良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

都心部の民間運営の美術館

 

2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞4(最終) 

 2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞4(最終)

 筑前派の国宝の刀剣などを見た。
 長方形の室内の中ほど、平ガラスケース内に展示品がある。刀剣の解説文書の展示がある。京都でも同様の古文書が展示されていた。刀絵図 元和元年の奥が木があるもの。 個人蔵 の展示があった。国の文化財指定は重要美術品。京都でも展示があったかな!?。
 秀吉の所蔵の刀剣「太閤御物」の押形集であり、730と多くの刀剣の図が記載されているという。これは、現物を徳川の世の元和元年に埋忠壽齋なる人物の手により写したものという。ここに記載されている刀剣のうち、17点が国宝に指定されているそうだ。
 「太閤御物 たいこうぎょぶつ」とは、まるで天皇のコレクションのような呼び名だ。ホントに太閤から伝わったから「太閤 左文字」の意味が分かった。
 秀吉は信長の家臣時代、「羽柴筑前守」と呼ばれていた筈。秀吉が最初に城主となって、ついに大名クラスに出世し貰った官位が「筑前守」。筑前には想い入れがあったと思う。のちに、自分の筑前守の官位は親友の前田利家に譲ったと記憶しているので、筑前派の刀剣は好んで自分のコレクションに加えたのであろうか?。
 説明によると現在、展示してある 国宝 短刀 筑前 左文字と刃文の特徴の構成が一致している。「筑州住 左」の書き込みもあり、書き込みされている長さも「7寸7分・・・」と一致しているそうだ。
 墨書されていて、刀身や刃文が見事に筆写されている。確かに寸法も明記されている。ホントに現物を見て、記録したものである。(今見ている展示品は更にその写し)
 昔の刀剣のカタログといったところだろう。

 そろそろ、退出することにする。
 実は展示室内には、座るところは少ない・・・・・・。丸くて大きい、かわしいい感じのソファが3個くらいある。展示室内のそのソファはずっと座っている人がいて、(腰が痛くても)座ることは出来なかった・・・。ひとつのソファに、女三人が、ずっーと座ってで話をしていた・・・・。私が展示室内にいる間もずうっと丸いソファを占拠していた・・・・。

 三人のうち二人はかなり太っている。年は40くらいかな。太っていると実年齢よりも上に見えるので、実際はもっと若くて30歳台と思う。三人のうちもう一人も、見た感じ同じくらいの歳のお方。体は大きいが、下半身は細い。話していて、笑うと目じりにシワが出来る。目がぱっちりとしている美人だが、上体は太っているので実年齢は上に見えるので三人のうち一番年は上だろう。ゲームのオフ会のようで、色々と、ずっ-とおしゃべりしている。時折笑ったりして、決して大きい声ではないのだが、結構気になる・・・・。特に係員は注意しない。人が出入りしているので室内はザワついているかんじ。
 展示室を出るときに、目視で来館者を数えると室内に40人くらいいて、うち男は10人くらい。小学生の女の子も二人くらいいた。家族できているか。中学生くらいのメガネをかけた女の子も1人いたかな。
 白髪の年配の女性も熱心に展示を見ていたが、1人~2人くらいしかその年代の女性はいなかった。変わらずゲームを契機とする「刀剣女子」が多いようだ。来館の刀剣女子のメガネ率はとても高い。もしかしたら、60%以上ではないか?。もっとも男子よりも、女子の方が近視率は一般的に高いし、メガネをかけた方が見やすいからね。黒髪率も高い。(だから何だという感じだが。)西洋画の展覧会とは客層が違うような気がする。(以前も書いたが。) 外国人の入館者もいた。ドイツ人のようなブロンド色の髪の背の高い女性もいた。

 最後に入口付近のガラスケース内にあった 国宝「江雪左文字」を もう一度見る。
 この作品のみ撮影が可能。
 ガラスケースの前の人が少なくなっていたので、この時点で撮影した。先程は混雑していたが、私が退出直前、この国宝の刀剣の前には、入館したばかりの20歳くらいの女の子2人がいたのみだった。彼女たちを避けて撮影したのが投稿した画像。2人のうち1人は赤いチェック模様のシャツとジーンズ、小柄、153cmくらいで茶髪のセミロング。刀剣女子は黒髪の子の地味目の服装のが多いと認識していたが、珍しく少し派手な外見である。

 館内には、撮影禁止の注意事項は何も書いてない。受付のところに係員の男性2人がいる。以前と同じく巡回し基本的にしない。監視カメラはあるようだが。一回だけ室内を巡回して、落ちとているチラシなどを拾ったが、あまり 室内の巡回と監視はしていない。
 よって「撮影禁止」と展示室の入口には書いてあるのにもかかわらず、「撮影禁止」が徹底されず、長方形の展示室内では撮影をしている人もいたのは残念だった。

  ↓ 

  (再掲載) 太刀 銘 筑州住 左 (号  江雪左文字) 。小松コレクション(ふくやま美術館寄託) 
 太刀 銘 筑州住 左 (号  江雪左文字)の拵 ↓ 黒漆研出鮫打・・・と解説にある。
 
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 (再掲載) 太刀 銘 筑州住 左 (号  江雪左文字) ↓ 
 

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  ↓ 階段でロビーにくだる。 三階を見上げる。
 室外にイスはあるが、出てしまうと受付を再度通る必要があるので、鑑賞の途中で、室外に出て休憩できるのかが、解からない・・・。よって、腰が痛くともずっと鑑賞していた。あー、座りたかった・・・(けどソファに空きが無かった・・・。)。

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 1階に戻る。

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 ロビーにあった旧両国公会堂の写真パネル。

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 昨年の展示でも同様に感じたが、インターネット通信を媒介とするゲームでのブームには、何か危うさを感じた。新規のファン層が広がることは、文化財の保護、古文化の振興にとっては、大変望ましいことだが。
 オンラインゲームというどこで誰とつながるかわからない世界・・・。刀剣のゲームにはまっているのは、まじめそうな、一途な女の子が多い。
 「ファミコン世代」のボクとしては、明らかに昨今のゲームプレイ層は私達の頃とは違うと感じる。ここでの展示の見学者達を見てもまじめそうな、一途な女の子が多いのは明らかだ。(別に悪いといっているのではない。)しかし、文化財が展示されている室内で、他の来館者は全くスルーして、ひたすらおしゃべりを続けるいい歳の女性達もいる・・・・。
 オフ会や、オフラインでの個別のコンタクトなど、インターネットを媒介とする通信ゲームでの匿名性の高い仮想世界での最初の繋がり(ファーストコンタクト オブ ヴァーチャル ワールド)に起因して、実際に会ったことによる何らかのトラブル(real metを契機とするリアル トラブル= 何れも私の造語)が現実(マジ)世界で起きはしないかと懸念をしてしまうのは、私だけだろうか。

2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞3 

 2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞3 

 今年最初の都心部の博物館関係へのお出かけだ。
 刀剣博物館は二回目の訪問である。

 
 展示はリスト通りの順番に並んでいるので、わかりやすい。

 企画展「筑前左文字の名刀」のチラシ拡大 ↓

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 重要文化財 短刀 「銘 安吉」(やすよし)(名物 日置安吉) この短刀は岡山藩の家臣 日置家のものという。日置(ヘキ)家は備前岡山藩主 池田家の重臣で万石以上の禄高の筈。よって大名クラスである。確かに岡山には日置(ひおき、へき)という地名があったな。
 元々は、日置家の所有で、のちに金沢の前田利常の所有となった。代々前田家に伝わった。重臣 日置氏は他大名家から主家池田家のある刀を「譲ってくれ・・・・・」と言われても同意しなかったという。
 この「名物 日置安吉」は「備前の長船の(名刀工)兼光をほうふつとさせる」作品と言う解説がある。
 のち、明治時代の鑑定家 今村長賀の手に渡り?、鑑定して、岩崎(弥之助)家に所有されたという。現在は岩崎弥之助の文化財を保有する静嘉堂文庫美術館の所蔵。
 チラシにも写真掲載があるが、根本から投信の真ん中は、小乱れというか、波をうつ刃文。そして、刃先の刃文が太くなっている。どこか、どっしりとしている刃文と感じた。

 平ガラスケースに、同じく重要文化財 「左安吉」(さのやすよし)の短刀の展示があった。日置安吉の作者と同一人物かは不明。所蔵は「犬山白帝文庫」とある。つまり、犬山城主であった尾張附家老の成瀬家伝来の刀剣の展示である。
 刃文は忘れたが、刀身に不動明王の持っている刀の刻みがある。
 
 向かって、左手の長辺のガラスケース内(順路でいうと、第三コーナーの長い展示ガラスケースというのだろうか?。)に「国宝 短刀 銘 筑州住行弘」土浦市立博物館所蔵があった。
 茎のなかほどに「筑州住行弘」と刻まれている。行弘は左文字の高弟にあたる1人という。作品に太刀は少なく、ほとんどが短刀だそうだ。
 年号は展示では見えないウラにあるそうだ。観応元年なので、南北朝の時代である。「年号、1350年の年紀が刻まれているのは貴重」という解説文。
 一昨年のふくやま美術館で「見た気分」になっていたが、展示期間の関係で見ていない。私が福山で見たのは、太閤秀吉ではなく、家康など徳川家由来の国宝刀剣群だったようだ・・・・。
 先は、やや湾曲している刃文だ。「色が明るい」とも書いてある。確かに刃文の色が明るい、ライトシルバーといった感じ。「・・・左文字の大成後の刃文の柄・・・」という。「内反り」といって、反っていない。背が刃の方向にやや丸まって曲がっている。
 「土浦藩土屋家旧蔵」と由来が書いてある。よって、現在は土浦市立博物館の所蔵。
 しかし、解説文には「中世以降、筑前派は姿を消した・・・」と書いてあった。
 よって現在の五箇伝にも筑前は入っていない・・・・・。筑前の作刀技術は継承されなかったようだ。その後の筑前など九州の刀工についての展示解説があったのかは忘れた・・・。

 企画展「筑前左文字の名刀」のチラシ拡大 ↓


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 値段が書いてあるという刀剣の展示があった。 「太刀 銘 吉弘」 東建コーポレーション所有
 文化財指定は無いが、ここ刀剣博物館の指定であろうか特別重要刀剣と展示リストには書いてある。
 本阿弥光忠の「折紙」によると「金子 参拾五枚・・・」と書いてあるそうだ??。小判で35両でろあうか。
 (記憶違いかもしれない。拝領品の附け書きに値段は書かないと思うし、別の作品だったかな。)

 岡山藩の池田継政に、徳川吉宗から授けられたと書いてあった。片諱を受けたのは、一代前の家継からであるが、実際に当主になったきとは、吉宗の時代だった。だから、吉宗から拝領したのであろう。
 隣に「短刀 銘 吉貞」 東建コーポレーション所有も展示がある。水戸徳川家から伝来と書いてある。
  
 あとは、ざっと見たが、平ガラスケースに、先日に行った松山の松平家伝来の刀剣の展示があった。「久松家伝来」と説明には書いてある。
 「短刀 銘 国弘作」 27cm 反り0.5cm ほぼ、反りが無い短刀。東雲神社所有。
 茎の下に「国弘作」と銘が刻んである。茎は、すりあげ(用語を覚えてきたぞ)しているのか、短い。つまり、もつ所が短い。刃文は細い、ほぼ真っ直ぐだ。すうっとしている、刃文。刀身にはキズのような文字が刻んであった「併」のような「丼」のような文字。梵字だろうか。不明だ。

 




 2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞2 

 2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞2 

 今年最初の都心部の博物館関係へのお出かけだ。
 刀剣博物館に向かった。二回目の訪問である。


 国宝 太刀 銘 筑州住 左 (号  江雪左文字) 小松コレクション(ふくやま美術館寄託)を見た後、展示室内の広いに場所に出る。長方形の室内を見回すと、前回に比べると人は少ないかな・・・。やや「ほっ」としたかんじになった。前回は混雑していたし、撮影ができる刀剣が多かっので展示ケース前で人が滞留して難渋したし。

  ↓ 刀剣博物館入口 2019年1月撮影。 


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  順路最初の展示品は「短刀 銘 良西」。展示リストの番号は1番である。良西は、「筑前派の祖」と作品解説文にある。だから、最初に展示されているのだと理解した。
 短刀といっても、他の短刀と比べても小さい。長さは22cmであるが、こぶりな小さい刀だ。

 3番目の展示に 短刀 銘 国吉 国の重要文化財指定。(筑前、つまり現在の福岡県の福岡市博物館所蔵であった。) 銘 国吉の短刀は、同じ短刀でも 銘 良西よりもおおきい。
  国吉は、1番目の展示の良西の子という。しかも、西蓮(サイレン?)という法名を持つという。国吉が出家した後の法名が西蓮というのだ。
 重要文化財指定の太刀も展示がある。銘は「筑前国博多談義所 国吉法師西蓮」と刻まれている。厳島神社所蔵。 この太刀は、広島藩の家臣 岡田家に伝来したものという。いつの時代か忘れたが、広島 浅野家領内のの代表的な神社 厳島神社に寄進されたものだろう。解説の文章には「匂・・がややうるんだ刃文・・・」と書いてあるが、難しくて理解出来ない。刀身の真ん中や先端付近には、湾曲した刃文がある。「湾」のたれととうのか、私は小乱と思ったが、違うようだ。「博多談義所」という場所があり、そこの出家した法師 西蓮、出家前は 国吉 の作という意味の銘だろうか。まさに「筑前 博多」の刀工であることがわかる。当時の博多は、商業都市で、権力をもった領主の直接統治ではなく、一種の自治都市、自由都市のような存在ではなかったか。
 他にも西蓮の銘の作品が展示されていた。

 続いて順番に見ていく。
 重要文化財指定 太刀展示 銘「元弘三年六月一日 実阿作」 熱田神宮 所蔵。日付まで入っている太刀という。網直刃というのか、刃文はまっすぐである。鎌倉時代の元寇があったころの作であろうか。刀身の部分にも銘があり、刀身切付銘というらしいが、「文禄×年×月・・・・松下小一郎守勝 奉寄進熱田大神宮・・・・」とある。後世、秀吉の時代に松下氏が熱田神宮に寄進した由来が刻銘されているようだ。
 名前が松下小一郎なのでかつての秀吉が青年期に仕えた、松下家の人かな。秀吉の出身地に近い、熱田神宮に寄進したのだろうか。「実阿」も出家した僧、時代が近い、快慶のような仏師のような名前であるが、西蓮の子という。

