多い。直次郎自身の人生が短いので、作品数が少なく、関連作家の作品や草稿や書簡なども含めて展示をする必要があるためだろう。

 旧長州藩主の毛利敬親や、その他の殿様の絵がある。もちろん、直次郎が直接会って描いたものではなく、明治以降に渡された写真をもとにかいたそうだ。「毛利敬親」像はモデルの血管まで表現しいている。とてもリアルに描かれた絵だ。  
 「新島譲の肖像画」も展示がある。 若いときの写真を基に、新島の死後に書いたもの。新島は、大磯で死亡したそうだ。元々、上野の国、安中の人であるが、同志社の関係で京都の人というイメージがある。が、没したのは、意外にも大磯だった。時代は違うが、大磯で没した文化人には、島崎藤村などもいる。
 徳富蘇峰の父の絵(肖像画)もある。蘇峰の父はこのとき存命。蘇峰の父は90歳近くで亡くなっている。蘇峰自身も長命だったし、遺伝だろうか・・・・?。蘇峰の父の肖像画は、水俣市立蘇峰記念館蔵となっている。通常、館外では展示されることの無い作品であろう。

 意外な作品では、信越放送所蔵の作品もあった。


 続いて、一番奥の部屋(展示室)に。行き止まりの部屋だ。この部屋をぐるっと見ると、元の展示室に戻り、廊下への出入り口へ退出して、展覧会は見学終了となる。
 お昼時のためか、天候のせいか、この部屋での見学者がいない。私だけだ。よって、女性の看視員にずっと看視されている・・・・。(またまた自意識過剰(笑)。)
 この展示室内では、ガラスケースの中に挿絵などの展示がある。雑誌の表紙、挿絵などだ。鴎外や蘇峰に紹介されて描いたそうだ。「国民新聞」の絵も描いている。国民新聞は、明治時代に蘇峰が中心となって編集していた新聞だったはず。当時は、西洋画が世のなかで受け入れされなかったので、こうした絵を書いて収入を得ていたようだ。
 奥の部屋から「靴屋の親爺」などを展示、テレビ設置のある部屋内に戻り、出口へ。廊下に出る。
 ここを出ると再度、展示室内に戻るには、入場券の提示が必要だ。出入り口の所には、やはり女の係員が立っている。
 展示室を出た廊下の壁には、「原田家」の解説ボードがある。この通路は常設展の人も来ることができる、中庭と店(ミュージアムショップ)につながる通路だ。
 甥の熊雄の誕生についての年賦記載はあるが、熊雄が西園寺の秘書だったということは解説にない。
熊雄の妹信子は 有島生馬の妻。心中した人だな?と思ったが、よくよく考えると違う。有島武男が心中した人で、生馬の兄にあたる人だったと思う。。
 熊雄の母、照子は、ドイツ人男性と日本人女性のハーフだそう。どのような契機で、豊吉と照子が婚姻したのかは、分からないが、ともかく直次郎の兄、原田家の嫡子 豊吉は、ハーフの女性を妻にしたことになる。 
 
 直次郎の没後10年後、1909年にたった一日だけ開催された回顧展の解説もあった。既に書いたが、今回の特別展は、そのとき以来実に100年以上ぶりとのことである。
 回顧展の開催の経緯は当時、学習院の生徒だった甥の熊雄が鴎外に相談したそうだ。直次郎の留学時代の親友で、芸術にも造詣が深く、高名な森鴎外鴎外の尽力で、黒田清輝らも発起人となり開催をすることができた。その他の発起人となった人の名は、(私が名を)知らない人もいるが、忘れてしまった・・・・。(あとで、図録を見たが、徳富蘇峰も発起人の一人であった。)
 作品の展示のために所蔵者への  出品依頼などに奔走した鴎外らの努力が目に浮かんで来るかのようだ。
 原田直次郎の回顧展は、明治42年11月28日の日曜日に開催された。上野の東京美術学校での開催。午前に、同じく上野の精養軒で食事会をしながら、鴎外のあいさつがあった。午後には、美術学校の校長のあいさつがあった、と展示の説明文に書いてある。
 「この日の鴎外は多忙だった。」とも説明文ある。この日の夕方には、自ら脚本を手がけた「××劇」の観劇で帝国劇場へ。かつての親友の回顧展を企画、開催にこぎつけたかと思うと、終了後には、観劇へ。この人、当時、陸軍軍医総監の階級で、陸軍省医務局長。本業以外でも相当忙しいですね。


