良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

徳川美術館・徳川園

 

徳川園ショップ「葵」 お買い物

 2017年10月8日、秋の三連休、名古屋市の徳川園と徳川美術館

 名古屋市東区にある徳川美術館にやってきた。
 今回は、妻を連れての訪問。何回も(このブログの記事で)書いているが、妻は美術館には、あまり興味が無い(苦笑)。よって、私が車を停めている間、妻は入場券を買う前に、ショップをしっかりと見ていた。それでもって私がやって来ると「庭園と共通券がいいの?。150円プラスで庭園にも入れるから得だよ。」と言う。まだ券を買っていないのだ・・・・あらかじめ言っておいたのに・・・・(苦笑)。私は「庭園は以前行ったことがあるから、今回は、行かない。今回は、美術館のみにする。」と言ってあったのに。本当に人の話を聞かない・・・・(苦笑)。

  気持ちの良い秋晴れの日、といってもまだ木々の緑は夏の装い。
  ショップの前から、徳川園の入口を振り返る。↓
 
 
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 徳川美術館よりも先に妻は、徳川園の傍らのショップを「鑑賞」した。美術館の中のミュージアムショップを先に見たのではない。もっとも徳川美術館内のミュージアムショップは、入場券を購入しないとみることは出来ない場所にあったと記憶する。.

 徳川園ショップ「葵」の入口。建物の隣、裏手が徳川園の庭園の入場口となっている。 ↓
 徳川美術館を鑑賞した後、再びショップに戻ってきて、その上でお買い物。

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 徳川園ショップ「葵」で購入した「金のカステラ」。妻がセレクトしたもの。本当にカステラに金箔がまぶしてあった。また「名古屋コーチン」の卵を使用しているそう。(多分、黄色い生地に使用しているのだと思うが。)
 「金」は名古屋城の「金のしゃちほこ」にかぶせているのかな?。
 1300円だった。
 
 
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 ↑ 一緒に写っているのは、徳川美術館の入場券と「芦雪展」の入場券。
 徳川美術館の入場券は、以前とデザインが変わっていないし、日付も入っていないので、ほっておくといつ行ったのか分からない「ただの半券」になってしまう。
 あとで、栄に移動して愛知県美術館の「長沢芦雪展」を鑑賞した。
 
 ↓ 敷地の外。西側の道路。つまり、入口の門近くの道路。
 秋の結婚式のシーズン。結婚式の参列者用の駐車場である。徳川園の中で披露宴を行っているようだ。
 下の写真の先の方向にあるコインパーキングに駐車した。

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 下側から、上の徳川園正門方向。道路を挟んで反対側には、住宅や専門学校があり、文教地区だ。
展示で見たが、かつては、この付近は 大曽根御殿の敷地の一部だった。明治以降、御殿の敷地は縮小して、農地や住宅地となり、現在は閑静な文教地区となっているのであろう。

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秋季特別展「天璋院篤姫と皇女和宮」 鑑賞3(最終) 徳川美術館

 2017年10月8日 秋季特別展「天璋院篤姫と皇女和宮」 鑑賞3(最終)  徳川美術館

 ※この記事とは別に、本日20時に徳川園のショップに関する記事を掲載します。

 名古屋市東区の徳川美術館。
 特別展の展示室。展示の途中で、パーテーションで区切られて、裏に行ける場所があった。かつての旧館の正面玄関であった。戦前の建築当時は、こちらが正面玄関だった。
 
 幕府瓦解に関する展示を続いて見ていく。
 
 江戸は無血開城され、その後徳川家が、駿河70万石に封じられたときの沙汰書の展示があった。田安家から養子に入った亀之助あらため家達に「駿河府中 七十万石・・・・」と墨書されていた。新政権の下、徳川は70万石の大名となった。家達は駿河に移り、その後明治に入ってから、上京している。再び駿河に入って、廃藩置県まで在職したようだ。
 展示は 「エピローグ 明治時代の徳川宗家-天璋院と十六代家達-」
  家達が明治2年、7歳?くらいのときの天璋院宛の書状の展示があった。まだ字を覚えたての子供の習字のような文字だ。子供の字ながら「・・・天璋院様・・・・」と丁寧なご機嫌伺いの手紙のようだ。現在の小学校1年生くらいかな。更に子供のときの家達の写真がある。 
 天璋院が書いた熱海箱根湯治日記の展示があった。このときに病気の和宮をお見舞いしていた。この後ほどなくして、和宮は若くして逝去している。

