良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

長野県

 

国宝 可翁筆「寒山図」公開 特別企画展「禅宗と茶の湯の美」 サンリツ服部美術館 見学3

 2016年7月17日 日曜日 
 
  長野県、諏訪湖畔にあるサンリツ服部美術館の特別企画展「禅宗と茶の湯の美」。国宝の可翁筆「寒山図」が特別公開されている。 

  可翁筆「寒山図」の修復の模様が、写真パネルで解説されていた。展示室のガラスケースとは反対側の壁に掲示されている。作品の裏打ちの紙をはがして、新しい裏紙を貼り付けしている。作業をしている様子の写真がある。若い女性が作業をしている様子が写っている。筆を使って、表面の汚れを落としていっている。作品の表面も修復前は、どこか黒ずんで、水墨の輪郭が分からなくなっているが、修復後は輪郭線がはっきりとしている。
 寒山のお顔の横も以前は、赤っぽい複数の線のような汚れがあったように見えるが、修復後はきれいに落ちて、画面がすっきりしている。数年間はかかったであろう、修復を経て今回の「初公開」となったことが分かった。
 修復は所蔵者が支出し、国も補助金を支出しているのだろうが、いくらかかったのか、企業や個人の寄付金を募って修復したのか、修復機関はどこであったのか、何人で修復を担当したのか、までは解説が無かった。
 このたびの「特別出品」はある日突然、「初公開」と称して行われたような感じなので、尚更謎を呼ぶ。

 可翁筆「寒山図」の真正面の壁側に看視員のイスがあって、警備員か美術館の人でろあうスーツ姿の男性が看視係となっている。
 ただし、先程じっと単眼鏡を見たまま作品の前で動かなかった「おっちゃん」に大しては、看視員は何も言わなかったが・・・・。すいているので、その人が陣取っても真正面から見れないだけであって、鑑賞に支障をきたすものでは無いからだ。
 警備員のイスのうしろの壁には、美術館の開館に寄せての故・服部一郎氏夫人のことばの掲示があった。開館以来、常時展示室内に掲示されているのであろう。
 「・・・・・・・・亡き夫、服部一郎は、出張のたびに訪れるここ諏訪の風景と自然を愛していました・・・・このたび、亡き夫の・・・・」というような挨拶文である。
 創業家とはいえ、服部家の生活基盤は創業の地で主力工場のある諏訪ではなく、すでに東京であり、経営者として諏訪に出張していたということだろう。

  第二展示室には、その他茶道具や陶磁器などの展示があった。美術館の展示室は、すべて2階。高床式のような造りだ。

 1階入口のロビーに降りた。販売コーナーには、美術館の図録や絵葉書などが販売されている。が、国宝の茶碗の絵葉書はあるが、「国宝 寒山図」の絵葉書は「7月下旬入荷予定」の表示があり、私の訪問時には、販売されててなかった・・・・。
 図録までは詳しく見なかったので、この国宝絵画の来歴や所蔵者は分からなかった。ただ、図録に詳細が記載されてるかは、分からない。
 作品前の解説文にも載っていなかったが「国宝 寒山図」の所有者はここの美術館の所有ではなく、故・服部一郎氏の親族の所有だろう。しかも故人の夫人や子女ではなく、一族のうち個人の誰かではないだろうか。
 
 後日見た、文化庁のサイトからリンクできる国宝サーチのウェブサイトによると国宝指定は昭和27年。所在地、所有者は「東京都 個人蔵」とある。やはり、本美術館の所有ではない。服部セイコーグループ創業者の子孫で現在もグループ企業の大株主である個人の所有なのであろう。よって、創業の故地、一族の代表者であった故・一郎氏の没後30周年と(恐らく、数年に渡る)修復を終わったことを機会とし、故・一郎氏の収集美術品を所蔵している諏訪の本美術館での公開となったのであろう。

↓ サンリツ服部美術館の前の道路。空がどんよーりしている。

DSC07485

 ↓ サンリツ服部美術館(以下、主に「本美術館」と書く。)の1階、外側にある入口スロープ。パリアーフリーになっている。(上の写真とほぼ同じアングル)
  右の桜並木(葉桜だが・・)の向こう側が諏訪湖だ。湖畔道路は渋滞をしている。
  並木の向こうに諏訪湖「間欠泉センター」の建物が見える。

 が、美術館の駐車場はご覧のようにすいている。渋滞している車列の中かから、見学に入って来ないのが不思議なくらいだ。 国宝「寒山図」は、かつて切手の図案になったとはいえ、知名度からいうと低い。よって、その「初公開」といつてもあまり話題にならなかったのかも・・・。

