良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

静岡県内

 

御殿場アウトレット バレンタイン後の訪問 2019年2月下旬

 御殿場アウトレット バレンタイン後の訪問 2019年2月下旬

  佐野美術館を見学した後、三島から御殿場へ移動します。246(号線)ではなく、箱根の外輪山側、県道や広域農道を通ります。「時の栖」の近くも通過します。この道を通るのも久々です。
 行きに、この沿道にある店で「玉子」も購入した。おなじみの「杉山農園」の売店。
 御殿場のアウトレットに向かいます。寒い日だった。既に夕刻。一番端の立体駐車場に停めることが出来た。以前は、高速道路のガード、病院近くの駐車場に停めて、しばらく歩いてお店街に向かうこともあったが。  

 今年の冬は、暖冬といわれていた。確かに、今年は、というか、今年も自宅付近で積雪を伴う降雪はなかった。5年前に大雪が降って依頼、関東地方の南部の平野部では大きな積雪は無い。
 暖冬の影響で今年は特に富士山の積雪が少ない。御殿場のアウトレットにやって来て、夕景の富士山を眺めると、確かに積雪が少ない・・・。

IMG_4995
 
 アウトレット一番奥の立体Pから眺めた富士山。例年はもっと山腹が「真っ白」だが積雪が無いのが一目瞭然。

IMG_4994


 バレンタイン後の訪問とあって、やって来たのは「GODIVA」。
 最もバレンタインチョコに縁の無いヤローである俺様だよ。だから、終了した後にやって来たのだ


IMG_4996

 結構な種類のチョコが、程よいお値段でありました。

IMG_4997

 歩いて、駐車場まで移動。ここ数年工事が目覚ましく、新しい立体Pも完成していた。
  ゴルフ場脇の道路も拡幅工事が終了して、随分と広くなった。オープンから早くも20年経過した。
 お店も周囲の様子も随分と変わった。

IMG_5001

 その後、帰りました。最近は御殿場から246を使わない「下道」での帰路が定番になっています。


「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞6(最終、エピローグ) 

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞6(最終、エピローグ)  2019年2月

 静岡県三島市。佐野美術館へ初めて来館である。

  

 夕方の4時半を過ぎた。館の外に出る。
 外から外観を撮影しているおっさんがいる。入館のときも、太った中年の男が盛んに外観を撮影していたし。
 結構、外観を撮影している人も多い。よって、オレも他の刀剣男子、又は女子のSNSなどに姿がアップされているかも・・・・・。
 歩いて、Pに戻る。駐車している車もだいぶ少なくなった。
 館のそばに、梅の花が咲いていることに気付いた。まだまだ2月の寒い時期ではあったが、季節は花の季節、春に移ろうとしている。


IMG_4977

 庭園を歩いて戻る。

IMG_4963

庭園の端。付近の住宅地を撮影したつもりが・・・・、あまりよく撮影出来ていない・・・。

IMG_4955

 隣接する庭園は「隆泉苑」という。
 湧水の街、三島らしく、この付近から湧き出ているのであろう。


IMG_4957

 駐車場の近くに、別館の料亭らしき一角があった。「せせらぎ亭」とある。
 庭園がある。小川が流れていて、橋がかかっている。
 園内は、早咲きの河津桜??の花が咲いていた。

IMG_4980


IMG_4981

IMG_4983

 白い花は梅の花であろう。

IMG_4985

 駐車場に面した「松韻」の入口と看板。
 先程、美術館で展覧会を鑑賞していた人もこちらの駐車場に戻って来て、帰っていっていた。美術館の建物近くではなく、ここ「松韻」のPに停めたのであろう。
 私も再び車に乗って、帰った。

IMG_4986


IMG_4946

「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞5(国宝 太刀 銘「一」など)

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞5(国宝 太刀 銘「一」など)  2019年2月

 ここは、三島市。佐野美術館へ初めて来館である。

 
 次の展示室に移動する。 この展示室は小さい。
 時期不明の焼身の刀剣の展示があった。
 次の部屋に国宝の刀剣の展示があった。順路最後の展示室であった。第三展示室である。「伝世の名刀」
 国宝「国宝 太刀 銘 一」の展示がある。ここ佐野美の所蔵の刀剣が展示されている。企画展の「REBORN 蘇る名刀」とは、直接関係の無い、通常の焼身、再刃ではない刀剣の展示がメインである。
 この部屋は、階段のからほど近い所にある。最初、二階に上がって来たときに間違って最初に入ろうとした・・・・。出口付近には、イスが、置いてあり、傍に図録が置いてあった。


 さて、第三展示室て゜あるが、入口付近のガラスケースに、平泉出土の刀剣の展示が2口あった。
 重要文化財に指定されている。「REBORN 蘇る名刀」での焼身、再刃の刀剣で重要文化財指定は、他に「義元左文字」だけだった。基本、焼け身となった刀剣、再刃された刀剣は、文化財指定は難しいですよね。
 平泉の刀剣、一本は「刀子」。小さい刀である。長さは15.5cm。柳之御所の井戸の跡から出土したそうだ。

 現代感覚でいえば、鉛筆や小道具を作製するとめに木材を削り出すような、「こがたな」だ。正滅によると「井戸仕舞い」で井戸に落としたらしい。つまり、井戸を閉じるときに、おまじないで小刀を落としたのだろう。
 鏡が展示品の奥においてあり、裏側の刀身が見えるようになっている。表面は、再研ぎされているが、裏はそのままで、青く錆びている。長年、水につかっていたのであろう。

ついで、同じく重文「長さ48cmの刀」。刀身にはやや「反り」があるのだが、かなり欠けている。刀身は太い。時代は平安時代と説明にある。
 刀身、茎もへこんでいたり、えぐれていたり。片面を研いだ。刃文は無い。「地沸は淡くつき・・・」と説明に書いてあったと記憶するが、「沸 にえ」がついているのだろうか?。
 鏡に映る裏は、黒くというか、深い青色に錆びて劣化して朽ちている。焼けたのではない。ざらざらした感じだ。平泉の金色堂の須弥壇から出土した、藤原秀衡の副葬品という。発掘品を片面だけ研磨したそうだ。文化財に指定されているので、研磨は現状を損なわないように細心の注意をはらったということが書いてあった。

 展示室の端に図録が置いてあった。2千円。
 国宝、銘「一」 は福岡一文字派の刀工のこと。「刃文は丁子が連なり、豪華絢爛である。」と書いてある。図録の解説によると長篠の合戦で、織田信長から、家康の家臣、奥平信昌、つまり娘の婿に与えられたそうだ。奥平家に昭和の初めまで伝来したそうだ。奥平家なので、中津藩主であった、奥平家のことであろう。現在は個人蔵。
 茎には「一」とのみ、シンプルな銘が刻まれている。刃文は、刀身のなかほどは、丁字が深くて、へこんでいる。茎に近い刀身の刃文は、丁字の幅が狭い。茎と刀身の境界には、金色の金属をはめこんでいる。三つ葉葵の紋がある。
 鑑賞を終えて、1階に戻った。展示の最初の部屋を少しばかり再び見るが、刀剣女子の新たな入館者もいて、ガラスケースの前には、人がつらなっている。

 ↓ ロビーの撮影コーナー。 幕の裏側が、ショップ。棚がうっすら、透けて見える。
  

IMG_4966


 1階のロビーは 撮影できるところがある。
 ショップは 刀剣の絵葉書ポストカードなどがある。絵葉書の背景は黒い。白銀色に刀身が浮き出すように撮影されている。ここの渡邊館長さんの刀剣に関する著書もある。刀剣グッズのキーホルダーなどもある。
 その他は、小もの類など。本館所蔵の重文「大日如来像」のポストカードも販売があった。
 

 外に出ると夕方4時半。入館締切の時刻となった。
 Pの警備員が2名いて、引き揚げしていた。美術館の建物の階段の上からPの様子を見下ろすことができる。付近は住宅地である。正門は表通りに面していない。よって、何回もこの付近は車で通行したことがあったが、美術館のことは気づかなかったのかも。いや、名前は見たことがあったが、「三島」の「佐野」美術館のことをあまり認識してなかったのかも。


IMG_4972


 入口付近の外観。

IMG_4976

庭園を歩いて、Pに戻ることにした。

IMG_4978



「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞4  2019年2月

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞4  2019年2月

 ここは、三島市。佐野美術館へ初めて来館である。

 
 日光東照宮宝物館に所蔵されている文化9年に火事で焼け身となった刀剣を見た。
 再刃された「正恒」、「国行」、「了戒」、「備前国住雲次」などである。


 続く、第三のガラスケースは、展示室の一番突き当り部分だ。
  関東大震災で焼けた刀が展示されている。徳川御三家のひとつ、水戸家の倉庫で保管されていたそうだ。再 
 関東大震災で焼けた刀剣は、この水戸家と彦根 井伊家の刀剣の展示であった。
 水戸と彦根といえば、幕末の安政の大獄、桜田門外の変などでお互い遺恨のある藩同士だったような・・・・・・。大正時代になって、ともに所蔵する刀剣が大震災で被災するとは何とも因縁がある。
 水戸家伝来の刀剣は、小石川の徳川家屋敷で保管されていたそう。大正時代は、徳川侯爵家。かつての水戸・徳川家の上屋敷、現在は小石川後楽園になっている。東京ドームや遊園地もかつての水戸家の屋敷の跡である。当時も引き続き水戸徳川家の屋敷であったようだ。伝来の刀剣は、旧領地の水戸ではなく、東京で保管していたのだ。
 真っ黒になっている刀剣の展示がある。「太刀 銘 包永」・・・兵部大輔 藤孝磨上之異号・・・という銘があるそうで、説明によるとその銘文の通り、細川藤孝から徳川家康に献上され、水戸家に伝わったそう。藤孝が磨上げた?、短くしてすり上げした?ことが刻まれている。煤のせいか、真っ黒である。
 ガラスケース内には「太刀 銘 光忠」 。水戸ではなく、尾張の徳川家でも光忠の太刀は所蔵されている。国宝に指定され、名古屋の徳川美術館で時折展示されるのであるが、この尾張の「光忠」は見たことがあるぞ。
 目の前に展示されている「太刀 銘 光忠」 は火事のためか、まっ黒である。備前 長船、福岡一文字派の刀工と説明がある。
 平のガラスケース内には「太刀 銘 国宗」がある。 同じく水戸ではなく、尾張の徳川家でも国宗の太刀は所蔵されている。国宝に指定されているが、尾張の「国宗」はまだ見たことが無いのだ。「国宗」は13世紀、鎌倉時代の備前の刀工で、人気が高いそうだ。

 彦根藩、井伊家の「短刀 銘 来源国次」と「刀 無銘 左」は再刃されている。鈍く刀身が光っている。刃文もある。しかし、茎(なかご)の部分は、焼けたときのそのままのようだ。共に再刃された時期は不明とのこと。
 大震災の火事で焼身となった後、ほとんどはそのままで保管されたそう。数本が再刃されたと説明にある。
 「太刀 正恒」・・・国宝に指定されている刀剣を別の所でも見たことがある。昨年の秋に、鎌倉 国宝館で国宝の正恒を見たが、同一刀工かな。刀工の銘は判読できなかった・・・。焼けたためか、赤茶色に錆びでいる感じ。
 「太刀 助平」・・・説明によると「備前三助」の一人で、つまり、名工ということ。
 「太刀 銘 宗近」もある。あの東博所蔵の「太刀 三日月 宗近」の刀工で、「三日月」は秀吉の正室、ねねの愛刀だったと説明にある。
 平ケースにも井伊家の焼けた刀剣の展示がある。「太刀 銘 国吉作」・・・やはり、茶色く錆びたような刀身である。

 秋葉神社の所蔵で、火事で焼けた刀剣の展示もあった。火事は時代がずっと下がって、昭和18年のことだった。佐野美術館と同じ静岡県の神社所蔵の焼けた刀剣ということで展示されているのであろう。戦時中なので、恐らく神職、氏子、地元山林関係従事者らは相当数が出征していて、境内地の管理、付近の山林の管理が行き届いていないのが大きい原因ではなかったか。しかも、金属は供出、化石燃料は不足し、薪を燃料とする自動車も当時登場していたそうだから、山林から木材の切り出しのため、多くの神社と無関係な人も付近で行動していたろう。よって、何等かの失火が大火になったのではないか。

