良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

大阪の美術館、博物館、資料館

 

大阪 道修町ミュージアムストリート 散策 2018年春 大阪・京都桜のたび4

 大阪 道修町ミュージアムストリート 散策 2018年春 大阪・京都桜のたび4


 4/14
 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 昨年は、大阪の「造幣局桜の通り抜け」の桜がちょうど見ごろであったので、メインだったかな!?。今年もほぼ同じ時期の旅となった。
 
※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。

 
 堺市駅の駅前広場近くのビル内にある「ミュシャ館」を見学。再び電車に乗り、天王寺駅に。地下鉄に乗り換えて、北浜駅に。大阪市内中心部にやって来た。
徒歩で、道修町に向かった。地下鉄の駅からは、やや遠いので何分か歩いた。武田科学振興財団の「杏雨書屋」の展示室と特別展示室を見学した。
  武田薬品の本社ビルがある、この付近は「道修町ミュージアムストリート」と呼ばれている。案内のパンフレットもある。昨年来たときは、見学する時間が無かったので、今回こそは、ということでやって来た。
 しかし、地名の文字が読めない。最初は「としゅうちょう」かと思い込んでいた。「道」を「と」とヨミ、濁点にならないのが、ポイント(笑)。
 「どしょうまち」とは、よそ者には、まず読めない・・・・。せめて「どしゅうちょう」かと思ったのだが、見事に「ブー」

 杏雨書屋の後、お隣の製薬会社の展示室を見ようとする・・・・。

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 しかし、この日は土曜日なので、休室・・・、と思いきや、外に見える看板には、「ガラスごしの見学」という。ビルの中は、立派な広い天井の高いエントランスであるが、入ることは出来ない。平日でも入館不可であった。
 杏雨書屋は、特別展示会の開催中だったので、開室しているのを知って、道修町にやってきたので休室は仕方無いと思ってきたが、元々入れず。
 

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↓道修町ミュージアムストリート の案内看板。
 同じ内容のパンフも配布されているので、杏雨書屋で入手した。
元々は大阪製薬株式会社を明治29年?に設立したそう。

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 大日本住友製薬展示室である。ガラス張りのエントランスと展示室。ガラスごしに、お隣の武田薬品、杏雨書屋の入居している建物が見える。
 当時の工場の模型が、ガラス張りの展示スペースの角地に展示されていた。
 「海老江製薬所」と書いてある。

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 「民間初の最大規模・最新鋭の製薬工場を建設」
とパネルに書いてある。明治時代に現在の福島区海老江に工場を建設したので、「海老江製薬所」。

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 明治17年にドイツから輸入されたという、蒸溜缶の実物。

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 日本薬学の父、長井長義博士についての解説と、展示スペースの様子。「DSP ギャラリー」と告知してある。
「P」はファーマシーの意味でしょう。(多分)

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 地下鉄の淀屋橋駅に歩いた。途中、田辺三菱製薬のビルもある。史料館があるのだが、休み・・・・・・・・・・・・・。最近の製薬会社も合併したり、外資が入ったり、買収されたりと、合従連衡が激しい。国際化、グローバル化の波であろうか。それでも、国内製薬会社は海外の製薬メジャーと比較すると規模は圧倒的に小さいという。神奈川県内にも製薬会社の工場、研究施設などがあり、再編、一部移転したり、外資が入って会社名が変更になったり、施設を新築したりしている。子供の同級生で親がその会社に勤務していて、遠方に転勤になった人もいた。事業拠点が変わり、神奈川県内の工場勤務ではなくなったという・・・。
 昔ながらの薬商のままでは、現代の情勢に対応できないということなのでしょうか。
 道修町は北浜と淀屋橋の駅の中間付近なので、駅まで少々歩いた。
 土曜日なので、スーツ姿のサラリーマンは少ない。スーツを着ている人は就職活動中の学生かな。

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四天王寺宝物館 「平成29年 春季名宝展」 見学1

 2017年 大阪 四天王寺宝物館 「平成29年 春季名宝展」 見学1 
 4/17(月)の午前。
 
 大阪で最も古いとお寺のひとつと思われる四天王寺に向かう。現在は、大都市大阪の市街地の一部ではあるが、四天王寺とその周辺に古代から存在したであろう村落は、大阪の街の原型ではないか。

 地下鉄 ××線を天王寺駅で下車。地上の出口へ。
 天王寺駅から四天王寺までは結構歩いた。駅では多くの人がいそいそと歩いている。

 途中の経緯は後日掲載することにして省略。
 
 
 ↓ 写真奥に宝物館の看板がある。桜はほとんど散った。 右手は絵画館。

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今年の一月には、東京国立博物館でこちら四天王寺所蔵の扇面法華経冊子を見た。きらびやかな王朝絵巻の絵図であった。以前にも別の場面だったが見たことがある。それだけ古い貴重な文化財を所蔵するのに大都市に隠れて、訪れたことは無い。よって今回初訪問となった。
 ↓ 扇面法華経冊子の画像がある。
  「梶」の木の説明。
   扇面法華経冊子に梶の葉を描いた場面があることから寄贈されて植樹したそう。
   当時は七夕に梶の木を用いたそうだ。「現在は珍しい樹木」と梶の説明があった。確かに梶の木のことは全く知らない。「梶」のつく苗字もあるし、地名もあるのに「梶」の木そのものはあまり知られていない。
 
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 宝物館の建物と入口。高床式になっている。料金は500円。「春季名宝展」が開催されていた。
 入って右に受付がある。開館は8時半のようだ。入館したときは9時くらいだが、私が最初の入館者だったようだ。

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 一階には大きな太鼓がある。儀式で使用する太鼓だ。その他は展示があまり無い。主な展示は二階とのことで階段をスリッパをはいて昇る。
 展示室は近代絵画の企画展示があり、吹き抜けの廊下を通った奥には第二展示室がある。二階は吹き抜けになっていて、一階の受付やその前にある太鼓を見下ろすことが出来る。
 

 





