良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

神奈川県内

 

JAICAプラザ横浜 ギャラリー 見学 (海外移住資料館 臨時休館中)

 JAICAプラザ横浜 ギャラリー 見学 (海外移住資料館 臨時休館中) 2020年2月29日

 横浜のワールドポータズにやってきた。駐車場に車を止める。いつもは混雑しているのだが、車はすいている。満車の状態から逆算すると、普段の土日祝日の1/5-1/6くらいではないか?。
 連れは買い物である。はて、俺はどこにて時間を消化させるかと考えた。近くには、以前行った日清カップヌードルミュージアムがあるな、と思った。一昨日の休校、休館発表の影響で多分、閉まっているな、とは思ったが、本当に閉館していた・・・・・。
 うーん、JAICAの海外移住資料館に行ってみようかなと。(多分、閉まっているぞと思ったが。)歩いてJaicaに向かう。普段の休日は歩道にも、人があふれているが、少ないな・・・。例の大観覧車のある遊園地もなんと、閉園していた。
 歩いて、海外移住資料館の入口に行ってみると、予想通り資料館は臨時休業・・・・。ただし、入口付近のエントランスのパネル展示は開放されていた。1階と2階のオープンスペースで自由に見学できる。JAICAプラザ横浜のギャラリーというそうだ。
 ギャラリーの脇の1階には受付のカウンターがあり、ここがJAICA横浜の受付なのだろう。老人の男性職員(非常勤職員かな?)と受付のデスクにすわっている女性が、来客がほとんど無いためか、ヒマそうに?、仲良さそうに?、おしゃべりしていた。
 「企画展示」「いまさらきけない、ジェンダー平等って!?」であった。

 ↓ 期間展示の告知。
 
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 私以外に見ている人はいない。
 外の通路は、人が往来している。赤レンガ倉庫も人出は少ないようだ。
 

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 主に1階のパネル展示を見た。2階にも展示はあるが、あまりみなかった。
 2階にある海外移住資料館は閉まっていた。「コロナウイルスの感染拡大をふまえ、・・・・2月28日から臨時休館」であった。
 ここには、レストランが附属している。食事を食べようかと主たが、ランチタイムは過ぎていた。
 
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 アジア、南米、アフリカなど地球上の地域での女性のおかれている現状についての解説パネルがあった。

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 インドでは報道されているように、女の子の誕生が喜ばれない、親が決めた相手と結婚する、夫の家族のために持参金を必要とする、などの習慣が根強いのですね。
 インド北部の農村地帯での暴力、差別についてや逃げ込める家の設置に関する解説。

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 南米パラグアイでの説明。「女性は家にいて家事をするもの」という考えが根強いのだそうです。スペインの植民地から独立した国家なので、意外に感じました。農地を開拓していく過程で、男は労働、女性は家事と子供の世話という習慣がついているのか、と思いました。更に女性も農業社会においては、労働力としての役割を求められているのだと思います。

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 同国での女性の生活環境向上支援に関する解説。

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 アフリカ・タンザニアでの若い女性の人生についての説明。
 19歳までに50%近くの女性が子供を産むと書いてあります。勉強をする機会に恵まれないため、親に生活を頼ったり(して自立が出来ず)、生活をしていくための知識や、お金を稼ぐための技術が無いという弊害があると書いてあります。


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 やはり、教育は大切なのですね。自分が教育を受けている間は、あまり意識しなかったのですが・・・・。いや、自分自身、今でも教育を受けていかねばならぬ(というよりも、自分で学習していかねばならぬ)立場かも知れない・・・・。

 JAICAを出て、ショッピングセンターに戻る。1階のフードコートはすいてる。以前食べた、沖縄のアイス店もあった。店内や付近には、若い人が多い。中学、高校生くらいの子が多いのだ。高校生カップルも来ているぞ。学校が終わった後で部活も中止になったからだろう。私立学校は土曜もあるだろうし。もっとも、月曜日からは休みであろう。今のうちに出歩いているのかな。これじゃ、休校にしても、意味ないぞ。ゲームコーナーも小さい子が遊んでいたし、中学生のグループもいた。通路のイスのあるところで、中学生の10人くらいの集団が皆、スマホゲームをしている・・・・。学校が休みになったため、ゲームセンター、シヨッピンク゛センターの無料で来れるコーナーが中高生、子供たちでいっぱいになるのではないか?。大型遊園地、行楽施設も閉まったし・・・・。これで、ウイルスの感染が拡大したらどうするのか?。
 












































































「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞4(最終) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞4(最終) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 (追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)
  (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。
 今から丁度100年前のスペイン風邪の大流行期、恐らくは結核との合併症で20歳で死去した画家の展覧会が、それ以来最大規模ともいわれる感染症の流行の影響で突然閉幕してしまうとは、何ということであろうか。)

  

 関根正二 作、重要文化財「信仰の悲しみ」。2003年に重要文化財に指定されている。

 前述の通り「大原美術館展」の際に国立新美術館で見たことがあるが、今回の展覧会の目玉作品である。今回は通期ではなく、「後期」の展示である。私もこの「信仰の悲しみ」を再び鑑賞するために、「後期」にやって来た。
 あのとき(「大原美術館展」のとき)の作品解説は忘れたが、今回の展示解説によると、キリスト教の信仰ではなく、「日比谷公園のトイレから出てきた女性を見て思い立った描いた・・・・」というようなことが書いてある。タイトルも全く別で、あとで「信仰の悲しみ」とつけたそうだ。絵の中の連なる女性達は「殉教者キリストに連なる女性をおもわせる」が、実際は用を足して出てきた女達・・・・!?。

 神秘的な絵だなと感じていたが、なんだか拍子抜けしてしまうような、作画エピソード!?。


 最初のうちは、来館者は数名だったが、そのうちに午後2時頃となった。たいてい、この時間帯は、来館者が一番増加する時間帯であろう。60-70歳台くらいの男性が多い。夫婦で来ている人もいた。 
 次いで、70歳くらいの老人男性2名や70くらいの小柄の女性3人連れなどもやってきた。一人で来ている30歳台とおぼしき女性もいる。彼女はグレーのチェック柄のスカートに、黒いタイツ、黒っぽいセーターに黒髪である。(すべて黒のような。)マスクをつけてる人が多い。看視員は全員マスクをしている。やはり「まだ、(ここは)開けているの?。」と聞いている老人の男性もいた。国立の博物館、美美術館は、既に臨時休館しているからであろう。誰か聞く人はいるだろうな、と思っていたヨ・・・・。
 すると大きいマスクをつけた女性の監視員は「今のところ、休館の措置はとっていませんが、いつ閉まるかわかり(休館してもおかしくあり)ません。」と答えていた。

 鑑賞者に学生らしき人はいない。退出するとき、順路の最初の第一展示室では、合計して15人-20人くらいの入館者いたのではないか?。私がきたときは、第一と第二合計しても、入館者は10人いなかったと思う。
 「信仰の悲しみ」を再びじっくり見てから展示室の外に出る。廊下にも展示品があった。壁に関ねの年譜などがはってある。(図録の年譜と同じ内容であった。)実は、これらを先に見てから展示作品を鑑賞した方が、展示室内の画家の作品などについて理解できたのではないかと思った。
 関根正二の祖父、利左衛門は、白河藩の3人扶持だったという。明治以後の族籍は(士族ではなく)平民という。父の弟は、第二次大戦後の1968頃まで存命している。正二の父は尾根関係の職人。小屋のような生家の写真がある。白河の城下町の郊外の、農村地帯に住居を構えていたようだ。正二の父は先に、白河から東京に出ている。当時、小学生で8歳くらいの正二は白河に残り、9歳で東京に家族を追って出て、深川に定住してる。

 階段をはさんで、反対側の壁、廊下の部分には、正二の手紙などが展示がある。主に鶴岡黒影との書簡である。壁に解説のバネルなどがあり、階段脇の廊下に平ケースに手紙などが展示されている。手が子には鶴岡に対して「貴兄」などと親しく書いている。色々な制作に関する自分の考えなどを手紙に書いているようだ。山形の、鶴岡黒影の実家に滞在中、「お世話になった家族によろしく」なども書いてある。差出人である、関根の住所は「東京 深川」と書いてある。

 解説によると鶴岡黒影歌人で、「黒影」は号。誰かの門下生という。70歳台後半の年齢で、1978年(昭和53)に死去している。のちに、山形県庁に勤務したそうだ。
 鶴岡は、山形県西川郡河北町?の出身らしい。字は溝延?といういかにも東北らしい地名。
 正二は東京・牛込の四(余丁)町の人物にも手紙を出している。あの
永井荷風の自宅(のちに売却)近くである。牛込区なので当時の私の祖父の家からも近い。1916年頃というと、大正の初めのころ。祖父は子供であった。
 「上野山と遊んだ・・・・。」などと手紙に書いてある。「上野山」は人の名前で友人である。上野の山で遊んだというわけではない。一見すると、上野で遊んだようなイメージだが・・・。

 正二の年譜は、当時の東京市内の地図とともに 階段近くの廊下の壁にはっている。図録に掲載されれていたものと同じ。先に展示室内の図録でも見たが、伊東深水の自宅は、のちに恵比寿に移ったのだが、深川からだと遠いな。
 廊下の突き当り、奥の小テーブルに1999年に開催された「生誕100年 関根正二展」の資料が展示してある。当時のチラシ、チケットなどがある。展示室内の観覧の風景の写真もおいてある。写真はデシタルではなく、フイルム写真である。デジタルカメラが急速に普及していた時期だ。私も当時は、フイルムカメラを使用していた。当時、神奈川を離れて遠いところに住んでいたので、開催は知らなかった・・・・。 写真に写っている、1999年当時の観覧者の服装は確かに当時のまま。夏に開催されていたようで、観覧者は白いポロシヤツにジーンズの人など当時の服装だな。(今でもあまり、変わっていないと思うが・・・。)

 当時のチラシのメイン掲載作品は今回も展示のある「姉弟」。少女が男の子を背負う横顔の絵の写真だ。姉が弟をいつくしむ、暖かさ、家族の愛を感じる絵だ。ほのほのとしている。たとえ、弟が夭折しても、弟に対する愛情は変わらない、永遠不変のものだ。
 当時、「信仰の悲しみ」は重文に指定されていなかった。1999年も2020年今回の展覧会ともチラシに「信仰の悲しみ」の画像掲載が無い。大原美術館の所蔵なので権利の関係でしょう。
 20年後の今回は「生誕120年・没後100年」なので、正二が僅か「20歳」で夭折したことを改めて感じる・・・・。
 神奈川県立近代美術館では1979年頃にも「靉光と関根正二展」として展覧会を開催している。今回が3回目の開催だった。


 今回の展覧会は、没後120年にあたる今年2020年に巡回するのかと思っていたが、三重と福島では昨年既に開催されていて、神奈川が最後の開催であった。

↓ 入口付近のモニュメントのブロンズ像。奥のガラス張の建物はカフェになっている。
  コロナウイルス拡散が言われている世相のためか、すいている。



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 館を出て、鶴岡八幡宮方向に戻った。
 連れと合流する。連れ達は、小町通りにある某喫茶店に行ったのだが、いつもは行列しているのに、待ち時間無く入店できて、しかも「お店はすいていた」と。
 コロナウイルスのため、鎌倉の観光客も激減しているようだ。
 来週から学校も休校になるというし。何か突然、いろいろなことが起こったような感じだ。


 神奈川県立近代美術館鎌倉別館の庭の様子。↓

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「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞3 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞3 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 (追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)
  (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。)

  
  神奈川県立近代美術館 鎌倉別館で展示室内を順番に鑑賞していく。壁に作品が展示されている。
 

 同じ部屋の角、監視員のイスの近くにはデッサンなどが展示されている。イスの下には看視員の荷物が置いてある。時折、荷物を持って別の監視員と場所の交代をしていた。室内がすいているせいか、時折座り、時折立って巡回している黒いパンツスーツに白い大きなマスクを顔いっぱいにした看視員が妙に目立つ(苦笑)。

 少女の死の横顔のデッサンの展示がある。2歳くらいの幼女の死のデッサンである。解説には「年齢よりも大きくかいている」とある。

 風景の画がある。海岸の風景の画の展示がある。「銚子海岸」というタイトル。千葉の銚子の風景だという。銚子に5歳上の姉が嫁いでいたそうだ。福島県出身だが、どうして銚子の家に姉が嫁いだのかは、不明である。実質、東京・深川で生育したので、姉は東京から千葉の銚子に嫁に行ったのであろうか?。

 先の記事で書いた自画像など、壁に沿って順に見ていくと、第一展示室(つまり、最初に見る長方形の展示室)の終わりほうの展示で、「白いロングドレスを着た女性二人が連れだって歩いている姿の絵」が目を引く。まるで、殉教者の列のような、キリスト教の信仰を思わせる作品だ。
『神の祈り』 1918年頃 福島県立美術館 所蔵
 まさに神に祈る、二人の女性を描いてある。白いロング丈の服が一層信仰心を引き立てるような。地面に描かれている花は、チューリップだろうか。ヨーロッパの女性の信仰を表現したのか?。
 焼けたため断片を集め、撮影された白黒写真とつないだ作品もあった。
 「天使」(断片) 三重県立美術館 所蔵

 姉と弟の絵「姉弟」。少女が子供の男の子を背負う絵。背負われる子は、関根本人、少女は関根の姉という。先の銚子に嫁いだ姉でろあうか?。カラフルでカワイイ色使いの絵だ。姉が弟を慈しむ絵である。