 この展示室は、部屋の面積が一番大きかった。
 入館者であるが、刀剣女子世代も多いのだが、比較的年齢層は高い。本日、展示最終日ということもあろう。
 ざっと見ると室内は40人弱ではないか。男性も多い。15-16人くらいは男性。男性は老年、中年などが比較的多いような。若者の男はいないかな・・・、親と一緒に来ていた小学生くらいの子はいるが。女性の入館者は年齢層はバラバラ。10歳台から20歳台前半くらいの「刀剣女子」のコア世代??は4-5人くらいではなかったか。制服を着ている女子高生もいた。刀剣女子世代はあまり、多くはないと記憶する。20歳台後半から30歳台前半くらいの人が、1-2人くらい。40-50歳台くらいが5-6人くらい。明らかに60歳以上の女性は5人前後ではなかったか。比較的、刀剣女子がブームとなる前のここの館のコアな入館者世代も多く見学していたと思う。
 次の展示室に移動する。 この展示室は小さい。
 時期不明の焼身の刀剣の展示があった。
 太刀 銘 則宗 ・・・元々は公家の鷹司家に伝来したという。1693年?の折り紙によると代は金150枚?という。
 (具体的な値段表示は忘れた。)
 短刀 銘 行光 号 不動行光 個人所蔵 ・・・元々小倉藩の小笠原家に伝来したという。
 その号の通り、刀身には不動明王と両脇の二童子の姿が刻まれていた。背後の炎も刻まれている。1717年の本阿弥光忠の「折紙」によると金100枚と評価されているそう。焼けた時期も不明で、再刃した時期も不明とのこと。一見して、焼けた刀とは見分けがつかない。

 と先程、男性職員に色々聞いていた黒いタイツのオカッパ頭の女の子が入って来た。小さい部屋なので、話声が響く。引き続き解説付きで会話しながら、展示品を鑑賞している。やっぱり、ここの特別会員か研究関係の大学院生?兼刀剣女子かな??。
 次の部屋に国宝の刀剣の展示があった。順路最後の展示室であった。

 ↓ 玄関付近壁の表示。 ポスターと同じ画像である。
  太刀 銘 友成 平安時代 日光東照宮宝物館の画像だ。

IMG_4974




「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞3  2019年2月

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞3  2019年2月最終日

 ここは、三島市。佐野美術館へ初めて来館である。今まで三島には何回も来ているのに佐野美術館のことを知ったのは、ほんの3年か4年前のことだった・・・・。「刀剣女子」がブームのおかげです。


 明暦の大火で焼けた刀の展示に続き、長方形の展示室の、長辺、つまり長いガラスケースの展示品を見ていく。 お江戸の時代の文化年間の「日光の 東照宮」の火事のことについての解説ボードがある。
 「文化9年」に火事があって焼け出されたそうだ。西暦でいうと1800年以降、19世紀に入ってからの火事。明暦の大火からだと、150年くらい経過している。火事のときに奉納された刀剣を保管している箱を神官、輪王寺僧侶?(当時は神仏習合なので)らが持ち出ししたが、家康の遺品、歴代将軍が奉納した刀剣をはじめ、ほとんど焼けたそうだ。残ったのは、解説では書いてあったか?、その数は忘れたが、1箱くらいだったらしい??。
 (別室の国宝の展示があった展示室においてあった図録の解説文には、文化9年の東照宮火災では、徳川家の将軍などから、多数の奉納されている刀があった。火事のときは(保管していた)一箱5口(の刀)のみ持ち出しされた。残り200口の刀は焼けた。昭和58年から62年にかけて、再刃された。人間国宝など数名の刀工が、再刃を担当した、ということが書いてあった。)

 展示品は日光東照宮宝物館からの貸与品である。

 ガラスケースの前は、人だかりである。と、紺色の短いスカートに足は黒タイツ、ベージュのスブリングコートを着た女の子が入ってきた。学芸員らしき40歳くらいの男性職員?とともに見ながら色々聞いている。職員は、色々と説明して女の子とやりとりしている。話し声が目立つ。女の子は、学生か20歳台なかばくらいの年齢。なぜ、この人だけ解説付きで会話しながら、展示品を鑑賞しているのか、ちょっとわからない。専属説明ガイド制度があるのだろうか?、ここの何かの特別会員なのか、(年齢からして)何かの関係がある大学院生なのか?、ともかく特別待遇っぽかったです。

 壁沿いのケースとともに室内の平ガラスケースにも展示されている。「日光東照宮焼身茎押形集」という資料も展示してある。焼けた刀は「焼身」というらいく、そのまんまの呼び名・・・。刀剣の根本、茎(なかご)がわかるようにカタログのようにイラストを墨書したもの、見本だったと記憶する。
 太刀「一」の展示がある。備前一文字の太刀なので「一」。国宝の「一」の展示もある筈なのだが、この刀剣では無い。1663年に水戸徳川家の当主 光圀が奉納したものだそう。せっかく、奉納したのに焼身になってしまって・・・・。失火の責任は、当時誰ががとったのだと思います。
 太刀 銘「国行」、「正恒」、「助平」、「了戒」、「備前国住雲次」があった。特に「正恒」「国行」は、国宝に指定されている作品も鑑賞したことがあるぞ。いずれも再刃されていた。「助平」と言う名前が気に入ったが(苦笑)、「助平」は現存作品があまりない、名工らしいのだ。再刃したものとはいえ、大変貴重な名品とのこと。昭和61年に再刃されている。再刃は、「刀身」の部分を行うようだ。茎の部分は、焼けた後らしく、赤茶色になっているものもある。よって、「ああ、やはり火災に遭っているのだな。」ということが判る。
 再刃の年は「正恒」は昭和62、「国行」は、昭和61、「了戒」は、昭和58、「備前国住雲次」は昭和60年である。いずれも昭和の終わりころ、つまりボクが子供の頃に再刃されている。
 景気の比較的よい、安定した時代になって、文化財の刀剣を再刃して、保存しようという機運があったのではないか?。文化庁の許可も必要であったろう。再刃の刀工は、人間国宝の天田昭次氏と説明にある。
 再刃した後は 心なしか、刃文がうすくなっているような・・・。 

 エントランスにあった撮影コーナーの垂れ幕。 ↓
 キャラクターの背後の画像は、太刀 銘 作友成 平安時代 日光東照宮宝物館だ。
 茎の部分が焼けた後らしく、やや赤茶色になっている。

IMG_4968



 室内には監視員が1人いる。小柄の男性が立っている。「S」と名札をしている。てっきり、本館の創設者 佐野氏の子孫、つまり本館の運営財団の理事の一人かと思ったが苗字は違う。その看視員に盛んに質問をしている中年の女性がいる。若い女の子も盛んにSさんに質問をしている。Sさんも色々と解説を交えながら、答えている。
 私は刃文を見ながらメモを取ったりする。他の博物館、美術館と同様に鉛筆ならばメモをしても監視員は特に 注意されないようだ。
  「文化財は 現状保存が 前提・・・」と再刃したときのことをSさんは話をしていた。更に「×× 先生は・・・」と 再刃を担当した人間国宝の刀工の作風の特徴なども解説していた。「信長・・・」や「細川幽齋から ・・・」というような話もしている。

 上記したが「日光東照宮焼身茎押形集」は、茎(なかご)の見本が28口(書いて)あるという。展示されている平ガラスケースの3つのケース分のスペースをとって、ワイドに展示されていた。


 続く、第三のガラスケースは、展示室の一番突き当り。
  関東大震災で焼けた刀が展示されている。徳川御三家のひとつ、水戸家の倉庫で保管されていたそうだ。再 
 関東大震災で焼けた刀剣は、この水戸家と彦根 井伊家の刀剣の展示であった。
 


 ↓ 玄関付近の表示。 
  垂れ幕の掲載画像が、日光の火事で焼けとなった 銘 「助平」 日光東照宮宝物館所蔵であった。
  不動明王が持つ剣の形の溝が風間れているが、見事に再刃されていた。
  茎の部分は、あまり赤くなっていない。

IMG_4973


「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞2

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞2  2019年2月

 ここは、三島市。佐野美術館へ初めて来館である。今まで三島には何回も来ているのに佐野美術館のことを知ったのは、ほんの3年か4年前のことだった・・・・。「刀剣女子」がブームのおかげです。

 展示室は2階だった。高床式のようになっている。広い階段を昇ると2階の廊下に。長方形のコンクリートの建物、1階部分はエントランスと受付、高床式のような2階にある展示室の造りは、規模はかなり違うが奈良国立博物館のようだ。
 最初に常設展示を見る。小さな通路のようで、通路に沿ってガラスケースが設置されている。
 重文の 大日如来坐像が展示されている。仏像の展示スペースは、ガラスケースは無い。目の前に昔の仏像が展示されている。 平安 木造乾漆造と解説にある。隣に重文の蔵王権現像。所謂いまで見た蔵王権現と同じお姿の仏像だ。1尺くらいの像の高さかな。大日如来よりは小さい仏像だ。

 ↓ 料亭側の駐車場に設置されている看板に国の重文指定の 大日如来坐像

IMG_4948


 ついで、通路沿いのガラスケースには、花籠印籠など印籠がある。説明には19世紀、江戸時代とある。解説には蒔絵印籠と書いてあるが、黒い漆地の蒔絵?のようだ。かんざし?もある。かんざし?は、鼈甲のような飴色。矢立もある。小さい茶釜などのアクセサリがついていた。矢立についている小さい茶釜はつまり、墨壺になっているのだろう。

 「』」字状の常設展示スペースだった。ここ佐野美術館の創設者、佐野氏の個人収集コレクションの展示なのであろう。
 常設展示スペースを取り巻く(囲う)ように、企画展の展示室があることに気付いた。コの字にようになっている。
 ↓ 退出時に撮影した、佐野美術館の建物入口と外観。2階が展示室。

IMG_4975

 映像コーナーがあるが、設置されているテレビには電源が入っていなかった・・・・。ソファがあるので、しばし休憩。同様に見学者が休憩している。女性の二人連れなどの入館者がいた。
 映像室の隣は、展示室があり展示物も見えるのだが、退出してくる人のみ。順路最後の展示室のようだ。企画展の最初の展示室入口は階段を挟んだ別の所にあったので、その入口から企画展を鑑賞開始する。
 
 室内に入ると人が多いことに「おおっ」と感じた。館の外では、多くの人が出入りしている様子はないが、展示室内は被とが多い。ガラスケース内の展示品の前には、すべて人がはりついていて、鑑賞している。
 第一のガラスケース。長方形の展示室の「短辺」の部分。展示順番の最初にあたるので、ここから見ていく。

 最初の展示は「短刀 無銘正宗」 徳川美術館所蔵。「正宗」で有名なアノ正宗から展示開始。以前、国宝の「正宗」作品も同館で鑑賞したことがある。
  現在の「刀剣ブーム」が起きる前から「正宗」くらいは知識として知っていた。あと、妖刀として名高い、徳川=松平家因縁の「村正」くらいは知っている。ただ、正宗と村正は「正」の字は共通しているが、時代も住地も全然違う。
 展示を見ていったのだが、刃は光っていても、持ち手のところというか、茎(なかご)というのか、根元の部分が黒ずんている展示品が多い。展示のタイトルは「大坂城落城」。説明文には「豊臣氏の滅亡、大阪城の落城に際して、多くの刀剣も同時に焼けた・・・・・。」という意味の内容が書いてあった。
 次の展示は同じく「短刀 正宗」。こちらは、銘が彫刻されていて、判読できる。「相州住正宗」とあり、今の私と同じく、相模の国在住だ。俺は、言うなれば「相州住良月」だな・・・・

 説明では、細川家(つまり、細川幽齋)から豊臣秀吉に献上され、大阪落城の際に焼けたが、徳川家のものとなり、(刀工)の康継によって再刃され、御殿守?、御守殿?、に置かれたとある。同じく徳川美術館所蔵なので、戦利品として、尾張家に伝わったものだろう。茎の部分は赤茶色で鉄の成分が酸化して露出している感じ。銘は読める。