「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞6 藤田美術館

 2017年春  
 4/16(日)大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞6 藤田美術館
 

 碁盤の形をした小さい香合 3個など改めて一階の展示品を鑑賞した。 
 「作品解説」の後、まだ質問をしている人がいたが、そろそろ見学を切り上げることにする。次は奈良に向かうことにしている。
 展示室を出る。 廊下には、昭和29年の開館式の様子の写真の掲示がある。写真の前で観客が(写真にうつってっている)「誰が誰だか分からない。」と話をしていた。
 写真中、最前列で立っている人が二人いて、多分、伝三郎の子孫(孫?)で初代館長や創設者だろう。

 出口へ。受付で、先程「・・・・800円のおつりで買えます。」とお話のあった、200円のカタログ(簡易図録というべきか)を買う。チケット売り場と売店のレジが同じ。小さい木の小窓でのやりとりだ。カウンターの奥が事務室になっている。改めて見ると、事務机が4個くらいある。左奥の窓側に独立した机があり、カウンター側を向いている。先ほどと違い、手前の机には誰も座っていない。左奥の席は、会社でいうと、課長、部長、本部長の管理職席っぽい(笑)。白髪の上品な70歳台くらいの女性が座っている・・・・。上席にいるということは現館長の母上だろう。先代の藤田夫人。
 事務室の隣では、無料の展示会が開催されていて、展覧会「ザ・コレクション」とは特に関係が無いらしい。

 11:40頃に出る。本来は、10時の開館と同時に入って、11時頃までには出る予定であったが、作品解説を聞いていたので、見学時間が長引いたが、偶然にも(造幣局の桜の通り抜けで時間がかかり)入館が遅れたため、詳しいお話を作品解説で聞けたのはありがたかった。
 大徳寺龍光院所蔵 国宝「曜変天目茶碗」が「この秋、京都の国宝展で、もしかしたら展示されるかも!??」という希望観測的なお話も聞けたし(笑)。
 改めて敷地を出るときに見ると、本当に昔の蔵一棟のみの展示室。よく言われるようにかなり手狭だ。
 館のへい沿いに大阪城北詰の駅へ歩く。地上出入口の階段を下る。美術館がこれほど駅に近いとは知らなかった。
 
 ↓ 出口へ。敷地内には茶室らしき日本家屋があった。
   先のお話では旧藤田伝三郎邸には10以上の茶室があったそうだ。そのうちのひとつの復元であろうか。
   長男、次男の屋敷にもそれぞれ10以上、合計で30以上の茶室があった。

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 「建て替えをすると」というが、日本家屋や現在展示室となっている蔵を残すとなると、館の敷地はあまり広くない。今度建てるときは、耐震構造を考慮して鉄筋コンクリート造の立派なものとなるだろう。
 すると、上の写真の庭、現在の事務室棟や多宝塔の前に建てるのであろうか・・・・。個人のお屋敷としては、かなり広い敷地だが国宝9点をはじめ多数の文化財を所有、展示する近代的美術館予定地としては手狭な敷地ではないだろうか。
 それとも別の土地に移転するのだろうか。何と言っても名門 旧藤田財閥であるし。

 ↓ 敷地内の大きな木。木の向こう側は、展示室になっている蔵。

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 美術館と道路を挟んで反対側にある「太閤閣」にはお客が出入りして、従業員が出迎えなどをしている。先程、作品解説の中で話があったが、藤田傳三郎の次男の屋敷だった所。手前はレンガ色の鉄筋のビルしか見えないが、奥には、次男の屋敷の建物が残っていて、現在も利用されているとのことだった。
 ここ太閤閣も藤田観光の経営のようだ。箱根の小涌園も藤田観光の経営施設だし、神奈川県民にとって藤田観光は有名です。ワシントンホテルも藤田観光の経営であるし、藤田財閥の後進企業ですね、藤田観光は。現在の株主構成は分かりませんが、同社は上場企業だから上位株主は公表されているでしょう。老舗の上場企業の多くは、金融(生命保険会社や信託銀行など)関係が上位株主でしょうね。


「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞5 藤田美術館

 2017年春  
 4/16(日)大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞5 藤田美術館
 

 11時からの作品解説を聞いた後、私は再び二階へ戻り、展示品を鑑賞した。

 ↓ 美術館敷地内の蔵。しかし、写真正面に写っている蔵は展示室棟ではない。
  展示の蔵と正面の蔵は廊下でつながっているかな、と誤解していたが、違った。独立した別々の建物であった。 写真、右手の蔵一棟のみが展示室棟となっていた。

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 二階の国宝 「花蝶蒔絵挟しょく」を改めて鑑賞する。(漢字が出ない・・・・)
 正倉院時代よりは新しいが、たしかに蒔絵が施されている。奈良時代の唐草などの模様の螺鈿細工とは異なる、日本風の蒔絵だ。 
 道具としての名前は「挟しょく」で、「花蝶の蒔絵」が施されているという意味なのですね。さっき初めて見たときは、あまりに長い文化財の名称で「略称」は何なのか、分からなかった・・・・。作品解説を聞いてやっと理解できた。体の前に置く物なのですね。高僧か貴族が使用していたのでしょうか?。

 階段を昇って、左手には国宝「紫門新月図」。以前サントリー美術館で見た。多数の人の落款がおしてある描け軸の絵画。メインの画や賛文よりも、朱肉の落款の方が目立つ。その奥の並びのガラスケース内には重文「金銅密教法具」などの密教の法具類がある。

 もうひとつの島状のガラスケースには「大般若羅経」の展示もあった。しかし、ガラスケースが小さいので、ある巻の冒頭の一部が開いているのみ。
 「大般若羅・・・・ 巻第一」とタイトル。「・・・・初労・・・・金功・・・」と書いてあるような・・・・。以前サントリー美術館で見たものとは、別の部分と思います、多分(笑)。
 全部で300巻以上が一括して国宝に指定されているというし。
 隣のガラスケースには法隆寺伝来の塑像の童子像があった。