「小供」という作品もある。幼児の自画像のよう。「子」ではなく「小」の表記。関根本人であろう。

 伊東の紹介で関根は1914年に「東京印刷株式会社に就職した」と年譜には記載があった。
 
↓ 展覧会チラシ。左は「自画像」。ゴッホの自画像を思わせるタッチだ。真ん中は「姉弟」。
  右が『神の祈り』 1918年頃。3点ともに福島県立美術館 所蔵と表示がある。


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 次いで、隣の展示室に。扉で仕切られてはいない、つながっている展示室である。便宜上、以下「第二展示室」と書くことにする。
 第二展示室は、ほぼ正方形で、第一展示室よりも狭い空間。関根に関連する画家の作品などの展示がある。幼馴染の伊東
深水の作品もある。

 奥の壁に、大黒天1918年 絹本著色(軸装)がある。そのまんま、まん丸いふくよかな(お腹!!??)大黒天の絵。
 個人現存唯一の日本画作品と解説。近くには、監視員の女性のイスがあり、私が近づいて展示をみていると 邪魔になると思ったのか、席を立って、見やすいようにしてくれた。

 第二展示室は真ん中に当時の美術雑誌などの展示が平ケースにあった。平ケースでの資料の展示は先の展示室にもあった。有島生馬の書いた雑誌の当時の記事の展示もあった。年齢としては、有島は17歳上、伊東は1歳上という。有島は、友人といいうか、先生ともいうべき存在だったようだ。


 出入口の近く、順路の最後には、油彩画が3点ある。一番端、ドアの横には、重要文化財「信仰の悲しみ」がある。前述の通り「大原美術館展」の際に国立新美術館で見たことがあるが、今回の展覧会の目玉作品である。今回は通期ではなく、「後期」の展示である。私もこの「信仰の悲しみ」を再び鑑賞するために、「後期」にやって来た。
 その最後の3点のうち1つの展示は「三星」という。三人の人物が描かれている。真ん中は、関根本人。左の女性は、姉。画面に向かって右の女性は、田口真咲という関根と知り合った新潟・新発田出身の女性ともいわれるが、写真で当時の田口の比較しても姿は、違うらしい。
 解説文らよると田口は、東郷青児に取られてしまったそうだ。フラれした当時の関根は落ち込んだらしい。おそらく、伝え聞く東郷の性格というか、「性向」からいうと、相当強引に田口をモノにしたのだろう。押しに負けたのかな?、田口は・・・。関根は、自画像から察するに大人しい性格のようなので、東郷のように強引に女(田口真咲)をモノにすることは出来なかった!?。
 ↓ 展覧会チラシに掲載。「三星」 東京国立近代美術館 蔵。


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 「信仰の悲しみ」の展示の前のソファでは髪がボサボサの白髪の老女が座って、設置してある展覧会の図録をずっと見ていた。顔を近づけてい見ている・・・・。老眼であるが、老眼鏡が無いので顔を極端に近づけて見ていたようだ・・・・。来館者は 数名だったが、午後2時頃となり、たいていは、来館者が一番増加する時間帯であろう。60-70くらいの男性が多い。夫婦できている人もいた。 70歳くらいの老人男性2名や70くらいの小柄の女性3人連れなどもやってきた。一人で 来ている 30歳台とおぼしき女性も。 グレーのチェック柄の スカートに、黒いタイツ、黒っぽいセーターに黒髪。

学生らしき人はいない。順路の第一室では 15人-20人くらいいたのではないか。私がきたときは、第一と第二合計しても 10人いなかったと思う。


↓ 展覧会の看板「少年」(個人蔵)1917年 の拡大画像。

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「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞2 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞2 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 (追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)

 (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。)

神奈川県立近代美術館 鎌倉別館のエントランス。券売窓口は1つしかない。
 ↓ エントランス付近には展覧会の看板が無い。
   

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 展示室に入り、解説パネルを読む。関根正二の画家としての活動期間はわずかに「5年程度」という。その画業を前期と後期に分けて展示をみていくというコンセプトであった。

 順番に鑑賞していく。壁に作品が展示されている。最初の展示作品から3番目くらいに1915年の作品「菊川橋辺り」という油彩画がある。「菊川橋」とは、現在地下鉄の菊川駅のある付近の地名のことのようだ。大正時代当時の東京の都会の街並みと思われるところの、水路にかかる橋の風景だ。東京の下町のような感じだ。
 関根正二が、どこの生まれの人だったのか、予備知識のないまま入場したので、彼は「東京の下町の人だったかな?。あれ、どこの人だったかな?。という感想をまず持った。
 ある作品(風景画だった。)では解説に、医師 福原道太郎の所有だったという。画家と交遊をもっていた著名な医師なのかな?、私は知らないなと感じた。  

 続いて「菊川橋辺り」と同年の作品、16歳の時に描いた「死を思う日」が展示されている。「第2回二科展に入選」と解説文にある。タイトルとは裏腹に、人の姿は画中になくて、葉のある糸杉?と枯れた木2本が真ん中に描いてあるろ・・・・。糸杉(と勝手に判断したのだが)はゴッホの作品を思わせる。深緑の色使いで、暗いタッチである。結核で死の予感が既にあったのか?。当時の死といえば思い浮かぶのは「結核」である。彼は若年の結核患者ではなかったのかと直感した。(壁面ではない)通路にも立てた状態でデッサン画の展示がある。その裏にも作品を展示している。  


 続いて壁面に沿って展示を見ていく。展示の解説を見ていると関根正二は「福島県白河の生まれ、幼少期に東京(当時)の深川に移住し、東京・深川で成長している。」ことがわかる。 

 東北旅行に出かけている。村岡黒影という、東京で知りあった?人の実家にも行っている。現在の山形県北部、最上川流域の村らしい。旅行の帰路には、自分が生まれた白河によっている。

 東北に旅行したときのデッサンなどの作品がある。東北地方の山形県に旅行して、世話になった家族の画の展示がある。

 老女の絵もある。「村岡みんの肖像」解説では「・・・女性は紋付をきて、正面を見て画家と向き合っている。・・・老女のシワなどを美化することなく、ありのままを描きだしている。」とある。お世話になった山形県出身、村岡黒影の実家、村岡家の母堂の肖像である。冠婚葬祭などに着用するであろう、村岡家の紋付の黒い羽織をまとった、日本髪の老女である。一番よい着物を着てモデルとなっている明治・大正当時の日本人の女性の服装がわかる。
 「真田吉之助夫妻像」の油彩画も、当時の山形県の夫婦の正装らしき着物のカラフルな絵である。

  ↓ 展覧会チラシ。 左の作品は「井上郁の肖像」福島県立美術館寄託


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 長野県にも旅行している。河野通勢、という人物と旅行しているらしい。放浪の旅で、その途中で描いている。河野は長野県出身の人物である。その旅行や河野との交友ためか、長野県の信濃美術館の所蔵品が何点か展示されている。

  展示作品には福島県立美術館の所蔵、寄託作品が多い。その理由は白河の生まれということでわかった。次に長野県にある信濃美術館の所蔵か寄託作品が多いようだ。

 来館者は、数名だった。白髪の男性や50-60歳くらいの女性など。順路の反対には、別の部屋もあるようだが、入口を挟んでつながっている。特に扉はなく、長方形の展示室である。看視は小柄で黒髪を束ねてメガネをかけた黒いパンツスーツをはいている女性が部屋の隅に立っている。こんな時期なのでマスクをしてほとんど顔が隠れれいる。

 展示室内のソファの横に展覧会の図録を置いてあるので、見てみる。図録では、関係者の住所などを示す地図が掲載されている。先の作品の解説文にあった 医師 福原 の自宅は、関根の当時の自宅近くの水路の橋を渡って、北西の方向で近所である。パトロンとしての資産家医師ではなく、関根とは近所の知り合いの医者だったようだ。 

 掲載地図の恵比寿付近の拡大図に、伊東深水の自宅の表示がある。すぐ近くに恵比寿ビールの工場 現在の「恵比寿ガーデンプレイス」と書いてある。

 正二が交際していたというか、好意を抱いていた女の自宅は、現在の品川区というか、荏原の方向にある。「当時は(現在と比べて東京は)遥かに市街地が小さかった・・・・。」という説明が書いてある。

(あとで見たが、関係者の地図は、展示室を出た2階廊下脇の壁に大きく掲示してあった。)

 図録に掲載されている年譜によると正二は「結核で1919年6月に死亡」している。年譜の横の欄に社会の動きとして「・・・・・1918年の秋から1919年の春にかけて、スペイン風邪が猛威を振るい、(日本だけで)約38万8千人が死亡、・・・罹患は約2800万人(実際はもっと細かい数字が記載されていた)・・・・・・」と書いてあるのが、目を引いた・・・・。
 現在進行形の「コロナウルス」を想起させるではないか!!。


 順路最初とは反対の壁に、自画像の油彩画が展示されている。当時10代。若いな。デサッサンの自画像もあった。彼は卵型の面長顔である。伊東深水が所有していて、正二の死後に両親に返還したそうだ。「伊東深水」といえば、日本画家として著名な人物である。ジャンルは違うが、深水と交遊関係があった。東郷青児、有島生馬とも交流があったことがわかる。同じく夭折の画家、村山槐多との交流もあったという。

 室内の真ん中には平ケースが設置されている。当時の雑誌、新聞記事、正二のデッサンの展示など関連資料の展示がある。書簡の展示もある。

 展示の資料の中の記載に「・・・・正二は 発狂した・・・・。」ともかいてある。冬のある日、深川の野外で叫んで、倒れたのだという。結核の病気が進行していたのであろうか?。
 死亡記事のコピーも展示があった。写真入りの当時の記事で「関根正二氏死亡」とある。既に20歳にして新聞に記事が出るだけの画家であったのだ。
 村山槐多との交流については「(どれだけ交流があったか)不明である・・・・」と(解説文には)書いてあっが、村山は「・・・スペイン風邪で死亡」と書いてあった・・・・。
 当時の感染症の猛威が伝わってくる・・・・・。コロナウイルスの流行が叫ばれる現代(2020年2月の今、現在)の比ではないぞ!!。
 


 





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「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞1(プロローグ) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞1(プロローグ) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

(追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)
  (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。)


 関根正二は、その作品1点が重要文化財に指定されている(記事投稿日現在)夭折の画家である。以前、国立新美術館で開催された「大原美術館展」で、重要文化財「信仰の悲しみ」を鑑賞したことがある。
 元々は今回の「関根正二展 生誕120年・没後100年」の開催を知らなかった・・・・。何故知ったのかというと普段はほとんど閲覧することのない神奈川県のサイトで、たまたま見つけたからである。
 神奈川県のサイトのトップページのスライド画面で「関根正二展」のポスターイラスト画像が出ていたので「ハッと」と気づいたのだ。開催は、神奈川県立近代美術館である。サイトの告知画面は切り替わってしまうので、ほんの数秒のことだった・・・。「新型コロナウイルス」の相談、連絡先の告知などもスライド表示されていたので、すぐに「新型コロナウイルス」の画面をクリックして(別のサイトページに移動して)いたら、気づかなかったであろう・・・

 これ程に重要な画家の展覧会を国立の美術館ではなく、神奈川県立の施設で開催するというのに何故神奈川県は大々的に広報しないのかと不思議に思った・・・・。サイトで(開催に)気づいた後、神奈川県の広報誌、おなじみの「県のたより」(つまり紙ベースの媒体)を見てみたが、最新号は既に捨ててしまっていた・・・。前号はなぜか残っていて自宅のリビングにおいてあった。しかし、前号の記事を見ても「関根正二展」については掲載していない・・・。改めて県のウェブサイトに「県のたより」最新号の PDF版のテータがあったので開いて見てみると、小さい枠に文字のみの記事で「関根正二展」の開催の告知があった・・・。
 あまりに扱いが小さい・・・・。これじゃ、気づかずに見落としてしまうョ・・・

 開催場所は、神奈川県立近代美術館の鎌倉別館である。鶴岡八幡宮の境内内にあった「鎌倉館」?が閉館して久しい。「葉山館」は、現在改装中?らしく、長期閉館しているので、今回は鎌倉での開催となったのであろう。
 会期は2月1日の土曜日から3月22日の日曜日まで。開催に私が気づいたときは、既に2月の10日くらいであった。前期と後期で展示替えがある。後期に岡山県倉敷市の大原美術館所蔵 重要文化財「信仰の悲しみ」が展示される。前述の通り、見たことはあるのだが、せっかくなので「目玉」(つまり重要文化財「信仰の悲しみ」)が展示される「後期」に行くことにした。

 ところがである・・・・。「新型コロナウイルス」関連で公共の博物館、美術館などの施設も臨時休館が続出となった。状況を振りかえると2/27(木)に 国立の博物館(東京・京都・奈良・九州)が2/28金曜からの休館の発表。次いで、2/28(金)には2/29(土)からの休館を上野にある国立の西洋美術館や都立の施設(都美術館)などが発表。
 先週行った台東区立の書道博物館は2/28から休みだった。「新型コロナウイルス感染症の感染予防・拡散防止のため、2月28日から3月16日まで臨時休館」と。行っておいてよかったョ。1月に行った台東区立朝倉彫塑館も2/28から休み。
 
 「はて、神奈川県立の施設は?。」と事前にサイトで開館しているか、調べてから来た。もしかしたら「閉まっているかも」と思ったが、開いていた!!。神奈川県立の施設としては、横浜に歴史博物館があるが、今のところ開館していた。(2/29の午前中の段階。でも、3/2の月曜日から休みなのかなあ。)
 しかし、同じ鎌倉市内でも市立の博物館施設、文学館、鏑木清方記念館、鎌倉国宝館などは既に休みに入っていた・・・・。神奈川県立近代美術館鎌倉別館と同時に鎌倉の国宝館(鶴岡八幡宮の境内にあるが、鎌倉市立の施設)も見学しようと思っていたのだが、不可能となった次第です(笑)。
  

