3月21日に東京でソメイヨシノの開花宣言がなされた。
近年まで平年は3月31日とされていたと思う。私が子供の頃は4月の2日などもっと遅かったと思うが・・・・。
港区赤坂にある「桜坂」を通った。泉屋博古館に向かう途中であった。訪れた3月17日の時点では、つぼみは小さいく開花の気配はなかった・・・・。さすがに、暖冬といっても3月20日より前に咲くことは、なかなか無いようだ。(過去には咲いたこともあったかも知れないが。)
街路樹の桜並木は、枯木でいまだ冬の装いであった・・・。
神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。
2019年3月
「ぐんまちゃん家」訪問3 レストラン「銀座つる」食事その2 群馬県アンテナショップ
銀座にある群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」に移転リニューアルの後、初めて訪問した。
同店の二階にあるレストラン「TSURU(つる)」」で初めて食事をした。
ランチでもコースが基本である。一番安い「白根」にした。お値段は、2,000円。
「榛名」は6,000円、「妙義」は3,000円のコースであるが、上州牛のお肉がついている。しかし「おきりこみ」は無い。コースの名は、群馬県の山から命名している。なお「赤城山」から命名した「赤城」コースが無いので、今後メニュー新設に期待したい。
群馬の名物料理??といえば、「ほうとう」というか「おっ切り込み」である。が、単品では無いようだ。メニューでは「おきりこみ」と書いてあるので、ここ「TSURU」のほうとう料理は「おきりこみ」で表記する。
私は「おきりこみ」が食べたかったので、必然的に「おきりこみ」がメインの「白根」のコースにしたょ。決して、安いからでは無い・・・・(言い訳
)。
榛名よりも白根の方が高い山だしね!!。妙義はギサギザしたピークなので、標高が掴みにくいし・・・だから「白根」にした。(またまた言い訳)。
ランチでもコースが基本であるが、お値段はさておき、子供はお腹がすいていないというので、単品を探す・・・が、上記の通り「おきりこみ」が単品で無いし、単品として、適当なメニューはあまり無い。もう一冊メニューはありが、ドリンクメニューなので、注文せず。
子供は迷っていた。黒服を来たお店の女性係員は、注文を取りにきてくれたのだが、時間をモテ余しているようだった・・・。せかして選ばせるが決まらないので、子供はビーフシチューにした。
レストラン「銀座つる」は「高級路線」であるので、単品では「おきりこみ」はメニューに採用しないであろう。もし単品であると、かなりの客がおきりこみを注文するのではないか?。すると、客単価は下がってしまうし・・・。
↓ 白根コースのメイン料理「おきりこみ」の拡大!!!。
この太い麺<フトメン>がいいのですよね~。
それでは、順番に食べていこう。
コース料理の最初の一品、前菜「なすのあえもの」と「トマトのソース添え」。
2019年3月
「ぐんまちゃん家」訪問2 レストラン「銀座つる」食事その1 群馬県アンテナショップ
銀座にやって来た。
群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」に移転リニューアルの後、初めて訪問した。
ちょうど、お昼どき、ライチタイムである。同店の二階にあるレストラン「銀座つる」で初めて食事をする。
既述の通り、歌舞伎座の真ん前にあった移転前の店舗では、レストランは無かった。軽食コーナーはあったかも知れないが、私の記憶の限りでは無かったと思う。
2019年3月 「ぐんまちゃん家」訪問1 移転リニューアル後、初訪問 群馬県アンテナショップ
春めいてきた。今年の冬は暖冬だったな。冬は終わり、春が始まろうとしている。しかし、桜の開花はまだである。そんなある日のこと、銀座にやって来た。
群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」に移転リニューアルの後、初めて訪問した。