 大伴家持像の描け軸もあった。この重要文化財指定「家持像」の写真は、この作品が歴史や和歌の本に掲載されているのではないかな。
 壁際には、金剛弥勒菩薩の仏像、掛け軸の絵画、階段の裏手は正倉院宝物にあるようなお面(胡人の顔のお面のようなもの)があった。奥のガラスケース内には短刀などがあった。

 ↓ 200円で販売されている展覧会の「カタログ」に 国宝 「花蝶蒔絵挟しょく」 の写真の掲載があった。
    


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 二階を見てから、一階におりると、作品解説の後、国宝「曜変天目茶碗」が展示されているガラスケースの前で、説明の職員(恐らく館長)にまだ質問をしている人がいた。
 さすが大阪、見学者のノリもよい!!。都内の某美術館であったら説明終了後、すぐに解散して見学者は三々五々散ってしまうかも知れない。しかし、大阪では違う!。

 「文化財は 焼けずに残ったのですか?」と見学者の女性が質問した。先に、ガラスケースの前で熱心に見ていた背の高いスマートな30歳から40歳くらいの女性だった。説明の開始時には落ちていた入場券の半券を「はい」と(旧男爵家のご当主であろう)館長様に渡していた人だ。

 館長は「焼け残った。この蔵の中で。」と答えた。聞いた女性は、意外そうな顔だった。蔵の中のお宝は、戦時中も疎開させなかったようだ。恐らく彼女は、建物は無事であると推測されても文化財は、どこかに疎開させるか、地中に埋めるかしたと思ったのだろう。ボクも同意見です(笑)。戦時中は当時の帝室博物館の文化財は疎開させたと思うし・・・・。
 国宝「曜変天目茶碗」が空襲で焼失せずに現代に伝わっているとは、本当は偶然の結果だったのだ・・・・・。
 曜変天目茶碗の用途については「鑑賞用だった。使うことは無かった。茶会でも使ったという記録はない。江戸時代以降は主に見ることが目的で使うとこは無かった。」記録は空襲で焼けてしまったという話も先の作品解説の中であった。
 茶碗の横に置いてある説明が何にもない台について、女性は聞いた「この台の文字は?」と「金」と書いてある文字について質問。 
 館長は「分からないです。」と答えた。附属している「台」については分かっていないようだ。
 隣の油滴天目の小茶碗については「小さいもので茶を飲んだのか?」
 「恐らく 元々観賞用でつくられたのかも。」、「台に載せて下からも見えるようにした。」という回答だった。


 別の人も質問する「太陽光線では、どのように見えるか?」
 「そもそも、自然光の下で見ることはない。40年間くらい前にNHKのテレビ番組で太陽の下で照らすという企画があった。手の役、(つまり茶碗を)持つ役で出た人がうちにいるが(いたが)、二度とやりたくないと言っていた。」
 「何の番組か?」
 「ナントカ?紀行?だったかわからない。」「アーカイブにあるか?」
 「わからない。ユーチューブに上がっていると言われたことがある。わたしも見てみたが、なかった。」
 と館長は、再び小さいライトで曜変天目茶碗を照らす。自然光で光り方、色が違うかは分からない。このライトはLEDなので、青く見えるのかも知れない。


 学生くらいの男のグループが質問する。「今買うと、いくらくらいか?。」
 「大正7年に、当時で5万×千円(?)で買った。現在の物価は7000倍から10000倍といわれる。7000倍とすると3億×千万円くらい。」
 「ただし、当時、別の茶碗で9万円(?)で購入されたものもある。鑑賞用か実用か(?)によって、値段も違ったようだ。」と館長は値段を明言しなかった。むしろ、「他にも値段が高い茶碗がある。」というような言い方だった。しかし、日本国の国宝に指定されている現在、貨幣価値に換算することはできないが、15億円はくだらないであろう。先に「所蔵品をオークションで売却」のニュース記事を読んだが、オークションともなれば、100億円の値段がつく可能性だってあるかも知れない。.
 質問している間、名札はつけていないので「館長さん」と呼びかけて質問をしている人はいなかったと思う。

「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞4(と作品解説 拝聴) 藤田美術館

 2017年春  
 4/16(日)大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞4(と作品解説 拝聴) 藤田美術館
 

 蔵の内部が展示室になっている。11時過ぎから始まった男性職員による作品解説を聞いた。

 男性職員は、以前テレビにも出演していた方だ。サントリー美術館での展覧会でも館長あいさつで写真の掲載があった。名札はつけていないが、藤田館長に間違いない。よって以下「館長」と書く。
 
 以下、作品解説の話の要旨を記す。私の誤解、誤記憶もあると思うのでご容赦頂きたい。「 」内は館長のお話の要旨。(   )内は原則、管理者の注記だ。

 最初は、藤田伝三郎や藤田美術館の紹介と説明だった。

 続いて「作品解説をします。」と作品解説に移る。
 「一点だけ、これしかない。良くも悪くも、今話題の曜変天目茶碗です。」と館長は言って、皆は「ハハハ」と一斉に笑う。
 来館者の皆さんは、昨年末以来のテレビ放映も含めて「曜変天目茶碗」プロブレム(問題)は、よくご存じです(笑)。

 「皆さん、人数も多いので(曜変天目茶碗が)見えるように移動をお願いします。」と他の国宝 重文が入っているガラスケースをスルーして、皆曜変天目茶碗の展示されているガラスケースの周囲に集まる。

 「皆さん、(曜変天目茶碗を見て)どのような感想を持たれますか?。『青い』『きれい』という人も多いでしょう。」と問いかける。
 「実際は小さいです。直径は12.3センチ。皆さんどんぶりのように大きいと思われる人もいる。図録の写真だと 画面いっぱいに大きく撮影するので大きいと思われるが、実際は小さい。『茶碗』なので。」

 「(曜変天目茶碗の)高さは6~7センチ。他の曜変天目茶碗もほぼ同じ大きさ。恐らく、同じ窯か近くのお互い影響のある窯で焼かれたと思われる。今から800年くらい前の宋の時代、福建省の建窯(けんよう)で焼かれた。

