良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

道東(オホーツク地区)

 

知床半島 ウトロ到着~夕食、宿泊

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。

 小清水原生花園を18時頃に出発。本日の宿泊地、知床観光の拠点、ウトロに向かう。
 周囲はすっかり暗い。国道をどんどん斜里町へ進む。進行方向左手は、真っ暗のオホーツクの海だ。

 ↓ 夕闇迫るオホーツク沿岸の原野。(写真はイメージです。) 

DSC04279

  知床へ国道を進む。ほぼ一本道。やがて、海岸をはなれ、内陸の道になる。暗くて沿道の様子は分からない。沿道は畑と林のようだ。ところどころに家や集落がある。国道沿いに街灯は無いので、車のライトしか灯りが無い。

 やがて斜里町となる。国道は、町のはずれを通るので駅や市街地付近の様子はわからない。ルートインのホテルの高いビルが遠くから暗闇の中に浮かんでいるような見えたのみであるが、ホテルの近くは通っていない。
 途中、斜里の街のはずれに100円ショップがある。日本最東北端かは、分からないが、100円ショップがあった。私は店の中には入らなかったが品揃えは、私達の自宅付近にあるお店と変わらないとのこと。翌日の知床遊覧船の乗船に備え、カッパを購入。ただし、天気予報によると雨はふらないと思うが。大波の中を進むこともあろうし、突然の天気の急変に備えて買っておいた。

 更に国道をまっすぐ進むとそのままウトロへ。ある交差点で右に曲がると標津方面へ向かう。よって、知床への道は、まっすぐ進めばよいので、網走方面からは、迷うことはない。
 斜里(の中心街)を過ぎ、知床方面へ走る。もっとも、ウトロも斜里町であるが・・・・。道の両側は暗い。家が点在している。わずかな、電気の灯りで人家の存在が分かる程度。道の両側は、林というか、森になっている所も多い。または、住宅地の周囲には、防風林があるのかも知れない。その、森の中にあるであろう自宅に入っていくと思われる軽自動車もある。帰宅していくのだろう。
 やがて、道は半島のエリアに入った。平地は無くなり、左はおそらく海だ。右は山裾のガケや林、斜面。暗い中を走る。私達の車の前後にも車が続いていて交通量は多い。皆ウトロで宿泊する観光客だろうか。
 斜里の外れから、30キロあまりでウトロに近づいて来た。途中、瀧の音がした所を通過。たぶん「オシンコシンの滝」であったろう。滝から数キロ走るとウトロの街中に入った。
 意外と斜里の郊外の100円シヨップからは、ウトロまでの距離が近かった。

 ↓ ウトロで宿泊したホテルの近くの道。
IMG_2795


 ウトロのバスターミナル前で信号があった。停止する。ほぼ、「初信号」。斜里にあったかな?(笑)。次にセブンイレブンの前で信号がある。この交差点をウトロの港とは反対の高台の方向へ曲がる。すぐにまた左折し、坂道を車は登る。
 と、「番屋」の看板がある。
 台地を登るとプリンスホテルの方へ間違って曲がってしまった。戻って更に高台へ坂を登る。しかし、宿泊するホテルの看板を見落として一旦通りすぎてしまった。ウェブサイトで(見たところで)はもっと大きな、新しいホテルかと思っていたが、古い建物のホテルだった。
 (その理由は、あとで判明するのだが・・・・。)

 看板もわかりにくかった。実は、あとで見たら看板にライトがないので、ホテルの名前が夜間は読み取れないのだ。街灯も無いし、暗いし、わからないのだ。

 ↓ (あとで撮影) ホテル知床の入口の様子。看板が・・・・。
IMG_2776



 「ホテル知床」に到着。19時30分にはチェックインできた。やっと着いた。私は「はあ~」っとほっとした(笑)。
 ツレに先にチェックインの手続きをしてもらい、その間に車を停める。砂利のPは一杯で、奥にやっと空きを見つけて停める。連休中、混雑している。満室であろう。
 ここは、団体が大挙してやってくるような大ホテルだ。ロビーでは、風呂上りの浴衣を着た人がくつろいでいる。
フロントから、部屋までは女性の係員に案内してもらう。「自分で行きます。」と言ったが、というより「構造が複雑なので案内する」とのこと。増築していて複雑のようだ。廊下を奥まで進んで、別棟に行き、エレベータで上がる。フロントのある棟と宿泊する部屋のある棟とは、一階まで下りないと繋がっていないそう。つまり、あとから建てて、一階部分のみ廊下でつないだってこと(笑)。
 案内してくれたのは、長い黒髪でメガネをかけたまじめそうな若い女の子だった。カートを出してくれ、荷物を載せて運んでくれる。名札に出身地を書いていて、地元ではなく兵庫だったか関西の県の出身だった。リゾート、観光地では沖縄もそうだが、遠くからやってきたニューカマーの若い人達が働いている例ことが多い。彼女もまたそうなのだろう。
 部屋は和室だった。窓の外を見ると、先に私が車を停めたPが暗闇の中に見える。
 この日の走行距離は、旭山動物園からウトロまで約288キロ。「一筆書き」の走行だった。旭川のホテルから自衛隊付近を経て、動物園までが20キロと少しだろう。合計で300キロと少し走ったと思われる。
 
 一息つく間もなく、すぐに「番屋」に食べに行く。お店のチラシがホテルのフロントにも置いてあった。実は、ウトロでは、夜間のこの時間に開いている飲食店は少ない。もう一軒は、高台の下、海岸沿いにあるようだが20時までのよう。すでにラストオーダーの時刻であろう。


IMG_2799

↓ 奥がフロント。マキが置いてあった。

IMG_2798

 ↓ フロントに接続している。大浴場への通路。
   ロビーの装飾は、知床の森が再現されている。木の工房というか、工作体験コーナーもフロント近くにあった。

IMG_2800

 「番屋」から戻って来て、大浴場の温泉に入る。夜10時過ぎだった。が、つねに10人から 20人、風呂に入っている。大きなホテルだけのことはある。露天風呂は「熱い」ので注意と、書いてあったが、それほどではなかった。安心して入れた(笑)。
 運転の疲れをいやすため、30分以上入っていた(笑)。露天風呂からはウトロの南、ウトロの学校の方が見えるようだ。しかし、露店風呂から空を眺めた限りでは、あまり星はよく見えない。
 近眼のせいかな?(笑)。





小清水原生花園 散策 (ただし日没後)

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 ここは、オホーツク海の沿岸、知床に向かう途中、小清水原生花園にやってきた。
 ずてに日没後、急速に「夜のとばり」が幕を下ろしている。すでにお店は閉まっていて、観光客はいなく、閑散としている。が、海沿い、長い湾曲を描く砂浜海岸の先、現在の視野の左前方に知床半島が見える。山が連なっている。
 駐車場の脇には、線路が通っている。釧網本線だ。鉄道の線路をわたり駅舎へ歩く。臨時駅の「原生花園駅」がある。

 ↓ 駅舎と東の方向。遠くには、知床半島に連なる山々のシルエットが見えている。
何回も書いていますが、写真は実際の視覚よりも明るい。本当はもっと暗かったです。これだけ明るく写るのが不思議なくらいです(笑)。

DSC04271

↓ 駅舎の
時刻表を見ると本数は少ない。が、駅舎の中は電灯で明るい。
駅舎の向こうは、線路の先に国道と潟がある。

DSC04272

↓ フラッシュをたいて、駅の看板。
実際の照度は、この写真と比較してやや明るいくらいでした。本当に・・・。

BlogPaint



↓ 線路とその右(海側)の砂丘。砂丘の先が海だ。
右はおみやげ屋さんなどの棟。
線路はまっすぐに伸びている。網走方向、知床とは逆の方向。
この写真も実際よりもかにり明るい。本当は「真っ暗」という感じだった。

DSC04270
半月が出ている。潟湖の先には、湿地と原野が広がっているようだ。
駅舎と駐車場の街灯が明るく見える。

DSC04278

 原生花園駅の駅舎とホーム。 ↓
 花が咲いていない・・・。やはり花は初夏の6月-7月のようだ。
9月のこの時期も咲く花があると、説明の看板にあったが、咲いていなかった・・・。
というより、地表近く、砂丘に咲く花は、暗くて見えなかった??。
DSC04280