 鎌倉市内の道路は空いているとおもわれたので、車で移動した。確かに普段よりはすいていた。鎌倉駅前から若宮通りの方法へ向かった反対車線の大船方向から鶴岡八幡宮前に至る道路は少し渋滞していたが、普段はもっともっと混雑している筈。
 車線沿いに神社(鶴岡八幡宮)の駐車場、料金1時間600円があるが、停めなかった。ほとんど駐車している車は無く、すいていた。この駐車場には停めなで更に先、一番、鎌倉別館に近いコインパーキングに停めた。1時間あたり330円だった・・・・、時間単価で30円違う。ここも、空車ばかりであった。

  神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
 ↓ 道路に沿った壁に展覧会の看板があった。
   

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 館の敷地に入る。空いているようで、入口付近には誰も人がいない・・・。建物の入口の横にひとつだけ、窓口があって券を販売していた。一般700円。
 入口付近は、ガラスの壁でシースルー?である。入口に接続してカフェが、1Fのロビーの横にあるが店内には誰もいない。中に入ると館内ロビーにもカウンターがあり、女性係員が一人いるが、ここは売店。ロビーの棚に今回の展覧会の図録がおいてあり、絵葉書なども販売していた。

 チケット窓口で「2階でもチケットを提示してください」といわれる。階段で2階に行く。比較的こじんまりとした階段だ。

 2階に行くと、すぐ展示室の入口がある。赤い書体で「関根正二展 生誕120年・没後100年」と大きい表示がある。若い女性係員がいてチケットを提示する。展示室内に入る。「入って、左から見てください。」と言われた。
 来館者は、順路に沿って左手の壁に一人、反対側の壁の展示を見ている来館者が2-3人くらいいる。老人の男性と年配の女性だ。

 しかしである。室内を見まわしても展示リストを置いていない・・・・。来館者もリストを手にしていない・・・。一旦、展示室入口の自動ドアを出て「展示リストはないの?」と聞くと、先の女性係員は受付台の下から青い文字で印刷されて いる展示リストを出して私に手渡した。「希望者にだけ配布しています。」という。

 
 解説パネルを読む。関根正二の画家としての活動期間は5年程度という。その画業を前期と後期に分けて展示をみていくというコンセプトであった。



 





平塚漁港食堂 2018年12月食事 「本日の定食」

  平塚漁港食堂 2018年12月食事

 歳の暮れも押し迫った12月のある日のこと。久しぶりに平塚漁港食堂にやってきた。曇天の寒い日だ。 前回は「梅雨明けしましたね~。今年の梅雨明けは、やや遅かったような。開けた途端に猛暑となりました。・・・・・」と訪問記を書いていたので季節は真逆の「真夏」のことだった。
 
 ↓ 東の空は青空と薄い雲。湘南海岸が見えるのだが、写真の写りがよくないなー。 
  前回のように「相模川河口と海岸付近の建物の向こうには、相模湾が広がる。そして、「入道雲」がもくもくと湧いている。さあ、今年も夏がやって来た!!。」という意気込みは無い。寒い。。。

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  ここ「平塚漁港の食堂」は、テレビでも取り上げられ、今や休日など繁忙日には、行列が出来るお店だ。

 ↓ 国道近くから見た建物外観。
   お店の向こうは、西の空。鉛色の雲が広がっている。これから、だんだん、天気が崩れていくのであろう。

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 店内に入る。正午前の時間帯を狙っての入店。混雑も少し落ち着いてきたかな。
 


 

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 昼の定食のメニューが置いてある。「本日の定食」と書いてある。本日の定食は限定10食のものが多いので、早く注文しないとすぐに完売してしまうであろう。前回は「限定20食??だった、あじ丼とフライの定食」を注文した。
 メニューは変わっていた。海鮮丼は税抜で1980円だったが、たいていの昼の定食は税抜1780円だった。税込みだとレジで1922円になった。
 メニューを見ると「アジフライ」メインの五種の(刺身のある)刺身定食と「焼き魚」メインの五種の刺身定食がある。どちらかなー、と考える。俺が頼むとしたら、フライモノは受け付むしなくなっているので、「焼魚」の定食にした。
 本当は刺身のみでフライも焼き魚もついていない、1品少ない定食がよかったが、無いようだ。煮物が1品あるといいんだけどね。「本日の定食」は刺身が必ずついて、他にフライや焼きモノがつくようだ。ごはんは大盛り無料である。

 店員の女性がどの魚か説明してくれる。焼魚はイシモチ、フライはアジだった。刺身五種は一種一種示して説明してくれるが、すぐに忘れてしまう。「イナダ(かハマチ)、タチウオ、めじな、スズキ、サワラ」だったかな。


 隣に夫婦らしき60歳前後の男女がやってきた。注文して料理がやってくると、同じように魚の名前を言ってくれる。私のと同じ魚ではなかったような・・・??。刺身の種類は「サワラ」だったか「サヨリ」だったか忘れた。隣の人には「サワラ」と言っていたような。オレのも「サワラ」と言ったような。でも、「サワラ」は春の魚の代表格。「冬なのにサワラとはおかしいな」と説明の時に思ったので、出てきたのは「サワラ」と思った。でも「サヨリ」ではなかったかな??、と記憶が揺らいできた。「スズキ」は確かに言われたと思う。「タチウオ」は切り身の様子を見ても間違いない。別の魚ではないと自信をもっているよ。

 値段もそれなりにするが、量が多くボリュームがある。特に「焼き魚」と「フライ」は、加齢を重ねた俺には、量が多く、重荷になってきた。昔のオレならば、ガツガツ食べたけどね。やはり(年齢を重ねた俺としては)、もう1品、2品少なくても量の少ない定食が欲しいかな~。

  ↓ 「本日の定食」 焼き魚メインと思って注文したがフライと焼き魚、両方ついていた。

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 今夏は2人席のテーブルに座った。前回は大テーブルに座った。しかし、今回訪問したとき店内を見たが大テーブルはなくなり、2人席や4人席のテーブルとイスに「分割」されていた。大テーブルだと混雑時の相席など問題があるのかも。大テーブルであい向いに座ると、距離が離れて落ち着いてツレと会話できないしね。かといって、カウンターのように大テーブルに横に二人並んで座るのも何だし。





五味八珍(大井松田店) 食事 2018年8月

 2018年8月 五味八珍(大井松田店) 食事

 おなじみの「ご当地ファミレス」、静岡県発祥のファミリーレストラン「五味八珍」。
 以前も書いたが、今のところ、知り限りでは神奈川県で唯一の五味八珍のお店が大井松田店

 松田町と大井町の境付近、東名のインターの近くである。
 御殿場アウトレットのお出かけの帰りに食べることが、ほぼ??定番になりつつある。
 ちなみに、同じ静岡発祥のファミレス、ハンバーグ「さわやか 御殿場店」は、大混雑しているようだ。この5月の大型連休中、「さわやか 御殿場店が6時間待ち?」とも、テレビの情報番組で紹介されていたし・・・。
 営業は時間は22時まで。入店後、ほどなくして、21:15にはラストオーダーとなった。
 私は、この日の自宅での昼食では、ラーメンを食べたので、ギョーザとチャーハンのセットにした。

 ↓ すごい盛り方。がっつり、浜松餃子である。 

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 私は完食した。ガテン系にちょうどいいかな。私は炭水化物と油が気になるお年頃なのであるから、量はほどほどがちょうどよい。なお、五味八珍の味は濃い目であると思う。
 
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 閉店時刻は22時。21:45頃に食べ終わり、店を出た。その後、帰宅した。
 翌日はカープ戦の観戦に横浜スタジアムに行った。


「横浜ベイスターズ対広島カープ」(カープ側)観戦記5 in横浜スタジアム  2018年8月

「横浜ベイスターズ対広島カープ」(カープ側)観戦記5 in横浜スタジアム 2018年8月
 
 この夏も、プロ野球の観戦に行った。観戦したのは「横浜ベイスターズ対広島カープ」。
  
 ※実をいうと、今季(2018年)のポストシーズン、プレーオフではカープが巨人に勝利してカープが日本シリーズに進出することが決まった。
 10月19日(金)に「クライマックスシリーズ セ ファイナルステージ」第3戦にて、広島東洋カープは読売ジャイアンツに5-1で勝利し、10/17、10/18と続いて三連勝した。アドバンテージの1勝があるので、合計4勝して日本シリーズに進出したのだ!!。
 進出を記念しての今年の観戦記の投稿だ(笑)。
    
 カープ有利で試合は進んだ。

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 スコアは8対2の状況。カープの攻撃、代打で「新井」がコールされた。球場内には本日一番大きい歓声と拍手があがった。

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ただ、座席からは遠いので、バッターボックスにいる新井の表情は見えない。

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 新井は4球で出塁だったかな??。そのまま、裏(のベイの攻撃で)は一塁の守備についた。

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 試合も終盤になり、本日の観客数がコールされた。「28,911人、ありがとうございます!。」と。満席である。昨年は、翌日の新聞では28,500人くらい??だっと記憶しているので、限りなく29,000人に近い本日の入場者は球場のキャパいっぱいであろう。横浜スタジアムは29,000人以上の観客は収容できないのではないか?。

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 ところがである。ベイが段々と追いついてきたのだ。カープも次々にピッチャーを交代して投入する。
 広島も外国人投手を投入。最高で、球速154キロくらい出たかな。球は速い。日本人とは比較にならないくらいの速球をポンポンといとも簡単に投げてくる。

 8回にベイが4点も得点し、3点差の9対6のスコアとなった。おお、「消化試合」の筈が再び盛り上がってきたぞ。
 ↓ パッターは4番 筒香だったかな。昨年の観戦時に「つつGo-!!」と応援している様子を見て、別格の選手なのだな、と理解した。昨年の観戦時はホームラン(か、長塁打だったかな?)を打ったし、すごい選手と試合を見てわかったが、今回は確かヒットは打ったが、あまり覚えていない・・・・。三振もあったな。

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 9回の裏に入った。1点を返して、なお攻撃中。9対7と2点差になった。これは、逆転サヨナラの可能性も出きた。サヨナラ勝ち、といえば、昨年見た試合もサヨナラだったので(ボテボテのヒットだったが・・・)、思い出した。

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 ピッチャーは、抑えのエース 中﨑。セーブがつくか、救援失敗かの大事なポイント。
 ここで代打が登場した。プロフィールが紹介され。二年目の佐野、岡山出身で広島の名門、広陵高校から大学。あれ、この経歴だと、カープの選手??と思ってしまう。地元広島の名門、広陵の出身だし。近年も話題選手を輩出している。

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 9回裏、二死ながら満塁になった。バッターはソト。昨年も出場していた。本日はスタメンで出場している。本日もヒットを打っている。
 千載一遇のチャンスである。しかし、打ちいそいだソトが、一打目はファウルした。まずは、一球様子を見るだろうよ。(と、勝手に知ったかぶり・・・・・。) ソトは、続く二球目も手を出し、内野ゴロ、ショートが二塁ベース近くで捕球し、そのまままベースを踏んでアウト。
 結局、満塁なのにチャンスを生かせずゲームセット。逆転満塁サヨナラも出るかとおもいきや・・・、無かった・・・・。
 守備についていた、カープナインがベンチに下がってく。ベンチメンバーは、グラウンドに出て、ハイタッチでお出迎え。われわれ、三塁側の観客席は歓声に沸く!!。

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 ベイ側は続々と観客が帰っていく。打撃戦となったので、4時間近い試合時間であった。

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 昨年は、ベイスターズのサヨナラ勝ちでお立ち台が出たが、 今回は敗れたのでお立ち台は出なかったようだ。ホーチームが負けるとお立ち台は無いらしい・・・。
 「ベイサイド」、一塁側の観客席は、すぐにガラガラになった。
 赤のカープファンは、しばらく勝利の余韻にひたっていた。

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 我々も球場を出ることにした。
 22:12関内駅に乗る。横浜駅方面に出るホームは人が多いので、大船方面の電車に乗車した。

 根岸線で帰る。車内にはカープの観戦帰りのレプリカユニホームを着ている人も多い。だんだんと途中の駅で降りて少なくなっていくが・・・。
 と、車内にやせ型、黒髪の黒縁メガネの赤いカープのレプリカユニホームの女性がいた。真面目そうな方である。観戦して、一人で帰宅途中のようである。車内に連れはいないようだ。年は40くらいかなという感じ。たぶん、独身(根拠無し)。港南台くらいまでは赤いユニホームの人が結構車内にいた。大船で電車を降りたときもちらほら、いた。例の女性も赤いレプリカユニホームを来たまま、降りていた。ずっと同じ電車であった。

 駅の改札を出て、歩くいていると、おじさんとおばさんの45-50歳くらいのカップルも赤いユニホームを来て歩いていた。私達と同じ試合を観戦に行っていたのは、明らかだ。

 先にも書いたが、カープ女子とはいうものの比較的年輩のお×さんが多い。女子の平均年齢は40-50歳くらいではないか、な。

 (観戦記おしまい。)

「横浜ベイスターズ対広島カープ」(カープ側)観戦記4 in横浜スタジアム 2018年8月

「横浜ベイスターズ対広島カープ」(カープ側)観戦記4 in横浜スタジアム 2018年8月
 
 この夏も、プロ野球の観戦に行ったのだが観戦したのは「横浜ベイスターズ対広島カープ」。
  
 ※今季(2018年)のポストシーズン、プレーオフではカープが巨人に勝利してカープが日本シリーズに進出することが決まった。
 10月19日(金)に「クライマックスシリーズ セ ファイナルステージ」第3戦にて、広島東洋カープは読売ジャイアンツに5-1で勝利し、10/17、10/18と続いて三連勝した。アドバンテージの1勝があるので、合計4勝して日本シリーズに進出したのだ!!。 進出を記念しての今年の観戦記の投稿だ(笑)。