 世界で三つあると言われる。すべて日本にあり、国宝には三点すべてが指定されている。しかし、ミホミュージアムさん(と『さん』づけで呼んだ)には、重要文化財の曜変天目茶碗があり、他にも美術館や個人所蔵で曜変天目茶碗として伝わっているものがある。」とのお話。

 「国宝の曜変天目茶碗のうち、うち以外にもうひとつ(所有している美術館)は東京の静嘉堂文庫さん。三菱財閥の岩崎家の文化財を集めたところ、が購入したもの。もう一つは京都の大徳寺の『りょうこういん』さんにある。」と龍光院は「りょうこういんさん」と「さん」付けで話をした。
 「静嘉堂さんは、えーと今展示されているかも知れません。東京国立博物館で茶の湯展を開催している。東博は茶の湯の展覧会を行わないのですが、今回数十年ぶりに開催しています。今、展示しているかは分かりませんが、会期のどこかで展示する。ウチからも茶の湯展に出品しています。」と。

 (実際は、この日現在、「特別展 茶の湯」で展示されていた。)

 「りょうこういん の曜変天目を見ることは、ほぼ絶望的です。今から13年くらい前に、3日間か5日間限定で公開されたことがある。しかし、今年の秋に京都国立博物館で国宝展がある。その際に、もしかしたら公開されるかもわからないです。」と重大な示唆のご発言(笑)。大徳寺龍光院の曜変天目茶碗が平成29年秋の特別展「国宝」で本当に展示されるのだろうか???。
 館長の言い方では「公開されることが期待されます。」のような、希望的観測のような言い方。秋になれば、真相は明らかになりますが(笑)。

 「この天目茶碗は徳川家康から子の水戸徳川家に伝わり、大正7年に藤田家(の長男)が購入した。藤田家で使ったことは無い。というか使った 記録はない。記録は空襲で焼けてしまった。

 「(曜変天目茶碗の)焼き方、方法は分かっていない。再現も(チャレンジを)されている人は何人かいる。(咲くり方を知るのに)一番早いのは、割ることだが、そんなことをする訳にはいかない。

 昨年、蛍光 エックス 線調査により化学分析、非破壊検査を行った。蛍光線を当てると 化学成分が分かる。

一部 近いものの作成に成功している人はいる。」と今年の1月に私が視聴した番組(今年の放映は再放送で、最初の放送は昨年のこと)についても言及があった。


 「照らすライトは、LEDなので、青く見えるかも。側面にも、斑紋があります。今は、ライトをあてていないので、光っていません。横からの輝く画像をみたい人は 2500円の図録を受付で販売しているので是非お求めください。」と見事なご宣伝。 観客は、笑。

 「とはいいつつ、ライトをあててみましょう」と館長がペン型ライトを取り出す。
 「他の美術館では絶対に真似をしないでください。」と館長が言われると、観客の笑いとともに、館長が曜変天目茶碗の側面を照らす・・・・。と、丸い青いシャボン玉のような斑紋が茶碗の内側と同じように、曲線を描いている側面に浮かび上がった。 コバルト色にキラキラ輝いている。「ワー」「オ~」という「感嘆する声」が一斉に上がった。女性は「うわー、きれーい」と黄色い声。
 側面にもキラキラと不思議に輝く斑紋があったのだ。私の記憶は間違っていなかった

 「飲み口には金属の枠をはめてある。フチには欠けた小さい箇所があり、金属の枠を(あとから)はめた。(枠の材質)は銀です。しかし、私達のように美術館に勤めている人は絶対に銀とは言わない。『すず』『鉛』と言う。銀色の金属のたいていは、すずか鉛だからです。銀だと酸化して黒くなるから。
 しかし、このたびの蛍光エックス線検査で銀だとわかった。昔なので純度の低い銀、不純物が多く混ざっている銀なので、酸化しなかったようだ。今回の検査で、フチの金属が銀であることが解った。それまで(化学成分が)分からなかった。」

 「この金属の枠をはめた茶碗で、お茶を実際に飲むと(すずか鉛か銀のためか) すごい長い生きするか、早死にするかです。」とユーモアのある館長の解説に、皆、笑。


 「器の中には 宇宙が広がっている、とも言われるが、実際は傷も多い。内側の傷は深い。茶さじの傷か。金属製なので、すくうときにひっかいたかも。抹茶をたてるときの茶筅は竹なので傷がつくことは無い。使われたことはあったが、いつ使ったのかは分からない。傷は肉眼では見えにくいが、実際はかなり多い。」
 「もう一度 言いますが、ぜひ2500円の図録を見れば所蔵品の解説が載っています。
写真家の方が以前撮影して、当時としては、かなり多い4500万画素のカメラで撮影した。図録(の写真)にキズもはっきりうつっています。」と。観客は、再びのギャグに「薄笑」。
 「茶碗の ほこりを掃うことはあるが、洗うことは無い。誰か、いつかは分からないが、数人が使ったとはある。」
と曜変天目茶碗の説明であった。

 ↓ 展覧会チラシの作品紹介面とあとで購入したカタログ(200円)の表紙。
  カタログの表紙も「チョコレート」の箱のように真っ黒です(笑)。
    曜変天目茶碗の写真が掲載されている。側面の輝きもわずかに写っている。

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 曜変天目茶碗の説明以外にも、別の説明が少しばかりあった。

 「藤田伝三郎の号は『香雪』(こうせつ)。ただし香雪美術館とは関係が無い。同じ字(じ)であるが。その他、主な展示としては「玄奘三蔵絵」があります。三蔵法師がかかれていいます。
 二階にも展示があります。二階には『きょうしょく』がある。ドラマなどでおとの様が、(体の)横におくのが机則(きょうそく)、歳をとってきて、前において体を支えるのが『きょうしょく』。平安時代の、日本で最も古い蒔絵の技術のものです。」と。

 『きょうしょく』は先に私も二階の展示室で見ていた。正式な文化財の名称は長いので、実は短縮して何というのか分からなかったが「挟しょく」でよいと理解出来た
 (「挟」の漢字は本来旧字体。「しょく」は漢字が表示できないので、ひらがな表記する。)
 

