良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

東北、北海道の記念館、資料館

 

阿寒湖 観光6 (チュウルイ島~幸福の森桟橋 帰投、阿寒湖に沈む夕日)

 2015年9月23日 北海道 阿寒湖 チュウルイ島

 モリモ展示観察センターを見学した。 建物の屋根が阿寒山の展望台になっている。
 センターを出たところ。一方通行の順路で、次は、船に戻ることになる。↓



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↓ センターの脇には、水槽がある。使用されていなかった。

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 外に出ると、湖のほとり。ここでも記念撮影ができる。日没近くで暗くなってきているが、雄阿寒岳と湖水をバックに絶好の記念撮影ポイントだ。


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 センターを出た後は、一方通行になっていて、そのまま船が停泊している桟橋へ林の中を歩く。

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 ↓ 桟橋に停泊している遊覧船。定員はなんと400名以上。知床の遊覧船よりも多い。
 乗り込んで、再び出発。出航する際に、乗り遅れがないが、確認はしているようです。


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 ↓ 桟橋の様子。マリモのキャラクター看板がある(笑)。

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 実際のマリモはこの先の湾に生息しているのだ。川の水が流れ込み、浅い地形で転がってマリモになる。
一時期は阿寒湖でも、観光施設、住宅からの生活廃水が流れ込みマリモができなくなったそう。その後、水質環境改善されたそうだ。


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 チュウルイ湾の拡大。あの水中には、マリモが生息している筈。
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遊覧船は、チュウルイ島を離れた。
↓ 湖面上には、カモが・・・・。縦列??でお見送り。

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 と、モーターボートがチュウルイ島へ向かっていく。オレレンジ色でジェットエンジンのようなものが横に二個ついている。速い。とてもスピートが速い。遊覧船のデッキから、眺めていたが、瀧口か「まりも桟橋」の方向からやって来て、あっという間にチュウルイ島の桟橋に横づけした。
 チャーターのようだ。桟橋にいる先程の係員が、モーターボートを繋留する。到着して、乗船客は下りて、島に上陸したようだ。


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 チユウルイ島とチュウルイ湾遠景。モーターボートも停泊しています(笑)。

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 チュウルイ島からは、一直線に元来た桟橋に向かう。夕方5時近く。だんだん太陽が沈んできた。
出航した「幸福の森」桟橋が近づくにつれ、太陽も山のむこうに沈んでいく。阿寒富士や雌阿寒岳がはっきりと見えるようになった。先ほどは逆光で見えにくかったのだ・・・・。

 ↓ チュウルイ島の南端に「マリモ展示観察センター」の平屋が見える。

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 外輪山からピョコンと飛び出ている山。しかし、阿寒富士ではない。阿寒富士は、阿寒湖上からは、「雌阿寒岳」の左(方角でいうと東)にある山だ。

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 と、先ほどのモーターボートが速いスピードでこの遊覧船を追い抜かしていった。乗船客がマリモの観察を終えて、再び乗り込んだのだろう。阿寒観光汽船の本社、遊覧船の出港地である「マリモ桟橋」(つまり船の起点)の方向へ「ビィーン」と音を響かせて向かっていった。
 このモーターボート、流線型で、恰好いいのだ。ジェットエンジンが付いているように見える。湖上を走るジェット機といったところかな。湖上のプライベートジェットだ。時間が無い場合は、チャーターしてモータージェットで観光もありですね。


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 チュウルイ島から、一路航跡を残して、「幸福の森桟橋」へ。どんどん、チュウルイ島、世にも不思議なマリモが生息する、チユウルイ湾から遠ざかっていく。
 さらば、マリモ!、である。

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 どんどん、空が暗くなっていく。東の空には、おお!、月が出ている。

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 西には、太陽がまさに沈もうとしている。雌阿寒岳の西、山が窪んでいる所に。

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 夕日の拡大。湖水に夕日が反射して、ゆらゆら揺れている。

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 阿寒湖を囲む外輪山に太陽がまさに沈もうとしている。

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 夕日と湖水と雌阿寒岳のアップ。北の大地に沈む美しい夕日だ。
 南の海に沈む夕日を見たことがある。それに勝るとも劣らない、美しい夕日であった。
 「阿寒富士」は写真の左に切れて写っている山(だったはず)。

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 だんだん、「幸福の森」桟橋に近づいて来た。
  17時5分過ぎ、最後の便が出航していった。最終便が、湖の東側の「瀧口」方面に向かっている。チュウルイ島に行き、湖畔の桟橋に戻るのは18時を過ぎる。つまり、帰着する頃には、日没時刻は、とっくにすぎて真っ暗な桟橋に戻って来ることになる。


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 ↓ 最終便の出航。カメラのアングルを引いたところ。

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 ボッケの方向を船の上から、改めて確認する。日没時刻は、近い(阿寒湖では山の向こう側に隠れてしまったが・・・。)といえどまだ明るいので、ボッケにも散策できそうだ。せっかく、阿寒湖かまで来たのだから、この旅の最後に、この船を降りた後はボッケを見て、帰ることにしよう。
 17時10分過ぎ。桟橋に着いて船を下りる。団体さんも、個人客も順番に船を降りて、めいめい解散していく。私達は、車を停めた駐車場の方向へ湖畔を歩く。
 
 ↓ 遊覧船の上から、日没後、西からの残光に照らされる「雌阿寒岳」。手前の湖畔の街が阿寒湖温泉街。
   最近、火山活動を続けているのは、こちらの雌阿寒岳だったと思う。斜面に、火口のような、箱根でいうと、大涌谷のような、噴煙があがるような砂地が見える。


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阿寒湖 観光5(チュウルイ島、マリモ展示観察センター)