 夜8時過ぎになると、6回と7回の合間だったかな?。例のハマチアのバズーカーが登場
 ボールを打ち(撃ち)込む。グローブを出して待ち構える子もいる。

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 大型画面にうつるハマチア達。ボコンボコンとバズーカーを撃ち込んでいます

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 そして、風船を飛ばす準備を。でも、ウチらは、準備なし・・・・

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 赤い風船。まるで、血球というか、献血キャンペーンのようだ。なぜか、昔どこかの国で見た献血を呼びかける運動の旗、ノボリなのどの血の球イラストを思いだした。

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 風船を飛ばして盛り上がるカープの応援席。
 なんやかんやいって、おっさん、おばさん年代の観客が多い。盛り上がっていますね。

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 攻守がかわって、今度はベイのブルーバルーンの用意する様子が。

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 3塁側のカープ応援席からもブルーバルーンは上がっている。
   ハマチアが応援して、盛り上げて、バルーンを発射した。

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 ↓ 数は少ないが、ブルーバルーン。三塁側の「赤 軍団」の中では少数派。

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 が、試合は完全にカープのペース。
 途中から、ベイは外国人投手が中継ぎで登板した。球は速い。球速は151キロなど普通に出るのだ。対して日本人はストレートでも141、143キロなどの球速。 いって147キロくらいかな。
 横浜ベイの外国人投手が出てきたとき、後ろの座席の人(おっさんのグループ)は「敗戦処理だ。」と言った。確かにそうだ。この点数では、逆転は難しいかな。新しい人に投げさせて次の試合以降につなげる戦法に出たのだろう。
 (が徐々に、追いついてきた。)

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 試合終盤近く、再びスナックを買いに、スタンド下の売店ゾーン行くと、ほとんど完売・・・・・。
 その中でも、まだ販売していたフライドポテト300円を買う。そして、ビールは(この時間帯で飲むのには)重たいので、軽く飲めると思われるレモンサワーにした。値段はビールと同じ700円。
 最後までお酒とおつまみのボクです・・・・・・・

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「横浜ベイスターズ対広島カープ」(カープ側)観戦記3 in横浜スタジアム 2018年8月

「横浜ベイスターズ対広島カープ」(カープ側)観戦記3 in横浜スタジアム 2018年8月
 
 この夏も、プロ野球の観戦に行ったのだが観戦したのは「横浜ベイスターズ対広島カープ」。
  
 ※今季(2018年)のポストシーズン、プレーオフではカープが巨人に勝利してカープが日本シリーズに進出することが決まった。
 10月19日(金)に「クライマックスシリーズ セ ファイナルステージ」第3戦にて、広島東洋カープは読売ジャイアンツに5-1で勝利し、10/17、10/18と続いて三連勝した。アドバンテージの1勝があるので、合計4勝して日本シリーズに進出したのだ!!。 進出を記念しての今年の観戦記の投稿だ(笑)。

 試合開始からほぼ1時間経過した。ビールなどを買いに少々離席した。
 スタンドの外に出る。再入場できるので、球場ゲートの外に出る人もいる。昨年「5回」まで1.5倍増量だった「ヨコハマ ベイスターズ エール」を買おうとわざわざベイ側のスタンド裏手まで行った。
    
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 ベイ側のスタンドへは、バックネット裏の通路を通る。おにぎり型の球場の通路をぐるっと半周する感じ。パックネット裏は関係者以外立ち入り禁止の更に下のフロアへの階段入口や事務所スペース?などがあり、通路が狭くなっている。
 結局、横浜ビールの売店はあったが、割引は実施していなかった。
 ビールガールの売るビールと比較して割安なので、不公平になってしまうからかな。それとも、特別なときには、割引があるのかな?。詳細は不明であった。

 増量がないため、行列は出来ていない・・・・・。よって「エール」ではなく横浜ラガーを買った。通常通りの700円だった。スタンドの座席に持ち帰って飲む。
 1塁側のあの向こうのスタンドの裏手まで行って買ってきたのだ。

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 さて、トイレに行ったり、して座席から慣れることもあった。試合開始から約二時間後、スナックの追加を買おうと再び、スタンドの裏手に。
 しかし、この日はことごとく完売だった。
 出入り口付近からの眺め。後の座席は高い位置にあるので、少々観戦してもジャマにならない。自分の席にりもホームに近いのでより大きく見える。
 ちゃんと通路にも「クルー」のブルーユニホームを来た係員がいる。

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 ソフトドリンクの「ドリンクガール」もがんばっています。最初は単価が低い、ソフトドリンクなどから入るという。実績をつくってから単価のたかいビールを任せられるという。同じビールでもホームに近い、座席の方が年間シートなどの配置の関係もあり、常連も多い(勿論外野の応援席も多いが)ので、購入金額は多くなるのではないか?。

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 試合もたけなわ、5回??になると横浜の応援席で大きな横断幕が。
ただ、試合はカープの大量リードで試合の行方は決まったかな、という状況。

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 7回の表、ハマチアのフラッグパフォーマンス?が始まった。

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 ハマチアのパフォーマンス

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 試合は佳境にはいってきたぞ。

「横浜ベイスターズ対広島カープ」(カープ側)観戦記2 in横浜スタジアム 2018年8月

「横浜ベイスターズ対広島カープ」(カープ側)観戦記2 in横浜スタジアム 2018年8月

  この夏も、プロ野球の観戦に行った。観戦したのは「横浜ベイスターズ対広島カープ」。
  
 ※今季(2018年)のポストシーズン、プレーオフではカープが巨人に勝利してカープが日本シリーズに進出することが決まった。
 10月19日(金)に「クライマックスシリーズ セ ファイナルステージ」第3戦にて、広島東洋カープは読売ジャイアンツに5-1で勝利し、10/17、10/18と続いて三連勝した。アドバンテージの1勝があるので、合計4勝して日本シリーズに進出したのだ!!。 進出を記念しての今年の観戦記の投稿だ(笑)。
    
 ↓ 1年ぶりに入場した横浜スタジアム。
  後攻は、ベイスターズ(ホームなので当たり前だけど・・・)。先発投手の紹介。今永である。「あれっ、昨年も見に行ったとき、先発は今永だったぞ。ちょうど、ローテーションなのかな。」と思った。九州出身→大学→入団の経歴であった。
 以下、ベイスターズは「ベイ」と略称する。
 
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 昨年は、今永は打たれて点を取られながらも続投していたが、遂に降板した。「悔しそうな」表情をしながら走って、マウンドを去ってベンチにさがったのを覚えている。
 昨年のリベンジなるか。ただ、昨年の試合は、ベイのサヨナラ勝ちだった。よって、今永に勝敗はつかなかった。
 昨年は1塁側だったので、左腕の今永が投球する様子がよく見えた。しかし、今年は3塁側なので、今永の背中しか見えない。

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 ビールガールから、試合開始前には1杯購入。飲みながら観戦だ。既に彼女は、手に千円札を束ねて指に挟んで持って、忙しいそう。
 1回の表、いきなりカープの3番打者、丸がホームラン。既にランナーが出ていたので2ランである。
 カキーンと弾道で外野スタンドに飛びこんでいった。どうした今永。昨年に続き、よく打たれるなあと感じた。

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 結局、1回表で4点はいった。打ち込まれたな・・・・。

 裏の攻撃。3番ロペス。だんだんと夜になっていった。本日も外野席はぎっしりと満席。三塁側は真っ赤にそまっている。

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 「ビールガール」達が元気にスタジアムを回っている。手を挙げ、手を振りながら、にこやかにアピールしている
 

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 裏に得点を1点入れたのだが、何だか、カープが勝ったというか、流れが決まったかな、という感じ。
 序盤の経過をみたので、ビールなどを買いにスタンドの裏側に行くことにして、離席する。


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 ↓ 盛り上がるカープの応援席。
 昨年、1塁側にブルーのベイのレプリカユニホームを着用した人は皆無だったが、アウェイのカープ側の席には、ベイのレプリカユニホームを着ている人がちらほらいる。
 本拠地有利ということかな。

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 結局、ベイの先発 今永は3回(か4回)途中で降板した。昨年よりも早いぞ。
 カープの先発は私は知らない投手だった。

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 夜が更けて来た。試合が進んでいく。



「横浜ベイスターズ対広島カープ」(カープ側)観戦記1 in横浜スタジアム 2018年8月

「横浜ベイスターズ対広島カープ」(カープ側)観戦記1 in横浜スタジアム 2018年8月

  この夏も、プロ野球の観戦に行った。観戦したのは「横浜ベイスターズ対広島カープ」。
 場所は、昨年に続いて横浜スタジアムだった。(ホームチームを先に記載。)
 昨年も同じカードを観戦したのである。2018年、この夏の記事をまだ全然書いていないのだけど、先にプロ野球の観戦記を投稿しよう。

 ※実をいうと、今季(2018年)のポストシーズン、プレーオフではカープが巨人に勝利してカープが日本シリーズに進出することが決まった。
 10月19日(金)に「クライマックスシリーズ セ・ファイナルステージ」第3戦にて、広島東洋カープは読売ジャイアンツに5-1で勝利し、10/17、10/18と続いて三連勝した。アドバンテージの1勝があるので、合計4勝して日本シリーズに進出したのだ!!。
 進出を記念しての今年の観戦記の投稿だ(笑)。
 
 観戦したのは2018年8月の日曜日のこと。この日が、お盆休みで連休を取った場合の最終日という人もいたであろう。夏休み中で、部活もないということなので子供を連れて観戦に行った。
  その前に、買い物と軽く食事をした。 観戦に先立ち、みなとみらい地区の横浜マーク イズで買い物。(別に買い物とプロ野球観戦は関係ないが、たまたま観戦の前に行っただけ・・・・・・。)
 
 昨年はチケットは無料で入手したのだが、今年は購入(笑)。購入なので座席は3塁側のカープ側。現在はホームのベイスターズ側は「ベイサイド」、3塁のビジターチーム側は「スターサイド」として座席を販売している。ので、今回は「スターサイド」側。

 ウチの子は自称「カープ女子」で、カープの応援グッズは持っている。つまり「赤いグッズ」を今年はおおっぴらに使用できる。昨年は着用できなかった。
 入場であるが、昨年は、ゲートのところで「違う」と言われ、関内駅から横浜公園内をずーっと歩いて、ほとんど駅から反対側、中区の区役所に近いところからやっと入ることを許されたのだが、今年はスムーズに入場(苦笑)。
 
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 入場口内へ。3塁側座席は、関内駅に近いところだ。カープファンが大勢入場している。
 
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 指定された座席に到着。
 ↓ 「おお、昨年はあのあたりに座ったな。」と1塁側スタンドの方向を見る。1年ぶりだな~。
 ペイスターズも人気球団。チケットもこの日は売り切れだった。しかも、ネットで購入したがサイトでは1塁側、3塁側ともに2か月前には売り切りしていたと記憶する。1か月前ではとても買えないくらいの人気ぶり。

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 今年は、余裕をもって着席。試合開始は18時。試合開始前のセレモニーなどを見れる。
 ホームベース近くに注目。

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ホームベース近くの拡大。↓
チアガール、マスコットぬいぐるみが出てきて、始球式の準備かな。
この日も暑い。ぬいぐるみでは、暑いであろう。

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 ↓ 3塁側から1塁の応援席を見る。昨年は「真っ赤に染まっている。壮観だ。」と書いたが、青は落ち着いて見えるな。

 試合開始前、チアがダンスを始めた。ハマチア!?。ベイスターズのチームカラーのプルーのコスチュームのハマチア。敵側のスタンドの前にも来るのですね。 

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 ↓ 1塁側のベイスターズ側の内野応援席。赤に比べると目立たない感じがする。落ち着いて見える。
 
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 手前はハマチアの様子。 ↓
 スタンドはベイスターズのブルーで埋まっている。

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 セレモニーをおえて、チアは整列する。
 始球式は子供が出てきて行った。そして、スポンサーの宣伝イベントもあった。ボールを投げる子供を応援する。
 始球式、試合前のイベントにもスポンサーがついていているのですね。

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 チアが整列し、守備につく、ベイスターズの選手達を送り出す。

 そして「おお、いるよ、ビールガール達が。」既に、ビールタンクを背負って、スタンド内を歩いて売っているぞ。
 そして、試合開始。

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 シーズン中でも横浜スタジアムの座席増設工事中である。満席が続いて、キャパオーバー気味なので、増設するのだ。さすがに1年というか、半年足らずのプロ野球のシーズンオフ期間では完成せず、徐々に工事をするようだ。 

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プロ野球観戦記プロローグ in横浜スタジアム(その前に 横浜マーク イズ買い物と 博多 だるま 食事) 2018年8月

 プロ野球観戦記プロローグ in横浜スタジアム(その前に 横浜マーク イズ買い物と 博多 だるま 食事) 2018年8月

  この夏も、プロ野球の観戦に行ったのだが観戦したのは「横浜ベイスターズ対広島カープ」。
 場所は、昨年に続いて横浜スタジアムだった。(ホームチームを先に記載。)
 2018年、この夏の記事をまだ全然書いていないのだけど、先にプロ野球の観戦記を投稿しよう。
 
 ※実をいうと、今季(2018年)のポストシーズン、プレーオフではカープが巨人に勝利してカープが日本シリーズに進出することが決まった。
 10月19日(金)に「クライマックスシリーズ セ ファイナルステージ」第3戦にて、広島東洋カープは読売ジャイアンツに5-1で勝利し、10/17、10/18と続いて三連勝した。アドバンテージの1勝があるので、合計4勝して日本シリーズに進出したのだ!!。
 進出を記念しての今年の観戦記の投稿だ(笑)。
 