 オホーツク海の写真が無い・・・。砂丘の丘の階段を登って、展望広場から海を見たが、暗くて分からなかった。写真を撮影しても仕方無いと写さなかった。
 展望広場、つまり砂丘の上から波打ち際までは暗かったが、わずかに波が打ち寄せている様子が見えた。
しかし、目をこらしたが花は見えなかった・・・・。花の無い、というか見えなかった原生花園であった。
 オホーツクの海は穏やかで波は高くなかった。「ザザン、サザン」と波が暗闇の中、静かに打ち寄せていた。

 ↓ この写真が精いっぱいの撮影。
  砂丘ごしに、オホーツク海と知床半島を見る。
  知床半島の方向にに灯りの点が二個見える。何の光であろうか。

DSC04274

網走~小清水原生花園 オホーツクク海沿岸の道

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の郊外、「博物館網走監獄」を見学し、私達は日没時刻とほぼおなじ17時20分過ぎに本日の宿泊地、知床のウトロに向けて出発した。「監獄」には一時間と少しの滞在であった。毎度のことながら、かなり急ぎ足の見学となった。
 いつもドタバタ、ウトロに到着するのは、いつの見込みか?(笑)。一応、網走から1時間半を見込んでいる。途中、沿道の原生花園に寄ることにしている。
 さて、「監獄」から小清水原生花園にむかう。能取湖畔の「サンゴ草」に行かずに正解だった。行っていたら、「監獄」を出るのが、日没はおろか、閉館の18時になっていただろう。
 あらかじめ設定したカーナビの指示通り、「監獄」から山を更に登り、そして頂上の電波塔付近から下り、市街の郊外の高台の道を進む、というか下る。住宅分譲地のようだ。途中、コンビニもある。私の家の近くと変わりは無い風景だ。ただし、家の造りは、寒冷地仕様か床が高い。そして、尾根が急勾配である。
 土地が広いのであろう、隣地との境を区切る塀はない。首都圏の住宅分譲地と比べると広々としている。しかし、市街にでるまで坂道だし、冬の間の通行は路面凍結もあり、大変と思う。自転車はとても使用できないだろうし。凍った斜面をどうやって登り降りするのか。

 ↓ 海沿いの国道に出た。 高台の住宅地の間を通り、台地の坂を下ると国道だった。
   オホーツク海だ。


DSC04262

 坂を下り、線路を踏切で渡ると海岸沿いの国道に出た。線路と並走。日没後、どんどん周囲は暗くなってきた。初めて見るオホーツクの冷たい海。しかし、波は穏やかである。砂浜海岸が延々と続いている。釣りをしている人が見える。
 ドラマか映画の舞台となった駅も通過した。
 やがて道路の両側は海と湿地、池になる。

DSC04260

 左前方に知床半島が見える。長い。山がつらなっているというよりは、ラクダのこぶのように山がポコポコしている感じ。何となく、伊豆半島に近い風景?。なんとなく、相模湾から見た伊豆半島に似ているかも。北の海とはとても思えない。この日の波の様子は。



DSC04261

 20分くらいで原生花園に到着。かなり暗い。P(駐車場)には車は一台くらいあるが、人はいない?。店も閉まっている。17時で閉まったのだろう。シーンとしていると言いたい所だが、国道をひっきり無しに車が通行するので騒がしい。鉄道の線路をわたり駅舎へ歩く。

 ↓ 西の方向。月が出ている。 潟湖の上に輝いている。海とは反対の方向です。
   写真は実際の視覚よりも明るい。本当はもっと暗かったです。

DSC04263

↓ 現在地の看板

DSC04264

↓ お店は閉まっている。誰もいない。私の影が伸びている・・・・・・。

DSC04265

 ↓ 国道とその向こうの潟の様子。西日が雲に遮られている。 
   実際はもっと暗い。視界は悪かった・・・・。   

DSC04266

↓ 国道とその向こうの潟の様子。知床半島に連なる山。
  山脈の向こうは、標津。

DSC04267










「博物館網走監獄」 見学7

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、「博物館網走監獄」の見学。 ここは、地獄への一丁目。人呼んで、網走の番外地、極寒の監獄。入ったからにゃ、出られない。その名も「網走監獄」房舎よ・・・・・。というのは言い過ぎで、今は平和な「博物館」。
 「監獄歴史館」を見学した。
その後、一階、斜面の下側にある出入り口から退出、更に斜面を下るように敷地内を歩いた。

 ↓ 斜面の途中にあった農作業などの作業場所の再現(だったと思う。)
   牧草が丸めてある。牧場でよく見る風景だ。

DSC04250

「二見が岡農場」の再現展示施設は、更に斜面の上、やや離れた所にある。
今回は時間が無いので、割愛した。

↓ 小屋というか、納屋の内部は展示室になっている。


DSC04249

↓ 更に斜面を下って、歩き、最後の見学の見学場所として「裁判所」に向かった。
これから、裁きを受けます(笑)。いざ~、乗り込む(笑)。

DSC04251


↓ 法廷の復元だそうです。
DSC04252


 明治時代の裁判官の法服。(当初、「報復」と誤字変換してしまったのは、ご愛嬌か・・・。法服を来た人に「報復」されたらたまったものではない・・・・。)
 帽子もある。
DSC04254


法廷の再現人形。裁判官が一人の法廷の場合。
ひな壇に座る人は、明治時代の法服ではないので、最近の法廷風景の再現でしょうか。

DSC04253


 法廷の再現人形。こちらは裁判官が三人の法廷の場合。重罪の場合は「合議法廷」だそうです。
よく、テレビのニュースなどで見る法廷の風景。
こちらも、皆さん現代的な服装なので、最近の法廷風景の再現でしょうか。真ん中で立っている女性も現代の洋服の恰好だし。
 ここは「監獄」とは直接関係ない展示施設だろうが、再現するならば着物でわらじ、腰縄に手錠を付けられた当時の囚人の裁判の様子を再現して欲しかった・・・・。
それとも、昔の「監獄」に送られて開拓労働に従事させられた人達は、法廷での裁判を受けていなかった?。明治時代の初めは、そんな制度自体も無かった?。

DSC04255

↓ 説明によると上の法廷の様子は、証人尋問をしている所だそう。

DSC04256


↓ 面談か取り調べかの様子。右側の茶髪のあんちゃんの人形が被疑者でしようか。

DSC04257

 監獄歴史館で、子供達とはぐれた。先にどんどん進んでしまっていたようだ。探したがいないので、旧裁判所を見て一旦出口に向かう。子供達は、まだ出口には来ていなかった。携帯で呼び出してみると、やっと連絡がつながった。急いで、斜面を走って下って、出口までやってきた。
 (ただし、危ないので、敷地内で走るのは、やめましょう。)
 聞くと、子供達は館で先に一階の吹き抜け中央にあった映像を見て、二階に戻って展示を見ていたようだ。
 私は気付かなかった・・・。先に出口に行ってしまったと思い。農作業場や旧裁判所など別の建物に行ってしまっていた・・・・。
 閉館は18時。この日の日没は17時20分頃だ。そろそろ日没の時刻。かなり周囲は、暗くなってきた。子供達は、駐車場の近くにあるおみやげ物屋で買い物。私は先に車に戻り、出発の準備。
 と、私の車(レンタカー)の隣はバスの停車場所で中国人の団体客が次々に戻って来ていた。バスの乗り降り口のところで、ガイドと客が中国語で盛んに話をしている。この日の宿泊は網走温泉か、または別の所か、女満別空港から飛行機に乗るのか?。
 その団体のバスよりも先に、私達は日没時刻とほぼおなじ17時20分過ぎに出る。Pもかなりすいてきた。一時間と少しの滞在であった。毎度のことながら、かなり急ぎ足の見学となった。いつもドタバタです(笑)。

 ↓ 日没近くの駐車場の様子。写真右が太陽の方向。

DSC04258


↓ 駐車場の傍らから、柵で囲まれた敷地の内部。
長い瓦の建物は「教誨堂」のようだ。



DSC04259











「博物館網走監獄」 見学6

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、「博物館網走監獄」の見学。 房舎を見て、移動、「監獄歴史館」にやってきた。
 展示資料館であった。二階か三階の入口から入った。出入り口は下の一階からも入ることができる。時間か゜無くなってきたので。急いで見る。
 中央部が吹き抜けになっていて、一階の中央部には映像コーナーがある。布で覆われた内部にある。 ↓ 
  どおおおーんと音響が響いてくる。