 明治16年の家達と近衛泰子の婚礼写真の掲示がある。家達は満でいうと21歳くらいかな。西洋式の礼服の恰幅のよい若い家達とおすべらかしに十二単?の着物姿の泰子の写真。「家達は欧州に留学し、帰国後、結婚した・・・」とある。天璋院も満足であったろう。養女となった近衛家の娘と結婚させることは悲願だったそうだ。のちに、二人の子の家正は、島津家の娘と結婚している。
 明治18年に天璋院死去。19年に描かれた「天璋院送葬之図」の展示があった。
 
 展示を一通り見て、退出した。出口までの廊下は結構長い。入口のエントランスまで戻ってきた。結構流して見たつもりだったが、1時間半くらいかかった。じっくり見ていれば2時間以上いたかも知れない。
 その後、退出して、外へ。
 
↓ 徳川美術館のエントランスにある、撮影可能な甲冑。
(ガラスに反射して、入口自動ドアが写り込んでいる。。。)
展示を見終えると写真左奥の通路(甲冑のガラスケースの左)から手前に出てきて、ミュージアムショップを見て退場することになる(笑)。

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↓ 自由撮影可だった、エントランスホールにあったパネル。

 
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秋季特別展「天璋院篤姫と皇女和宮」 鑑賞2 徳川美術館

 2017年10月8日 秋季特別展「天璋院篤姫と皇女和宮」 鑑賞2 徳川美術館

 名古屋市東区の徳川美術館。
 特別展の展示室へ入る。天璋院篤姫に関する展示のあとに皇女和宮に関する展示がある。

 パンフレットの拡大。天璋院と和宮の肖像写真が掲載されている。 ↓ 

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↑ 鼈甲あめのような飾りは、髪飾りの??かんざし、で実際の展示があった。
 和歌に添えて、将軍 家茂が妻和宮に直接贈ったものとのこと。

 展示の解説によると現在広く知られている皇女和宮親子内親王の写真は、本人の写真とは確定していないそうだ。おすべらかしに十二単の姿から和宮に間違いないとされているそうだ。写真は明治時代に入ってから撮影されといると思うし、うーん、たしかに明治10年に32歳の若さで没した和宮の姿にしては、年齢がやや上の感じがしていた。(あとからは、何とでも言えるのであるが・・・・。)
 別の高貴なご婦人を撮影した写真の可能性もあるようだが、没後の明治時代か大正時代から和宮様御写真として伝わったものであるという。
 よって展示品リストには「伝静寛院宮肖像写真」(額入り複製)とある。

 珍しい展示として、将軍 家茂に献上された当時のプロイセン国からの贈り物の展示があった。ドイツのコブレンツの街やライン川沿いの城などの風景を描いた磁器の透かし絵である。タイルの焼き絵のような感じである。
 鎖国の時代は終わっていたのですね。

 パンフレットの拡大。和宮の調度品などの写真が掲載されている部分。 ↓

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 和宮の江戸までの降嫁ルートのパネル展示があった。よく知られたように中山道経由だった。昔、テレビドラマで「和宮は替え玉で、別の娘が入れ替わった」というフィクションの小説を題材にしている番組を見たことがある。このときのお話を基にしているのですね。婚礼道具は、東海道経由だったと解説にあった。
 
 天璋院篤姫と皇女和宮の紹介の展示のあとは、江戸城の大奥の生活などについての展示。当時の天璋院の着物、雛飾りなどの展示があった。硯箱など日常使用していた道具や琴、孝明天皇が妹、和宮に下賜した人形の展示もある。
 書状の展示があった。和宮宛て、天璋院の書状下書もあったが、和宮に対するお礼を述べ気遣う内容であったと記憶している。直筆ではないな。
 展示は、長州征伐などの幕末たけなわの時期に移る。家茂は、たびたび上洛していた。
 家茂と和宮が江戸城でともに生活したのは2年弱であったそう。天璋院から家茂への直筆の手紙の展示があ。テレビでも紹介されたことのある手紙だったと思う。和宮から夫、家茂への手紙の展示もある。直筆は丸い、優美な文字である。「親子」と名前で署名していたかな。
 家茂から尾張藩主 徳川慶勝あての書状があった。たしか征討の総督か何かの職だったはず。「慶勝は家茂から信頼を寄せられていた・・・・。」と解説の文章があった。
 長州征伐に参加した大名各家の旗の絵図の展示があった。カラフルな絵図である。尾張徳川家の旗の絵図の展示もあった。家臣の家で保管されていたものが寄贈されたそうだ。