 2015年9月23日 北海道 阿寒湖

 夕日に照らされる、阿寒湖。その阿寒湖に浮かぶチュウルイ島に遊覧船は接岸した。
漢字では「忠類島」と書くのだろう。旭川市の現在の市街地の旧呼称である「忠別」も「チュウベツ」と読むし、アイヌ語源の「チュウ」には「忠」の文字をあてるようだ。
 船を降り、島に上陸して、林の中に道を「マリモ展示観察センター」へ歩く。
 いよいよ特別天然記念物「マリモ」とご対面である。簡単に湖水に潜って見る訳にはいかない。世界でも現在て゜は、ここだけにしか生息しないといわれる、マリモ。よって厳重に管理されている。

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建物の屋根が阿寒山の展望台になっている。

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写真撮影し、スロープを下り。館内へ。

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マリモの水槽がある。


以前見た NHKの番組の放映をしていた。
マリモは水の流れと
、湖底の地形が微妙に関係し、丸く回転することによってマリモになるそう。
イギリスの湖のところを放映していた。工場排水が流れ込み全滅したと放映していた。
見たことを思いだした。


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実際のマリモはこの先の奥の湾。川の水が流れ込み、浅い地形で転がってマリモになる。
一時期は阿寒湖でも、観光施設や生活廃水が流れ込みマリモができなくなったそう。
その後 環境改善されたよう。

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知床世界遺産 ルサ・フィールドハウス 入館とルサ川河口周辺散策

 2015年9月23日 北海道 知床国立公園。

 「セセキ温泉」で少しばかり、足湯を体験。さすがに、全裸で入浴する「勇気」はなかった。相泊温泉と同様に恰好の「被写体」となってしまうため・・・だ。
 車に戻り再度、出発した。数分で、ルサフィールドハウスまでやって来た。「知床世界遺産 ルサフィールドハウス」だ。 

 先程、相泊に向かう途中に通過したときは、開館時刻の前だったが、到着したときは、ちょうど朝の9時前。開館まで、あとわずかだった。敷地の入口には、チェーンがかかっていて車は進入は出来ないが、あと一分だと思い、待つ。チェーンの前で車を停めて、そのまま待っていると、係の女性がやってきて、チェーンを外して入場させてくれた。そのまま、駐車場に車を停める。敷地は広いが、駐車場のスペースは数台分しかない。
 風が強いようで、係の女性は、髪が乱れないように頭を押さえながら建物に戻って行った。私達は、本日、最初のルサフィールドハウス(以下「ハウス」)の入場者となった。

 ↓ ルサフィールドハウスの看板と入口の様子と羅臼方向。

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↓ ハウスの前から知床の山側を見る。だだっ広い、草原が山まで続いている。
 何でもない、晴天のように見えるが、上でも書いた通り、山から強い風が吹き付けている。冷たい風だ。
 写真では、分からないが、木も風に吹かれて揺れているのだ。
 遠くでは、雲も分裂しているし、流れが速い。

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ハウスの前の道路ごしに海と国後島(見えないが・・・・)。時折、スピードを出して車が道路を走行する。

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 車を降りた途端に、猛烈な風にあおられた。道理で先ほど、係の女性が頭を押さえて、歩いていた訳だ。山から強烈な風が吹いている。風も冷たい。晩秋を思わせる風だ。気温は20度以上あり、長袖シャツ一枚で大丈夫なのだが、強くて冷たい風のため、体感気温がぐっと下がる。

 フィールドハウスの建物に入る。建物は強風や冬の暴風雪を避けるように、山側に壁と軒下通路を造って、入口を設けている。

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館内には、ビジターセンターのような知床の自然に関する展示がある。
熊の剥製などがある。

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 館内のボードには 熊の目撃情報などがある。
相泊から先の知床岬方向にかけて何カ所かでクマの目撃情報がある。相泊から知床岬に至る途中の海岸部でクマの出没情報がある。知床岬までは「石浜」だとある。
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 今年の7月の情報もあるので最新とはいえない。詳しくヒグマの目撃情報が出ている。が、この付近は、クマの生息地域なので、クマを見ないほうが、おかしいのではないか。あくまで、知床においては、人間は入らせて頂くというスタンスだ。先の相泊でも掲示があたし、ここハウスにも掲示があるが、知床岬方面の入域制限エリアに十分な装備と、自己責任が求められる。
 クマの生息数は限られているのだろうか?。全体では、生息数は分からない。昨日の遊覧船では、クマに名前が付いているので、固体数は限られているように感じた。
 また、ボードには昨年、ヒカリゴケの岩が崩れて「現在は見学できない。」とあった。ヒカリゴケの現地には何も表示がなかったが、こここに来て理由が分かった。

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 事務室内では、先ほどの女性が一人いるのみ。職員は一名のみのようだ。館内は私達だけなので、シンとしいる。
 ハウスの山側にガラス窓があり、知床の山が見える。この先はルサ峠に続くうだ。ちょうど、ウトロ側のルシャ湾と反対側になる。「知床のルサ峠の道が、一番標高が低くなっている。かつては、(知床横断道路開通前)知床半島を徒歩で横断する道だった。」と昨日の知床岬遊覧船の船内案内でも聞いた。
 知床半島で山が低くなっている鞍部だ。山が低くなっているので、風が強いのだそう。ウトロ側の「ルシャ湾は一年中、強い風が吹いている。」と昨日の遊覧船の船内案内でも聞いた。
 ウトロ側は「ルシャ」と呼び、羅臼側では「ルサ」と呼んでいることにやっと気づいた(笑)。だから、ここは「ルサ フィールドハウス」なのだ。「ルシャ」も「ルサ」も同じアイヌ語に由来する地名であった。「向こうの道に繋がる所」のようなアイヌ語の意味だったと思う。
 ルサ峠は標高が300メートルくらい。半島の先端に向けて、標高1000メートル以上の知床岳があるのだから、半島の「くびれ部分」であるのだ。

