良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

寺社仏閣の宝物館、資料館

 

春日大社国宝殿 特別展「Enjoy 鎧」-日本一の鎧を楽しむー鑑賞2 2020年7月

 春日大社国宝殿 特別展「Enjoy 鎧」-日本一の鎧を楽しむー鑑賞2 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 
 7月23日 祝日、4連休の2日目。
  
  「 鎧を楽しむ」が副題である。が、鎧の国宝指定 4領は既に見たことがあるので、今回は刀剣など武具がメインです
 階段を昇り、国宝殿の2階にある小展示室を見る。完成して2年は経過しているが、真新しい、白い壁が印象的な建築である。
 壁ガラスケース内、最初の展示に 国宝 「金装花押散兵庫鎖太刀 中身無銘」の展示があった。
 豪華な装飾の鞘と刀身が展示されている。「無銘」の名称のとおり、銘が無い。
 未見の国宝である。2017年、3年前の東京国立博物館の特別展では、見ることができなかった。

 読み方は「きんそう かおうちらし ひょうごぐさり たち」である。「花押散」の意味がわかった。足利氏一門の花押がいくつも書いてあるから「かおう」 ちらしなのだという。鞘に花押がいくつも書いてあるのである。墨で書いてある。墨が消えずに残っていることになる。解説によると「・・・鞘、柄・鐔の全面に計24個の花押がある・・・」というが、鞘にいくつも書いてある花押の墨書が一番目立つな。
 解説には「花押の形から足利一門のものと推定されており、社伝では足利義光 と奉納される。刀身は総長122.5㎝にもなり、身幅も広く大鋒で豪壮な大太刀である。刀匠銘はないが佩裏に「貞治四年卯月日」と年紀銘があり、備前国の長船兼光の作と考えられている。」とある。
 刀は「備前」である。
 足利義光とは誰だろうか?。尊氏の子で、二代将軍の義詮の花押ではないようだ。展示リストによると、南北朝時代の作というので、足利幕府が開かれて、足利氏が天下を取った時代である。足利一門であるが、花押が誰か現代では、わかっていない人物の奉納であろう。
 文化財指定は無いが、薙刀、弓などの展示がある。
 国宝 「本宮御料古神宝類」のうち「梓弓」の展示があった。でも、どのような弓だったか、忘れてしまった・・・。
  あとで春日大社国宝殿のサイトを見ると解説に「春日大社が所蔵している文化財の中で特に注目されるのは、国宝 「本宮御料古神宝類」をはじめとする美術工芸品です。」と書いてあった。
 小展示室は、私を含めて3-5名程度の見学者であった。

  廊下、階段の降り口を挟んで反対の部屋、大展示室に入る。入口手前の独立のガラスケース内には 国宝「籠手」(こて)が展示してある。これも、未見の国宝である。両手にはめる、戦用の防具であろう。これ1対で国宝に単独指定されている。「古神宝類」のように一括指定ではない。

 「籠手」をよーく見ると、手の甲のところには、「蝶」の彫金があり、小鳥、花(花の名前も解説文に書いてあったが失念、菊、キキョウ、ハギなどだったかな?。)も彫刻されている。菊の花びらの模様の彫刻があったのは覚えている。
 精巧に作られていて、目をこらしても小鳥の彫刻までは、ボクの目では、よく見えないのだ。枝付きの花の彫刻は見える。源義経所用と伝わっているそうで。

 蝶は別のところにも彫られている。当時の武将は、小鳥や蝶を愛でて、自分の武具にも彫り込んだのでした。

 鎖籠手や別の布製の武具も展示されている。
 その奥の独立ガラスケースには、国宝指定の鎧 4領が「揃いぶみ」しているが、ボクは少し見ただけでスル~(苦笑)。奥の壁ケース内にある展示を見学した。
 のちの時代の作による、現在展示されている、鎧4領の詳細を記録した絵図面や、屋島合戦の図、江戸時代作の色彩が鮮やかな「春日権現記」の展示があった。
 
 展覧会のチラシでは 兜の角??が金色でとても立派で目立つ「 赤糸威大鎧(竹虎雀飾)」が掲載されていた。
 展示室内でも一番目立っていた。金色にピカピカと輝いていた。東京国立博物館の平成館の展示室よりも明るいのでなおさら、「こんじき」に輝いていた。同じ国宝甲冑でも、黒色の鎧は、地味かな。奉納品としてはともかく、現代の美術館の展示品としてみると。
 

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   室内には、大学生のグループが見にきていた。数名のグループでやってきて、見学していたが、私が籠手をじっくりと見てる間に出て行ってしまった。
 入口の検温のため、人の列ができていたが、展示室内は、10名いるかいないか位の状態で混雑せず、ゆっくり鑑賞できた。
 
 一通り見て退出した。11時過ぎであった。
 ↓ 展示室から退出して、1階に戻る。


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 春日大社駐車場、公衆トイレの下にある 国宝殿 特別展の告知看板。「国宝の甲冑 5領が勢ぞろい」と告知している。5領目の国宝の甲冑(鎧)は、わからなかったが、籠手のことか?。
 展示リストによると「甲冑類」の区分に国宝「籠手」も掲載されているので、どうやら籠手も含むようだ。

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 国宝殿を退出した。
 建物の向かって、左手、展示室の下階はおしゃれなショップとカフェが設置されていた。
 

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春日大社国宝殿 特別展「Enjoy 鎧」鑑賞1 2020年7月

 春日大社国宝殿 特別展「Enjoy 鎧」-日本一の鎧を楽しむー鑑賞1 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 
 7月23日 祝日、4連休の2日目。
  東大寺ミュージアムから、林の中の緩やかな坂道の参道を歩いて春日大社の下に到着した。

  参道の途中にも「Enjoy YOROI  鎧を楽しむ」と告知看板があった。

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  ↓ さらに登り、国宝殿が見える位置に設置してある看板。赤い看板だ。

  
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 20年に一度の「式年造替」の際にあわせて、リニューアル工事を実施し、新しくオープンした。 
 一度、式年造替の特別公開のときに 宝物殿を見学しようと思ったが、時間の関係で断念した記憶がある。(そのときは、既に工事に入っていたかもしれず、記憶違いかも。) 
 以前は、参道に結構な古さの鉄筋コンクリート造の「宝物殿」があっと記憶するが、新しくなった館、その名も改め「国宝殿」は、駐車場のさらに上の場所にあった。
  よって、車を停めてすぐに見学できる。駐車場があるためか、この付近は人が多いな。国宝殿の入り口前には、人の列ができていた。
 国宝殿は入館料500円である。券を買うために並んで、その場で検温を受ける。36.5度くらいだったかな。手のひらを差し出すタイプのサーモグラフィーだったと記憶する。(検温続きで、いちいち覚えていない・・・・。)
 