その後、同店の二階にあるレストラン「つる」で初めて食事をした。
以前は、東銀座の歌舞伎座と道路を挟んで真ん前の角地にあった。いつぞやの年の正月だったか、秋だったかに訪問したことはあった。日比谷線の地下鉄駅からは近いので、築地、銀座の一等地であった。しかし、飲食店は無かった。2階にはイベントスペースがあったが、私が行ったときは何も開催していなくて、空きスペースとなっていた。
その後、昨年の7月に数ブロック、銀座通りの方向にある現在地に移転してリニューアルした。しかし、なかなか、ここ群馬県が総力を挙げてプロデュースしたアンテナショップ 「 ぐんまちゃん家 」に来ることが出来なかった。
場所は移転前のように銀座に近い大通りの角地ではない。新規オープンしている「銀座シックス」の一本通りを挟んで、すぐ近くである。この日は、日曜日とあって人の往来は少ない。銀座通りのすぐ裏手とはいえ、道幅が狭い通りに入口が面した立地だからかな。
群馬といえば、「ほうとう」というか、「おっ切り込み」である。群馬は関東平野の北端部、利根川の恩恵があるにもかかわらず、米どころとしては、有名ではない。
が小麦の産地としては有名かも。国産小麦は、全国の消費量から比べるとごくわずかの生産なのだろうが、群馬県の平野部を通ると6月頃には「麦秋」の風景を見ることも出来るのだ。
よって名物なので、店内にもあるかなと探したがありました。何種類か、乾麺の「おっ切り込み」も販売している。同じく小麦を原料するうどん「水沢うどん」販売していた。
移転前よりも「高級感」を出した品ぞろえである。以前の色々な商品を販売しているのではなく、ある程度品種を絞り込んで、値段のゾーンも上がり、「銀座にふさわしい」店づくりをしているのが判る。棚に並んでいる在庫の量も少ない。
オレは、雑多の感じの店内、商品の方がいいかな・・・。オレには本来の「銀座」はふさわしくない、来る所ではないのかも・・・・
。
一階、西側(銀座通りに近い方向)の入口近くには「カウンター」があった。夜はバー??になるのかな?。昼の子の時間帯は閉まっていて、無人であった。カウンターの近くの冷蔵ケースにはアルコール類は、日本酒などもある。と、一階のカウンター前に「ぐんまちゃん」がやってきた。お店か、県??の広報担当らしき人も同行しており、お付きの人々を従えての登場である。
人どおりは少ないが、通りに出て、パフォーマンスを開始した。
2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞4(最終)
筑前派の国宝の刀剣などを見た。
長方形の室内の中ほど、平ガラスケース内に展示品がある。刀剣の解説文書の展示がある。京都でも同様の古文書が展示されていた。刀絵図 元和元年の奥が木があるもの。 個人蔵 の展示があった。国の文化財指定は重要美術品。京都でも展示があったかな!?。
秀吉の所蔵の刀剣「太閤御物」の押形集であり、730と多くの刀剣の図が記載されているという。これは、現物を徳川の世の元和元年に埋忠壽齋なる人物の手により写したものという。ここに記載されている刀剣のうち、17点が国宝に指定されているそうだ。
「太閤御物 たいこうぎょぶつ」とは、まるで天皇のコレクションのような呼び名だ。ホントに太閤から伝わったから「太閤 左文字」の意味が分かった。
秀吉は信長の家臣時代、「羽柴筑前守」と呼ばれていた筈。秀吉が最初に城主となって、ついに大名クラスに出世し貰った官位が「筑前守」。筑前には想い入れがあったと思う。のちに、自分の筑前守の官位は親友の前田利家に譲ったと記憶しているので、筑前派の刀剣は好んで自分のコレクションに加えたのであろうか?。
説明によると現在、展示してある 国宝 短刀 筑前 左文字と刃文の特徴の構成が一致している。「筑州住 左」の書き込みもあり、書き込みされている長さも「7寸7分・・・」と一致しているそうだ。