ハウスの山側にガラス窓があり、ルサ峠の方向を見る。↓
 いかにも、冷たそうな風を発生させそうな、鉛色の雲が湧いている。所どころには、雲が切れて、青空が見える。天候の移り変わりの速さが分かる・・・。
 風の通り道である。風は、ルサ峠を越えて、あの雲から吹き付けられているのだ。冬は暴風雪となろう。
 風が強いせいか、山々の木々は少ない。疎林である。
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ハウスの山側のガラス窓。半島の地形や動物、植物の解説がある。
ルサの付近には、古代の住居跡もあったようだ。出土品の写真展示がある↓

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 ハウスで、トイレを借りるが、ここには水道はないとの表示。アルコールで消毒のみだ。
昨日の夕方見学した羅臼のビジターハウスとここルサフィールドハウスと、羅臼側には二個の案内施設がある。

ビジターセンター・・・羅臼の自然保護官事務所で環境省の出先機関と展示施設。
ルサフィールドハウス・・・知床の先端部に入る人のための情報提供施設

 の意味合いが強いのかな、と思った。
 よって、ここルサフィールドハウスでは、展示品がビジターセンターよりは少ない。利用者、入館者がどれだけいるかは、分からない。羅臼側は、ウトロに比べると、静かな漁村という感じで、知床の半島先端部、立入制限エリアに入る人がどれだけいるかは、分からない。(入林届などから推計して、統計は出ているとは思うが)

 ハウスの見学を終えて、館外に出てみる。ハウスの近くには、川が流れて、海にそそいでいる。「ルサ川」だ。付近の道路が通る橋を「知床橋」という。橋の先は国立公園エリアだ。ひひより先、橋を渡ると国立公園だった。その手前、ギリギリ国立公園指定地域の手前に「ルサフィールドハウス」を設置して、情報提供をしているのだろう。
 
 ルサ川にかかる知床橋のやや上流にサケの群れが泳いでいるのが見える。音も立てずに、流れに向かって(逆らって)尾びれを動かして、滞留している感じだ。数百匹はいるだろうか?。
 橋の下流、海側はというと、サケの群れはいない。川に入り、流れの適当なところで滞留しているのだろうか。
 海を眺めていても、サケが跳ねて、海から川へ遡上する様子はない。
 時折、橋をスピードを出して道路ょ車が通過する・・・・・・。「自然と現代文明の交錯」だ。

 ↓ 知床橋の先、国立公園だ。番屋などはあるが。停まっている車は番屋の関係者のものだろう。

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↓ ルサ川の上流、ルサ峠方面。
左側は、ルサフィールドハウスの敷地。
私の影が水面に映っている。清流だ。川の流れの速い場所に、サレの群れが縦列で泳いでいる。魚は、黒っぽく見える。というか、滞留している。
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 コンクリート護岸されているので、自然そのままの川でないのが、少し残念。だが、その上流はほぼ自然の流のようだ。ルサ川は、源流から河口まで、人家は無い。ルサ川の水系には、人間の生活圏がないため、自然の生態系がほぼそのまま維持されていると信じたい。

↓ 知床橋と海。左の川の水中には、黒い物体がいくつも見える。サケだ。

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↓ 山側。

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↓ 橋と羅臼の街の方向。
と橋のともと、ハウスの脇には、携帯電話の基地局?があった。携帯の電波もよく入ります。

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 ルサ川の河口。 ↓
 海からのサケの遡上は無い。沖合に鳥が飛んでいない。河口付近の海中にもサケはいないのだろうか。
河口付近の川の水深は浅い。子供でも簡単に渡れるくらい。サケはこの浅い川をどうやって、上流まで、遡上するのかな?。その姿は、圧巻だろう。
 早朝?に遡上して来るようだ。

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↓ 知床橋の上から、ルサ川の様子の拡大。
 この記事では、遡上しているのは「サケ」と書いているが、実際は「カラフトマス」のようだ。時期的に8月下旬から9月は「カラフトマス」が遡上のメインのようだ。その後は、「サケ」でも「シロザケ」の遡上が見られる筈。この時期、シロザケの遡上には早いようだ。

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ルサフィールドハウスをあとに、一気に標津へ向かうことにする。知床ともお別れだ。

羅臼ビジターセンター 見学 (知床峠から移動)

 2015年9月22日 世界遺産 知床国立公園にやって来た。知床峠からの眺望を楽しむ。
  
 知床峠の展望台から国後島の姿を見た。次いで、知床横断道路を下り、羅臼へ向かう。車に乗り、峠を下る。羅臼へは、うねうねしたカーブの連続となる。ウトロ方向から、知床峠までは比較的まっすぐで、ずんずん峠まで標高が上がって行く道であるが、羅臼へは違う。
 峠を下ると「見返し峠」というところで、道路はカーブを描いて大きく反転する。この瞬間、景色がよく見えるが、通過する。途中、「羅臼湖」のバス停がある。バス停付近には、誰もいない。駐車場もないのて゜、車を置いて羅臼湖を散策という訳にもいかない。カイド本によると、道路に駐車をして、羅臼湖散策は禁止とか。
 知床峠に車を停めてから歩くというが、歩道もないので大変危険。峠から下ってくる車はかなりスピードが出ているので。
 路線バスがよいだろうが、本数も限られる。一応、羅臼湖に行けないかな、と事前にバスの時刻も調べたが、この慌ただしい日程の旅行では、時間も無いので、割愛だ。