DSC04241


 屯田兵の組織図の解説だったと思います。
 吹き抜けの周囲に回廊があり、展示を見ながら、下のフロアに移動して行った。

DSC04240

 展示を見ていく。 先程の庁舎は写真バネルだったが、こちらは展示物が多い。
 囚人の着物に手錠、鉄球。恐らく足にはめたのでしょう。蓑笠も。

DSC04242


↓ 戦時下の刑務所について。
  南方の建設工事でテニアン島まで行っていた・・・・。
  サイパン、グァムとともに玉砕したはず。南洋の島に送り込まれた彼らの運命はいかなるものだったのか・・・。

DSC04243



DSC04244

 回廊の途中で看守に出会った。 写真バネルだった。ホッ(笑)。


DSC04245

 おなじみ、囚人達の移動というか、連行の様子。作業に向かう途中であろうか。


DSC04246

 中央部の映像は、道路開削の様子だった。厳しい風雨の中、森を切り開き、ツルハシで整地をし、労働に従事した様子が再現されている。
 時間が無かったので、あまり見なかった。

 ↓ もっこ。土を運ぶのも人力。

DSC04247

 ↓ 一階の出入り口。ここから退出。山の斜面に建っている。次の見学施設に歩いた。


DSC04248










「博物館網走監獄」 見学 5

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、「博物館網走監獄」の見学。 ここは、地獄への一丁目。人呼んで、網走の番外地、極寒の監獄。入ったからにゃ、出られない。その名も「網走監獄」房舎よ・・・・・。というのは言い過ぎで、今は平和な「博物館」。
 さて、脱獄王「白鳥」のことを聞いて、中央部の「見張り所」まで戻ってきた。「房」は、放射線上に伸びて五本あるが、どこも同じ造りで(当たり前だず)、分からなくなってしまう。全部の房は見なかった。個々に展示してある物は違うと思うが・・・。

 ↓ 中央の見張所からまっすぐ伸びる房の廊下を見る。
DSC04230

 ↓ 入って、一番左の房と廊下。その横のスペースでミニ企画展示があった。
  先ほど、説明を聞いた「白鳥よしえ」ともう一人の脱獄囚のお話だった。
  題して「2人の脱獄王」


DSC04231

 ↓ 白鳥由栄(よしえ)のこと。
  女性のような名前に見えるが、男である。彼の年賦によると生い立ちから壮絶である。
  なぜ犯罪に走るか?、その防止策はというと・・・・子供の頃からの「教育」が一番重要ではないかと思った。次に「家族」の存在、「成育環境」だ。いずれかが、欠けている(しまう)と簡単犯罪に走ってしまうのではないか?。もちろん、同じような境遇の人、全員がそうでは無いが・・・。
 犯罪を防ぐには、厳罰以外にも幼少児からの教育など「川上」の部分も大切なのではないかと考えさせられてしまった・・・・。

 ↓ 脱獄の手順というか、方法の解説。

DSC04232


 ↓白鳥の写真や年賦がある。
 房舎の前でも説明板があったが、過去にも脱獄している。しかも、網走から昭和19年に脱獄した後には、殺人を犯して、二年間も潜伏している。 
 再び捕まったのは、日本が戦争に敗れた後のこと。戦後の混乱期に脱獄殺人犯が潜伏していたとあっては、当時の治安はどうであったのでしょうか。敗戦後の混乱で、刑事事件の犯人一人さえも捕まえる余裕は無かったのだろうか。
 その後もまたまた脱獄し、再び捕まり・・・。しかし、殺人から別の罪状になり、いわば減刑され、服役。昭和30年代に仮釈放された。何と模範囚として。そして、十数年「シャバ」で暮らし、70歳を過ぎてから死亡・・・。戦後も長く存命していた。  

DSC04233

 白鳥の脱獄は、昭和19年のこと(以前もあったが)。戦争の激化で、看守などは出征し刑務所は人手不足であったのだろう。監視の目が行き届かなかった。元々脱獄の「ノウハウ」は持っていたうえに、戦時下の非常事態だったからこそ、三度(みたび)?脱獄できたのかも。
 しかし、犯罪を犯した人が内地の刑務所で守られて暮らし、戦後も命をまっとう。「名誉」のもと、ふつうの生活を送る人がある日突然召集されて、激戦地に送り込まれて悲惨な戦いの末、戦死を遂げる、あるいは敗走の末、自決に追い込まれた人も相当にいただろう・・・・。それも数万人だったかも知れない・・・・・。
 凶悪犯罪をして、法の裁きを受けて死刑になる人と、戦争での様々な形での死とどう違うのか・・・。死に対する死に直面するときの意識の問題なのか。死刑は不名誉で、戦死、戦病死(その状況は上でも書いた通りいろいろとあると思うが・・・・。)は国家のための名誉だからなのか。違いは何なのか。死とは何か、人の命の重さとは何なのか、兵役とは何か、犯罪による服役、刑罰、ひいては極刑たる死刑とは何のためなのか?、この戦時下の脱獄事件の経緯を知って、複雑な気持ちになった。

 ↓ 明治の脱獄王、西川のことも説明がある。


DSC04234

 物理的に柵を壊すというか、超えることができることが、脱獄の第一歩ということか。もちろん、現代では、もはや通用しない方法です(笑)。時折、南米などではニュースで耳にするが・・・。「穴」を掘ったりと・・・。


DSC04235


 「房舎」を出て、まだ見学をしていない「監獄歴史館」へ歩く。
  ↓ 「房舎」の端まで歩いた。長い。鉄格子がある意外は、普通の学校のような建物。

DSC04237

 農場がある。ひまわり畑で「種」の収穫をしているのだ。「ひまわりの種」から油を搾り、食用油にもなるし、ランプの灯りとなったのだ。
 というのは、想像で、畑にするのは、人形だった・・・・。


DSC04238

 ↓ ひまわり畑の横から「房舎」遠景。
   右が、横に伸びる房、ななめに伸びる房がもう一本見える。横から見ると「五本」房舎があるようには、見えない。「L」字に見えるが「V」字である。

DSC04239





















「博物館網走監獄」 見学 4

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、「博物館網走監獄」の見学です。かつての獄舎にやってきました。囚人たちが、「ムショ生活」を送った場であり、刑務所のメインとなる所。博物館のハイライトでもある。
 

 三角屋根の木造建築。北国独特の積雪対策の屋根だろう。正面は、牧場の建物のようだ。刑務所なので、実用重視という感じ。

DSC04215

 正面の入口に接続して、長屋のような獄舎がのびている。長い。とても、長い。横に翼を広げたかのように、長い廊下を持つ学校のようだ。
 入口の脇には、「哨舎」がある。守衛所のように、獄吏か警官かは分からないが、見張りで詰めていたのであろう。「登録有形文化財」に指定されている。

DSC04216

 ↓ 反対側に伸びる。獄舎の建物。廊下の先が、獄舎になっているのであろう。

DSC04219


 正式には「房舎」という。「獄舎」と書いてきたが、実は違う。なんと、昭和時代の後期まで使用されていたとのこと。先に通ってきた、国道と海と湖に挟まれた低地にある、網走刑務所にあった。
 木造では、冬はさぞかし寒かったでろう。現在では、鉄筋コンクリートとなっているであろう。暖房はあると思いうが、実際の刑務所には、無い?。 実際に体験したことは無いので分からないが、寒さの厳しい所では設置されているだろうというのは、推測。
 あっ、刑務所は今後も体験したくない(笑)。笑っている場合では無いかも・・・・・・・・・・。

DSC04218


 中央部から、まっすぐに廊下が伸びている。その奥に、個々の房(ぼう)がある。

DSC04220

 ↓ 斜めに伸びる房と右にも別の房がある。
   手前には、看守が使用したサーベルが展示している。銃の展示もある。


DSC04221


 ↓ 房には、番号が振られている。第三舎。
   五本ある。すべて、中央部から放射線状に伸びている。現在でも使用される「刑務所建築」だ。首都高から見える東京拘置所でも、放射状に建物が伸びている。「*」のマークのようだ。
 中央部に看守を置いて、廊下をのばし、等距離で囚人を管理できるから。「中央管理方式」とでもいおうか。巨大ホテルでも同様の所がある。
 昔、ラスベガスのホテルでも似たような建築のトコロに、なんと泊まったことがある。中央部にエレベータがあり、そこから、放射線状に客室棟が伸びていた。何千室あるホテルかは忘れたが、まさに「刑務所ホテル」でなんかイヤな気分だった。たくさんの客を、集中管理するのに都合がよいからであろう。