 別の短刀「銘 正宗」 徳川ミュージアム所蔵は「焼身」とある。企画展のパンフレットによると「やけみ」と読む。
 「徳川ミュージアム」所蔵なので、水戸徳川家に伝来した刀剣である。大阪の落城で焼けて、康継が再刃したが、1923年の関東大震災で再び焼身となったらしい。
 「康継」という刀工の名前が登場した。越前の刀工とのことだ。「脇差 貞宗」の焼けたものと、それを復元して、銘文を刻印した作品が展示されていた。。「脇差 貞宗」は、越前 丸岡の城主だった本多成重の所持した短刀。その短刀を越前の康継が写して、作成したものらしい。丸岡城は以前行ったことがある。「一筆啓上」でも有名だ。
 写しの短刀には「越前国康継」と刻銘されているのが読める。焼けた刀は錆びているというか、赤茶けている。刀剣は火災の高温でも溶解することなく、原型はとどめている。鍛造するときに高温で鍛えているので、一般の火災では溶解することが無いのだろうか?。

 説明には「再刃」という言葉が何回も登場した。文字通り、一度焼けた刃を直して刃文を復元するというか、造り直すという意味なのであろう。
 今回の企画展の名称にある「REBORN」とは、「現代に蘇る昔の刀剣」のことかと思っていたが、全く相違した。一旦焼けたが「再刃」して文字通り「再び蘇った」刀であったのだ。私は誤解していた。

 室内の柱の横に短刀の展示の独立ガラスケースがある。「短刀 銘 宗近」である。名古屋の徳川美術館の所蔵であった。独立したケース内の展示なので、特別な刀かと思ったが、特段印象に残る来歴は無かった。

 第二ガラスケース。
 まず「明暦の大火」の解説ボード。大火の説明には「・・・・・江戸城にも 飛び火した。 西の丸は類焼を逃れたが、このとき本丸、二の丸、三の丸が焼け、本丸天守閣も焼け落ちた。其の後、江戸城の天守閣は再建されなかったと書いてあったかは・・・・、忘れた。実際に、再建されずに現代に至っているし。

 この明暦の大火で焼けた刀が展示してあった。
 かの桶狭間の戦いのときに今川義元を討ち取ったという刀なのだそう!!。「桶狭間」といえば尾張の「信長」の戦いである。どうして、西暦で1657年、桶狭間から100年近く後の大火、しかも江戸の火事で焼けたのか?。
 重要文化財の「刀」、その名も由来からとって「義元左文字」 建勲神社所蔵。金象嵌で、「織田尾張守信長」と本当に彫刻されている。裏には「義元討捕・・・所持刀」とあるそうだ。一度、焼けたので、同じく茎の部分は赤茶色で鉄の成分が酸化して露出している感じ。再刃しても、根元の茎の部分は再刃していない。切る「刃」の部分ではないので当たり前か・・・。
 討ち取りに使用した後、武功を残すため、彫刻したのだろう。金色の文字は鮮やかだが、大火で焼けた後に再び入れたのだろう。説明によると由来は「豊臣秀頼から家康に渡り、徳川家が所蔵したが、明治時代になってから、信長を祀る京都の建勲神社に奉納された」そうだ。「刀」なので太刀のように刃は下向きの展示ではなかったと思う。








「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞1

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞1   2019年2月

 佐野美術館に初めて来ました。今まで三島には何回も来ているのに佐野美術館のことは知らなかったのだ・・・。知ったのは、ほんの3年か4年前のことだ・・・・。「刀剣女子」がブームとなり、関連して重要な刀剣を多数所蔵している佐野美術館が取り上げられるようになったからだ。
 特に昨年、京都国立博物館で開催された「京のかたな」展では佐野美術館の館長さんもテレビ番組で解説に出演された。よって佐野美術館がマスコミでも広く紹介されたのは記憶に新しい。最近まで知らなかったのは、本当に恥じるべきことだ。
 しかも当初「佐野美術館」は栃木県佐野市にあるのかとも誤認してしまい、実際の所在地、静岡県三島市と結びつかなかった・・・。本当にお恥ずかしい限りだ・・・。
 
 今回は、車で御殿場経由で三島に向かった。三島市街地の手前、新幹線の線路や東海道線のガードをくぐる道路は渋滞して、混雑している。三島大社付近の道路などを通過。久しぶりの三島だが、何回も来ているので慣れているぞ

 「市街地を南下し、修善寺への鉄道線路の踏切を渡る。と、道路沿いに「佐野美術館」と小さい看板がある駐車場に車を入れた。15時頃に着いた。
 Pには、車がたくさんある。「松韻」の料理店と併設であった。「なーんだ、いつも通っていた、この料理店の駐車場が、美術館の駐車場だったのか!!。」と改めて思った。三島のうなぎの店を探していたときに、この店の前は何回も通ったことがあった。特に「三島うなぎ」と看板は出していなかったので、今までここで食事をしたことは無い。「随分、車が停まっていて混雑しているお店だな。」という印象はあった。

IMG_4945

 駐車場(P)の端には美術館の案内看板があった。「ああ、本当にここにあるのだ。」と再確認に、なんだか安心(笑)

IMG_4947

 門のような通路があり「入口は、ここかな?。」と思うが、美術館自体は「庭園を抜けた先」と表示が出ている。 建物の脇の通路を通り、庭園へ。と、母と娘らしき女性二人が庭園を散策している。
 庭園から、料理店の店内の様子が見える。昼食時なので、店内は混雑しているようだ。庭園側はガラス張りになっていて、眺めながら食事ができるようになっている。
 事前にサイトで確認した通り、美術館は庭園に隣接している(というよりも庭園内にある)のだ。

IMG_4949

IMG_4951

庭園から、料理店の建物外観

IMG_4953


 庭園を抜けるとコンクリートの建物が見えた。四角いコンクリートの高床式の無機質な建物。この日は企画展の開催最終日だ。またしても、最終日の訪問となってしまった・・・・。
 駐車場は館の建物の周囲にもあった。
 
IMG_4964


 階段を昇り、館内に。結構、観覧者が建物の外観を撮影している。美術館の建物に隣接するPは、表通りの道路とは反対の住宅地側から入ることができるようになっていた。「気付かなかったな。今までも、来ていればよかったな。」と思いつつ、階段上から目の前のPの様子と周囲の住宅地を見ながら入館した。
 と、ロビーには、小さいながらもショップがある。いましたよ~ここにも刀剣女子が。というよりも、既にここ佐野美(と以下略称する。)は「刀剣女子」の重要な聖地のひとつである。
 女子の入館者がショップに数人いる。皆、グッズなどを見ている。
 受付はメガネをかけ黒髪を後ろで束ねた黒いスーツ姿の女性が1人立っている。受付係員は1名のみで入館券の販売も「短刀」ならぬ、「担当」していた。1000円丁度の入館料金。千円札1枚を出して購入する。
 ロビーの柱には「(この企画展で) 二万人入館達成!!」と垂れ幕がかかっている。
 企画展「REBORN 蘇る名刀」の会期は、1月の上旬から休館日も含めて1ヶ月半くらいである。2万人という数字が多いか少ないのかは、何ともいえなはが、ここ佐野美では、恐らく空前の入館、鑑賞者なのであろう。 以前は、大勢の入館者が押し寄せる美術館ではなかったであろう。
 三島市内の他の観光施設と連携したスタンフ゜ラリーの台紙が置いてあった。しかし、スタンプラリーも本日が最終日であった・・・。よって、スタンプを集めることは不能だ・・・。でも台紙は貰った・・・。



IMG_4970









御殿場アウトレット 買い物 2018年8月

 御殿場アウトレット 2018年8月

 とらや工房に寄った後、御殿場プレミアムアウトレットへ移動します。
 夕方の時間帯なので、混雑していなかったが、休日の昼間は混雑するであろう。
 「いつもの」の駐車場は工事中であった。別の比較的入口に近くの駐車場に停めることができ、徒歩で向かいました。  

IMG_2729


 入場したのは、18時頃。今回は、自分自身もここ御殿場アウトレットでゴルフ用品などを買おうと・・・

 夏の終わり、8月下旬は、例年バーゲンを開催している。
 某店舗でクラブなど買う。ちょうど、バーゲン期間中であり、4点買うと20%オフという。単品の値段は 関係ないそう。3点だと15%オフだった。よって、少額の消耗品でよいので、含めて合計4点買った。あとは、スコアに直結させるだけだが・・・・。

 連れはゴディバのアウトレットでチョコを買ったという。以前、かかりつけの歯医者さんを偶然見た(声はかけなかった・・。)が、それ以来の買い物かな。
 夏ではあるが、バーゲン中であるので、店舗内をのぞいたが、レジには行列で人がならんでいた。若いカップルが 「並んでいて、すごいね。 これで2月だったら、どうするんだろうね。」などと話をしていた。

 夏の夕景、雲の上に突き出た富士山のシルエットが美しかった。↓

BlogPaint


 なんやかんやで、閉店近くの20時近くまでいる。駐車場まで歩いて戻る。以前よく停めていたところは、工事していてが、更に奥のパーキングは拡張工事が終わっていたので、ここに停めてもよかったかも。と、敷地内に保育園があった。以前も見たが、社員用に設置された保育園だろう。
 ↓ 夜間の店舗群。


IMG_2732


 とらや工房の案内パンフを下に敷いて撮影、ゴディバのチョコレート。↓

IMG_2735


















とらや工房 御殿場 喫茶2 2018年8月

 とらや工房 御殿場 休憩2 2018年8月

 御殿場のアウトレットの近く、御殿場「東山旧岸邸・とらや工房」にやって来た。

 販売場所に行列はなかった。すぐに購入できた。どらやきをを買う。閉店に近い夕方の時間帯であったので、限定品は売り切れだった。どら焼き以外では、笹団子を一個買う。持ち帰り用としても、どら焼きを買った。
 席を確保する。お茶の備え付けがあり、おかわり自由であった。
 どら焼きには、富士山のマークと「と」の文字が焼き入れられている。

IMG_2720

 購入した後、奥まったところにある木造のおしゃれな建物内で食べる。新しい。新たに建築したらしい。半円形の木の小屋風で、木のテーブルとイスがある。木のいい香りがする。
 先客として、数組の夫婦や親子連れがいた。


IMG_2718

 大きなガラス窓に木を基調とした建物。

IMG_2719

 持ち帰り用は紙袋に入れてもらった。
 笹団子も食べた。わっぱのような木製のお盆といい、自然の「木」にこだわっ演出。

IMG_2722

 食べた後、お盆をさげて、ぐるりと敷地を周り、旧岸邸の外観をみる。 入場は締切の時刻となったようだ。
比較的、新しい邸宅で 藤沢市の近藤邸のようで、なんとなく似ている。

 御殿場に岸信介の邸宅があったとは知らなかった・・・・・。90歳まで長命であった人物。没したときは、私は少年だったが、ニュースにもなったし、新聞では「昭和の妖怪」「巨魁」とも書かれていたのを覚えている。戦前の東條内閣の大臣、戦後、アメリカよりA級戦争犯罪人にも指名され、のちに戦後の平和国家の日本の首相になった人物が、まだ生きていたのか、と少年時代の私は驚いたものだ。
 のちに政界に登場した現在の首相の祖父でもあるし、戦後の政界に隠然たる影響があった人物・・・・・・・どうやって戦後平和ニッポンの首相になったのでしょうね。その弟も後に首相になっているし。

 昔、御殿場で静養していたのは、秩父宮殿下。ここから、現在公開されている旧秩父宮邸も近い。殿下は岸が戦後、首相に就任する前の昭和28年に逝去されているが、岸が秩父宮邸の近くに別邸を構えた理由は分からない。


IMG_2723

ぐるっと、林の中の道を歩いて、戻る。とらや工房の建物が林の合間に見える。

IMG_2724

門まで戻って来た。人がいなくなったので、敷地の内側から撮影した。
閉店時刻なので、あらたに門をくぐってやって来る人はいない。

IMG_2725

駐車場に戻り、次にアウトレットに向かった。

IMG_2727



とらや工房 御殿場 喫茶1 2018年8月

 とらや工房 御殿場 喫茶1 2018年8月

 午後からの外出で御殿場にやって来た。
 
 御殿場のアウトレットに向かう前に、御殿場インターから別の場所に。
 やって来たのは、とある駐車場。付近には、アウトレットの駐車場もあり、シャトルバスも行き来している。 
 東山旧岸邸・とらや工房の見取り図があり、「とらや工房 入口」と表示されている。 