DSC07495

 湖畔の駐車場は、すべて満車で駐車する余地が無かった。サンリツ服部美術館に来る途中、湖畔近くで信号待ちしていると、目の前をアノ「水陸両用車」がお客さんを乗せて、通過して行った。湖畔の停泊場の広場に入って行ったようだった。すぐに、ドボンと湖に入るのだろう。オープンバスのように屋根が無かった。満席のようたっ゛た。デレビでも紹介されているので、おなじみですね(笑)。
 反対にここサンリツ服部美術館がガラガラなのは寂しい限り。せっかくの貴重な国宝の特別公開だというのに。
 道路を渡ると諏訪湖畔の桜並木のある土手なのだが、湖畔には行かなかった。この付近(上諏訪)で諏訪湖畔に来るのは、小学生の時以来かも。昭和60年代のことだった(笑)。今から30年近く前のことになる。
 先程も美術館の2階から見たところ、湖水には「アオコ」(藻)が増殖しているようだった。当時購読していた「小学〇年生」で「諏訪湖の富栄養化による藻の繁殖」読んだ記憶があって、実際に見て「ああ、藻が繁殖していて緑色の水に濁っているな。」と感じた。今回、大人(というか、すっかり歳を重ねてオッサン)になってから改めて見たが、改善はされているようだが、遠目に見ても、藻が発生して水中に漂っている感じだった。
 ただ、当時は道路はたの駐車場のような所から水面を眺めたが、今回着てみて、道路、歩道は整備され、温泉ホテルの立派な建物が並び、湖畔には桜の並木もある。美術館なども立ち並び、ずいぶんと変わったようだ。(ほとんど、覚えていないが。)
 「間欠泉センター」にも行ったことがあるような気がするが、覚えていない・・・。他の記憶と混同しているかも知れない(苦笑)。
 サンリツ服部美術館の今回の展示は「服部一郎氏没後30年」を機会としているので、財団や美術館設立はその後のことだろう。従って私が小学生当時、訪れたとき、この美術館は開館していなかったと思われる。

 美術館を出て、車に乗り込む前、しばし周囲の風景を眺める。
 ↓ 美術館の敷地の北側。上諏訪の市街地と山々。

DSC07496

↓ と、水が流れ出ていた。湧水かな?と思い、手を当ててみると「熱い!」。なんと、お湯だった。温泉が湧き出ている。(この付近のどこかにある源泉から引いているのだろうが。。。)。
 しかし、温度は40度くらいで、物すごく熱い訳では無いのでヤケドはしません(笑)。
 ここは、上諏訪の温泉街のはずれにある。電車で簡単に来れる標高750メートルの高原の街と温泉街だ。


DSC07500

↓ 南側。高床の下側のパーキンク゛。向こうは諏訪湖。
  霞んでいて見えない。今年の梅雨明けは遅い。この三連休のうちに梅雨明けするかと思ったが、まだだ。
 その代り、湿度は高いものの涼しいのとは助かる。標高750メートルの高原地帯とはいえ、炎天下では暑いだろう。

DSC07498

↓ 南側。高床の下側。向こうは諏訪湖。

DSC07503

↓ 本美術館の建物の裏側から。細長い高床の建物。
  西隣は「北澤美術館」がある。ガイドブックには、たいてい「北澤美術館」は紹介されているが、ここ「サンリツ服部美術館」は地図のみの表示であることが多いようだ。
 知名度という点でも「サンリツ服部美術館」はもうひとつといったところか。同じく湖畔にある重要文化財指定の建物、片倉館は混雑していた。テレビで取り上げられたこともあるが・・・・。


DSC07499

 ↓ 東側。お隣のタンクは「信州みそ」の工場だった。駐車場の敷地は広いが、車が全然停まっていない。


DSC07501

 ↓ 二階の展示室の外観。東側の第二展示室。この中の中央壁側に国宝 可翁筆「寒山図」の展示があった。
  柱の上には、「ネズミ返し」がついていて、正倉院を思わせる造りだ。

DSC07502

 再び、「高床式」の建物の下に停めた車に乗り込み、出発する。道路に出て、渋滞の車列の中に入り込む(笑)。
 先程通って来た諏訪湖畔の道を通るのだが、湖畔道路の「外回り」は渋滞しているので、途中で細い道に入り、上諏訪駅の前の道を通過。上諏訪駅横の踏切で中央線を渡り、国道20号に出た。
 次に「尖石遺跡」に向かう。茅野市に向かう道を途中で分かれて、山の方向に進むことになる。意外にも茅野市と諏訪は距離がある。茅野市までの国道20号線は、交通量が多くスピードが出ない。30分以上かかった。「尖石縄文考古館」を見学したが、閉館は16時30分と、30分も見ることが出来なかった。本美術館も早足で見たつもりだったが、諏訪湖畔の間欠泉センターは断念した。子供達も興味が無いらしい・・・・。そのためか分からないが、「尖石縄文考古館」の開館時間帯には間に合った(笑)。

 
 なお、サンリツ服部美術館で今回の特別企画展のチラシは置いていなかった。配布していないのか、配布終了したのかは、分からなかった。しかし、「尖石縄文考古館」には、サンリツ服部美術館の特別企画展「禅宗と茶の湯の美」、国宝 可翁筆「寒山図」特別公開のチラシが置いてあった(ラッキー)。
 美術館ではなく、別の文化施設などにおいているのですね(笑)。