 このときに「原田先生記念帖」を発行している。限定200部くらいの刊行。この中に有名な鴎外と原田の写真も掲載されているそうだ。貴重な原田に関する資料とのこと。追悼記も制作され、鴎外をはじめ多数の人が追悼文を寄せた。私が見た限り、かつてドイツで一緒に写真に写っていた丹波(俳優、故・丹波哲郎氏の祖父。NHKのテレビ番組でも紹介されたことがある。)や岩佐の名はなかった。

 直次郎の父、一道は、この追悼展の後、80歳で死去。 原田家の年譜の説明は、一道の死後、孫にあたる「熊雄、襲爵。」で終わっていた。
 
 小さい別の部屋(展示室)もあった。原田の関連作家の作品がある。
 この部屋にも黒い服の監視員がいる。この部屋の展示だったか、忘れたが、展示の解説文の中に「熊本地震」の言葉を見つけた。
 訪問したときは、今回の熊本での地震のことが盛んに報道されていた時期である。今回、この地域(熊本)で唐突に地震が起きたように思えたが、実は違った。昔も地震は起きており「熊本地震」と命名されていたのだ。
 ここでいう地震は「明治22年の熊本地震」のことであった。奇しくも、このたび熊本で大地震が発生した。熊本でも直下型の地震が明治時代にも起きていたのだ。忘れずに、語り継ぎ、学校などでも教育し、備えておけば 突然の地震にもある程度対応ができたのではないだろうか。


 全部で看視員の女性は、直次郎展だけで入口一人、騎龍観音の部屋で一人。次の部屋に一人、更にこの部屋は出口もあるのでプラスして一人。一番の奥の部屋とその境に一人配置、合計で五人配置されていた。(余計なことばかり、見ているな~(苦笑)。)
 更に出たところの小部屋に一人。常設展は チケットをちぎりために二人、常設展の広い部屋の入口に一人。結構配置がある。
 と、先ほど「原田直次郎展」の内部の看視員で茶髪ショートでメガネをかけた、やせた女性が戻ってきた。皆40歳以上かな。ただし、50歳以下だろう。少なくとも35歳以上で主婦のパートのように見える。(だから、何だということはないが。)皆、黒いスーツでスカートかパンツスーツ。悪天候時の昼どきでったため、観客よりも看視員が多かった状態の部屋(展示スペース)もあった・・・・。

 再度、常設展に戻り、先程は見れなかった別の壁の展示作品を見て、一旦外に出た。


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 ↓ 写真の左側の館内に小展示室があり、廊下の壁に「原田家」の解説が掲示されていた。
 

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「原田直次郎展」 鑑賞2 神奈川県立近代美術館 葉山館

「原田直次郎展」の鑑賞記。神奈川県立近代美術館 葉山館。

 4月のある日、葉山の神奈川県立近代美術館 葉山館までやってきた。

 ↓ 美術館の中庭の様子。後方は、葉山の山。
    常設展示室は、右の建物の中。2階に窓があるが、2階に展示室はなかった。

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 常設展示室の中にある「原田直次郎展」の室内に入る。彼の作品で 重文に指定されているのは、現在のところ二点。近代洋画家として一番多く指定されている黒田清輝の作品は三点指定されている(筈)。
 しかし、原田の知名度は高くない・・・・・・。
 最初の部屋は、一作のみ。「龍騎観音」。東京国立近代美術館には、ほとんど常時この作品が展示されていた。が、展覧会中は「出張中」ですね(笑)。

 展示されている部屋に入るには、「特別展のチケット」を、常設展示エリアとの境目で提示する必要がある。入ってみるが、なんと、今回の特別展の「展示リスト」を配布していない・・・・。帰ってから、ネットで調べてみるとウェブサイトには、PDFで展示リストの掲載があった。
 今回の展覧会は、まずは埼玉県で開催、次いで関東圏では神奈川(つまり、ココ!)での開催。都内での開催はない。このあとは、原田家ゆかりの岡山県立美術館、原田の友人であった森鴎外ゆかりの島根県立石見美術館に巡回する。名古屋圏、京阪神地域での開催も無いようだ。
 んん??、「岡山県立」は行ったことがないぞ・・・。住んでいたことがあったのに・・・・。一体どこにあるのか??。昔からあったようだが・・・。しかし、岡山の有名な美術館では「大原美術館」に行ったことがあるぞ!。一回だけ(笑)。