墨書されていて、刀身や刃文が見事に筆写されている。確かに寸法も明記されている。ホントに現物を見て、記録したものである。(今見ている展示品は更にその写し)
昔の刀剣のカタログといったところだろう。
そろそろ、退出することにする。
実は展示室内には、座るところは少ない・・・・・・。丸くて大きい、かわしいい感じのソファが3個くらいある。展示室内のそのソファはずっと座っている人がいて、(腰が痛くても)座ることは出来なかった・・・。ひとつのソファに、女三人が、ずっーと座ってで話をしていた・・・・。私が展示室内にいる間もずうっと丸いソファを占拠していた・・・・。
三人のうち二人はかなり太っている。年は40くらいかな。太っていると実年齢よりも上に見えるので、実際はもっと若くて30歳台と思う。三人のうちもう一人も、見た感じ同じくらいの歳のお方。体は大きいが、下半身は細い。話していて、笑うと目じりにシワが出来る。目がぱっちりとしている美人だが、上体は太っているので実年齢は上に見えるので三人のうち一番年は上だろう。ゲームのオフ会のようで、色々と、ずっ-とおしゃべりしている。時折笑ったりして、決して大きい声ではないのだが、結構気になる・・・・。特に係員は注意しない。人が出入りしているので室内はザワついているかんじ。
展示室を出るときに、目視で来館者を数えると室内に40人くらいいて、うち男は10人くらい。小学生の女の子も二人くらいいた。家族できているか。中学生くらいのメガネをかけた女の子も1人いたかな。
白髪の年配の女性も熱心に展示を見ていたが、1人~2人くらいしかその年代の女性はいなかった。変わらずゲームを契機とする「刀剣女子」が多いようだ。来館の刀剣女子のメガネ率はとても高い。もしかしたら、60%以上ではないか?。もっとも男子よりも、女子の方が近視率は一般的に高いし、メガネをかけた方が見やすいからね。黒髪率も高い。(だから何だという感じだが。)西洋画の展覧会とは客層が違うような気がする。(以前も書いたが。) 外国人の入館者もいた。ドイツ人のようなブロンド色の髪の背の高い女性もいた。
最後に入口付近のガラスケース内にあった 国宝「江雪左文字」を もう一度見る。
この作品のみ撮影が可能。
ガラスケースの前の人が少なくなっていたので、この時点で撮影した。先程は混雑していたが、私が退出直前、この国宝の刀剣の前には、入館したばかりの20歳くらいの女の子2人がいたのみだった。彼女たちを避けて撮影したのが投稿した画像。2人のうち1人は赤いチェック模様のシャツとジーンズ、小柄、153cmくらいで茶髪のセミロング。刀剣女子は黒髪の子の地味目の服装のが多いと認識していたが、珍しく少し派手な外見である。
館内には、撮影禁止の注意事項は何も書いてない。受付のところに係員の男性2人がいる。以前と同じく巡回し基本的にしない。監視カメラはあるようだが。一回だけ室内を巡回して、落ちとているチラシなどを拾ったが、あまり 室内の巡回と監視はしていない。
よって「撮影禁止」と展示室の入口には書いてあるのにもかかわらず、「撮影禁止」が徹底されず、長方形の展示室内では撮影をしている人もいたのは残念だった。
↓
2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞3
今年最初の都心部の博物館関係へのお出かけだ。
刀剣博物館は二回目の訪問である。
2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞2
今年最初の都心部の博物館関係へのお出かけだ。
刀剣博物館に向かった。二回目の訪問である。
2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞1
今年最初の都心部の博物館関係へのお出かけだ。
※ まずは、神社で初もうで。国宝の刀剣の展示も見た。国宝の刀剣は季節ごとに定期公開されるようなので、記事は後日とする。
「ももてなし家」での食事の後、刀剣博物館に向かった。二回目の訪問である。