 ↓ サンリツ服部美術館の特別企画展「禅宗と茶の湯の美」、国宝 可翁筆「寒山図」特別出品のチラシ
   (A4サイズ)、尖石縄文考古館で入手。

IMG_4370

 ↓ サンリツ服部美術館の特別企画展「禅宗と茶の湯の美」の展示リスト。

IMG_4371

国宝 可翁筆「寒山図」公開 特別企画展「禅宗と茶の湯の美」 サンリツ服部美術館 見学2

 2016年7月17日 日曜日 
 国宝 可翁筆「寒山図」公開 特別企画展「禅宗と茶の湯の美」 サンリツ服部美術館 見学2
 
  三連休の真ん中の日曜日。長野県、諏訪にある「サンリツ服部美術館」にやってきた。7月10日から始まった企画展。服部一郎没後三十年 特別企画展「禅宗と茶の湯の美」。8月2日までが前期。前期の目玉「初公開」の「寒山図」を見にやって来た。

 ↓ サンリツ服部美術館の2階のテラスから、窓ガラスごしに諏訪湖。
   湖畔の木々に隠れて、水面が写真では判りにくい。しかし、実際には、湖水がよく見えて、眺めが良い。
ただ、岸辺に近い所では水中に藻のような植物が浮遊しているようだ。緑色に水面がゆらゆら揺れている。
 うーん、天気は雲が多い。梅雨明けは、まだだ・・・。

DSC07483

 眺めのよいテラスの前は、カフェになっている。長方形の建物のちょうど真ん中の部分だ。席数は多い。諏訪湖が一望できる。カフェには、一組しかお客がいない。2階のカフェと展示室につながる通路はガラン、シーンとしている。
 
 展示室内は撮影禁止なので、写真は無い。
 カフェの奥に入口がある第二展示室に入る。室内に入ると長方形の横に長い展示室である。室内全体を見ると、ありましたね~。国宝可翁筆「寒山図」が。遠目にも「あれだ。」と分かった。大きさは・・・・というと、思ったよりも小さい。遠目には、床の間に飾る掛け軸と同じくらいの大きさだ。
 
 ↓ 美術館入口前の柱の装飾。帰る際はこの柱の横で記念撮影をした(笑)。
   撮影禁止のため、美術館の外に掲示された写真を基に、国宝 可翁筆「寒山図」(以下主に「国宝寒山図」と書く。)などを鑑賞した感想を書いていくことにしよう。

DSC07487

 まずは、展示室を最初の作品から見て行った。
 「偈頌」(漢字が・・・・)、「法語」など墨蹟の展示がある。読み下しの解説文も配布していた。禅宗の僧の筆になるもの。掛け軸になっている。「餞別偈」は「月庵宗光」とある。南北朝時代の墨跡。「・・・万事休・・・」と読める。
 テーマが「禅宗と茶の湯の美」であるので、茶室、床の間?に掛ける掛け軸や茶器が展示されている。

 下の子は、すいている室内をさーと見て、展示室を出て行ってしまった・・・。下の子は国宝「寒山図」の前をも一瞥しただけで通り過ぎてしまった・・・・。このとき、この国宝の前には、誰も観覧者はいなかった。貴重な国宝を独占して見れる機会は滅多に無いのに・・・・。こんなことするのウチの子だけです(涙)。この国宝、もしかしたら、下の子自身がおぱさんかお婆さんになるまで、公開される機会は無いかも知れないのに・・・・。
 ウチの子が「国宝」の前を「スルー」した直後、50歳~60歳くらいの男性が、その前に陣取った。単眼鏡を片目にあててじっと国宝「寒山図」を眺めている。すぐ、又は長くても数分で移動すのるかと思ったが、国宝の正面に直立して、ガラスケースの前から全く移動しないのだ・・・・。これには困った・・・・。
 私は、展示品をほぼ順番通りに見ていった。そのうち、私が国宝「寒山図」の前に来る迄には、どくかな?、と思ったがトンダ見当違いだった。このおじさん、入室は私よりもあとだったのだが、全く移動しない・・・・・・。
 私が順番に展示品を見て、国宝の前に至ろうとした(考えた)のに、この人は入室するや否や、スーっと国宝「寒山図」の前にやってきて、陣取ってしまったのだ・・・・(愕然)。


↓ 美術館入口前の柱の装飾より。

DSC07490

  国宝 可翁筆「寒山図」の隣は「伝周文」の「望海楼図」だった。国宝「寒山図」と同じく水墨画で、こちらは風景を描写している。大きさは、国宝「寒山図」とほぼ同じだ。
 「望海楼図」の名の通り、昔の中国の楼閣と岩山と川のような流れと海が表現されている。

 先ほどの「おっちゃん」は全然移動する気配が無い。単眼鏡を片目にあて、じっと国宝「寒山図」を眺めている。正面に陣取ることが出来ないので、 「望海楼図」の横から「寒山図」をまずは拝観。