 館長は「2500円の図録が高いという方は、このコレクション展のカタログを200円で販売しています。(入館料の)800円のおつりの200円で買えます。」と再び図録の宣伝をするとともに、私のようなパンピーのお財布事情をユーモアに察してくださる。皆、笑。

 「最後にアンケートをお願いします。」と館長が持っていた用紙を近くにいた人に配って説明は終わった。
「(アンケートに書く内容は)何でもいいです。 昨日は『曜変天目下さい。』と書いた人もいました。」

 その後、館長は観客からの質問に応じている。私は再び二階の展示室へ。




「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞3(と作品解説 拝聴) 藤田美術館

 2017年春  
 4/16(日)大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞3(と作品解説 拝聴) 藤田美術館
 

 蔵の内部が展示室になっている。

 先の記事で「絵巻のケース内には 活性炭も入っている。」と書いたが、ガラスケースの密封性は木枠ゆえ、弱いようだ。先にざっと見たとき、ガラスケース内の湿度は52%、気温は19度であったが、再度見ると、湿度は1%増えていた。人が大勢出入りしているので、私が見学している間に湿度が上がっているのだろうか。
 国宝「深窓秘抄」を見た後、二階に昇った。二階に行ってみると、展示室はこの蔵の中の一室のみ・・・・。公園から見えた蔵にはつながっていなかった。
 「やや、思ったよりも狭いゾ・・・。」と感じた。

 室内に島状に置かれたガラスケース内に 国宝があった。「花蝶蒔絵挟しょく」(漢字が出ない・・・・)。
 木の台いうか、時代劇ドラマに出てくる殿様が横に置いて使用する小道具のような物。
 文化財の読み方が分からない・・・・と戸惑ってしまった(笑)。
 実をいうと「しょく」の漢字が読めなかったのだ・・・・・。

 展示を見ていると、二階に「これから 作品解説を行います」とスーツ姿の男性がやって来た。先に券を買ったときに、机に座ってパソコンを打ち込みしていた人だ。あれ、テレビで以前見た館長かなと思った。
 作品解説タイムがあるとは知らなかった。
 その声を聞いて、二階にいた観客の人達は、どっと階段を降りて一階へ降りる。その男性職員は、一階にも「作品解説を行います。」と声をかけ、展示室の中央、国宝「曜変天目茶碗」の展示されているガラスケースの横に立った。男性職員は、以前テレビにも出演していたのを確かに視たことがある。名札は下げていないが、館長に間違いない。よって以下「館長」と書く。
 周りに観客(見学者)が取り囲む。50人から60人くいら集まっている。女性が多い。男は60歳くらいや(私のような)おじさんなど。年齢層としては40歳から70歳くらいかな。子どもも少しいる。親子連れもいる。


 以下、作品解説の話を書く。私の誤解、誤記憶もあると思うのでご容赦下さい。「  」内は館長のお話。( )内は原則、管理者の注記だ。

 館長から「11時と14時に作品解説を行っています。土日は15分から20分といいながら25分くらいと、たいてい長引いています。平日は、10分くらいといいながら、15分か20分くらいお話ししています・・・・。」とのお話から始まった。
 特に、美術館のウェブサイトには案内していないが、基本的に開館中は一日二回、展示の作品の解説をしているようだ。
 (あとで、展覧会のチラシを見たが、土曜日の11時と14時に解説がある、と小さく表示していた。が、実際は土曜日に限らず解説は実施しているようだ。)

 最初に美術館の紹介。館長自身は、名札はしていないし、自己紹介はしない。よって、旧藤田男爵家の当主であろう館長その人とわからない人(観客)もいるのではないか。
 「(ここが)初めてという人もいるでしょう。」と館長は観客を見回す。
 「この美術館は 明治時代の実業家 藤田伝三郎の収集したコレクションをもとに設立されました」というような。(以下も原則現代漢字で名前などを表記する。)

 「『皆さん藤田伝三郎は知っていますか?。』と聞くと、皆さん視線をそらします。」と館長。観客は、思わぬギャグに「笑」。

 「昨年まで放送された NHK 朝の連続ドラまの『あさがきた』に『五代友厚』が出ていました。」と言うと、観客のおば様たちは皆、うんうんとうなづく。
 「モデルとなった広岡浅子は、のちに日本女子大を設立した人。浅子の友人として五代友厚が出ていました。

友厚と同じ時代、同じ大阪で活躍した人。大阪に商工会所を設立した。初代会頭が五代で、二代目(会頭)が伝三郎。・・・・・。二人は恐らく 密接な関係があった。伝三郎は長州 萩の人。幕末に活躍した高杉晋作と家が近かった。歳も5歳くらいしか離れていないので恐らく交流があったと思われる。」
 「伝三郎は、明治維新後、大阪に出て、商売を始めた。(土木建築を請け負う)藤田組をつくった。・・・・・鉱山の開発をしたり、・・・・・軍の靴の製造をした。靴の製造は、いろいろ資本、会社とあわさって(変わって) 現在は『リーガル』になっている。」と、観客はへーという声を上げる。私も知らなかった。
 「その他は、大成建設、同和鉱業 ホールディング 非鉄金属の大手、などが後身企業。」と解説。


 「日本の美術品が散逸することを防ぐため、私財を投じて集めた。」と。

 館長は、スーツ姿ににネクタイ、立派な時計をしている。私は片手に展覧会のチラシ(パンフレット)を持っていた。藤田伝三郎の写真も掲載されている。没年は明治45年のこと。館長は、白黒写真の伝三郎と顔の輪郭などかそっくりである。伝三郎の直系の子孫である。

 「ここは伝三郎が大川のほとりに屋敷を構えた跡地で 網島御殿(あみしまごてん)と言われ 全部で17000坪の敷地面積があった。全てが伝三郎の屋敷ではなく、長男と次男の屋敷もあった。( 伝三郎は茶人であったので )屋敷には 茶室が11あった。」すると観客から「エー」と驚きの声があがった・・・・。
 「全部で11ではなく、長男、次男の屋敷にもそれぞれ 同じくらい数の茶室があった。」と聞くと、更に「えー!?」と説明を聞く来館者は、皆一様に驚き!!。