DSC04222

 入口を入ってすぐの所に、見張り所があった。制服、制帽、サーベルを吊り下げた怖ーい看守が番をしていたのであろう。中央から、五本の長い廊下を一望に見ることができる。「まさに、中央管理方式」。


DSC04236

 房の奥、つまり先端近くの様子。ガイドツアーが催行されていた。有料で参加できる。が、私はそばで聞き耳をたてて、説明を聞いた。(でも、少しだけです。たまたま居合わせただけです。ホントに。言い訳・・・・。)

 ガイドさんは人形を指して「あれは、白鳥よしえといって、脱獄王の人形です。・・・白鳥は、・・・・。」と説明を始めた。昔実際にあった脱獄した男の話。刑務所を脱出して、二年間くらい、隠れて生活していたそうだ・・・。

 ↓ 脱獄王の人形。
   良い子はマネしてはいけません(笑)。

DSC04223

 ↓ 脱獄事件の説明。実在の人物のためか、説明板では「Y・S事件簿」と匿名になっていた。
しかし、ガイドさんは説明で「しらとり よしえ」とフルネームで説明をしていた。


DSC04224

↓ 房の説明。「第四舎 24房」での出来事。脱出口をそひかにつくり、脱獄。現代の忍者か、石川五右衛門か・・・。しかし、五右衛門が脱獄した人なのかは、知らない・・・・。


DSC04225


 ↓ 脱獄事件の舞台となった房。


DSC04226

↓ そして、獄につながれるワタクシ。(違う・・・。)
 奥は、厠だ。とある房は、見学者も「体験入房」できる。入ってみると、思ったよりも狭ない。獄につながれると身としては、まだマシか。と思えるのは、一瞬だけ、入るだけだから。実際にここで生活し、数年を過ごし、労役に服するには、大変だ。。しかも、冬期はマイナス20度の世界。一旦、外に脱走しようとでもしたら、それだけで命が無い・・・・。


DSC04227




↓ 「へい禁罰」の説明。独居房とは、また違う懲罰の所のようだ。

DSC04228

↓ 房につながれる囚人。

DSC04229























博物館網走監獄 見学3

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、「博物館網走監獄」の見学。 
 正門をくぐり「本館」内部を見学。一旦、外に出る。ゆるやかな斜面に沿って建物が配置されているが、斜め下の方向に別の小さい建物が点在している。
 かつての「獄舎」は、本館の更に裏手、斜面の上にある。


DSC04193

 ↓ 本館の斜め下にお堂のような建物がある。講堂、教会堂のような建物だ。瓦葺で木造である。
   道東、オホーツク沿岸は秋を迎えている。すでに紅葉、黄葉がほんのり始まっている。関東地方では11月中旬くらいか。約二か月違うということになるが、単純には比較できない。この地方は、朝晩の寒暖差が大きいので、葉が色づくのも早いのだろう。

DSC04194

↓ 細長い建物は「教誨堂」であった。
  悔い改める場所という意味だろうか。 内部にある、その説明。

DSC04196

江戸時代のように単に、罪人を懲らしめる場所では無いそうです。



  
DSC04195

 一番奥には、祭壇がある。宗教施設のようだ。仏教、キリスト教などにも対応していた。通常の寺院、神社では、祭壇は撮影禁止だろう。しかし、ここはあくまで博物館であり、宗教施設では無く、現役の刑務所の教誨施設ではないので、撮影をした。
 現在は信仰はされていないので、見本だと思うが、仏像が安置されていた。
 「教誨」というと、死刑囚に対して、特に死の直前、つまり刑の執行直前に教誨師が話し、諭すことを指すものだとイメージする。しかし、ここで死刑執行はされていないだろう。あくまで、刑務所であるので。
 むしろ殺人などを犯した犯人に、犠牲者の霊を弔い、悔い改めさせるための教育の場であったのだろう。
DSC04197

 内部は板張りでガラス窓がずらりと並んでいる。「教誨」ではなく、「教会堂」のような建物だ。
DSC04198


出入口の部分。教え諭すような額が飾ってある。

DSC04199


↓ 「教誨堂」の隣には、独房がある。小さい独立した建物。


DSC04203


ひとつの房(ぼう)は、厳重な木戸が。内部は相当に暗いであろう。江戸時代の座敷牢のような・・・。
しかし、座敷牢を見たことも、体験したことありません(笑)。

DSC04201


 もうひとつの独立した房は、鉄格子が。木戸よりも光が入る。なんとなく、心理的に安心できる感じです。
中には、人形が置いてある。座っていることができるだけ、まだマシか・・・。
 とあるドラマで見たが、ある共産党の国では、ナントカ改造所があり、ここに送り込まれた囚人の様子が描写されていた。しかし、裁判によって送りこまれたのではない、身柄を拘束されて、何かの集会のような場で吊るし上げにされ、そのまま列車で送り込まれたのだ。独房では、立ったままで、座ることができない房に入れられるシーンがあった。そのドラマを連想したが、立ったままではなく、座ることは許されたようである。


DSC04202



更にもうひとつ、レンガ造で内部が木の牢獄があった。「独居房」という。
個室の離れみたいな所かな・・・・(苦笑)。
DSC04205



「独居房」は、懲罰されるための所であった・・・・。決して個室では無い・・・・。
説明によると重湯のみで7日過ごしたしたよう?。重湯は何のことか分からないが・・・。
独りならば、まだよいが、食事制限もあるので、ホントに懲罰ですね。これは(苦笑)。

DSC04200


「独居房」の更に上の斜面には、浴場があった。煙突がでている。


DSC04207


↓ 浴場の説明。
もちろん、毎日入れる訳ではない。

DSC04208

↓入浴の様子が、人形で再現されている。
もちろん、監視付き。刺青のある人形も・・・・。

DSC04209

↓ 脱衣所。温泉場のように、カゴは無い。(当たり前だが)

DSC04210

↓見学通路の前列から入浴の様子。


DSC04211


↓ 説明。

DSC04212

やはり、私語は禁止で、「あ~、いい湯だな~。」というのは出来なかった模様。
一回あたり、15分で脱いで、入って、着衣して。慌ただしい。


DSC04213

浴場を出て、次の見学場所へ歩く。並木の歩道が美しい。
初秋の風景だ。

DSC04214

↓ 敷地の上の場所、獄舎にやってきた。
これから「入獄」です(笑)。

DSC04215










博物館網走監獄 見学2

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、湖沿いの丘の中腹にある「博物館網走監獄」。すでに日は傾き、夕刻の時間帯の見学である。 閉館時刻は18時まで。

↓ 本館の前から、坂の下の方向を見る。今しがたくぐってきたレンガ造の門がある。


DSC04192

↓ 本館の前から、横に行く道。別の展示施設がある。

DSC04179

 
 さて、本館に入る。実際に昭和の後期まで使用されていた「旧庁舎」だ。

DSC04180

 ↓ 本館の内部。写真パネルが床に置いてあり、順番に説明を見ていく。


DSC04183

↓ 監獄の始まりから。
要は、安い労働力を使って、開拓を進めるということだ。
そのために囚人を使うのだ。いつ、なんどき罪人にされてしまうか分からない。
結構、そのヘン、いい加減だったと思うな・・・・。袖の下にナントカできれば罪を逃れたり・・・・。

DSC04181

↓ 監獄というか、集治監というか、現在でいう刑務所の設置に関する文書の展示だったと思います。
「明治17年×月 監獄局長 石井××」とある。


DSC04182

 実際のところ、徒刑の人達は何の罪を犯した人なのか?。幕末から明治時代の初めの混乱で政治犯、各地での元・反乱兵だったのか。単に、現在でいう強盗、窃盗、その他の犯罪を犯した人だったのか?。都合のよい流刑だったのか。
DSC04184


↓ 開拓の様子。屯田兵に先駆けて、囚人を使役したのだ。より多くの罪人を「造りだし」、北の果ての監獄に送り込めば、労働力が増す。道路や鉄道の工期も短くなる。

DSC04185

 釧路にもあった。というか、元々、釧路に「集治監」ができて、その後に網走に開設されたらしい。
別のボードには「樺戸集治監」について写真と説明があった。
 石狩川のほとりに設置された監獄で、北海道の最初の監獄で中心となるべきところであったようだ。
開拓が進むにつれて、釧路、網走と次々に設置されていった・・・・。