 作品の前の解説文には次のような説明があった。「可翁は南北朝時代の画僧で、現在、世界で作品数は十数点しか確認されていない。まぼろしの画家である。・・・・本作品は、今回が初公開となります。」と。
 企画展のコピーに「まぼろしの国宝」とあるが、作品の「初公開」による「まぼろしの国宝」という意味と、作品数が極めて少ない画家の筆になる「まぼろしの作品」という意味とを「引っかけて」いる。
 この作品「紙本墨画」なの水墨画であることは分かる。が、説明文には大きさが書いていないし、展示リストにも記載が無い。お隣に展示している「望海楼図」とほぼ同じ大きさ。高さは1メートルくらいだろうか。見上げるように展示してあるので、実際よりも間延びして見える。横幅は30センチくらいかな。

 「寒山」は、「寒山拾得」として表現されることが多い。近世まで、寒山拾得の画は数多く制作されただろう。この画は「寒山」のみのアップの画。「寒山は・・・僧で・・・」と解説文にある。
 髪がボサボサ。カッパのようだ。奇人、変人と言われた?、寒山の人物像を見事に表現している。現代風にいうと、頭はキレて知恵者ではあるが、ちょっと行動のおかしい人というところか・・・・。

 南北朝時代というと、戦乱が続いていた時代。同時代の僧は、絶海中津や夢窓疎石など、現在も残る禅宗の寺を創建した僧がいた時代と重なる。可翁は、当時の有名な僧とも交流があったのかは、全く分からない・・・。
 大徳寺の祖、「大燈国師」とも同時代の筈。現代においては、経歴、生没年すら不明の謎の画僧は、自身、奇人「寒山」に相通じるものを感じていたのだろうか?。

 さて、しばらく「国宝寒山図」の真正面が空くまで、別の展示ケースを見る。
 独立したガラスケースには重要文化財「玳皮×天目」茶碗がある。(一文字漢字が出ない)
 「タイマイの甲羅の模様のような」茶碗であるから、「たいひ」なのだそう。黒地に白っぽい、まだら模様が広がっている。確かに「タイマイ」の甲羅だ。
 別の独立ガラスケース内には重要美術品指定 南宋時代の「唐物肩衝茶入 銘 筑紫」が。小さい茶入れの陶器?。銘がどこに入っているかは、分からないが・・・。この「茶入 銘 筑紫」の独立ガラスケースの脇で、可翁筆「寒山図」の真正面に陣取る機会を待つ。平らのソファも傍らにあるので、ここに座って、遠くからも鑑賞する。
 展示室内は、私達を入れて十人と少しといった感じ。私達が入館した後、入館者も増えて来たような感じが。  
 
 鑑賞者は、(真正面に陣取っている人とは別の)60歳くらいの男性や先程、第一展示室にいた子連れの女性、50歳くらいの夫婦。若い背の高い男性など、必ずしも年配者とは限らない。
 妻は、必ずしも美術関係に興味がある訳ではないが、さすがに「寒山図」の前に陣取って離れない男性に苦笑していた。15分位して、やっとその男性がどいた。かなりのマニアであった(笑)。男性は、展示室の最初のガラスケース内の作品を順番に見て行っている。どくや否や、サッと私は「国宝寒山図」の前に陣取る(笑)。国宝の前には、私も含めて2人か3人くらい。ゆっくり鑑賞できる。でも、ずっと真正面に陣取るのはヤメましょう(笑)。

↓ 美術館入口前の柱の装飾より。
  (以下、鑑賞した感想も含めて書いていく。)

 下半身部分の拡大。わらじと足の指の描写が精密だった。足の指の向きがあれえへんくらいに曲がっている。
「これじゃあ、足の指が地面に当って、痛くないのなかな。」と思った。奇僧の寒山ならではの、姿だ。風体を寒山は気にしないのであろう。
 「可翁」と書いているような落款が鮮やか。「隷書体」の落款なのか。「幻の画家」であるのに落款が鮮明に残っているのはギャップがある。

DSC07491

↓ 美術館入口前の柱の装飾より。

 寒山の顔は、現物では、写真ほど良くは観察できない。
 展示室では、上方にあり、私の身長でも見上げるような感じでの鑑賞になるから。
 やはり、くちびるが特徴的。くちびるとお鼻の高さがあまり変わらない。
 元祖、キャラクターの「クチパッチ」のような感じだ。(たとえが悪いか・・・・。)

DSC07492


 ↓ 美術館入口前の柱の装飾より。 寒山のお顔の部分の拡大。
  作品を見るとき、まず最初に顔の部分を観察した。
  上述の通り、現物では写真ほど良く観察できない。

DSC07493

 ↓ 美術館入口前の柱の装飾より。

   画面の上には、木が水墨で表現されている。木の枝が垂れ下がる様子が見事だ。
   木の下で笑っているのか、考えているのか、正気でないのか、奇人の寒山の様子が表現されている。
   木と人物が見事に調和している。木の下の絶妙なアングルで寒山が佇んでいるのだ。