 「(茶室の数は)多いが、流派ごとに使っていたので、裏千家、表千家、武者小路千家で、それぞれ2ずつ。その他、抹茶ではなく当時は煎茶(せんちゃ)であったので煎茶の茶室などで、使っていた。」そうだ。

 しかし「昭和20年に空襲で焼けた。この蔵だけ残った。蔵の中の文化財も無事だった。昭和29年に博物館として公開した。屋敷の一部 は公園になっていて、隣が(旧藤田邸)公園。現在 無料で入ることが出来る。」
 私はここに来る前に公園を通ってやって来た。

 「(伝三郎の)次男の家は焼け残った。現在は太閤閣さんになっている。(と館長は「さん」付けで呼ぶ) 食事などで利用すれば、屋敷も見ることが出来る。フランス料理の「 店の名 」というお店もあり、お庭を眺めながらフランス料理のフルコースのお料理を食べることが出来る。庭には、伝三郎が集めた石塔なとがある。是非、御利用くださいと言っても私には何も入ってこないですけどね。」と言う観客は、「笑」。


 (この蔵の建物は)建築されて110年くらい。柱の木もそのまま。二階で人が歩くと ギシギシいうのもご愛嬌。」

 確かにギシギシという音が気になっていた・・・・。上を見ると材木の柱がむき出しだし、同じ材質の天井板というか材木の合間から上を歩く人の靴底の泥が落ちてきそうなかんじ。ホントに。一階と二階の間には、天井板がない、蔵の内部にあとから材木が造作されている。

 「ザ・コレクション」のこの黒い表紙 展覧会のチラシは、チョコレートといわれています。」と館長が自虐的に話すと、観客は再び「笑」。

 たしかに、もうちょっと寒い時期、2月くらいのバレンタインのチョコのパッケージのようだな。このチラシは・・・。
 チョコでも「ビターチョコ」のパッケージにぴったりだ(笑)。

 ↓ チョコレートといわれるチラシ(笑)。
  真っ黒の印刷なので、折り曲げするとインクがはがれて白い線が入ってしまう・・・・。
  写真右は、200円で販売されていた展覧会のカタログ。
  一階の展示室にあった快慶作 内山永久寺(廃寺)旧蔵の「観音菩薩立像」の写真もある。


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 「(6月11日までの会期の後は)しばらくの間、休館して建て替えを予定しています。建物も美術館開設以来、ずっと同じものを、60年以上使用してきたので・・・・。」と。
 道理で古い建物と思った。60年間、開館以来ずっと同じ展示室だったのだ。木枠のガラスケースもだろうか?。

 今回の展覧会については
 「館のみんなで何を展示しようかと 意見を出し合いました。あれも出そう、これも出そうと(意見を)出したところ(展示品が)たくさんになってしまい、美術館の限られたスペースでは展示できないくらいになってしまった。そのため、3月からこの4/30までの前期と5/2から6/11までの後期の二期に分けて展示替えを行います。替わらないのは三点だけで、あとは全部入れ替わります。前期と後期で、ほぼ違う展覧会となります。前期と後期両方を を見れば、館が所蔵する国宝9点すべてを見ることが出来ます。」との説明。


 敷地内の石灯籠と蔵。ただし、奥の蔵は展示室ではなかった。右にも蔵があり、二階(というよりも、材木を入れて二層に)に分かれ展示室となっていた。 向かって右の側面には「男爵 藤田伝三郎・・・」とあった。
 (漢字は現代字体で表記した。)

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「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞2 藤田美術館

 2017年春  
 4/16(日)大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞2 藤田美術館
 

 蔵の内部が展示室になっている。
 木製の階段の下に展示されていた快慶作の仏像を鑑賞。室内は木枠のガラスケースで室内には四角い材木の柱がある。木が目立ちます。

 入ってすぐ、階段の左手、快慶作の仏像の手前には島状に設置されている木枠のガラスケースが2個ある。
 両方ともに茶碗が展示してある。文化財指定はない。手前のケースには「玉子手茶碗 銘 薄柿」がある。銘の意味を理解していないが・・・・。
 奥側のケースには「柿へた茶碗 銘 大津」 「滋賀の大津」にちなんだ由来があるので、「銘 大津」となったそうだ。
 両方の器とも、国宝「曜変天目茶碗」の前座としての展示でしょうか?。

 さて、どこから見ていこうかな、と考える。続いて、奥の壁に沿って展示を見ていく。室内には20人くらいはいるだろうか。階段を見学者が昇り降りすると木製ゆえ、ギシギシと音がする。
 「玄奘三蔵絵」があった。ガラスケースの幅があまりないため(150cmくらい?)、少ししか開いていない。ダーット横に巻物を開くことが出来ないのが、残念か。
 サントリー美術館のときの展示場面と異なり「険しい山の中を、三蔵法師一行が馬に乗って越える、進んでいる」シーンだった。
 説明には「興福寺大乗院に伝わり、門主交代のときに、新門主のみがみることを許された・・・・。」とある。

 奥の窓の手前にガラスケースには 明の時代 景徳鎮の水差しの磁器の展示があった。
 一番奥の壁面には国宝「両部大経感得図」の二部がある。二枚に分かれた絵だ。左右並べて展示してある。
 左「龍孟」 塔(多宝塔の感じ)の中に人がいる。経文を守っている人だそうだ。僧 龍孟が対峙している図。
   経文を唱え、中の貴重な経典を手に入れたようだ。
 右「善無畏」 ぜんむい インドの僧。 五重塔が表現されている。右上に経文が書いてある。野原に経文か天を見上げる人が小さく描いてある。
 ともに襖絵よりも大きいサイズの絵だ。快慶の蔵と同じく、廃寺となった天理市の内山永久寺にあったそうだ。
 今まで知らなかったが 内山永久寺は、廃佛毀釈で廃寺になったようだが、現在でも文化財指定されている宝物があるとので、かなりの由緒のある大寺だったのだろう。