 次は、幕府瓦解に関する展示。
 急死した夫、家茂を悼む和宮の和歌の展示、家茂の遺品で慶勝が拝領した脇差の拵の展示があった。
 江戸開城の際にも、和宮(落飾後は静寛院宮)から公家の橋本実梁宛ての、徳川存続?を嘆願する書状の展示があった。
 
↓ 徳川美術館のエントランスにある、撮影可能な甲冑。

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秋季特別展「天璋院篤姫と皇女和宮」 鑑賞1 徳川美術館

 2017年10月8日 特別展「天璋院篤姫と皇女和宮」 鑑賞1 徳川美術館

 名古屋市東区の徳川美術館。
 第1展示室で国宝の短刀「無銘 正宗 名物庖丁正宗」を鑑賞し、第5展示室まで見てから、廊下で繋がっている蓬左文庫を見て、再び徳川美術館の建物へ。廊下の途中で
 第6展示室では、源氏物語の紹介パネルの展示。現物の展示期間ではない。今年もこれからの季節に、一部が展示されることになっている。

 特別展の展示室へ入る。前回訪問時は、「源氏物語全巻公開」のあった展示室だ。登録有形文化財に指定されている旧館だ。あのときは、最前列で絵巻を見るための行列が閉館時刻なのに伸びていたな、と思い出にひたる

 特別展「天璋院篤姫と皇女和宮」
 何年か前に某大型ドラマで放映されたテーマに似ている。私は某放送の某大型ドラマはあまり見ないのだが、篤姫のドラマは私が唯一、全部の回を見た(勿論録画も含め)某大型ドラマシリーズのドラマなのだよ。元々歴史上大変有名な人物という訳ではないが、好調な視聴率を記録したドラマと記憶している。

 展示のプロローグ
 ペルリ(ペリー)の一行が神奈川に上陸したときの絵図の展示がある。ここ徳川美術館の所蔵。ついで、福井藩主 松平慶永あての徳川斉昭の書状の展示がある。文字が大きかったり、小さかったり、丸っこい文字だ。ありふれた性格の持ち主の人物の文字ではない、激しい性格の持ち主のような文字だ。字を見ただけで激情型の人物であろうか?。「烈公とおくり名された通り、斉昭の激しい性格を現す字である・・・。」のような解説があった。

 最初は「天璋院篤姫」の展示から。
 徳川家定の肖像画がある。教科書、歴史資料集に載っているあの画像だ。描け軸のような表装である。徳川記念財団蔵とあるので、本物である。解説には 「顔に無精ひげが描かれていて生前の人物像をよく現している・・・」のような意味の文章。家定の死後に描かれた絵で、生前、家定は薄いひげを生やしていたのは事実らしい。写実的な絵だそう。最初は「家祥」だったが・・・・縁起をかついでのちに改名した、と有名なエピソードの解説もあった。
 家祥筆の絵も展示してあった。「蔓草の図」。どちらかというと、上手な部類に入る彩色の日本画だった。世子時代に描かれた作品かな。解説文があったかは、忘れたが・・・。病弱であったと説明される家定であったが絵の作品は、ごく普通であり、病弱であることは感じさせない。でも、絵のタッチは、きれいだけど女性的で男の絵としては弱弱しいな~。
 葵の御紋の入った道具の展示があった。
 続いて篤姫に関する展示と解説がある。
 明治時代の篤姫の写真の展示があった。書籍、テレビなどでおなじみの写真。徳川記念財団蔵なのでこれがオリジナルなのだろう。意外と小さい写真だ。拡大された画像のパネルが写真の上に展示されて見やすくなっていた。
 「薩州桜島真景図」 桜島の風景画。某大型ドラマの紹介コーナーでもこの絵の映像が放映されたと思う。
 晩年の篤姫がずっと手元において故郷を懐かしんだ絵ということだったが、たしかこの絵だった筈。
 
 特別展「天璋院篤姫と皇女和宮」
 子供向けのパンフレットの抜粋。大人用よりも分かりやすいかも(笑)。 ↓
 

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 「篤姫御方御由緒」 巻物の紙に書かれた墨書の由緒書き。斉彬の娘で近衛家の・・・と書いてあったかな。
 「近衛家由緒書」 近い代の近衛家の当主の名前などが書いてあったかな・・・・。
 黑い漆塗りの篤姫の婚礼調度品などの展示があった。葵の御紋がハィっている。薩摩切子のガラスのコップ、グラスのような工芸品が展示されていた。