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 特別展「Enjoy 鎧」-日本一の鎧を楽しむーのチラシを入手する。それによると、会期は 本来3月から7月中旬までであった。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行の影響で休館し、6月から再開、会期は9月23日まで延長されていた。
 最初に暗い部屋に入る順番になっていた。明るいエントランスから急に暗い部屋に入るので、目の機能が働かなくなる・・・。春日大社の境内の緑の林の映像が流れている。もう一つ、水を表現したような映像が投影されていた。
 すぐに出て、明るい場所に。先ほどの入館受付のすぐ裏手であった。外からも見える、鼉太鼓(だだいこ)の実寸大レプリカの展示スペースである。一度、暗い部屋に入り、すぐに明るい部屋に。目が眩む・・・・・・
 文化財を展示する展示室は、1階にはなく、鼉太鼓(だだいこ)の前を通って、2階への階段を昇るようだ。
 てっきり、暗室の先に展示室が続いているのかと錯覚した
 今年の春、国宝指定の答申が出た「鼉太鼓」。そのレプリカは、真新しく、極楽のように鮮やかに採色されている。国宝指定の答申 おめでとうございます。
 
 
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 館内は、撮影禁止であるが、ここ1階 の「鼉太鼓ホール」は可能であった。
 
 
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 ↓ 2階展示室への階段。明るい太陽光線が入り込むようになっている1階 の「鼉太鼓ホール」
   明→暗→明と移動する順路なので、立ち眩みがしたよ・・・・・。

   階段の下、右手にモニター画面が設置されている。
   春日大社の紹介映像を視聴できるコーナーがあった。
   2階へのエレベータも設置されていた。建物は2階建てとわかった。

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 2階に。左右に展示室がある。階段を昇って、正面に向かって左手に広いメインの展示室(大展示室)がある。
 今回は 春日大社所蔵の 国宝の鎧 4件(4領というようだ。)の勢ぞろいであるが、以前、東京国立博物館の特別展で見た・・・・・。
 あのときは、平成30年の2月のことだった。わざわざ、「国宝の鎧4領」すべてが揃うときに、日程をあわせていったのに、ここで揃って展示されているとは、・・・・、むしろあのときは春日大社の国宝 刀剣類に狙いを定めて見学すればよかったかな。
 大展示室に鼉太鼓の現物が展示されている。くろずんでいて、鮮やかな彩色ではないが、彩色自体は後世の修復もあるだろうが、あまり残っていないような・・・・。修復も終わったばかりのようだ。修復中に学術調査もおこない、その結果、国宝指定が答申されたのであろう。
 実際の祭りでも、第二次戦後の時代になっても使用されていたそうだ。太鼓をたたく皮の部分は、たたかれたとめ、かなり退色していて、巴のマークは判別しにくい・・・・。
 見学したこの日現在では、正式に国宝には指定されていなかった。「国宝指定の予定」であった。


  春日大社の境内について、
  2015年当時の記事には「・・・外国人観光客もいます。世界遺産のため外国人向けのガイドブックや観光ウェブサイトに掲載されているからだと思います。円安効果といわれて久しいですが、引き続き円安なので外国人観光客は増えているのでしょう。」と書いたが、それもどこに行ったのか、外国人観光客は全くいなかった。
 



























東大寺ミュージアム「東大寺の歴史と美術」 鑑賞2 2020年7月

 東大寺ミュージアム「東大寺の歴史と美術」 鑑賞2 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 7月23日 祝日、4連休の2日目。
 東大寺ミュージアムに到着した。館内は、外の人手と比較すると、比較的人が多い。コロナの影響のある現在でさえ、入館者が多いのだから、今まではもっと入館者が多かったのであろう。
  

 特別展示されている国宝 塑造四天王立像の反対側、東大寺ミュージアムのメインの展示場所には、大きい、見上げる巨像、重文(重要文化財) 千手観音菩薩立像と、両脇侍としては国宝 塑造日光・月光菩薩立像(奈良時代)がある。重要文化財 木造 持国天立像と同じく重要文化財指定の木造 多聞天立像も展示されている。ここは、以前と同じ展示である。真ん中の千手観音菩薩立像は(下の台座から)3メートルはあろうかという高さ。国宝 塑造日光・月光菩薩立像は、白っぽいグレー色の塑像であるが、当時は彩色が施されていたといのは、解説の通りである。
 重要文化財 木造 持国天立像と木造 多聞天立像は、四天王のうちの2体の展示、もう2体のことは、わからない。展示解説によるとこの重文 2体は「・・・永久寺に伝来した・・・・。」とある。現在の天理市の内山永久寺のことである。明治以降、廃絶してしまったが、長く大伽藍をようする大寺院であったことが改めてわかる。

 展示室内には、重文 千手観音菩薩立像

 ↓  東大寺ミュージアム の入口横の「大仏の手」
   その奥に、重文 千手観音菩薩立像と 国宝 塑造日光・月光菩薩立像の写真が掲示されている。
   3体並んでいるところを撮影したようで、仏像の高さの比は、展示仏そのままだ。 

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 続いてみていく。「特集展示 史料にみる戒壇堂四天王立像」の展示がある。
 展示は、令和2年7月23日から開始されている。
 「・・・公開される機会のほとんどなかった塑造四天王立像に関わる史料を展示します。」と書いている。

 重要文化財 東大寺要録(とうだいじようろく) 巻第4 諸院章 紙本墨書 室町時代(15世紀)

 解説では「東大寺要録は奈良時代から平安時代までの東大寺の寺誌で、巻第四諸院章には奈良時代の戒壇院のことが書かれている。戒壇院は天平勝宝6年(754)5月に建立の宣旨が出され、翌年10月13日に完成の供養がおこなわれた。戒壇上の四隅には銅造の四天王立像が安置かれていた・・・」という。
 紙を綴じて冊子になっていて、あるページを開いて展示してある。四隅に四天王を配置したというが、現在、目の前にある 国宝指定の 塑像の四天王像ではなく、銅造であるという。書いてある内容は、漢字で「・・・・天平勝宝六年 五月一日宣旨により・・・・・・・・・・・、落慶、請僧百二十人・・・。」と読める。お経は読む「読」ではなく「請」と書いてある。「読経」ではなく、法要を「請けた」僧侶が120人いたという意味であるかな?。