 
 室内の奥側、島状に設置されている木枠のガラスケースの中に国宝「曜変天目茶碗」があった。傍らに漆塗りの台も置いてある。唐草文様の模様が施されている。なぜか、台には「金」と文字が入っている。後世誰かが作った鑑賞用の木製の台だろう。
 国宝の割には、簡素なガラスケースにポツンと展示されている。茶碗の内部には、上から小さいライトが照らされている。内部のはじけるような紋様と再びのご対面である。
  となりのガラスケースには、小さい「油滴天目茶碗」がある。直径6センチくらい。小さい。以前見た国宝に酷似している。鑑賞用の台の上に乗せている。両ガラスケースは隣接して設置してあるが、ガラス面が透明なので

国宝「曜変天目茶碗」は、ほぼ360度の周囲から鑑賞できる。

 曜変天目茶碗の内部にあるプチプチの輪を見ながら「コバルトだな。」と言う老人の男性もいた。家族連れ、子連れも見学にきている。熱心にガラスケースの中の不思議な茶碗に見入っている。
 ライトは、茶碗の内部しか、照らしていない・・・・・・。「あれ、サントリー美術館では横にも斑紋があって、キラキラ輝いていたはずが・・・。」と思った。曜変天目茶碗の側面は、ライトに照らされていなくて、暗くて何も紋様、斑紋が見えないのだ・・・・。「あれ、側面に斑紋があるのは、静嘉堂の曜変天目茶碗だったかな??。」と自分の記憶を疑ってしまった・・・・。
 近くの壁には、茶道具として「茶入れ 肩衝」が展示されている。小さいお茶入れかな。
 壁側、入口付近にあった巻物の並びの平ガラスケース内には、香合の展示があった。小さい。「カワイイ」小道具だ。三点展示されている。香をたく道具だろう。囲碁の碁盤をもした、4cm四方くらいの大きさだ。小鳥(というか小鴨)の姿の香合も展示されている。子供のオモチャのようだ。が、碁盤の香合はあの「松花堂昭乗」が所有していたものだそうだ。大変由緒のある香合だ。


 出入口近く、室内に入って左手に国宝「深窓秘抄」がある。名前から想像してもどのような文化財なのか想像もつかなかった。巻物で、のびのびしたくずし字で文字が書いてある。和歌を集めたものだった。説明文によると「和歌を書写したもので・・・・・・完本である・・・」そうだ。切断されていないので、断簡になっている部分がなく、完全に残っている巻物ということだった。平安時代の作だが、末期、鎌倉時代に近い後白河法皇の頃の作ではないだろうか。法皇様の「梁塵秘抄」ともタイトルが似ているし。秘抄とは、詩、和歌集などを意味するのだったかな?。
 「深窓秘抄」には「雅」と章の名前?が入り、「そのうえ ・・・・・ つみほし 少将 みやどの 」のように、和歌と作者の名前が書いてある。
 「・・・のつゆを ・・・・よめなるしそむ ×輔中納言」と文字はほとんど判読できないし、私も誤転写しているが、中納言であった貴族の和歌である。そのまんまだが(笑)。
 「いそしのよるの・・・・かなわぬて あ・・・わちれ  白女」と女性が詠んだ歌らしい。女性らしきやわらかで、細やかな恋の情景が浮かんでくる。(といっても何も内容を理解していないが(苦笑)。)

 先の記事で「絵巻のケース内には 活性炭も入っている。」と書いたが、ガラスケースの密封性は木枠ゆえ、弱いようだ。先にざっと見たとき、ガラスケース内の湿度は52%、気温は19度であったが、再度見ると、湿度は1%増えていた。人が大勢出入りしているので、私が見学している間に湿度が上がっているのだろうか。

 
 二階に昇った。展示室はこの一室のみ。公園から見えた蔵にはつながっていなかった。
 「やや思ったよりも狭いな・・・」と感じた。

↓ 帰り際に撮影。展示室となっている蔵。窓があり、光も展示室内に入ってきていた。



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 敷地内の石灯籠と蔵。ただし、奥の蔵は展示室ではなかった。右にも蔵があり、二階(というよりも、材木を入れて二層に)に分かれ展示室としっていた。 向かって右の側面には「男爵 藤田伝三郎・・・」とあった。
 (漢字は現代字体で表記した。)

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「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞1 藤田美術館

 2017年春 大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞1 藤田美術館
 4/16(日)の午前。
 
 「造幣局桜の通り抜け」を見てから、橋を渡って大川の対岸にやってきた。「藤田邸跡公園」を散策して、藤田美術館へ歩いた。先に公園内から、蔵が見えた。藤田美術館である。うしろと横から、美術館の建物を見ていたことになる。

公園(「藤田邸跡公園」)の門を出る。と、JR東西線の地上出口がある。大阪城北詰駅の地上出口であった。大勢、歩道を人が歩いている。次々に人が登って地上に出てくる。桜の通り抜けに行く人たちだ。美術館とは反対方向に皆列をなして歩いて行く。
 
 ↓ 写真奥に桜の通り抜けに行く人たちの行列が見える。交差点で撮影。

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 駅の地上出口は、美術館の敷地の壁に隣接しているのだ。私は、人の波とは反対に、壁に沿って歩き、美術館の門の前へ。道路を挟んで反対側には太閤閣の建物がある。こちらは、藤田観光の経営だったかな。かつての「藤田財閥」の流をくむ会社ですね。
 

 美術館の敷地から見た太閤閣の建物。
 壁の内側は、駐車できるようだ。しかし、車は停まっていなかった。八重桜が咲いていた。


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 藤田美術館(以下「同館」と記す。)