IMG_2703


 とらや工房にやって来た。以前「×××の知らない××」のテレビ番組で放映されて一気に有名になって、大混雑するようになった場所・・・・。このテレピ番組、平日の夜の放映なので私は普段見ないのだが、偶々、ホントに偶々視聴したので知ったのだった。
 お店の開設は何年も前で、テレビでも運営会社の責任者の方が「今まで宣伝はしていなかった・・・・。」というから、知る人は少なかった。よって私も知らなかった。
 ツレ聞いたところによると、ママ友というか、子供の学校関係の地域の人から聞いた話では、以前、5月の大型連休中にいったが「2時間待ち。」だったそうだ。

  東山旧岸邸とも書いてあるとらや工房の入口。あずま屋のような趣のある門があるのだが、人が多く行き来しているので、撮影は控えた。知っている人は、門をくぐると小路を急いでお店に歩いて行くのだ。
 とらや工房が旧岸邸と同じ敷地とは知らなかった。

IMG_2705


 「そんなに混雑しているかな。」と思いつつ、初心者は、看板のあるとおりに 林の中の小道を進む。

IMG_2707


小路の途中に池がある。

IMG_2710
 
 お庭になっている。夏の夕刻、高原の空気は涼しくて、すがすがしい。

IMG_2714

 小路を進むと、建物があった。ここが、「とらや工房」のようだ。
 行列は出来ていない。ホッとした。

IMG_2711

IMG_2712

 緩いカーブを描いた平屋の建物。林の中なので、「木」を意識した意匠だ。建築素材も木にこだわっている感じが伝わってくる。手前は店舗、奥側は工場(こうば)、工房になっている。

IMG_2716

  列こそなかったが、「ここから60分待ち」の表示がある。
 本日も混雑時間帯は60分以上の待ち時間があったということだろう。

IMG_2717





世界遺産 伊豆 韮山反射炉 見学2

 2017年4月。 世界遺産 伊豆 韮山反射炉 見学2

 春、桜が満開であるが、今年の桜の季節もそろそろも終わりかな・・・。あと何日かすれば、落花盛んとなってしまう・・・・・。

 入場券を買って、真新しい資料館から見学する。
 
 館内には、展示コーナーが始まってすぐのところに、まず韮山反射炉に関する年表などがある。日本や、徳川幕府、韮山反射炉の歴史についての解説がある。
 展示コーナーの奥には、映像シアターがある。大きいスクリーンがある。ちょうどシアターの上映が終わったところで、人が移動
 しばらくすると、再びスアターのスクリーンで、映像が始まった。ドーーーンという効果音と解説の声が聞こえてくる。私はシアターの映像は見ないで、先に展示室内の年表や石炭、製品の鉄などの実物展示や、各地の反射炉や近代化の工場などの解説バネルを見る。

 ↓ 年表を見た後順路に従い「反射炉の全貌 反射炉の全てに迫る」のコーナーへ。

DSC09543

 反射炉のある韮山のだ代官であった江川太郎左衛門の絵も。ウチの子は「小学生のときに教科書に載っていた。」と言った。「(絵は)目がギョろっとしていて、怖かった。(太郎左衛門の顔が怖くて目がギョろっとしているので)寝る時も怖くて、寝れなかったそうだ」そうだ。小学生のあどけないというか、ほほえましいエピソートだ。今じゃ「うるさい!!」しかうちの子は言ってこないが・・・・。
 江川太郎左衛門であるが、この時代の当主、江川英龍のことだ。代々「太郎左衛門」を襲名していることは知られている。西暦でいうと1855年くらい、ペリー来航のに二~三年後くらいに死亡している。英龍は明治維新までは生きていない。
 次の当主は、その三男?。次は4男、前当主の弟が継いでいる。英龍の子の二人は、肖像画ではなく撮影された本人の写真が展示されている。英龍は写真を残さず死亡したので絵しか残っていないのだろう。
 英龍の子が当主のときにここ韮山反射炉は廃止されている。
 自邸から近い、水のあるところに 反射炉を造作しのだ。

BlogPaint



DSC09544

見学には、家族連れや子連れも多い。子供達は、小学生から中学生くらいの年齢かな。あとは団体客もいる。大型バスでも来ている。大型バスが何台か先程車を停めた駐車場に停まっていた。

 一旦外に出る。ボランティアガイドの説明が始まるそうだ。しかし、定時の説明があるのではなく、団体向けの案内らしい。
 緩い坂道を歩く。岡に更に上に。、新しいお土産物屋さんや食堂の建物がある。世界遺産指定後 ブーム、特需に沸いているのだろうか。

柵の内側の敷地に入る。桜はやや散っていた。弱い雨が降っている。北海道からの団体がきていた。

再度 入館する。再入場可能。映像シアターに席をとる。日誌から映像で復元。 リアルなCG画像だ。制作にお金をかけている。BGMも立派だ。15分おきで。8分間。よって7分の間があめ。間は、展示を見る。「江川文庫というのがあるね」と誰かが言った。 万延元年のこと。銑鉄をまきのように積んで 点かしている。温度が高くなる。溶け出して斜面がついているので流れ込む。夜10時に開始、徹也で溶かして翌朝6時に。カタに流している。 冷やして 取り出す。グリグリと削っている。18日間で。水車のと瀬宇力で 砲身のくりぬきをした。
ふいごで 人力で空気を送っていたのではなかった。
鉄は網代で陸揚げして馬で輸送した6日間で。 釜石から運んだ。船は江戸を出て、網代に行った。シアターの両脇には、展示がある。 出土した 鉄の残渣 滓など。石炭のかすもある。映像の合間に見た。途中で見たところまで放映されたので、退出する。


DSC09577

↓ 間に展示を見る。

DSC09578


DSC09579


 出口付近には、昔の反射炉の写真もある。明治時代初めや30年代、40年代の写真も。
 操業を停止しても、炉は残っていた。地元の人々が羽織はかま姿で撮影されていたり、山高帽、スーツ姿の人が写っていたり、明治以降も韮山付近のランドマークとしての存在ではあったようだ。
 忘れられて、放置されていた訳ではないようだ。
 昭和20年代の写真もある。戦時中はほとんど放置状態だったと思うが、戦後しばらく経過して、ようや保存や開がスタートした。敗戦後の生活が厳しい時代にほぼ放置されていた反射炉周辺の写真が撮影されていたとは驚きである。
 展示されている反射炉の写真は、次に昭和50年代に飛ぶ。子どもの私が訪問したのは、この数年後 昭和6×年のことだ。よって、私が子供のときに見たのは、50年代の写真に近い反射炉の姿であったろう。
 館の外に出る。出口付近には砲弾や砲身の一部の模型展示もあった。




伊豆 韮山反射炉 見学1

 2017年4月のこと。伊豆・  韮山反射炉 見学1

 春、桜が満開であるが、今年の桜の季節もそろそろも終わりかな・・・。あと何日かすれば、落花盛んとなってしまう・・・・・。

 伊豆半島の北、韮山まで熱海市経由でやってきた。何年ぶりのかの伊豆半島北部である。以前は三島の湧水群に来たことがあった。

 
 ↓ 反射炉の遠景
DSC09575


 珍しく子供を連れての外出。下の子は熱があるというので行かない。新学期になり、環境が変わって緊張しているのかな。「知恵熱」かも。上の子のみ連れて出かけた。

 神奈川県側からのアクセスであるが、海沿いの道を熱海へ。熱海市街地から国道の坂道を登る。ここは、三年前にも通ったことのある、函南町のオラッチェのある盆地を通過し、函南駅の下を通り、病院の前を下り。三島から通じる国道136号線に出る。
 と、伊豆道の新規開通の関係で道路がかわり 高架道の下をまっすぐ行ってしまう。交差点を伊豆方面曲がるタイミングを間違えた・・・・。
 宅地の狭い道から 全く違う道へ。わからないが大体の見当をつけて 丘を左に見ながら 南下。適当に行くと 田んぼの中の道に「江川邸」と出ている。「韮山反射炉」とはない。交差点を 二回曲がり、更に 南への道を進むと 「韮山反射炉 km」と標識がある。江川邸とは2kmくらい距離があるようだ。屋敷地の近く 少し離れたたころに造営したのだろう。

 迷う。韮山反射炉へ。田んぼの中りの道。集落の中を進む。江川邸の看板がある。邸にはいかない。更に進むが道に看板がなくなる。しかし 2kmという看板がある。集落の中の道左折して 山側に入ると 廣井駐車場がみえた。ここだとわかる小学生のときに来て以来だ。蛭小島の跡地も行ったが、田んぼに囲まれた神社のようなところたった。地図で見ると反射炉と江川邸の中間からさらに鉄道側。 徒歩でも行けるところだ。反射炉付近のことは全く覚えていないが、ガランとしたところで、反射炉の塔以外には覚えていない。

DSC09581

同行している上の子は、以前、修善寺に向かう電車の車窓から反射炉が見えたと言っているが ガセであろう。
きっと、銭湯の煙突ですよ。(冗談)

DSC09547



資料館が出来ている。立派で新しい。

自動券売機で購入。大人は一人500円。券を見せて、入る。入口付近はロビーになっている。

DSC09580

DSC09576


ベンチがり 伊豆など近隣地域の観光案内パンフが置いてある。雨なのでここで休んでいる人は多い。



南伊豆町 奥石廊崎海岸、中木付近海岸(富士箱根伊豆国立公園) 

 2017年9月10日 南伊豆町 奥石廊崎海岸、中木付近海岸(富士箱根伊豆国立公園)の風景

 断崖絶壁の続く絶景である。南伊豆町の「ヒリゾ浜」でシュノーケリングをした後に、中木(今までは、「仲木」と書いていたが、現在は「中木」と表記しているようなので、改める。)から坂道を登り県道沿いの奥石廊崎のあいあい岬展望台やってきた。ここには、南伊豆町ジオパークビジターセンターがあり、ジオパークに関する展示とおみやげ屋さんがある。駐車場は無料である。
 2年前に来たときは、ここジオパークビジターセンターの駐車場に車を停めて(無料だ)、わざわざ中木まで歩いて、ヒリゾ浜の集落まで坂道を下り、渡船に乗っていた人が多数いた。道路沿いを歩いているので危ないのだし「駐車したモン勝ち」で、いかがなものかと思ったものだった。
 今回は、夕方の渡船の時刻が終わった後だったせいか、駐車場はすいていた。
 
 ↓ 展望台から西。「夕日が沈む」といいたいところだが、4時半くらいだとまだまだ日が高い。
  「サンセット」には程遠いーなぁ~(笑)。
 
 

DSC01457

 西側の海岸。沖合に「大根島」のような荒削りな岩礁がいくつかある。断崖絶壁の海岸美だ。
 形状が似ているのでヒリゾ浜の対岸にある「大根島かな??。」と誤解してしまう。

DSC01452


 ↓ 東側、あいあい岬の方向。3年前の8月下旬には、あそこまで歩いて登った。あのときは、天気が悪くて、夏にしては寒くて、雨もパラついていたかな。
 道路(県道)の壁面ブロックは、先程渡船の海上から見えた。

DSC01456

 ↓ こちらが展望台の眼下の「水道」をはさんで沖合にある「大根島」。

DSC01453

  ↓ 展望台から拡大したヒリゾ浜。誰もいなくなって、無人の浜となっていた。
   水面にブイが浮いている。遊泳区域を示すブイだった。あそこまでは泳がなかったが。

DSC01454

 海水は本当に澄んでいるのが遠目にも分かる。
 大根島の崖面に刻まれている「石段」も見える。写真でははっきりと写っていないが、結構目立つ。


DSC01455


 (既出) ↓ 中木のヒリゾ浜渡船券売所テントやシャワー、公衆トイレのある場所付近にあった、中木 : 「火山の根」と柱状節理の案内板。
 中木付近はマグマの通り道「火山の根」で、地形が隆起すると急峻な地形となる、マグマが冷え固まる際の収縮によってできたのが「柱状節理」で、迫力がある景観が広がっている、と解説されていた。
 まさにこの展望台付近の景色だ。

DSC01407

 


「ヒリゾ浜」5 撤収と帰りの渡船、着替え

 2017年9月10日 南伊豆町 「ヒリゾ浜」 撤収と帰りの渡船、着替え

 ヒリゾ浜から仲木港への渡船の最終時刻も近づいて来た。「4時が最終の船の時間です。」と繰り返し沖合に停泊している監視船のスピーカーからアナウンスがある。
 浜に上がり、レジャーシートを片付ける。撤収準備だ。
 少し離れたところにテントなど張って陣取っているブラジル人のグループの声がうるさい。ポルトガル語での大きな会話の声が盛んに聞こえる。彼ら、彼女らは最後まで残っていた。