DSC07494

 
 「この国宝、もしかしたら、ウチの子自身が、おぱさんかお婆さんになるまで公開される機会は無いかも知れない。」と書いた。が、今回鑑賞して、「服部一郎氏没後30年」の機会のみならず、修復を契機に公開されたことが分かったので、今後は、毎年とまではいかないまでも、数年に1回は本美術館で公開されることが期待出来るかも!?。
 展示のガラスケースと反対側の壁側には、警備員が座っている。そのイスの横の壁には、修復をしている様子の写真の掲示があった。
お 顔の部分が、かなりきれいに、鮮明になっている。修復前は、寒山のお顔の左横には、(写真で見る限り)赤いヨコ縞のような汚れが付いている。顔の輪郭線も汚れていて、鮮明では無かった。


  





まぼろしの国宝 可翁筆「寒山図」公開 サンリツ服部美術館(長野県諏訪) 見学1

 2016年7月17日 日曜日 
 
  三連休の真ん中の日曜日。長野県、諏訪にある「サンリツ服部美術館」にやってきた。7月10日から始まった 服部一郎没後三十年 特別企画展「禅宗と茶の湯の美」。この期間の会期は8月2日までが前期。後期は9月上旬まで。
 前期の目玉は何といっても 「特別公開」と銘打たれた国宝の可翁筆 「寒山図」であろう。
 美術館のウェブサイト内の告知では「初公開」とある。5月の下旬に同サイトで「国宝 寒山図」の公開が公表された。なぜ、この時期に公開されるのだろうか。勿論、服部一郎氏の没後三十年の節目の年の公開ということもあろう。
 今まで公開されなかったのは、何故なのか。所蔵者は誰なのか?。同サイトでは、これらの疑問には答えてはいない。後期の展示作品である「国宝の茶碗」は、服部サンリツ美術館の所蔵であることは公表されている。しかし、ウェブサイトを見る限りは「国宝 寒山図」については特に書いていない・・・・。あたかも「茶碗」と並んで美術館「自己所有」のような書き方。ということは、同館が寄附や購入の方法で所有したことも推測できるが・・・・。又は「寄託」なのか?。謎、というか疑問は尽きないままの訪問となった。

 この3連休に長野行きを企画したのはなこと急だった。手軽に宿泊予約ができる市民山荘が野辺山にあるためだ。上の子は、学校や塾の関係で今年の夏はお盆の期間も含めて旅行は出来ないようだ。空いているのは、夏休み直前、7月の3連休ぐらいなのだそう。ならば、市民山荘を(上の子にとっては)久々に予約し、少しばかりの家族旅行とした次第。料金が格安だし、予約を取りやすいということがあるので、決まりです。
 3年前は、休暇村乗鞍を予約したが、すでにこの時期は満室だった。しかし、乗鞍は遠い。今回は下の子の希望で、乗鞍など松本、安曇野付近までは行かないことになっている・・・・・(笑)。 
 初日は、市民山荘にチェックインをする時間帯の関係上、山梨県北部や長野県では諏訪、野辺山周辺に行き先が限られる。お決まりの「シャトレーゼ」の工場にプラスして、初日の行き場所を山梨、長野の八ケ岳付近で探していたところ、諏訪のサンリツ服部美術館の国宝展示を見つめた次第です(笑)。

 2016年7月の3連休、全体の旅行記は後日書く(いつになるやら・・・(笑))として、サンリツ服部美術館の見学記から書くことにする。

 圏央道から中央道を経て、山梨県入りするのは、今回が初めて。出足が遅くて、圏央道~八王子JCT~小仏トンネルまで、渋滞にはまり、1時間以上はロスをした。更に「シャトレーゼの工場」でも入庫待ちの車の行列。
 シャトレーゼの工場を「見学」した後、北杜市からは、国道20号線を通り、諏訪盆地へ。途中、富士見峠の標高は1000メートルを超えている。峠を過ぎて、少し下った所に、「カゴメ」の工場の入口があった。この工場は夏休みの間、見学を受け付けしているようだが、倍率は高いようだ。よって、行ったことは無いし、多分今後も予約は取れないだろう。諏訪盆地に入り、茅野市を過ぎ、途中で昼食。モチロン、諏訪での昼食はB級のグルメの「みそ天丼」です。(その記事は後日書きます。)
 よって時間が押してしまい、諏訪湖畔にやって来たのは、午後2時半を過ぎていた・・・・(苦笑)。

 ↓ 美術館の入口。左の土手の向こうが諏訪湖。

DSC07488

 (上の写真の「P」は、お隣の「北澤美術館」の駐車場のこと。)