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 「龍騎観音」。絵は、常設展の部屋からも見ることができるが距離があり、遠い。向かって正面にドーンと設置されている。見たことがある人ならば、分かるが、ドーンととても大きい絵。
 展示室の左の壁には鴎外の原田評の詞が掲示されている。右は、次の(展示)部屋への出入り口だ。
 この作品、発表当時「物議をかもした」作品であるとのこと・・・・。ある人と鴎外がこの作品をめぐり、と論争を広げたとそうだ。のちの展示室内で、解説ボードがあったが、鴎外は直次郎を擁護する論文を書いてかなり激しく論争したそうだ。
 このお方、名文家であり、論争をすることも得意なようだ。昨年、二か所の彼に関する記念館を訪れたが、展示資料などによると軍医として医学的論争も行ったようだ。が、その主張は果たして現代の視点から見て正しかったのか?。医学的論争は、兵士の命、国家の命運にも関係することだ。彼の研究、理論は、正しかったのか?。近代軍事医学、軍医行政の発展に彼は本当に貢献したのか。ひょつとしたら、軍医界の高官とならずに本業は一臨床医の兼任作家で生涯を終わるべきではなかったか・・・??。


 前述の通り、この作品は(ほとんど)いつも近代美にある。よって軽く見て、次の部屋へ。部屋と部屋の合間に黒服の監視員女性がいる。ドアのある展示室ではなく、広い天井の高い部屋をパネルで区切って会場を構成している。
 次の展示室は、まず写真の展示がある。父と少年の直次郎と母の写真。母は、継母だそう。撮影は、明治7年頃らしい。実は、私の少年時代とそっくりな写真だ(冗談、笑)。
 兄、常吉の写真もある。兄は14歳でドイツに留学させている。地質学者で、23歳で帝国大学教授に。しかし、兄も早死にだった・・・・。

 おいが、原田熊吉。平成に入ってから急に知られるようになった人物だ。「西園寺公と政局」という本の作者として。壁に掲示あった年賦によると、直次郎は、その名の通り二男、鴨方藩の 原田一道(かずみちとも読む)の二男として生まれる。江戸、小石川の生まれ。
1868年 鴨方に住む。 現在の笠岡市西大島。昨年訪れた 仁科会館の近くである。同じ年に再び東京に。明治18年2月に洋行している。この年の2月に北里がドイツへ留学。同じ年の10月の森鴎外がドイツへ向かっている。直次郎と、北里は同じ月の別の時期の船で渡航したらしい。すると、ドイツ(欧州)行の船は二週間に一回くらいは、当時あったようだ。
 直次郎はすでに18歳で結婚し、20歳で長女が生まれている。その後ドイツへ留学している。単身の渡航であった。しかし、ドイツ滞在中、恋人のマリーとミュンヘンへ旅行、という記述がある。結婚したと年賦にあるのに、唐突にドイツで「恋人マリー」の名前が登場する。現代の倫理観の観点から、あまり、はっきり解説する訳にはいかないのでろう。「現地妻もしっかりつくっていた。」のだなと自分で理解するしかない(笑)。

 帰国後26歳で次女が生まれた。しかし、長男は一ヶ月足らずで死亡している。明治21年に兄、常吉の長男 熊吉が生まれる。この年に兄の嫡子が生まれた。「西園寺の秘書、原田熊吉男爵」のことだ。

 父の一道は、息子二人の死後に80歳で死亡している。没後10年後の1909年にたった一日の回顧展が開催された。


 次の部屋に行く。黒服の監視員女性がいる。 ドイツでの作品、手紙の展示がある。パネル壁に古い写真一つは有名な鴎外のステッキをついた写真。左が岩佐新。岩佐については説明はなかった。真ん中が直次郎。
明治19年頃の撮影か 20代半ばの写真。若い。今の人と比べると年を重ねているが。
 別の集合写真もあった。ミュンヘンでの写真。前列、真ん中に直次郎、その左が「丹波敬三」つまり、俳優、丹波哲郎の祖父だ。ただし、丹波についての説明は一切ない・・・。顔も哲郎と似ている。先日、テレビで紹介していたとは別の写真。あれは、マルセスユへ鴎外らと同じ船で渡欧したときの写真だったはず。
 鴎外は後列にいる。丸い顔で目立つ。鴎外のどいつ日記の一節がある。「3月25日 原田直二郎   原田少将 の子息 を訪う・・・。」鴎外は二郎と書いているようだ。上官のことがまず念頭にあったようだ。津和野の鴎外記念館でも鴎外と「同年齢の原田とは親しくしていた。」と記載にあった。