 展示はリスト通りの順番に並んでいるので、わかりやすい。
 国宝 短刀 銘 左/筑州住(号  太閤左文字) 小松コレクション(ふくやま美術館寄託)があった。
 京都国立博物館の展示リストを復習すると、2か月前に京都国立博物館の特別展「京のかたな」で見ているのだが、すっかり忘れている
 一昨年のふくやま美術館で「見た気分」になっていたが、展示期間の関係で見ていない。私が福山で見たのは、太閤秀吉ではなく、家康など徳川家由来の国宝刀剣群だったようだ・・・・。
 解説には「・・・互いの のたれ? の目を交えて・・・・」とあったようなー・・・・。私が実見するところやや湾曲している刃文だ。「浜松藩の井上家に昭和時代の初めまで伝来していた・・・・・」と由来も書いてある。その後、実業家が恐らくは購入し、このときか、更にのちの時代に同じく実業家の小松コレクションの一部となったのだろう。
 茎(なかご)の下に「左」と一文字のみ、銘が判読できる。
 拵も横に展示されている。国宝の「附(つけたり)」指定になっている。唐草文様のある、さやであるが、金色の三つ葉葵の文様がある。金箔をまぶして制作しているのだろろう。浜松藩 井上家は老中も務めている譜代の家柄。徳川吉宗などの時代にも老中を務めている当主もいたはず。よって、老中の井上氏の功労のねぎらいに徳川将軍から拝領したものではないか?。 

企画展「筑前左文字の名刀」のチラシ拡大 ↓

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 ↓ (再度掲載) 太刀 銘 筑州住 左 (号  江雪左文字)
 

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2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞1 

 2019年1月 刀剣博物館 企画展「筑前左文字の名刀」 鑑賞1 

 今年最初の都心部の博物館関係へのお出かけだ。
 
 ※ まずは、神社で初もうで。国宝の刀剣の展示も見た。国宝の刀剣は季節ごとに定期公開されるようなので、記事は後日とする。
 「ももてなし家」での食事の後、刀剣博物館に向かった。二回目の訪問である。

 電車にて両国駅へ。駅を降りる。国技館の前を通過する。既に初場所が始まっているためか、付近は混雑している。人が歩道にあふれている。力士たちは館の敷地内に入ってから、送りの車で降りるのではなく、車道、歩道の脇に車を停めて敷地内に入るようなのだ、それを待ち構えているらしいのだ・・・・・・。
 事情がわからない私は人ごみを避けながら、歩道を歩いて博物館の方向へ。首都高の高架に沿って歩く。人ごみを抜けるとホッとした。と目の前に旧安田庭園の入り口があらわれる。今回は、園内は通らずに園の横の塀沿いに博物館へ歩道を歩いて向かった。
 旧安田庭園に来るのは、すっかりおなじみすみ(済み)だ!!??。ええーとここは「すみだ」く(墨田区)・・・。

 

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 刀剣博物館のコンクリート打ちっ放なしの真新しい建物の内部に入る。

 ↓ 刀剣博物館入口 2019年1月撮影。 12月に撮影した画像と区別はつかないが・・・。

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 1階のロビー、先日も来たが受付のハイテーブルで入館料金の1,200円を支払う。
 最初は「千円札1枚なので、ちょうど支払いやすいなあ。」と千円札1枚を用意していたのだか、今回は「1,200円」と言われた。ボクは、慌てることなどはせず、冷静に200円の小銭を取り出して支払ったのであった
 今回は企画展「筑前左文字の名刀」なので所蔵品以外の他の館所蔵の貸し出し品の展示も多数あるから、前回の1000円ちょうどではなく、観覧料金が違うようだ。

 ロビーやその先の休憩スペース、受付そばの売店には、刀剣女子の若い女の子達がいる。しかし、前回、昨年末の訪問時ほど混雑はしていない。今回も「展示室は3階です。」と言われ、係員に指示された通りにエレベータで3Fにいく。

 今回の企画展は「撮影禁止」との表示がある。展示の室内に入る。展示室入口のカウンターで再び入館券を見せて、半券は回収される。ここには、前回と同様初老の男性係員2名がいて、半券をちぎって回収している。昔からの刀剣博物館の職員といった感じ。カウンターの上には「日本刀鑑賞の手引」である「日本刀の基礎知識」の新しいパンフレットが置いてあった。上質紙のカラー印刷である。係員から「どうぞ」と言われたので、頂いた。
 入室する。と、受付の廊下の先の正面、展示室第一のガラスケースには、国宝の刀剣の展示があった。
 
 太刀 銘 筑州住 左 (号  江雪左文字)であった。小松コレクション(ふくやま美術館寄託)であった。
 他の美術館保管の作品であるにもかかわらず、この展示だけは撮影可能であった。一昨年(2017年)の秋にふくやま美術館を訪れたが、太刀 銘 筑州住 左 (江雪左文字)は展示していなかったとおもう。
 刀剣は名称似ているし、区別がつきにくいので、どれを見たか見なかったのか、判別が難しい。反対に「あれっ、これ見たぞ。」と誤解してしまうことも・・・・。
 皆、かたまって撮影をしているので、入り込むスキがない。
 その拵(こしらえ)が横に展示してあった。

 太刀 銘 筑州住 左 (号  江雪左文字)の拵 ↓ 黒漆研出鮫打・・・と解説にある。
 黒い漆と鮫皮で・・・・という工芸手法であろうか。
 
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 太刀 銘 筑州住 左 (号  江雪左文字)
 刃紋の幅が太い。なかほどの下に一部波を打つような刃紋(刃文)があって、その先はスーっとほぼ真っ直ぐのような。受付にあった「日本刀の基礎知識」によると「湾れ(のたれ)」の刃文なのかな?。
 先端にキズがあったのが、見えた。画像には写っていないが、キズがあるのだ。(だから、何だというのか、オレは理解していないが・・・。)
 そもそも「刃紋」なのか「刃文」なのかも未だに理解していない・・・。

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 ↓ 太刀 銘 筑州住左 (号  江雪左文字)  茎の拡大。
  銘は一番下の部分、穴の下側に「左」とあるのが見える。あとは、判別できない。丸い穴がいくつもあいている。

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 国宝を見た後、展示室内の広いに場所に出る。長方形の室内を見回すと、前回に比べると人は少ない・・・。「ほっ」としたかんじになった。前回は混雑していたし、撮影ができる刀剣が多かっので難渋したし。



2018年12月 刀剣博物館 企画展「諸国漫遊-多彩なるお国拵と日本刀5ヶ伝を巡る旅」 鑑賞1 

 2018年12月 刀剣博物館 企画展「諸国漫遊-多彩なるお国拵と日本刀5ヶ伝を巡る旅」 鑑賞1 

 2018年、平成30年は12月に入った。恐らく、今年最後のお出かけかな。
 刀剣博物館に向かった。刀剣「美術館」ではない。初めての訪問である。以前は、代々木にあったが、東京は墨田川の東の両国に移転した。代々木時代は、明治神宮にも程近い、参宮橋が最寄駅であったようだ。「ポニー公園」などに子供を連れて来たこともあったが、実は刀剣博物館とも近かったらしい・・・・。
 
 今年(2018年)は、京都国立博物館での特別展「京のかたな」にも行った。もっと早くに刀剣に興味を持てばよかった・・・。遅すぎたよ「刀剣男子」としてのデビューが・・・。 

 電車にて両国駅へ。駅を降りる。国技館の前を通過して、博物館の方向へ。首都高の高架に沿って歩く。と目の前に旧安田庭園の入り口がある。無料であったので、園内を通って博物館に向こうことにした。
 旧安田庭園に来るのは、久しぶりだ。

 

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 この日の14:25頃、公園内を通過した後に博物館に入る。

 刀剣博物館の建物は、庭園のすぐ横にあった。かつて、同じ場所にあった旧両国公会堂のオレンジ色の外壁ではないが、丸い尾根の目立つ、コンクリート壁の建物。
 ただし、庭園から博物館には直接には入れない。一旦外に出る。しかし、庭園と博物館の敷地を結ぶ、新しい通路、通用門までできている。
 丸い屋根が特徴的な旧両国公会堂の建物を改修して建築したのかと思っていた・・。しかし、目の前の刀剣博物館の建物はコンクリート打ちっ放なしの真新しい建物・・・・。
 大改装は誤解であり、一旦解体して、新築したのだと理解した。

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 内部に入る。1階はロビーだけのようだ。真新しい建物。受付のハイテーブルと小さい売店、休憩コーナーがある。刀剣に関する紹介コーナーがある。
 受付で入館料金の1000円を支払う。千円札1枚なので、ちょうど支払いやすい。若い女の子が受付にいる。まさに刀剣女子を採用したのかと思う係員。もう一人の女性係員は30歳以上かな。いずれにせよ、刀剣女子世代だ。「展示室は3階です。」と言われる。
 売店は書籍の販売が中心だったような。 昔の図録 「〇〇集大成」というタイトルだったか忘れたが、値段は55000円くらいの書籍もあった。

 展示室は、1Fにはないようだ。係員に指示された通りにエレベータで3Fにいく。
 展示の室内に入る。ここで入館券を見せて、半券は回収される。ここには初老の男性係員がいて、半券をちぎって回収している。昔からの刀剣博物館の職員といった感じ。
 入室する。と、人が多い・・・・・・・。「えっ、こんなにいるの??」というかんじ。室内を見ると全部の展示品のガラスの前に人がいるくらいの入館者数・・・・。
 展示室は、3Fの1室のみであった。長方形をしている。
 展示室の中ほどの平展示ケースには、拵(こしらえ)や鍔などが展示されている。
 刀身のみは、撮影可能だった。しかし、刀身以外の刀装具などは撮影禁止。
 鍔は「金工」のジャンル。鍔の技術は、薩摩などでも発達したそうだ。庄内でも栄ええたそうだ。説明では「酒井氏が(庄内に)入部したから」刀装具などの金工技術が発達したということが書いてある。


 壁側のガラスケースを展示室の入口に近い方から、順番に見て行く。最初は「拵」こしらえの展示である。最初のガラスケースの展示コーナーの半分弱くらいのスペースを拵が占めている。これらの「こしらえ」などは撮影禁止だ。
 この夏に訪問した庄内の致道博物館所蔵の 拵 (こしらえ)が二点展示してあった。

 ↓ 刀剣博物館入口とロビーの様子。

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「パリグラフィック ロートレックとアートになった版画・ポスター展」 鑑賞2

 2017年12月10日  「パリグラフィック ロートレックとアートになった版画・ポスター展」 鑑賞2
 三菱一号館美術館
  以下展覧会名は「パリ グラフィック展」とかなり省略して書くことにする。

 最初の展示室から見ていく。見学者は各展示作品の前に途切れなくいるし、室内はあまり広くはないので混んでいるように感じる。
 展示は、ロートレックではない作家の版画の作品、ポスターも展示されている。いずれも小さい作品だ。この部屋では 2年前の「プラド美術館展 スペイン宮廷 美の情熱」ではボシュなどの作品が展示されていたと記憶する。
 展示されているポスターなどの作品は、「三菱一号館美術館の所蔵」と表示されている作品も多く展示されている。ここ三菱一号館美術館所蔵作品は無いと誤解していた。以前の投稿でも所蔵品は無い国立新美術館のように近代西洋絵画を中心とする企画展メインの民間美術館のように書いていた・・・が、誤解であった。ここにお詫びして訂正します。
 「ピエール=ボナール」の作品もあった。名前は、何かで読んで知っている。。作品もどこかで見たことがあるかも知れない。
 「フランス シャンパンのためのポスター」というタイトルである。どこかでこの作品の画像は見たことがあるような。ということは、有名な作品なのでしょう
 露出度の高いドレスを着た女性がグラスをもっている。あふれているのは、最初は何か洗剤の泡かな、と勘違いしたが(苦笑)、シャンパンの炭酸ガスではないかな?。楽しそうにお酒を飲んでいる様子。
 フランス語が分からないのであるが、パリのどこかの店でしょうか。
 
↓ 展覧会のポスターの拡大。
  ボナール「フランス シャンパンのためのポスター」の画像が掲載されていた。


 
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 最初の部屋と隣の部屋を見ていく。暖炉のある展示室もある。次の部屋に行くと、人が集まっている作品があった。ロートレックの「ディヴァン ジャポネ」である。
 ロートレックといえばこの黒い衣装の女の作品を思いおこす人も多いだろう。拡大、抜粋の写真も展覧会のポスターに採用されているし。
  ↓ 展覧会のポスターの表面の拡大。女性の拡大が。
   (一緒に写っているのは、山口県のアンテナショップで買った鶏卵せんべい。)

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 「ジャポネ」というので日本に関係するポスターかなと思ったが、「日本の長いす」という意味とのこと。お店のポスターであった。当時パリでは日本趣味が流向していたそうだ。画家も日本の浮世絵を収集していたというし。
 絵の女性は当時の有名な踊り子でジャンヌ=アヴリルがモデルという。黒い扇を持って、ギャルソン?の男性がうやうやしくイスを持っている。そこに腰をかける踊り子 ジャンヌ・・・・、かと思ったが、男性は音楽評論家とのこと。ポスターの奥には、鍵盤やオーケストラの楽器のようなものが描かれている。顔のな細心の女性が描かれているが、当時の有名な歌手のイベット=ギルベール。黒い手袋がトレードマークとのことで、黒手袋で判別できるらしい。有名な歌手の顔を描かないとは、お店の宣伝ポスターなのに凄い構想というか。説明では「大胆な構図」とある。
 当時のパリの「ベル=エポック」をほうふつとさせるポスターだ。

 ポスターなのでたくさん印刷できるのですね。よって同じポスターが複数存在している。よって、コレクション化するのは絵画よりも容易なのでしょう。

 次の部屋は、撮影可能の展示室であった。




「パリ♡グラフィック ロートレックとアートになった版画・ポスター展」 鑑賞1 三菱一号館美術館

 2017年12月10日  「パリグラフィック ロートレックとアートになった版画・ポスター展」 鑑賞1
 三菱一号館美術館
 
 東京駅の八重洲側から、線路を超えて丸の内側まで歩いた。かつては「一丁ロンドン」とも呼ばれた地区にある三菱一号館美術館までやって来た。「パリグラフィック ロートレックとアートになった版画・ポスター展」であるが、あまりに展覧会のタイトルが長いし、「ハートマーク=」まで名称の中に入っているので以後は「パリ グラフイック展」とかなり省略して書くことにする。本当は「ロートレック展」と思って訪問したのだが、後記するが必ずしもロートレック展ではなかったので、総称して「パリ グラフイック展」と呼ぶことにしよう。