 ついで、東大寺、その他の寺の名前などがページを挟んで、書いてある。「錫杖・・・」など祭具の道具の名前も書いてある。請経したのは、落慶の10月であろうか。

 東大寺年中行事記(とうだいじねんちゅうぎょうじき)は、江戸時代のもの。

 解説では「江戸時代、東大寺の運営組織であった年預所が日々の出来事を記した日記。享保16年(1731)9月21日条に四天王像に関する記述がみられる。戒壇堂が復興されるにあたり、戒壇院に止住していた僧の望みにより戒壇堂へ移安されたことがわかる。」という。
  

・戒壇院如法律儀第三興隆録(かいだんいんにょほうりつぎだいさんこうりゅうろく)   
 紙本墨書 江戸時代(18世紀)

 「戒壇院が復興された際の記録で、復興時に整えたれた諸道具の目録中、尊像の部に壇上の宝塔内に安置された釈迦・多宝両像とともに四天王像が書き上げられている。
 この記録からは戒壇堂に安置される前は大仏殿西側の中門堂(現在の指図堂付近)にあった古い像であり、
この時の復興に際して修理が施され、戒壇堂に移安されたことがわかる。」という。
 つまり、国宝 四天王立像は、元々戒壇堂にあったのではなく、ずっと後世になってからであり、明治以降も、移すことなく現在に至って、人々に拝観されている。

 これらの史料の展示通路から、国宝 四天王立像の背中が見える。ガラスケースではなく、須弥壇の上にそのまま安置されているため、間近に拝観することができた。東大寺戒壇院戒壇堂では、ぐるっと一周見ることが出来たのか、覚えていない。お堂の中では、横からは拝観できたが、後ろは見えなかったと思う。
 通路から、国宝 四天王立像と正面奥の(大きな)千手観音菩薩立像、国宝 塑造日光・月光菩薩立像も見える。反対のスペース、つまり第2室に入館者入って、見学している様子も見える。と、須弥壇の反対側 第2室で、
 大学生くらいの年齢の若い小柄な髪をポニーテールにした女の子が、じっと四天王像を見つめている。じっと見つめて長い間、見上げていた。国宝 四天王立像には、人を惹きつける何かがあるのでしょう

 東大寺出土の瓦などの考古物の展示もあった。以前、東京国立博物館でも多数の出土物の展示があったことを記憶している。おそらく、以前見たことのある展示物があるのかは、ちょっと分からない。

 ↓ 南大門は、いつも多くの人が通行しているが、この日は人がほとんど映り込まない状態で撮影が可能であった。
 

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 鹿の群れを見ながら、いつもよりも観光客の少ない商店街の前を通り、道路を渡って、春日大社の方向に歩く。



東大寺ミュージアム「東大寺の歴史と美術」 鑑賞1 2020年7月

 東大寺ミュージアム「東大寺の歴史と美術」 鑑賞1 2020年7月(新型コロナ感染症流行下)

 7月22日 祝日、4連休初日。
 
 奈良国立博物館から移動、東大寺ミュージアムに到着した。
 南大門のそばにあるのだが、人出はいつもに比べると少ないと感じる。秋の行楽シーズンと比較すると、半分以下、目視で2割~3割くらいどはないだろうか。いや、3割もないかもしれない。
 早速、券を購入して入る。ミュージアムだけの見学なので600円である。
 東大寺ミュージアムがオープンしたのは、平成23年のこと。私は1回だけ見学したことがある。今回で2回目である。

 ↓  東大寺ミュージアム  
 

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  カウンターのところで係員に「けん(をん)は、こちらです。」と 言われ、券を出す。もう一度「けん(をん)をお願いします。」と言われる。買ったばかりの入場券を出してもスルーーー。「けんを・・・ん」ではなく「けんおん」であった。つまり「検温」の意味であった。手を出して、けん(を ん)と言われるので、入館チケットのことかと思ったよ
手を出せという。手の平を上に向けて、ださせられる。手首のあたりに装置を「ぴっ」とあてる。36.5度くらいだったかな。平熱だった。さっきは、額で、今度は手のひらをグーではなく「パー」して上に向けて出す必要がある。いろんな体温計があるなあ


 最初に映像コーナーがある。スクリーンは、平城京や東大寺の由来、歴史、変遷についての映像が流れる。
入館者は多い。映像の前には20人はいる。
 展示室に入る。7月23日から新たな展示がはじまったばかりである。展示リストがおいてあった。
  「特別公開 戒壇堂四天王立像」と書いてある。
 
 館のサイトには「第1室」のような書いてあるが、館内を見ている限り、あまり部屋の区別は感じない。重文 伎楽面などが展示されている。

 国宝 東大寺金堂鎮檀具の展示がある。ガラスケース内には、「大刀」が展示されている。金鈿荘大刀が3つ、銀鈿荘大刀がある。古代の刀なのでまっすぐで、のちの時代の日本刀の反りがない。「太刀」ではなく「大刀」と書いてある。以前、剣は鉄なのでさびているが、装飾は残っている。
 金銀鈿荘大刀は「陽剣」と「陰剣」の2本の展示がある。どちらが、陽なのか、判別はできないが、X写真も展示されていて、陽剣、陰剣と刻まれていて、その解説が書いてあった。
 大仏の下に埋めた剣が、正倉院の宝物から取り出されて埋納されたもので、以前、正倉院展でも見たことがある。当時は、判明したばかりでマスコミでも報道された。
 国家珍宝帳には、「徐物」のふせんが貼ってあり、書いてある寸法などから、その大刀2振がこの刀であると判明したという。

 次いで、第2室 仏像の展示に。
 まず目に入るのは、大きな千手観音像である。以前は、三月堂(法華堂)に安置されていた 国宝 塑造日光・月光菩薩立像が両脇に展示されている。以前、ここを見たときと同じである。
 国宝 誕生釈迦仏立像及び灌仏盤の展示がある。以前東京の国立博物館の「東大寺」特別展でも展示があり、の後も見たことがある。