↓ 知床峠から、羅臼へ下る。

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↓ カーブを切って、曲がる。山並みの向こうに、海に浮かぶ国後島の島影が見える。
(私は運転していたので、見ていないが・・・。)

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↓ 標高が下がって来た。道中、白樺などの木を横目に走る。
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↓ 白樺などの疎林を横目に走る。道路を開通させるために林を切り開いたのであろう。
木の下には、熊笹が広がっている。

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 やがて、知床横断道路は羅臼の街に近づいて来た。坂はゆるくなり、羅臼ビジターセンターの看板も出て来る。本日宿泊する宿は、ビジターセンターの近くだ。
 羅臼の街まであと2キロの所には、キャンプ場やガイドブックにもでている「熊の湯」、羅臼ビジターセンターがある。ビジターセンターまで来れば、宿に着いたも同然ということです(笑)。

 ビジターセンターは「熊の湯」を過ぎ、すぐのところ。「羅臼ビジターセンター」の「P」の看板がある。道路が下り坂なので、あらかじめスピードを落としておかないと、Pに入るときに曲がり切れない。運転には、十分注意が必要だ。
 ビジターセンターには、16時20分頃に着いた。駐車場には、何台か車が停まっている。

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 車を降りて、ビジターセンターの建物に歩くと。「羅臼自然保護官事務所」が併設されていることに気付いた。ここは、環境省の出先のお役所だった。自然保護官事務所とビジターセンターは同じ建物でつながっている。
 が、このとき、事務所は閉まっている。本日は、五連休中の祝日。お役所はお休みにのでしょう。平日しか開いていないのでしょうか?。ホントにお役所仕事です。
 そういえば、以前開催されていた「いきものスタンプラリー」で、どこっだったか、青森県の西目屋村の「白神産地」の自然保護官事務所だったか、訪れた日が土曜か日曜でお休みで、事務所内に設置されている、スタンプラリー用の「スタンプ」がガラス窓の目の前にあるのに、押せないことがあった・・・・。
 あのスタンプラリーでは、ここも「スタンプポイント」であったはず・・・・。ここでも、土日祝日はスタンプを押せなかったのか、それともビジターセンター内に置いていてビジターセンターが開いていれば、押せたのか?・・・、多分後者であったろう。ここは、事務所単独施設では無いので。

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ビジターセンターの展示室内のガラス窓から見た、外の様子。
南の山々。わずかに紅葉が始まっている。
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 入口付近もガラス張りで立派な建物。入館すると、入ってすぐ左手に映像コーナーがある。立派なシアターである。映像が放映されているので見る。「知床の自然について」の映像だ。見ている人は他に数名。閉館時刻も近いので、少ないのかな。映像は「サケの一生」を紹介している。 
 概略を文章で書くと、「遡上と産卵、オスが(メスが生んだ卵に)精子をかけているシーン。」。と、ナレーション が入る「しかし、命を伝えることができない場合もあります。」と。
 うって変わり「クマがサケをつかんでいるシーン」が。クマがサケをくわえている。と、「ピー」と血のような筋子(サケの卵)がサケの腹から飛び出る・・・。まるで、鮮血が飛び散るかのようだ・・・・。哀れというほかない・・・・。
 ナレーションが流れる「クマは知床の生態系の頂点にいる」と。「メスのサケのほうが栄養価があるので、クマもメスのサケを食べる・・・」のだそう。
 館内では、カウンター内に管理の職員がいる。奥にビジターセンターの事務室がある。棟続きの「自然保護官事務所」は閉まっていたが。カウンターでは、簡単なグッズも販売している。

 展示スペースは、天井から吊り下げられたシャチの骨格模型やバネル展示がある。

 ↓ 展示スペースのクマのはく製。サケを食べている様子の再現。
   壁側には「知床 循環するいのち」の展示があった。
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↓ 展示スペースのアザラシ?のはく製。水中に潜航している?様子の再現。
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 テーブルの上には、アザラシどのぬいぐるみも置いてあり、子連れでも楽しめる。
↓ ビジターセンターの入口には「間欠泉」の案内があった。この日は「噴出予測なし」だ。

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 次に「間欠泉」に歩いてみることにする。ビジターセンターの裏から遊歩道がある。だいたい、100メートル歩いたところにあるそうだ。

「博物館網走監獄」 見学7

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、「博物館網走監獄」の見学。 ここは、地獄への一丁目。人呼んで、網走の番外地、極寒の監獄。入ったからにゃ、出られない。その名も「網走監獄」房舎よ・・・・・。というのは言い過ぎで、今は平和な「博物館」。
 「監獄歴史館」を見学した。
その後、一階、斜面の下側にある出入り口から退出、更に斜面を下るように敷地内を歩いた。

 ↓ 斜面の途中にあった農作業などの作業場所の再現(だったと思う。)
   牧草が丸めてある。牧場でよく見る風景だ。

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「二見が岡農場」の再現展示施設は、更に斜面の上、やや離れた所にある。
今回は時間が無いので、割愛した。

↓ 小屋というか、納屋の内部は展示室になっている。


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↓ 更に斜面を下って、歩き、最後の見学の見学場所として「裁判所」に向かった。
これから、裁きを受けます(笑)。いざ~、乗り込む(笑)。

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↓ 法廷の復元だそうです。
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 明治時代の裁判官の法服。(当初、「報復」と誤字変換してしまったのは、ご愛嬌か・・・。法服を来た人に「報復」されたらたまったものではない・・・・。)
 帽子もある。
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法廷の再現人形。裁判官が一人の法廷の場合。
ひな壇に座る人は、明治時代の法服ではないので、最近の法廷風景の再現でしょうか。