 前回の訪問は2015年12月27日、イスパーニャ、マドリードのプラド美術館(Museo del Prad)の所蔵品展ですあった「プラド美術館展 スペイン宮廷 美の情熱」の鑑賞以来だ。そのときは「三菱一号館美術館 開館5周年記念」のサブタイトルが付いていた。私は前回訪問が「三菱一号館美術館」初・鑑賞(祝)だったので、今回はやっとのこと2回目の訪問だ。ほぼ2年ぶりだ。
 ↓ 美術館までやって来た。


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 ↓ 美術館の入口付近の階段と展覧会ポスターの様子。

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 ロートレック = アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック、彼は南フランスに領地とお城を持つ、名門貴族 伯爵家(Cont )の出である。「de」のつく長ーい名前がその出自を示しているのではないだろうか(多分)。
 しかし、彼はケガのため小柄だったそう。彼の写真を見たことは無いのでその姿は分からない。が、彼のポスターなどの作品の写真は見たことがある。

 東洋文庫の入館料を支払ったレシートを提示する。100円引きになった。1600円のところが1500円に割引に。東洋文化は入館券は無いのでレジを打ったときに渡されるレシートが半券がわりになる。


 エレベータで3階に昇る。入館者は比較的多いのではないか?。同じエレベータ内には私以外に7人くらい乗っている。うちカップルが2組も・・・・。エレベータを降りて展示室内に入る。
 各作品の前には常に見学者がいる状況。狭い最初の展示室内には大体20人-25人くらいは鑑賞者がある。
なんか、だるい。寒気がする。キーンとなるのだ。展示室が狭くて混み合っているからかな?。思い出したのだが、2年前の入館時も寒気を感じながら鑑賞した。あのとき体調を崩していたのだ。というより、発熱していたから寒かったのだよ。おかけであのときの平成27-28年にかけての年末年始はずっと療養だった・・・・。しかし年末年始の休みにかぶって仕事に影響が無かったのは助かった・・・
 ここに再び来たので「2年前の体調不良の再発かな?。」と急に心配になってしまった・・・・。

 展示は、ロートレックではない版画の作品、ポスターが展示されている。いずれも小さい作品だ。この部屋では
 2年前の「プラド美術館展 スペイン宮廷 美の情熱」ではボシュなどの作品が展示されていたと記憶する。
 三菱一号館美術館の所蔵による作品が展示されている。所蔵作品は無いと誤解していた。以前の投稿でも所蔵品は無い企画展メインの美術館のように書いたいた・・・。ここにお詫びして訂正します。

 ↓  出口からみた併設カフェの様子。人気店のようで外まで行列していた。入館したのは夕方で、ライチやディナータイムでは無い。何か名物のパンケーキなどカフェメニューがあるのかな、と思った。

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「日本画の教科書-京都編 栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ-」鑑賞2 山種美術館

 2017年2月某日 「日本画の教科書-京都編 栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ-」 鑑賞2

 2か月ぶりに山種美術館にやってきた。続いて展示室を見ていく。
 重要文化財のもうひとつの指定作品 村上華岳筆「裸婦図」は奥の壁の右手に展示されていた。なぜか華岳を私は「麦僊」と混同してしまう・・・・、何故でしょう??(笑)。 

↓ 今回の展覧会のチラシの上の部分と以前(平成27年8月)、本館で購入した「裸婦図」の絵葉書。
 写真の右上は、松園の作品だった。

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  「裸婦図」の説明には「平成26年に重要文化財に指定された。・・・・」とある。タテ1.5メートルはあろうかという大きな絵。二年くらい前に、東京国立博物館に展示されているときに見た。平八郎の「漣」を見た前年だったかな。撮影は禁止なので、画像は無い。
 「裸婦図」は全体的に茶色の絵で、ふくよかなエクゾチックな容貌の半裸の女性が印象的。作品が大きいので、半裸の女性の乳房と乳首がとても目立っていて強調されている。半円形の丸い乳房である。
 説明によると、インドのアジャンターかエローラの遺跡に書かれた女神とダヴィンチのあの「モナリザ」のモデルの女と背景を思わせる、という意味の解説だった。この作品の後、華岳は女性の姿を描くことは無かったそうだ。
女性が腰をかけている横には、蓮の花が描かれている。仏教画のようでもあるし、モナリザを手本とした西洋の女性を表現したようにも見える。インドを代表する東洋と西洋、そして自国日本を融合させたような作品だった。この作品は大正時代前期の作なので、まだ華岳は若い時期の作品。理想の女性をすでに表現し切ってしまったのでしょうか。
 続いていくつかの作品展示があり、麦僊の「香魚」という作品があった。つまり鮎のこと。数尾のおいしそうな、とれたて?のみすみずしいアユがザルに盛ってある絵。初夏、6月に釣り上げたアユの写生画であろうか。

↓ (既出)館の外に掲示されていたポスターの部分。
   右に重要文化財指定「斑猫」の写真が小さくある。しかし、現物は大きかった。
   左、上村松園の「牡丹雪」。
   下、平八郎の「筍」の部分。

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 続いて、コーナーを曲がり、展示室を見ていく。平八郎の作品は、魚の絵があった。「鮎」。数点の展示があったが、あの重文に指定された「漣」のような抽象画のような作品ではない。先に展示があった「桃と女」のような実物画だった。均一ではないにせよ、あの「~~~」が続く「蒼い波の絵」ではなかった。
 順路の最後の方に、上村松園の作品があった。遠くから見ても、目立つ、一際色彩の美しい絵だからすぐにわかる。着物を来た優美な女性の絵だった。

 ↑ 上の写真の左が上村松園の「牡丹雪」。戦時中、昭和19年の作。
 説明文にだったか「国威発揚関連の展示会に出品」されたとあったような・・・・。戦時中、画材の入手が困難だった時期なので国策協力は不可欠だったようだ。
 今回展示されていた松園の作品は、「ペパーミント」のような着物が印象的な女性の絵だった。

 展示室の最後のゾーンに、日本画の材料の展示コーナーがある。この周囲の壁面には松園の息子、松篁などの作品展示があった。
 日本画の材料については、本館ではいつも(この場所に)展示されているようなのだが、ニカワの材料あり、鉱物性の材料あり。貝を材料とする白の画材あり、特に紺などのブルー系の材料は鉱石だし、黄銅鉱?も使用しているようなので戦時中は特に入手困難だったのではないか。
 もう一度、展示室の最初の部分に戻って来て「斑猫」を再度見た。駈足で10時35分過ぎに鑑賞を終えて外に出た。10時15分くらいに来たので、20分くらいの滞在であった(苦笑)。 
 1階の映像コーナーでは渋谷区の他の博物館、美術館を紹介していた。ちょうど国学院博物館を紹介しているシーンであった。前回も見たような記憶がある。近隣の館同士で連携しているようだ。

 恵比寿駅へ美術館から坂道を下って歩いた。寒い日なのであるが苦にならず、かえって歩きやすい。体が温まった(笑)。

「日本画の教科書-京都編」 鑑賞1 山種美術館

 2017年2月某日 「日本画の教科書-京都編 栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ-」
 会期は2月5日(日)までだった。

 2か月ぶりに再び山種美術館にやってきた。冬の寒い晴天の日。 国学院大学博物館の特別展を見学した後の訪問だ。同大学から山種美術館までは、歩いて5分かかるかかからないくらい。道路を渡る信号待ちの時間によっても異なるが。
 
 前回11月の訪問時と同様、寒い日だ。あのときは、晩秋だったがこの日は真冬の本番。ただ、陽射しは明るいので、青空がまぶしいな

 前回の私(にとっての鑑賞)のメインは御舟作の重要文化財指定「名樹散椿」だった。今回は、竹内栖鳳の重要文化財指定「斑猫」が展示される。本館で一番有名な所蔵作品ではないかな。「斑猫」は三年くらい前に東京国立近代美術館で開催(のち、京都国立近代美術館でも開催)された「竹内栖鳳展」では代表作として展示された。その後、本館(山種美術館)で開催された展覧会で、展示されたことがあるかは、分からないが、今まで見たことが無いため今回やって来た次第だ(笑)。

 昨年(か一昨年)に同じ栖鳳筆の「絵になる最初」が栖鳳二点目として重文に指定された。「絵になる最初」は京都の美術館の所蔵。京都画壇の大家とはいえ、重文指定の代表作がそれまでは京都には無かったことになる。やっと、京都所在の作品、なおかつ近代京都画壇の大家の作品が重文に指定されたのだ。お目でとうございます(笑)。 「絵になる最初」は昨年に、東京国立博物館に展示されているときに見た。
 作品名からイメージしにくいが「初めて絵のモデルにならんとする、まだ十代の可憐な少女の姿、様子を捉えた日本画」だった。私がタイトルをつけるならば「初めてモデルになる少女(着物姿)」かな(笑)。
 
 山種美術館の入館料は1200円。実はこの日、前回訪問時に反省を生かし、どこかの美術館で入手した「日本画の教科書-京都編」のチラナに付いていた「割引券」を持って来たのだ(笑)。「割引券 命」だな・・・・ボクは(苦笑)。
 館内に入ると、平日のため人は少ない。一階ロビーにある「映像コーナー」のイスはすいているし。カフェも人が二、三人いるのみ。主婦らしき女性がコーヒーを飲んでいる程度だ。
  私はカウンターでチケットを購入して、展示室へ階段を降りた。 
 
 地下展示室の入口ドア付近には、だれもいなかった。土曜日、日曜日に来たときは、人の出入りが多かったが。

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 自動ドアを入って左手の廊下を進み「斑猫」を求めて小さい「第二会場」の展示室から見る。
 「炎舞」を以前、二回見たときと同じ場所の狭い部屋だ。今回は、室内に私以外に誰もいない。大型の作品が展示されていた。

 第一会場、つまり通常の展示室の最初の壁に重要文化財指定「斑猫」はあった。人が数名作品の前にいて、見入っている。作品は想ったよりも大きい。タテヨコ1メートルはあろうか。
 作品名は「まだらねこ」と思っていたが作品の説明にもあるように「はんびょう」が正しかった・・・・。

 重要文化財「斑猫」の前に立って長方形の展示室の奥を見ると、ざっと20人くらいの入館者がいる。入口付近はすいていて、人がいなかったが、平日でも入館者は多い。会期末も近いし、次の土日は何倍にも混雑するであろう。

 ↓ 館の外に掲示されていたポスターの部分。
    重要文化財指定「斑猫」の写真が小さくある。しかし、現物は大きい。

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 画面の中央に猫が大きく描かれている。猫の瞳が印象的だ。エメラルド色をしている。翡翠のような色というべきか・・・・。どのような画材を使用しているのだろうか。本当に深い色だ。説明によると「猫の目や毛のところには金泥(きんでい)を使用している」そうだ。金色以上に深みのある色だ。
 モデルとなった猫の写真も展示されていた。普通の猫だった(笑)。

 ↓ 入館チケットの写真は「斑猫」であった。

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 猫の毛には、確かに金色の体毛が表現されている。金泥によるものなのだろう。

 栖鳳は「本名、恒吉(つねきち)・・・動物画を得意とし、『動物の匂いまであらわす』といわれた・・・昭和12年に文化勲章を受章した・・・・」と説明にある。
 「躍動感」以上に感じさせるものがある、という意味で「においまであらわす」と称賛されたのでしょうか。毛の逆さだった様子まで見事に表現されている。

 栖鳳の本名であるが、竹内「こうきち」と読むと私は思っていたのだが、これまた誤解だった・・・・・。本名、竹内恒吉(つねきち)、第一回文化勲章受章者。受賞当時 正五位、勲四等。同時に受賞した横山秀麿(大観)は当時無位、叙勲も無しであったのと対照的であった。
 以前 文化勲章受賞決定の文書は国立公文書館の展示で見たことがある。

  観覧者は、中年以上の女性が多いような。ブーツをはいてピッチリとした服装の女性もいるが年齢は40台半ば以上かな。次いで、老年の男性。学生のような人もいる。私と同じような(仕事をサボッているような・・・・仕事の合間に来ているような)中年以上の男性は、私以外に一人くらいいたような気がしたが、基本的にはいなかった・・・・。

 ↓ 今回の展覧会のチラシの部分。
  福田平八郎「筍」、土田麦僊「大原女」。
  
 
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 福田平八郎「桃と女」ふくよかな作務衣姿の二人の女性が印象的だ。二人の女は、農作業の途中なのであろうか、頭に頭巾を巻いている。作品は大きい屏風絵だ。
 桃の季節なので、7月頃の暑い時期であろうか。女性の着物も薄着の感じ。胸元が強調されていて官能的な視点である、というような解説文があった。制作年は大正5年。のどかな、そして穏やかな桃の実る農村地帯の初夏の風景だ。
 その隣に土田麦僊「大原女」が展示されていた。
 「大原女」は大きい屏風絵で、桜の咲く春に京都の北郊、大原の女が薪を頭に載せて運ぶ様子を捉えている、いかにも京都らしき作品。女の姿も力強さとともに優美さを感じる。

 続いて、見ていく。角を曲がったところ、奥の壁の一番右に重要文化財指定作品 村上華岳筆 「裸婦図」が展示されていた。

 
 ↓ (既出) 広尾中側から見た山種美術館。
   寒い日で、春はまだ遠い枯れ木の並木ではあるが、よく晴れていて青空が映える。

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「速水御舟の全貌 -日本画の破壊と創造-」 鑑賞1 山種美術館

 2016年11月27日 「速水御舟の全貌 -日本画の破壊と創造-」

 前回の訪問は、お盆も過ぎたある暑い、炎暑の日のことでした。 あれから、一年数か月、再び山種美術館にやってきた。この日は、冬を思わせるような寒い曇天の日。 「速水御舟」展の観賞です。
 まずは、再び恵比寿駅から美術館までの道のりを歩く。前回の真夏の訪問と比べると、寒い日の方が歩きやすい。体が温まる(笑)。アノ夏の日は、気温32度くらいであった。今から思えば、よく歩いたものだなぁ~(笑)。
 
 前回の私(にとっての鑑賞)のメインは御舟作の重要文化財指定「炎舞」であった。しかし、前回の展覧会は「青頓」がメインであり、御舟の作品はメインではなかった。ポスターには「『炎舞』二年ぶりの公開とコピーが入っていて、写真も掲載されていたが・・・・。今回は、御舟作の重要文化財指定は「炎舞」ともうひとつの指定作品「名樹散椿」も展示される。正真正銘の「御舟展」の開催である(笑)。

 

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 山種美術館の入館料は、1200円。実はこの日、お金をあまり持ってこなかったのだ・・・・。お札が無い・・・・。帰りの電車賃は、ICカードがあるので大丈夫だが。希望的観測で入館料「1000円」だったかな?と思い込んでいた・・・・(苦笑)。
 入館料を支払うとお財布の中にお札は無くなった、しかし、小銭はまだある。ここを見て、真っ先に帰ることにするとしよう(笑)。