 「戒壇院戒壇堂は工事のため、令和2年6月末日をもっておよそ3年間一時閉堂いたします。工事期間中、戒壇堂に安置されている塑造四天王立像(国宝)はミュージアムに移動させて特別公開いたします。」と書いてある。戒壇堂には、2回行ったことがあると記憶する。いや、1回だけだったかな?。
 戒壇堂に4体、トランスフォーメシーョン?のように安置されていた、国宝 塑造四天王立像が、ここに展示されている。
 あためてみるとどれが、増長天か、四天王のお名前を憶えていないし、顔も一致しないぞ・・・・。えーっと、広目天は、目が小さい。多聞天も目が小さいというより、意識的に細めてにらんでいるのかな。

 目が細いのが2体、大きくカット開いたのが2体。オレ的には、増長しやすい性格だから増長天かな!?。(イミフ・・・・・・。)増長と持国天は、目がカッと大きい。体の一部を示す仏が目が小さく、国や増、と国家を守るような名前の仏が目を大きくしてにらんで、邪気を退治し、国家を守護せんとしているようだ。(と感じた。)
 解説にあるとおり、採色の多くは剥落して、グレーの塑像状態であるが、手の肘の下などに色はわずかに残っている。 
 
  ↓ 大仏の手の模造。 さかんに記念撮影をしている。


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百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ⑥ 誉田八幡宮 国宝 拝観続編 2018年春 大阪・京都桜のたび11

百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ⑥ 誉田八幡宮 国宝 拝観続編 2018年春 大阪・京都桜のたび11

 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 ※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。
 
 応神天皇陵古墳の南に鎮座している誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)にやって来た。土曜日午後。境内にある拝観庫の鍵を開けて頂き、国宝などの収蔵文化財を拝観する。
 (「誉」は本来旧字体であるが、便宜上「誉」を使用する。)


   国宝の神輿の画像。「放生橋」の横にあった告知版の写真を拡大撮影した。
宝物の画像は、同八幡宮のサイトに掲載されている。(リンクは貼らない。)

  塵地螺鈿金銅装神輿(ちり じらでん こんどう そう しんよ) 1基 


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 壁に寄せて安置してあるので、正面と横面は見えるが、反対面は見えない。屋根やその上の鳳凰は金属製である。神輿の布のうえには、円形(実際は八角形)の鏡の装飾が吊り下げられている。神輿の屋根の四隅にも装飾を吊り下げている。
 螺鈿細工がなさめている。本当に細かい装飾というか、金工細工がされている。文化財の指定名称のように金銅製なので、やや黒ずんでくすんで見えるのであろうか。

 入り口のところに待機してる若い職員氏に聞く。「9月15日の大祭では、この神輿が応神天皇陵古墳の橋を渡って、敷地内に入るのですか?。」と。さすがに国宝の神輿は、使用せず、今は別の神輿を使用しているそう。現在使用する「橋を渡御する神輿」は、別の保管庫に保管しているそうだ。
が渡ることを「渡御」と書いてある。国宝の神輿を実際に使用していたのは「江戸時代かそれよりも前?」かずっと 「源頼朝が奉納した神輿」ということだった。八幡宮のパンフにも書いてあるが、この付近はかつての河内国(かわちのくに)で、河内源氏が拠点とした場所。よって、河内源氏に連なる(多田源氏だったかな?。)頼朝が奉納したのだろう。とにかく、源氏の故地ということで。

 重文の螺鈿の鞍もあった。昨年、京都の国立博物館の特別展「国宝」で見た、永青文庫の国宝 鞍に似ているような。
 入口に近いガラスケース内にもう一つの国宝の展示があった。金銅透彫鞍金具(こんどうすかしぼりくらかなぐ) 2具。
 うち、ひとつは京都の国立博物館の特別展「国宝」で展示されていたので、見た。普段は、このガラスケース内に保管されているのね。と妙に納得。ガラスケースは、博物館のように大がかりで頑丈そうなものではなく、ここでは簡単に持ち運びできそうな、ショーケースのようなもの。神社などが自力で国宝、重文など指定文化財を保管していくのは、大変なのだなと思った。国宝といえども神社の所有物だし、それを永年にわたって保管、維持していくのは並大抵では無い。火災や盗難の恐れもあるし。

  金銅透彫鞍金具などは、隣接する応神天皇陵 陪塚丸山古墳から発掘されたものであった。錆びたような鉄製の出土品の展示もあった。説明によると「鹿角装刀残闕、鉄鏃、鎧等残闕」というらしい。じっと見入っていると職員氏は「これは、隣の応神天皇陵から発掘されたもの(で、誉田八幡宮に伝わっているもの)です。」と説明をしてくださった。
 「きぬがさ形 木製品」もいくつか展示してあった。「応神天皇陵周濠出土 古墳時代」である。
 貸切状態で、一通りの拝観を終えた。靴をはいて外に出て、階段を下る。

 誉田八幡宮の拝観庫の様子。
(付き添いの職員の許可を得て撮影。)
↓ 

 
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見学を終えて、退出。扉を閉める前に、「撮影してもいいですか。」と確認し、開いているところを撮影。
扉の内側には、ちゃんと「宝物拝観 拝観料400円」と書いてある。扉の外側には一切表示は無いので、わからなかった・・・・。
「ありがとうございました。」とお礼を述べて、辞去する。お陰様で貸切拝観できました
職員氏は、扉を閉めて、鍵をガチヤガチャとかける。次の団体客が来たときに、再び開扉するのであろう。


↓ 誉田八幡宮の南門をくぐって、退出した。


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 境内の南側。壁の内側に拝観庫があった。
 舗装されていない、道路のような空地が門の外、壁に沿ってあった。地面が白っぽい土なので「西日本」とわかる。関東と関西や西日本は土の色が違うのだ。ドス茶色や黒っぽい、関東土(このような言葉があるか不明だが)を見慣れた人は違和感があるかもしれない。
 よって、春から夏にかけての晴れた日は、土が反射して明るく、時には反射して眩しく見えるのだ。
 
 

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近鉄古市駅に向かって歩いた。
(おしまい。)

百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ⑤ 誉田八幡宮 国宝 拝観 2018年春 大阪・京都桜のたび10

百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ⑤ 誉田八幡宮 国宝 拝観 2018年春 大阪・京都桜のたび10

 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 ※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。
  (「誉」は本来旧字体であるが、便宜上「誉」を使用する。)