 諏訪湖の湖岸道路は混雑していた。特に湖岸道路の「外回り」は渋滞。テレビでも以前紹介された重文の建物がある片倉館の駐車場は混雑している。ホテルも係員が出て、入ってくる車を待っている。
 湖岸道路を走る。美術館はどこかな、と注意して見ながら運転。と、看板を見つけた。渋滞している道路を右折して敷地に入る。渋滞している車は、サンリツ美術館に入るのではない。警備員が出てきて「美術館の見学ですか?」と聞かれる。「オブ コース」とは言わないが(笑)、「はい」と答えて入る。
 駐車場はすいている。というより、キャパに比べてガラガラだ。もっと混雑しているのかと思ったが・・・。
 中央線の特急に乗って、上諏訪駅で下車すれば徒歩でもここまで来れる。よってもすいているのかな?とも思った。
 美術館の建物はすべて2階。高床式のような造り。建物の下の1階の部分が駐車場になっている。ただし、駐車場は建物の真下だけでは無い。建物の下に停まっている車が10台も無い。ウチの車も入れて、6台くらいかな。
 三連休であるが、思ったよりもすいている。今回の「国宝 初公開」は話題にはなっていないのだろうか?。

DSC07497


 ↓ サンリツ服部美術館の1階にある入口。
   柱にある「寒山図」の写真入り今回の展覧会のポスターとご対面だ。

DSC07489

 美術館の中に入る。受付カウンターがあり、係員が一人いる。入場券を買う。大人は一人1,100円。小中学生は700円。ウチの場合1100が3人に700円が1人で合計で4,000円ちょうど。
 下の子は、入館にゴネるかと思ったが、案外素直についてきた。入館しない場合は、道路を挟んで反対にある諏訪湖畔で遊んでいてもらおうかと思った。近くの湖畔には、「間欠泉センター」があり、多くの人で賑わっていたし、遊ぶところは結構ある。
 で、下の子が一番興味を示したのが1階のロビーに置いてある「金魚の水槽」。小さい水槽である。が、「金魚ちゃ~ん」と興味を持って金魚を眺めている(苦笑)。
 展示室は2階。受付の横には、小さい販売コーナーがあり、その脇に階段がある。階段の更に横、駐車場が見えるガラス戸やガラス窓の近くの壁には故・服部一郎氏の写真が掲示されていて、胡蝶蘭の花が飾られている。今回の企画展のあいさつ文が書いてあるボードも掲示されている。ロビーには、可翁筆「寒山図」の写真の入った、今回の企画展のチラシは置いていない。ポスターも貼っていない。
 階段を昇ると第一展示室がある。西洋画の展示がある。まずは、こちらから見学する。展示室は私達の家族だけ。次いで、子連れの若い女性が入って来た。子供は小学生低学年くらいだ。女性は順番に熱心に絵を見ている。どんどん子連れの方が気軽に来れるとよいですね。
 展示作品は「ラウル・デュフィ」の作品など。音楽の教科書によく掲載されている画家k作品だ。1点だけだが、ダリの作品もあった。
 本美術館の一番有名な作品では「ルノワール」もあるようだが、今回の展覧会では展示が無い。
 次に、湖の見えるテラス(テラスに面した館内にカフェがある)の前の通路を通り、第二展示室へ向かう。
 











碌山美術館 春季企画展「荻原守衛の軌跡をみる -書簡・日記・蔵書-展」 見学

  2015年5月4日

 信州・安曇野。春季企画展「荻原守衛の軌跡をみる -書簡・日記・蔵書-展」
 「碌山美術館」の見学記です。

 企画展の建物に入ります。
 故郷て゜の手紙、東京に出たときの手紙、欧米に留学中の手紙などが写真とともに展示されています。手紙を見ていくと、守衛の生涯についてかなり理解をすることができます。
 今まで信州の農家の五男?だった守衛、20歳近くになって東京に出て絵の勉強を始めます。守衛は地元の旧中学に通ったわけでは無いようです。東京に出て美術学校に入ったわけでもない。展示によると実家の農作業に従事していたが、「画家になる」と決意して故郷を離れたようです。

 ↓ 「しなの木」。若葉の鮮やかな木々の名前でした。
   萌黄色というのでしようか。美しい葉の色が心に残ります。
   木の幹の色こそ違いますが、白樺のような木です。

DSC01884






















 展示室とその前の彫刻。
 

DSC01880



























DSC01881




















 企画展の建物の入口には守衛の親友、孤雁(字が違うかも)の言葉が刻まれています。やはり、守衛に最も大きな影響のあった友人かつ、芸術家仲間だったのではないかと思います。

DSC01882




















 展示を見ていくと留学中に「ウォルター パッチ」という人物がでてきます。
 フランスでロダンに面会の仲介をしたのもパッチのようです。面会を約束する手紙をパッチが代筆したようだとあります。
 また、帰国時、守衛はフランスからイタリアを経て、エジプトに寄港して観光して日本に帰国しています。イタリアでガイド役をした女性が出てきます。二人で観光名所 フィレンツェなどを回ったようです。この女性はのちにパッチの妻となった、と説明にありました。おそらくパッチが仲介したのでしょう。
 パッチは画家ではなく、美術史家のようで、大学の教授などを務めた人物のようです。第二次大戦後の1950年代に亡くなっています。大戦後、彼は敗戦国となった日本の美術界をどう見ていたのでしょうか。その後、残された守衛の作品には関心を持っていたのでしょうか。