DSC04186

↓ 解説板。
DSC04187

↓ 釧路の監獄署?。

DSC04188


看守長の辞令。

DSC04189


 本物の網走監獄の写真。 ↓
 低地にある。現在博物館のある丘の上あったのでは無い。
先程、車で通った大曲地区にあって、現在でも刑務所がある。放射状に獄舎が伸びているし、丘の上から監視している。


DSC04190


本館の内部。部屋の端の方には、「典獄」の人形による解説があった。音声が流れる。
囚人の気分で聞きます(笑)。

DSC04191









「博物館 網走監獄」 見学1

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、湖沿いの丘の中腹に「博物館網走監獄」がある。駐車場に進んで行くと、奥の第二Pに誘導される。車を停めてみると、こちらの方が入場までの段差がなく、入口までの距離が近いらしい。すでに日は傾き、夕刻となっている。駐車場もだいぶすいてきているようだ。中国人の団体のパスも停まっている。
 閉館時刻は18時なので遅くまで開いている。秋分の日も近い(翌々日だったかな?)ので、日没時刻も早くなっている。この日の網走地方の日没は17時20分くらいだった。北国の日は短い。閉館時刻には、真っ暗になってしまうということだ。

 ↓ 博物館 網走監獄の門。鉄柵の門だ。

DSC04167

 ↓ 門の前から、第一駐車場を見る。やや距離があり、階段がある。
   池があり、橋がかかっている。パンフレットによると「鏡橋」という橋だ。「自分を見つめなおす橋」という意味とのこと。

DSC04168

 受付で北海道旅行券を提示して入場券を買う。「どこから来たか?」と聞かれた。旅行券の裏には住所と氏名を書くのだが、そこまでは求められなかった。
 ↓ 展示がリニューアルしたようだ。

DSC04169

 ↓ 博物館 網走監獄の門の説明。元々別のところの門であった。
   「監獄」そのものの門ではない。鉄柵なので、容易に脱走できてしまうので。「二見が岡農場の門」であったと解説板にある。監獄の附属農場であったそうだ。説明によると、門自体は復元であるよう。 

DSC04170

 さあ、門入って、更にレンガ造りの監獄の門をくぐり、本館へ歩く。
 門の前には、制服姿の守衛がいて、こちらをジロリと睨んでいる・・・・・(笑)。もう一人は、掃除係かな(笑)。
 西日にあたって、黄昏ている・・・・・。
DSC04172

 本物の監獄はここではなく、先にナビの地図の表示にあったように大曲地区に、明治の昔から現在にいたるまであったようだ。当時の監獄の写真も展示があったが、低地の湖と海に挟まれた地域の立地のようだった。
 ここは「地獄への一丁目、網走の外れ、番地の無い所、その名も網走監獄」のあった場所と思っていた。しかし、ここはあくまで「博物館」であり、森を切り開いて新たに建設し、監獄の建物を移築したことがわかった。
 明治時代の解説当初、囚人が脱走しにくいように、山の上(というか、丘の中腹)のこの地にあえて建築したのかと思ったが、全くの誤解だった(笑)。
 だから、「博物館 網走監獄」なのだ。愛知県の「明治村」のような感じということになる。「監獄テーマパーク」というのは、言い過ぎか。

 守衛ともう一人の掃除係?も共に人形。

DSC04174


 ↓ 中には、人形がある。面会人の待合室。

DSC04175

↓ 中には、人形がある。看守の控え室。守衛ではなく「看守」といったようだ。つまり「獄吏」です。怖~。

DSC04176

 本館に入る。「旧庁舎」だ。内部は資料室になっている。まずは、ここから見学する。

DSC04177

 庁舎の説明。「擬洋風建築」で「明治45年に建築」されたとある。

DSC04178


留辺蘂~北見~網走 ドライブ

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 北見市留辺蘂(るべしべ)にある「道の駅おんねゆ」、山の水族館を見学し、道の駅のお店を少しばかり見て車に戻った。ツレは、まだお店を「物色」している(笑)。
 次なる目的地は「網走監獄」。別に刑務所に入所希望という訳では無く、施設見学のためです(笑)。
 網走に行く前、時間があれば能取湖の「サンゴ草」が見ごろのようなので、寄ってみるつもり。網走監獄に行くとしても、さほど遠回りとならないようなので。

 ↓ 出発直前、雲の合間から太陽光線が差し込む。神々しい。
DSC04157

 ↓ 出発直前、雲の合間から太陽光線が差し込む様子。石北峠、東側の方向を撮影。
   たくさん車が停まっている。


DSC04156

↓ 石北峠で買ったザンギを食べる。これが、ボクの出発準備だ(笑)。
  ここに到着~山の水族館~、と食べるヒマが無かった(笑)。
IMG_2768

 実は「ザンギ」については、今回の旅行に際して購入したガイドブックを読むまで知らなかった。というか、昔は知っていたが、忘れていたのかも・・・。実際に食べてみると、衣のデカイトリの唐揚げで特別な「何か」は無い模様・・・・。小麦をタップリつけて衣をデカクして揚げたのかな・・・・?。

 山の水族館、道の駅P(駐車場)を出発。国道にを北見市市街地の方向に、まっすぐの道を進む。すぐに、留辺蘂の街へ。留辺蘂からは、鉄道線路と並走する。層雲峡の手前、上川町まで鉄道線路が国道と併走していたが、線路は紋別への自動車専用道路と同じ方向に向かっていた。国道は、層雲峡~石北峠経由なので、鉄道とは久々の会同。
 
 ↓ 沿道の風景。


DSC04160

 ひたすら、国道を走る。北見の市街地近くになると、道路二車線になり、信号も多くなる。温根湯から北見市街地の手前まで、信号機はほとんど無かった。もちろん、留辺蘂の街の中などではあったが。
 北見市街地の付近になると、いわゆるロードサイドの郊外店もある。日本のどこの街の郊外にもある風景。
 と、沿道に北見工業高校がある。ラグビーが強いようだ。横断幕というか、応援の幕が貼ってあった。しばらく国道を行くと(走ると)、北見駅前に出た。駅の周囲は、ビジネスホテルもある。
 更に進むと、その先に北見商業高校もある。制服を来た高校生が歩道を歩いている。商業高校の生徒であろう。祝日であるが、部活なのだろうか。
 すると、工業高校と商業高校の間は相当距離がある。工業は北見駅を中心とする市街地の西に、商業は市街地の東にある。両校の距離は、10キロ以上あるだろう。普通科高校も学区というか、通学範囲も広そうだ。ある子は、温根湯よりも更に石北峠に近い所から通学、ある子は北見市の網走寄り、旧常呂町のエリアから通学。2人の子の家の距離、80キロメートルというのは、ザラにありそうだ。
 商業高校の手前、市街地に近い場所は「北見工業大学」もあった。

 ↓ 北見市街地よりも手前(温根湯より見て)の道路。
DSC04161

 ↓ 北見駅前の信号で停止した。

DSC04162

 ↓ 駅前の交差点。北見のメインストリートであろう。
   国道の沿道を見る限り、道を歩いている人は多くない。


DSC04163

 北見市街を過ぎ、商業高校を過ぎると道は再び郊外の広々とした土地を通る。合併前は端野町といったようだ。天気は晴れだが、時折雨もパラついてきた。

 ↓ 旧端野町の風景。

DSC04164

 再び信号はなくなり、スピードが出る道となる。やがて、能取湖方面へと曲がる。緋牛内付近である。「ひうしない」という。実は道路地図には「網走道路」と表示あるが、実際の道路看板は別の地元の地名が書いてあり、分りにくい。「能取湖」とも書いていないし・・・・。