 「応神天皇陵古墳」と誉田八幡宮は、丸い石橋、放生橋で繋がっいた。応神天皇陵古墳の南に誉田八幡宮は鎮座しているのだ。境内は、ほぼ東西に細長く伸びており、ほぼ南北にある前方後円墳の形式の同古墳の南の一角を占めている。周囲は宅地化が著しい。

 国宝の拝観情報は、ウェブサイトで事前に調べた。しかし、個人の作成と思われるサイトには、拝観時間帯が土曜日の13時から16時と書いてあったりする。八幡宮の運営するサイトや羽曳野市の観光サイトには、一切時間については書いていないので、詳細は分からない。
 (いずれも、私がも見た限りであるが。)
 八幡宮の拝殿にお札所というか、お守りを販売している窓口があった。「国宝は拝観できるのですか?。」と聞いてみた。すると、窓口にいた人は「はい。えー、今日は出来ますよ。」と言った。やはり、土曜日のみのようだ。その旨は、書いてないので、わからない・・・・。
 「このあと、団体が来ることになっているので、少し待っていただければ一緒に案内しますけど大丈夫ですか?。」と聞かれ私は「はい。」と答える。「案内は出していないが、やはり見に来る人はいるんだ。」と思った。
 しかし、すぐに「やっぱり、先に案内しましょう。いいですよ。」と言われる。先に案内していただけることになった。
 400円の料金を支払い、神社の案内パンフレットを貰う。すると、「今、鍵をとってくるので待っていて下さい。」と言われて、拝殿の近くで待機。待っているあいだ、お札所付近の掲示物などを見たが(拝観庫の国宝の拝観案内は)書いていなかったと思う。
 カギを持って、その方が戻って来た。大きな鉄製のカギである。私服姿の若い男性。学生くらいの年齢。神職の息子さんではないかな、と思った。
 こちらですと、男性のあとについて境内を歩く。「どちらから、いらしたのですか?。」と聞かれる。私は「神奈川県からです。」と答える。言葉のアクセントで関西人ではないことは、すぐに分かるのであろう。
 完全な「関東弁」なので。ボクは。
 すると、案内されたのは、先程見たトイレのそばの拝観庫であった。鍵を開けている間、外で待つ。


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 鉄の頑丈な扉が開いた。内部には、収蔵品がある。
 てっきり、高床式の納蔵庫かと思ったが、違った。くつを脱いであがるようになっている。拝観する人は他にはいない。しかし、時折拝観に人が来るようだ。この日も団体がもうすぐ来ると言っていたし。申し出すれば、決まった日に拝観は可能なようだ。看視用のイスも内部に設置してある。
 拝観庫内は、1室のみで天井が高い。入って、目の前に大きな、山車のような車がある。「だんじり」でそう。昔は、使用していたが、今は使用していなくて、ここに保管しているのだそう。
 だんじりの装飾はほとんど外してあるようだ。車輪と持ち手と台がある。だんじり、そのものは特に文化財指定は無い。
 室内を反時計まわりに見ていく。入って、向かって右手の壁から見る。ガラスケース内には重要文化財「誉田宗廟縁起」が展示してあった。複製と書いてあったと思う・・・・・。解説によると年代は「室町時代」と書いてあった。神社(八幡宮)のお祭りの場面などのページが開いてあった。展示品がオリジナルであったか、複製であったかは、忘れた。壁には、パネル複製で縁起絵巻の場面が展示してあり、パネル解説があったかな?。 壁には八幡宮の解説の年表も展示されていた。たしか、この重文の現物は、2013年の東博「大神社展」では、展示されたと思う。
 ここから、持ちだして、貸し出しして、東京に輸送して、博物館に展示されたと思うと、感無量です。
 次いで見て行く。壁面には、重要文化財のお面の展示がある。「舞楽面」の陵王、陵王。男性職員のお話では、祭礼のときにお面(重文指定の面をつけるのかは、聞かなかったが)をつけて舞楽を奉納するそう。
 拝観庫の左端に国宝の神輿があった。
 見ている間は、シーンとしている。職員の若い男性は入口のところに立って待機している。扉は開け放したままである。外気に触れている。
 

 
  国宝の神輿の画像。「放生橋」の横にあった告知版の写真を拡大撮影した。

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 告知板。(前掲) 「放生橋」と国宝の神輿と秋季大祭の説明が書いてある。
 
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 「9月15日の大祭では、神輿が応神天皇陵古墳の橋を渡って、古墳の敷地内に入る・・・・。」と先に見た説明には書いてあった。」橋を神輿が渡ることを「渡御」と書いていた。待機している若い職員氏には、さすがに「とぎょは・・・・。」と知ったかぶっては聞いていない。・・・・・

誉田八幡宮の拝観庫の様子。
(付き添いの職員の許可を得て撮影。)
↓ 
 
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浅草寺 伝法院庭園 特別拝観 2 「大絵馬寺宝展」

 平成29年 2017年、4月2日 浅草寺伝法院庭園 特別拝観 2 「大絵馬寺宝展」


 東京・台東区 浅草にやって来た。「国指定名勝 伝法院庭園 特別拝観」のためである

 浅草寺の境内を歩き、伝法院の入口に看板に従って行く。浅草名物の「五重の塔」は工事のため、幕で覆われていた。庭園の特別拝観の入口は建物だった。券売所がある。階段を数段昇って、中に入る。

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 建物の前では、青いウィンブレを来た係員が案内をしている。

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 次々に拝観者がやってくる。数名の列ができる。並んで、券を買う。

 最初にここ宝物館を見る順路になっている。「大絵馬寺宝展」が開催されている。廊下を展示室内に歩く。ドーンと大きな額が展示してある。
 順路の最初の方に「 国宝 浅草寺経」の展示がある。多分複製・・・・。ガラスケースには作品名のみの表示で何も解説は書いていない。ガラスケースも空気が簡単に入ってしまうような、隙間のある簡易なもので、あまり大切に展示していないぞ・・・・・。ただ、置いてあるだけ。「国宝」と確かに書いてあるのだが、本当に国宝の実物なのか、疑ってしまう・・・・。国宝をこんな簡単なガラスケースに展示していいなかな、と思った。ぐるっと展示室を回り外に出る。
 奥まった展示室のところには、浅草寺の模型などもあった。