 帰国後、二人は会うことは無かったのでしょうが、守衛にとって重要な人物であると分かりました。
 エジプトではカイロまで汽車で移動し、ピラミッドやスフィンクスを見物しています。現代の観光者と変わりませんね。




(荻原守衛)碌山美術館 見学記3 安曇野市

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館「碌山美術館」の見学記です。

 碌山と深い関係にあった作家の彫刻が展示されています。
 有名な人物では高村光太郎の作品がありました。


DSC01884




















 企画展示を見た後は売店で買い物です。相馬黒光(星 良)と高村光太郎の回想の冊子を買いました。
黒光なる女性と守衛はどのような関係だったのでしょうか。横恋慕でしょうか!?。回想を読むと、黒光自身はそれほど守衛を特別な存在とは見ていないような・・・・。「私より三歳下なので・・・」と弟のような存在だったような回想です。「女」にしろ「デスペア」にせよ黒光に恋焦がれて燃えるような魂の叫びを彫刻にぶつけたような守衛の作品ですが、恋慕の対象だった黒光当人にとって守衛は「ワン ノブ ゼフ」の一人であったような印象を受けたのは私だけでしょうか?。


 碌山館の前では、見学者が次々に写真撮影をしています。
 新緑の中にたたずむ建物の屋根の上には鐘楼の尖った屋根。教会堂のような屋根の先端は、まっすぐ天上を指して、若くして死去した守衛を鎮魂しているかのような感を受けます。

DSC01886





















 美しく、静かな安曇野の野にたたずむ美術館・・・・・・といいたいところですが、実は線路のすぐ脇にあります。
時折電車が走り、近くに踏み切りもあるのでその都度「カン カン カン カン カン カン・・・・」と音が響き、「ガタン ガタン ガタン ガタン ガタン ブイーン ガタン ガタン・・・・  」と電車が通ります。結構騒々しいです(苦笑)。
 と、「特急あずさ」も走っていきました。モチロン、「ガタン ガタン ガタン ガタン ガタン ブイーン ガタン ガタン・・・・  」と。学生時代、クラブの合宿の際に大町線は利用したことがあるのでここ碌山美術館の脇を通ったことはあるのですが、気付きませんでした(更に苦笑)。
 ああ、もっと早くに訪れるべきでした。
 
 最後に休憩室に置いてあった見学者ノートの記載を紹介したいと思います。
「・・・・20(歳)台からほぼ10年おきに碌山美術館を訪れて、今回で4回目になります。・・・・・。」と几帳面な女性の字で書いてありました。彼女は守衛の作品に魅せられて若き頃からここ碌山美術館を訪問し、齢(よわい)は恐らくは50歳台~60歳台、還暦を迎えられているか、それに近い年代なのでしょう。 現代でもなお、時空を超えて人々の心を惹きつける守衛の作品と生涯なのです。






























(荻原守衛)碌山美術館 見学記2 安曇野市

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館「碌山美術館」の見学記です。

 碌山館の裏から。建物の一番奥は、細長い別の小さい部屋になっていて展示室ではありません。守衛の生涯を解説した資料室でした。壁には、守衛の年表を掲示し、下のガラスケースには遺品や資料を展示しています。
 アメリカ滞在時代の資料もあります。戸張弧雁との交友についても説明がありました。
 戸張は、アメリカ滞在中に親しくなり、帰国後も深い交流が続いていたと分かりました。中村屋サロン美術館でも戸張の作品、肖像画が展示されていました。サロンに集う仲間だったのですね。しかし、戸張もまた長命ではありませんでした・・・・。

DSC01877





















 別棟に入ります。ここは二階が図書室や研修室になっていて、講演会や研修ができるようになっています。図書室は時間の関係もあるので、割愛して一階の展示室を見学します。
 守衛の絵画の展示室でした。展示室が守衛などの絵画作品です。彫刻は一点もありませんでした。意外にも守衛は絵を多数残しています。もっとも最初は「画家」になるとの志を抱いて東京に出たのですからね。


DSC01878




















 美術館敷地内の様子。緑の木々に囲まれています。
 写真右は守衛と深い関係にあった作家の彫刻が展示されています。

DSC01883




















(荻原守衛) 碌山美術館 安曇野市 見学記

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館「碌山美術館」。

  DSC01874「碌山美術館」といえば、この教会風の本館(碌山館)です。この中は守衛の彫刻作品の常設展示室になっています。建物内の撮影は禁止でした。



























 碌山館の建物の脇には、水汲み場がありました。北アルプスの豊富な伏流水を汲み上げしているのでしょう。
本来はポリタンクを持ってきて汲むところですが、ここは美術館の敷地内。勝手なことはできません。
と、碌山館の「定礎」の石が外壁に埋め込みされているのが見えます。建築は昭和33年と50年以上前のようです。


DSC01875




















 本館の前から、敷地外の道路を見る。道路の更に先は、美術館の広い駐車場になっています。
 そば屋さんもあります。ここで昼食を食べました。その記事は後日アップします(笑)。