 観戦したのは2018年8月の日曜日のこと。この日が、お盆休みで連休を取った場合の最終日という人もいたであろう。夏休み中で、部活もないということなので子供を連れて観戦に行った。
 
 その前に、買い物と軽く食事をした。 観戦に先立ち、みなとみらい地区の横浜マーク イズで買い物。(別に買い物とプロ野球観戦は関係ないが、たまたま観戦の前に行っただけなのだが・・・。)
 俺は買い物については、邪魔者でしかない。「勝手にどっかに行っていて!。」と言われたのか、言われていないのか、忘れたが、おなじみの「博多 だるま」でラーメンを食べることに。
  
 ↓ 博多 だるまのラーメン。あとで、気付いたが、好物の高菜をトッピンク゛するのを忘れていた・・・
 
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 ↓ モチロン、替え玉も。
固さは「普通」と伝えた。「バリカタ」という人もいいたが、さすがに「ハリガネ」というう人はいなかった。
紅しょうがを追加でもらう。紅しようがは、袋に入っている。ああ、高菜を忘れていたよ・・・。
 
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  ここ横浜マーク イズのフードコートのお店が、博多だるまの関東初出店ということだった。  
  夕食の時間帯ではないので、フードコートは混雑していなかった。


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 みなとみらい線で移動。 地上に出て、スタジアムに。
 既に続々入場している。三塁側のビジター席の入口は、関内駅に近い方にある。昨年は、ホームチーム側なので、ぐるっとスタジアムを回ってから入場したので時間がかかってしまった。関内駅から入場としう点では、三塁側が便利かな。

 ↓ カープの赤いレプリカユニホームを着た人達が集まっている。結構グループで来ている人もいる。

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 「カープ女子」といわれるが、ざっと球場の周辺の赤いレプリカユニホームを着ている人を見ると、平均年齢は40-50歳位だ。女子というよりは、お××さんの年齢に相当する。よく、スポーツニュースなどでとりあげられる20歳台くらいのカープ女子は、ほとんどいないと感じた。(あくまで、私がの日だけ見た限りでは。)
 男性の観客を見ても中年以上が多いような・・・・・・。つまり、私も平均年齢くらいだよ。もっとも、この日は夏休みの最中であるから、子連れも多いので、子供の親世代、つまり中年が多いのかな??。


日米親善よこすかスプリングフェスタ2017 見学4(最終)(米軍横須賀基地 公開)

 2017年3月26日(土)  日米親善よこすかスプリングフェスタ2017 見学4(最終)(米軍横須賀基地 公開)

 ※記事の投稿は2018年、実際に行ったのは2017年

  「日米親善よこすかスプリングフェスタ2017」に入場した。


 公園のようなところを通り出口へ向かう。波止場のようになっていて対岸の横須賀港、三笠公園がみえる。

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 岸壁そばの公園のような広場には桜並木が。
 寒いので、桜は咲いていない。昨年は既にこの時期では開花していたけどね。
 今年は遅いな。

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 先ほど入ったゲートから基地の外に出る。日本の勢力圏、支配圏に戻って来たのだ。出口付近には迷彩服を着た、米兵が犬をまだ連れて警戒している。気づいたが、出入口ゲートのそばにある建物は病院のようだ。
「Naval Hospital」 と書いてあるような。窓の内側をみようとしてもあまり見えないが、たしかに病院の廊下のようで、二階は病室のような感じ。

 出入り口付近のテント。出店がある。ピザの箱を持った人が往来している。私達もピザの箱を糸でつるして歩いている。

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  猿島が見えた。

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 一応、基地の公開は、午後3時までだ。公開終了時刻まで、30分あまりとなっていた。
 三笠前公園のセキュリティゲートでは、検査をしているが、新たに入る人はあまりいない。

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 雨はやや収まった。が、傘をささないと歩くのには厳しいかなというくらい。寒いので冷たい雨にうたれるのは
つらいのだ。戦艦三笠の脇を歩いて替える。
 下の子が、まだ1歳と少しのときにこの公園に来たことがある。

 あれから、10年以上経ってしまった。子供はあっという間に大きくなって、自分の手の届かない所に行ってしまったかのような・・・・。一抹の寂しさも感じる。この日は子供も同行したが、ここの何年かは、一緒に行動することを嫌がる。反抗期である。

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 先ほどの、正門付近の歩道橋を渡り、パーキングへ戻る。基地の正門では普段通りの車の往来である。
正門の脇に米軍のクラブの建物があり、ナイトアワーは一般人も入れると告知されている。

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 ナイトアワーは、特に日本人女性で入る人は多いのではないかと思った。今回の基地公開でも米軍兵士の男と来ている日本人の女性もいたしね。ラブラブかな?

 付近の道路は渋滞はしていない。車を出す場合、2時間から3時間待ちのこともあると告知していたが。渋滞は杞憂であった。



 帰ってから、ネットで見たが、夏の開港祭では夜間に花火大会がある。艦船見学を実施して整理券は不要で過去に開催されている。
 春の公開時の情報は、横須賀観光協会などのサイトでは情報が消えて.いるが、個人のサイトなどによると 過去も艦船見学があったようだ。整理券は以前は不要だったらしい。
 今回の整理券配布方式は今年かららしい。配布のことは、前日の新聞記事に出ていたし。
 食べ物を買うのみであったら、次回以降は基地公開に行かないかな・・・・・・。見学ツアーのようなコースが無いと、行っても・・・・・ね・・・・・・。
 
 昨年(2016年)の夏の「開港祭」は、8/6頃の公開だったが、旅行で出かけていた。春の公開スプリングフェスタのこの日は、寒くてすぐにおトイレに行きたくなったが・・・・・、反対に真夏のマジ暑い時期に、ここに来る気には、とてもなれないよ。
 今回、寒い日であったが、シヤツ一枚の白人の兵士も歩いていた。では、真夏の暑い時期、彼らはどんな格好なのかな・・・??。

 神奈川県には米軍基地はいくつかある。サイトによると座間基地、厚木基地の公開もあるようだが、私は行ったことはない。今回の横須賀基地が初めてであった。




日米親善よこすかスプリングフェスタ2017 見学3 (米軍横須賀基地 公開)

 2017年3月26日(土)  日米親善よこすかスプリングフェスタ2017 見学3 (米軍横須賀基地 公開)


  「日米親善よこすかスプリングフェスタ2017 」に入場した。

 食事をして、ピサ゛を買った。外は冷たい雨が降っている。
 敷地内を見渡すと子供の一団もきている。どうやら、英語スクールなどの関係で先生に引率されて来ているらしい。

 公開されている区域は居住地のようであまり重要施設は無いもようだ。先程、基地に入る前に通った正門付近とここ公開エリアは距離がある。正門付近の方に重要施設はあるようで、そちらの方の様子は全く分からない。公開エリアから、山が見えるのだが、基地内の半島の山だろう。それだけ基地は広いのだ。山の反対側に艦船のエリアがあるはず。先の正門から入って近いエリアだろう。そこには、かつての日本海軍の横須賀鎮守府の庁舎も残ってあるはずだが。
 基地の公開でも旧海軍時代を含めて米軍にとって重要なエリアは公開していないようだ。
 対して、以前2015年の初夏に横須賀駅の近くから入場した 海上自衛隊の埠頭では、総監部の建物の目の前であったが。横須賀の自衛隊の中心施設付近を思いっきり公開していた。
 米軍施設とは重要度が違うということかな。米軍はガードが固いな。

 公開エリアは、居住エリアであることに気付いた。兵士の家族の住むマンション群もある。「ハイスクール」もあるのだ。「公開」といっても居住地区のみで大切な所、レアな場所はダメだってこと。

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 学校のそばの駐車場では、テントを張って食べ物を売っている。しかし、天候のせいで、客数は少ない。フードコートやボーリング場内に人は避難している。冷たい雨と風を避けて。

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十字架のある建物。教会だ。軍事関連施設内に教会があるとは、日本とは違うな。

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 奥の球場まで行く。付近にはマンションがあるし、岸壁になっている。球場はゴム地面になっている。グラウンドの内部には、テントが並んでいて、出店がある。食べ物やではなく、ゲームのコーナーなどがある。トウテキヤ(投てき屋)のようなコーナーがあるが、冷たい風雨が吹き付けるのですいている。寒い。盛り上がらないな・・・・。


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 バックネットのところ。ベースボールではなく、ソフトボール場かな。

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 U.S. Navyの消防車が展示してある。
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 行動可能エリアの奥にある、球場付近から引き換えし、再びフードコートの方向へ。U.S. mail のオフィスがある。トラックが荷受け場に横づけされている。本日も発送しているようだ。

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 球場近くには、屋外の舞台があるが、誰もいないのだ。時間を決めてマーチングパンドや地元の私立学校のダンスパレードがある筈だが、本日は悪天候のため、ここではなく、シアターの建物内部での開催のもよう。

 しかし、シアターも入口で列が出来ていた。混雑しているらしい。入館は諦めた。

 シアター、フードコートの近くには、ボーリング場もあって、本当に営業している。中に入ってみる。マジで米兵がボーリングをしている。基地公開など眼中になく、彼らは、休日のレクリエーションをエンジョイしているようだ。 場内は、行列しているのだが、ボーリング待ちの列ではなく、場内での食事の購入待ちの行列らしい。フードサービスの店がボーリング場内にもあった。

 球場から戻る途中のことであるが、テントが出て、菓子などを販売している。箱の大きさがデカい。


 さて、大体見たかな、というところで、公園のようなところを通り抜けて元来た出口へ向かう。基地の沿岸は波止場になっていて対岸の横須賀港、三笠公園がみえる。
 迷彩服の兵士も基地内を歩いている。二名くらいで行動しているが、兵士は雨を全く気にしないのだ。服も防水のポリエステルなのか。濡れていない。水をはじく材質のようで、海軍の被服に至るまでその開発力をうかがい知ることが出来る、というのは大げさかな。日本人の入場者は皆傘をさしているのだが。


 14時20分頃、出口から出る。食事込みで2時間半くらいの滞在であった。


日米親善よこすかスプリングフェスタ2017 見学2 (米軍横須賀基地 公開)

 2017年3月26日(土)  日米親善よこすかスプリングフェスタ2017 見学2 (米軍横須賀基地 公開)

 「日米親善よこすかスプリングフェスタ2017」に入場した。米軍の横須賀基地の公開である。


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 並んでいると昼近くになってしまった・・・。食事をすることにする。公開エリアのほぼ中央に食事をする場所があった。 「センターフードコート」に入る。しろっぽいコンクリの平屋。入口は行列だ。建物には、ひさしがあるので、外通路でも濡れないようになっているのはありがたい。
 基地の兵士か 店員かわからないが、内部が混雑しているので人の整理をしている。順番に人を建物の内部に入れている。少し並んで、フードコートの中に入る。建物中でも人を整理している。混雑しているので。私服の兵士かな??。建物内には、バーガーのお店、や日本でもおなじみのサブウェイがある。

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 建物に入って、正面に向かって左側には「マンシュリ」という中華デリの店と「ポパイズ」というフラライドチキン屋がある。「満州」とは日本の歴史的経緯からみるとあからさまだ。中華、英語でいうとチャイニーズ料理の店名を「マンシュウ」というのは、大国の米国ならではかな。日本ではこのような店名は許されないだろう。

 そんでもって、「ポパイズ」のチキン店の行列に並ぶ。並んでいる間、お店の様子を見る。チキンは、どんどこ揚げて、電熱のボックスに入れている。チキンもデカイ。
 やっと順番が回ってきてセットメニューを頼む。通じたのか・・・・、ピスケット一個とチキン三個のセット。チキン三個とポテトのセット。と種類を分けて注文。応対する店員はアジア系の女性だ。フィリピンであろうか。日本円で3700円くらいする。ドルでいうと110円くらいなので、現在の円相場と比較すると得かも。
 この店には、日本の職員も来るが多くはないのか、店員は日本語はあまり話さないようだ。レシートには「Navy  」とあるので、ここはNavy御用達の商人かな。


 フードコート内の座席はほぼ満席。コート内の端っこのトイレの前のイスとテーブルをおっさんが1人で使用していた。このおっさん、先ほど私がトイレに行ったときからずっと一人で四人掛けのボックスを使用している。「みここ、座っていいですか。」と一声かけて反対のイスに座る。私は立つ。目の前には、女性用のトイレ待ちの行列。男子用トイレはすいている。
 先ほど使用したが、手洗い場では、なんと温水が出た。米軍の技術力か、それとも思いやり予算の恩恵か・・・・。

 しばらく、ここで食べる。チキンのサイズがでかい。が、チキンでもドラム(ももと思われる部分)は小さいかな・・・・。健康に悪そうなメニューであるが、タマにはいいか。

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 ドリンクも買う。ドリンクは紙コップをもらい、セルフでフードコート内のドリンクサーバーで入れるのだが。ドリンクは、ゲーターレードにしたがこれはペットボトル入りで200円だった。あとで コーヒーを追加で買った。コーヒーは「シアトルズベスト」であった。現在、日本国内で大々的に展開している某チェーンではない。、「シアトルズ ベスト」は日本に展開しているのかは、知らない。さて、「シアトルズ ベスト」であるがアメリカンコーヒーのように薄い味だが、まろやかだ。某チェーンよりも、私の口には合うかも。

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 このフードコートの建物の構造、出口と入口は別である。特に入口と出口を分離する必要があるのかは、不明・・・・。ランチチイムは混雑するからかな。アメリカは、日本人から見ると変なところが機能的だ、といか・・・・。
 フードコートの外では、テントを出してドリンクを販売している。が、寒そうだ。 冷たいものは売れていない・・・。