 お堂の額縁などがある。奉納された大きな絵馬など奉納者は、街の衆で当時の人の氏名が書いてある。当時のたくさんの人から奉納を受けたということですね。
 「神馬」の大きな絵馬の展示があった。神社ではなく、浅草寺に江戸時代に奉納されたものだ。神仏習合の関係かな。 
 展示リストの配布は無いのだが、特別拝観のパンフレットよると鈴木其一の「迦陵頻伽」の絵馬の展示があるそう。いろいろ、大きな額縁(つまり、絵馬のこと。)を探して、順路を戻って探したが、無かった・・・。私が見つけることが出来ないだけだったのかも知れないが・・・。

 入館者が増えて来た。賑わっている館内だ。
 展示館を出る。最初に「大絵馬寺宝展」を見て、外に出て、庭園を散策する順路になっていた。

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 庭園へ。「大絵馬寺宝展」が開催されているのは、宝物館ではなく「特別展示館」というようだ。
 庭園内の案内看板が出ていた。

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 庭園内の道を歩く。水路の水は濁っている。都心の中の水であるから、仕方ないか・・・・。隅田川とつながっているのかな。

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庭園の周囲は、ビルや工事中の建物などがあり、いかにも都心の中の小庭といった感じ。


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と、道の途中に入ることのできない島があった。「立入禁止」となっている。

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「経ケ島」の説明。聖域である。池の中の島である。
写経が埋められているそうだ。

遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞3(最終) 2018年2月

 遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞3(最終) 2018年2月

 藤沢市にある時宗の総本山「遊行寺」、正式には「清浄光寺」の宝物館にやって来た。
 国の重要文化財で、有名な絹本著色「後醍醐天皇御像」は室内の一番突き当り奥のガラスケース内に展示されていた。
 展示室内では、僧侶の方がある見学者に個別に説明していた。私も少しばかり聞き耳をたてて見学した。やはり、展示品には作品名しか書いていないものも多いので説明は少しでも聞いた方が理解できるから。
 
 続いて順路に沿って平ガラスケースを見ていく。
 後醍醐天皇の直筆の文書の展示があった。といっても手紙のようにたくさん文字は書いていない。色紙に何かを書いたもの。書いてある内容は分からない。ご親筆であるが文化財指定は無い。
 「徒然草」や飛鳥井雅俊筆の「伊勢物語」、冷泉為和筆の「古今和歌集」の本が展示してある。展示品の横に作品名表示はあるが、解説文がないものもあるので、内容は分からない。説明の声が聞こえるが「飛鳥井家と関係が深く、飛鳥井家のものが(遊行寺に)奉納されている。」と。関東のお寺と京都の堂上公卿の間に密接な関係があったことが推測される。
 ↓特別展「遊行寺の逸品」のチラシの拡大。
  冷泉為和筆の「古今和歌集」の画像がある。

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↓特別展「遊行寺の逸品」のチラシの拡大。
 ガラスケース内に展示のあった古今伝授神壇図の画像がある。
 人物の付近に儀式の道具などの配置や儀式の方法?などが表現されている。
 展示によると遊行寺は密教と密接な関係があったので「灌頂」に関する儀式の図かと思ったが違うようだ。
 同じく展示されていた書籍の画像もある。

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 ガラスケース内の展示品を説明しながら僧侶の方は「歴史の教科書で知っている人の直筆の手紙があるのはすごいこと。」と言っている。武田信玄の書状がある。確かに末尾に「信玄」とかいている。内容は、「相模 ××と 俣野の間、××貫を預ける・・・・。」とあった。土地の権利を認めたものである。「俣野」は現在、戸塚区から藤沢にもある地名である。信玄はこの付近も支配していたのか、小田原市の北条を攻めたときに、滞在し、この付近の領地について差配したのかな。「預ける」という文字があるが、「与える」「知行する」という意味と同じことなのか分からない。その後、武田のこの文書がずっと有効であっかもわからない・・・。
 足利義昭の手紙がある。何かのお礼の手紙であった。時代は、信長の頃である。なぜ、遊行寺にあるのかは不明だ。そのとなりの展示品は足利義澄のもの。義澄って誰、と思ったが、11代の将軍だった。今川義元の手紙もある。和紙に大きく文字がかいてある。ただ、署名のところには「義元」とは書いていないような。「源・・」と書いてあったかは、忘れた。花押以外が直筆であるかは、分からない。
 
 藤沢市指定文化財「一遍上人縁起絵」の展示がある。国宝「一遍上人絵伝」の新しいバージョンのような巻物。江戸時代の写本かな、と思うくらい彩色が鮮やかだ。しかし、室町時代の作品である。国宝の絵伝にもシーンがあるが、一遍の生まれた伊予の一の宮「大山祇神社」の境内の場面かなと思ったが、紀伊の国の「熊野本宮大社」に参詣する一遍の様子の場面の展示であった。現在は、本宮大社は山の斜面に移転しているが、かつては川の中州にあったので、この巻物で描かれているとおり平地にあったのだ。

 ↓特別展「遊行寺の逸品」のチラシの拡大。熊野本宮大社の様子。 
 
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 ↓ 2018年2月、今回訪問時の遊行寺の本堂と境内の様子。
 買い物をした主婦らしき年配の女性が大根などをビニール袋に入れて、手に持って境内を通り抜けて自宅方向へ歩いて行っていた。買い物帰りの近道かな。境内が。

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遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞2 2018年2月

 遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞2 2018年2月

 藤沢市にある時宗の総本山「遊行寺」、正式には「清浄光寺」の宝物館にやって来た。
 展示ガラスケースに沿って順路が示されているので、それに従って見ていく。県指定の文化財「一遍上人像」と国の重要文化財指定の描け軸になっている肖像画がある。
 県指定の文化財「一遍上人像」はあの色黒で粗末な衣をまとった祈りをする?上人の姿。もう1点の国指定の重要文化財指定は「一向上人像」である。一遍ではない。解説が無いので分からないが、一向上人は一遍の弟子?にあたる人物で、初期の時宗の教団の高僧であろうか。藤沢市指定の文化財の肖像画も隣接して展示されている。
 順番に展示を見ていく。描け軸の画像などであるが、「熊野信仰」に関するものが何点かある。熊野信仰は平安後期が最盛期だった??と思うので、鎌倉時代から南北朝の時宗が成立したときにも盛んであったのだろう。現在は熊野古道として世界遺産にも指定されていて、知名度も高い。私も訪れたことがあるので、なじみ深い。
 国の重要文化財 絹本著色「後醍醐天皇御像」は室内の一番突き当り奥のガラスケース内に展示されていた。歴史資料集でも見たことがいる肖像画である。改めて「本当にここにあったんだ。」と思った。日本で義務教育を受けたことがある人ならば、ほとんどんの人は、この写真は見たことがあるのではないか。
 と、隣に紙本著色「後醍醐天皇御像」の展示がある。紙に描かれた肖像画なので、ややインパクトが弱い感じがあるし、彩色が新しいので、後世の制作である。解説文が掲示してあり、新発見された「後醍醐天皇御像」であるとのこと。 国の重要文化財 絹本著色「後醍醐天皇御像」を写したものであるそうだ。そういえば、時期は忘れたが、以前新聞で記事を読んだことがあるような。
 実物を初めて見たのだが、絹本著色「後醍醐天皇御像」は歴史資料集では拡大の画像しか使用されていないことが、分かった。天皇の御像の上には文字が書かれている。縦書きで神仏の名称が書かれているのだ。みっつ書かれている。真ん中には「天照皇大神」とある。左右に「八幡大菩薩」と「春日大明神」と大きく書いてある。天皇の肖像であるので、「天照皇大神」と天皇の真上に書いているのだろうか。神仏の加護を祈った肖像のように感じた。隣の紙本著色「後醍醐天皇御像」(文化財の指定なし。新発見のもの。)は、「八幡大菩薩」と「春日大明神」が重文指定と比較して、文字の左右の配置が異なっている・・・・。右に「春日大明神」、左に「八幡大菩薩」と全く左右が逆になっているのだ・・・・。模写であるから深い意味はないのかな・・・。解説文にも書いていないし。壁面に展示されているこのふたつの肖像画の手前には由来を示す寺の巻物文書が展示されている。絹本著色「後醍醐天皇御像」がなぜ遊行寺にあるのかその経緯が書いてあるらしい。

 私が、ふたつの「後醍醐天皇御像」を見比べていると、青い作務衣をきた僧侶の方が、スーツ姿の男性2人をつれて室内を早足で歩いて、一番奥の「後醍醐天皇御像」の前までやってきた。僧侶の方解説がはじまった。
 二人の訪問者のために話を始めたのであるが、ついでと思い私も聞き耳を立てた。話の内容は「元々、天皇像として描かれたものではなかった。」というような説明に聞こえた。本当だろうか?。真偽の程は分からない。私の聞き違いかな。説明では「後醍醐天皇の崩御の後、35日の法要のために制作された。」そうだ。私が思った通り密教の法具を持っているし、「天照皇大神」の神号をかいてあるし「信仰対象の「曼荼羅である。」と。文観(もんがん)が奉納したそうで、御像に目を書き入れしたのも文観だそう。天皇のお姿の冠の上の丸は、やはり太陽で大日。」と。「大日如来」を現しているのだ。
 更に僧侶の方はスーツ姿の男に説明を続ける。「(展示ケース内の文書を差しながら)この絵の由来がかいてある。(紙本の「後醍醐天皇御像」)は、私が見つけた。描いた日付までわかってしまっている。(現在重文の「後醍醐天皇御像」)近くにおいて写した。よってほぼ同じ大きさてで絵の輪郭も重なる。(「春日大明神」と「八幡大菩薩」の文字の)左右が入れ替わっている点はわからない。ウィキ(ペディア)では、古いくすんだ画像がのっている。昭和59年ころに修復して顔の部分のなどが鮮明になった。(ウィキに掲載されている)画像は、修復前(のもの)らしい。極めて重要な作品で、(現在は)国の重要文化財であるが国宝に近い作品。」とお話があった。
 説明を受けていた男性が質問する。「模写はどこで見つかったのですか?。お寺の倉庫の中にあったのですか?。」などと僧侶の方に聞いている。
 写した紙本の「後醍醐天皇御像」は「(天皇の衣の)袖に龍紋がある。制作当時のことがわかる資料だ。(天皇の)口は省略されて描かれているが、ほぼ忠実に写されている。・・・」とのお話が聞こえた。

 男性2人と僧侶の方は、別の展示物の前に移動した。改めて「後醍醐天皇御像」を鑑賞する。重文指定の作品の天皇のお口は、よーく見ると黒い。歯に鉄漿(おはぐろ)をしているのだ。写真で見ただけでは、あまり気づかない。実物を見たから判るのかも。
 「龍紋」については私もよく理解できなかった・・・。天皇のみが使用を許されたのが「龍」の紋のある衣なのであろう。天皇の御座の手前の獅子2体も目を引く。歴史資料集には、省略されてしまう部分である。実物を見たので分かった。確かに信仰対象のための御像であると感じた。

 紙本の「後醍醐天皇御像」については制作年は作品を見た限りでは書いていない。どこかに書いてあるので制作年が判明したのだろう。肖像画の手前の由来を示す寺の巻物文書には確かに「文観」の名がある。制作後、ここ遊行寺に納められて、今日(こんにち)まで伝わっているようだ。
 続いて、付近の平ガラスケースなどを見る。

  
 ↓ 2018年2月、今回訪問時撮影の遊行寺宝物館。
   絹本著色「後醍醐天皇御像」の拡大写真がポスターになっている。

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 特別展ポスターの拡大。
 国指定 重要文化財指定 「一向上人像」の画像がある。

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遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞1 2018年2月

 遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞1 2018年2月

 藤沢市にある時宗の総本山、正式には「清浄光寺」(一般的には「遊行寺」と呼ばれている)にやって来た。
 久々の「地元ネタ」。積極的に掲載していかねば(笑)。あっ、昨年11月の鎌倉国宝館「足利持氏展」の記事も詳細掲載しているぞ