 ↓ 旧端野町のエリア、とある沿道の風景。 
DSC04165

 平地の道を離れ、山の中に道を走る。やがて丘の道となり、起伏のある道を上下しながら進む。道の両側は林と畑と牧場などがある。
 あとで気付いたが能取湖方面への道は、交差点を見落として通り過ぎてしまった。道路看板もあったが、別の地名で気付かなかった・・・・。
 丘の起伏のある道の、とある交差点を左に進む必要があったようだが、分からなかった・・・・・。看板には「能取湖」と書いていないため、初めて走る私には分からない・・・・。
 やがて、道は丘を下り、右手に林の合間から水面が見えて来た。網走湖のほとり道となったのだ。右手に湖水を見ながら道は進む。時間もないので「サンゴ草」は、急きょ取りやめ。先週地元(神奈川)のラジオでも「見頃を迎えた。」といっていたが、仕方ないっす(涙)。
 湖岸の道路は、やがて能取湖方面から来た国道と合流し、市内へ走る。引き続き網走湖のほとりの道だ。湖は、緑の深い森に面している。市街地に近いところとは思えないくらい静かだ。網走湖温泉のホテルと思われる建物が緑の森の中に見えるが、人家は無い。やがて、湖のむこうの丘の上に電波塔が見えてきた。網走監獄はその近くと思われる。
 網走市大曲の近くの交差点で右折する。ナビの地図には「網走刑務所」の表示がでている。本物の刑務所は、今も網走の市街地郊外、国道近くの敷地にあるのだ。
 湖沿いの道から、看板に従い、すぐに丘の上へ行く道へ曲がる。坂道を登ると「網走監獄」の看板と入口がみえた。
 温根湯から、網走まで一時間半以上かかる。思ったよりも時間がかかった。一時間と少しで到着できると思ったが、思ったよりも距離があった。







道の駅おんねゆ 買い物、休憩 (北見市留辺蘂町)

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。 道の駅おんねゆ 買い物、休憩 (北見市留辺蘂町)
  
 話題の「山の水族館」のある「道の駅おんねゆ」。北見市留辺蘂町にある。
 山の水族館と廊下で接続している物産の展示販売館に移動する。
 水族館の出口の看板に沿って、廊下を進むと、おみやげ売り場に出る。その先には、更に道の駅の建物が続いている。


DSC04140

 ↓ 横に長い道の駅の建物。

DSC04139

 内部の様子。 木製の内装。材木がむき出しになっている。「木材」のまち、留辺蘂の特長をよく生かした建物となっている。

DSC04135


 山の水族館と物産の販売館に移動する合間にある建物。外からみると昔の馬とソリが模型で再現されている。ガラス窓の外から眺めて見学するのみ。

DSC04141


 ↓ 写真の右が水族館の入口、廊下でつながっていて、冬期の積雪時は移動に便利だ。
   外に出ることなく、販売館に移動することが出来る。

DSC04145

 販売館のお店の建物の方が水族館の展示スペースよりも大きい(床面積が広い)のでは?。
 販売館は、道の駅のメインの売店ですね。

 ↓ 先ほどから目立つ塔。留辺蘂は、からくり時計で有名らしい。人形時計になっている。

DSC04148

 人形時計が1時間毎に動くもようだ。14時30分の時点では、水族館を見終えて、外にいたのだが、「毎時30分の時点」では作動しなかった。空振りした(笑)。
 毎時00分でないと、人形は作動しない模様だ・・・・。そのため、時間の関係で見れずしまい・・・・、仕方無い。

DSC04136

↓ 塔の内部の階段を登って、人形の所まで行くことが出来る。
  一階から上に登る階段。


DSC04137

 ↓ 塔の内部の階段を登って、人形の所まで行くことが出来る。


DSC04138

 目を転じると、水族館の裏手の方向には、温根湯温泉の宿泊施設も見える。緑の豊かな温根湯の丘陵地帯と公園内の芝生の緑が鮮やかだ。
 天候はというと、午後になり時間が進むにつれて雲が多くなってきた。気候の変化は「大陸的」だ。変わりやすい。冬はマイナス20度が連日続くのだろう、厳しい極寒の地となる。

DSC04154

 続いて、道の駅のP(駐車場)のほうの店行く。通常、道の駅の建物はひとつで、その内部に売店がある。しかし、ここでは、Pの中心部に休憩施設があり、お店はPの端にいくつかある。3軒くらい。ドライブインのような感じ。
 ↓ 駐車場の真ん中にある建物。ここに売店は無い。

DSC04152

 かまぼこ型の屋根のお店が軒を連ねている。

DSC04155

 「からくり王国」と大きな文字。「からくり人形時計」からネーミングしているのだろうか。
 お店ごとに農産物、食品、おみやげ、スナック、ソフトクリームなどを販売している。と、店頭には、タマネギが山積みされて販売されている。
 と、農家の人が、軽トラでやって来て、お店の前に停めてたまねぎをどっさりもってきて補充している。お値段は、10キロで700くらいと安い。重いので買わなかったが・・・・。さすがに自宅までは持って帰れないです(笑)。
 この付近では、たまねぎの収穫時期を迎えているようだ。先程、石北峠を下り、温根湯に至る道の両側でも、タマネギを畑で乾燥させている風景を見たばかりだ。

 反対にじゃがいもの販売は見なかった。(売っていたかもしれないが、たまねぎのように大量売りはしていなかった。)
 さて、私はお店で「ザンギ」と「焼きとうもろこし」を買った。

DSC04158

 たまねぎが山積みされている店頭の様子。

DSC04159


 焼きとうもろこしは、出発後に運転しながら少し食べる。北海道の食べ物と言えば、コレ。焼きとうもろこしは甘いが、これは、砂糖水を塗って味付けしいるからであろう。
 おいしく感じるがこれは誤解だ。実際何もつけないと甘くはない。モチロンとうもろこしそのものの甘みもあるのだが、調味料でおいしいと感じてしまうだけかも。最近、(年を取った)薄味好みのボクには、あまり合わなかった・・・。
 ↓ 出発直前、雲の合間から太陽光線が差し込む。神々しい。

DSC04156

 ↓ 出発直前、雲の合間から太陽光線が差し込む様子。石北峠、西側の方向を撮影。


DSC04157

北の大地の水族館「山の水族館」 見学3(最終)

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
 北の大地の水族館「山の水族館」 見学3(最終)
  
 温根湯(おんねゆ)の道の駅、広いの敷地の一角にある「山の水族館」に入館した。

 サケ→イトウ→熱帯魚と順番に水槽を見て、一旦、水槽展示エリアの外に出た。エントランス部分に戻って来る。子供達は、さっさと見てエントランス部分にあるタツチプールなどのコーナーにいた。子供達は15分もかからないで館内を見たのではないだろうか。元々「山の水族館に行きたい。」と言ったのは、子供達の方だったのに・・・・。
 私は、もっとじっくり見たので20分くらいは見ていた。しかし、順路をすべて見て水槽展示エリアの外に出たとき 「えっ、もう終わり?」と一瞬思った・・・・・・。同じように感じた人は多いと思う。思ったよりも小規模の水族館だった
  
 行動展示方式のパイプの水槽。記念撮影コーナーとなっていた。↓
 パネルを見て気付いたが名称は「山の水族館」では無い。「北の大地の水族館」となっている。しかし「山の水族館」の呼称が一般的なようだ。決して山の中の水族館では無いが。付近は山にかこまれた平地なんだな・・・・・・・と理解した(笑)。

DSC04125

 見学所要時間は短いものの、ここ「山の水族館」には順路はある。順路を通ってそのまま、退館して出口に・・・・、ではない。エントランスに戻って来ると再度、順路に従って見ることは可能。つまり、自由に何回でも見学できる。

  ↓ 水槽展示コーナーの入口にある「滝壺の水槽」は滝壺の様子を再現したそうだ。
    順路を進もうとすると、まずこの水槽がある。水槽の右手に進むと例のサケの水槽がある。

DSC04133

↓ パイプの水槽。

DSC04122


↓ パイプの水槽の上部。カラフルな熱帯魚が泳いでいる。

DSC04130



↓ タッチプールの水槽はいくつかある。
DSC04123

ドクターフイッシユもある。

DSC04124

 ↓ タッチプールには、子供達が集まっている。ウチの子も熱心に触っている(笑)。
   エントランス中央には、三角形の水槽が・・・・(写真手前)。

DSC04126

 三角形の水槽の中には、金魚が泳いでいて、ミラーで反射する万華鏡のようになっていた。

DSC04127

 水槽にいる魚の解説。
 レッド・ソードテール、ブラティ、クラウン・ローチ、ディスカス、パキスタン・ローチ・・・などとと書いてある。
 「ディスカス」は有名だ。「熱帯魚の王様」と呼ばれることもあるし。

DSC04131


 ↓ 壁に展示のあった写真コンクールの作品。

DSC04134


↓ エントランスの様子。左手が滝壺の水槽、その奥にサケの水槽と順路が続く。
  写真奥が、入口とチケット売り場。時計は午後2時20分、見学に20分もかかっていなかった・・・。
  写真右は、出口への廊下がある。