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 フードコートの建物の隣に例のピザ屋のテントがあった。大きな男がチーズをまぷしたり、調理をしている。屋外の吹きさらしのところでの調理と仕込みだ。
 あとで、購入したのだが1700円と2100円のピザの二種類があった。大きな、平たい紙箱に入っている。糸をもらい、自分で吊り下げして持ち帰る。
 持ち帰って自宅で食べた。
 ↓ チキンも食べきれなかったので、自宅で食べた。

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日米親善よこすかスプリングフェスタ2017 見学1 (米軍横須賀基地 公開)

 2017年3月26日(土)  日米親善よこすかスプリングフェスタ2017 見学1 (米軍横須賀基地 公開)
 ※記事の投稿は2018年、実際に行ったのは2017年
 
 ここはどこでしょう?。これは何の行列でしょう?。


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  ここは、横須賀、記念館三笠前の公園だ。「日米親善よこすかスプリングフェスタ2017 」に入場するための行列である。並ぶのが、やや出遅れたのだが、こんなに混雑するとは思わなかったよ。
 横須賀のイベントは、2015年6月行った「横須賀YYのりものフェスタ2015」以来だ。あのときは、JR横須賀駅から近い、自衛隊の基地への入場であった。艦船「いずも」の内部を見学した。
 今回は米軍の横須賀基地の公開である。

 当日の「午前9時から イージス艦船 見学の整理券配布」との新聞記事が前日にあったので公開のことを知った。急きょ行くことにした。
 車で出発。横須賀には10時過ぎに着いた。横須賀港の近くのP(駐車場のこと。以下同じ。)に車停める。歩いて米軍基地のゲートへ歩く。と、基地には「正門から入る。」と思いきや違うのだ・・・・・。初めて来たので、入場方法を知らなかったよ。
 歩道を歩いて米軍横須賀基地の正門の前の道をまたぐ、歩道橋を渡る。正門ゲートの様子を見ると、基地には出入りする人がちらほらいるくらい。敷地内にも人はいない・・・・。「あれれ、公開はどこで行っているのかな。」と疑問に思う。

 すると、歩道橋を渡って(三笠公園の方向に歩いた)その先に行列が・・・・・。歩道橋の先、数十メートルのトヨタの販売店の前から。すごい行列だよ。想像以上だ。「ははーん、三笠公園の方から入るのか。」と理解した。
 10時20分前から行列に並ぶ。この日は、雨が降っている。風も冷たい。真冬のような気候だ。冷たい雨の寒い日だ。全然進まない行列は・・・・・。冷雨にされされたまま、じっと列が進むのを待つ。

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 列はジリジリ進んだ。
 ↓ 自分達の列の後ろを振り返った。

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 やがて進んで、列は漁港など近くにある「ポートマーケット」の駐車場付近に・・・・。ポートマーケットの前も行列。列は途中でふたつに分かれた。私達は一方の列に。

 正面に「hello Lodge」 の文字。ロッジがあるようだ。 ↓

 30分並んでもまだ、記念館三笠も見えない地点だよ。 並んでいると「ハロー ロッジ」という意味ありげな文字がある建物が目に入った。何のためのロッジでしょうか。ただの宿舎とは思えません。ここは、マンションの前である。この建物の前でまたまたずっと並んだまま、なかなか進まない。

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 更にジリジリ進む。横須賀学院のそばの細長い場所が「三笠公園」。やっと到達したと思ったら、ここで先に分かれた行列と合流している。私達の並んだ列と比較してどちらが、進み方がはやかったのかは、分からない。
 このページの上の画像がまさにもう一列の行列と合流する地点の様子なのだ。

 公園内にはコーンが出ていて、列を折り返すことが出来るようになっている。猿島り渡船場、三笠公園の前を行列で並びながら進む。三笠前の広場に入る。三笠前の公園では、赤いプラコ-ンの間の列をジクザグに進む。 
 

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 三笠前の公園のトイレは女性用が行列。
 既に出て来ている見学者もいる。手には大きなピザの箱を持っている。以前、聞いたことがある(テレピで見たのかも。)。米軍横須賀基地の中の「ピザが名物である。」と。知っている人は、基地に朝一番で入って、ピザのみ買って帰るのであろう。
 

 公園の敷地内で手荷物検査がある。セキュリティチェックを行うテントがある。身分証明書の提示は、外国人のみで日本国籍所持者は提示の必要無しだった。ただ、建前では公的身分証明書の提示が必要とのことだったが実際には検査していなかった。検査は専用のテントがあり、迷彩服の米兵がいる。証明書はヌキウチでチェックするのだろうか?。

 ゲートを通過するが、ピーと鳴る。感度を上げているようだ。空港では鳴らない私の身体ではあるが・・・・・・・。引っかかったのは、クルマのカギか、ベルトか・・・・・・・。 ゲートを抜けたところで、日本人の検査員「ベルトですかね。」とやさしく言って、円盤状のハンディ機械で検査するでもなく、そのまま進ませてくれた。付近でも「ピーピー」と結構鳴っている・・・・。空港よりも感度を上げている。鳴った人もハンド検査機では、私が付近を見た限りでは検査していなかった。ただし、怪しい人は別であろうが、私は怪しくなかったのかな??(笑)。


 ↓ セキュリティゲートを抜けたところ。ゲートを抜けると行列は無い。そのまま、基地の入口へ歩く。
  なお、テントではポップコーンは売っていない。黄色い屋根のテントなのでポップコーン屋のように見えてしまった。

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 基地のゲートには11時50分頃入る。1時間半も並んだよ・・・・・。
 入口は公園脇の通路のような目立たない所だ。門も金属製のフェンスがあるのみの通用口のような所。ただし、フェンスは二重になっていて海沿いにもフェンスが張り出していて、不審者の侵入を防止している。


 「艦船見学の整理券の配布は終了しています。」と公園内では時折アナウンスをしていた。「イージス艦船」見学の整理券朝9時からの配布であったのでとっくに終わったろう。整理券入手のためには8時前には並ぶ必要があったろう。三笠公園の近くに車を停めることが出来れば近かったのだろうが、到着が遅くなったので仕方ないか・・・・。
 なお、私が並んだ時は、心配された周辺道路は渋滞まではしていなかった。

 公園内。基地の入口へ。↓

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 兵士は迷彩服を着た米兵がいる。犬を連れていて数名でゲート付近を警戒している。アーミーのようにグリーンの迷彩服ではなく、紺のような迷彩服。ネイビーの海の色と同化する迷彩用の色彩であろうか。




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 横長の公開エリア。 突端に向かって歩く。公開エリアの告知がでている。パンフレットなどの配布はない。
  案内図が出ている。

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 「Navy Credit Union 」の看板がある建物も敷地内にある。
 立入禁止エリアの前では迷彩服の兵士がいるが、兵士達はヒーロー ヒロイン扱いで一緒に記念撮影に応じていたり、大柄の黒人兵士にサインを書いてもらっていたり。
 
 雨が強くなってきた。 兵士は傘はささない。帽子をかぶって歩き、濡れているのに、服がぬれることをを気にする様子もない。「雨で傘をさす。」のは、日本人くらいというのは本当だった。
 女性兵士もいる。小柄な女性もいるし大柄な女性兵士もいる。


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遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞3(最終) 2018年2月

 遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞3(最終) 2018年2月

 藤沢市にある時宗の総本山「遊行寺」、正式には「清浄光寺」の宝物館にやって来た。
 国の重要文化財で、有名な絹本著色「後醍醐天皇御像」は室内の一番突き当り奥のガラスケース内に展示されていた。
 展示室内では、僧侶の方がある見学者に個別に説明していた。私も少しばかり聞き耳をたてて見学した。やはり、展示品には作品名しか書いていないものも多いので説明は少しでも聞いた方が理解できるから。
 
 続いて順路に沿って平ガラスケースを見ていく。
 後醍醐天皇の直筆の文書の展示があった。といっても手紙のようにたくさん文字は書いていない。色紙に何かを書いたもの。書いてある内容は分からない。ご親筆であるが文化財指定は無い。
 「徒然草」や飛鳥井雅俊筆の「伊勢物語」、冷泉為和筆の「古今和歌集」の本が展示してある。展示品の横に作品名表示はあるが、解説文がないものもあるので、内容は分からない。説明の声が聞こえるが「飛鳥井家と関係が深く、飛鳥井家のものが(遊行寺に)奉納されている。」と。関東のお寺と京都の堂上公卿の間に密接な関係があったことが推測される。
 ↓特別展「遊行寺の逸品」のチラシの拡大。
  冷泉為和筆の「古今和歌集」の画像がある。

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↓特別展「遊行寺の逸品」のチラシの拡大。
 ガラスケース内に展示のあった古今伝授神壇図の画像がある。
 人物の付近に儀式の道具などの配置や儀式の方法?などが表現されている。
 展示によると遊行寺は密教と密接な関係があったので「灌頂」に関する儀式の図かと思ったが違うようだ。
 同じく展示されていた書籍の画像もある。

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 ガラスケース内の展示品を説明しながら僧侶の方は「歴史の教科書で知っている人の直筆の手紙があるのはすごいこと。」と言っている。武田信玄の書状がある。確かに末尾に「信玄」とかいている。内容は、「相模 ××と 俣野の間、××貫を預ける・・・・。」とあった。土地の権利を認めたものである。「俣野」は現在、戸塚区から藤沢にもある地名である。信玄はこの付近も支配していたのか、小田原市の北条を攻めたときに、滞在し、この付近の領地について差配したのかな。「預ける」という文字があるが、「与える」「知行する」という意味と同じことなのか分からない。その後、武田のこの文書がずっと有効であっかもわからない・・・。
 足利義昭の手紙がある。何かのお礼の手紙であった。時代は、信長の頃である。なぜ、遊行寺にあるのかは不明だ。そのとなりの展示品は足利義澄のもの。義澄って誰、と思ったが、11代の将軍だった。今川義元の手紙もある。和紙に大きく文字がかいてある。ただ、署名のところには「義元」とは書いていないような。「源・・」と書いてあったかは、忘れた。花押以外が直筆であるかは、分からない。
 
 藤沢市指定文化財「一遍上人縁起絵」の展示がある。国宝「一遍上人絵伝」の新しいバージョンのような巻物。江戸時代の写本かな、と思うくらい彩色が鮮やかだ。しかし、室町時代の作品である。国宝の絵伝にもシーンがあるが、一遍の生まれた伊予の一の宮「大山祇神社」の境内の場面かなと思ったが、紀伊の国の「熊野本宮大社」に参詣する一遍の様子の場面の展示であった。現在は、本宮大社は山の斜面に移転しているが、かつては川の中州にあったので、この巻物で描かれているとおり平地にあったのだ。

 ↓特別展「遊行寺の逸品」のチラシの拡大。熊野本宮大社の様子。 
 
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 ↓ 2018年2月、今回訪問時の遊行寺の本堂と境内の様子。
 買い物をした主婦らしき年配の女性が大根などをビニール袋に入れて、手に持って境内を通り抜けて自宅方向へ歩いて行っていた。買い物帰りの近道かな。境内が。

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遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞2 2018年2月

 遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞2 2018年2月

 藤沢市にある時宗の総本山「遊行寺」、正式には「清浄光寺」の宝物館にやって来た。
 展示ガラスケースに沿って順路が示されているので、それに従って見ていく。県指定の文化財「一遍上人像」と国の重要文化財指定の描け軸になっている肖像画がある。
 県指定の文化財「一遍上人像」はあの色黒で粗末な衣をまとった祈りをする?上人の姿。もう1点の国指定の重要文化財指定は「一向上人像」である。一遍ではない。解説が無いので分からないが、一向上人は一遍の弟子?にあたる人物で、初期の時宗の教団の高僧であろうか。藤沢市指定の文化財の肖像画も隣接して展示されている。
 順番に展示を見ていく。描け軸の画像などであるが、「熊野信仰」に関するものが何点かある。熊野信仰は平安後期が最盛期だった??と思うので、鎌倉時代から南北朝の時宗が成立したときにも盛んであったのだろう。現在は熊野古道として世界遺産にも指定されていて、知名度も高い。私も訪れたことがあるので、なじみ深い。
 国の重要文化財 絹本著色「後醍醐天皇御像」は室内の一番突き当り奥のガラスケース内に展示されていた。歴史資料集でも見たことがいる肖像画である。改めて「本当にここにあったんだ。」と思った。日本で義務教育を受けたことがある人ならば、ほとんどんの人は、この写真は見たことがあるのではないか。
 と、隣に紙本著色「後醍醐天皇御像」の展示がある。紙に描かれた肖像画なので、ややインパクトが弱い感じがあるし、彩色が新しいので、後世の制作である。解説文が掲示してあり、新発見された「後醍醐天皇御像」であるとのこと。 国の重要文化財 絹本著色「後醍醐天皇御像」を写したものであるそうだ。そういえば、時期は忘れたが、以前新聞で記事を読んだことがあるような。
 実物を初めて見たのだが、絹本著色「後醍醐天皇御像」は歴史資料集では拡大の画像しか使用されていないことが、分かった。天皇の御像の上には文字が書かれている。縦書きで神仏の名称が書かれているのだ。みっつ書かれている。真ん中には「天照皇大神」とある。左右に「八幡大菩薩」と「春日大明神」と大きく書いてある。天皇の肖像であるので、「天照皇大神」と天皇の真上に書いているのだろうか。神仏の加護を祈った肖像のように感じた。隣の紙本著色「後醍醐天皇御像」(文化財の指定なし。新発見のもの。)は、「八幡大菩薩」と「春日大明神」が重文指定と比較して、文字の左右の配置が異なっている・・・・。右に「春日大明神」、左に「八幡大菩薩」と全く左右が逆になっているのだ・・・・。模写であるから深い意味はないのかな・・・。解説文にも書いていないし。壁面に展示されているこのふたつの肖像画の手前には由来を示す寺の巻物文書が展示されている。絹本著色「後醍醐天皇御像」がなぜ遊行寺にあるのかその経緯が書いてあるらしい。