 ウェットスーツを着た人も多い。ラシッユガードを着た女性も多い。9月ともなると、夕方には涼しくなるし、夏と同じ水着ではやや寒いかな。私は[脂肪のため]水中でも寒さ、冷たさは感じなかったが
 私らのいる所の前で撤収していた女性のグループがいた。私と同じく40歳前後(アラフォー)かなと思われる彼女らは、ダイビングをするのかウエットスーツ姿である。普段からダイビングしている感じの女性3人組。石ころの浜辺でウエットスーツを脱ぎ、ビキニの水着となった後、上はTシャツを着て、下は水着の上にホットバンツをはいて、船着き場の方向に帰って行った・・・・。

 ↓ 船着き場の横の岩場、西方向。
   ほぼ撤収して人がいなくなった。船着き場に歩く人と、岩場の向こうに迎えの渡船が見える。

DSC01434

帰りの船を待つ人が岩場で列をつくる。待つため並ぶ。

DSC01435


DSC01436

皆、浮き輪などを持って、船を待つ。子供も多い。岩と岩を渡す板の上にも並んで待つ。
落ちないように注意。

DSC01437

 列に並び、少し待つ。並んでから2回目の船に乗れた。意外に早かった。数十名は乗れるので早く順番が回る。帰りは満員である。ぎゅうぎゅうに詰めて座る。出航して本土へ帰る。
 と、先ほどヒリゾ浜に上陸するときに同じ船だった。 親子連れの家族がいた。行きも帰りも同じ船だった。私は操舵室の真横の板の上に座った。
 ウィーンと音を出して、船は海上を走った。

DSC01438

ヒリゾ浜の岩場 ↓

DSC01439

出航した直後に沖合から見たヒリゾ浜の岩場。随分と人が少なくなったが、まだ残っている人がいる。


DSC01440

船から見た水中。透明度が高い。

DSC01441

飛沫(しぶき)をたてて、船は走る。

DSC01442

仲木の港に帰って来た。

DSC01443


 浜から港に戻り、再度本土に上陸する(ヒリゾ浜も本州 本土にあるのだが・・・・。)と、あれほどたくさん車があったPはかなりスカスカとなり、車がすいている。
 本日の渡船運行はほぼオシマイ。発券所のテントでは、本日の売上金の札束を集計している。テント近くのトイレに一旦行く。近くには、更衣室があり、何人か女性が並んでいる。シャワーも並んでいた。着替えのための混雑タイムだ。 並んでいるのは女性。というか、女性用かな。比較的年齢が上かダイバー風の女性が多いかな。(たくさんの人がいるのでこの付近の撮影はしていない。)

 ↓ 港の前の駐車場。 16時頃。

DSC01447

 テントの前の水がたまっている小プールに、ひしゃくがあり、水をすくッてスンダルについた砂を落とす、といか流す。通常の海水浴と違い、ヒリゾは、岩場と石場なので、砂がほとんどつかないのは便利、といいうか砂を水で落とす必要がないのでラクちん。水着姿の人が入れ替わり来て、砂を流していく。
 車に戻って、着替える。砂がつかないので、シャワーを浴びる必要が無いのだ。着替えが本当に楽だ。私らの車と車線をはさんで反対側に停まっている車は、小柄な 女の子二人組だった。軽自動車で来ていた。なぜか、直感で彼女たちは看護師かな、と思った。二人はこれから、車の横で水着を着替えるところらしい。


DSC01448

 私らの車の左隣は、数台あいている。近くに停まっているワゴン車(ワンボックスカー)は40から50歳くらいの男女で、中年の夫婦か不倫カップル風・・・・。女が車の横で着替えているのだ。(ビックリ)男は、バスタオルを広げて見えないように更衣室のカーテンのように隠し、女が着替えていた・・・。

 ↓ 最後の客も浜から戻ったかな?。夕方の船着き場の様子。

DSC01449

↓ 仲木の集落。鉄筋のアパートは、昭和49年の伊豆地震の後に建築された集合住宅のように見える。
年代からして今から40年位前に建てられた感じがする。

DSC01450

渡船と引き上げる人々。さあ、帰ろう。

DSC01451

16:15頃に出発。仲木の集落を通り、県道を登る。途中、以前も来たことのある展望台、石廊崎経由で帰った。







「ヒリゾ浜」4 シュノーケリング 海中で見える魚

 2017年9月10日 南伊豆町 「ヒリゾ浜」 シュノーケリング 海中で見える魚

 ひと泳ぎして、陸地で休憩。日が傾いて来たためか、帰り支度をして、テントをたたんで撤収しているグループも周囲にちらほらいる。「芋を洗うような」浜の状況ではなくなってきた。

 若い女の子のグループは、浜にあまりいなかった。先程、渡船に私達が乗る前、券売所のテントの前で既に泳ぎ終えて足を洗っているビキニの女の子のグループがいたが。
 家族連れが多い。カップルも多い。意外と。中年以上の男と女の二人連れがいるのだ。だから一口にカップルといっても若い学生くらいの年齢のこともあるし、若くないケースもある。まさにケースバイケース(笑)。
 ツレに言わせると「カップル率が高かったな。」そうだ。

 カップルは、監視船に近い岩礁が比較的少ない海面上で、浮き輪に乗ってプカプカと漂っている。仰向けに浮き輪に乗ったり、うつぶせに浮き輪に乗って、ゴーグルをつけて海面に顔をつけて水中観察をしていたり。

 先の記事でも書いたが潮の流れが速い。マジで流される。この日は西から、東へ流れている。子供も浮き輪やライフジャケットを着用して海面に浮いているが、子供だけにしておくと危ない。小さい子供、幼児もいる。幼児は渚の浅瀬で遊ばせておくのが安全だが、なにせ石ころ、岩場の海岸なので転ぶと危険だ。「小さい子連れの場合は、ちょっと危ないなぁ。」というのが(子育てはほぼ終わった)私の感想だ。


  ↓ 船着き場の横の岩場、西方向。写真右から左へ早い潮の流れが。

DSC01432


 渡船の最終時刻も近づいて来たので、この日3回目(最後)のシュノーケリングとして15時25分頃から再び海に入り、先ほどのところ(遊泳区域で一番沖合の岩場)へ(泳いで)急ぐ。さすがに、岩場の反対側の更に先の沖合まではいかいない、というかそこまで泳力が無い(トシだから・・・・。)。
 乗船券についているパンフレット(ヒリゾ浜のパンフ)によると、沖合の岩の更に先には「クマノミがいる」と書いてあった。手前の岩の海中にもいるようだが、水面下、海底の方を見ても、いない。そのかわりに、岩場の合間にウツボがいた。あれ本当かな、と思ったが、確かにウツボだ。 岩場に細長い体を隠しているというよりも、海底に近いところをおよいでいるというか、体をくねらせて滞留している感じだった。
 噛みつかれないうちに、撤収を決意した(笑)。

 ↓ ヒリゾ浜のパンフの抜粋。魚の解説と写真。
  あとで見えた(と思った)魚にエンピツでマルをした。
  車にはゴルフ場で使用するあのエンピツ数本を常備しているので(苦笑)。

DSC01859


 一番多かったのは、おなじみ「ソラスズメダイ」。北伊豆、沼津市の三津シーパラダイスの海岸でもたくんさんいるのが見えたし。伊豆では最もポピュラーな熱帯性の魚ではないか。
 魚群も多かった。カマスの群れも本当にいた。やや胴体の大きい細長い魚の群れもいたがあれは「ボラ」だった。ボラは東京湾の多摩川河口などにもいると思うが。

 パンフに目撃の難度に応じて「レベル2」「レベル3」とある。
 さすがに「レベル3」の魚類は見なかった。クマノミも見なかった。 パンフの「ソウシハギ」の写真のところにマルをしているが目撃した確証はない。実はハコフグだったかも!?。
 「ウツボ」がいるとはパンフには書いていなかった。

DSC01860

 ↓ ヒリゾ浜のパンフの抜粋。私達が陣取ったのは、監視所の南。浜の端に近い石ころの上だった。

DSC01861

 大きな魚としてはパンフの写真にもある「コロダイ」を見ることが多かったような。目撃した昨年の白浜でも波打ち際に近い浅瀬でも泳いでいた。ヒリゾ浜でもたくんさの群れでは遊泳していないが、結構目撃した。沖縄でも浜辺近くの海中で結構目撃したことがある。コロダイの次にここヒリゾ浜で目撃した一般の魚としては「イサキ」かな。寿司でもおなじみの魚だし(笑)。
 




「ヒリゾ浜」3 シュノーケリング 2017年

 2017年9月10日 南伊豆町 「ヒリゾ浜」

 船着場から船に乗り込み、ついにヒリゾ浜に到着した。
 二年前は混雑して、駐車場にすら入ることができなかったが、 今回は更に遅い時間だったためか、混雑が認知されて避ける人がふえたのか、ブームも一段落したためか?、やって来ることが出来た。
 本当は二度と来ないと誓ったのだったが・・・。色々トラブッて流れついたというべきか・・・。
 2014年8月に最初に「渡航」を企画したのだが、まさかの低温と曇天でやめた。8月だったのに、急に涼しくなってしまったのだ。前年までは、猛暑だったので、信じられなかった・・・。その後、2015と2016と夏も8月の終わりになると急に涼しくなり、地球温暖化といわれているが猛暑は比較的おさまっているように感じている・・・。

 ↓ 午後の時間帯の浜の様子。
  なお、水中撮影が可能なカメラは持っていなかったので、水中の画像は一切無し。

DSC01420


 ↓ 陣取った場所から海を真正面に見る。南西方向。

  対岸の島の方向。大根島との間の「ヒリゾ水道」。太陽が真正面にある。よって、暖かい。海水浴日和だ。
  浮き輪で沖合を泳いでいる人がいる。グラス、ゴーグルをつけて水中を見ている。どうやら、あの辺にお魚がいそうだぞ、と目ぼしをつける。サンダルははいたまま、海へ。岩場を歩くので、渚までも歩くのが大変。海に入っても浅瀬では、石がゴロゴロしていて足元が安定しないため、コケる(笑)。更に進んで泳げる水深になると楽になる。シュノーケルにゴーグルをつけて水中を見る。確かに透明度は高い。沖縄並みという表現も過言ではない。黒潮が運んできた透明度の高い海水が流れ込んでいるのだ、と実感。


DSC01428


 海中の魚も多い。本当に想像していた以上に多い。沖縄の海中よりも魚はたくさんいる。

 浜の対岸の島、大根島は大きい。真正面にドンとそびえる感じ。大根島の大きな岩が東から南にかけての立地なので、太陽が南から西に移動した後の午後の方が暖かくてよい。
 潮の流れが速い。水に浮いていると流される。この日は、西から東へ流れている。写真でいうと右から左に流れている。沖縄の竹富島の浜のような速い流れだ。砂浜海岸の海水浴場には無い、速い流れ。
 子供もジャケットを着たりして、浮いているが危ないな、と感じる。子供でこの流れで流されたら、逆らって泳げない。大人でも困難だ。横に泳ぐのがよいのかな。
 最初はお試しで軽く泳いだ。潮の流れが分かったので、次の遊泳は、沖合の岩場まで行き、潮に流されて監視船の方まで戻って浜辺に戻って来るコースをとることにする。
 泳いだ後、一旦上陸する。見ると、レンタルのマリンシューズをはいている人も結構多い。港で借りているのだ。マリンシューズをはいても、岩場でよろける。水着姿の女の子が浅瀬でバランスを崩してヨロけて「キャッ」と転んで尻もちをついていたりした(笑)。

 「クマノミは沖合の岩場にいるのではないか?」と思った。次の遊泳は、岩場の先の水中を目指した。
 海中は、岩が無いと深い所もある。ところどころ、岩が海中にあり、足がつく場所がある。緑色のサンゴが生育途中らしき岩場が海中はあるが、基本的にサンゴは(私が水中で見たところ)ない・・・・。海藻類のみだ。ミドリサンゴの群落があるというが、もっと沖合らしい。