電車にて両国駅へ。駅を降りる。国技館の前を通過する。既に初場所が始まっているためか、付近は混雑している。人が歩道にあふれている。力士たちは館の敷地内に入ってから、送りの車で降りるのではなく、車道、歩道の脇に車を停めて敷地内に入るようなのだ、それを待ち構えているらしいのだ・・・・・・。
事情がわからない私は人ごみを避けながら、歩道を歩いて博物館の方向へ。首都高の高架に沿って歩く。人ごみを抜けるとホッとした。と目の前に旧安田庭園の入り口があらわれる。今回は、園内は通らずに園の横の塀沿いに博物館へ歩道を歩いて向かった。
旧安田庭園に来るのは、すっかりおなじみすみ(済み)だ!!??。ええーとここは「すみだ」く(墨田区)・・・。
2018年12月 刀剣博物館 企画展「諸国漫遊-多彩なるお国拵と日本刀5ヶ伝を巡る旅」 鑑賞1
2018年、平成30年は12月に入った。恐らく、今年最後のお出かけかな。
刀剣博物館に向かった。刀剣「美術館」ではない。初めての訪問である。以前は、代々木にあったが、東京は墨田川の東の両国に移転した。代々木時代は、明治神宮にも程近い、参宮橋が最寄駅であったようだ。「ポニー公園」などに子供を連れて来たこともあったが、実は刀剣博物館とも近かったらしい・・・・。
今年(2018年)は、京都国立博物館での特別展「京のかたな」にも行った。もっと早くに刀剣に興味を持てばよかった・・・。遅すぎたよ「刀剣男子」としてのデビューが・・・。
電車にて両国駅へ。駅を降りる。国技館の前を通過して、博物館の方向へ。首都高の高架に沿って歩く。と目の前に旧安田庭園の入り口がある。無料であったので、園内を通って博物館に向こうことにした。
旧安田庭園に来るのは、久しぶりだ。
この日の14:25頃、公園内を通過した後に博物館に入る。
刀剣博物館の建物は、庭園のすぐ横にあった。かつて、同じ場所にあった旧両国公会堂のオレンジ色の外壁ではないが、丸い尾根の目立つ、コンクリート壁の建物。
ただし、庭園から博物館には直接には入れない。一旦外に出る。しかし、庭園と博物館の敷地を結ぶ、新しい通路、通用門までできている。
丸い屋根が特徴的な旧両国公会堂の建物を改修して建築したのかと思っていた・・。しかし、目の前の刀剣博物館の建物はコンクリート打ちっ放なしの真新しい建物・・・・。
大改装は誤解であり、一旦解体して、新築したのだと理解した。
展示室は、1Fにはないようだ。係員に指示された通りにエレベータで3Fにいく。
展示の室内に入る。ここで入館券を見せて、半券は回収される。ここには初老の男性係員がいて、半券をちぎって回収している。昔からの刀剣博物館の職員といった感じ。
入室する。と、人が多い・・・・・・・。「えっ、こんなにいるの??」というかんじ。室内を見ると全部の展示品のガラスの前に人がいるくらいの入館者数・・・・。
展示室は、3Fの1室のみであった。長方形をしている。
展示室の中ほどの平展示ケースには、拵(こしらえ)や鍔などが展示されている。
刀身のみは、撮影可能だった。しかし、刀身以外の刀装具などは撮影禁止。
鍔は「金工」のジャンル。鍔の技術は、薩摩などでも発達したそうだ。庄内でも栄ええたそうだ。説明では「酒井氏が(庄内に)入部したから」刀装具などの金工技術が発達したということが書いてある。
壁側のガラスケースを展示室の入口に近い方から、順番に見て行く。最初は「拵」こしらえの展示である。最初のガラスケースの展示コーナーの半分弱くらいのスペースを拵が占めている。これらの「こしらえ」などは撮影禁止だ。
この夏に訪問した庄内の致道博物館所蔵の 拵 (こしらえ)が二点展示してあった。
↓ 刀剣博物館入口とロビーの様子。
牛たん喜助 新メニュー 食事 2018年11月
東京駅の八重洲口側にあるに牛たん喜助のお店に行ってきました。
地下鉄を降り、地下道を歩き、長崎のアンテナ店の隣で地上にでて東京駅に歩いた。
日本橋口から東京駅のキッチンストリートへ。そこから、喜助に行ったのだ。