 私が、ふたつの「後醍醐天皇御像」を見比べていると、青い作務衣をきた僧侶の方が、スーツ姿の男性2人をつれて室内を早足で歩いて、一番奥の「後醍醐天皇御像」の前までやってきた。僧侶の方解説がはじまった。
 二人の訪問者のために話を始めたのであるが、ついでと思い私も聞き耳を立てた。話の内容は「元々、天皇像として描かれたものではなかった。」というような説明に聞こえた。本当だろうか?。真偽の程は分からない。私の聞き違いかな。説明では「後醍醐天皇の崩御の後、35日の法要のために制作された。」そうだ。私が思った通り密教の法具を持っているし、「天照皇大神」の神号をかいてあるし「信仰対象の「曼荼羅である。」と。文観(もんがん)が奉納したそうで、御像に目を書き入れしたのも文観だそう。天皇のお姿の冠の上の丸は、やはり太陽で大日。」と。「大日如来」を現しているのだ。
 更に僧侶の方はスーツ姿の男に説明を続ける。「(展示ケース内の文書を差しながら)この絵の由来がかいてある。(紙本の「後醍醐天皇御像」)は、私が見つけた。描いた日付までわかってしまっている。(現在重文の「後醍醐天皇御像」)近くにおいて写した。よってほぼ同じ大きさてで絵の輪郭も重なる。(「春日大明神」と「八幡大菩薩」の文字の)左右が入れ替わっている点はわからない。ウィキ(ペディア)では、古いくすんだ画像がのっている。昭和59年ころに修復して顔の部分のなどが鮮明になった。(ウィキに掲載されている)画像は、修復前(のもの)らしい。極めて重要な作品で、(現在は)国の重要文化財であるが国宝に近い作品。」とお話があった。
 説明を受けていた男性が質問する。「模写はどこで見つかったのですか?。お寺の倉庫の中にあったのですか?。」などと僧侶の方に聞いている。
 写した紙本の「後醍醐天皇御像」は「(天皇の衣の)袖に龍紋がある。制作当時のことがわかる資料だ。(天皇の)口は省略されて描かれているが、ほぼ忠実に写されている。・・・」とのお話が聞こえた。

 男性2人と僧侶の方は、別の展示物の前に移動した。改めて「後醍醐天皇御像」を鑑賞する。重文指定の作品の天皇のお口は、よーく見ると黒い。歯に鉄漿(おはぐろ)をしているのだ。写真で見ただけでは、あまり気づかない。実物を見たから判るのかも。
 「龍紋」については私もよく理解できなかった・・・。天皇のみが使用を許されたのが「龍」の紋のある衣なのであろう。天皇の御座の手前の獅子2体も目を引く。歴史資料集には、省略されてしまう部分である。実物を見たので分かった。確かに信仰対象のための御像であると感じた。

 紙本の「後醍醐天皇御像」については制作年は作品を見た限りでは書いていない。どこかに書いてあるので制作年が判明したのだろう。肖像画の手前の由来を示す寺の巻物文書には確かに「文観」の名がある。制作後、ここ遊行寺に納められて、今日(こんにち)まで伝わっているようだ。
 続いて、付近の平ガラスケースなどを見る。

  
 ↓ 2018年2月、今回訪問時撮影の遊行寺宝物館。
   絹本著色「後醍醐天皇御像」の拡大写真がポスターになっている。

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 特別展ポスターの拡大。
 国指定 重要文化財指定 「一向上人像」の画像がある。

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遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞1 2018年2月

 遊行寺宝物館 特別展「遊行寺の逸品」 鑑賞1 2018年2月

 藤沢市にある時宗の総本山、正式には「清浄光寺」(一般的には「遊行寺」と呼ばれている)にやって来た。
 久々の「地元ネタ」。積極的に掲載していかねば(笑)。あっ、昨年11月の鎌倉国宝館「足利持氏展」の記事も詳細掲載しているぞ

 今回の企画(特別)展の目玉は、重要文化財「後醍醐天皇像」。教科書、歴史資料集などでその画像が必ずといってよいほど掲載されている肖像画である。 その「後醍醐天皇像」が藤沢の遊行寺にあるというのだ。知ったのは最近のこと、というより昨年の春先だったか、遊行寺のウェブサイトで見たか、掲示してあるポスターで見たのどっちか。1月1日の初もうでから2月中旬にかけて開催された企画展で、展示されていることを知った。ポスターの写真も「後醍醐天皇像」の拡大一部画像が掲載されていたので。
 教科書や歴史資料集に掲載されている「後醍醐天皇像」には「清浄光寺蔵」と必ず記載されているであろう。だから、「清浄光寺蔵」とこの肖像画の画像を見たときは認知していたのだろうが、いざ企画展の告知を見ると「いや~、知らなかったよ。でも、なぜ後醍醐天皇ゆかりの吉野(奈良県)や京の都にある寺院ではなく、京から遠くはなれた、しかも天皇が悲願の打倒を果たした鎌倉幕府の所在地近くのお寺にあるのか?。」と率直に思った。
 しかし昨年は、なぜか見学に行かなかった・・・・・。重要文化財「後醍醐天皇像」はのみがしてしまった訳だが、今年になってからも特別展「遊行寺の逸品」というタイトルで公開されていた。特別展のポスターは、昨年と同じく重要文化財「後醍醐天皇像」の拡大写真が掲載されている。特別展は1月1日から2月12日までである。
 初詣のついでに来ると、又は毎年1月2日と3日に開催される箱根駅伝の観戦のついでに来ようと思ったが、結局実行せず。しかし、今年こそは見逃すまい、と会期終了の間際に遊行寺宝物館にやって来た次第だ

 本当は「初もうで+箱根駅伝観戦」を兼ねてくるのがよいのですけどね。国道1号線の「藤沢橋」の交差点、箱根駅伝の中継においては「遊行寺前」付近で観戦がよいのではないか。特に箱根駅伝の「遊行寺前」はタイムのチェックポイントでテレビに映ることが多い。よって、沿道で観戦をしていれば、テレビに映る可能性が高い。
 前回は宝物館のリニューアルオープンを記念して「一遍上人絵巻 全巻公開」と銘を打たれた展覧会に2015年の11月と12月の2回来た。

 重要文化財「後醍醐天皇像」。天皇の冠の上には、赤い球体が描かれている。「日の丸」を思わせる真っ赤な日輪である。そして天皇は手に「三鈷杵」など密教の法具をお持ちになられている。密教の儀式の様子を描いたお姿なのだ。密教といえば、高野山か比叡山であろう。何故、時宗の総本山、関東の地、藤沢の清浄光寺にあるのか、ますます分からなくなってきた・・・・。近年、藤沢など東海道線沿線地域も東京、横浜の通勤圏内にあるベットタウンとして住宅化が著しい。だから、私も元々神奈川出身とはいえ、居を定めて住んでいるのだ。近隣に住んでいても、遊行寺にはなかなかやって来る機会は無いなあ。
 とある最終日にも近い休日、急いで特別展「遊行寺の逸品」の見学に行った。1階のチケット売り場で購入する。入館料500円である。展示室は二階。改めて展示室の中に入ってみる。2年前のリニューアルオープンのときと展示室内の様子は変わっていない。
 室内は会期末近くのためか、思ったよりも入館者がいる。室内には私以外で6名くらいだろうか。私よりも若いくらいの年齢の男女もいる。途中から、20歳台~30歳台前半と思われる男性も1人でやってきたし、60歳くらいの夫婦らしき男女もいたり、60歳~80歳くらいの年配者ばかりと思ったが、意外にも平均年齢は高くない。
 展示室に入ってすぐのところにある空也の小さい象はそのままだった。文化財指定は無いが、室町時代の木像である。前回同様一遍と空也の関係は、展示されているこの木像を見ただけでは分からない。「なぜ、時宗に空也なのか?。」と思ってしまう。
 室内の壁には一遍上人と遊行寺の年表が掲示してあるのも同じだった。前回訪問時にもあった。
 改めて年表を見てみると、一遍上人は「伊予の国の生まれ。」とある。「そうだったな。」と思い出した。伊予もルーツのひとつある私自身にとっても身近に感じる

  
 ↓ 2015年11月に訪問時撮影の遊行寺宝物館。展示室は二階でした。中に入ってみるとさほど広くありません。 宝物館に入るのは3回目である。「一遍上人絵巻」の特別公開のときに2回来たことがある。

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↓ 今回訪問時の宝物館。寒い日であった。「真冬の快晴」であった。

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「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」 鎌倉国宝館 鑑賞5

 2017年11月 没後650年記念特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」 鎌倉国宝館 鑑賞5
 

 静寂の展示室内である。 第3章 「鎌倉公方と鎌倉の寺社」を見ていく。

 ・「鎌倉府侍所禁制(覚園寺文書)」
  うーん、鎌倉幕府の「サムライ所」と最初は誤解してしまったが、幕府滅亡後、足利幕府の「鎌倉府」の禁制。鎌倉府も「侍所」という組織を鎌倉幕府から引き継いだのでしょうか?。足利氏の鎌倉公方の政治を司るところかな。
 ・「足利尊氏御判御教書(覚園寺文書)」「当寺仏殿〇〇銘位〇事・・・件」が本文で、「文和三年十二月八日 田香氏」と書いてある。末尾に尊氏の花押がある。更に宛名を書いている。「覚園寺長老」と。覚園寺の(今でいう)住職にあてた文書である。
 仏殿を再建?することについての文書(御教書)らしい。仏殿に滞留し、師範をするよう命じている。覚園寺長老とは.「朴がい思淳」(ぼくがい しじゅん)というお坊さんである。
  (「がい」の文字が出ない・・・・のでひらがな表記しておく。)

 この文書は注目ですよ!!。「田香氏」とは足利「尊氏」のことですよ。「高氏」「尊氏」以外にも優雅に「田香氏」と名乗っていたのですよ。最初は「でんこう」という家の人のことかと思ったが音読みしてハッとした。ただ、こうした異音?読みは昔から当たり前だったのかな?。
 同じく覚園寺長老に宛てた別の文書もあり、覚園寺長老「思淳」(しじゅん)師に「××事・・・丁寧に・・・・」と祈祷に関することを命じているらしい。

 上記の「足利尊氏御判御教書(覚園寺文書)」とは別の場所、出入り口に近い壁沿いのガラスケースに尊氏の筆になるという「地蔵菩薩像」が展示してある。縦長の、描け軸になっている。文字が書いてあり、下にお地蔵さんの絵がある。展示リストによると第2章の展示品である。
 文字は尊氏の直筆ということだろう。上手ではないが、丁寧に筆で書いてある。(筆で書くのは当たり前だが・・・。)ただし、達筆ではない。本当に尊氏はこのような文字を書いたのだろうか。下には「尊氏+花押」がある。歴史教科書と同じ「尊氏」と書いてある。花押は、間違いない、「田香氏」と書いた「足利尊氏御判御教書(覚園寺文書)」と同一である。素人目にも同一人のサインした花押と判るぞ!。
 地蔵菩薩像は西暦でいうと1349年のもの。。「田香氏」と名前を書いた御教書は西暦1354=文和三年のもの。「田香氏」の署名の方が年長になってからのものだ。なぜ、あて字をしたのかは分からない。説明も無かったと思う。

↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」の看板。
  左端の文書の写真、浄光明寺の敷地絵図の上には「田香氏」と名前の入った御教書の画像がある。

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 第4章 「鎌倉に残る基氏の記憶」
 この特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」のメイン展示は「1章」に集中しているため、軽く見ていく。展示室の中心付近の展示ケース内に少しばかりある。
 江戸時代以降の鎌倉の絵図がある。以前も写真などで見たことがあるかもしれない絵図だ。寺院と農村に帰した田園の??鎌倉である。
 基氏の位牌も展示してあった。「瑞泉寺殿・・・」と戒名が彫られている。「院号」でない。「寺号」である。江戸時代以降だと、このような戒名は「瑞泉院殿」と院がつくのだろうが、位牌の文字は「瑞泉寺殿・・・」である。この位牌自体、展示目録によると江戸時代18世紀のものなので、何らかのときにつくられたのだろう。所蔵は「称名寺」となっている。あの金沢文庫に隣接するお寺だ。瑞泉寺ではない。

 今回、瑞泉寺所蔵の文化財が多数展示されていた。基氏の菩提寺であったのですね。全く、基氏と瑞泉寺の関係について理解していませんでした・・・・(苦笑)。そして、瑞泉寺がどこにあるのか、知らないのです。行ったことも無い・・・・
 3章と4章の展示は、ほぼ同じ展示ケース内にあるので、区別がつかない・・・。順路もごちゃごちゃになってしまうので・・・。
 館内はすいている。私のあとから入場してきた女性が1人いたが、先に出て行ってしまった。更にあとから入館してきた男性1人がいた。私は退出して、帰途につきました。
 帰宅した後、地図や自宅にある鎌倉のガイドブックなどで瑞泉寺の位置を確認した。拝観もできるそうだ。鎌倉時代の作になる庭園があることが分かった。
  今回の特別展のタイトルの一部には「東国の王」とある。鎌倉公方は、足利家の分家でまさに東国の王だったりですね。

 (鑑賞記 おしまい。)



「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」 鎌倉国宝館 鑑賞4

 2017年11月 没後650年記念特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」 鎌倉国宝館 鑑賞4
 