 館内に入ると、人が多い。一階ロビーにある「映像コーナー」のイスは満席。カフェも人がいっぱいだ。混んでいるな~、ロビーで突っ立っていると(笑)、次々に入口から人が入ってくる。
 私のすぐあとからも親子らしい女性二人連れが入ってきた。私が入館する直前、歩道に車でやってきて、美術館の前の歩道に車から降りて来た人がいた。どうやら、彼女たちだったようだ。ここまで送ってもらったようだ。お二人は、チケットを示して、さっさと地下の展示室に降りていった。

 私はカウンターでチケットを購入して、展示室へ階段を降りる。ここには、地下の展示室しか無い。室内は、混雑している。自動ドアを入って、左手の廊下を進み、小さい「第二会場」の展示室から見る。
 「炎舞」が以前見たときと同じ場所、狭い部屋の正面に展示してある。作品の前は人だかりである。作品を前に「すごいねー」などと鑑賞者は話をしている。
 室内は暑い。熱気がすごいのだ。とな時部屋の他の展示作品の前も混雑している。
 御舟の絶筆の作品「月の絵」も展示がある。銀を「銀箔」のように薄く延ばして、貼り付けをしたような感じの月だ。未完となっているそうだ

 「速水御舟の全貌」展、すごい人気です。前は灼熱の真夏だったから、すいていたのかな。今回は、季節のよい秋の展覧会なので、混雑しているのかな??。もっとも、先に書いたようにこの日は冬のように寒かったが。

 もう一個未完成の作品の展示があった。



「日本近代洋画への道」山岡コレクションを中心に 中村屋サロン美術館 鑑賞

 2016年11月の寒い日。
 新宿の中村屋サロン美術館に再びやって来た。
 高橋由一から藤島武二まで「日本近代洋画への道」山岡コレクションと副題が長い(笑)。

 2014年10月にオープンしたこの「美術館」。訪問するのは、三回目だ。
 開館の翌年の2月に「開館記念特別展」を見学した。次の訪問は、その約一年半後で「中村不折の魅力」を今年の7月に鑑賞した。そして、11月、四か月ぶりの訪問となった。

 ↓ 三階にある美術館入口の様子。この日は、寒いし、平日とあってか、入館者は少なく、すいていた。
 

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 会期は12月11日まで。約三か月の会期があるが、またまた会期末に近い訪問となった。
 美術館の入口は中村屋ビルの3階。エレベータで上がります。エレベータを降りると、例のブライダル旅行サロンのお出迎えの方は・・・・、この日は平日とあってか、いませんでした(ホッ)。
 店頭には「ウエディングドレス」が飾っていない・・・・・。美術館に来る人は、ほぼ皆、このブライダル旅行サロンの前を通るのだが、ややこしいのでお出迎えをやめてしまったのか?。この日、訪問したときは、あまり「ブライダル」は打ち出しをしていなかったような・・・・。
 


 ↓ エレベータ前から、外の通りを見る。少し前には、雪が降ったのだが、この日はやや雨。
  さすがに雪が降る寒さではなかった。

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 美術館の入口、カウンターにはいつものように女性が座っていて、私に気づいて、立ち上がる。私は「1人」と声を出す。300円を支払うと、チケットをくれる。 
 私の他に観覧者は、60歳~70歳くいらの女性が二人いたくらいだ・・・。その女性のうちの一人は奥の展示室から戻ってきて、再び奥の部屋に戻って作品をじっくり見ていた。 

 最初の展示から順番に鑑賞していく。受付(つまり、売店、チケット販売のレジのあるところ)台のそばの壁には、あの高橋由一の作品の展示があった。
 あの有名な「鮭」の絵である。が、よく見るとあの教科書に必ずといっとよい程に掲載されている「鮭」とは違う・・・・。長方形の板に描かれている。「上から吊るされたアラマキ鮭」そのものの描写は、重要文化財指定、東京藝術大学所蔵の「鮭」と酷似している。同じ作者なので当たり前といえば、そうなのだが(苦笑)。
 説明を読んで更に作品に顔を近づけて見る。「背景の板」は、描いた(つまりペインティングした)ものではなく、素材の板材の木目がそのまま「背景」になっているのだ。こりゃすごいです。
 

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 壁の説明文を読むと、今回は山岡孫吉氏のコレクションからの出品。山岡氏は、ヤンマーディーゼルの創業者とのこと。コレクションの所蔵は、茨城県笠間市にある美術館のようだ。今回の作品のほとんどは、同館からの出品。なぜ、茨城県なのか説明は詳しく書いていなかった。山岡氏自身は、滋賀県、現在の長浜市高月の出身。あの「いのくち式ポンプ」とも関係があるそうだ。故郷ではなく、茨城の美術館にコレクションが所蔵されていることになる。


 鹿子木孟郎の「奉天入城」もある。 日露戦争で奉天(当時)に入場した満州軍の大山総司令官、児玉総参謀長らの馬上の姿やと列する兵士達を描いた有名な、歴史資料集にも掲載のある絵だ。この人の作品だったのだ。今回、展示された経緯は会場の作品の前には書いていないので、不明だ。図録には書いてあるのかも知れないが。コレクションの一部なのだろうか。


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「中村不折の魅力」 中村屋サロン美術館 見学2

 2016年7月の雨の日。 新宿 中村屋サロン美術館。
 生誕150周年記念 「中村不折の魅力」の見学。

 展示スペースの壁には、洋画が展示してある。まずは、フランス留学時代の師であったフランス人の画家の作品。次いで、留学時代の油彩画が並んでいる。
  年賦、写真を見て、奥の展示室へ進む。
 
 ↓ 企画展チラシの表面。
  入場券やチラシに掲載されているこの写真の画。大きいサイズの作品であった。
  題名の漢字が読めなかった・・・・・。中国の何かの故事に基づいて描いた作品。奥に吊り下げられている、鼎に何かの意味があったような・・・・。誤解だったかな・・・・。

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 ↓ 企画展チラシの裏面。不折の写真も掲載されている。

  白黒の画は、コンテによるデッサン。「裸体習作」とタイトルが付いている。(留学前の作品の隣にあったような記憶が・・・・。)
  1902年頃の作品というから、日露戦争の前のことだ。

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 展示作見ると、多くは「台東区立書道博物館」の所蔵。
 初期の作品は、明治20年代、日清戦争前の19世紀の時代。年賦によると不折は、日清戦争に記者としても従軍している。「日清戦争で従軍記者」とは、誰かと同じだったような・・・・、と考えると不折の友人であった松山出身の「正岡子規」であった。近年放映された某ドラマでも従軍して大陸に渡った子規のシーンがあった。
 初期は身近な風景画が多い。留学をしてからは、展示スペースの最初にあったように油彩画が中心となっている。

↓ 展示リストに付随している説明のパンフ。



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 油彩画では、昭和時代に入っても女性の裸体画を描いている。ただし、タイトルは「懸泉」「湖畔」「眺望」のように女性の裸体をイメージさせないものだ。
制作年を見て驚いたが、女性のヌード画は、三作の展示があったが1939年から1942年にかけての作品。時代背景でいうと、戦争中である。不折最晩年の作品だ。
 あの戦争で統制が強かった時代にどうして不折は女性の裸体画を残したのだろうか?。
 「懸泉」豊満な乳房が垂れ下がった日本人の女性の裸体。
 「湖畔」裸体の日本人の女性が部屋の中にいて、外には湖が見える様子。
 「眺望」湖であろうか、水面の見える部屋の中での女性の裸体画。
   黒田清輝の「湖畔」を思わせるような絵だ。(勿論、シーンは違うが。)
      また、室内から外の水面を描いた絵は現在、重要文化財指定の「舞妓」を思わせる。

 いずれも、カラフルでこれでもか、と豊満な女性の裸体を表現している。とても、戦争の時代に描かれた作品とは思えない。 

↓ 展示リストに付随している説明のパンフ。

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 「書家」としての不折の作品展示はほとんどなかった。
 「山水図屏風」が一番大きい作品であった。水墨画の屏風絵。「不折」と落款が押してある。書道博物館蔵ではなく、寄託作品である。所蔵者は誰か分からない。
 卓上ガラスケースの中に挿絵などの作品の展示があった。「吾輩は猫である」の本の挿絵の展示もある。どうしても、写真でよく知られている「表紙」の絵(細くて首の長いネコがこちらを向いてニャアと鳴いているような絵)が不折のものと誤解してしまうが、不折作は本の中の「挿絵」である。

 展示室を一通り見て、最初の(レジのある)展示スペースに戻る。
 退出する前に改めて、不折の年賦や写真を見る。老年期の不折夫妻の写真の展示があった。丸顔で笑顔の写真である。夫人も笑顔である。陽気な性格の人物であったのであろう。それゆえ、荻原守衛、森鴎外、夏目漱石、黒田清輝など錚々たる人物と交友を結び、信頼されていたのだろう。
 「中村不折の魅力」の企画展のタイトルの通り、不折の人となりと魅力が伝わってくる展覧会であった。

「中村不折の魅力」 中村屋サロン美術館 見学1

 2016年7月の雨の日。

 新宿の中村屋サロン美術館にやって来た。生誕150周年記念 「中村不折の魅力」の見学。

 美術館の入口は中村屋ビルの3階。「純印度式カリー」の食事を終えて、レストランのある地下2階からエレベータで上がります。
 3階でエレベータを降りると、例のブライダル旅行サロンのお出迎えの方がいます。店頭には「ウエディングドレス」が飾ってある。美術館に来る人は、ほぼ皆、ブライダル旅行サロンのお出迎えを受けることになるのでしょうか?。
 私が訪れたときも、エレベータを降りて美術館に行く人が、(ブライダルサロンの人に)「こっちですか?」聞いていた・・・・。もちろん、美術館の入口のことを・・・・・・。

 受付で入場券を購入。レシートと新宿中村屋のお店での割引券がもらえた。割引券はレストランでも貰ったのだが。ダブルでゲットした(笑)。
 私と同じエレベータに乗って、3階で降りたのは、いずれも女性で3人いた。一組は母と娘のよう。母は、相当高齢で小柄。明らかに80歳以上。娘は60歳前くらいか。もう一人は、おひとり様の女性で、50歳台くらい。かわいらしいワンピースを来ている。生地の色は深い緑や暗い水色の寒色系で地味だが、花柄、唐草の模様。
 受付近くの展示スペース(壁で区切られた部屋にはなっていない。エレベータ前の廊下とつながっている。)には、私も含めて7-8人くらいは、作品や解説パネルを見ている。平日のランチタイム、見学者は比較的多いように感じた。
 
  新宿中村屋ビルの地上の入口。美術館もこちらから。 ↓

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 「中村不折」、本名は知らないが、夏目漱石の作品に付いている年賦には必ず出てくる人物だ。以前から名前だけは知っているという人は多いだろう。もっとも、漱石の友人で満鉄の総裁を務め、漱石を満州に招待もした「中村是公」と混同している場合もあるが・・・・。
 荻原碌山(守衛)とも密接な関係にあったことが知られているし、事実、碌山美術館での碌山の年賦や解説にも「不折」の名が出てくる。そして、森鴎外とも密接な関係があったこと、墓碑の揮毫は、鴎外自身が遺言で不折を指名していたことを、昨年、文京区津和野の鴎外記念館を見学して知った。その有名な「森林太郎之墓」の墓碑が不折の書であることは、以前、何かの本で読んだ記憶はあったが・・・・・・。

 鴎外と漱石を結び付け、なおかつ近代日本で最も重要な彫刻家である碌山とも密接な関係にあった人物「中村不折」とは一体どのような人物であったのだろうか?。
 昨年の鴎外記念館の展示にもあったが、「鴎外」と「漱石」自身は、手紙のやりとりはしていたが、実際には4回ほどしか会ったことが無いというのに・・・。不折は彼ら二大文豪とどれだけ親しい付き合いがあったのだろうか?。

 展示スペースの壁には、洋画が展示してある。まずは、フランス留学時代の師であったフランス人の画家の作品。次いで、留学時代の油彩画の展示が並んでいる。
 「あれ、不折は、書家ではなかったの?。」の疑問が・・・。「書」の展示が中心と思ったが、展示スペースを見回した感じ、絵画のみ・・・。「えっ、不折は画家だったの?。」と知りませんでした(苦笑)。
 
 絵画を展示している壁とは反対、店に近い壁には、年賦や写真の展示があった。
「不折」が写った集合写真が何点かある、以前もここや、安曇野の「碌山美術館」で掲示があった中村屋関係者との記念写真にもその姿が写っているし、明治42年文展西洋画部門での審査員の集合写真の前列、向かって中央左側にもその姿がある。写真の解説では「不折」のみを「→」示しているが、文展審査員の後列中央、不折の斜め後ろには軍服姿のやや禿頭の男の姿が・・・・・・・。紛れも無い、鴎外 森林太郎その人であった。その右、人物群の端に近い立っている恰幅のよい背広姿の人物はこれまた紛れもない、洋画家の「黒田清輝」子爵だ。
 鴎外についても黒田についても、掲示写真では、解説が無い・・・・。知らないと見過ごしてしまう・・・。せめて「鴎外、黒田らと」と写真に(一緒に写っている人物名を含めて)解説を入れて欲しかった。残念だ・・・・・・。
 鴎外は当時、陸軍軍医総監(中将相当)で陸軍省医務局長。軍服を着つつも、審査員もしていたのですね。写真は白黒で鮮明ではないので、鴎外の軍服の肩章の「星の数」は判別できない。が、兵隊の肩章ように赤い色が多くは無い、金色地の割合が多い将官の「ベタ金」といわれる階級章だ。軍服の襟の色も白黒写真なので判別できないが、軍医は「深緑色」であった筈。

 当時の鴎外は40歳台後半の筈。が、ずいぶんと現代感覚からすると老けて見える。確かに、右に体がやや傾いている。文京区の鴎外記念館で見た鴎外の死去の前年の映像にもつながるが、あの映像では、右に体を傾けてかばうように歩いていた。この時から、右に体が歪んでいる・・・。鴎外は、意識しないと体直立不動の姿勢はとれずに、自然体だと体が右に傾いたのだ・・・・・。
 彼自身、医師であったのに自分の体の歪みについて意識していなかったのだろか?。悪い姿勢は、病気に繋がっていることを気付かなかったのか?。
 写真前列中央のヒゲを生やしているご老人は分からなかった・・・・。
 不折自身は小柄である。鴎外よりも更に小柄のようだ。丸い顔をして、ヒゲを生やし、愛嬌のある表情。不思議と鴎外はしかめっツラで写っている写真が多いにうよ思うのは、気のせいか・・・・・。