すると、店の前では人がたくさんいる。中国人の団体らしく、10名位はいる。どっと入って行ったが、その次に入店して、カウンターに座ることが出来た。
左隣は先の団体の内の、中国人女性2名、右隣には、私のあとに並んでいた、30-40歳くらいの女が1人、座ってきた。エキナカ立地としいうこともあり、一人で食事をする女性も結構多い。
外国人は、いろいろと話ながら、メニューをえらんでいる。時間もないので、彼らが選んでいる間に注文と思い、さっとメニューを見る。
時々ここで食事はしているのだが、今回はスタンプがたまったので、クーポンとして使用できるのでやって来たのだったのだが、メニューにとまどった。「あれ、いつものが無い・・・・・・・」と。
今までは「1人前か1.5人前か。」、「塩かたれ」かで選択していたのだが、「1人前、1.5人前。」の区別がメニューに書いて無い・・・・・・・・・・・・・・・。
店員さんが注文を、取りにきたが、なかなか決まらない。んー、と考え込んで、戸惑った・・・。思わず「あれっ、メニューかわった?。」と声を出してしまった。すると店員さんは「はい、変わりました。」と。
そのため(普段の外での食事の投稿はあまりしないのだが)、今回の投稿と相なった次第。
「3 、4枚、6枚」などのメニューになっている。今年の夏に仙台に行ったときの店の表示方法でな、と思った。実際の肉の数は、切れの枚数の倍となる。先代の「牛たん 善治郎」みたいな枚数表示メニューだ。以前の1人前に値段の金額が近い、2000円(消費税コミ)くらいの、4枚メニューを頼む。
↓ 10月に行ったときの「ゆでたん」。このときは、ビールも飲んだ。
新メニューの画像は無い。
スタンプが一杯になっていたので、会計は500円くらいの追加の支払いで済んだ。
↓ 10月に行ったときの「旧」メニュー。ビールも飲んだ。
新メニューの画像は無い。
麦めしは、大盛り。こうして、画像を見ると、量が多いな・・・。糖質を摂りすぎかも・・・。
みそ南蛮をお替りできるので、それをおかずに、ごはんも結構な量を食べてれてしまうのだ。
2018年9月 学習院大学史料館展示室 平成30年度秋季特別展「学び舎の乃木希典」 見学4(最終)
及び乃木希典関連建物 見学
目白にある学習院大学史料館を見学した。
2018年9月 学習院大学史料館展示室 平成30年度秋季特別展「学び舎の乃木希典」 見学3
目白にある学習院大学史料館を見学した。展示は三つの章に分かれていた。
「一章」教育者となった乃木希典
「二章」武課教育と修身教育の充実
であった。限られたスペースの室内なので、実は展示の順番通りに見ていない。
あとで展示リスト見ると「乃木大将などの軍服」は「二章」であるが、先に見てしまった・・・。
2018年9月 学習院大学史料館展示室 平成30年度秋季特別展「学び舎の乃木希典」 見学2
目白にある学習院大学史料館を見学した。
テーマは「学び舎の乃木希典」。入場は無料。他の美術館にチラシを置いて広報に力を入れているし、せっかくの機会なので見学してみることにした。
会期は9月13日から、年末の平成30年12月2日(日)まで。「9月13日」は言うまでもない、この特別展の主人公、陸軍大将伯爵 乃木希典が明治天皇のあとを追って殉死した「あの日」である。
↓ 室外に掲示してあった乃木に関する年表。室内のものは、もっと詳しく記載されていた。
2018年9月 学習院大学史料館展示室 平成30年度秋季特別展「学び舎の乃木希典」 見学1
目白にある学習院大学史料館を見学した。元々、学習院に史料展示施設があるとは、知らなかった。以前は、国学院大学博物館や、早稲田大学中央図書館の展示室を見学したことがある。この特別展のことは、とある財団法人の美術館に置いてあるチラシで開催を知ってやって来た次第だ。
交通は、至便である。 目白駅を降りて、地上の改札に出ると、すぐに学習院大学のキャンパス。キャンパスの中ほどの建物に史料館展示室はあった。