 最近、新聞の記事を読んだのだが、オークションで300億円という高価格で所蔵品が落札されたそうだ。建て替えの資金とするそう。現在開催されている所蔵作品展をもって一旦休館し、リニューアルするそうだ。
 建て替え後の開館は、2020年になるらしい。三年くらい休むそうだ。すると当面、訪問する機会が無いのでこの機会にやって来た次第だ。
 同館は、「曜変天目茶碗」で館長がテレビ番組に出演されていたのを私も昨年視聴した。今年に入ってからも再放送であったが、別のNHKの「曜変天目茶碗」の調査のため中国まで行く番組も偶然見たし、最近、というか「昨年末」以来の「曜変天目茶碗」関連のマスコミ報道等もあって、何かと話題だ(笑)。
 実は、2015年にサントリー美術館での展覧会「藤田美術館の至宝」を見るまで、同館のとこはよく知らなかった・・・・。しかも、常時開館している訳ではなく、春と秋の季節開館であると知った。

 展覧会は3月から始まり、4/30までが休館前の前期展示。後期は5月から6月の上旬まで。サントリー美術館の展覧会で見ることが出来なかった同館所蔵の国宝は、すべて「前期展示」に出品されるのでちょうどよい、と思ってこの旅のスケジュールに組んだ(笑)。
 しかも今回は「造幣局の桜の通り抜け」にも時期が重なった。ホンマにラッキーです(笑)。


 私が敷地に入ると、若い母親と小学生の女の子があとからやってきた。砂利の広場がある。P(駐車場)もあるようだ。しかし、車は停まっていない。ただし、数台しか停めることは出来ないようだ。自転車置き場もある。2台くらい自転車も停まっている。
 ↓ 美術館の建物。

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 入館する。券を買うが、受付窓口はひとつだけ。本当に蔵のよう建物だ。入口は広くない。
受付横の部屋では、入場無料の別の展覧?も行っていた。

 ↓ 写真でもよく紹介されているが、多宝塔が建っている。
  多宝塔の右には石塔もあった。
  写真の右手が館の出入口だが、人が多数行き来しいてるので、はっきりと撮影出来なかった。

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↓ 多宝塔の解説。桃山時代のものとある。
和歌は初代館長の 藤田富子氏のもの。

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 受付で対応するのは、1人だけ。事務室の出窓のような木枠のカウンターで若い女性が1人で現金のやりとりをして対応している。入館者が券を買うために数名並んでいる。私も最後尾に並ぶ。入口付近では、パソコンが設置されて、玄奘三蔵絵伝のデジタル画像が見れるようになっている。私のあとからやってきた母親は子どもに「券を買うからパソコンをみててね。」と言い、私の後ろに並ぶ。
 と、受付窓口で商品を買っている人もいる。図録、絵ハガキなどのミニ販売コーナーがカウンターの前の廊下沿いにある。入場券とショップのレジは同じだった。私の番がやってきた1000円札を出して、おつりを200円もらう。その間に事務室の内部が見えた。
 永青文庫(春画展のため現在では一部改築されているが)のように、カウンターはひとつで来館対応は一人だけだ。その奥に事務室が附属している、つくりは「似ているな」と思った。
 永青文庫よりも カウンターの窓は大きいので事務室内部が見える。机が4個くらいあり、三人座っている。
手前、向かって右は1人はショートカットの女性。奥に初老の男性。学芸員か、事務長かな。手前左、受付で現金の用意をしている人のすぐうしろにはパソコンの画面を見ていて打ち込みしているスーツ姿の男性が。あれっ、以前テレビで見たことがある人だ。ここの館長さんかなと思った。「曜変天目茶碗」の番組の再放送で今年1月に偶然見たのだ。その時に出演していた方だ。
 その前(昨年)も、別の番組で同館が所蔵する「曜変天目茶碗」を幾重もの箱から出している様子を放映で視聴した。その番組での館長の解説では「所有者がかわるためびに 箱を造るので 箱がだんだん大きくなり、何重にもなる。その価値が上がる・・・・。」と解説があったと記憶する。
 同番組に出演してた館長さんで間違いない。

 券を購入して展示室につながる通路へ。展示室内は撮影禁止の告知がある。廊下に藤田家の年表が掲示してある。窓の外を見ると庭の石塔に縦書きで「男爵 藤田伝三郎 」刻んである。
 廊下を曲がると展示室だった。本当に蔵の建物だ。入口の扉が土蔵の分厚い扉だ。よくいわれるように、室内は美術館としては広くない、というよりも小さい。「えっここだけ」と思う。
 蔵としては大きいのだろうが、民間運営とはいえ、美術館としてはかなり小さい。蔵の内部には二階もある。今いる蔵は先ほど、公園から見えた蔵ではない。あの蔵とL字に接続しているような? 独立しているかわからないが。「ここは別の建物だ。はて、(先に裏手から見た蔵とは)二階で繋がっているのかな??。」と思った。
 蔵の展示室の内部の階段の上り口に「二階から先にどうぞ」と告知がある。

 じつは、あとで二階を見たのだが、二階も一部屋だけだった。別の蔵とはつながっていないのだ。
 「二階から別棟に行けます」の意味ではなく、「二階から先に見て下さい。」の意味であった。
 普通、そうとるが・・・・、私は拡大解釈をしていたようだ(笑)。

 展示室の内部には木枠のガラスケースだ。壁沿いと室内の真ん中 島状に二カ所ある。土蔵の小さい窓が開いている。
 絵巻物の展示ケース内には 活性炭も入っている。湿度は52、気温は19度と 巻物のところに計測器があった。展示室に入ってすぐ左手に平ガラスケースがあったが、いきなり国宝指定の巻物であった。
 階段下のガラスケースだったが、仏像で「快慶作」がある「観音菩薩立像」。彩色で後背がある立派な仏像。重要文化財に指定されていた。仏像の説明には、現在の天理市にあった「内山永久寺にあった」と書いてある。


 さて、私の次に入館して来た母と子は、ざっと一階の室内見て、二階に行って、やがて降りてきて、出て行ってしまった。

↓ (既出)
 藤田邸公園内から、藤田美術館の蔵と多宝塔が見えた。横(方角としては南)から見ていることになる。

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