 今回の企画(特別)展の目玉は、重要文化財「後醍醐天皇像」。教科書、歴史資料集などでその画像が必ずといってよいほど掲載されている肖像画である。 その「後醍醐天皇像」が藤沢の遊行寺にあるというのだ。知ったのは最近のこと、というより昨年の春先だったか、遊行寺のウェブサイトで見たか、掲示してあるポスターで見たのどっちか。1月1日の初もうでから2月中旬にかけて開催された企画展で、展示されていることを知った。ポスターの写真も「後醍醐天皇像」の拡大一部画像が掲載されていたので。
 教科書や歴史資料集に掲載されている「後醍醐天皇像」には「清浄光寺蔵」と必ず記載されているであろう。だから、「清浄光寺蔵」とこの肖像画の画像を見たときは認知していたのだろうが、いざ企画展の告知を見ると「いや~、知らなかったよ。でも、なぜ後醍醐天皇ゆかりの吉野(奈良県)や京の都にある寺院ではなく、京から遠くはなれた、しかも天皇が悲願の打倒を果たした鎌倉幕府の所在地近くのお寺にあるのか?。」と率直に思った。
 しかし昨年は、なぜか見学に行かなかった・・・・・。重要文化財「後醍醐天皇像」はのみがしてしまった訳だが、今年になってからも特別展「遊行寺の逸品」というタイトルで公開されていた。特別展のポスターは、昨年と同じく重要文化財「後醍醐天皇像」の拡大写真が掲載されている。特別展は1月1日から2月12日までである。
 初詣のついでに来ると、又は毎年1月2日と3日に開催される箱根駅伝の観戦のついでに来ようと思ったが、結局実行せず。しかし、今年こそは見逃すまい、と会期終了の間際に遊行寺宝物館にやって来た次第だ

 本当は「初もうで+箱根駅伝観戦」を兼ねてくるのがよいのですけどね。国道1号線の「藤沢橋」の交差点、箱根駅伝の中継においては「遊行寺前」付近で観戦がよいのではないか。特に箱根駅伝の「遊行寺前」はタイムのチェックポイントでテレビに映ることが多い。よって、沿道で観戦をしていれば、テレビに映る可能性が高い。
 前回は宝物館のリニューアルオープンを記念して「一遍上人絵巻 全巻公開」と銘を打たれた展覧会に2015年の11月と12月の2回来た。

 重要文化財「後醍醐天皇像」。天皇の冠の上には、赤い球体が描かれている。「日の丸」を思わせる真っ赤な日輪である。そして天皇は手に「三鈷杵」など密教の法具をお持ちになられている。密教の儀式の様子を描いたお姿なのだ。密教といえば、高野山か比叡山であろう。何故、時宗の総本山、関東の地、藤沢の清浄光寺にあるのか、ますます分からなくなってきた・・・・。近年、藤沢など東海道線沿線地域も東京、横浜の通勤圏内にあるベットタウンとして住宅化が著しい。だから、私も元々神奈川出身とはいえ、居を定めて住んでいるのだ。近隣に住んでいても、遊行寺にはなかなかやって来る機会は無いなあ。
 とある最終日にも近い休日、急いで特別展「遊行寺の逸品」の見学に行った。1階のチケット売り場で購入する。入館料500円である。展示室は二階。改めて展示室の中に入ってみる。2年前のリニューアルオープンのときと展示室内の様子は変わっていない。
 室内は会期末近くのためか、思ったよりも入館者がいる。室内には私以外で6名くらいだろうか。私よりも若いくらいの年齢の男女もいる。途中から、20歳台~30歳台前半と思われる男性も1人でやってきたし、60歳くらいの夫婦らしき男女もいたり、60歳~80歳くらいの年配者ばかりと思ったが、意外にも平均年齢は高くない。
 展示室に入ってすぐのところにある空也の小さい象はそのままだった。文化財指定は無いが、室町時代の木像である。前回同様一遍と空也の関係は、展示されているこの木像を見ただけでは分からない。「なぜ、時宗に空也なのか?。」と思ってしまう。
 室内の壁には一遍上人と遊行寺の年表が掲示してあるのも同じだった。前回訪問時にもあった。
 改めて年表を見てみると、一遍上人は「伊予の国の生まれ。」とある。「そうだったな。」と思い出した。伊予もルーツのひとつある私自身にとっても身近に感じる

  
 ↓ 2015年11月に訪問時撮影の遊行寺宝物館。展示室は二階でした。中に入ってみるとさほど広くありません。 宝物館に入るのは3回目である。「一遍上人絵巻」の特別公開のときに2回来たことがある。

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↓ 今回訪問時の宝物館。寒い日であった。「真冬の快晴」であった。

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萩 松陰神社 宝物殿至誠館 見学 特別展「吉田松陰が生まれた杉家とその家族」

 2015年8月

 萩の松陰神社。境内に宝物殿、その名も「至誠館」があります。
 実は、鳥居の手前、駐車場の近くにも資料館があります。こちらは、神社の宝物などを保管展示する施設のようです。
 建物は新しく2009年の竣工。建物の前には人工の池があります。炎天下なので涼しさを感じます。
 特別展「吉田松陰が生まれた杉家とその家族」を昨年からほぼ一年の期間で開催しています。

 ↓ 池の中に「徳」の字があります。
   池に面した壁に「タテの長方形」の窓が小さく開いています。建物の内部からこの窓の外を見ると、
   「松下村塾」の建物が正面に見えるようになっていました。
 パンフレットによると「村塾の観席」といって塾の建物がダイレクトで見えるように設計されています。四角い部屋で映像コーナーもあります。平らなイスがあり、腰をかけると小さい窓から松下村塾の建物が見えます。

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 特別展が開催されていたので見学します。
 入館して向かって左、上の写真に写っている建物の内部が展示資料室でした。

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 特別展は、杉家の系図の説明がありました。親族の手紙などを展示していました。
 展示室の奥には「留魂録」といって松陰が処刑の直前に書いた書跡の展示スペースがありました。文字は何とか読むことができます。死を前にして落ち着いています。そのタイトルの通り、死しても魂はこの世にとどまることを企図していたのでしょうか。

 明治維新後、神格化され、現在でも神社で祀られています。が、松陰その人の事績を知る人、ましてその事績を語ることができる人は多くないでしょう。何かを成し遂げた人、という訳ではありませんし、政治家でもありません。思想家ということはできると思いますが・・・・。ペリーにアメリカに連れて行ってもらおうとした人、幕府を批判して安政の大獄で死刑になった人ということは私も知っています。が、具体的に何を批判したのかは、実をいうとよく判りません。幕府の開国に反対したのか、政治そのものに反対したのか、倒幕を企図した人だたのか、よく理解をしていません(苦笑)。
 が、松陰を尊敬しているという人は多い。特に政治家、政治家志望者では多いのではないかと思います。アノ総理大臣様をはじめ、首相、閣僚経験者などを中心に多いのではないでしょうか・・・・・。今年、世界遺産になった理由のひとつでもありましょう。

 



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