DSC04128


 廊下を歩くと、続いて、みやげ物店につながっている。店の建物の方が展示スペースよりも大きいのでは?。
 道の駅の売店もかねているような感じ。

DSC04135

 

北の大地の水族館「山の水族館」 見学2 (イトウ大水槽など)

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
 北の大地の水族館「山の水族館」 見学2 (イトウ大水槽など)

 北見市留辺蘂町温根湯にある「山の水族館」にやって来た。今、話題の水族館だ。
 サケの泳ぐ様子を見て、続いての水槽に移動する。
 ここ山の水族館の目玉「イトウ大水槽」がある。

DSC04111

 ほほう、これが幻の魚といわれる「イトウ」なのか・・・。しげしげと見つめる。人間が食べることもあるそうだが、私は食べたことは無い。現在では食用禁止?か食用の流通は限られる?。
 サケに似ている。サケに比べてイトウは大きいし、動きがあまり無いもよう。


DSC04112

 説明によると幌加内のダム湖にも生息しているそうだ。すると、この付近の河川には生息していないのだろうか。感じでは「魚」に「鬼」。
 清流の上流や水のきれいな沼沢に生息しているのかも知れないと思った。

DSC04109

 水中のヒョウのような顔つき。サケと比べて斑点が特徴だ。
 お顔の様子はサケと比較すると穏やかだ。海に下って、回遊して戻って来るサケとは異なり、淡水で生息するから、顔立ちは違うのであろう。

DSC04110

 泳ぐイトウの群れ。動きはゆっくりしている。サケのようにせっかち感がない。沼沢や川でゆったり泳ぐのだろうか。漢字で書く「魚」+「鬼」の文字が示すように、どっしりとした感じ。
 このイトウの水槽の真ん中には、枯れた木が沈めてある。川底を再現しているのであろう。

DSC04113

 イトウ大水槽の様子。サケの水槽と異なり、屋外と接続している水槽ではない。室内にある半円形の水槽。意外にも水槽は大きくはない。
「大水槽」というと、アクリル面がタテヨコ、ワイドに広がっている某大水族館の水槽を思いだすが、ここでは違う。
 
DSC04114

↓ ゴリの展示。

DSC04104


 ↓ 北海道にはサンシヨウウオがいた。「エゾサンショウウオ」
   中国地方など西日本だけではない。
   もっとも、箱根にもサンショウウオがいるのであるが。

DSC04105

↓ 小さいながらもエゾサンショウウオがいる。

DSC04106

 ↓ ベニサケの説明。

DSC04107

 ヒメマス。 海に下りサケになって戻って来るとは到底信じられないが、有名な話。一度は聞いたことがあるお話だ。
 ヤマメはシロザケに。ヤマメは、日本の川には多く生息している魚。川に下れば、サケになって戻って来る。
 本当に不思議だ。

DSC04108

 ↓ 川をさかのぼる様子の水槽(だったと思う)。

DSC04115

 ↓ 出ました。アロワナ。

DSC04116

 ↓ 中国語での漢字説明もある。団体でもここにやって来るのであろう。中国人は淡水魚がなじみ易いことも理由のひとつか。特にアロワナはお金、金運をもたらす幸福の魚として大人気であろう。

DSC04117

 ↓ 「おんねゆ」ならではの温泉の水を利用して熱帯魚も展示している。
   熱帯魚コーナーは一般的な水族館と変わらないかも。

DSC04118


DSC04120

 ↓ アフリカのお魚もいる。

DSC04121

 一旦出口に。
 水槽の水が透明なので、熱帯魚が浮いているかのようだ。
 水槽の先の木目の壁の部屋は、先ほど入館したエントランスホール。


DSC04119


北の大地の水族館「山の水族館」 見学1(入館とサケの水槽)

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
 北の大地の水族館「山の水族館」 見学1(入館とサケの水槽)

 温根湯(おんねゆ)の道の駅広いの敷地の一角にある山の水族館に入館する。
 例の「北海道旅行券」で入場券を購入した。

↓ 水族館は平屋の建物だった。意外にもこじんまりとしている。

DSC04142

 水族館の入口付近。入口の手前には、水路が流れ橋がかかっている。イトウのいる水槽に続く水路かと思った。写真ではすいているよう見えるが、入館するときは、少しばかり行列していた。連休中、賑わっている。

DSC04143

↓ 水族館横の水路の様子。水路に沿って低い位置にガラス窓があるので、その部分が水槽のようだ。
  窓が分厚い。冬の厳しい気候がうかがえる。

DSC04091

↓ 水族館の入口付近。木目の内装でいかにも「山の中にある水族館」という感じ(笑)。
  写真では誰も写っていないが、本当は混雑していて、人がいなくなった一瞬のスキに撮影した。

DSC04095


 入って順路に沿って、進行方向右に進んで行くと、サケのいる水槽がある。屋外からも見ることができる水槽だった。水槽自体は外にあって、建物の窓をから水槽の内部を見る感じ。
 この水族館「目玉の水槽」だが、意外と水槽の規模小さい。段差のある展示室になっていて、混雑しても後列から水槽の様子を観察できるようになっている。

DSC04096

 水槽には、流れがある。小さい魚はヤマメでしょうか。


DSC04097

 ↓ 魚の説明。ヤマメ、アメマス、ニジマス、ミヤベイワナなどがいる。

DSC04098

 サケとイワナ?が川の流れに逆らってたたずんでいる。

DSC04099

 水面の上の様子。先程館外から見た盛り土の上が池になっている。



DSC04100

 ↓ 命が尽きたサケがそのまま展示してあった。産卵をして力尽きたメスのサケ。
   すべてを出し尽くしたような表情だ・・・・。「すべては終わった」のだ・・・・。鱗の色はかなり変色している。緑というか、血の赤が混じった色というか、茶色というか・・・・、命のはかさなを感じる。

DSC04101

 ↓ 温度計によるとこのときの気温は23度。夏を思わせる暑さだ。9月下旬の北海道でこの気温は意外だった。
   半袖でちょうどよい気温。実をいうと、半袖は、必要無いと思い、持ってきていないのだ・・・・。

  サケの口元についての解説が掲示してある。
  サケが水槽に入ったのは、最近のことのようだ。9月になって、ようやくサケが海から川に戻ってきたということだろう。すると、夏の時期だとサケは水槽にいないことになる。
 オスのサケの口元は曲がっていることの解説。海にいる間は口元にオスとメスの変化はあまり無いそうだ。川に入る直前で口元が曲がるそうだ。川に戻り、産卵時期に入るので、オスとメスの区別をしやすくする、本能だろうか。 

DSC04102

 ↓ 後列の段から、水槽の様子と外の様子。

DSC04103

  ↓ サケの水槽の盛り土。この内側がサケの水槽というか、池になっている。

DSC04144

 次に室内を進むとイトウの水槽があった。

道の駅おんねゆ、山の水族館(北見市留辺蘂町) 到着

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
 道の駅おんねゆ、山の水族館(北見市留辺蘂町) 到着

 北見市留辺蘂町温根湯(るべしべまち おんねゆ)の「道の駅おんねゆ」の敷地内にある山の水族館に到着した。(西日本ではないので「町」は「ちょう」とは読まないはず。)

 道の駅内、水族館の近くのP(駐車場)は、なんと満車。停める所が無いのだ・・・・。少し移動して道の駅の別の広いPに車をとめる。
 Pは広いが意外にも空いていない・・・。水族館には遠い場所に停めて、水族館まで道の駅の広い公園のような敷地を歩く。
 広い道の駅の敷地の一角に水族館があるのだ。独立した敷地の水族館ではなく、道の駅の中にある施設であった。
 水族館の受付では、例の「北海道旅行券」で入場券を購入した。

 ↓ 水族館側から、Pの方向。たくさん車が停まっている。

DSC04147

↓ 山の水族館の建物。思ったよりも、こじんまりとしている。
  道の駅の敷地があまりに広いため、余計に小さく見えてしまう・・・。
  「北の大地の水族館」の、のぼりがいくつもはためている。

DSC04146

↓ 水族館の建物から、塔と道の駅の建物。
  「山の水族館」の、のぼりがいくつもはためている。

DSC04089










石北峠~温根湯「道の駅おんねゆ」(北見市留辺蘂町) 到着

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
 石北峠~温根湯「道の駅おんねゆ」(北見市留辺蘂町) 到着