 ↓ パンフレット抜粋。
 黑い漆塗りの篤姫の婚礼調度品、薩摩切子の写真がある。


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 次いで 皇女和宮の紹介。
 夫となった徳川家茂の肖像画の展示がある。教科書に載っている画像と同じ。徳川記念財団蔵なのでこれがオリジナルなのだろう。和宮の写真の展示がある。これも歴史資料集などで見たことがある。
 和宮降嫁のときの黒い漆塗りの調度品も展示がある。「初公開」と告知されているものもある。婚礼調度品は葵の紋が入っている。婚礼が決まってから、制作されたのだ。今回初公開なのは、お付きの女中に分け与えられ、女中の家族か、受け継いだ家族の子孫から寄贈されたかららしい。解説文があったが忘れてしまった・・・・。
 
↓ パンフレット抜粋。
 

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続いて展示を見て行く。









 

蓬左文庫 平成29年秋季特別展「大名家の御用アーティストー匠たちの技-」と徳川美術館 鑑賞

 2017年10月8日、秋の三連休。 名古屋市蓬左文庫(ほうさぶんこ)、徳川美術館

 名古屋東区 徳川美術館。前回、2015年12月の「国宝 源氏物語絵巻」全巻公開のとき以来の訪問で1年10か月ぶりである。
 
 展示室を見て、一旦廊下に。続いて、蓬左文庫の展示室へ。 広いエントランスに。床面に名古屋の城下町の絵図が描かれている。壁には大曾根御殿の絵図の複製がある。ここに来るのも3回目(笑)。今までとエントランス付近の複製絵図は変わっていないと思う。初めて来たときは、蓬左文庫(ほうさぶんこ)の読み方が分からなかったし、徳川美術館と違う施設ということも知らなかった。廊下で繋がっているし、区別がつかなかったが、今は理解できている(笑)。
 改めて床面の名古屋城下町の絵図を見る。と、現在の中央線の線路の向こう側まで城下町があったようだ。ナゴヤドーム付近から東は、畑だったようなかんじ。現在の徳川園の敷地は、かなり縮小している。かつての大曾根御殿の東は、中央線の線路にかかるか、更に先まで敷地だったようなかんじ。
 明治時代以降、近代化がすすむにつれて市街地化したようだ。特に戦後は住宅化、工場化が進んだようだ。現在の徳川園の東側、工場や学校などになっていると思われる地区でも昔は、池があったことが分かる。
 展示室内には、昔の絵図と現在の徳川園付近の地図と比較できる地図が掲示してあった。現在の徳川園の西側、つまりお城に近い方向。先程入園する前に歩いたところは、専門学校や閑静な住宅地となっているが、かつては大曾根御殿の敷地だった。やはり明治以降、屋敷とは切り離され、畑や住宅地化したのだろう。

 展示室を見る。第1展示室のガラスケースの中には、障壁画がある。以前名古屋城の天守閣内で見た重要文化財指定の障壁画と同じかは、分からない。今回の展示は名古屋城本丸御殿上洛殿襖絵の一部である。もちろん、天主閣内部で展示されていたものとは別の襖絵であろう。狩野探幽の「帝鑑図」。淡い着色の襖絵だった。中国の仙人?などの人物や木々や御殿が描いてある。解説によると「将軍 家光が上洛する際に造営した御殿の襖絵」。以前天守閣で見た本丸御殿の障壁画とはやはり別のもののようだ。
 
 徳川美術館所蔵の狩野家の絵画(絵巻物)の展示がある。解説によると探幽は、江戸に下り、鍛冶橋狩野家の初代となったそう。別の木挽町狩野家も興ったそう。江戸、現在の東京の「こびきちょう」に屋敷があったから木挽町狩野家。探幽の探雪や木挽町狩野家2代目の常信の絵巻の展示もあった。
 時代が下って描かれた「戸山荘八景図巻」の展示があった。現在の東京・新宿区の戸山公園、国立医療センター、学習院女子大付近に広大な敷地のあった、尾張藩の下屋敷、外山荘の絵図。庭園内の池、橋、築山などの風景の描写だった。画中「箱根山」(現在も遺構が戸山公園に残っているが)の描かれていなかったと思う。
 虎などの動物の絵画があった。カラフルな絵で表現されたお菓子の見本絵が描かれたの冊子があった。砂糖を使った干菓子などの絵であった。赤いお菓子あり、緑色の菓子あり、茶色い羊羹の絵などがあった。
 小さい第2展示室もあわてせ見学し、廊下を伝って、再び徳川美術館内に移動した。
 第2展示室には香合や蒔絵の文台、印籠などの小物や能面などの展示があったと記憶する。