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 法廷の再現人形。こちらは裁判官が三人の法廷の場合。重罪の場合は「合議法廷」だそうです。
よく、テレビのニュースなどで見る法廷の風景。
こちらも、皆さん現代的な服装なので、最近の法廷風景の再現でしょうか。真ん中で立っている女性も現代の洋服の恰好だし。
 ここは「監獄」とは直接関係ない展示施設だろうが、再現するならば着物でわらじ、腰縄に手錠を付けられた当時の囚人の裁判の様子を再現して欲しかった・・・・。
それとも、昔の「監獄」に送られて開拓労働に従事させられた人達は、法廷での裁判を受けていなかった?。明治時代の初めは、そんな制度自体も無かった?。

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↓ 説明によると上の法廷の様子は、証人尋問をしている所だそう。

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↓ 面談か取り調べかの様子。右側の茶髪のあんちゃんの人形が被疑者でしようか。

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 監獄歴史館で、子供達とはぐれた。先にどんどん進んでしまっていたようだ。探したがいないので、旧裁判所を見て一旦出口に向かう。子供達は、まだ出口には来ていなかった。携帯で呼び出してみると、やっと連絡がつながった。急いで、斜面を走って下って、出口までやってきた。
 (ただし、危ないので、敷地内で走るのは、やめましょう。)
 聞くと、子供達は館で先に一階の吹き抜け中央にあった映像を見て、二階に戻って展示を見ていたようだ。
 私は気付かなかった・・・。先に出口に行ってしまったと思い。農作業場や旧裁判所など別の建物に行ってしまっていた・・・・。
 閉館は18時。この日の日没は17時20分頃だ。そろそろ日没の時刻。かなり周囲は、暗くなってきた。子供達は、駐車場の近くにあるおみやげ物屋で買い物。私は先に車に戻り、出発の準備。
 と、私の車(レンタカー)の隣はバスの停車場所で中国人の団体客が次々に戻って来ていた。バスの乗り降り口のところで、ガイドと客が中国語で盛んに話をしている。この日の宿泊は網走温泉か、または別の所か、女満別空港から飛行機に乗るのか?。
 その団体のバスよりも先に、私達は日没時刻とほぼおなじ17時20分過ぎに出る。Pもかなりすいてきた。一時間と少しの滞在であった。毎度のことながら、かなり急ぎ足の見学となった。いつもドタバタです(笑)。

 ↓ 日没近くの駐車場の様子。写真右が太陽の方向。

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↓ 駐車場の傍らから、柵で囲まれた敷地の内部。
長い瓦の建物は「教誨堂」のようだ。



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「博物館網走監獄」 見学6

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、「博物館網走監獄」の見学。 房舎を見て、移動、「監獄歴史館」にやってきた。
 展示資料館であった。二階か三階の入口から入った。出入り口は下の一階からも入ることができる。時間か゜無くなってきたので。急いで見る。
 中央部が吹き抜けになっていて、一階の中央部には映像コーナーがある。布で覆われた内部にある。 ↓ 
  どおおおーんと音響が響いてくる。

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 屯田兵の組織図の解説だったと思います。
 吹き抜けの周囲に回廊があり、展示を見ながら、下のフロアに移動して行った。

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 展示を見ていく。 先程の庁舎は写真バネルだったが、こちらは展示物が多い。
 囚人の着物に手錠、鉄球。恐らく足にはめたのでしょう。蓑笠も。

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↓ 戦時下の刑務所について。
  南方の建設工事でテニアン島まで行っていた・・・・。
  サイパン、グァムとともに玉砕したはず。南洋の島に送り込まれた彼らの運命はいかなるものだったのか・・・。

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 回廊の途中で看守に出会った。 写真バネルだった。ホッ(笑)。


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 おなじみ、囚人達の移動というか、連行の様子。作業に向かう途中であろうか。


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 中央部の映像は、道路開削の様子だった。厳しい風雨の中、森を切り開き、ツルハシで整地をし、労働に従事した様子が再現されている。
 時間が無かったので、あまり見なかった。

 ↓ もっこ。土を運ぶのも人力。

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 ↓ 一階の出入り口。ここから退出。山の斜面に建っている。次の見学施設に歩いた。


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「博物館網走監獄」 見学 4

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、「博物館網走監獄」の見学です。かつての獄舎にやってきました。囚人たちが、「ムショ生活」を送った場であり、刑務所のメインとなる所。博物館のハイライトでもある。
 

 三角屋根の木造建築。北国独特の積雪対策の屋根だろう。正面は、牧場の建物のようだ。刑務所なので、実用重視という感じ。

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 正面の入口に接続して、長屋のような獄舎がのびている。長い。とても、長い。横に翼を広げたかのように、長い廊下を持つ学校のようだ。
 入口の脇には、「哨舎」がある。守衛所のように、獄吏か警官かは分からないが、見張りで詰めていたのであろう。「登録有形文化財」に指定されている。

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 ↓ 反対側に伸びる。獄舎の建物。廊下の先が、獄舎になっているのであろう。

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 正式には「房舎」という。「獄舎」と書いてきたが、実は違う。なんと、昭和時代の後期まで使用されていたとのこと。先に通ってきた、国道と海と湖に挟まれた低地にある、網走刑務所にあった。
 木造では、冬はさぞかし寒かったでろう。現在では、鉄筋コンクリートとなっているであろう。暖房はあると思いうが、実際の刑務所には、無い?。 実際に体験したことは無いので分からないが、寒さの厳しい所では設置されているだろうというのは、推測。
 あっ、刑務所は今後も体験したくない(笑)。笑っている場合では無いかも・・・・・・・・・・。

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 中央部から、まっすぐに廊下が伸びている。その奥に、個々の房(ぼう)がある。

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 ↓ 斜めに伸びる房と右にも別の房がある。
   手前には、看守が使用したサーベルが展示している。銃の展示もある。