 近衛篤麿の日記にも掲載がある。近衛日記は1939年に限定120部が発行されたようだ。陽明文庫の発行。個人蔵。近衛家の所蔵だろうか。子の文麿が一回目の首相を退任した後の刊行だ。篤麿はミュンヘンに、直次郎を訪問している。
「 陸軍少将 原田一道 息」と記載があったような。鴎外のことは、「森林太郎」 旧字体で「医学士」と書いている。

 直次郎の恋人のマリーは、とある建物の一階に入っているレストランの給仕女だそう。そのビルの写真がある。ミュンヘンの芸術学校の建物写真もある。かなり、立派な石造りの建物。当時の日本では考えられないなうな大建築。

 直次郎の恋人(つまり、ドイツでの愛人)のことは、鴎外の著書にあった?。鴎外は、いきなり人のことを曝露することがある。直次郎自身は鴎外など留学仲間には「日本の妻子のことは言っていない。」と解説にあった。


 ドイツの画家、エクステルについてのビデオ放映がある。ヘッドホンで音声を聞きながら約10分間の映像を見る。次のような映像だった。
 「 ミュンヘンの夏の様子が流れる、水着で日光浴をしている。女はビキニでバレーボールに講じていたり、小川で水浴びしたり。
 ある日本人学者の話。鴎外がその小説に書いたというエクステル作の日本人の肖像のことについて。万国博覧会に出品され、その後はどうなったか知らない、と鴎外が書いている。

 エクステルの記念館が開館し、その世話人の人に聞くと(保管)場所を知っていた。ここ記念館にはない。理由は日本人の肖像なので、ここ記念館の雰囲気とは合わない。」と。

 この絵は「1980年に再発見された。」そうだ。バイエルン王国の首都、ミュンヘンの湖に浮かぶ島の王室倉庫に保管されていた。もう一シーン、ドイツ人研究者の解説が流れる。エクステルの研究者で、「逆さにすると「原田直次郎」と文字のある絵がある・・・・。」と。
 直次郎とエクステル互いの肖像だったのだろうか・・・・。
 映像を見る際に、近くの出口にいた監視員にヘッドホンの使い方について聞いてしまった。音量が小さくなっていた。女性監視員は、交代で持ち場を変わっている。お昼休憩もあるだろう。
 エクステル作の「日本人の肖像」は大きい作品だが、今回展示は無くのその写真が展示室内の壁に掲示されていた。


 ↓ 展覧会のポスター

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「原田直次郎展」と「明治の美術 コレクション展」 鑑賞1 in神奈川県立近代美術館 葉山館

「原田直次郎展」の鑑賞。 神奈川県立近代美術館 葉山館。

 4月のある日、葉山までやってきた。自宅からは車で134号線を通り、スムーズに来ることができた。もっとも休日の日中は渋滞だが。
 「神奈川県立近代美術館 葉山館」、以前から持っている神奈川県内の道路地図には、その記載がない。小規模の博物館?や県立公園は、元々この地にあったようだが・・・・。神奈川県立近代美術館のウェブサイトによると、2003年秋の開館だった。が、今まで来たことが無かった。丁度、開館した頃は勤務地の関係で、神奈川県内に居住していなかった。
 さて、国道134号線経由で鎌倉、逗子と「渚ドライブ」をし、葉山へ。・・・・・・いつもここを通るときは、御用邸の前の交差点で海に向かって、左(つまり、南の三浦方向)に曲がってしまうし、交差点付近は「神奈川県立近代美術館」と大きく表示されていないので、知っていないと(美術館の)場所が分からない・・・・・。実のところ、数年前までは「神奈川県立近代美術館」のことを「鎌倉」だけかと思っていた・・・・・・・。が、鎌倉にも「鎌倉館」と「鎌倉別館」があることが分かった。ななんと、今年話題になった「カマキン」の閉館には、行かなかった・・・・・・。全くの「スルー」。「カマキン」が「鎌倉館」と「鎌倉別館」のどちらの愛称なのかも知らなかった・・・・・(苦笑)。
 
  美術館に向かう途中、天気が急変して大荒れになってきた。御用邸から、狭い道に入る。数百メートル進むと、「神奈川県立近代美術館」駐車場の入口の看板が見えた。天気の影響だろう、すいていた・・・・。
 今回、閉館に際してカマキンを(私は)スルーしたが、今後はこちら葉山が「神奈川県立近代美術館」の本館としての位置づけとなるであろう。
 しかし、交通は不便だ。電車で簡単に来ることはできない。車やバスで来る場合でも、晴れた日、特に夏は大混雑だろう。海水浴客もいるたろうから。 美術館の近くには「一色海岸はこちら」との看板もある。夏は大賑わいだ。
 