 不折の年賦には、慶応2年に現在の「中央区新川」の生まれとある。江戸っ子だったのだ。江戸の下町の出の「江戸っ子」かな?、と思いきや。明治4年かに、信濃の高遠に一家で引っ越しをしている。「維新後の混乱を避けるため、母の郷里である高遠に移った。」とある。
 年賦のボードには、高遠は「母の郷里」とあった。「父の郷里」とは無かったと記憶する。碌山とは信州の同郷であったことが分かった。そうか、信州繋がりか!と理解。すると、高遠からほど近い、南信州、飯田出身の「菱田春草」とも繋がりが出てくる筈だが、企画展では解説に「春草」の名は一切登場しなかった。

 昭和時代、老年期に入って不折は本名を「不折」と改名しているが、本籍地の「高遠町役場」に届け出た、とあった。終生、本籍地は高遠のままだったようだ。彼は、父の死後「戸主」になったと年賦にあった。すると、本籍地の高遠は父の代からの本籍地であり、父の故郷では無かったか。

 ↓ 展示リストと入場券。
   前回の訪問時は入場券は無かったと記憶するが、今回は入場券があった。

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新宿中村屋 レストランで食事 と企画展「中村不折の魅力」中村屋サロン美術館

 2016年7月の雨の日。今年の梅雨は、去年よりも長いな~。まだ、梅雨明けをしていない。しとしと雨が降る、涼しいお天気の下、新宿の中村屋サロン美術館にやって来た。

 2014年10月にオープンしたこの「美術館」。訪問するのは、前年の2月「開館記念特別展」を見学して以来、ほぼ一年半ぶりです。新宿駅東口からすぐという好立地のため、行こうとすれば、何時でも、いくらでも訪れる機会はあるのですが、ついつい延び延びになってしまいました・・・。
 今回は大幅リニューアルになった「南口」からアプローチ(笑)。新宿駅東口から歩くよりも、南口からでも距離的には、変わらないのではないか。

  (南口から歩き)歩道上、「後ろ側」から新宿中村屋ビルが見える。 ↓

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 (展示でも解説があったのだが、現在の看板の「中村屋」の文字も不折の書になるもの。)

 今回の企画展(もっとも「企画展」、「特別展」という呼び方はしていないようですが。)のタイトルは「中村不折の魅力」です。 生誕150周年記念の展覧会で、会期は7月24日まで。会期末に近い訪問となった。

 時刻はちょうどお昼の前。さあ、昼食だ、ということで美術館では無く、レストランを先に(笑)。
 やっぱり、ボクは常に「花より団子」だな(笑)。
 新宿中村屋ビルの上層階にもレストランはある。が、お値段が張るため(笑)、(ここのレストランの中では一番)リーズナブルなお値段でお料理を提供している地下2階の「マンナ」で食べることにする。

 ↓ 地下に階段を降りる。地下1階のフロアは、地下鉄の通路、新宿地下街と連結している。
   更に、地下2階に降りる。

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 地下2階のレストラン前では、順番を待っている人がいた・・・・。まだ12時になっていない、正午の15分前だというのに。椅子に座り、少し待って店内に案内される。私は仕事の合間兼ランチの時間だ。この日は雨の平日なので、普段よりかは、すいているかな、と思ったが混んでいるようだ。地下鉄の通路と直結しているから、天気は関係無いのかも。
 店内はすべての席は埋まっていない。一人用のハイテーブルもある。が、店の一番奥の二人掛けのテーブル席に案内された。地下のフロアは広い。フロアは、ビルの形状と同じ「L」字の形をしている。
 席に落ち着いて見ると、店内は内装も新しい。おととしに改装オープンしたばかり、だからだろう。このときに、中村屋サロン美術館も開館したのだ。

 「純印度式カリー」を注文。サラダと飲み物のセットにする。
 おなじみであるが「カリー」と呼ぶところに、こだわりがある。カリーのみは税抜1500円、サラダとドリンクのセットは税抜630円でプラスする。
 先にサラダが出てきて、注文から15分くらいすると「カリー」本体が出てきた。チキン「カリー」である。

 ↓ カリーと薬味。
   カリー皿は円型。らっきょうなどが載った薬味の小皿は半円形なので、カリー皿のフチにピタリと合う。
   何気ないことですが、カリーと薬味を並べて食べるのに便利。料理だけでなく、食器にも注目です。

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 特筆すべきは、3つの陶器の容器に入った付け合せがあること。小さい半円の皿に盛られた薬味(料理を持ってきてくれた人は「薬味」と呼んでいた。)とは別に持ってきてくれる。中には、茶色い何かを混ぜたような固形の調味料?が2種類、粉末のチーズの合計で3種類入っていた。(写真はフタを閉めた状態で撮影したので、写っていない。)
 「薬味」はらっきょうときゅうりの酢漬けともう1種類、唐辛子色だが、辛くないやや甘い漬物のような細長いモノ。
 
 食事をしたときは、これらが何か分からなかったが、あとで新宿中村屋の会社のウェブサイトを見たところによると「きゅうり」の酢漬けは「アグレッツィ」というそう。唐辛子色の細長い、甘い漬物は「チャツネ」というらしい。白い陶器の容器に入っていた、粉チーズ「以外」の薬味は何なのか分からない・・・。

 カリーのチキンは、数個入っている。よく煮込んでいるのであろう、鳥の骨はかなりモロくなっている。じゃがいもは大きいカットが1個入っていた(笑)。カリーなので、確かに辛い・・・。ごはんの量は、大人の男性にはやや少ないかも。ごはん大盛りが出来るかは、分からない。ただ、小さいサイズのカリーはあった。
 私の座っているテーブルの周囲は、女性数人のグループもいれば、一人の女性もいれば、サラリーマンの男性もいる。私の隣は、50歳くらいの女性が一人で食事にやってきた。ツレが後から来るのかな、と思ったが、一人で食事をしていた。
 食事をおえてレジに向かう途中、店内の様子を見たが、結構おひとり様の女性客が多い。女性のおひとり様は、なるべく2人のテーブル席に案内されているようだ。お昼休みのランチで来ているのだろう。
 食事を終えたのは、12時半頃。店内は満席ではないが、店外では10人くらいが待っていた。

 美術館の入口は中村屋ビルの3階。レストランのある地下2階から、エレベータで上がります。エレベータを降りると、例のブライダル旅行サロンのお出迎えの方がいます。店頭には「ウエディングドレス」が飾ってある。美術館に来る人は、ほぼ皆、ブライダル旅行サロンのお出迎えを受けることになるのでしょうか?。エレベータを降りて、美術館に行く人が、「こっちですか?」聞いていた・・・・。もちろん、美術館の入口のことを・・・。

「美の祝典」 国宝「伴大納言絵巻」下巻公開 出光美術館 鑑賞2

 2016年7月10日 
 
  東京、丸の内の出光美術館。企画展「美の祝典」、4月から始まった国宝「伴大納言絵巻」の公開もそろそろ会期終盤。この期間は、下巻の公開。会期最終日は7月18日の祝日まで。
 
 展示を見ながら「伴大納言絵巻」下巻の展示ゾーンに進んだ。
 解説のボードを見ながら、展示ケースへ順路を進む。「伴大納言絵巻 下巻」の展示ケースの脇には、5-6人くらいの人が列を作っているのみ。前期と比べると観覧者は少ない。
 下巻は、解説のボードを前回の訪問時も見たので、あたかも、既に現物も見たというような錯覚に陥ってしまう。が、ガラスケース内の巻物を順番に見ていくと、意外にも赤い葉のついた木が目立つことに気付いた。季節は秋なのだろう。現在の暦でいうと、11月くらいか。昔は、現在よりも暑かったなんて言われているが、民衆の着物は確かに軽装で衣一枚という感じ。
 平の清盛はマラリアで死亡したとも言われているらしいが、それくらい気候が厚かったのだろうか。この絵巻は事件から300年後に描かれたとあるので、成立したときの為政者は平家ではなかったか、院政~平家政権~源平の合戦の頃かな。紅葉のシーンが描かれているので、さほど気候は現在と変わらなかったのかも。現在の方が、温暖化の影響が著しい?。
 舎人が尋問されている様子から一気に検非違使が逮捕に向かうシーンに飛ぶ。
 逮捕されて、牛車で引かれていくシーンは、伴大納言自身は描かれていない、と解説にもある。確かに、着物の裾しか見えない。
 ポン、ポンと場面ごとに絵が登場して物語は終わった。

 私の前には、若いおにいちゃんが入ってきた。巻物のガラスケースを見る前に予習をしようと、壁面の解説パネルを見ていたら、私の前に横入りされてしまったのだ(笑)。
 このおにいさんは、熱心に見ていて、ついにガラスケースを見ていく途中で私は追い越しをした。私が見終わっても、このおにいさんはまだ見ていた。私の次は、背の高いスラーとした若い女子大生くらいの女の子だったが、この子も熱心に見ている。ガラスケースの前で列が滞留していたが、ケースの前で人が張りついているほどではないため、立っている警備員も特に早く見るようには、促さない。
 私は現物を見た後も、どのシーンがどういう場面かもう一回おさらいしようと、開設ボードを見て、もう一回、現物をさらっと流すように見た。さほど混雑していないので、時間の許す限り、何回でもガラスケースを見ることは可能だった(笑)。
 「伴氏」がその後、どうなったかは、解説には無かった。かつての大伴氏は没落して、伴善男の後、子孫は公家となったのか、寡聞にして知らない。その後、時代は藤沢氏の全盛となるのだが・・・。その血筋は現代においても華麗な人脈を政財界などに築いている。伴氏の時代も現代においても・・・。

 やっと、「伴大納言絵巻」を見た後、次の展示室へ。
 江戸時代の酒井抱一の作品などを見る。尾形光琳の作品と酷似している。「白梅図」や「八橋図屏風」など。
タイトルからはカキツバタの絵とは判断できないが、木道に咲いたカキツバタを光琳の国宝作品と同じように描いている。が、色彩のうまさは、光琳が上手に感じる。特に、紺色の濃淡でカキツバタの花の表や裏を描写している所などは・・・。しかし、よい

 乾山の皿の作品などを見て、展示室を退出した。
 帰りに売店で図録の見本を改めて見る。図録の解説には館長である出光氏の解説文が掲載されている。抱一の「風神雷神図屏風」は尾形光琳の「風神雷神図屏風」を写したもので、この屏風は当時所蔵していた一橋治済の屋敷で現物を見た?ようだ。抱一自身は、元々のオリジナル、宗達の「風神雷神図屏風」の存在を知らなかったらしい。
 現在、重要文化財指定、東京国立博物館所蔵の尾形光琳「風神雷神図屏風」は、将軍家斉(現在字体で表記)様の父、治済(現在字体で表記)が持っていたのか・・・。治済(はるさだ)は、田安家出身の松平定信の終生のライバルといったところか。というより、定信は、父の弟の子ではあるが、年上のいとこの治済の権勢の前には、終生対抗できなかったのではないか。将軍の父君と、老中(経験者)とはいえ11万石程度の大名の定信では。

 再びエレベータに乗って降りた。
 外に出て、振り返って美術館の入っているビルの外観を撮影した。6月の下旬以降、急に新聞の経済面などで出光家や同家が理事長を務める出光美術館を運営する財団のことがクローズアップされた。
 と、先程展示室にいた大学生らしき女の子が出てきた。黒縁の「アラレちゃんメガネ」をかけた茶髪の子だった。底の厚いサンダルを履いている。一人で来ているようで、有楽町の方向へ歩いて消えて行った・・・。先にも書いたが、今回は学生くらいの十代後半から20歳代の学生、社会人とおぼしき若い人もかなり見に来ていた。母親と一緒に見に来ている高校生~大学生くらいの子もいた。
 子連れも何人かいた。幼稚園くらいの子を連れて、お父さんが熱心に説明している。が、子は、分かっていないかもね(笑)。何年か前の私かな・・・・・・。子供が嫌がるので、私はすぐにやめましたが。
 孫を連れてきているおじいさんもいた。

 











「美の祝典」 国宝「伴大納言絵巻」 下巻公開 出光美術館

 2016年7月10日 
 
  再び、丸の内にある出光美術館にやってきた。「美の祝典」、4月から始まった国宝「伴大納言絵巻」の公開もそろそろ会期終盤に近づいた。
 この期間は、下巻の公開。会期最終日は7月18日の祝日まで。「中巻」の公開期間は、行くことが出来なかった。最後に「下巻」を見て、美の祝典のフィナーレを飾ろう。 
 有楽町駅の国際フォーラム脇の歩道を美術館のあるビルへと歩く。途中、道路を横断するが、まっすぐだ。東京駅より有楽町駅の方が断然近い。
 
 ↓ 退出後、皇居のお堀方面を撮影。右手が美術館の入っているビル。
   前回来たときよりも、街路樹の緑の色が濃い。季節は夏に移り変わった。

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  帝劇の看板の脇、ガラスの壁に仕切られたビルの内側に出光美術館の入口がある。警備員と白シャツ姿の係員がいて。次々にエレベータに誘導している。前回はエレベータに同乗する人が何人かいた。次々にエレベータにやってきていたのだ。が、老女とその娘らしき人の2人が乗ってきたのみ。前回の「上巻」公開時よりは観覧者が少なそうだと予感。
 警備員の人が「展示室はエレベータで9階の上がって下さい。」とアナウンスしてくれるので、前回同様9階で降りる。エレベータを降り、受付窓口で入場券を買って入る。今回は、優待割引券をもらっていたので、半額の500円で入場できた。この優待割引券は、有効期限が来年の3月までなので、「伴大納言絵巻」だけでなく、来年の3月までに開催される展示企画でも使用できる。1回来れば、あと1回は半額で入れることになるのかな?。
  さあ、二回目の出光美術館。展示室に入る。と、室内は暗かった。というより、外の夏の日差しがまぶしくて、室内がより一層暗く見えてる。よって目が、展示室内の「暗さ」に慣れるまで時間がかかった。「ああ~、夏だな~(笑)。」

 展示室に入って、すぐ左手の壁には、祇園祭の屏風がある。「祇園祭礼図屏風」。京都の祇園祭りの様子。7月の蒸し暑い日、展示したのは、もうすぐ祭りの本番だからだろう。祇園祭りは「戦国時代に一時、途絶し、西暦1500年より復活した。」とある。戦国の早い時期から、復活していたことになる。西暦16世紀後半の復活では無かった。
 描かれている場所が現在のどこか、図示による解説がある。左双、三条通りの北(絵の左側)には、「内裏」がある。内裏が起点で、左から右へ左双から、右双へ絵が流れている。祭りの行列は、都の路を練り歩いている。
 