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 ↓ 房には、番号が振られている。第三舎。
   五本ある。すべて、中央部から放射線状に伸びている。現在でも使用される「刑務所建築」だ。首都高から見える東京拘置所でも、放射状に建物が伸びている。「*」のマークのようだ。
 中央部に看守を置いて、廊下をのばし、等距離で囚人を管理できるから。「中央管理方式」とでもいおうか。巨大ホテルでも同様の所がある。
 昔、ラスベガスのホテルでも似たような建築のトコロに、なんと泊まったことがある。中央部にエレベータがあり、そこから、放射線状に客室棟が伸びていた。何千室あるホテルかは忘れたが、まさに「刑務所ホテル」でなんかイヤな気分だった。たくさんの客を、集中管理するのに都合がよいからであろう。

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 入口を入ってすぐの所に、見張り所があった。制服、制帽、サーベルを吊り下げた怖ーい看守が番をしていたのであろう。中央から、五本の長い廊下を一望に見ることができる。「まさに、中央管理方式」。


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 房の奥、つまり先端近くの様子。ガイドツアーが催行されていた。有料で参加できる。が、私はそばで聞き耳をたてて、説明を聞いた。(でも、少しだけです。たまたま居合わせただけです。ホントに。言い訳・・・・。)

 ガイドさんは人形を指して「あれは、白鳥よしえといって、脱獄王の人形です。・・・白鳥は、・・・・。」と説明を始めた。昔実際にあった脱獄した男の話。刑務所を脱出して、二年間くらい、隠れて生活していたそうだ・・・。

 ↓ 脱獄王の人形。
   良い子はマネしてはいけません(笑)。

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 ↓ 脱獄事件の説明。実在の人物のためか、説明板では「Y・S事件簿」と匿名になっていた。
しかし、ガイドさんは説明で「しらとり よしえ」とフルネームで説明をしていた。


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↓ 房の説明。「第四舎 24房」での出来事。脱出口をそひかにつくり、脱獄。現代の忍者か、石川五右衛門か・・・。しかし、五右衛門が脱獄した人なのかは、知らない・・・・。


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 ↓ 脱獄事件の舞台となった房。


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↓ そして、獄につながれるワタクシ。(違う・・・。)
 奥は、厠だ。とある房は、見学者も「体験入房」できる。入ってみると、思ったよりも狭ない。獄につながれると身としては、まだマシか。と思えるのは、一瞬だけ、入るだけだから。実際にここで生活し、数年を過ごし、労役に服するには、大変だ。。しかも、冬期はマイナス20度の世界。一旦、外に脱走しようとでもしたら、それだけで命が無い・・・・。


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↓ 「へい禁罰」の説明。独居房とは、また違う懲罰の所のようだ。

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↓ 房につながれる囚人。

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博物館網走監獄 見学3

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、「博物館網走監獄」の見学。 
 正門をくぐり「本館」内部を見学。一旦、外に出る。ゆるやかな斜面に沿って建物が配置されているが、斜め下の方向に別の小さい建物が点在している。
 かつての「獄舎」は、本館の更に裏手、斜面の上にある。


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 ↓ 本館の斜め下にお堂のような建物がある。講堂、教会堂のような建物だ。瓦葺で木造である。
   道東、オホーツク沿岸は秋を迎えている。すでに紅葉、黄葉がほんのり始まっている。関東地方では11月中旬くらいか。約二か月違うということになるが、単純には比較できない。この地方は、朝晩の寒暖差が大きいので、葉が色づくのも早いのだろう。

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↓ 細長い建物は「教誨堂」であった。
  悔い改める場所という意味だろうか。 内部にある、その説明。

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江戸時代のように単に、罪人を懲らしめる場所では無いそうです。



  
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 一番奥には、祭壇がある。宗教施設のようだ。仏教、キリスト教などにも対応していた。通常の寺院、神社では、祭壇は撮影禁止だろう。しかし、ここはあくまで博物館であり、宗教施設では無く、現役の刑務所の教誨施設ではないので、撮影をした。
 現在は信仰はされていないので、見本だと思うが、仏像が安置されていた。
 「教誨」というと、死刑囚に対して、特に死の直前、つまり刑の執行直前に教誨師が話し、諭すことを指すものだとイメージする。しかし、ここで死刑執行はされていないだろう。あくまで、刑務所であるので。
 むしろ殺人などを犯した犯人に、犠牲者の霊を弔い、悔い改めさせるための教育の場であったのだろう。
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 内部は板張りでガラス窓がずらりと並んでいる。「教誨」ではなく、「教会堂」のような建物だ。
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出入口の部分。教え諭すような額が飾ってある。

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↓ 「教誨堂」の隣には、独房がある。小さい独立した建物。


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ひとつの房(ぼう)は、厳重な木戸が。内部は相当に暗いであろう。江戸時代の座敷牢のような・・・。
しかし、座敷牢を見たことも、体験したことありません(笑)。

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 もうひとつの独立した房は、鉄格子が。木戸よりも光が入る。なんとなく、心理的に安心できる感じです。
中には、人形が置いてある。座っていることができるだけ、まだマシか・・・。
 とあるドラマで見たが、ある共産党の国では、ナントカ改造所があり、ここに送り込まれた囚人の様子が描写されていた。しかし、裁判によって送りこまれたのではない、身柄を拘束されて、何かの集会のような場で吊るし上げにされ、そのまま列車で送り込まれたのだ。独房では、立ったままで、座ることができない房に入れられるシーンがあった。そのドラマを連想したが、立ったままではなく、座ることは許されたようである。