 第2章「鎌倉公方と禅宗寺院」 を続けて見ていく。次いで

 第3章 「鎌倉公方と鎌倉の寺社」の展示に続く。
 第2章と第3章の展示はほぼ似ていて、同じ場所に展示されていて、区別はつきにくいが。
 上総国の土地の争いに関する文書の展示があった。上総の国の湯井郷の土地で争いが発生していたらしい。現在の千葉県の房総半島の付け根付近の台地の谷間の肥沃な土地(現在ではすいかの名産地となっているが。)か、九十九里浜に面した地域かな。それとも市原、茂原の辺りかな?。

 「足利基氏御判御教書」、基氏の名前と花押のある文書で年号は貞治二年(西暦では1363年と説明にある。)の二月二十七日(実際の文字は「廿」と墨書している。)の日付だ。「光明寺」文書である。
 「上総国湯井郷事~」と書いてある。宛先は「光明寺長老」となっている。湯井郷はある御家人が勝手に??支配してしまっているが、この文書によって光明寺の領有を認めたのであった。

 尊氏と基氏親子の御教書が描け軸になっていて、連続している展示品があった。「浄光明時文書」である。後世の人が、二人の御教書をありがたや、と軸装したのであろうか?。
 末尾に尊氏の名前と花押のある文書では宛名は「千葉介殿」となっている。
 末尾に子の鎌倉公方、基氏の名前と花押のある文書では年号は 貞治三年(西暦では1364年と説明にある。)四月十六日の日付があり宛名は「伊予守殿」となっている。
 湯井郷の押領をやめさせ、尊氏の御教書の通り、寺の雑掌を渡せという意味だそう。(私の誤解かもいれないが。)
 上記した貞治二年(西暦では1363年)の基氏花押のある御判御教書と「対」になっているそう。同二年(つまり前年のこと。)の御教書に従って、土地は覚園寺に渡しなさい、という命令であった。なかなか、引き渡しをしなかったのですね。あわよくば、そのまましれーっと自分のモノにしようとしていたことがミエミエ!?。

↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」のパンフレットから。
 「光明寺」文書の写真。「湯井郷」のことが書いてある。鎌倉市指定文化財である。

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 第3章 「鎌倉公方と鎌倉の寺社」の展示で重要文化財指定の「浄光明寺敷地絵図」がある。昔のお寺の伽藍配置図である。簡単に墨で和紙に書いてある文書、絵図にしか見えなかったのだ・・・。
 同じく第2章の展示では「明月院」の昔の絵図の展示があった。明月院は「あじさい寺」として有名だし、先の6月に行ったことがあるので、明月院の絵図に見入ってしまったが、「浄光明寺敷地絵図」は特別展のパンフレットにも掲載があるので重要な絵図らしいとあとから、気付いた・・・・。
 明月院は元々「禅興寺」というお寺の塔頭だったと説明にある。読んで字の如く禅宗の振興のための信仰篤き寺であったのだろう。現在の北鎌倉の山の付近、北鎌倉駅から見て建長寺の手前に広大な伽藍を構える寺院であったのだろうか?。

 、「浄光明寺敷地絵図」に描かれていた「浄光明寺」も鎌倉公方 足利家にゆかりの深い寺のようだ。瑞泉寺と並んで重要なお寺だったので、文書が残されているのであろう。今まで、知らなかった・・・今まで知らなかったお寺にも、実はかなり重要な歴史資料が遺されていると改めて気づいた・・・・・。

 「浄光明寺」と「光明寺」とふたつのお寺の文書が展示されている。同じお寺かとおもいきや、違うらしい。展示室内では両寺の違いについて詳しい説明は無かったと記憶する。(説明文はあったが、私が忘れてしまっただけかも・・・。)

↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」の看板。
  左端の文書の写真、実は文字ではなく浄光明寺の敷地絵図である。

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「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」 鎌倉国宝館 鑑賞3

 2017年11月 没後650年記念特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」 鎌倉国宝館 鑑賞3
 

  ↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」の看板。
 足利基氏の坐像や国宝「上杉家文書」など展示される文書の画像が掲載されている。


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 鎌倉公方足利基氏の御教書に続いて、展示ガラスケース内には、「足利家文書」 米沢市上杉博物館所蔵の展示があった。文書の国宝一括指定のため、点数は膨大なものであろう。よって、1枚1枚文書を読み込むとは不可能だ。文書がまとめて国宝指定されている点は、金沢文庫で保管されている称名寺聖教の文書群と同じであろう。ただし、称名寺聖教が国宝指定されたのは、昨年か一昨年だったと記憶するので「上杉家文書」の国宝指定はもっと以前のことだろう。
 国宝の文書の傍らには重要文化財の「上杉重房坐像」が展示してあった。鎌倉公方を補佐したのが関東管領上杉氏。よって、「上杉重房」の木像が特別展のスペースに(平常展示から)移動して展示されているのだと理解した。
 今回の特別展の目玉はこの国宝だろう。うち2点のみが今回展示されている。前期は11/12(日)まで、後期は12/3(日曜)までとなっていて、2点ずつ展示替えされるようだ。私が見たのは前期の展示品だ。
 国宝文書の1点目は「足利直義書状」
 「若御前が鎌倉へ下る・・・。」ような内容。「六月二十日 民部? 大輔 」と書いてあるような・・・。日付は「二十」ではなく「廿」文字。昔の文書は皆そうなのかも知れないが、京都国立博の特別展「国宝」にて展示のあった文書などの日付も同様の書き方であった。「民部? 大輔」は尊氏のことか、直義のことか忘れた・・・・。
 解説によると「若御前は」尊氏の嫡子「義詮」のこと。京にいた尊氏は、子の義詮をかつての幕府所在地であった、鎌倉に送り込んで自分の代理として東国支配の拠点としたのだ。 

 ↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」のパンフレットから。
   国宝上杉家文書のうち「足利直義書状」ではなく後期展示の「基氏文書」の画像が掲載されていた。
  

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 続いて 国宝上杉家文書のうち「足利基氏御判御教書」の展示がある。建武の新政の時代から下って西暦でいうと1366年のこと。鎌倉の幕府が滅亡してから30年以上経過した後の文書。すっかり足利の天下となっていたのでしょうか。南北朝に分かれていた時代ではあったが。
 内容は「武蔵国 六浦・・・・事・・・補也 ・・・ 件、貞治五年十月十六日  基氏 花押  上椙×部少輔殿」と書いてある。解説によると「六浦本郷の支配を認めた文書」だそう。そのまんま、現在の横浜市金沢区六浦付近の土地の支配を認められたのだ。よーく見ると今日使用される「上杉」の文字ではないのだ。「椙」である。名古屋に「椙山学園」という学校があるが、同じ「椙」を用いている。椙山を私は「しょうざん」と読んでいたが、実際は「すぎやま」と読むのだ・・・・。
 文書の宛先の「×部少輔」は当時の上杉家の人物の官位だったのだ。だから、現在に至るまで(旧米沢藩主)上杉家に保管されていたのだ。
 ガラスケース内の壁面には「足利尊氏公家譜」の展示がある。江戸時代のもので尊氏や江戸時代の喜連川家の当主、喜連川尊信までの花押の写しを記載した文書である。歴代の足利家の人物の名前の横に花押の見本が記載されている。

 ↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」のパンフレットから。
    「実際に展示されていた文書」の画像もある。

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 展示の第2章に。第1章が国宝の展示もあって導入部の展示ではあるが、実はメインである。
 「鎌倉公方と禅宗寺院」 を見ていく。
 瑞泉寺所蔵の夢窓疎石の座った姿の木像の展示がある。重要文化財指定で、4尺はあろうかという大きな像であった。足利基氏らの小さい木造とは違う。同じく瑞泉寺所蔵で
 夢窓疎石はいうまでも無く、京都 天龍寺の開基として知られるし、基氏の父、尊氏と深い関係にあった僧だ。その縁で展示されているのでしょう。

↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」のパンフレットから。
 夢窓疎石の木像の画像の掲載がある。

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↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」のパンフレットから。

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「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」 鎌倉国宝館 鑑賞2

 2017年11月 没後650年記念特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」 鎌倉国宝館 鑑賞2
 

 常設展示(平常展示)から見ていく。平日なのですいている。私以外、展示室内には主婦らしき40歳くらいの私服の女性がひとり見ているだけ。展示室内はシンとしていて静かだ。
 平常展示スペースの端、受付の部屋の裏手には 重要文化財指定の 「木造須弥壇 建長寺所蔵」が展示してある。こちらも以前来た時から展示してあった。昔は仏像を安置していたのだろう。室内の中央にある受付の部屋には係員の女性(2人ともに60歳前後かな)が二人いるようだ。小窓がついているので室内の様子がうしろから.判る。室内の看視カメラのモニターが受付のカウンターの手元にあるようだ。よって、私ら見学者の様子がまる判りなのであろう・・・。展示室内があまりにシンとしているので受付の女性2人の話し声というか、何か雑談をしているな、というかすかな声というか声の振動が俺の耳にまで聞こえてくるのだ・・・・。何か気になるなあ~。黙っていることは出来ないのかな??、と思いつつ順番に見学する。平日のすいているときは、話声の気配まで聞こえてくる、伝わってくるので、静かにしていてくれよ・・・!。鎌倉国宝館の受付のおばちゃんは(苦笑)。
 
 ↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」のパンフレットから。足利基氏の坐像と絵画が掲載されている。

 特別展の 第1章「足利基氏とその一族」
 基氏の木造の坐像が最初の展示作品であった。鎌倉 瑞泉寺の所蔵。ただし、瑞泉寺がどこにあるかは、知りません・・・・・・し、行ったとこは無い(苦笑)。1尺くらいの小ぶりな像だ。パンフレツトにも画像が掲載されているが、白いお顔が目立つ。お公家様の姿で正装して白粉(おしろい)を塗ったのかな。

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 基氏の木像、肖像画の展示がある。展示リストには「伝足利基氏像」とある。続いてかけ軸のようになっている肖像の展示がある。展示リストには「伝足利基氏像」とある。解説には「基氏は28歳で没したのであるが、年をとった姿である・・・」というような文章が書いてあった。制作は江戸時代となっているし、「伝」の肖像なので基氏と確証はないのであろう。作者は基氏ということにして、テキトーに描いたと思う。「昔の武将だから、年をとっているだろう。こんな感じかな~。ヒゲを入れて・・・」と。ホントだとしたら、マジ、テキトーだなぁ(苦笑)。
 そうか、基氏はわずか28歳の若さで没したのか。ところで「足利基氏って誰?。」すっかり忘れていたぞ。室町幕府に「鎌倉府」と「鎌倉公方」が置かれたことは覚えているが、公方様の名前までは覚えていない・・・。基氏は、二代目くらいの鎌倉公方かな、つまり尊氏の甥・・、程度に軽く考えていた。ということは「初代 鎌倉公方は尊氏の弟(直義か直義とは別の弟がいて・・・。)」と誤解していたのだ。オレは・・・・(苦笑)。
 展示室内の解説にも「足利基氏は、尊氏の四男?で・・・。」と何男だかは忘れたが尊氏の子であると書いてあった。
 兄の足利義詮の坐像もあった。小さい木造だ。解説には「2代将軍の義詮は、基氏の同母兄で・・・。」と書いてある。よって、同じ母の兄弟なので親しかったと推定される。父尊氏と叔父直義はのちに仲たがいしたと思うが・・・。

 父、尊氏の坐像もあった。栃木県喜連川のお寺の所蔵。さくら市指定の文化財となっている。今回の特別展で貸与展示されている。鎌倉公方 足利氏の末裔は、江戸時代に喜連川の領主として存続したので、ゆかりの品が喜連川(平成の合併以後はさくら市)に伝わっているのだ。
 ガラスケース内の壁面には重要文化財指定「足利尊氏願文」の展示がある。軸装されている。描け軸のように表装されていたと思う。あの「常磐山文庫」の所蔵だ。同文庫の所蔵する国宝の書跡2点は京都にて、残りの1点を鑑賞コンプリートしたのが、ついこの前のこと(笑)。
 書いてある文字はよく分からないが、なにかを祈願しているというよりも手紙のような感じ。末尾に「八月一九日」の日付と花押がある。「尊氏」の字も判る。

 展示を見ていくと3番目の木像の展示として「足利氏満」の木像もある。同じく鎌倉の瑞泉寺の所蔵。解説によると氏満は「基氏の子で、9歳で基氏のあとをついで鎌倉公方となった・・・。」とある。28歳で没したときに子の氏満は9歳。満でいうと7歳かな。二代目にしていきなり、幼君。大変だなあ・・・。よくよく考えると「満」の字は、足利本家の将軍 義満の片諱を拝領している。(考えなくても、義満から貰っていることは容易に推定できるが。)
 
 続いて国宝「上杉家文書」の展示があった。傍らには重要文化財の「上杉重房像」が展示してある。平常展示に以前はずっと展示されていた筈だ。歴史資料集にも写真が掲載されることのある有名な木造だ。今回は「上杉関連」で特別展のスペースに移動していました(笑)。
 上杉家は、足利尊氏の母の実家であり、関東管領として鎌倉公方を補佐したそうだ。関東管領というと関東地方のトップという感じがするが、鎌倉公方様の家臣ということでしょうか。

 ↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」のパンフレットから。
   重要文化財「上杉重房坐像」の画像もある。

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  その後「鎌倉公方関連」では、京のみやこの足利将軍とも含めて、関東でも結構戦乱とかありましたよね~、鎌倉から別のところに公方が移ったり・・・、と見学しながら軽く考えて流すオレ・・・・・。
 ガラスケースの下側に展示されている国宝「上杉家文書」を読む。

↓ 特別展「鎌倉公方足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社」のパンフレットから。
 氏満の木像の画像の掲載がある。「基氏像」と似ている。親子だから似せて制作したのかな。

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