 エレベータは、すいていたが、室内は比較的混雑している。が、前回の訪問「上巻」公開時のほどでは無い。
次いで、歌麿の肉筆画、美人画の展示があった。浮世絵ではなく、肉筆画だった。さすがに「春画」は描いていなかったかな、とは決して思わない(笑)。
 続いて、数段の階段を降りた所の大きなガラスケースの展示場所には、「南蛮屏風」があった。文化財指定は無い。作者、来歴は不明だ。説明にも無い。南蛮屏風は当時、数は忘れたが、多く描かれていたとあったと記憶する。
 「洛中洛外図屏風」もある。こちらも文化財指定は無い。
 次の部屋に移動。「伴大納言絵巻」の人物相関図のバネルがあるのは、前回と同じ。近くのガラスケースには、別の展示物があった。「江戸名所図屏風」。長い屏風で、浅草から、芝、田町の辺りまで描かれている。左双、現在の港区か目黒区当たりだろうか、絵では奥に高い「塔」がある。が、説明には「塔」について触れていない。距離は微妙だが、池上本門寺かなと思った。すると、東から西まで当時の江戸の郊外も含めて描いていることになる。芝か現在の築地当たりか、浴場がある。浴槽の近くでは、男の背中を流しているというか、洗っている女がいる。数名同じような男と女の組が描かれている。女はモチロン着物を着ている(笑)。
 二階建てで、上の階には「浴場女」がいる。

 展示を見ながら、伴大納言絵巻」下巻の展示ゾーンに進んで行った。

 ロビーの窓際には、無料のお茶コーナーがある。その傍らから、カシャっとスマホカメラで撮影した。このとき、何故か写真撮影をしている人がいなかった。人は多いのだが、シンとしている。「窓からの風景」ということで撮影したが、なんとカップルの後姿が写っていた・・・。外の光が眩しくて、被写体の様子が判らず。よく撮れなかった。ゴメンナサイ(苦笑)。
 ↓ 右のパーテーションの内側がお茶コーナー。暑いので皆さんたくさん飲んでいた(笑)。


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「美の祝典Ⅰ」 出光美術館 「伴大納言絵巻」 10年ぶり公開 鑑賞

 2016年5月1日 
 
  丸の内にある出光美術館にやってきました。展覧会は「美の祝典Ⅰ」。この企画のメインは国宝 「伴大納言絵巻」の10年ぶり公開です・。事前に広報されていたので、開催については早い段階で知りましたが、最近になってすっかり忘れていた(笑)。
 思い出したので、行ってみることにした。
 
 有楽町駅から少し歩きます。「ブリジストン美術館」などおなじく企業の名前を冠した美術館。企業名を冠し、その創業者のコレクションが母体となっている点で共通しています。住所は「丸の内」だが、実際は有楽町寄りの街区にある。東京駅より有楽町駅の方が近い。

 
 ↓ 入口は帝劇の隣でした。ビル外壁に掲示された看板を撮影。

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 ↓ 帝劇入口のポスターの様子。写真奥は皇居のお堀。
   先程、女性が歩道にまで列をつくり入場を待っていました。劇の入場待ちの列だったのです。連休中とあって、混雑しているようです。男性は列に全く並んでいなかった・・・・。大学生、高校生くらいの女の子も結構見に来ているようた。

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 ↓ 1789 と数字のあるタイトル。つまり「フランス革命」を舞台にしているベルバラ(のような歌劇)でしょうか?。

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   帝劇と比べると出光美術館の入口は小さい、というかエレベータで上層階に上がるため1階にはエレベータ乗り場があるだけ。警備員が立って、次々に出光美術館にやって来る人をエレベータに載せている。
 警備員の人が「展示室はエレベータで6階の上がって下さい。」とアナウンスしてくれます。

 エレベータを降り、入場券を買って入る。
  と、展示室には入らず、明るい方向へロビーを歩く。
  皇居方面の景色の眺めが大変によい。

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 窓際には、無料のお茶コーナーがあり、紙コップについて自由に飲むことができる。窓からの景色を楽しみながら休憩できる。
 と、40-50歳くらいの女性だが、この休憩スペースのうしろかせ、人々の後姿が敢えて「写るように」カシャカシャ、スマホカメラで撮影している人がいる。 どうせブログに載せるのだろう。周りに人がいようが、お構いなしに撮影、取りつくし・・・・・・・。私の後姿(ハゲてるが・・・)もきっと写って、アップされとるやろうから、「出光美術館 窓からの皇居 風景」などのキーワードで検索してくださいヨ(苦笑)。


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 窓の近くに「陶片」の展示室があった。まずは、この部屋から見学。陶片なので太陽光に当っても大丈夫だから、窓辺に展示しているのであろう。


















「三井家伝来の至宝」 三井記念美術館 鑑賞

 2015年12月27日 
 
 日本橋にある三井記念美術館 開館10周年の記念「三井家伝来の至宝」。
 「三菱一号館美術館」に続いてこちらにも初めてやってきました。「初訪問」です(笑)。 
 
 茶器の展示室に続いて、奥の部屋に進みます。
 艦内の廊下と展示室の間のスペースに「如庵」の茶室の再現があった。傍らには休憩用のソファもあります。展覧会の図録もあったので、よっこれせと腰を下ろして図録を見ます(笑)。
 「如庵」は復元なので真新しい。畳もきれいだ。よく見ると、壁の一部には 歌をかいたような文字を書いた
紙が壁紙として貼付けされている。本物の「如庵」を名鉄犬山ホテルの庭園敷地内で見たときは気づかなかった。あのとき、本物の国宝「如庵」の横に立っていた説明係の人が説明してくれたような記憶があるが、忘れてしまった(笑)。

 と、茶室の中に国宝「志野茶碗」があった。銘の漢字が読めないです。白い不整形の茶碗。わざと形を崩して焼いたような。薄い青の線が横に入っている。線は井桁状に書いている。もしかして、三井の「井」か?、はたまた井桁の井か?。

 ↓ 展覧会のポスターより。右が復元の如庵の室内に展示してあった国宝「志野茶碗」

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 上の写真左側が先の記事で触れた重要文化財指定 光悦の「黒楽茶碗」 銘 「時雨」

 床の間の壁には、伝紀貫之の「高野切」が掛っている。文化財指定はないよう。如庵は最初は東京の三井家の屋敷にあったが、昭和の戦前期に大磯の三井家別荘に移築されたそう。上述の通り、現在は名鉄の所蔵で 三年前に行った。当時、内部の撮影はできなかったので中の様子は忘れてしまった。
 
 復元如庵の前に「第四展示室」があります。書跡、絵画の展示室です。
聚楽第の屏風図が目を引く。文化財指定もなく、作者も不明。金雲をめぐらせた洛中洛外図のような 屏風でした。
 敦煌経 唐の時代シルクロード伝来のお経のうちの一巻があった。紙が茶色でかなり乾燥していてちぎれてしまいそうなくらいです。細かい楷書の文字でびっしり書かれています。

 ↓ 同じ展示室にあった定家筆の国宝「熊野御幸記」。 帝に随行して熊野神社を参詣した日記。
  意外と短期間で京と熊野を往復していました。往路は、京から現在の大阪、更に和歌山とどんどん熊野に向かって移動して行っています。意図して記録したものではなく、メモ書きのようで記した感じが分かります。
 
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 「第四展示室」をぐるっと見て、次は復元如庵の先の展示室に進む。
「手鑑」などがありました。その中で目を引いたのが国宝の銅製船氏王後墓誌。中国のものを入手したのかと思いましたが、日本で出土した古代の墓誌でした。現在の大阪府で出土した墓誌。赤銅色の板。文字が刻まれています。丸い文字で 古墳時代の鉄剣の銘文を思わせる漢字です。「天皇」の文字がはっきり見えます。没年は668年ですから、天智天皇、天武天皇が同時代の人物といったところでしょうか。船氏とは聞かない家系です。
朝廷につかえた貴族なのに。これほどの人物なのにその子孫は飛鳥 奈良の朝廷で活躍していないのでしょうか?。

 重文指定、羊皮紙の地図がありました。江戸初期の日本の姿で、正確ではありませんが、ほぼ今の日本の姿に近い地図です。羊皮紙とはおそらく外国船の影響を受けたのでしょう。

 展示室の途中、廊下というくらいのスペースに小さい展示ガラスが・・・。近代の切手コレクションなどが展示されある。江戸時代の飛脚の宛名を書した書状の包み紙がある。封筒に宛名とある程度の住所を書くと飛脚がちゃんと届けてくれたそう。「飛脚状」とあります。
 大阪の加島屋から三井南家にあてたものがありました。また、京都の三井 三郎座衛門 髙〇へ宛てた大阪の商人からのものも。三井家にあてたものだったので、現在も保管されているのでしょうか。テレビドラマでは 加島屋はあさの婚家のモデルであったようです。出水家ではなく、南家との飛脚状が残っていました。 

 最後の部屋は 向かって左に刀剣。右に能面。正面のガラスケースの中に国宝「雪松図」。
国宝の刀剣は二振。無銘の正宗と貞宗。背の堀りが無い剣がひとつ。梵字と不動明王の剣が刀身に掘られている。
↓ 展覧会のポスターより。上が国宝の短刀。

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 国宝「雪松図」は几帳面な楷書で「応挙筆」旧字体とある。その下に朱肉で落款を押している。あの春画にも同じ署名があった。紛れもなく同じ筆跡。 ともに応挙の作品であることがわかります。サイン落款はマネできますけどね。だから、応挙のニセモノも多く出回っている訳です。右の屏風は右下に。左の屏風は左下にそれぞれ署名と落款があります。写真で見ると光っていて新しく見えるのですが、実物を見ると白い背景に反射して明るく見えるし、たしかに古さを感じない。説明によると、もともと三井家の注文によって描かれた作品で 紙や材料は当時最高級のものを使用しているとのこと。明治以降に購入した作品ではなく、「三井家伝来」のお宝であったことを知りました。
 屏風絵の背景は金箔をまき散らしているんかのよう。シンプルだが、深い色合い。松と雪は墨で描いているよう。カラーの絵の具を使用しているように見える。しかし松の葉は緑に見えるが、実は墨の濃淡で表現している。松の葉を一本一本墨で描き、その上に白い雪がのっかっている様子を見ごとにとらえている。白い雪は、紙の白を生かして雪を表現している?。つまり、白い色を塗っているのではなく、紙の白さを生かして雪を表現しているかのよう。現在 応挙の作品の中で唯一の国宝とのこと。本当に傑作です。国宝に指定されるゆえんが分かりました。(今さら私が言うことではありませんけどね。)

 見終わって展示室の外に出ました。ぐるっと廊下を通って受付の前に出て、元のエレベータに乗り、一階に下りました。

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↓ ビル一階のロビーにあった。「三井本館」の解説。

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 ↓ 三井本館の外観。隣は三越です。年末商戦の真っ只中でした(笑)。

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日本橋 三井記念美術館 初訪問、「三井家伝来の至宝」 鑑賞

 2015年12月27日 
 
 日本橋にある三井記念美術館へ。「三井家伝来の至宝」 開館10周年の記念展です。
 「三菱一号館美術館」に続いてこちらにも初めてやってきました。「初訪問」です(笑)。「三井館」には開館10年にしてやっと来ることができました。
 三井記念美術館は「コレド室町のビルの中にある。」といった方が分かりやすいでしょうか?。地下鉄三越前駅とビルは直結しています。この付近は現在でも三井系の建物や会社が数多く立地は、旧「三井財閥」の総力が感じられます。
 先の丸の内が明治以降の新興、三菱村ならばこちらは徳川様の時代から続く伝統の日本橋「三井村」。ライヴァルでしょうか!?。

 さて、美術館は7階。1階には広いエントランスの階段があるため、「受付は1階にあるのか?」と思ってしまう。通路奥に進むとエレベータホールに出る。ここで「なんだ1階はエレベータだけなのか。」とやっと気づくのです(笑)。エレベータで向かう。7階にチケット売り場がある。
 7階のカウンターで(以前見た)根津美の半券を出すが、割引にはならなかった・・・・。理由は前の企画展示のものだからだそうだ。そのため通常の料金で入る。大人一人1300円でした。

 ↓ 1階のエントランスと階段。写真左奥の方向へエレベータへ向けて歩きます。

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「三井家伝来の至宝」
11/14から年を越して1月23日までの長い展覧会。
 途中、展示替えがある。最初の国宝展示は現在、東博所蔵の絵画「菩薩像」など。元々三井家所蔵の品を展示する企画となっている。東博にあればいつか見れるかなと、会期の当初は行かなかった(ホントは行かなかったダケ。)。
 国宝「油滴天目」は12/13からの展示。本官所蔵の目玉である国宝丸山応挙の「雪松図」は、今回、なんと通期での展示。通常はお正月の恒例企画として1月の開館から展示されるのが通例のようです。「お正月」といえば「雪松図」なのだそうです。

 早速入場。展示室の入口から茶碗の展示がある。美術館の入口付近には黒とグレーの制服を着た係員が数名配置されている。
 茶碗などの展示室の入口の前に三井家の系図がある。「高〇」「高×」と当主の男子のみの記載。展示リストは所蔵していた三井家の記載がある。
 今回の展示品は、北家所蔵が多い。ここが本家なので(多く所蔵、展示しているのは)当然か。NHKの朝ドラマ本「あさ」によると伊皿子家が分家筆頭だったそう。朝ドラマ本「あさ」はウチの子どもが読んでいたので、ついでに私も読みました(笑)。
 しかし、明治以降、分家筆頭なのに伊皿子家は男爵になっていはない。本家の北家と別の家の合わせて二家が受爵している。
 所蔵品は、室町家のものも多い。ここがもうひとつの男爵家だったはず。新町家、南家所蔵のもの(出品)がある。「はる」というか、「あさ」の実家の家(モデルとなった三井の家)は・・・・・・今回の展示リストにその家名の記載がないようです。たしか「ドラマ本」によると小石川家、以前は出水家といったはずです。
 南家は 北家の前の通りをはさんで南にあったので南家とか。「そのまんま」です(笑)。室町はかつての室町幕府のあった辺り。現在でいうと相国寺や同志社の西付近でしょうか。地下鉄でいうと今出川駅が最寄のあたりか。