 蓬左文庫 平成29年秋季特別展「大名家の御用アーティスト」のパンフレットの画像。 ↓

 
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「名刀物語③」の期間中 第2展示室「大名の数寄-茶の湯-」~第5展示室 鑑賞 徳川美術館

 2017年10月8日、秋の三連休。「名刀物語③」の期間中 第2展示室「大名の数寄-茶の湯-」~第5展示室  徳川美術館

 名古屋東区 徳川美術館。前回、2015年12月の「国宝 源氏物語絵巻」全巻公開のとき以来の訪問で1年10か月ぶりである。
 第1展示室の国宝「無銘 正宗 名物庖丁正宗」を鑑賞した後、隣の第2展示室に。大きな茶室.が再現されている。茶室が再現された展示室であるので、いつも来る度にここでは、茶の湯関連の展示があったと記憶する。
 第2展示室の入口には、第1展示室とは別に展示品のリストが置いてある。それによると、展示室内の茶室は
「猿面茶室」といって、戦災で焼失した国宝(恐らく旧法の国宝なので、現在でいう重要文化財に相当か。)の再現だそう。再現茶室に展示品があったかは、何故か覚えていない。壁面のガラスケースに沿って展示品を見ていく。小さい茶杓や茶入なとの展示品があった。後水尾天皇の宸筆「永 忠」の描け軸?、藤原定家の描いた絵(重要美術品)などがあった。墨蹟として古林清茂の「げ」があった。家康から尾張藩初代の義直に伝わったものであった。
 「油滴天目茶碗」の展示があった。文化財指定はない、金の時代の作品とある。建窯ではなく、有名な窯の作であった。窯の名は説明があったが忘れた・・・・。金の時代なので、南宋の建窯ではなく、金の領土の窯だった。黒い小さい茶碗で確かに茶碗には油を垂らしたような点々がびっしりとある。国宝の油滴天目茶碗よりも小さいような、感じがした。比較していないので分からないが。
 続いて第3展示室に。「大名の室礼-書院飾り-」描け軸や水差し、香炉など書院を飾る道具類の展示があった。ざっと見たので、あまり覚えていないのだが・・・。
 第4展示室は「武家の式楽-能-」能面や衣装の展示があった。ざっと見たので、あまり覚えていない・・・。
 第5展示室。「大名の雅び-奥道具-」。国宝指定の一部、初音蒔絵旅櫛箱がの展示があった。解説はおなじみ「家光の娘の千代姫が、尾張二代目の光友に嫁ぐ際に・・・」の解説。その名の通り、櫛を入れる蒔絵の箱の調度品の展示であった。筆を入れる文箱などの調度品や屏風絵の展示があった。

 展示室を見て、一旦廊下に。続いて、蓬左文庫の展示室へ。 


 9/5(火)から12/13(水)までの第1展示室の展示リストとスタンプラリーの台紙。 ↓ (既出)

 写真の刀剣(金工)は 国宝「短刀 名物 後藤藤四郎」で既に今年5/7(日)で展示期間は終了していた。

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名刀物語③ 第1展示室「武家のシンボル-武具・刀剣-」鑑賞 徳川美術館

 2017年10月8日、秋の三連休。

 再びの名古屋方面のたび。徳川美術館にやってきた。前回は、2015年12月に「国宝 源氏物語絵巻」全巻公開のときに訪問した。訪れた日は、公開最終日の12月5日の日曜日だった。
 1年10か月ぶりの再訪となった。徳川美術館はこれで3回目の訪問だ(笑)。