 石北峠を出発した。峠の少し先では「温根湯まで38キロ」と看板に表示されていた。この距離、つまるところ「山の水族館」までの距離のことだ(笑)。
 峠を境に急に下り坂の道になる。峠の先より北見市に入る。峠の看板にもあったように、ここから女満別近くまでが北見市の市域だ。とても広~い。
 道路は峠から大きくカーブ描いて下っている。下り坂ではあるが、ここは広大な北海道、箱根の山道よりもカーブは緩やかなので運転は楽だ。

 ↓ 留辺蘂(温根湯)に向かう途中の風景。カーブの続く山道を下ると、やがてまっすぐの下り坂になる。
  道の両側には、白樺などの密林がずっと続いている。道路端を示す「 ↓ 」の標識が、豪雪地帯であることを物語っている。

DSC04082

 白樺、針葉樹林の中のまっすぐの道を進む。途中、大きな「北きつね牧場」とある看板がでている。随分と古い看板だった。温根湯の(牧場の)ことかな、と思ったが、この看板の「牧場」は石北峠から下り坂を走り、人家がまだない林の中の地域にあった。しかし、牧場の建物は廃墟でもぬけの殻であった。随分と昔に閉鎖されて放置されていた。現在では閉鎖されているが、昔は賑わったことであろう。高度経済成長期、団体などの観光客が多く訪れたのではないか?。しかし、今は昔のこと。景気の悪化、過疎化、少子高齢化などの理由によって、観光客は減少し、やがて閉鎖されたのであろう。北の地の厳しい現状を見るような気がした・・・・。

DSC04083

 道の両側が開けて来た。丘陵地帯の合間の道となった。
DSC04084

 やがて畑、牧草地が見えてきた。標高も低くなり、家も点在するエリアに入って行く。

DSC04085

 
 道の脇の畑には、立方体のケージが何個か置いてある。「たまねぎ」だ。収穫が終わり土になった畑にケージを置いて、その中でたまねぎを乾燥させている。
 道路沿いに見た限りでは麦畑は、ないようだ。北海道の麦は、春にまいて秋に収穫するのではなかったかと思ったが・・・・。違うようだ。
 オホーツク海に向かうこの道の付近では、稲作はない。石北峠を境に稲作地帯と畑作地帯と劇的に作物が変わる。気候も劇的に変わるのだろう。ただし、途中、黄金色の稲も見たような記憶があるが、例外的な水田か陸稲だろうか。

 その他の作物として「てんさい」はないかと思ったが、ないようだ。じゃがいもの葉が見える畑もない。9月では収穫は終わっているかも。モチロン、じゃがいもの葉くらいは分かります(笑)。
 (じゃがいもについて)昔、学校では春に植え、夏前、梅雨になろうかという時期に収穫していたと記憶する。ここ北海道の地では、春か夏前に植えて8月9月に収穫と思っていたが、じゃがいも畑は沿道で見たところなかった・・・・。
 別の葉のある作物が植えてある畑がある。葉が一部黄色く枯れている。これらは、大豆であろう。

 ↓ 丘陵地帯。遠くには山々が連なる。道路脇には、とうもろこし畑が。
   丘の裾から、標高の低い土地は牧草地になっているのが、遠目に分かる。

DSC04086

 運転しながらではあるが、見たところ温根湯に至る道では、たまねぎ、大豆の栽培が中心ということであろうか。上の写真のように、とうもろこしもあった。ちょうど実りの時期のようだ。山肌を開墾し牧場、牧草地になっている風景も見える。左右、周囲の山はなだらかに丘のように続いている。

 さて、レンタカーは、どんどん進む。周囲には丸屋根、四角い形状の民家が点在している。道は、ひたすら真っすぐだ。信号もない。道の先には、山が開けている。

 ↓ 進行方向。北見市街の方向。
   青空と雲が広がる。綿のような雲が浮かんでいる。雲が低い。視界が広いからだろうか。

DSC04087

 ↓ 牧草地。奥の丘陵の上の部分にも牧草地の緑が広がる。

DSC04088

 留辺蘂は「るししべ」と誤解していた。「るべしべ」が正しい。以前は独立した町だったが、合併して「北見市」となっている。 山の水族館は、旧留辺蘂町温根湯にある。「おんねとう」と思っていたが、「おんねゆ」というようだ。北海道には「××トー」という地名もあるため、誤解をしていた。 
 「道の駅おんねゆ」と看板が出ているのが見えた。
 温根湯(おんねゆ)の街は、旧留辺蘂(るべしべ)町の中心部よりも2~3キロ、石北峠からみて手前にある。
 道の駅おんねゆに到着して、車を停めた。思ったよりも混雑していた。
 

↓ 水族館の建物から、塔と道の駅の建物。
実は、写真の奥に三角形の山が小さく写り込んでいる。

DSC04089


↓ 実は、道の駅や水族館の敷地から元来た方向(西側)を見ると、三角の形をした山が目立つ。
  走って来るときは気づかなかった・・・・。運転していれば、確かに気付かないかも・・・。
  まるでピラミッドのような人工的な形をした山だ。何かのパワースポットかな??と思ってしまった。
 大和三山のようにも見えるが、人工的な山容ではない。(ボクは大和三山は、一部人工的に築かれていると思っている。)すると、秋田県の「大湯環状列石遺跡」から見えた三角形の山のようだ。古代、大湯の人はあの三角山を信仰(アニミズムのような原始宗教だろうが)の対象として崇めたと一目で確信した(根拠なし!!。)。
  道路地図を見ると「北見富士」という山らしい。標高は1200メートルもある。古代の人が人工的に山容を形成するには、余りに高い山だ。

DSC04090








石北峠 眺望とドライブイン、休憩 (北海道旅行)

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 石北峠にやってきた。ここより東は「道東」となる。北海道をふたつに分ける大山脈の峠だ。
  

DSC04071

 峠の標識。眺望ポイントから北見方向。山また山。

DSC04075

 ここで一旦休憩する。道路を渡って反対側には、みやげ物屋がある。食堂も併設され、簡単な食事もできるようになっていた。スナックも売っている。じゃがもち、まるもち?など。「まるもち」は、じゅがいもの中にもちが入っている。
 峠の標識というか、看板の前で記念撮影をした。峠からは、東や東北方面の眺望がきく。山並みのむこうに北見平野が見えると思ったが、意外と眺望はない・・・・・。
 本州でいうと、山梨か長野の峠と同じような眺望だ。が、北海道の山は日本アルブスのように急峻な山岳ではない。比較的なだらかな山層である。そこが、本州の山岳地域での眺望と異なる点かな?。
 周囲の木々には、白樺があるので北海道らしいが、この付近は針葉樹林が多いせいか、紅葉もまだ。標高1000メートルでも、いかに北海道といえど紅葉はまだのようだ。

 予定では、この日の昼は適当に車内で食べることにしていた。移動距離が長いもので、ゆっくり昼食を食べる時間が無い・・・・・。旭山動物園でも(時間がなく)何も買えなかったので、ここで買って一口食べて出発。
 ときに午後一時過ぎ。層雲峡から峠まで30分以上かかった。
 温根湯まで38キロと看板にでている。つまり、山の水族館までの距離だ(笑)。
DSC04072


 ↓ 売店の様子。賑わっている。

DSC04073

 ↓ 北見市の案内看板。横の長さが110キロ。つまり、ここから山の水族館を経由して、女満別空港の手前まで北見市ということになる。
   神奈川県よりも横幅は広いかも。


DSC04074

 ↓ まるもち。と峠の様子。

DSC04079

↓ 出発前、急いでまるもちを食べる。本日の昼食です(笑)。


IMG_2767

 駐車場と売店の遠景。駐車場からは道路を渡る必要がある。車は結構スピードを飛ばして走るので、道路を横断する場合は、注意が必要。
 大人の私でも怖いと思ったくらいなので、子供が横断する際には、十分な注意が必要。

DSC04080

 ↓ (再掲) 再び石北峠の駐車場に戻り、車の中でまるもちを食べ、出発。
DSC04069

 道路は峠から大きくカーブ描いて下っている。東の方向は、はるかにオホーツクの海がある。(筈) 山また山が連なっている。

 ↓ 留辺蘂に向かう途中の風景。
DSC04081





プロフィール

りょうげつ

カテゴリー
  • ライブドアブログ