 展示室を見ていきます。
 茶器がガラスケースに入っている。ガラスケースは、アイランド状の設置されていて茶碗を四方から見ることができる。
 「茶入れ」の展示もある。皆、小さい。重文の光悦作の黒い茶碗がある。「黒楽茶碗」銘 時雨 銘雨雲と説明がある。シンプルな黒い茶碗です。
 その奥に重文ながら仁清作の作品は、「カラフルな模様のある茶碗」でした。アノ「仁清」の「国宝のツボ」と共通する鮮やかな彩色。△のうろこ模様などがある。北条家のうろこ模様の集合体みたいな感じです。
 
 ↓ 展覧会のポスターより。右の茶碗が重要文化財 仁清作の茶碗。

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 最初の展示の突き当りに 国宝「油滴天目」がガラスケースの中にありました。黒い。点々がほぼ均等についている。まだら模様の点。「油滴」の意味が分かりました。大阪市立東洋陶磁美術館蔵。出張作品です。本館の運営母体である「三井文庫」の所蔵ではない。大きさは12センチと少しであり、藤田美、静嘉堂の曜変天目と変わらない。というか、官窯なので統一された規格だったのでしょうか。曜変天目のように模様に不規則性はあまりない。

 ↓ ビルの一階の様子。外の通りは日本橋通り。道路を挟んで反対側には「三重テラス」があります。
   これは決して偶然の立地ではありません。三井家は伊勢の松阪の出。日本橋に三井村がある以上、三重県のアンテナショップは日本橋にないといけないのです(熱弁)。
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↓ 1階のビルのエントランスにあるモニュメント
から見た美術館の入口と階段。
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「プラド美術館展 スペイン宮廷 美の情熱」 三菱一号館美術館 鑑賞

 2015年12月27日 
 
 
 イスパーニャ、マドリードのプラド美術館(Museo del Prad)の所蔵品展です。「プラド美術館展 スペイン宮廷 美の情熱」。「三菱一号館美術館 開館5周年記念」のサブタイトルが付いています。私は今回「三菱一号館美術館」に初めてやってきました。 

前回の鑑賞記の続きです。

 次はの展示室は、時代がやや下って西暦1600年前後です。テーマは「バロック 初期と最盛期」。

 パルマ公妃の肖像、パルマ公 アレッサンドロ・ファルネーゼの妻、ポルトガルのマリアの肖像などリアルな肖像画が(展示して)あります。
 続いて、ムリーリョの聖母マリアの肖像。スペイン風の黒い髪の女が赤ん坊のキリストを抱いて
います。以前にも見たことがあるような。有名な作品ですね。

 ブリューゲルの絵も出てきました。次の部屋にも いくつかのブリューゲルの絵が・・。「ピーター」や「ヤン」のものです。誰が有名な「ブリューゲル」か忘れてしまいました。ピーター「父」が大ブリューゲルとして一番有名だったような・・・・。
 「バベルの塔の建設」の絵ももありました。塔が下の部分しかできていない絵です。らせん状に道ができていてどんどん塔わ造っている様子の絵です。しかし、教科書で見る絵と違うなと思いました。1595年とあります。作者は ピーター二世となっていました。一世の描いた「バベルの塔」が教科書や資料集にも掲載される有名な絵のようです。私がかつて教科書で見た絵も「ピーター一世」のものでしょう。

 ヤンはピーター一世の息子でさらにヤン二世もいます。ピーター一世の孫ですね。だんだん分からなくなってきました(笑)。
 ブリューゲル一族の絵にまじって、ペラスケスの絵もでてきました。時代は17世紀です。ベラスケス作「ローマ ヴィラ・メディチの庭園」 タイトルのそのまんま、ローマの庭園の門を描いた作品で風景画です。

 ベラスケスの作品はもう一点、義父を描いたものがありました。
 「フランシスコ・パチェーコ」
 黒い服に白いひだひだの襟のある服を着たいかにもスペイン風の男性の肖像画です。

 ↓ ムリーリョの作品の告知看板。


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 展示室を出ると明るい部屋に出ました。窓があり外の通りが見えます。丸の内のオフィス街です。

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 美術館の内部は、一定の暗さを保つ部屋でないといけないので、明るい部屋に戻るとなんだかほっとします(笑)。途中に、この美術展のポスターや撮影コーナーがあります。
 他の観客のことを書きますと、40歳台半ばくらいでしょうか、スタイルのよいロングヘアの女性が盛んに写真を撮ってもらっていました。一人で鑑賞していて、同行者がいないようです。あとポニテ(ポニーテールの略語)の女の子(後述)もやってきました。
 続いて三階から二階に階段を下ります。階段も幅が広くない。混雑時、大人数で移動するにはやや大変でしょう。明治時代の建築で 部屋、廊下の大きさは当時のままかもしれません。するとキャパは少ないと思います。混雑時は恐らく早めに入場制限をすると思います。

 ↓ 展示順路の途中にあった。記念撮影コーナー。 
   この部屋は窓のカーテンが開いていて、外を眺めることができます。

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 ↓ 内部の様子。階段と上のフロアと下のフロア。明治時代の建物らしく狭いです。
   (実は復元建築なのだそうですが。)

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Ⅴの展示室「18世紀ヨーロッパ宮廷の雅」

 ロココ調の優美な絵画が主流です。作品の説明にも「王家がハプスブルク家からブルボン家に変わり・・」とあります。よってフランス的な絵が多いです。
 そのような中でありました「カルロス二世騎馬像」、小さい作品です。
 恐らくカルロスの肖像はこの絵の写真が使用されると思います。が、展示リストには「大型作品のための準備下絵」とあります。今日プラドに伝わる「大きなカルロス二世の騎馬の絵」があったはずです。大型の作品は、現地で見たような記憶があります。
 偉大なるアブスブロゴ家の初代カルロス・キント(エスパーニャ王としては一世)の生年から丁度200年後、同名のカルロスは没し、ついにエスパーニャ・アブスブロゴ家は断絶・・・・。ルイ14世の孫である王が即位して、ボルボン朝が開始されます。アブスブロゴ家最後の王がまさにカルロス二世です。近親婚のためか弱弱しい風貌で、騎馬の姿もなんとなく無理をしています。(なんかカルロスがかわいそうに見えます。)

 ベラスケスの作品にも書かれたことがあるのは、(カルロスからみて)そのご先祖達ですが、当時、彼らは王室が後年ほどなくして途絶えてしまうとは考えてもいなかったのではないしょうか!?。
 かつての栄光も「夢のあと」か・・・・。 1680年頃から、当時として王室の最大のタブーはカルロスの病弱だったと思います。すると、断絶は既定路線であった訳で・・・・。

 エスコリアル宮殿を見下ろした風景画も展示されていました。山の上から見下ろした宮殿のアングルのようです。建造から150年後くらいのときの絵です。

 ついで、国王フェリペ五世と家族の肖像画。服装は完全にフランス人です。これも下絵と説明があります。

 本展覧会のポスターにもなっている「マリア・ルイサ・デ・パルマ」の肖像画がありました。これも試作品のようです。婚礼のときのもののようですが、とても(当時の実年齢の)十代には見えません。髪がグレーだからでしょうか??。
 パルマ公の娘、マリー・ルイーズがイスパーニャのカルロス王子と結婚したのでした。両人ともボルボン(ブルボン家)の出で互いに親戚です。30年後の「マリーの姿」はイスパーニャー風に髪を染めているのか、もともとは黒髪なのか分かりません。「太ったおばちゃん」といった感じです。目のくりくりした少女当時の面影は全くありません・・・・・。

 ゴヤのカルロス四世国王家族の肖像の写真バネルか模写が隣に設置してありました。

 展示室は通常の居間を改装した感じで狭いです。二階の中庭に面した廊下を戻ります。三階でも中庭に面した廊下がありました。また次の狭い展示室へ。三階の廊下にはQ&Aがありました。お客様の声とそれに対する回答でした。
「くつの音が響く」
「空調の温度が低すぎる」
「順路がわかりにくい」
「入館料が高い」
 などの内容でした。
ウェブサイトにも掲載されていたと思います。


 料金が高いのとはともかく、順路はわかりにくいです。部屋は確かに狭く、大人数、大作品を見るには適していません。迷路のようで照明も落としているので、指示に従って廊下を歩きまわると迷子になった気分です。結構目も回ってきます(笑い)。
 明治時代の建物ですから。バリアーフリーなど機能性は重視されていないですからね。温度もいささか低い。私もずっとコートを着たまま鑑賞していました。しかし、寒気を感じていたのはすでにこのとき発熱していたかもしれません。

 (ここまで読んであれ?っと思う人もいたでしょう。実は見学していたとき、復元建物であることを知りませんでした。)


 小さい作品の展示会だったのも建物と展示室の特性に合うからではないかと思いました。展史室は狭いし、通路も狭い。迷路のように2階へと階段を下ります。旧三菱1号館のレンガの建物の中庭に面したL字の部分が美術館になっていることがわかりました。展示室内には窓はもちろんありません。が、展示室はちようど、外の道路沿いです。


 ↓ 美術館の入口と中庭の様子。

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 入館者は比較的多いです。各作品の前には常に見学者がいる状況です。展示品リストにメモを取りながら歩いてる大学生くらいの女の子がいました。紺のコートとスカート。黒いタイツ。やや茶髪のロング、ポニーテールにしています。また、背の高い170センチくらいの女性もいる。進むスピードは私同じくらいでずっと一緒でした。普通に見ていくと、最初から終わりまでほぼ見学者は並行して進んでいきます(笑)。
 展示室内の気温は高くなかったです。コートをずっと着ていました。このとき体調を崩していたので寒かったのかも知れません。
 実は銀座やここ来る前に日本科学未来館に行ったのですが、館内はコートを着ていると暑かったのでコートを着ないで歩き回ったのがいけなかったようです。


二階の廊下の先は、
「18世紀ヨーロッパ宮廷の雅」の続きです。ロココ調の優美な絵が続きます。次の部屋が「ゴヤ」。小さい作品ですが、しっかりゴヤも網羅しています。天使の絵や一般的な女性の肖像画もありました。最後の展示は19世紀の絵画。こちらは軽く見て 出口へ向かいました。

 ↓ 既出 出口の様子。

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 ↓ 美術館近くの丸の内の様子。

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「プラド美術館展」鑑賞と三菱一号館美術館 初訪問

 2015年12月27日 
 
 2015年、平成27年も終わりに近づきました。歳末の銀座に家族でやって来ました。
 某アンテナショップの「ふるさと割」利用の割引商品券の使用期限が年末までなので、食事とお買いものをしたのです。その記事は後日書くとして、銀座から徒歩で丸の内 三菱一号館美術館にやってきました。

 ↓ 展覧会のポスターを撮影。アクリル板に反射してカメラが写り込んでいます(苦笑)。

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 エスパーニャ、マドリードのプラド美術館の所蔵品展です。「プラド美術館展 スペイン宮廷 美の情熱」、「三菱一号館美術館 開館5周年記念」のサブタイトルが付いています。以降は「三菱美術館」、「プラド展」と略称でなるべく書きます。
 私は今回「三菱一号館美術館」に初めてやってきました。ビギナーです(笑)。開館5周年を迎えるというのに・・・・・。
 
 実をいうと、今まで訪問が遅れた理由のひとつとして、てっきり現代日本人好みの印象派や現代美術の企画展示専門と勘違いしていたのでした・・・・(絶句)。ここ(三菱美術館)は、常設展示は無いようで、年に3回程度の企画展を行っているようです。開館時の展覧会は印象派。当時のポスターはマネのオルセー美術館蔵、アノ「黒い帽子の女の絵」でしたね。開館の「目玉」として日本人にもよく知られている絵をもってきていました。
 現代日本人受けするような集客力の高い企画を持ってきているなあと思いました。その後の企画展もテーマはバラバラであり(上でも書いたように)常時公開するような所蔵品は無いようです。国立新美術館のように所蔵作品は無い、企画展、公募展専門の館と思いました。国立新美術館は公設の公共施設なので、その位置付けは三菱美術館とは異なると思いますが。
 また、訪問しなかった別の理由のとして、「三菱美術館」の経営母体がイマイチわかりません。民間企業運営と聞きました。つまり、ウェブサイト(で確認したところ)によると運営というか経営は三菱地所ですね。サイトには運営母体がはっきりと書いていない・・・。(地所の企業名とスリーダイヤモンドのロゴは入っています。)見落としをしているのかも知れませんが、見にくくて確認しにくい・・・、と思いきや同社が運営と書いてあるページをやっと見つけました。
 よって本館(以下、三菱美術館のこと。)は、他の「旧大名系」、「財閥系」、「創業者存在企業系」などの収集コレクション、財産が母体となっている財団法人の運営する美術館とも異なります。旧財閥系ではありますけどね。財団法人ではないようです。
 本館での展覧会として今年の夏に日本の画家 川鍋暁斎の展覧会がありました。次いでこの秋から年明けにかけてが「プラド展」のようです。必ずしも印象派のみでは無いのだな、とやっと理解できました(苦笑)。
 今回の「プラド展」の会期は平成28年1月31日までの四か月近くです。


 レンガ造りの外観です。以下、訪問記を書いていきます。
 入口は中庭にある。中庭に面した東が入口になっている。チケット売り場まで 誘導されるままに中庭沿いの幅の狭い廊下を歩く。200円割引になった。(静嘉堂で入手したスタンプラリーの台紙を提示したので。)さらに 東洋文庫のレシートを提示。東洋文庫のレシートは係の人が確認に手間取る。あまり見たことが無い??。購入した年月日などを見ているようだった。結果としてレシートでツレも200円引きになった。合計で3000円と少しだった。小学生は無料。ただし、勝手に入館することはできず、小学生も受付で申し出する(小学生用の入場券をもらう)必要があるもよう。

 (静嘉堂で入手の)スタンプラリーの台紙の提示では本人のみが割引。レシートでは本人も含めて同行者が割引のようです。だったら、最初からレシートだけでよかったかも!?。

 
↓ 中庭に面した入口の様子。写真右の方向にガラス壁の廊下を歩いて入場券売り場に向かう順路です。

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 入館します。三階行きのエレベータに乗る。展示室に入ると皆小さい絵ばかり。
今回のコンセプトは小品集だったと思います。最初の一室にボシュ(ボス)の絵があった。本展覧会、目玉作品のひとつです。
 「愚者の石の除去」との邦題。説明文はスペイン語の日本語直訳でわかりにくい・・・・。

お金をかけて治療を受けている男は阿呆だといいたいのでしょう。パロディーで、患者の男の頭に花が咲いています。背景は当時のフランドルの風景でしょう。当時、医療は信じることができたのでしょうか。もしかしたら、画家自身も信じていなかったのかも。どうせテキトーな医療だと思っていたのですかね(笑)。