 気持ちの良い秋晴れの日、徳川美術館を再び見学する。↓ 
 青空に白い雲。雲の形は、すっかり「秋の空」だな~。
 
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 前回訪問時は12月の第一日曜日だったので、晩秋、初冬の気候で付近の平野部の紅葉のピーク。 淡い陽射しの中、落葉をふみしめて訪れた。
 今回は10月の第二日曜日。「秋晴れ」「秋の空」とは書いたものの、気温は25度以上あり、暑い。私のこの日の服装は半袖のポロシャツでハーフのズボン。夏と同じ服装。汗ばむ陽気だった。写真を見ても木々は緑色で初秋の風情を感じないな~
 早速入館し、第1展示室に入る。展示テーマは「武家のシンボル-武具・刀剣-」。徳川美術館の展示は、「常設展」とは呼ばないようだ。第1から第5??くらいまで展示室がある。しかも、展示替えはかなりの頻度で行われるようだ。「武家のシンボル-武具・刀剣-」。の展示リストでは今回の展示期間は、9/5(火)から12/13(水)までの3か月間。特別展の期間とは一致していない。特別展とは期間やテーマは異なる。3か月間の間でも、展示替えが行われる。
 今回の期間の目玉展示は、国宝の短刀だろう。国宝「無銘 正宗 名物庖丁正宗」。展示期間は10/11までの「A」の展示期間(展示リストによる)。展示期間終盤の鑑賞となった。Bの展示期間は10/12(木)-11/14(火)まで。Cの展示期間は11/15(水)-12/13(水)まで。ほぼ1カ月ごとに一部の展示品が入れ替わる。必ずしも閉館日に展示品の入れ替えが実施される訳ではないので「月曜休館だから日曜日までに見れば
いいだろう。」と思っていると、実はその週の「火曜日」や「水曜日」で展示期間が終了してしまうので注意が必要だ。

 最初の展示は甲冑。黒っぽい甲冑。文化財指定は無い。「松平勝長(尾張家8代宗勝6男)着用」と解説に書いてある。戦の無い、江戸時代中期の甲冑だが、解説には「常に戦(いくさ)に備えて、武具の準備を行っていた・・・。」と言う意味の文章があった。徳川宗勝は、将軍吉宗の一字をもらっている当主なので、宗春のあとの当主。その子の甲冑なので、西暦でいうと1750年頃の人物かな。
 独立したガラスケース内に鎮座している。そして、順番に壁面のガラスケース(内の展示品)を見ていく。
 昨今の「刀剣ブーム」で、各地の美術館、博物館では「刀剣」をテーマにした特別展、企画展の開催が盛んにおこなわれている。「刀剣女子」がマスコミで取り上げられるようになったのは、2014年か2015年頃。それから展覧会を企画するので、開催は早くて2015年。昨年2016年から今年2017年
 ここ徳川美術館は、国宝の刀剣を多数所蔵している。国宝に限っていうと、刀剣以外の国宝は「光友正室 千代姫の初音の調度」と私が前回訪問時に鑑賞した「源氏物語絵巻」だ。
 徳川美術館では、刀剣は重要な所蔵品なのですね。よって「名刀スタンプラリー」を実施しているのでしょうか。入館受付のところにスタンプラリーの台紙が置いてあった。既に今年の4月から始まっている。現在は10月。所定期間のうち6回訪問すれば、記念品がもらえる。期間は残り半年、6回の展示替え期間。つまり来年3月まで毎月来ないと記念品はもらえないのだ(苦笑)。名品コレクション 
 受付の人に確認のため聞いたのだが対応は冷ややか。明らかに「あんた、残りの期間は展示替えの都度、ほぼ毎月、あと、6回も来ないでしょ。」と言っているようだった。

 9/5(火)から12/13(水)までの第1展示室の展示リストとスタンプラリーの台紙。 ↓
 写真の刀剣(金工)は 国宝「短刀 名物 後藤藤四郎」で既に今年5/7(日)で展示期間は終了していた。

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 ウェブサイトに掲載のPDFリストやこのスタンプラリー台紙によると第1展示室は、この期間「名刀物語③」と展示テーマが書いている。館内にあるB5版の展示リストには、そのようなタイトルは書いていないし、展示室内でも大々的に「名刀物語」の表示は無かったように思う。(気付かなかっただけかな・・・・)。
 が、このブログの記事のタイトルもこのスタンプラリー台紙に従い「名刀物語③」と書くことにする。既に①と②は終了している。

 国宝「短刀 無銘 正宗 名物庖丁正宗 」の展示は、入って左手のガラスケースにあった。お隣は重要美十品の(長い)刀の展示があった。うち一つの刀は、「無銘 吉家」。解説によると平安~鎌倉時代の刀で松平信古(三河吉田松平家7代)所持とある。名古屋から同じ愛知県内の松平家に伝わった刀であった。
 国宝の短刀は鎌倉時代の作。 短刀は、刀身というか側面に 長い溝がある。不動明王の持っている刀を細長く延ばしたような形。この時代の刀には同じような刻みがあったように感じる。密教の信仰の影響かな、と思った。 
 これで 徳川美術館所蔵の国宝刀剣を鑑賞したのは3点目。もしかしたら、東京国立博物館など別の施設の特別展で見ているかも知れないが。あと、×件見れば コンプリートかな??(笑)。



 
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