 遊泳していると「4時で 最終の船です。」とアナウンスが聞こえた。沖合の監視船からの放送らしい。クマノミがいそうな岩場まで泳いだが、海中深い所に目をからしても、いなかった・・・・。2回目の遊泳は、1時間くらい海中に漂って陸にあがる。もっとも、途中、沖合の岩場で休憩したが。
 15:20頃、2回目の遊泳をしてから浜に上がる。乗船券を買ったときに貰ったパンフレット(ヒリゾ浜のパンフ)を見ると、やはり私が「いるのではないか」と感じたところに「クマノミ」の文字があった。やはり、クマノミはいるのだ。


  ↓ 対岸の島の方向。「ヒリゾ水道」というのであろうか。時折、遊覧船が運航する。遊覧船のアナウンスの音声が聞こえる。ブイの沖合を航行していく。乗船客は多い。ヒリゾ浜と「芋を洗うように石ころの浜にへばりついている人々」を沖合から「うわー、凄い人だねー。」って眺めているのだろう。(笑)
 見世物状態!!??。

  ↓ 大根島の岩。南方向。かなりの人が撤収して帰った後の撮影。


DSC01425

 対岸の大根島には、斜面に石段が刻んである。ヒリゾから見ると目立つ。写真では逆光で写っていないが。島に渡ることは出来ないようだ。沖合の遊覧船が通るブイ近くまでは泳がなかった。浮き輪を持っていないし。

↓ 陣取った場所から西方向拡大。15時を過ぎると、撤収する人が多くなってきた。

 浜辺用のテントを持ってきている人が多い。日差しを遮る木陰も無いのでテントは必須かも。砂浜ではないので、ビーチパラソルを差すことは困難だろう。 皆テントをたたんで撤収している。
 段々と引き潮になってきたようだ。歩くと、渚に行くのが結構大変なのだ。ごつごつしているので。素足では本当に危険だ。

DSC01423






「ヒリゾ浜」2 渡船と上陸、場所取り 2017年9月

 2017年9月10日 南伊豆町 「ヒリゾ浜」

 船着場から船に乗り込む。

 ↓ 船の上から仲木の港。陸には鉄筋の集合住宅がある。地震の被害の後の耐震性のある復興住宅かなと思った。背後の山には風力発電の羽根車がある。休暇村南伊豆からも見えるなあ。
 券売所のテントは左手の方向なので見えない。

DSC01411

 船は「殿羽根丸」と船腹に書いてあった。船長は、グラサン姿にタオルを巻いている。防波堤内の港内ではゆっくり進む。が、沖合にでると、ブーンと急にスピードを出す。風が心地よい。
 時刻は午後2時。最終の帰りの運行は4時というので、2時間弱しか滞在できない。(8月はもっと遅い時間まで運行しているようだ。)乗船客は10人も乗っていない。全員水着を来た家族連れが乗っている。私の前に座ったカップルは、あれれめ・・・、私らの後から車でやってきた人だ。仲よく二人で乗り込んでいる。しかし、私服姿で水着には着替えていないようだ。彼女は、白いブラウスに長いスカート姿まま。明らかに「街」にデートに出かける服装であり、海水浴に行く服装ではない。泳がず、ただ浜へ行く(渡る)のみらしい。にしては、結構な渡船料金がかかるが。

 ↓ 船に乗り込んでしゃがむか、横に渡してある板に座る。子供はライフジャケットを着用しましょう。

DSC01409

船着き場の横のテトラポット。
海水は緑色。しかし、澄んでいる。

DSC01410

 陸地を見る。道路が通っているのが見える。岩場がすごい。断崖絶壁だ。溶岩の岩なのか、色が赤茶けた溶岩色(まんまだが・・・)。いや~、まさにジオパークだ。伊豆は火山の半島なのだな、と思った。

DSC01413

 船のへさきを岩場の岸壁につける。上陸するのだが、他の人が写らないように、カメラを上に向けて撮影したので、船着き場の様子が判らない・・・・。
 よく晴れた暑い日だ。今年の夏は梅雨明け以降、比較的気温が低かった。9月なのでこの日も気温は29度くらいで30度までは無かったように思う。(観測データは違うかな、)

DSC01414

 もう一枚、拡大したつもりだが・・・。
 渚には、テントの「花」がぎっしり咲いている。船を降り、石段を登って上陸する。

DSC01415

 岩場の橋を渡り、ゴツゴツした岩場を歩く。本当に歩きにくい。「こりゃ、素足やサンダルでは無理だな」と感じた。よろけそうになりながら、岩場の奥へ向かう。
 船着き場付近は、人が多く、テントなどが陣取っている。全く自分の陣地を取るべくシートを敷く場所が無いという訳ではないが、近隣の人との距離感が気になるので、なるべく人の密度が少ない場所を探す。
 浜(というか、岩場)の一番船着き場から遠い、なおかつ斜面の上の方にレジャーシートを敷いて陣取った。
午後2時を過ぎているので帰り支度をして、テントをたたんで撤収しているグループもちらほらいる。

 ↓ 陣取った場所から船着き場、西方向。

DSC01416

  対岸の島の方向。「ヒリゾ水道」というのであろうか。太陽が真正面にある。よって、暖かい。海水浴日和だ。
  沖合に監視の船が浮いている。一応、監視しているようだが、船から注意のアナウンスをしたり、船が動いて救助するようなことはなかった。(むしろ、あってはならないのだが。)

DSC01417

拡大。浮き輪で沖合を泳いでいる人がいるな。グラス、ゴーグルをつけいて水中を見ている。
どうやら、あの辺にお魚がいそうだぞ、と目ぼしをつける。

DSC01419

↓ 陣取った場所から西方向拡大。
 岩場の合間の海中に魚がいるようだ。


DSC01418



「ヒリゾ浜」1 駐車場と渡船乗り場 2017年9月

 2017年9月10日

 再びの南伊豆「ヒリゾ浜」にやってきました。
 西伊豆海岸(町は「南伊豆町」だが)の海沿いの入江に面した「妻良」の「谷川浜」の渡船が、何故か運行期間終了していたので、目的地は「ヒリゾ浜」とし、元来た道を戻る。再びの山間の道となり、トンネルを抜け、平地に出て、南に国道から曲がり、更に山を抜け、目指すは「ヒリゾ浜」。
 本当は「二度と来ることは無い」と誓った浜なのだが、だんだん近づいて来たよ・・・・・・。一昨年通った道だ。また、渋滞かなと、思っていたが、車の列の後尾は見えない。以前は、この辺から渋滞していたな・・・・と。
 結局、仲木の集落に入る道は渋滞なしだった。石廊崎経由弓ヶ浜までの道も渋滞なし。集落の中の道に入ることが出来た。なんか、拍子抜け。日曜日で午後の客のヒキが早いのかな。警察官もいなかった。
 道の途中の脇の空き地などに無理やり停めている車も無かった。例の交差点を入り少し行ったところで、車は停止させられた。駐車場は満車であると。前に1台停まっている。ここは前も来たが、中木集落への道の入口です。近くには道に沿って駐車場がある。どんどん帰っている車があり、空きはあるが、入れさせてくれない。駐車場の車の脇で帰るのであろう、着替えている家族連れも見える。
 車を停止させるバリケードの前には、交通整理係のあんちゃんではなく、老人3人くらいがいた。路上にパイプイスを出して、のどかな感じ。二年前にいた、Tシャツ、短パン、サングラス姿。短い茶髪のおっさん(あんちゃん)はいなかった。
 5分くらいその場所で停まる。前は1台のみで、あとから1台小型車がやて来た。バックミラーで後方の車というのは、よく見える。若いカップルだ。
 付近のPには空いている場所もあるので、どうやらここで暫く待てば船着き場により近い、Pに入れてもらえるらしい。
 やがて車を動かすことができた。駐車料金を支払う。1000円であった。港のPに行くようにと。車道を進む。歩いて、港からPに帰ってきている人がちらほらいる。お帰りの時間であろう。その人達に注意しながら車は進む。集落の先、港のPのところで誘導している人がいた。ここだな、と車を進入させる。
 ↓ 車を停めた所から仲木の港。

DSC01401

 いや~、ピーク時間帯は過ぎたとはいえ混雑している。駐車場には車がびっしりを停まっている。乗船券を買うために、少し離れた場所に歩く。車の停っている合間を歩く。結構、車の脇で(これから帰る人が)着替えているね(笑)。
 ヒリゾへの渡船の券を買い歩く。↓
  

DSC01402

 券を売るテントや着替え、シャワー、公衆トイレのある場所付近に看板があった。
 付近の海岸の地形などの解説。昭和49年に「南伊豆地震」があり、死者が多数出ていることを知った。津波による被害だったのか、別の被害によるものなのか、説明には無かった。南伊豆地震は聞いたことが無い・・・・。
 仲木の港の堤防は、地震の後に建設されたと解説がある。

DSC01407

 船券は 少し離れたテントで売っている。足洗い場があり、浜に渡り、帰る前に着替える人が足を洗っている。
泳いでこれから着替えて帰るのであろう、ビキニを着た女子三人組が洗っていた。
 先の車の人もテントに並んで(といっても数名の待ちであるが)購入する。一人1500円だったな。立派な印刷と紙質のヒリゾ浜の案内パンフレットをくれた。ネットでもPDFで見れるパンフだったかな。いや~、お金をかけている。

DSC01403

 ↓ 帰る前、夕方4時に撮影した券売り場のテント。この日の受付は終了していた。

DSC01445


 ↓ 帰る前、夕方4時に撮影した券売り場のテント前「サンゴ保護のお願い」の看板。

DSC01444

 ↓ 夕方、帰りの際に撮影。随分と駐車場はすいている。朝早くから停めている場合は倍の2,000円の駐車料金を徴収と看板が出ている。

DSC01446


 港、テント付近か撮影。お店がある。レンタル用品もある。よってシュノーケリングの道具がなくても大丈夫。
 「ヒリゾ浜」ののぼりが海風にはためいている。


DSC01404

 ↓ 港と沖合の岩。

DSC01405

 乗船券を買って、船着き場へ。少し歩く。私が車を停めた場所から乗船場は近いが、券売り場からはやや距離がある。午後の時間帯とはいえ、あっさり、駐車できたので、拍子抜けした。過去の大渋滞は何だったのだろうか?。
 もっとも朝は5時か6時くらいには、満車になってしまうのであろうが。

DSC01406

 ↓ 船乗り場へ。堤防の下の狭い通路を歩く。
  ヒリゾ浜は写真、左の沖合の方向。

DSC01408




南伊豆 谷川浜 渡船期間終了で渡れず・・・・。

  2017年9月10日 日曜日 南伊豆 谷川浜

 2年ぶりに南伊豆にやってきた。
   前回は「ヒリゾ浜」が浜に至る道の手前から大渋滞で、駐車場へ車で入ることができなかった。そこで、昼食を近隣の「びゃく」でとり、同じ南伊豆町にある「谷川浜」に行ってみることにしたのだった・・・・。前回は、午後2時半頃、妻良にある谷川浜の渡船場に到着した。妻良の集落にある港である。
 最終の帰りの船の時刻は分からないが、二時間も無いと判断し、行かなかった。が、あのあとすぐに船は来たのだったが・・・・(苦笑)。

 今回も記憶を頼りに、妻良の港へ。国道から入った、細い道の奥に駐車場があり、車を停めることができた筈。行ってみると、無人でほぼ空いている。きれいな、整備された感じの駐車場であることは変わっていない。一昨年に来た時と様子は変わっていないが、あれれ、おかしいなガランとしている。
 この駐車場8月は有料なのだが9月は無料で料金を徴収する人はいません。にしても車がほとんど停まっていない・・・・・・・・・・・・。 
 さて、港の堤防の近くには「谷川浜」への渡船の看板が出ていたと記憶していたが、看板は無い・・・。海を見またが、渡船が運行しているかは、分かる筈も無し・・・・。変だな・・・。船が来るかは分からない・・・・・。
 SUPのボードを持って、歩いている人(中年の男女のグループ)が数名いた。歩きながらこちらを見ている。何かおかしいな、と感じる。