 ↓ 神奈川県立近代美術館 葉山館 エントランス。

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  ↓ 神奈川県立近代美術館 葉山館 エントランス。傘タテに傘が並んでいる。
    この日は荒天で傘持参は必須の天気だった。よって、入館者の数が推測できる(笑)。

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 駐車場に車を停めて、建物まで歩く。実に近代的な建物だ。入口へ階段を登る。ガラス張りのモデンな入口。入ると、広いエントランス。受付のカウンターには女性係員二人いる。
 料金 特別展の「原田直次郎展」は1200円。常設展ともいうべき展示の「明治の美術 コレクション展」の料金込み。 「明治の美術 コレクション展」のみの場合は、入館料金は安い。
 この日の人(入館者)は少ない。悪天候のためだろうか。館内は、シーンとしていて静かだ。
 
 展示室に入る。
 「明治の美術 コレクション展」 から見学する。常設展の部屋での開催だ。

 まず、目に飛び込んで来たのは、ワーグマンの風景画、日本の人物の作品だった。「日本の女性」 二人の日本の女の姿だった。日本人を日本人らしく書いている。西洋人が描いた作品とは思えないくらい。
 高橋由一の作品が一点あり、その隣に池田亀太郎の「川鱒図」がある。名前は聞いたことが無い画家だ。まさに高橋由一の鮭と酷似している。「鮭」と間違ってしまいそうなくらい・・・・。
 この「川鱒図」の絵についての説明文が作品の所に無い・・・。制作年も「不明」とある。ぱっと見たところ、由一の作品とどちらが先に制作されたものなのか?、分からない・・・・。こちらは模写なか、詳しいことが分からない・・・・。
 池田や由一についての解説文がある。「・・・・由一は 武士の子であった。」ことが書いている。佐野藩士の子として生まれ、同地の領主、堀田家の殿様につかえていたが、その後絵の道に入ったようだ。・・・」とある。
 多分、由一が師匠で池田が弟子でその影響を受けたことは、作品や解説文から理解することが出来ます。由一の「鮭」が先です。


 続いて五姓田芳柳の作品と子の義松の作品。父の作品、「磐田譲 像」 まん中に軍服姿のモデルの姿。周囲に星のマークの貼った軍の帽子と黒い肋骨服姿。その他 礼服姿でいくつかポーズをとる依頼者の肖像。水彩画のようだ。よって、描いた当時に水にぬれたであろうとめか、紙にしわができている。
 隣に幼児姿の子「磐楠像」。これは、前回「五姓田義松展」で見た。油彩画である。当時はフランスで 男に女の子の姿をさせたそうだ。
 解説文が作品の横にあり、五姓田の親子、それぞれで井田家の親子の画を書いている。井田(父)はのちに男爵となる人物だ。(このとき、すでに爵位を持っていた??。) 井田が当時、軍の高官であったことは間違いない。
 
↓ 展覧会のチラシ。今回展示のあった、ワーグマン「街道」、五姓田義松「老母図」、「井田磐楠像」の写真掲載がある。
 五姓田義松の「老母図」と「井田磐楠像」は昨年歴史博物館での「五姓田義松展」で鑑賞し、強く印象に残っている。

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 ↓ ポスター。黒田清輝の作品だ。

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 浅井忠の作品として肖像画があった。これは、モデルの子孫が寄贈したもの。藤嶋武二の「T氏の像」もある。黒田清輝は一件のみだが、展示があった。全部で五点ある。「逗子 五景」。作品には1~5までの番号が振られている。 農村付近の湿地のような風景が描かれている。黄色が基調の府警がは、秋の様子かな。が、現在 逗子にこのような風景はない・・・。昔の逗子周辺は、このような風景だったようだ。空想だろうかと思ってしまうくらいの現在の景色との違いようだ。現在展示がここにあるということは、開催中の国立博物館の「黒田清輝展」には出品されていないのだ。

 ↓ 展覧会のチラシの裏面。黒田清輝「逗子 五景」の作品。

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 青木繁の作品もあった。いろこの宮のデッサンのような作品というか、複写の展示がテーブル状のガラスケースの中にあった。
 常設展の部屋は、長方形の大きい一室のみ。さらに奥の部屋は、特別展の会場となっている。「騎龍観音」の大きい絵が見える。

↓ 企画展のポスター。

常設展示室の奥にこの「大きな絵」がドーンと展示されているが見えます。

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プロフィール

りょうげつ

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