テーマは「学び舎の乃木希典」。目玉展示として、国宝、重文クラスの文化財が展示されるのではない。が、無料だし、他の美術館にチラシを置いて広報に力を入れているし、せっかくの機会なので見学してみることにした。
会期は9月13日から、年末の平成30年12月2日(日)まで。なぜ、9月13日開始なのか?。言うまでもなかろう、乃木希典が明治天皇のあとを追って殉死した日である。
会期末の12月の2日の理由は分からない(年末に近い日曜だからか)。
大学の敷地内の教室棟などいくつもビルがあるのだが、そのひとつの棟の一階のフロア。文学部の研究室などが入ってる?棟のようだ。
↓ 特別展の告知看板。
平成29年 2017年、4月2日 浅草寺伝法院庭園 特別拝観 4 (最終)
「国指定名勝 伝法院庭園 特別拝観」にやって来た。
伝法院の庭園を歩く。
↓ 有名な角度から撮影。「ダブルツリー」が映る筈だが、スカイツリーのみしか映っていない。
なぜか・・・・・・・、五重塔は工事中。本来は塔が見えるのだが仕方無い・・・・。
手前に木の葉を入れて、意識的に撮影、遠近感が出ているぞー。
庭園の特別拝観を出てから、本堂の前へ歩いた。伝法院特別拝観の券売所には、列が出来ていた。20人くらいは並んでいる。入場者も増えてきた。
本堂の前を通って、境内から退出する。本堂の前の広場には、線香をたくさん立てている銅製?の大きな線香立て?がある。「ここで線香の煙を体にかけると(まぶすと)健康になる。」と亡き祖母はお参りする度によく言っていたものだ。 あれは、いつのことだったかな・・・。そんな感慨にふけりながら、線香をたてている人達を見る。
境内には外国人が多い。中国人が多いかな。アメリカ人イギリス人ではなく、いろいろな国の人がいる。アジア系が多い。インド系、マレー系と思われる人々も。
さて、ひるどきとなった。浅草駅の近くの吉野屋でさくっと牛丼を食べて移動する。牛丼店にも外国人の姿が多かった。大きな荷物を持った外国人の団体も、会話の内容からフランス人のようだ。
地下鉄で上野へ向かった。
平成29年 2017年、4月2日 浅草寺伝法院庭園 特別拝観 3
「国指定名勝 伝法院庭園 特別拝観」。伝法院の「大絵馬展」を順路にしたがって見た後に、庭園の散策に行く拝観順路になっている。
浅草寺のランドマークである、五重の塔は、工事中であり、シートで覆われていた。
↓ 庭園に咲いていたしだれ桜。満開、まさに見ごろであった。
平成29年 2017年、4月2日 浅草寺伝法院庭園 特別拝観 2 「大絵馬寺宝展」
東京・台東区 浅草にやって来た。「国指定名勝 伝法院庭園 特別拝観」のためである
浅草寺の境内を歩き、伝法院の入口に看板に従って行く。浅草名物の「五重の塔」は工事のため、幕で覆われていた。庭園の特別拝観の入口は建物だった。券売所がある。階段を数段昇って、中に入る。
最初にここ宝物館を見る順路になっている。「大絵馬寺宝展」が開催されている。廊下を展示室内に歩く。ドーンと大きな額が展示してある。
順路の最初の方に「 国宝 浅草寺経」の展示がある。多分複製・・・・。ガラスケースには作品名のみの表示で何も解説は書いていない。ガラスケースも空気が簡単に入ってしまうような、隙間のある簡易なもので、あまり大切に展示していないぞ・・・・・。ただ、置いてあるだけ。「国宝」と確かに書いてあるのだが、本当に国宝の実物なのか、疑ってしまう・・・・。国宝をこんな簡単なガラスケースに展示していいなかな、と思った。ぐるっと展示室を回り外に出る。
奥まった展示室のところには、浅草寺の模型などもあった。
お堂の額縁などがある。奉納された大きな絵馬など奉納者は、街の衆で当時の人の氏名が書いてある。当時のたくさんの人から奉納を受けたということですね。
「神馬」の大きな絵馬の展示があった。神社ではなく、浅草寺に江戸時代に奉納されたものだ。神仏習合の関係かな。
展示リストの配布は無いのだが、特別拝観のパンフレットよると鈴木其一の「迦陵頻伽」の絵馬の展示があるそう。いろいろ、大きな額縁(つまり、絵馬のこと。)を探して、順路を戻って探したが、無かった・・・。私が見つけることが出来ないだけだったのかも知れないが・・・。