 ↓ 妻良の港の様子。堤防の付け根の部分に「渡船」の案内看板があったのだが、今回は無い。


IMG_1061

↓ 妻良港の堤防の拡大。晩夏の青空が美しい。白いちぎれ雲が浮かんでいる。 

IMG_1062

 朝、出発する前、南伊豆町の観光協会のウェブサイトを見たところ、2017年の谷川浜の渡船は9月10日、日曜日までとあった。しかし、念のためスマホで同じサイトを見た。すると、朝見たときと比較して更新されているではないか・・・・。「谷川浜は9月9日まで」と書いてある。目を疑ったが、確かに朝(見た時点で)は書いていなかった。本日10日までだった。
 あのSUPの人達は「昨日で終わったの知らないのな?」とこちらを見ていたのだろう。やっと状況を理解した・・・・・・・・。

IMG_1064

 港から見る海岸付近は、景色がよい。ああ、気持ちのよい天気だ。
 遠くの岩山が印象的だ。海をじっと見つめる。「風が強いから運行をやめたのかな?」と考えたが、海面を見てもさほど強くないし、沖合のうねりが大きい訳でも無さそうだ。釈然としないまま、谷川浜を再び去ることにした。

IMG_1063

 またまた2年前に続き、この体たらく・・・。谷川浜を諦めて、どしようかな、と思案した・・・・。今度は(2年前と異なり白浜海岸ではなく、やむなく、)ヒリゾ浜に行ってみることにしました。どうせ、混雑していると思ったが。再び移動です。またまた、南伊豆を行ったり、来たり、悪夢再びかな~(苦笑)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 帰ってから落ち着いて、改めてネットで検索すると、私が行った前日の9/9(土)に谷川浜で水難事故があり、意識不明で救急搬送されたそう。翌日未明に死亡が確認されたと、ネットニュースに書いてあった。ニュースによると死亡したのは40代の女性で友人3人と一緒に来て、水面で友人が動いてないことに気付いたそう。
 だから、その日で渡船は今シーズン運行打ち切りになったと理解した。




下田漁港 市場の食堂「金目亭」 食事

 2017年9月10日のこと。伊豆・下田 市場の食堂「金目亭」 

 夏も終わった・・・が、まだまだ暑い陽気。充分に海でも泳げる。伊豆半島の南、下田市の下田漁港の近くまでやってきた。2年ぶりの伊豆半島南部である。
 食堂は国道沿いにある道の駅に隣接している。国道を走っていると道の駅の標識看板が見えるのでこれを目印に到着した。
 食堂の情報が掲載されているウェブサイトによると3年前の2014年の春にオープンし、翌年2015年7月にリニューアルオープンしたそうだ。
  
 
 ↓ 市場の食堂の看板。キンメダイのイラスト入りと、キンメを意識した真っ赤の看板。
   漁協の事務所がある。「漁協の共済」の看板もある。

DSC01394

  テレビでも数回取り上げられ、休日など繁忙日には、行列が出来るお店だ。私もリニューアルオープン当初には、来ようかと思ったが、遠いこともあり、行かなかった。伊豆・下田に来たのも2年ぶり。昨年はなんだかんだいって来ることが出来なかった・・・。よって、今回が初めての食事だ。
 営業時間は朝から。漁港関係者の利用を想定しているので、ランチのみの営業ではない。

 ↓ お店の入口。
   漁協、漁港の建物の端の一角にある。漁に使用する道具や消耗品が近くに置いてある。まさに漁港の中の食堂。

DSC01392


 駐車場は、お店の前にもある。私は道の駅の駐車場に停めて、少し歩いた。店の前の駐車スペースは満車。まだ、正午が来ていない。何人か店にやってくる。昼前だというのに、待合のイスはいっぱい。すでに食事を終えている人もあり、車を出発させる人もいる。名前を書いて、店内のカウンターの一角に立って待つ。

 ↓ 正面から見たお店の建物外観。
   メニューがどんと看板に表示、掲示されている。

DSC01391

 ・組合長定食  2900円 (イセエビ入りの豪華な定食。)
 ・金目姿煮定食 1800 (1匹姿煮のキンメ)
 ・金目姿付け定食1500
 ・海鮮丼      1800
 ・金目三色丼   1400
 ・あぶり金目丼
 など
 (単位はいずれも円。値段はいずれも私が食事をした当日のもの。)

DSC01390


  席の準備ができるまで、少し待った。いや~、昼前なのに混雑していますね~。
 客の応対をする店内の係員は、女性のみ。漁港の女性部の方であろう。次々に、やって来る客の対応、案内をしたり、注文を取ったりと忙しそう。私のうしろにはすぐに待つ人の行列が出来た。5分くらい待つとすぐに呼ばれた。奥の窓側の席に通された。
 私は金目三色丼1400円を注文。ツレは地魚刺身定食を注文。一番の人気は、金目姿煮定食1800円や金目姿付け定食1500円ではないだろうか。他のテーブルを見ても注文している人が多数。
 基本的に、番号を呼ばれて、カウンターまで取りに行くセルフ方式。

 ↓ 金目三色丼。漬けと刺身と湯引き?の三色。 ごはんの量は少ないので、男には物足りないかも。
  あじのなめろうとあおさのお吸い物。あおさの味がしみでていて、お吸い物がとてもおいしい。

DSC01385

 
    ↓地魚刺身定食の刺身となめろうの拡大。マグロにワラサ、タチウオだったかな。白身の刺身がついた。 

DSC01386

  量が少なくボリュームはあまりないかな。私はこの後、海で泳ぐ予定だったので、あまり食べないようにした(笑)。

 食べ終えて、早々に出るが、店内は待つ人で混雑していた。人で待っている人もいる。外ナンバーの車ばかり停まっている。バイクで来ているライダーもいる。概して来客の平均年齢は高い。50-60歳くらいかな。家族連れも来ているが。
 土日休日は遠方からお客がたくさん来るお店だ。

DSC01389

 食事後、道の駅のショップに向かった。

下田市 道の駅「開国下田みなと」 伊豆日帰りたび

 2017年9月10日 伊豆日帰りたび 下田 道の駅「開国下田みなと」

 夏も終わった・・・が、まだまだ暑い陽気。充分に海でも泳げる。伊豆半島の南、下田市の下田漁港の近く道の駅「開国下田みなと」までやってきた。2年ぶりの伊豆半島南部である。
 夏休みも終わった9月の残暑旅行。大学生などは、まだお休みだろうけどね。
 この日の行程は
 伊豆スカイライン 経由
  ↓
 修善寺のベアードブリュワリーガーデン (ここも2年ぶり2回目の訪問)
  ↓
 湯ヶ島の東京ラスクファクトリー 偶然にも開設6周年「東京ラスク祭り」が開催されていた。
  ↓
 下田に。(←今ココ)
 修善寺と湯ヶ島の記事は、後日(いつになるか分からないが)投稿する。
  ↓ 
  谷川浜に行く予定。ここで渡船に乗り、浜に行き、シュノーケリングの予定だったが・・・。

 このブログ、旅行記はかなり遅れて、投稿している。なのに先に今回の伊豆の日帰りたびの記事を投稿するのかというと、「伊豆 谷川浜」や「ヒリゾ浜 混雑」での検索で、このブログにアクセスが多いから(笑)。両方の浜には、行ったこと(遊泳したことはない)が、何故か検索サイトで(このブログに)ひっかかるので、不思議に思って先に投稿する(笑)。

 湯ヶ島から先は、峠道。湯ヶ島のトンネルを通り、河津のループ橋を通る。長い下り道となり、河津川沿いを通過。本当は、国道(下田街道)の山道を通り下田市街に出ようと考えていたが、国道の道路標識には「下田市街地」とは表示されていないので、いつも見落としてしまう。白浜海岸(もちろん伊豆の白浜)経由の国道になると混雑する??ので、今回は、国道を通ろうと思ったが、またもや通過して直進しまった・・・・。河津川付近は、県道(地図上での表示は緑色)であり、海岸近くのT字路で、国道135号線に合流する。
 135号線を進む。白浜海岸前の道は混雑していなかった。風はやや強いが、海水浴をしている人はいる。9月に入るとサーフィンの人の方が多いかな。更に135号線を通って、道沿いにある道の駅に到着。ちょうど昼前、隣接している「市場食堂」で先に食事を食べた。
 道の駅はすぐに分かった。以前も通ったことがあるし。国道を走っていると道の駅の大きな標識看板が見えるので、これを目印に駐車場に入り、到着した。

 ↓ 道の駅の建物(左)と下田の魚市場(右)
  
DSC01395

 二階部分は 広々としてデッキになっている。ウッドデッキである。飲食店も入っている。デッキの端には回転寿司店があり、行列が出来ていた。
 二階部分には観光案内所もあった。中には、中部地方の道の駅のスタンプラリーが置いてあった。ここ静岡県は(神奈川の隣ではあるけど)中部地方、「関東甲信越」でも.ないのだな、と実感。今後、中部地方の道の駅には行く予定があるので、スタンプを押しておいた。

DSC01400

 二階から地階に降りる階段。市場の建物と向こうに海が見える。

DSC01399

 1階のお店には、魚介系の定食などのイートインが併設されていて、食事をする人でほぼ満席だった。「市場食堂」もあるし、二階には回転寿司やその他のお店があり、食事をするところはたくさんある。
 お店では、地元の「蜂蜜」を買った。伊豆で養蜂が盛んなのかは知らないが、「みかん」の花で養蜂をしている。私は蜂蜜が好きなので購入した。それに今私はハニーナッツにはまっているし。現在静かなブームなのか!?ハニーナッツも販売していた。地元産の蜂蜜を使用している。お値段はそれなりです。現在、国内で販売されている蜂蜜はほとんど(90%以上)輸入品らしい。国産蜂蜜は貴重といえるでしょう。

 ↓ 道の駅の内部にある漁協直営売店の入口(左)。市場の建物と並行して建物は細長い。

   
DSC01396


 ↓ 魚市場の建物。向こう側は海。漁協の事務所もある。更に先、写真右手には「市場食堂」がある。
  

DSC01397


 下田市魚市場の表示。向こう側は、海で下田港かな。写真ではよく見えないが、海上保安庁の巡視船が停泊している。かなり大きい船だ。下田海上保安部があるのだろう。外洋から東京湾への航路の入口にあたるので、よく海難事故でのニュースでは報道されることが多い保安部だ。陸路で行くと、下田は東京からは遠いけど、重要な港だ。
 近代以前から江戸への入口の港であり、江戸からは遠いけど重要な港。だから当初の開港地に指定されたのだろう。 


DSC01398


 ↓ 道の駅の端。先には海に面して大型ホテルがある。

 
DSC01393


 追記) 後日のこと。道の駅「開国下田みなと」の回転寿司店は、マスコミの媒体でも紹介されていた。道理で行列が出来ていた訳だ。私が見た媒体は雑誌だったか、テレビで偶然見たか、ウェブサイトだったか、忘れた・・・・。


伊豆のたび 総括(東京ラスク、田子 鰹節)


  2015年9月5日 (遅れての記事投稿です。)
  
 日帰りのお出かけでしたが、初めての訪問場所もあり、収穫の多い日帰り「たび」でした。稲刈りより一足早い、「収穫」の秋でした。「秋」とはいうものの、海水浴ができましたが(笑)。
 湯ヶ島の東京ラスクの工場「東京ラスクファクトリー」、伊豆は一年ぶりですが、「東京ラスク」は、ほぼ3年でした。
 ↓ 買って帰り、家で食べたラスク。
   「ヘーゼルナッツカフェ」 私がチョイスした「わさびラスク」の写真はありません。
   あっという間に食べて無くなってしまいました(笑)。

IMG_2724


↓ 西伊豆、カネサ鰹節商店。「田子の鰹節」を購入しました。
  購入した本枯鰹節の写真はありません。が、早速削って食してみると、薄味ですが、鰹のこくのある美味でした。削って、炊きたてのごはんに、そのままかけて食べても「ふりかけ」となります。決して塩分摂りすぎにはなりません。

DSC03726



ベアード・ブルワリーガーデン(Baird Beer) 見学と商品購入 伊豆 修善寺

  2015年9月5日 (遅れての記事投稿です。)
 伊豆 修善寺にある ベアード・ブルワリーガーデン にやってきました。地ビール会社「ベアード ビール」の工場です。

 ↓ 自宅で飲んだ ベアードビール。(Baird Beer) 。日本語での表記は難しい。「ベアード ブリュワリー」と描かず、会社としては「ベアード・ブルワリー」と表記しています。
  