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更にもうひとつ、レンガ造で内部が木の牢獄があった。「独居房」という。
個室の離れみたいな所かな・・・・(苦笑)。
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「独居房」は、懲罰されるための所であった・・・・。決して個室では無い・・・・。
説明によると重湯のみで7日過ごしたしたよう?。重湯は何のことか分からないが・・・。
独りならば、まだよいが、食事制限もあるので、ホントに懲罰ですね。これは(苦笑)。

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「独居房」の更に上の斜面には、浴場があった。煙突がでている。


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↓ 浴場の説明。
もちろん、毎日入れる訳ではない。

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↓入浴の様子が、人形で再現されている。
もちろん、監視付き。刺青のある人形も・・・・。

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↓ 脱衣所。温泉場のように、カゴは無い。(当たり前だが)

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↓見学通路の前列から入浴の様子。


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↓ 説明。

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やはり、私語は禁止で、「あ~、いい湯だな~。」というのは出来なかった模様。
一回あたり、15分で脱いで、入って、着衣して。慌ただしい。


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浴場を出て、次の見学場所へ歩く。並木の歩道が美しい。
初秋の風景だ。

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↓ 敷地の上の場所、獄舎にやってきた。
これから「入獄」です(笑)。

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博物館網走監獄 見学2

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、湖沿いの丘の中腹にある「博物館網走監獄」。すでに日は傾き、夕刻の時間帯の見学である。 閉館時刻は18時まで。

↓ 本館の前から、坂の下の方向を見る。今しがたくぐってきたレンガ造の門がある。


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↓ 本館の前から、横に行く道。別の展示施設がある。

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 さて、本館に入る。実際に昭和の後期まで使用されていた「旧庁舎」だ。

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 ↓ 本館の内部。写真パネルが床に置いてあり、順番に説明を見ていく。


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↓ 監獄の始まりから。
要は、安い労働力を使って、開拓を進めるということだ。
そのために囚人を使うのだ。いつ、なんどき罪人にされてしまうか分からない。
結構、そのヘン、いい加減だったと思うな・・・・。袖の下にナントカできれば罪を逃れたり・・・・。

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↓ 監獄というか、集治監というか、現在でいう刑務所の設置に関する文書の展示だったと思います。
「明治17年×月 監獄局長 石井××」とある。


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 実際のところ、徒刑の人達は何の罪を犯した人なのか?。幕末から明治時代の初めの混乱で政治犯、各地での元・反乱兵だったのか。単に、現在でいう強盗、窃盗、その他の犯罪を犯した人だったのか?。都合のよい流刑だったのか。
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↓ 開拓の様子。屯田兵に先駆けて、囚人を使役したのだ。より多くの罪人を「造りだし」、北の果ての監獄に送り込めば、労働力が増す。道路や鉄道の工期も短くなる。

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 釧路にもあった。というか、元々、釧路に「集治監」ができて、その後に網走に開設されたらしい。
別のボードには「樺戸集治監」について写真と説明があった。
 石狩川のほとりに設置された監獄で、北海道の最初の監獄で中心となるべきところであったようだ。
開拓が進むにつれて、釧路、網走と次々に設置されていった・・・・。

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↓ 解説板。
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↓ 釧路の監獄署?。

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看守長の辞令。

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 本物の網走監獄の写真。 ↓
 低地にある。現在博物館のある丘の上あったのでは無い。
先程、車で通った大曲地区にあって、現在でも刑務所がある。放射状に獄舎が伸びているし、丘の上から監視している。


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本館の内部。部屋の端の方には、「典獄」の人形による解説があった。音声が流れる。
囚人の気分で聞きます(笑)。

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「博物館 網走監獄」 見学1

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、湖沿いの丘の中腹に「博物館網走監獄」がある。駐車場に進んで行くと、奥の第二Pに誘導される。車を停めてみると、こちらの方が入場までの段差がなく、入口までの距離が近いらしい。すでに日は傾き、夕刻となっている。駐車場もだいぶすいてきているようだ。中国人の団体のパスも停まっている。
 閉館時刻は18時なので遅くまで開いている。秋分の日も近い(翌々日だったかな?)ので、日没時刻も早くなっている。この日の網走地方の日没は17時20分くらいだった。北国の日は短い。閉館時刻には、真っ暗になってしまうということだ。

 ↓ 博物館 網走監獄の門。鉄柵の門だ。

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 ↓ 門の前から、第一駐車場を見る。やや距離があり、階段がある。
   池があり、橋がかかっている。パンフレットによると「鏡橋」という橋だ。「自分を見つめなおす橋」という意味とのこと。

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 受付で北海道旅行券を提示して入場券を買う。「どこから来たか?」と聞かれた。旅行券の裏には住所と氏名を書くのだが、そこまでは求められなかった。
 ↓ 展示がリニューアルしたようだ。

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 ↓ 博物館 網走監獄の門の説明。元々別のところの門であった。
   「監獄」そのものの門ではない。鉄柵なので、容易に脱走できてしまうので。「二見が岡農場の門」であったと解説板にある。監獄の附属農場であったそうだ。説明によると、門自体は復元であるよう。 

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 さあ、門入って、更にレンガ造りの監獄の門をくぐり、本館へ歩く。
 門の前には、制服姿の守衛がいて、こちらをジロリと睨んでいる・・・・・(笑)。もう一人は、掃除係かな(笑)。
 西日にあたって、黄昏ている・・・・・。
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 本物の監獄はここではなく、先にナビの地図の表示にあったように大曲地区に、明治の昔から現在にいたるまであったようだ。当時の監獄の写真も展示があったが、低地の湖と海に挟まれた地域の立地のようだった。
 ここは「地獄への一丁目、網走の外れ、番地の無い所、その名も網走監獄」のあった場所と思っていた。しかし、ここはあくまで「博物館」であり、森を切り開いて新たに建設し、監獄の建物を移築したことがわかった。
 明治時代の解説当初、囚人が脱走しにくいように、山の上(というか、丘の中腹)のこの地にあえて建築したのかと思ったが、全くの誤解だった(笑)。
 だから、「博物館 網走監獄」なのだ。愛知県の「明治村」のような感じということになる。「監獄テーマパーク」というのは、言い過ぎか。