DSC01876




















 「碌山美術館」は教会風の本館の外観が有名なため、森の中にたたずむ小さな美術館と思っていましたが、敷地のすぐ脇には一般道が通り車が往来しています。本館の奥側は学校になっています。穂高の街のはずれの一角にあります。

 碌山館のドアを開けて内部に入ります。林立するように展示台の上に彫刻が置かれています。個々の展示作品にガラスケースはありません。展示台の高さは、1メートルくらいで見やすい位置にあります。そのため、目の前で像を観察することができます。もちろん作品に触ることは厳禁です。
 
 館内の中心線上、出口に近いところ、まっすぐに建物奥に向いて「女」と「北條虎吉像」のブロンズ像がありました。「重要文化財」と銘板が展示台に取り付けされています。「女」はいまさら私が言及するこはありますまい。
 「女」は近代彫刻としては初めて重要文化財に指定された、と説明にありました。その翌年に「北條虎吉像」が重要文化財に指定されています。
 近代彫刻作品の場合、石膏原型が「重要文化財に指定」されているのであって、今目の前に展示されているブロンズ像が指定されているわけではありません。「女」の石膏原型は東京国立博物館に所蔵されているはずです。「北條虎吉像」の石膏原型は東京国立近代美術館ここの所蔵だったと記憶します。
 よく展示されるのは東京国立近代美術館で、「女」です。でも、石膏原型は東京国立近代美術館には無い。中村屋サロン美術館では、1970年代に鋳造されて「女」像の展示がありました。東京国立博物館の近代美術コーナーのフロアでもブロンズ像は見たことがあったような・・・・・。そのため、「女」の石膏原型は東京のどこだったかな??と分からなくなってしまいます(笑)。
 「北條虎吉像」の(ブロンズ像を)見るのは多分初めてです。安曇野の碌山美術館に来れば「北條虎吉像」は石膏原型は見ることができなくても、プロンズを見ることができるわけです。

 碌山館の裏から。

DSC01877





















碌山美術館がある地、信州・安曇野 へ行く。

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館である「碌山美術館」にやってきました。
 ゴールデンウィークの真っ只中。実は松本城の入場のために並んでいたのですが、あまりの行列と待ち時間のために、再入場券(数時間後に見学できる時間指定の整理券)をもらい、一旦松本市内を離れて安曇野へ移動しました。
 この「信州たび日記」は、後日アップすることにします。先に美術館の見学記を書いていきます(笑)。
 碌山の故郷にある美術館。大都市中心部の立地ではないため混雑する、というほどではありませんが、絶えず見学者がやってきます。私もその一人です。
 実は「碌山」が荻原守衛の号であると知ったのはここ数年のことです。(二~三年くらいかな・・・(震)。)荻原守衛といえば、教科書にもその作品の写真が載らないことは無い、近代日本における最高の彫刻家です。作者の名は知らなくとも、その作品の写真は必ず見たことがある筈です。 
 二年前の夏に安曇野を訪問したことは書きましたが、このときは「碌山美術館」に来ることができませんでした。今回、やっと「宿願」を果たしたことになります(笑)。
 東京・新宿にも「中村屋サロン美術館」が昨年の秋にオープンし、ここ「碌山美術館」所蔵の多数の作品が展示されていました。同じく昨年秋には美術関係のテレビ番組でも取り上げられましたし、改めて注目の集まる荻原守衛と「碌山美術館」です。

 ↓ 労働者。 フランス留学から帰った後に作成された晩年の傑作です。
   入口近くの屋外に展示されています。若葉がまぶしい木々の緑の中で輝きを放っています。  

 DSC01885  が、労働者はどことなくやせ衰えて、人生の苦衷にさいなまれているようなポーズです。どことなく、この時代の社会問題を反映しているような・・・・。

労働によって疲弊したと思われる荒々しい男の肉体をあますことなくとらえた作品はどことなく、ロダンを思わせます。
  






















 ↓ 美術館入り口のチケット売り場。敷地内にはいくつかの建物が点在し、展示室になっています。

DSC01888
























秋の野辺山高原

 10月の連休のある日、清里に続いて野辺山にきました。以前にも来たことがあります。
DSC06955

雄大な八ケ岳の眺望。








DSC06956

鉄道の最高所の碑。








DSC06957
高校生が、長距離徒歩をしています。数十キロ歩くようです。ゴールのこの線路の先の地点でした。


ほとんど終わりの時間のようで、このあとバスで次々に帰っていく様子が見えました。



DSC06963

野辺山駅前からの眺め。







DSC06966
野辺山駅に列車が入ってきました。
本数は多くないので、偶然といえるでしょう。








DSC06967

駅から車で数分のところ。ヤツレンの工場と売店にきました。







DSC06970
キャベツ畑。収穫をしています。









DSC06971
牛乳をいただきました。











プロフィール

りょうげつ

カテゴリー
  • ライブドアブログ