 工場ショップ内にあった名刺には「タップルーム」といって直営のお店の紹介がありました。  
 原宿、目黒と神奈川には横浜にあることが分かりました。沼津港のお店街にもあります。深海水族館の近く、魚市場食堂への道路の途中の立地でした。今まで気づきませんでした。
 
 写真は「タップルーム」の名刺とビールの瓶です。(後日自宅で撮影)
 「アングリーボーイ」という名の銘柄。「ブラウン エール」です。
  ラベルのデザインは「怒った少年」を表現したようですが実際は違って、かなり怒った男の人、しかもサムライのカブトを被ったかのような、いかつい男が怒っているご様子。怒りを表すのかカブトの額の所に「炎」の文字が絵の中に見えます。 「Angry Boy Brown Ale」のデザイン文字の両脇には「闘志」と文字が分割して入っています。どこまで怒れば気が済むのでしょうか!?(笑)。

IMG_2722


 ↓ ビールの色合い。。深いです。
    写真の端に写り込んでいる「ひろしまアンテナショップ」の割引き券はおまけです(笑)。

IMG_2723


 ↓  富士山のデザインのラベル。「ライジングサン ペールエール」です。
 ラガー、スーパードライに慣れた日本の消費者にとってはビールの味は判別し難いかも知れません。
 苦くもなく、薄くもなくといった味わい。アルコール度数は5.5%です。「アングリーボーイ」に比べると低い度数です。その分、飲みやすいです。私は一番のレギュラー味のビール銘柄なのかな?と思い購入しました。
 
 ビールごとに、種類や味わいを意識したラベルデザインになっています。非常にデザイン性の高いラベルです。飲んだ後にそのまま置いておけば、装飾品にもなります。

IMG_2728


 冷やして飲んだので、瓶に水滴が付いています。しかし、地ビールは元々常温で飲むことが多いと思います。水や通常の飲料、健康飲料替わりでしょうか?。
 「良薬は口に苦し」というべく、薬用として捉えるならば、ビールは常温で飲んでも味わいがあると思います。
 
 もう一種類は季節醸造のビールを購入しました。季節商品は「BB」と簡単なラベルでした。
 「ショイ・デ・ビブレ ゴールデン エール」。商品の説明はあまり詳しくありませんでしたが、ベルギービールをイメージしたようなので買ってみることにしました。

 私が購入した商品の説明は・・・、
 「アングリーボーイ」は「つかのまのモルトの甘さと予測できないホップの苦み。」、
 「ライジングサン ペールエール」は「日本の美学「究極のバランス」。」です。 

 購入はしませんでしたが、「スルガベイ インペリアルIPA」という銘柄は、直訳すれば「駿河湾帝国」なのでしょうか?、「まるで夜空を鮮やかに彩るホップの花火大会だ!」という説明文で、ラベルは「打ち上がる花火」のイラストでした。

 販売用の冷蔵庫の中には、10種類以上の銘柄が置いてあります。どれがおすすめなのかは、分かりません。銘柄の説明は文学的で、ある意味抽象的で、内容がつかみにくいです(笑)。
 後日、よーく同社のウェブサイト見ると「定番商品の中で、主力商品は無い・・・・」ようなことが書いてありました。どうしても、大手ビールメーカーのように「主力商品+α」と考えてしまう自分がいました・・・・・。

 ベアードビールでは「エール」が一番種類が多かったように思いましたが、「エール」「デュンケル」「ペールエール」「スタウト」など基本的なビールの種類については、説明があるが、よく分かりません(笑)。ある程度の「玄人向け」のような感じでした。私もある程度予備知識はあるつもりでいしたが、何を買ってよいか戸惑いました。
 「ペールエール」は知っていたので、上の写真の「ライジング・サン」を買ってみる動機となりました(笑)。
 私はクロビールが好きなのですが(特に理由は無いけど・・・)、黒いビールもありましたが買いませんでした・・・・。
 黒ビールとしては「島国スタウト」という商品がありました。説明文は「漆黒のドライさと香ばしいスモーキーなアロマ。」とありました。
 「黒船ポーター」という銘柄は「ビタースウィートな味わいの余韻。 アルコール度数6.0%」の説明。黒ビールとは書いていませんが、何となく黒ビールと分かる程度。
 やはり「文学的、抽象的」な説明です(苦)。説明文だけでは分からないので、黒ビールは次回にしましょう。

 値段は、私の買った商品はいずれも一本450円でした。すべて同一の値段ではなかったと思います。もちろん、大手のビールと比べると高値です。地ビールは、大手と比べて値段では対抗できない。「味」「品質」などで差別化を図ることが必要なのですね。
 この「ベアード ビール」、地ビールが解禁されてから参入したので、会社としての比較的歴史は新しいようです。アメリカ人の社長が日本人の夫人とここ静岡県で創業したそうです。最初は個人経営の規模から始めたようです。工場内にもベアード ビールの歴史の説明がありました。
 社長はビールの醸造に、かなりこだわりがあるようです。販売しているビールの銘柄と解説を見て、そう感じます。職人技ですね。販売面では、タップルームの経営も。デザイン性の高いラベルも、消費者の印象に残るラベルを創り、リピーターを拡大のための戦略なのではないかと感じました。

 技術力(職人技)と販売力、地ビールのマーケット拡大には、これら両方を成立させる必要があると思うので、なかなか大変と思います。是非、応援していきたいものですね。

 工場の建物を出て、再び車に乗ります。先客の家族連れグループは、まだ歓談していました。私達は、元来た国道には戻らず、消防署近くの橋に通じる道を通りました。国道の対岸の狩野川沿いの道を通り、修善寺経由、伊豆スカイライン経由で帰路につきました。

 ↓ (既出) ベアードブルーワリー。工場の見学通路とショップへの入口。


IMG_2719

ベアード・ブルワリーガーデン(BAIRD BEER) 修善寺工場 見学


  2015年9月5日 (遅れての記事投稿です。)

 伊豆、下田の白浜海岸からの帰途。河津から天城峠経由の道です。東伊豆の国道を海岸沿いに通らず、湯ヶ島経由で修善寺に出て、伊豆スカイラインのどこかのインターから帰路につくのが実は早いと思います。
 途中、この日の午前中に寄った湯ヶ島の東京ラスクの工場「東京ラスクファクトリー」も通りましたが、すでに閉店時刻を過ぎています。
 日没時刻を過ぎ、周辺は暗くなってきました。夜の国道を走ります。湯ヶ島の温泉会館を過ぎて、狩野川沿いの台地に出ます。川に近いどこかに本日の目指すポイント「BAIRD BREWERW」がある筈です。場所がどこか、分かりにくい・・・・。国道からとある道を(修善寺方面に対して)右折し、田?、畑?の中の畦道のような細い道路を通り、迷いました。「あれ」っ、この辺で間違いないのだが?」とウロウロして、やっと工場の看板を見つけました。場所は「ほぼ合っていました。」
 更に、河原沿いへの段丘を下った突き当りにベアード・ブリュワリー(BAIRD BREWERW)の工場(ベアード・ブルワリーガーデン)がありました。まだ新しい工場で2014年に稼働を開始したようです。まだ稼働して1年余りしか経過していません。
 どうして、この新しいビール工場を知ったのか?。それは、少し前の某経済紙です(笑)。アノ、毎週掲載されるランキングですよ。
 「行ってよかった ビール工場見学ランキング」の第二位くらいにランク付けされていたのです。私が行った工場としては、沖縄の「オリオンビール」の工場も入っていました。神奈川ではアサヒビールの工場(比較的新しい)、鶴見のキリンの工場も入っていたと思います。
 伊豆に来たのは、一年ぶりであることはすでに書きました。前年は東伊豆から゜来て、西伊豆から帰って、近くの国道を通過したのですが気付きませんでした・・・・。

 さて、工場の敷地内に車を進めました。敷地内は暗くて、駐車場の表示を見つけることができせんでした。日没後で辺りが暗くなっていたこともあります。しかし、人の気配が無い。車が停まっていない。しかし、建物内部から電気の光が漏れています。 日没時刻も早くなり、夜ともなれば秋の気配。虫の鳴き声が聞こえます。
 そもそも、この時間でお店はオープンしているのか?、とも思いました。

 ↓ 建物の三階のエレベータを降りたホールにあるモニュメント。
    会社名の表示とおそらく、創業初期に ビールを醸造していたであろう、タンクと現在?、販売に使用されていると思われる業務用の樽缶?、ビアタンク?などが展示されています。

IMG_2715


  工場の建物の側面。「修善寺」と表示しています。看板の反対の先は、林と川です。工場内へのドアがついています。原料を搬入したり、製品をここから出荷するのでしょう。このときは、夜間で稼働していませんでしたが、平日の日中はここでトラックが行き来しているのではないかと思います。

IMG_2713


 見学通路とシッョプへの入口。看板がありました。営業時間は20時までと表示してありました。
 入口近くの他の車が着ても邪魔にならない場所に車を停めます。建物の中に入ります。

IMG_2714


 上述のように、一般の客は、三階でエレベータをおります。廊下の先には、広いスペースにイスとテーブルが置かれ、商品を販売するカウンターとレジがありました。数人の家族連れのグループがテーブルで話をしていてにぎやかでした。子連れのグループでした。
 彼らが乗って来たと思われる車が、敷地内に停まっていなかったので、別の場所に駐車場所があるのか、近くの宿泊施設からやって来ているのか、または地元の人達なのかな、と思いました。他に客がいません・・・。土曜日の夜の割にはすいています。まだまだ気温が高いので、冷やしたビールを飲む人は多いと思いますが・・・。
 もっとも欧米ではビールをキンキンに冷やして飲む習慣はあまり無いと思います。通常、ビールは常温で飲むのではないでしょうか。日本人くらいでしょう。「キンキン」というのは。

 工場の入口に大きくお店の看板を出していないので、ここは製造がメイン(の工場)でショップ、というか販売のバーは、メインではないのかも知れません。食事のメニューもビールのお供のスナック程度です。あくまで、ビールを楽しむための飲食スペースのようです。
 スペースの片隅に冷蔵庫があり、瓶入りのビールを販売しています。カウンターに持って行って購入しました。
 一本450円でした。色々な種類のビールがあり、独特のラベルデザインが目を楽しませてくれます。

 ↓ 飲食スペースは写真の左の奥です。カウンターがあり、レジの子が一人いました。
   地元の高校生の(アルバイトの)感じの女の子がレジを打っていました。
   テーブルとイスがいくつも設置されて、ビアホールにようになっています。「バー」と呼ぶべきでしょうか。
   Tシャツも販売していました。

IMG_2718


 ガラス窓からは工場内部を見下ろすことができます。工場内は撮影禁止だったと思います。よって、写真はありません。醸造タンクと思われる金属製の大きなタンクが並んでいます。
 ガラス際には、樽の上に設置したオシャレなテーブルが置いてあり、カウンターでビールを注文し、ビールを片手に工場の生産設備を見下ろしながら、飲むことができます。
 日中は、定員制で説明付きの工場見学が何回か実施されるようです。私達が訪れたときは、当然説明付の見学ツアーの時間外です。定員も20人くらいで多くはないようです。予約は困難!?。

 ↓ 工場内 トイレの前の通路。 デザインされた絵が飾ってあります。ビールのラベルの絵です。
   装飾性の高いデザインです。
   工場内に目を転じると、材料が置いてあります。黒糖の袋(20キロ入り)もありました。
   「奄美産」と袋に印字されています。

IMG_2716


 見学者の入れる建物内部のスペースとシッョプは明るく電気が煌々としています。外に出ると真っ暗で、敷地には街灯がほとんどありません。狩野川のほとりの自然環境の中にある工場といった立地です。川を挟んで反対側には、家もあります。朝に通ったときは、林の陰に隠れていたのか、この新しい工場の建物を見ることはできませんでした。

↓ 工場の建物と入口。大きな看板はありませんが、入口のドア近くお店の立て看板がありました。

IMG_2719


 入口の拡大。三階が工場見学通路とビールの販売、飲食、ショップスペースになっています。

IMG_2720


 工場の建物(左)と敷地内の様子。敷地は、芝生が植わっていて、写真には写っていませんがバスケットのゴールもあります。おそらく経営者の趣味ではないでしょうか。

IMG_2721



プロフィール

りょうげつ

カテゴリー
  • ライブドアブログ