 守衛ともう一人の掃除係?も共に人形。

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 ↓ 中には、人形がある。面会人の待合室。

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↓ 中には、人形がある。看守の控え室。守衛ではなく「看守」といったようだ。つまり「獄吏」です。怖~。

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 本館に入る。「旧庁舎」だ。内部は資料室になっている。まずは、ここから見学する。

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 庁舎の説明。「擬洋風建築」で「明治45年に建築」されたとある。

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旭川兵村記念館 見学①

 2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
  
 道の途中で「旭川兵村記念館」の大きな看板が道路沿いに立っているのが、見えた。交差点には「旭川神社」の標識がある。
 信号のある交差点を動物園(つまり、東)に対して右折すると、神社の境内方向へ。神社の手前ら目指す「旭川兵村記念館」の建物がある。
 「動物園通り」を曲がり、道路を進む。道路の隣地は学校だ。道の突き当りに校門がある。信号はあるものの、この道路は学校しかない。校門前を道なりに曲がると正面に鳥居見える。「旭川神社」の看板がある。
 神社の社殿の手前に博物館の建物がある。すぐに分かった。


 ↓ 博物館前の道。写真の左手は中学校。道の突き当りは中学校のグラウンド。
   突き当りを右折すると「動物園通り」に出る。

 学校は校門のところに「旭川市立旭川中学校」と校名がある。門はあるが、学校地の周囲はフェンス、塀で囲っていない。土地が広いし、防犯上も問題無いので、必要ないのだろう。
 「なぜ、旭川中がここにあるのか??」と思った。旭川の街はここから西にある。旭川の中心街からは遠い。なのに、ここは「旭川中」、そして「旭川神社」もここにある。
 開拓の地であるから、集落の中心には、まず神社を祀ったであろう。すると「旭川」の地名は本来ここではなかったか?と感じた。

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 つまり、ここは神社の境内地で、博物館はその一角にあることが分かった。敷地は広いので駐車場もらくらく止めることができる。ほぼ車は自由に停められる感じ。
 ↓ 旭川兵村記念館の建物。

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 現在時刻は8時50分過ぎ。開館時刻には少し早いが、玄関は開いている。入ってみることにした。
 ↓ 旭川兵村記念館の玄関。
   冬は雪が積もるのであろう、床は高い。一階の玄関には階段を数段登り、入るようになっている。
  神社建築を思わせる急傾斜のトタン屋根は、雪下ろしをしなくて済むための工夫だろう。
   開館期間は決まっていて、4月下旬から10月下旬まで。冬期は閉館となる。ただし、剣道場が併設されているし、同じ敷地の先には神社があるので年間を通して訪れる人はいるようだ。
 あと一か月もすれば、この付近には雪が舞うのであろう、そして冬の閉館期間に入るのだ。


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 博物館の先には、神社の鳥居と社殿がある。ここで道路は終点。
 太陽が昇るにつれて雲がはれ、青空が広がってきた。

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 入館するとエントランスに旭川市街地と郊外の模型があったように記憶する。壁には、旭川の実測地図も掲示してある。列車の時刻表も貼ってあったような。時刻表の路線名は、宗谷本線と石北本線。日本の北と北東の最果てに向かう路線であろう。北方、遠くまでやってきたな、という実感がする。
 受付の窓口で入館料を支払う。旭山動物園に入場した半券を展示すれば、ここの入館料が割引になるとのことであるが、これから向かうのであり、半券は無い・・・・。よって、割引対象外。
 朝9時開館と動物園の9時半開園の「時間差」を利用して、動物園に向かう途上でやって来たので、仕方ない(笑)。

 館内は常設展示と特別展の展示室に分かれる。入館して右が常設展示室。展示室の入口には、開拓の様子の絵図があったと思う。入館してすぐに、屯田兵の入居した家屋の再現があった。

 展示の導入部では、館の方が説明をしてくださった。開拓の様子の絵図は、切り株の合間で田の稲をまいている様子だったか、切り株を抜いている様子だった。森林の開墾は、農閑期の冬の積雪時に切り倒しをするようで、翌年の春に雪解けをした際には、背丈以上もある切り株が現れるのだと分かった。
 稲は直播きをしたそうだ。その道具の説明を館の方がしてくださった。 直播きの作業は腰が痛くなるので、開発した道具が「タコ足」と呼ばれる道具とのこと。モミを木箱に入れれば、タコの足の数ではないが、八方にモミが散らばり、いわば「種まき」が楽にできる道具であった。

  順路に沿って奥に進むと、農具、生活用具の展示などがある。 更に進むと、屯田兵の日常、軍事訓練の様子や軍服などの展示があった。

 と、順路のおしまいに近い展示ケースに加藤建夫・少将の展示があった。また、ここ東旭川出身のパイロットに関する資料もあった。ここ出身で海軍のパイロットもいたそうだ。歴史の本で屯田兵の子の出身とは記憶があったが、東旭川の出身とは知らなかった。
 東旭川の地区割りというか、宅地の所有??状況のパネルがおしまい近くにあったと記憶する。長方形にまるでかつての武家屋敷地のように、土地が割り当てられ、住んでいたことがわかる。地代でを支払う賃借なのか、土地が割り当てられて自分のものになったのか、そこまでは分からなかった・・・・。企画展のテーマが「公有地開発」であるので、その辺の区別がつかなかった。

 ↓ 加藤の松については、後日の記事で書きます。

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