入館者が増えて来た。賑わっている館内だ。
展示館を出る。最初に「大絵馬寺宝展」を見て、外に出て、庭園を散策する順路になっていた。
平成29年 2017年、4月2日 浅草寺 伝法院庭園 特別拝観 1
東京・浅草にやって来た。「国指定名勝 伝法院庭園 特別拝観」のためである。
※随分と遅れての記事掲載となってしまった。既に昨年(2017)上野の桜と六義園入口付近の様子は記事掲載している。
久々の浅草だ。この日の来訪の目的は、毎年この時期に開催される浅草寺伝法院庭園 特別公開の見学だ。桜の咲くこの時期が一番いいな~。
例年と比べると、桜の開花は進んでいない。私が子供の頃は、これよりも遅いくらいであったが、温暖化の影響で「平年」の時期も相当に早まっている。
まずは浅草駅への道のりから。「上野東京ライン」で直通し、地下鉄で浅草までやってきた。駅の改札付近にも外国人が多いな。地上に出ると、松屋デパートがある。東武線の浅草駅もあるのだが、外国人が多い。
イースターの休暇のためだろうか?(違うかな。)。
人が多い。混雑を避けて別の道から、仲見世を通り浅草寺の境内へ。浅草には子供の頃から祖父母に連れられて何度か来ていたこともあったな~。子供心にも今ほど混雑しているという感覚はなかったが、それなりには当時から混雑していたかも(笑)。
仲見世の裏手の道沿いの食堂で昼食を食べたりしていた。お店のことは全く覚えていないが、今もそのお店はあるのでしょうか?。地下鉄駅から仲見世に至るアーケードの商店街の一角、マクドでもよく食事をしたよ。何だかんだいったって。マックのお店は、今も同じ場所にありますね
。
当時は、外国人はほとんどいなかったな。
隅田川堤防の桜の名所も近いのだが、満開まではやや早いかな。墨田川の方向には行っていないが。
あれから幾星霜、祖父は十数年前に亡くなり、祖母は昨年であったが90歳以上の高齢で鬼籍に入った。二人供、今は亡い。私も齢(よわい)を重ねたよ。
「人は世につれ、世は人につれ。」「川の流れは・・・絶えずして・・・・しかも元の水にあらず・・・・。」そんな言葉が歩きながら、私の頭の中に浮かんでは消えた。
門はくくらず、本堂に向かって、左手に歩く。
最初に宝物館を見る。大きな額をみる。
浅草寺五重塔はなんと工事中である。囲いに覆われている。
↓ 宝物館の出入口の近くから、東京スカイツリーと工事中の浅草寺五重塔を撮影。貴重なショットだ。
平成29年 2017年、4月2日
今年の桜は満開になるまでが遅かった。
上野公園を訪れた。東京都美術館へ入館し最終日を迎えた「ティッツィアーノ展」を鑑賞した後、東京藝術大学美術館の「雪村展」を見て、東京国立博物館の総合文化展も見学した。後に、夕方は駒込の東洋文庫に移動した。東洋文庫ミュージアムで「ロマノフ王朝」の展示を見た後、期間限定ライトアップ中の六義園に入園する予定であった。
しかし、東洋文庫近くの入園券の販売窓口には行列が・・・・・。駒込駅から東洋文庫に行く途中にも行列が出来ているのを見たが、更に伸びていた。東洋文庫ミュージアムでは、六義園とのセット入場券を購入することは出来るのだが、割引の関係で購入しなかった・・・・・。
この日の来訪の目的は特に桜がメインという訳ではなかったので、諦めた・・・。「明らかに桜の開花は進んでいないし。でもしだれ桜は満開かな・・・。」と思いながら。
↓ 六義園の正門の前(南側)。
園内では桜の花も咲いているようだが。
平成29年 2017年、4月2日
今年の桜は遅かった。いえ、開花は早かった。というより、お彼岸過ぎに都心部では開花するのはほぼ恒例になりつつある。よって、平年の開花日も毎年早くなっているのではないか?。
東京・上野公園。