 ↓ 館内にあった看板を撮影。 ボシュ 邦題「愚者の石の除去」
    作品が描かれたのは1506年頃のようです。

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 当時フランドルの領主はハズスブルク家のフィリップ。戦死したヴァロワ家のブルゴーニュ公 シャルル(突進公、又は豪胆公とも)の娘マリー、つまりフィリップの母親が若くして死後、幼くして相続した領地です。
 展覧会のポスターや看板では「ボス」と日本語表記されていますが、親分の「ボス」を連想してしまうためより優雅に「ボシュ」とここでは表記します(笑)。 トレビア~ン(笑)。

 ボシュはフェリペ二世が好んだことが知られています。一般には「快楽の園」が有名ですが、寓意に満ちたこの画家の作品の裏に込められた「意味」を王は好んだのでしょうか・・・・?。フェリペ二世とボシュは同時代の人かと思っていましたが、すでにフェリペの時代にボシュは死亡しています。存命時期はかぶっていません。
 フェリペの父 カルロス・キントの少年時代にボシュは死亡しています。1515年のことで、すでに当時、父フェリペ(フィリップ)からカールはフランドルなどの領地を相続しています。父方の祖父マクシミリアンが皇帝の時代です。
 少年のフランドル領主のカールはボシュと対面したことはあったのでしょうか?。としたら、ボシュの名声をフェリペ二世は父カールから聞いたのでしょうか・・・・?。

 次の部屋へ向かう途中、壁にイザベル女王の肖像画がありました。が、近年購入された作品で王家のコレクションではありません。ルネサンス時代を含む時代の展示でした。この時代は15世紀~16世紀の初期の絵の展示が中心。
 当時、エスパーニャ、英語でいうとスペインという国はなく、カスティーリャやアラゴンなどに分立していた時代。イタリアではルネサンスの最盛期の時代といったところでしょうか。

 次の部屋は主に16世紀の作品。テイッツィアーノの作品が一点ありました。
小品です。大作ではありません。「十字架を担うキノスト」。その優美な描き方は、過去に見たヴィーナスなどの絵と共通します。カールやフェリペの肖像画など大きな作品もプラドにありますけどね。
 絵の近くには、画家の解説が掲示されています。ティッツィアーノの説明には「・・・・ ××伯爵に叙せられた」とあります。カルロス=皇帝カール五世によって貴族の仲間入りをしていました。お気に入りの画家だったのですね。

 また、グレコの作品もありました。小さい作品です。「受胎告知」で構図はよく知られる他のグレコ作の受胎告知と同じです。教会堂に納める対策の試作品のような作品です。

 ↓ 展覧会のポスターより。左上の絵がグレコの作品。小さい作品でした。
   右はベラスケス作、自分の義父の肖像画。

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 続いて、次の部屋へ移動し順番に作品を見ていきます。

 ↓ 旧三菱一号館の東側の通りに面した玄関。この玄関は美術館の出口とあとで知りました。

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「前田青頓と日本美術院 大観・古径・御舟」展 観賞 山種美術館へ

 2015年8月

 お盆も過ぎたある暑い日のことでした。
 山種美術館にやってきました。 「前田青頓と日本美術院 大観・古径・御舟」展の観賞です。
 まずは恵比寿駅から美術館までの道のりをレポートします。
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 恵比寿駅で電車降り、少し歩きます。途中、交差点を渡ります。暑い。信号待ちの間、直射日光から身を守るため街路樹やビルの陰に身を寄せます。途中から坂道になります。
 ↓ 坂の途中で恵比寿駅方向を振り返る。写真左のビルは再開発ビルでしょう。
   いろいろなテナント、オフィス(企業の)が入っています。美術館はまだ先です。

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 10分弱歩くと、坂の先に美術館のビルが見えてきます。「あれが山種美術館だな」。とその存在を確認して最御の上り坂をラストスパートで歩きます。決して走る訳ではないです(笑)。が、この炎天下、急坂ではありませんが歩くのはしんどいです(汗・・・)。街路樹が多いので日陰もあります。大助かりです(笑)。
 恵比寿駅から10分は歩きました。やっと到着。美術館の建物は窓が無いオフィスビルのような感じ。見学者が結構出入りしています。美術館の前にはバス停があり。バス待ちをしている人もいます。見学を終えて駅に戻る人達のようです。反対側の歩道には恵比寿駅からのバスが到着しました。何人降りてきます。美術館へ入館する人もいます。この暑い中、坂道を登って来る人はボクくらいなのでしょうか!?

 ビルの壁の脇に掲示されたポスターを撮影。
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 会期は6月29日から始まっています。8月23日で終了です。この日は終了の直前でした。(お盆を過ぎたらすぐ終了という会期設定です。)一年で一番暑い時期に、徒歩で訪れるには交通がやや不便な美術館。日本画専門という館の性格からして高齢者が多いと推測していました。訪れる人はどれくらいいるのか、という興味もありました。予想に反してこの炎暑の中、訪れる人は途切れることがありません。根強い人気の美術館であることがわかりました。
 そもそも炎天下歩いてここまで来るオマエの方がおかしいんや、と言われればそれまでです。ボクが悪かったです。反省しています
 今回の私のメインは御舟作の重要文化財「炎舞」。炎天下、汗だくになりながら「炎舞」を鑑賞するのもまた一興。今回の展覧会は青頓がメインであり、御舟の作品はメインではありません。が、ポスターには「『炎舞』二年ぶりの公開とコピーが入り、写真も掲載されています。」ここ山種美術館のメインの所蔵品のひとつです。
 今回が初めての訪問。私立(民間)美術館といえば企業の創業者(オーナー)のコレクションを元に(没後に寄贈して)設立した施設、財閥が運営する施設などがあります。前者の施設の場合は、施設名に企業名やオーナーの名前が入っているケースがほとんどと思います。ここは典型的なオーナー設立の美術館でしょう。美術館の年賦を見ると現在地に移ってまだ20年も経過しいないようです。建物自体も比較的新しい斬新なデザインです。
 早速チケットを買って入館します。開館時間は17時まで。すでにこのとき16時前・・・・。私の知る限り金曜日や夏期の開館時間帯延長はないようです。夏の17時といえば、「アフターファイブ」開始にはかなり暑い・・・。入館は閉館の30分前までですから、暑い中訪れないといけません。

※「暑い暑い」とばかり書いていますが、ホントにこの日は暑かったです。いや「熱かった。」。











重要文化財指定 青木繁「海の幸」、「わだつみいろこの宮」と藤島武二「天平の面影」 観覧 ブリジストン美術館

 2015年5月6日 
 
 京橋(東京駅の八重洲口)にあるブリジストン美術館にやってきました。
 建て替えによる休館前、「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展。
 遠く久留米の石橋美術館に所蔵されている重要文化財指定の作品
 青木繁作 「海の幸」、「わだつみいろこの宮」
 藤島武二 「天平の面影」
 を観覧します。 
 みなひとつの展示室に集中して展示されています。
 ↓  「海の幸」 美術館の外に掲示されている看板より。
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 ↓ 同じく拡大。教科書でも拡大されて掲載される箇所。
     横に長いワイドな作品です。タテにはあまり大きくはありません。教科書では中央部のみ拡大して写真掲載されてる場合もありますが、ギリシア神話を題材にしたようにも感じる人物像が印象的です。抽象化されている登場人物が画面の両端付近に数人描かれていますが、ギリシアの兵士のようなカブトをかぶっているかのように感じます。
 しかし、実際には日本での風景、千葉の布良海岸での風景に着想しているとは有名なエピソードです。こうして実際に実物を見ると日本の伝統美、神話と西洋の神話、西洋画を融合させたような作品です。
  作品の真ん中のやや右、こちらを向いている白い顔の人は?。 私は繁本人の仮託かと思いしまたが、違うそうです。真ん中の白い顔のちょんまげをしていて、裸体で×××が丸見えになっている人物こそが繁でしょうか!?。 学説では否定されているようですが・・・・・・、しかし、私はそう(繁の姿かなと)感じました。
 画面中央の白い顔のふたりがともにサメ?をかついで共同作業をしているように感じます。ふたりは、ごく近い関係なのでしょうか。

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 ↓ 「天平の面影」。美術館の外に掲示されている看板を撮影。
   作品の実物は大きいです。高さニメートルくらいあります。壁にかかっている作品を見上げるようにして観賞 します。
   女性が現代的な風貌です。正倉院宝物の「鳥毛立美人」とはお顔の様子が違います。
 顔が小さく、スラリとしてスタイルが良く、きりっとした眉毛と都整った鼻筋。現代日本の美人の条件に合致しているような・・・・。武二の故郷、鹿児島(いわゆる目鼻立ちのはっきりした薩摩美女)の女性をモデルに描いたように感じました。

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 ↓ 「わだつみいろこの宮」の写真。ブリジストン美術館発行 展覧会のパンフレットより。
 
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 「わだつみいろこの宮」は美術館の外に掲示されている看板にもありません。一番写真露出の少ない作品です。作品の背景は難しくて説明を読んでも最初は理解できませんでした(笑)。
 日本の神話をもとにしたお話を絵にしたのだと分かりました。海底の宮殿で出会いなのですね。
 作品の大きさはというと、タテに細長い感じです。(作者は違いますが)「天平の面影」よりもかなり小さいです。

 重要文化財の作品を中心に30分くらい観覧、重文作品展示室の隣では過去に放映したテレビ番組のビデオ映像を流していました。その映像を見て、美術館をあとにしました。
 ピカソ「腕を組む軽業師」などこの美術館の有名な西洋輸入作品は、前回観覧時に見たので今回は特に見ませんでした。





















「ベスト・オ・ザ・ベスト」展 見学 ブリジストン美術館

 2015年5月6日 
 
 地下鉄で八重洲口にあるブリジストン美術館にやってきました。六本木駅から日比谷線に乗り、八丁堀で降り、少し歩きます。途中、朝以来、口ゲンカの絶えなかったツレはついにこの時間帯になって逆ギレ・・・というか逆上し、怒ってどこかへ行っていまいました。多分、アンテナショップ街に行くのでしょう。買い物させておけばご機嫌の人ですから・・・(震)。
 てなわけで、私一人で美術館に入館します(震)。私にとっては、ほぼ一年ぶり、二回目の観覧です。
 すでに夕方5時に近い時間帯。閉館時刻は6時なので、国立新美術館で「マグリット展」を観ていた場合は閉館時刻に間に合わなかったかも知れません。
 「サントリー美術館」と「ブリジストン美術館」、ともに企業名を冠し、その創業者のコレクションが母体となっている点では共通しています。館名が「カタカナ」であることも。そのためどちらの美術館がどちらの立地なのか混同してしまう場合があります(苦笑)。「あれ、ブリジストン美術館は麻布ではなかったかな?」と。しかしサントリー美術館が京橋立地というイメージはあまりありません。実は東京の都市地図には「ブリジストン美術館分室」が載っています。場所は麻布で「鼠坂」の近く。傾斜地のガケのそばといってもよい場所にあります。「サントリー美術館」とも実は近い。徒歩だと10分くらいではないでしょうか。そのため混同してしまいますというワケです。(というよりは、ブリジストン美術館が麻布にあるように感じてしまうだけかも!?。)

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 ビル外壁に掲示された看板を撮影。
 ルノワール作の少女像の写真です。パンフレットによると1987年に購入をしています。
 告知にもある通り、会期は5月17日まで。その後は周知のとおり数年間、建て替えのため閉館します。建て替えの契機は2011年の震災であったと思います。都心のビル街のオフィスビルの中にある美術館。万が一、関東大震災クラスの地震に伴い、火災が発生した場合は・・・すべて焼失してしまう危険性があります。建物の耐震性もあることながら、仮に建物は残っても、耐火できるか分かりませんね。近隣からの延焼が一番怖いですから。
 恐らく現在でもビルの中には、作品を守るための耐火金庫というか耐火収蔵庫はあるのでしょうが、果たしてオフィス街の大規模火災に遭った時に耐えられるのか、など総合的に判断して建て替えをするのだと思われます。
 「ベスト・オ・ザ・ベスト」。まるでベストアルバムを出したシンガーの「アルバム名」のような展覧会の名前です。
 この3月31日からは同じ財団の運営する久留米市の石橋美術館から重要文化財指定の作品3点が加わり展示されました。私の近代日本絵画の「重要文化財指定」作品、全点観覧を目標?にしていますから、この機会にやって来た訳です(笑)。
 本来はこの夏にも「未訪問の九州国立博物館とあわせて、石橋美術館も訪問しよう。」と計画していましたが、ここで「重文作品の三点」とご対面できたので、その計画は必要なくなりました。でも少し寂しいです(笑)。
 
 4月のうちに来たかったのですが、なんやかんやで会期末まであと10日あまりに迫った、大型連休最終日の訪問になってしまいました。しかも、ツレとは(入館直前に)大ケンカして一人での訪問です。(再び、震・・・。)

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 入場者は前回の訪問時に比べて、圧倒的に多いです。受付もチケットの販売や観覧者応対に忙しいです。チケットを購入して上のフロアに上がるのですが、忙しいのか受付のお姉さんはチケット販売のみで、案内をしてくれませんでした。私は勝手知ったるというよりも、二回目の訪問なので『そういえば、エレベータで上がるのだったな。』と思い出して、エレベータの前に移動して待ちます。と、警備員の人が「展示室はエレベータで二階の上がって下さい。」とアナウンスしてくれます。

 二階に行き、展示室に入ります。最初の展示室には、「ブリジストン美術館の歴史」コーナーで一室が充てられています。主にパネルや解説ボードによる展示です。前回もこの部屋を見たのか・・・忘れてしまいました。閉館前の特集展示かなと思いましたが、ほぼ常設されているようです。
 最初のほうの展示室は一年前に見たということにして、ほぼスルー。目的の重要文化財指定の作品を探します。中ほどの部屋にありました。
 まずは藤島武二の「黒扇」。ここブリジストン美術館所蔵唯一の重要文化財指定作品です。前回訪問時はまさかの展示無し。今回やっとリベンジを果たしてのご対面です。一年間待ちました(笑)。
 黒い扇をもったエクゾチックな風貌の女性・・・。日本人らしくないなと思っていましたが、武二が留学中にイタリア人の女性をモデルに描いた作品。黒髪はどことなく日本女性を思わせるも、青い瞳を持つ彫りの深い女性はやはり西洋人なのだなと分かります。その碧眼を本当にまっすぐ向けて観覧する私達に何かを訴えかけてきているかのようです。モデルになった彼女は、画家(武二)が描いている間、(彼を)真っ直ぐ見据えていたのでしょうか?。
 ↓ 「黒扇」。写真は、美術館の外壁に掲示の看板を撮影したもの。 

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