昨年も同じ日に上野にやって来た。しかし、この日の来訪の目的は特に桜がメインという訳ではなかったが・・・。明らかに、桜の開花は進んでいない。5分咲きくらいかな、という感覚。所によっては7分咲きくらいかな、とう程度だ。気温は日中は上昇した。しかし、前日の土曜日は冷たい雨の一日で最高気温で8度、最低は4.5度くらいであった。まだ、桜の満開になる気候でないかな、ということは私が肌でも感じた(笑)。
全く桜の咲いていない、枯木の枝がむき出しになっている木々の下で宴会を行っているグループも多い。来週の土日では桜の盛りは過ぎてしまうかもしれないので、満開には少し早いこの日の桜を楽しんでいるのであろうか。
↓ 上野動物園の門の手前(駅側)。一昨年であったろうか、ソメイヨシノの原木??と言われる木がこの並木のどれかである、というような発表があったと記憶する。(間違っているかも知れないが・・・・。)
2017年3月某日
早稲田大学総合学術情報センター(以下「センター」と記す。)
「早稲田大学中央図書館 開館25周年記念展示」 「第1期 図書館所蔵の国宝・重要文化財」の見学をした。
長いタイトルなので以下、主に「展示会」と記す。
展示会は今後、第3期まであるのだが国宝が展示されるのは大学のウェブサイトによると第1期だけ。同じくウェブサイトによると図書館所蔵の国宝が展示されるのは2007年以来、10年ぶりとのこと。
センター内の展示室のガラスケースで国宝の展示があった。
「礼記子本疏義 巻五十九」
※「疎開」「疎遠」の文字に似た「そ」の漢字がウェブサイトでは表示されないかも知れない。
「玉篇 巻第九」
の2国宝である。
途中で、見学者が複数名が入室して来た。昼休みの終わる13時(午後1時)に近くなったからであろうか?。人が増えた。一人は50歳~60歳くらいの女性で、私服だ。年配の男性がもう1人来た。男の学生の二人連れも入って来た。二人は、鑑賞して作品の話をしながら見て、私よりも先に出て行った。更に、もう1人、男子学生が入ってきた。私が出た後には、展示室内にはこの男子学生1人だけが残った。
国宝の展示ケースのコーナーを曲がって左手、展示室の長辺の部分のガラスケースでは、時代が下がって、日本の江戸時代の文化財の展示であった。
仙台の「大槻家文書」の展示がメインである。一括して重文に指定されている。同時代の人物の肖像画の展示がある。「杉田玄白像」の展示がある。彩色の鮮やかな掛け軸になっている肖像画だ。
その下には「重訂 解体新書」の展示があった。同じく一括して重文指定文化財の一部である。東洋文庫の展示で見た初版本とは違う版のもっと新しい、改定された版だ。
「重訂」なので、初版後に改訂して出版された版であろう。内容のページが開いていたが、どこのページだったか忘れてしまった(苦笑)。
東洋文庫では、顔面の「目」や「耳」の部分のページを開いて展示していたが、別のページの公開であった。ここセンターの展示室で無料配布している展示会の図録に写真が掲載されている部分とも違ったと記憶する。
「杉田玄白像」は玄白80歳当時の姿と解説文にあった。教科書に掲載されている玄白像は、まさにこれだった。あの肌が衰えて、シワが目立ち、痩せている玄白の肖像画である。本物はここにあった。知りませんでした・・・・(反省)。
当時としては、異例の長寿である。現在では100歳に相当するのかは断定できないが、見た目現代の感覚でいうと、画中の玄白の姿は90歳から100歳くらいの人にも見える。もっとも、(老化は)個人差が大きいのであるが・・・・。玄白は「医者なので養生した」ので、当時としては長命であったのであろうか?。
んー、えっ!?。手元の図録のページをめくって、実際の展示作品と比較してみると「杉田玄白像」の写真掲載が図録に無いのだ・・・・・。主要展示作品であるのに、図録に掲載が無いので「杉田玄白像」の写真は、教科書か歴史資料集で(自分の目で)確認してネ、ということだろうか??(笑)。
↓ 展示会の図録より。 「重訂 解体新書」が写っている。
展示部分は表紙の縦書きで「重訂 解体新書」とタイトルが印刷されたと思うが・・・・。
右は、第1期の展示品の解説文。
りょうげつ